163 逆転の一歩
―― 大宮皐視点 ――
外壁に開いた大きな穴。そこに見えたのは夥しい量の魔力を放つミハイロ・マキシムと、その右手に掴まれた白い蜘蛛――アーサー君だった。
「サツキねぇ! どうしようっ!」
まだ、生きている。でも体のいたるところから青い血液が流れ、8本あった脚も何本か無くなっており、息も絶え絶えといったところ。大切な仲間の痛々しい姿に華乃ちゃんが小さな悲鳴を漏らし動揺している。
アーサー君はリサやソウタにも引けを取らない知識量と戦闘センスを持ち、レベルだって飛びぬけて高かった。総合的な戦闘能力でいえば、私の知る限りあらゆる冒険者を凌駕している――と思っていた。そんな彼ですら負けてしまったという事実に私もショックを受けざるを得ない。
しかしあの白い蜘蛛は魔法で作った仮の体であり、アーサー君の本体は無傷のままダンジョン38階にあるお城に控えている。だから何があっても、たとえどんなに傷だらけになったとしても死ぬことはない。それを知っているから私は何とか平静を保っていられるのだけど、華乃ちゃんにもちゃんと教えておかねばならない。
それより、アーサー君がいなくなった今、誰がミハイロを抑えられるのか。
私程度ではひと時でも時間を稼げるとは思えないし、ここにいる人達の中では一番レベルの高い真宮様が必然的に頼みの綱となるのだけど……その本人はどこにいるのか周囲を窺うと、いつの間にか戦いを早々に切り上げて隣に立っているではないか。そして私の思考を読むかのようにお手上げポーズで「どうにもならない」とアピールしている。
「僕の力はしばらく使えないよ。もっとも使えたところでミハイロに通用するとは思えないけどね」
「お前でも無理ならもう逃げるしかないな」
「……そう簡単にいきますの?」
真宮様が抑えられないというなら一刻も早くこの場から逃げるべきだという霧ケ谷さんが主張するけど、その気になればこのビルごと破壊できるような相手からどうやって逃げるのだと難しい顔で楠様が追及する。
戦うどころか逃げることすら難しい。かといって他に良い案など思い浮かぶはずもなく、そうこうしている間に空中を浮遊して中の様子を探っていたミハイロが壁に開いた穴を通ってビルの中まで入ってきた。
クランパーティー会場で見たときはスーツ姿だったけど、今は幾何学的な魔法陣に彩られた荘厳な白いローブ姿となっていた。教科書でも見たことのある、あまりに有名な“東欧の賢者”の武装だ。周囲を歪ませるほどの膨大な魔力も合わさって、立ち向かおうとする意思を根こそぎ奪いにきているよう。
あれこそが伝説の冒険者、ミハイロ・マキシムの本気の姿。こんな相手を今まで抑えてくれたアーサー君には改めて賛辞を送りたくなると共に、この現状に絶望せざるを得ない。
凍てつく碧眼で部屋の内部を見渡していたミハイロは、私達のところで視線を止めて左腕を伸ばしたかと思えば、急速に魔力密度を高めたではないか。
「きますっ! くぅっ!」
千鶴さんが急いで杖を掲げて障壁を張るのと同時に、煌めく光が瞬く間に着弾する。魔力と魔力のせめぎ合いとなりながら何とか弾いたものの、障壁は一撃で壊れてしまった。
だけどミハイロにとって今の魔法弾は全力攻撃でも何でもなく、こちらの様子を探るためのけん制に過ぎなかった模様。再び左手に光を灯して撃ち込もうとしてきたため、私達は千鶴さんの後ろ隠れようとするのだけど、首を振って「間に合いません」と眉を下げてきたので大慌てになってしまう。
仕方なしに真宮様が近くに落ちていた剣を拾って対処しようとするものの、その前に赤黒い影が疾風のように割り込んできた。
「させるかよぉ! うぉぉぉおらあああ!」
その影はバットでホームランを打つかのように大きく踏み込んでから上体を大きく捻り、恐ろしい威力の魔法弾を剣で打ち返してしまった。
ボロボロになって乱れたスーツに、引き締まった後ろ姿。その人が不敵に口元を歪めて振り向くと、隣で縮こまっていた華乃ちゃんが大粒の涙を目に溜めて勢いよく飛びついていく。
「おにぃーーー、おっかえり! 無事だったんだねっ!」
「あったり前だ、俺が死ぬわけないだろ。サツキ、妹を守ってくれてありがとうな」
親友が約束通りに帰って来てくれた。
これまで見たことないほどの魔力を噴き上げているけど、それは何故だか不快ではなく、むしろ心地良さすら感じる。それが証拠に華乃ちゃんも赤黒い魔力に包まれた手で頭を撫でられているというのに目を細めて抱き着いたままでいる。逆に全く敵意の無い魔力というのは人を安心させる力があるのかもしれない。
その反面、あまりに強すぎる魔力を纏っているため楠様と千鶴さんが息を呑んで固まってしまっている。恐らく切り札のスキルを使って大幅に強化しているのだろう……これほどなら体に相当無理な負荷がかかっているはずだ。それはソウタの優しい笑顔を見ていれば分かってしまう。
静かに胸を痛めていると、続けて後からも強力な味方達もやってきた。
「はぁ、小僧には色々と問いただしたいが……とりあえず、あの男を倒せば区切りをつけられるわけだな」
「それが一番の難題です。せめて真田様だけでも捕らえられればいいのですが……雲母、よく頑張ったわね」
「六路木様! 藤堂様!」
白く光る刀を抜いて六路木様が踏みしめるように歩いてくると、その隣に忍者スーツの――楠様の反応から相当に地位の高いであろう女性もやってきた。後方にも多数のくノ一レッドのメンバーが控えていることから、かなりの数の戦力がここに集まってきていることが分かる。
いつ殺されるやもしれない崖っぷちから、半歩だけ前に進めた感覚。しかしこれだけの味方がいても、ミハイロの前に立つことができるのは何人いるか。
そのミハイロは跪いた真田様に出迎えられると、ふわりと着地。アーサー君の首を捕まえながら「抵抗すれば殺す」と言うかのように腕を伸ばし見せつけてくる。華乃ちゃんがまた悲痛な声を漏らしているけど、アーサー君の目は死んでいない。それどころかメラメラと燃えているようにも見える。
『がっ……頑張って時間は、稼いだ……次は任せたぞ……災悪』
「あぁ任せろ。戻ったら俺達の奥の手に早くしろと伝えてくれよな」
『ということだ……ミハイロ・マキシム。お前にはこの後で……人生初めての負けを、プレゼントしてやるよ、へへ……』
口から青い血を流しながら精一杯の悪い顔で『お前は負ける』と言い放つアーサー君。その言葉にミハイロがもう一方の手で魔法弾の光を灯すと『じゃあなクソ野郎』と言って自ら白い蒸気となり、霧散してしまった……
奥の手というのはリサのことだろう。レベルは私とそれほど変わらなかったはずだけど、“東欧の賢者”を倒すとなればどれだけの無茶をするのか心配になる。でもリサはこの場を乗り切る重要性と必要性を十分に理解し、覚悟を決めた。それなら私だって全力で後押しする覚悟を決めよう。
一方のミハイロはアーサー君を捕まえていた手をしばらく見ていたものの視線をこちらに固定し、両手で別々のバフ魔法を唱えながら口を開く。
「正規軍は、あの黒い結界にやられたのか」
「はい。しかしミハイロ様さえ健在ならば、計画の進行に何ら支障はありません」
「……そうか。私が前に出よう。死体回収はお前に任せる」
「御意に」
状況を聞かれ「死体さえあれば神格者の知識を入手でき、この計画は成功する」と返す真田様。それはつまり、私達が死なない限り計画は成功しないという意味でもある。ならまずは死なないこと。そしてリサの準備ができるまで耐える事。これらが私達の勝利条件になると密かに再確認する。
ソウタも同じように考えているのか、小声で私に「バフを頼む」と言って気と魔力を漲らせ、皆を守るように前に出る。
その隣で一緒に戦えたらどんなにいいことか。でも私程度の実力ではソウタの全力戦闘についていくことなどできはしない。だから私のできる最大級の魔法《アクセラ・ヴィジョン》を、皆の無事を祈願しながら精一杯の高さに杖を掲げて唱えることにした。
「真田とミハイロですが、どっちいきますか」
「私はミハイロに行こう……伝説の冒険者とやらがどれほどのものか、試してやる」
「それなら僕は真田様に行こうかな。さっき殺し損なっちゃってね」
ソウタが瞳に覚悟を灯して剣を構えると、六路木様が濡れたような青白い魔力を纏って抜刀し、暗い魔力を噴き上げた真宮様は近くに落ちていた血濡れの短剣を2つ手に取ってくるりと回す。今度は二刀流で戦うつもりのようだ。
「サツキ。すまないが……また華乃を頼む」
申し訳なさそうにそう言うと、魔力を噴き上げて背中を向けるソウタ。私達がこの場から安全に離脱できるよう、ミハイロと真田様の射線上に立ち塞がってくれているのだ。
そんな親友の願いに応えるためにも、まずは華乃ちゃんを脱出アイテムで向こうへ送り届けたい。その後に招待客の避難誘導か、それともまだ残っている魔法陣を破壊しにいくか考えなくてはならない。
広い部屋に何かが蠢くような、不自然な魔力の流れが起き始める。巨大な猛獣同士が至近距離で睨み合っているような感覚。もうすでに見えないけん制が始まっているのだろう。
急いで華乃ちゃんと千鶴さんの手を引いて後退りし、この部屋から出ようとする――のだけど、千鶴さんが「ここに残ってお兄様と共に戦う」と言い出したため、華乃ちゃんがもう一方の手で引っ張って連れてきてくれた。
今から行われる戦いは常識を覆すような、予想できない戦いになる。レベル30に到達した千鶴さんならついていけるかもしれないけど、真宮様の弱点となり危険な状況に陥る可能性も十分に考えられる。ここは一緒に連れてきてくれた華乃ちゃんのファインプレーを賞賛したい。
手をつないだまま廊下に出ると楠様、霧ケ谷さん、くノ一レッドでいっぱいになっていた。早速くノ一レッドのリーダー、藤堂様という方が手早く情報をまとめて意見を統一してくれる。
「――そう。爆破魔法陣が無いというのが本当なら、私達は他の妨害魔法陣の捜索を優先すべきかしら。金蘭会として霧ケ谷君はどう思う?」
「そうしてくれりゃウチのオヤジと連携しやすくなるし、白ローブ共をぶち殺すことにも専念できる」
「ですが御神様はまだクランパーティー会場に――っ!」
妨害魔法陣の破壊を優先すべきとの意見に霧ケ谷さんが賛同し、続いて楠様が何か言いかけた直後、大きな振動と共にドアから爆風が勢いよく吹き出してきた。ついに戦いが始まったのだ。
心配そうにしている華乃ちゃんと千鶴さんの手を引いてさらに離れようとするのだけど、どこまで行けば安全があるのかと考えると歩みも遅くなってしまう。
ここは藤堂様の判断を仰ぐべきだと思い、振り返ろうとするものの……その前に。先ほどから脱出アイテムがうるさいほど光っているのでポケットから取り出すことにする。向こうから通信がきているのだ。
『華乃ちゃーーん! サツキちゃん!! ボク、ボク、ボクだよーー!!』
通常、脱出アイテムは頭に近づけないと声が聞こえないものだけど、向こうから途方もない魔力を込めているせいか、手に持っただけでも周囲に届くほどの大きな声が響いてきた。
妨害魔法陣の圏内で通信できていることに楠様やくノ一レッドの方達が目を丸くし注目する中、華乃ちゃんが飛びつくように顔を近づけて応答する。
「アーサー君! 無事だったんだね! ねぇ《ゲート》って使えるかな?」
『《ゲート》? そこじゃ使えないよ、ダンジョン内か冒険者学校の近くならともかくね』
ミハイロに負けて悔しい、リベンジできる方法はないかと愚痴をこぼして話を続けたがるアーサー君に、華乃ちゃんが早速《ゲート》が使えないかと割って入る。
だけど《ゲート》という魔法は発動条件が厳格に規定されている。ゲート部屋が近くにあり、かつ魔力登録を済ませた“場所”または“人”の付近でしか使えないようだ。その条件が満たせる場所はアーサー君の言う通り、ダンジョン内かゲート部屋のある冒険者学校の付近しかない。
でもそういえば、さっきの部屋にはゲートの石板があったし、魔力登録されてるソウタだって近くに……あれ?
『おわっ、できたけど、なんでぇ?』
「みんな! この中へ! チーちゃんもいくよ!」
「え? 華乃さん、これって――」
予兆もなくやや離れた場所に紫色の強烈な光が現れたため、くノ一レッドが攻撃かと勘違いし慌ててクナイを身構える。至急あの中へ入ってと華乃ちゃんが言うと、千鶴さんの手を引いて真っ先に入ってしまった。
さらにドゴンッと強い衝撃が数回襲うと廊下の壁に大きな亀裂が入る。もうここでゆっくり話している時間はない。一時的に退避するだけでもいいので入るべきだと私も声を上げる。
「これでどこに行けるのか知らねぇが、覚悟決めるか」
「毒を食らわば皿までって言うし! いくわよっ!」
霧ケ谷さんが光に消え、藤堂様の号令で楠様やくノ一レッドの方達も続々と入っていく。さらに破壊音が鳴り響き、照明のいくつかが破損。廊下に暗闇が広がっていく。
《ゲート》の先はアーサー君の家のはず。きっと寒いだろうから向こうについたらすぐにコートを取り出さないと。
最後の一人を確認した私は目の前にある紫色の光に体を預けながら、さっきまでいた部屋の方へ振り返り、祈るようにつぶやく。
「ソウタ、すぐに戻るから……待っててね」
眩しい視界が暗転し、重力の方向が分からなくなる感覚。数秒後に目を開ければ、そこは一面が凍てつく白銀の世界だった。
*・・*・・*・・*・・*・・*
「やぁやぁやぁ! ずいぶんとたくさん来たね……ようこそボクの家へ!」
着いてすぐにマジックバッグから冬用のフードが付いたコートとブーツを取り出していると、少年が大きな角を振りながら雪を踏み固めて近づいてくる。
無事であることは分かっていたけどこうして元気な姿が見られてほっとしてしまう。涙ぐんだ華乃ちゃんに抱きしめられてまんざらでもなさそうな顔をしているけど、今だけは許してあげるとしよう。
「ここはどこだ……お前は誰だ。あの城は何だ?」
「さ、寒すぎますっ、何か、何でもいいので着るものをくださいましっ」
「それより魔力濃度を見てください! 値が異常です!」
霧ケ谷さんが白い息を煙のように吐きながら周囲の変化に右往左往し、足や肩を出した忍者スーツの楠様やくノ一レッドの方達が突き刺すような寒さに内股になって震えている。
空はいつも以上に荒れ気味で、横殴りの雪が肌に付着すると一瞬で体温を奪いにくる冷たさがある。真夏の東京からこのような極寒のツンドラ地帯に来たのだから凍えるのも無理はない。でも、私があちらへ跳ぶ前はアーサー君もお城の中にいたはずなのに、どうして外にでているのだろうか。
一方で藤堂様と数人のくノ一レッドは寒さなんて気にしていられるかとでも言うように腕端末の魔力濃度計を凝視していた。
ここはダンジョン38階の最奥にある、通称“魔人城エリア”。少し高い場所に建っている西洋風の巨大なお城はアーサー君の家だ。私も初めて来たときは寒さと漂う高濃度の魔素、あまりに大きい家に驚いたものだけど、モンスターは出ないので安心してほしい。
とはいえ、ここで話し合うにはあまりに寒すぎる。何か対策があればいいのだけど……余っている防寒具は数着分しかない。
「ねぇアーサー君、とりあえず玄関に移動しようよ。ここだとみんな凍えちゃうからっ」
「あぁそうか、人間には寒いかもね。じゃあレッツゴー!」
華乃ちゃんがお城の入り口を指差すと、今頃寒さに気づいたアーサー君が大股で歩いていく。皆も「あっちの方が温かい」と言われれば慌ててついていくしかない。魔人は状態異常や環境変化に強いと聞いているけど吹雪の中でも何も感じないのは度が過ぎている気がする。
吹き付ける風と雪から守るように胸元を締めながら、改めて思う。この場所に戻れたことは非常に大きいのではないか。
華乃ちゃんと千鶴さんを安全な場所に避難させることができたし、状況確認や作戦について話せるようにもなった。おまけにここからなら地上にだって脱出が可能。今、ビルの外ではどうなっているか分からないけれど、これだけの人数がいればできる事は多いはずだ。
あまりに突然の出来事にずっと翻弄され、振りかかる火の粉を払うだけで必死だった。でもこれからは違う。誰一人諦めてなんていないし、逆転の一歩だって踏み出せる。そう強く信じて新たな決意を胸に宿しつつも――その前に。
「――っくしゅん!」
ここは寒いので私も移動することにしよう。