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161 黒いモヤ

 地響きのような音がそこら中から鳴り響き、遠くから雄叫びのような声も届いてくる。金蘭会や見知らぬ冒険者達が己の全てを賭して神聖帝国と戦っているのだ。しかし、くノ一レッドがこの一帯を索敵しているため、直進方向に白ローブ共がいないことは分かっているし突然の戦闘に巻き込まれる心配はない。

 

 安心して移動できている理由は他にもある。まずは音を立てず先頭を走る藤堂さんだ。単独で白ローブと戦えるほどの戦闘能力を持っていることが分かった。


 ゲームにおいて、くノ一レッドは戦闘力というより政治権力や諜報能力の高さに定評があるクランと認識していたが、これほどの実力者も在籍していたことに今更ながら驚いている。ストーリーによってはくノ一レッドと敵対するルートもあり、藤堂瑞葉という人物には警戒しておいて損はないだろう。

 

 そして隣で並走する可愛らしい先輩・雛森さん――はおいておくとして、後方で目を光らせている六路木時雨の存在感は別格だ。日本最大クラン“十羅刹(じゅうらせつ)”の大幹部であり、“日本冒険者界最強の一角”、“冒険者ギルドの懐刀”など各方面から恐れられる彼女の実力は、ダンエクプレイヤー達からも一目置かれていたほどである。

 

 そんな有名人と一緒に走っているという安心感は絶大だ。仮に白ローブが襲ってきたとしても一人で始末してしまうのではないかと期待できるくらいに。あえて注文を付けるなら、そのチリチリと突き刺すような視線を頻繁に向けてくるのはやめていただきたい。そして――

 

 連なる窓からビルの外を見れば、煌めく魔法弾が流れ星のようにいくつも空を駆けており、いたる所で蜘蛛の巣が燃えて周囲を明るくしている。アーサーとミハイロの戦闘が佳境に入っている。

 

 ミハイロ相手に勝てるとは思っていないが、慣れない蜘蛛の体とアラクネのスキルだけでこれだけの魔法弾を(さば)き、隙あらば攻撃に転じて追い込もうとしているのは賞賛に値する。ダンエクで“閃光”という異名を(とどろ)かせていたアーサーの戦闘センスは健在といっていいだろう。さすがは俺のライバルである。


 ミハイロを筆頭に神聖帝国がこれだけの戦力を束ねて攻撃を仕掛けてきても、負けずに仲間や味方が一丸となって抗うことができている。俺は一人ではないのだ。それが何よりも心強い。

 

 気付けば後ろにいる六路木も窓の外を見て、思い出すかのように笑っていた。


「ふふ……あの蜘蛛の怪物が何故こちらに味方しているのか分からんが……神聖帝国の無様な姿は実に痛快だった」


 クランパーティー会場にいた白ローブをまとめて蹴散らしたアーサーのことを言っているのだろう。初見でアラクネの糸に対応するのは極めて難しく、おかげで白ローブを半壊させられたのも大きい。もしあれがなければ44階に辿り着くのは不可能だったかもしれない。

 

 それを聞いて気を良くした藤堂さんも窓の外を見て振り返る。

 

「このままミハイロ・マキシムを抑えてくれるなら反撃の機会が到来しそうです。六路木様、我が国の意地を見せてやりましょう」

「そうだな……藤堂よ。外界との通信が復活次第、ギルド権限を使って軍を呼び寄せろ。私は十羅刹(じゅうらせつ)を動かす……」


 藤堂さんが発破(はっぱ)をかけると、六路木は動かしうる全ての戦力を動員し「ミハイロ共々、一人残らず狩ってやる」と殺意の色で目を光らせる。


 藤堂さんと六路木は共に冒険者ギルドを運営する立場にあり、特に六路木はこれまでの経歴と【侍】という特殊性から冒険者ギルドの象徴にもなっている。そのためひとたび声を発せば万を超える冒険者に号令することも可能だし、何より十羅刹には六路木に匹敵するヤバい奴らが何人もいる。

 

 そいつらが来る前に機を見て逃げ出したいところだが……現状そう上手くいっているかは怪しい。綱渡り状態というべきか。


 窓の外を見る限りアーサーは自前の鎌を振って奮戦しているが、ミハイロの鉄壁の防御魔法に阻まれている上に何度も魔法を被弾していて敗色濃厚である。今ここでアーサーが負けてしまえばミハイロは自由の身となり、俺達は魔法陣探しなど言っていられなくなる。つまり爆破時間のリミット以外にも、アーサーの敗北タイミングは俺達の運命を左右する重大な要素となるのだ。

 

 分の悪い状況に頭を悩ませて走っていると、雛森さんが「きっと上手くいきます」と優しい笑顔で声をかけてきた。確かにその考えは大事だ。ネガティブなことばかり考え続けたところで好転するわけがない。このまま何事もなく爆破魔法陣を壊している可能性だって――

 

「停止してくださいっ、前方に神聖帝国……3。まだこちらに気づいてはいません」

「このままいくぞ、もう44階へ行く通路はすぐそこなんだろう? 私が先陣を切る」

「お願いします」


 仲間から何らかの方法で合図を受けた雛森さんが前方にいる白ローブの存在を教えてくれる。しかし昇降機が使えずここまで時間がかかっている上に、44階へと繋がる階段はもう目前。敵が3人しかいないならこのまま突っ切るべきだと六路木が前に出る。

 

(白ローブが3人……か)

 

 これまでの死闘を思い返せば気が引けるものはあるものの、この戦力なら十分に対処可能なので六路木の意見には賛成である。藤堂さんがクナイを抜いて中距離に布陣し、俺は雛森さんのガードに回ろう――と思ったが、後方で布陣したくノ一レッドの方に合流するようだ。

 

 なら俺はどうするか。ダンエクでの六路木を思い返してみれば、白ローブが3人同時であっても単独で倒せるほどの実力はあるはずなので、プレイヤースキルは温存でいかせてもらう。

 

 くノ一レッドの誰かが「きますっ!」と声を上げると、廊下の角からジャストタイミングで白ローブが現れた。こっちには六路木がいるので防御を固めて仲間の到着でも待つのかと思いきや、数種のバフ魔法をかけて武器を引き抜き、向こうからも走ってきやがった。しかも最初から遊びなしの全開のウェポンスキルである。

 

 大剣使いが魔力を爆発させながら大きく踏み込み、唸るように叫びながら白く光る大剣を振りぬく。

 

『Salut și la revedere! 《ディレイスラッシュ》!』


 聖属性のエンチャントと斬撃が一体となって空間を縦に裂くように放たれ、床や天井までもが一瞬で砕け散る。大剣の二回攻撃ソードスキルだ。

 

 六路木は勢いを落とさずその斬撃の中心へ踏み入れると、絶妙な角度で受け流してからそれ以上の魔力を爆発させる。その魔力量は大剣使いの比ではなく、背後が陽炎(かげろう)のように歪むレベルである。

 

 もう二人の白ローブは六路木のウェポンスキルを警戒したのか間を置かず斬撃を放ち、数mほどの狭い領域で無数の刃が入り乱れる壮絶な接近戦が始まった。レベル30を優に超えた冒険者が本気で戦えば硬いコンクリートとて無事では済むわけがなく、壁や天井、床がみるみるうちにズタズタになっていく。

 

 加えて距離を取っていたくノ一レッド達も遠方からクナイを次々に投げ込んだため、お互いが視界に入ってまだ数秒程度であるにも関わらず攻撃密度が恐ろしいことになっている。

 

 空気に溶け込めなくなった魔力が紫電のようになって渦を巻き、斬撃とクナイが入り乱れ、回避不可能と思えるほどの僅かな空間を3人の白ローブと六路木がブレるように加速し駆け巡る。普通に考えればあれだけのクナイを背後から放たれれば六路木だって被弾しそうだが、くノ一レッドも六路木の実力を分かった上で空間的に負荷をかける作戦にでているのだ。

 

 同じ負荷ならレベルの高い六路木のほうが優位に働く。現に通常なら楽に避けることができるはずのクナイを、白ローブ達が被弾し始めた。作戦は非常に順調である。ではこの状況で俺に何かできるのか――

 

「あの中へ入ることはおススメしないわよ?」

「もちろんです。というか頼まれても行きませんって」


 藤堂さんが指の間にいくつも挟んだクナイを銃弾に匹敵する速度で投げながら「まさかあの中にいくつもりなの?」と悠長に話しかけてきた。くノ一レッドの使うクナイには激痛を引き起こす特殊な毒が仕込まれており、かすりでもすればあまりの痛さに転げまわることになるらしい。そんなクナイの嵐へ俺がいくと思ったら大間違いである。

 

 しかしながら六路木が死闘を繰り広げ、雛森さんすら攻撃に加わっているというのに俺だけポツンと見ていていいわけがない。それにあの向こうには華乃達が待っている44階へ下りられる階段がある。どうしたら一刻も早くあいつらを倒せるか――なんて顔を俺がしていたので心配になったようだ。

 

(まぁ俺だって遠距離攻撃手段は持っているんだけどな)


 手首を返し、無手または刀剣を持った状態で放つ《アガレスブレード》というウェポンスキル。ある程度離れた相手にも当てられる飛ぶ斬撃である。だが発動にはスキルモーションが必要だし範囲も結構広く、六路木を巻き込んでしまう可能性は高い。

 

 なので他に何かないかと持ってきたマジックバッグに手を突っ込みながら戦闘を見ているのだが……そこで気付いたことがある。 

 

(やっぱりよく見える)

 

 あの3人の白ローブ。武器を振るう速さや立ち回りを見る限り、これまで戦ってきた白ローブ達と同程度の強さと判断できる。にもかかわらず放つ斬撃モーション、撃ち出す魔法弾の軌道がこれまでよりはっきりくっきりと見えるのだ。俺の目が良くなったというよりも、レベルアップしたことにより動体視力が大きく上昇したせいと考えるべきだろう。ならばどれくらいレベルアップしたのか。

 

 この動体視力の上昇具合を鑑みれば予想通り、数レベルは上がっているだろうか。屋上、そして昇降機前で戦った奴らは俺よりレベルが10近く上だった。そんな強者を連続で倒していけばそれくらい上がっていてもおかしくない。


 だとするとあいつらと俺のレベル差は5程度となる。レベル10差の相手なら俺の攻撃は“見てから回避余裕でした”状態となってほぼ当たることはないが、レベル5差なら《オーバードライブ》を使わずともギリ勝負になるはず。

 

(少し試してみるか……今ならコレも当たる気がする)

  

 マジックバッグ内に細い金属棒の感触があったので引き抜いてみる。最近作った純ミスリルの小弓である。次に青く透き通った矢も数本取り出すと、よほど冷たいのか表面に霜が付き始めた。こっちはアーサーの家の近くで自生している樹木型モンスター“フローズントレント”から作った矢である。高価な素材だが出し惜しみはしない。

 

 くノ一レッドの後ろで弓の調子を確かめながら、もう一度白ローブの動きを観察する。


 どうやらあいつらは最初から六路木を最優先の標的として動いているようだが、くノ一レッドの投げるクナイが存外効いているらしく、何度かこちらに狙いを変えようしている。それができないのは六路木が立ち位置を変えたり、スキルモーションで威圧したりと上手く来させないようにしているからだ。それなら俺も安心して弓を構えることができる。

 

 ダンエクでもPKの際にはかなりの頻度で弓を使っていたので、そのときの感覚を思い出しながら歩幅を開き、矢を傷つけないよう慎重に弦に引っ掛けて弓を押し開く。レベル25時点ではかなり硬かったはずだが、思ったより容易に弦が開いたので膂力(STR)も大きく上昇していることが分かる。

 

 隣で藤堂さんがマジマジと俺の一挙手一投足を注視しているけど、少しくらいは視線を隠すフリをしていただきたい。

 

(とりあえずはあれを狙うか)

 

 先ほどからこちらに来たがっている大剣使い――ではなく、六路木に敵意むき出しにして双剣を振るう白ローブを狙う。脳内で動きを先読みし、大きく剣を振るった直後の硬直に当たるよう最初の矢を射る。

 

 ドンッという弓とは思えない破裂音を立て、音速を軽く超えるであろう速度で目標に到達する。そのまま背中に刺さるかと思いきやこちらの射撃をしっかりと見ていたようで、左手で六路木に斬り込みながらも右手に持った剣で矢の軌道を逸らして対処しやがった。

 

 二刀流で攻防同時に立ち回るスタイルはダンエクでも身に着けられるプレイヤーは限られていたが、さすがは神聖帝国の一流冒険者。しかしである。

 

 普通の矢ならそれで防げたであろうが、俺が撃ったのは特殊効果付きのフロストアロー。双剣と矢が接触すると即時に1mほどの範囲の氷結魔法が炸裂し、白いローブの半身が白い霜で覆われていく。

 

 完全に凍らせることはできないものの、凍結ダメージと共にわずかに動きを遅くするスロー効果がある。しかしその効果以前に、双剣使いは何が起こったのかと一瞬だけ硬直してしまった。殺意振りまく修羅の前でそんな隙を見せればどうなるか。

 

 六路木は決して大きくない体から爆発的に魔力を吹き上げ、恐ろしいエネルギー量を込めて刀を稲妻のように振り下ろした。あれを防ぐなら重心を落とし、しっかりと両手で受けなければ不可能であるが、双剣使いは硬直と凍結ダメージがあるせいで片手で無理やり受けきろうとする。

 

 結果、剣は折られ、そのまま肩口から左下まで斬撃が貫通し、さらに勢い余って硬いコンクリートの床に大穴まで開ける始末。数十m離れたこの場所まで強い振動と爆風が吹き荒れ、見れば雛森さんがひっくり返って転んでいた。ノーモーションからあれだけの斬撃を放つ化け物が味方であることに感謝するしかない。

 

 

 残った二人の白ローブはこれ以上戦うのが難しいとみたのだろう、クナイの雨を避けつつじりじりと後退して距離を取ろうとしている。ここであいつらを逃がせば後々に仲間を引き連れて襲ってくるかもしれない。逃走する前にもう一度、矢を撃ち込む。

 

 ドンッという音と共に再び発射されるフロストアロー。今度は武器で受けようとせず、余裕を持って矢の軌道から体を外して回避しようとする。しかしこのフロストアローは非常に避けにくい特性がもう1つあるのだ。

 

 完全に軌道から外れたかと思われたが真横付近で勝手に破裂し、再び氷結魔法が発動する。白い霜で覆われていく大剣使いだが、六路木が狙ったのはもう一人の斧使い。ここぞとばかりにギアを上げて濃密な魔力を吹き出すと、猛獣のように飛びかかっていってしまう。

 

「いきましょ、成海くん!」


 藤堂さんが2つ小太刀を二刀にして走り出す。雛森さん含めここにいるくノ一レッドの方々は白ローブと近接戦闘をやり合えるほどにレベルは高くなく、唯一戦えそうな俺に誘いをかけてきたわけだ。こちらとしても肉体強化を安全に試せる機会が欲しいと思っていたので都合がいい。もしダメージを負ったとしても即死以外なら回復ポーションを使ってくれるわけだしな。


 フェイントを入れながらジグザグに駆けていく藤堂さんの後ろを俺も剣を抜きながら走っていく。同時に斬りかかろうとタイミングを合わせると、白ローブは霜で覆われながらも持っていた大剣を大きく横に()いでそれ以上の接近を阻止。しかしクナイの毒に加えて半身が凍傷となっているせいか動きが大分鈍い模様。

 

 藤堂さんが壁を駆け上がって背後に回り、再度斬りかかる。離れると同時にクナイの嵐が吹き荒れ、それが止めば俺の出番だ。魔力を練りつつ身を屈め、これまでの苦難を思い出しながら高速三連斬撃を脳裏に描く――今だっ!

 

(ほとばし)れ俺の魔力! 冴え渡れ俺の剣技! いくぜぇ! ボーパル――」

「遅い」


 軽く飛び上がって渾身のスキルを放とうとするものの、いつの間にか戻っていた六路木が居合いを放ち、目の前の大剣使いが一刀両断される。最初に追っていった奴はどうなったのかと奥を見れば、同じように上下に分割された死体が横たわっているではないか。

 

 仕方なく背中を丸めて剣を(さや)に戻し、心の中の“ヤバい奴リスト”の最上位に六路木の名を書き込んでいると、気付けば笑顔の雛森さんが新たに取り出した綺麗なハンカチを俺の額に押し当ててねぎらってくれる。気持ちは嬉しいのだけど、向こうにいるくノ一レッドのお姉さん方が興味深そうな視線を送ってくるので縮こまるしかない。




「「「お疲れ様です! 六路木様!」」」

「ああ……それよりお前達、気付いているか?」


 圧倒的な戦果を残した六路木が刀を納めると、藤堂さんをはじめとするくノ一レッドが丁寧に頭を下げて出迎える。それだけの敬意を払う人物であることは間違いなく、俺も最後尾で頭を下げておく。

 

 一方、六路木はギロリと下の階層を見つめて警戒を緩めない。何があるのかと俺も感覚を研ぎ澄ませると……何かぞわぞわとした異質な魔力を感じるではないか。下の階からだろうか。目の前の戦闘に必死だったので気づかなかったが……華乃達が心配だ。


「急いでいきましょう、華乃とサツキ……楠先輩もそこにいるはずです」

「貴様に言われるまでもない。いくぞ」


 早く行こうと急かすと六路木は先陣を切って階段を疾風のように下りていき、新たなクナイを手にした藤堂さんとくノ一レッドも続いていく。こういうときは慎重なリーダーより即断即決タイプが助かる。俺も後方を警戒しながら雛森さんの後ろをついていき、目的地である44階へと下りていく。

 

 

 足を踏み入れて見渡してみれば、内装がガラリと変わっていることに気付く。この階は上流階級向けの宿泊場所となっているようで、オフィスみたいに無機質な内装ではなく、高級絨毯が敷かれ、観葉植物が間接照明に照らされたラグジュアリーな空間が作り出されていた。

 

 近くに白ローブがいる可能性は低くないものの、今なら六路木やくノ一レッドもいる。華乃達と最速で合流するためには多少のリスクに目を(つむ)るべきだ。

 

 その華乃達の居場所であるが、肌にビリビリと刺激してくるこの魔力の発生源、恐らくはその付近にいる可能性が高い。どこかは探さなくても分かる。一歩近づくたびに魔力の波動を強く感じる方角があるからだ。


 歩いて30秒もしないうちに掃除道具や棚が置かれている倉庫のような部屋の前にたどり着く。ドアは僅かに開いており、その隙間を覗いてみても黒いモヤ状の壁が見えるだけで奥がどうなっているかは見えない。


 あのモヤに頭を突っ込んでみれば分かるかもしれないが、さすがに何の魔法なのか分からないのに触れるのは躊躇(ちゅうちょ)せざるを得ないぞ。


「闇の魔力か。見たこともない魔法だが……」

「爆破魔法陣によるものかもしれません。成海くんは心当たりある?」

 

 六路木と藤堂さんがあれは何だと俺を見てきたため、くノ一レッドのお姉さん方に挟まれながらもう一度中を覗き込む。ここまで近づくと流れてくる魔力が闇属性であることくらいは分かるが、俺のダンエクの知識も完璧ではないので分からなくても怒らないでいただきたい。

 

「爆破魔法陣……ではないですね……結界か?」


 爆発するタイプの魔法陣でこのようなモヤ状の壁を作るものはないはずだ。大抵が発動と同時にドカンである。モヤの内部にだけ効果を及ぼす結界魔法の一種に見えるが、上級ジョブのスキルでは思い当たるものがない。消去法で()上級ジョブの結界スキルを次々に思い浮かべてみるものの、それを扱える者となればごく一部に限られる。プレイヤーもしくは【聖女】である。

 

 真っ先に思い浮かんだのは闇属性の使い手であるリサが来て暴れている可能性だ。しかしこのような強力な魔力を持続的に放出する結界スキルなんて持っていただろうか。必死に脳内のダンエク知識を紐解いていると突然、最悪の可能性が脳裏をよぎった。

 

「あっ――まさか!?」

「え、どうしたの。お姉さんに教えて?」

 

 思わず声が漏れると藤堂さんが即座に寄ってくる。ダンエクではほぼ使わない魔法だったのでエフェクトをすっかり忘れていたが、あのモヤは俺が恐れていた魔法の1つに似ているということを、ようやく思い出す。

 

 この世界においては避けることは難しく、抵抗できなければ問答無用で勝負が決まってしまう、一撃必殺の魔法が3種ある。

 

 1つは即死魔法。決まればその名の通り問答無用で即死だ。もう1つは精神操作。意のままに感情や思考を操られ、相手に自分の全てを奪われることとなる。そして最後の1つは――

 

「黒いモヤ状の壁……この闇の波動。あの中は――時間(・・)が止まっています」

「時……間だと? 時間停止魔法なのか!?」


 すぐ隣で雛森さんやくノ一レッドのお姉さん方が次々に短い驚きの声を上げる。だが彼女達だけでなく、さすがの六路木も顔色を悪くして一歩後ずさるしかない。

 

 今ドアの向こうで発動しているのは一定エリア内の時間を完全停止させる最上級魔法、《無限の牢獄(エンドレス・プリズン)》に間違いない。あの中に入れば訳も分からず結果だけを突きつけられてしまう凶悪な魔法だ。

 

 高レベルプレイヤーばかりだったダンエクでは、時間停止魔法を使われても容易に対応できたため完全に死にスキルと化していた。しかしこの世界では猛威を振るうだろう。対状態異常魔法を持つ【クレリック】のサツキなら一時的に抵抗できるかもしれないが、これほどの結界を作れる相手には焼け石に水。

 

 外側から入るには結界を物理的に破壊せねばならず、そのような大きな衝撃を加えると中にいる華乃達にも危険が及ぶかもしれない。

 

(華乃は、サツキは無事なのか……)

 

 すぐ目の前に大事な人達がいるというのに、何もできず焦燥感で頭を埋め尽くされてしまいそうになる。滲む汗を気にする余裕もなく、ただ黒い壁を見つめるしかできなかった。

 

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