159 闇の狭間で
―― 大宮皐視点 ――
「――この中に“プレイヤー”はいますか?」
抑揚のある聞き取りやすい声で問いかける真田様。プレイヤーとはなんだろうか。そのままの意味ではないだろう……隠語かもしれない。この言葉が何を指し示すのか、誰か知っている人がいないかと見渡してみると、霧ケ谷さんがうんざりした様子で問い返す。
「屋上でも同じ質問をしつこく聞いてきやがったな。プレイヤーとはどういう意味だ」
「元々、あなたではないかと疑っていたのですが……“プレイヤー”のまたの名は、こう呼ばれています――“神格者”と」
神格者。そう聞いて真っ先に思い浮かんだのは、世界の頂点に鎮座する四人の【聖女】様だ。その名の通り、人知を超える知識と神のごとき強大なスキルを振るってダンジョン深層を次々に踏破。今もなお、そのお力で世界秩序を担っている歴史上の偉人だ。
そんな【聖女】様に比類する人物が私達の中にいるとでも言いたいのだろうか。確かに霧ケ谷さんも楠様も、そして真宮兄妹も凄い人に違いないけど……斜め上すぎる問いかけに首を傾げざるを得ない。神格者という言葉の裏に何か別の意味があるのかもしれないと思考を深く巡らせていると、再び楠様が前に出て交渉役を買って出る。
「【聖女】様以外の神格者がいるなど世迷言ですわ。それより、神聖帝国が欲していた転移装置の権益と【侍】の情報。それらが手に入った今、これ以上の暴挙を続ける意味はどこにございますの?」
「転移装置と【侍】……ですか。そんなもの、神格者の知識に比べればゴミに等しい。まぁ、あなたに言っても分からないかもしれませんが」
真田様の狙いは、あくまで神格者の持つ知識。ゲートによる権益と【侍】のジョブチェンジ方法は確かに世界のパワーバランスを揺るがすほどの強力な情報ではあるものの、神格者が持つ知識の価値は桁が違う。世界を幾度も支配し、根底から作り変えることすら十分に可能だという。
そんな知識や力のある人物が私達の中にいるのなら、どうしてこれほどの苦境に立たされているのか。そう思ってしまうのだけど……神格者はともかく、“プレイヤー”という言葉には、実は心当たりがある。ソウタやリサが自分のことをそう呼んでいたからだ。じゃあつまり――
(ソウタ達は神格者だというの?)
確かに底知れない知識を持っているし戦闘センスだって驚くべきものがある。でも世に名高い【聖女】様と同じかと言われれば……何か違う気がする。
大きな勘違いをしているのではないかと疑いの眼差しで見ていると、クナイを構えたままの楠様が首を振って言葉を返す。
「少なくともわたくしは存じ上げません。しかし何故この中にいるとお思いになったのか、お聞きしてもよろしくて?」
「簡単ですよ。転移装置に加え、新エリア開拓などという立て続けの大発見は、神格者が絡まねば起こりえないからです」
ダンジョンの既知エリアにおける新発見は黎明期を除き、十年に一度くらいでしか起きない非常に珍しい事象である。世界中で毎日、何百万人もダンジョンに潜っているというのに今更、新発見など起きようがないからだ。
仮に新発見があったとしてもそれらを紐解けば、ほとんどのケースで【聖女】様かその関係者が絡んでいることが分かっている。そのことから既知エリアの新発見というものは、神格者でなければ気づくことができない何らかの力が働いている、というのが定説となっている。
にもかかわらず今回の2つの大発見は、背後をどれだけ探っても【聖女】様が絡んでいる様子はなかった。新たな神格者が誕生したかもしれない、そう考えた真田様は以前よりパイプのあった神聖帝国を引き込んで調査協力を依頼。神聖帝国も【聖女】アウロラの右腕とも称されるミハイロ・マキシムを日本に送り込んで本格的に神格者探しに動いた。
最初に候補として浮上したのは、立て続けの大発見により金蘭会ナンバー2まで上り詰めた霧ケ谷宗介。しかし数ヶ月に上る綿密な調査の結果、神格者である可能性は極めて低いと判断。次に調査範囲をカラーズ全体まで広げて候補者を探ってみるものの、結局尻尾すら掴めず失敗に終わった。
だからといって近くに神格者が紛れている可能性は依然として高く、世界を牛耳ることすら可能な力を目の前にしてそう易々と諦められるわけがない。
帝国は前線に送っていた一部の部隊を引き戻し、神格者をあぶり出すための決定的かつ大胆な作戦を計画する。転移装置と新エリアの発表という餌を使って金蘭会とその関係者全てを一堂に集め、ミハイロ率いる大戦力で追い込むという作戦だ。
「――そうしたらいろいろと出てくるではありませんか。パーティー会場に現れた謎の巨兵に、今この時もミハイロ様と戦っている蜘蛛のようなモンスター……あぁ……素晴らしい」
未知のスキル1つでも国家が戦争を起こす理由になりえるというのに、それがいくつも確認できた。さらに私達が高度な魔法陣の存在を想定して動くあたり、これはもう神格者、もしくはそれに近しい者がいるのは確実だと真田様は目を細め、恍惚の表情を見せる。
「ご理解いただけましたか? ですがもう時間がありません。あなた方に転移装置を教え、あるいはスキルを授けたのはどなたですか? 私だけは友好的に迎え入れたいと考えているのですが……」
神聖帝国の力があれば、死体からでも記憶を引きずり出すことは可能。元々この高層ビル内にいる者を一人残らず殺害し、その頭部から記憶の欠片を取り出して紡ぐという計画であった。だから私達が口を割らないのなら全員殺すしかないと胸に手を当て、悲痛の表情を浮かべる。
神聖帝国には死者を操る恐ろしいスキルがあるのは確認済みだし、東欧の【聖女】様は日本と違って活発に動き、国家運営にも積極的に協力しているとも聞く。死体から情報を取り出せたとしてもおかしな話ではない。だけど、友好的に迎え入れたいと言う割には目の奥に宿る殺意を隠そうともしていない。まるで答えなければ殺すと言わんばかりの目だ。
その殺意に呼応して楠様と霧ケ谷さんも武器を構えたため、一触即発の空気となってしまう。しかし真田様は後衛サポーターとはいえ日本最高峰の冒険者の一人。数多の死闘を潜り抜けてきた実力と経験は計り知れないものがあり、できることなら戦いは回避したい。
じりじりと焼け付くような膠着が続くと思われたけど、大きなツボを背負った袴姿の青年が鼻歌交じりで歩み出てきた。まるでここが戦場だと理解できていないような、場違いな笑みを浮かべて「質問よろしいでしょうか」と口を開く。
「何ですか? 命乞いなら先に神格者の名を――」
「もしかして真田様は、時間稼ぎをしたいのですか?」
「……何を言うかと思えば」
これまでの問答は全て無駄なもの。時間稼ぎにすぎないという主張に、神格者の名を期待していた真田様の表情が失望へと変わる。すぐに話にならないと鼻で笑うものの、もっともな理由が他にもあると真宮様が畳みかける。
まず最初に、これまで非道な行いをしてきた者が「助けてあげるから名乗り出ろ」と言ったところで微塵も説得力はなく、時間の無駄に過ぎないこと。それは私も、そして華乃ちゃんも全くその通りだと大きく頷くしかない。
次に、死体から記憶や情報を取り出せる術があるなら、名乗り出るのを悠長に待つより問答無用に殺して奪い取ってしまえばいい。なのにどうして今すぐに殺そうとしないのかと不敵に笑って追及する真宮様だけど、確かにそれもその通りだ。
何か私達を殺せない理由があるのだろうか。例えば記憶を取り出せる数には上限がある、もしくは術を扱える人物が限定されているなどだ。しかしどんな理由があれ、真田様が時間稼ぎを狙っているとしたら危険なことに変わりがない。
すぐにこの場を離れるべきだと発言しようとすると、横から着物姿の少女が近寄って耳打ちするように囁いてくる。
「(……大丈夫です。お兄様は此度の事も、あの男の考えている事も、全て計算尽くで行動されています。万事が上手くいくことでしょう)」
「(え、そうなの? でもあのノリノリなポーズは何?)」
「(もちろん全て……計算尽くです)」
誇らしく胸を張って「全てをお兄様に任せよ」と言う千鶴さん。本当にそうなのかと真宮様に視線を戻すと……こめかみを人差し指でコンコンと叩きながら歩き、かと思えば劇団員のように仰々しく考えるポーズをしていた。あれは今テレビで大人気の名探偵キャラのポーズではないかとツッコミを入れる華乃ちゃんだけど、あれすらも計算尽くだと千鶴さんは言い張る。
その強引すぎる解釈に「(あのポーズがしたいだけでしょ)」「(あなたの目は節穴です)」「(ブラコンが過ぎる!)」「(あなたほどではありません!)」と華乃ちゃんと千鶴さんが小声で言い争っている。そんな二人をどこ吹く風に、得意げになった真宮様は止まらない。
「何故、真田様は時間稼ぎをしているのか……いえ、その前に。【聖女】様以外の神格者など本当にいるのでしょうか。にわかには信じがたいことですが……僕は“いる”と考えます」
ダンジョンにおける立て続けの大発見に始まり、神聖帝国がこれほどの戦力を投下し、なりふり構わない作戦を行った理由。それらを繋ぎ合わせて鑑みれば、神格者が狙いだったというのは十分に説得力がある話である。
「しかも、その神格者はここにいると言うではないですか。殺して情報を抜き取れば世界を支配できるというのに、真田様は無駄な説得を試みて時間稼ぎばかりしています。それは何故かと言えば――僕(たち)を恐れているからですねっ!」
体を180度捻り、ビシッと指差して名推理を決めるがごとく声高らかに結論付ける真宮様。あれもテレビドラマで見たまんまのポーズだと冷めた目で見る華乃ちゃん……とは対照的に、千鶴さんは胸元で小さく拍手し「さすがはお兄様です」と熱い視線を送っている。見ていて心配になるほどのブラコンである。
でもさすがに日本最高位の冒険者が私達を恐れて時間稼ぎをしているなど、こじつけが過ぎる気がするけど。一方の真田様は侮辱されて怒るかと思えば苦笑するばかりだ。
「私が恐れるですか? ふふっ……それであなた方は何をしようというのです?」
「もちろん、懲らしめて差し上げますっ!」
「“ダンジョン嫌いの劣等貴族”が、私を……ですか?」
ダンジョン嫌いの劣等貴族……噂には聞いたことがある。冒険者学校在学中に一度もダンジョンダイブをしなかったため退学となった、とある不名誉な貴族様の話だ。
貴族様はたとえ戦う才能がなくとも士族を連れて戦わせることでレベルを上げることができる。しかし退学となった貴族様は「人混みが大嫌いだ」と我がままばかり言ってダンジョンに一度も入ることがなかったため、冒険者学校は異例の退学を勧告。この出来事は貴族界、冒険者界隈を巻き込む大きな話題となっていたので私の記憶にも新しい。
その貴族様がこともあろうに変なポーズをして、日本最強クラン“カラーズ”幹部を「懲らしめてやる」と煽っている。これにはたまらず霧ケ谷様が楠様に詰問する。
「(あの野郎、ダンジョンに一度も入ったことがないのに何であんなに強がれるんだ?)」
「(昔からの性格でございます)」
幼馴染である楠様は、ダンジョン嫌いの貴族様が真宮様であることを素直に認め、あの異常なまでの自信家な性格を直すよう何度も注意してきたものの、ちっとも矯正できなかったとため息交じりに言う。
けれど、その話はおかしい。
真田様は先ほどから恐ろしく強大な魔力を滲み出しているというのに、真宮様に怯える様子は全く見られない。本当にダンジョンに入ったことのないレベル1というなら、いくら精神力が高くともあまりの魔力差に体が拒絶反応を示し、恐慌状態になるか卒倒するしかない。ここに来るまでだって超一流冒険者同士の戦闘に影響を受けている様子は見られなかったし、何か秘密があるはずだ。
時刻はまもなく爆破時間である“20時”になろうとしている。時折床が大きく揺れて細かい砂塵が天井から落ちてくる。ビル内外で死闘が繰り広げられ、ますます激化しているのだ。
爆発魔法陣がないなら、後はアーサー君とソウタさえ合流してくれれば何とかなりそうなんだけど……このまま真宮兄妹を信じてこの部屋にいていいものか不安が募るばかりだ。
意気揚々と妙なポーズを続ける真宮様に対し、頭を若干落として腕時計を見ていた真田様。顔を上げると、その表情は一層と殺意に濡れていた。
「では、心苦しいですが正直に伝えるとしましょう……時間稼ぎしていたのは事実です」
その答えに皆が警戒レベルを一気に引き上げる。私も千鶴さんと華乃ちゃんを守るために前に出て杖を構えようとするのだけど、なんと再びゲートが紫色に輝きだしたではないか。
また何者かがこちらへ転移してこようとしている。しかも現れた光の数はざっと20、いや30以上。つまり、30人以上がこちらにやってきていることを意味する。
まさか神聖帝国ではないはず。そう祈りにも似た根拠のない予測をしながら息を吞んで見ていると、楕円形だった紫色の光は人型に変容し、神聖帝国の証である“聖白銀の衣”が次々に姿を現す。
それぞれが精悍な顔つきをしており、一流戦士として強者の雰囲気を全員が醸し出している。加えてこれまでの白ローブと違って立ち振る舞いが統一されていて、一層と凄みがあるように感じられる。
「クソがっ、これを待っていやがったのか!」
「神格者は存在そのものが規格外。そんなのを相手に私一人で挑むわけがないでしょう。リスクでしかない。だから圧倒的戦力で――叩き潰します」
未知のスキルを操り、高度な知識と戦術でどんな状況にも対応可能な神格者。たとえレベルが低かったとしてもそんな規格外と一人で戦うのは愚かでしかない。だからこそこうして合流するまで時間稼ぎをしていた、とのことだ。これには霧ケ谷さんも睨みつけて悪態をつくしかない。
「抵抗してくれても構いませんよ? 私の目に叶えばこのようにコレクションにして差し上げます《ライズ・デッド》」
怪しく目を光らせながら右手首を返すと赤黒い不吉な魔法陣が現れ、傷だらけの死体が這い出てくる。後ろの白ローブ達も私達を獲物と見定めると武器を抜き、この広大な部屋が歪むほど高密度の魔力と殺気を放ち始めた。その総戦力は下手をすればクランパーティー会場を襲ったときよりも多いかもしれない。
一人を相手するだけでも命懸けの死闘になるというのに、これだけの数がいては勝負うんぬん以前に、もはや逃げることすらままならない。かといって殺戮を強行するような相手に話し合いが通用するとは思えず、手詰まり感は拭えない。唯一の希望といえば――
この絶望的な状況であっても不敵な笑顔を崩さない兄妹くらいなものだ。
兄の方は背負っていたツボを静かに降ろすと、現れた白ローブ達を興味深そうに見渡し、妹の方も口角の上がった口元を手で隠すようにして杖を抱えながら静々と歩み出る。どちらもギラギラと目を輝かせているようだけど、この大戦力を前にしてどうしてそんな余裕ある顔をできるのかが分からない。
「いやはや壮観! これだけの大戦力を追加で寄越してくるとは、神聖帝国の本気度が分かるってものだね!」
「はい、お兄様。それに階級章がありますので正規軍でしょうか。期待が膨らむばかりです」
(……正規軍?)
確かに胸元には金色に輝く階級章が付けられており、ローブの内側に見える防具のデザインにも統一性があるように見える。
神聖帝国の正規軍は個としてみれば傭兵出身者より強いかどうかは不明だけど、集団としての戦闘力は世界最高レベルと評価されている。現にそれまで世界最強と言われていたヨーロッパ連合の主力部隊を打ち破った実績があるのだから、その評価は妥当なものだろう。
しかし神聖帝国は未だヨーロッパ各国と激しい戦争の真っ只中。それなのに前線から傭兵出身者の白ローブだけでなく主力の正規軍まで引き戻して投入してきたのは、それだけここで起きていることが重要な局面と見なしている証拠。つまり、神格者に関する話は真実である可能性が非常に高くなったわけだ。
死者を従えて黒く邪悪な《オーラ》を噴き上げた真田様は今にも襲い掛かろうとする気持ちを抑えるように、そして私達に言い聞かせるように今何が起こっているかを説明する。
「こちらの方々は紛れもなく神聖帝国の正規軍。神格者の当たりを付けられるこの時まで動いてもらうことは叶いませんでしたが……これにて本作戦は最終段階へと移行します……」
本来はミハイロ・マキシムを筆頭にクランパーティー会場を一気に制圧。最短で選別し神格者を確保する予定であったが、こうして無事に当たりを付けられたので何の問題もない。
続けてこのビルにいる者は皆殺し。神格者と思わしき私達も生死を問わず回収。全ての血肉、戦いの傷跡は、マジックフィールドによるダンジョン化の特性で1日もあれば跡形もなく修復される。その間は“人避け”の魔法陣のおかげで誰も入ることはできないため、全ての証拠は闇に葬られるとのことだ。
神格者の知識と力を得るため。それがここで行われた計画の核心。神聖帝国はなりふり構わず本気で奪いに来ているのだと思い知らされる。
「神格者の記憶を解析できさえすれば、後になって日本が反発しようと世界が相手になろうとも怖くありません。むしろ望むところですが……おやおや」
歓喜に震えつつ暴露する真田様が片腕を上げて白ローブに合図を送ると、正規軍は私達を取り囲むべく横に広く展開する。それらを前にしても最前に立つ真宮兄妹に動じている様子は見られない。
「千鶴。確かこのツボを叩き割ると、スキルの再使用時間がゼロになるんだっけ」
「はい、お兄様。鑑定ワンドを使って調べましたので間違いございません。効果時間は30秒ですのでお気を付けください」
「何を、する気ですの? まさかこの大戦力相手に戦う気では――」
胸元から小さな短刀を抜いて、刃こぼれしていないか調べ始める真宮様。それを見た楠様が「今は刺激せず援護を待つべき」と慌てて諌めに入る。しかし話し合いどころかもはや僅かな時間稼ぎすら難しいのではないか。このまま眺めているだけでは否応なしに戦闘に突入してしまうだろう。同じように考えた霧ケ谷さんも賭けに出る。
「真田! お前はオレらを追い詰めたつもりだろうが、逆だ。テメェらはここに誘い込まれたんだよ!」
「……正規軍の到着までも読んでいたと? 面白いハッタリですね。それでダンジョン嫌いの劣等貴族がその粗末なツボを使って何をしようと?」
無理やりすぎる霧ケ谷さんの脅しに真田様だけは多少の興味を示してくれたものの、白ローブ達には効果虚しく、一斉にバフ魔法を詠唱し始めた。それにより薄暗かった部屋は様々な色の光を帯び、魔力と殺意が一層と膨れ上がる。
もう戦いは避けられそうにない。そうなればたちまち勝負は決して殺される未来が確定する。であっても親友から託されたこの子の命だけは諦めるわけにはいかない。
この身を賭してでも脱出アイテムを使用する時間を作りだせないか必死に頭を巡らせていると、陶器がぶつかったような乾いた音が部屋に響き渡って思考が中断される。真宮様がツボの縁をコツンと叩いたようだ。
それだけでツボ全体に罅が広がり、裂け目から勢いよく光が噴射する。かと思えば今度は部屋全体を青白い幾何学模様が覆って視界を同色に染め始めた。魔導具としての効力が発動したのだ。
華乃ちゃんと一緒に初めて見る状況をあっけにとられて見渡していると、魔力と光が渦巻くその中を真宮兄妹が武器も構えずにゆっくりと前進していく。
「そこの金髪君が言ってた通り……僕が神聖帝国の増援を待ち望んでいたのは本当だけど、でもこんなにも多く集まってくれたなんて嬉しい誤算だよ!」
「神格者ばかりに気がいって世界最強であるお兄様を警戒しないとは、実に滑稽でした。今宵、あなた方は朧の海に消え果てることでしょう……《アストラル・ヴェール》」
両手を広げて歓喜する真宮様のすぐ後ろで千鶴さんが杖を高く掲げ、揺らめく布のような魔力に包まれる。あのエフェクトは……確か対デバフ魔法だったはず。何かをする気なのだ。
「防御魔法ですか。そんなもので正規軍の攻撃を防ぎきれると思ったら大間違いです」
さすがの真田様も真宮兄妹の異様な雰囲気に不穏な気配を感じて後ろに下がるものの、横に広がって隊列を完成させた白ローブ達はもう止まることはない。姿勢を低くして武器を構え、目の前のすべてを蹂躙すべく、大きく一歩を踏み込んだ。
たちまち床が砕け、魔力が荒れ狂い、雄叫びが轟き木霊する。死の波が大きく口を開けて今まさに押し寄せようとしている。それらを一身に受ける真宮様はただ笑みを深め、胸の前で何かを握りつぶすような仕草を見せた。
どす黒い魔力が立ち上り、一瞬で視界を覆い尽くす。その中心で恐るべき意味を込められたスキル名が紡がれる。
「さぁ! 我が糧となり、闇の狭間で朽ちるがいい! 《――――――》」
…………
耳をつんざいていた一切の物音が消え失せ、唐突な静寂が支配する。きつく瞑っていた目をこわごわ開けてみると――
――そこにある何もかもが、堕ちていた。