158 分厚い石板
―― 大宮皐視点 ――
ダークピクシーが指し示した部屋は薄暗いものの、足元が全く見えないほど視界が悪いわけではなかった。早速、数歩ほど中に入って見渡してみると……どうにも色々とおかしいことだらけである。
てっきりこの部屋は清掃用具などをしまっておく倉庫かと思っていたのだけど、そんなものはどこにもなく、それどころか棚や家具の1つすらない実に殺風景な部屋だった。
それ以上に不思議なことは――
「この部屋は、どうしてこんなに広いのでしょうか」
「わたくしも縦長の小さな倉庫部屋と予想しておりましたけど、その十倍は広うございますわね」
部屋に入ったところで立ち止まり、じーっと中を見渡していた千鶴さんが率直に「広すぎる」と疑問を呈すと、楠様も怪訝な表情で同意する。それもそのはず、この部屋と隣の部屋のドアの間隔は3m程度しかないのに、中はクランパーティー会場にも引けを取らない広さがあるからだ。どういう仕組みだろうか。
実は隣の部屋のドアはダミー、もしくはこの部屋には何らかの魔術的な仕掛けを施されているパターンも考えられる。それはこのビルの3D構造データを見れば分かることだと楠様が腕端末の画面を開いて調べ始めた。
一方で霧ケ谷さんが、だだっ広い部屋の片隅に直立する“構造物”を指差す。
「広さもおかしいが、あの石板は何なんだ。細かい紋様がびっしりと彫られているようだが……何かの魔法陣か?」
「市販の魔導具に描かれているような低位の魔法陣ではないね。相当高位の……もしやこれが爆破魔法陣かい?」
幅2m、高さは天井に届くほどある大きく分厚い石板。その壁面をよく見れば、幾何学的で複雑な紋様がところ狭しと彫られているのが分かる。真宮様がその溝を指でなぞりながらもしかしたら爆破魔法陣かもしれないと物知り顔で言うけれど……これが何なのか、私は知っている。
「サツキねぇ、これってやっぱりゲートだよね。何でこんなところに?」
「ゲート? 何だそれは……もしや!?」
先ほどから顔をくっつけるように近づけて調べていた華乃ちゃんも見覚えがあったようで、これは転移装置ではないかと神妙な顔で確認してきた。すると霧ケ谷さんもハッとした顔で慌てて石板に近づき調べ始める。
ダンジョンの5の倍数階ごとに設置されている転移装置、通称“ゲート”。ダンジョン内は1階層を移動するだけでも数時間、下手をすれば数日もかかるものだけど、私達はこれを使って瞬時に移動している。金蘭会クランパーティーではゲートの存在が世にバレてしまったわけだけど今考えるべきはそこではなく、どうしてこんな所にあるのかだ。
私が知る限り、ゲートというものは総じてダンジョン内に設置されているものだ。しかしたった1つ、例外として冒険者学校の地下1階にも存在している。私も華乃ちゃんも混雑するダンジョン入口は利用せず、地下1階のゲート部屋からダンジョンに入るようにしている。
何故ダンジョンの外にゲートがあるのか。私は地下1階のゲートだけはあくまで例外、そういうものなのだと特に疑問にも思っていなかった。しかし、こうして東京のど真ん中の超高層ビルに設置されているのを見ると、やはりおかしなことだと気付かされる。
少なくともこのビルができたときにはなかったはずだし、後からこの部屋にゲートが勝手に生えてきたというのも考えづらい。誰かがここに設置したというのが自然な答えだろう。
だとしたら冒険者学校にあるゲートも? それ以前にゲートというものは人為的に設置できるものなのか。では誰が。
だけどその思考はすぐに放棄する。ソウタやリサなら何か答えを導けるのかもしれないけど、私ではダンジョンに対する理解と情報が絶対的に不足しているので判断できないからだ。
「お兄様、これで別の場所に転移できるというなら……納得がいくことがあります」
「ん? あぁ、爆破魔法陣が起動したら白ローブ共はどこに逃げるのかと疑問だったけど、これが転移装置なら確かに納得がいくね」
このビル全てを破壊し尽くす威力があるという爆破魔法陣。その起動時間がもう迫っているというのに、白ローブは今もなお各階層で戦闘を継続している。彼らはどうやって逃げるつもりだったのか、その答えがゲートならば納得がいくと真宮兄妹が言う。
だとすればもうすぐこの部屋へ雪崩れ込んでくるのだろうか。ここにいては危険な気がするけど……脱出する前に気にかけるべきことはまだある。
「それで肝心の爆破魔法陣はどこにあるのかなっ、妖精さん分かる?」
魔力を辿ってこの部屋に来たのはいいけど、ゲート以外に魔法陣は見当たらない。爆破魔法陣はどこにあるのかという華乃ちゃんの要請によりダークピクシーが再び目を瞑って魔力を感じ取ろうとするのだけど……しばらくして肩をすくめる仕草する。どうやら44階、そしてこの付近の階に気になる魔力源は存在しないようだ。
(どういうこと? ここにないってことは……)
爆破魔法陣なんて元々無かった。あるいはこの付近の階層にはないだけで、別の離れた階層にあるかもしれない。神聖帝国が何を考えてこのようなことを引き起こしたのか、それが分かれば予測もしやすいのだけど……生憎とそんな情報はなく、振り出しに戻るしかないのだろうか。
爆破時間が刻一刻と迫る中、重い空気に包まれる。それでも諦めるという選択肢がない以上は気を振り絞ってでも顔を上げて前に進むしかない。
「こちらの部屋の構造、魔力はとても歪です。いったん、ここを出て再考したほうがよろしいかと」
「でも、あの転移装置って一体どこに繋がっているのか気になるんだけど――ってあれ、起動してる?」
ビルのデータを見て調べてみるとこの部屋の構造は明らかに歪で、腕端末の魔力計も異常な値を示している。爆破魔法陣がないなら一度出たほうがいいと楠様が急かすように言うものの、華乃ちゃんが言うように、このゲートはどこと繋がっているのかも気になる。
神聖帝国の人が作ったのなら東ヨーロッパとリンクされているのだろうか。もしくはダンジョン内かもしれない。入って何があるのか調べてみたいけど、敵の本拠地やダンジョン深層に繋がっている可能性もあり、危険度は高い。
しかしその判断を下す前に、モノリスに刻まれた魔法陣が光を放ち始める。これはゲートが起動したサイン、つまり向こうから誰かがやって来ることを意味する。
華乃ちゃんの手を引いて逃げ出そうとするより先に、紫色の光が出現。薄暗い部屋を同色に染め上げる。それは数秒も経たないうちに人の形となって収束し、代わりに現れたのは――
この惨事を企てた全ての元凶、真田幸景様だった。
「おや? おやおや。ここまで辿り着きましたか……」
「真田、テメェ!」
私達を見るや青いローブを翻し、サディスティックに口角を吊り上げて殺気を膨らませる。テレビや雑誌で登場する真田様は感情を表に出さないクールなイメージだったけど、今はそれとは真逆。挑発的で獰猛な顔付きは別人にしか見えない。こびりつくような殺気が充満し、驚いた妖精は千鶴さんの持っていた黒水晶にまっしぐらに飛んで入り込んでしまった。
怒号を発し、剣を抜く霧ケ谷さん。私も慌てて華乃ちゃんの前に出ながら杖を構えるのだけど、真田様はすぐに殺気を静めてしまう。
「ところで皆さん、こちらにはどういったご用件で?」
メディア受けするような作った笑みを浮かべつつも、ぞっとするほど冷たい無機質な目を向けて質問する。この部屋は外へ脱出する経路になく、魔術的に偽装されていたので偶然にたどり着くこともない。そんな場所に何の目的で来たのかと言うけれど、素直に「爆破魔法陣を壊しに来た」なんて言えるわけが――
「爆破魔法陣を探しに来たのっ、どこにあるのか教えて!」
「……爆破……魔法陣……? あぁそうでした」
手を握っていた華乃ちゃんが前に出て、臆しもせず直球で話してしまった。私達の目的を話せば妨害してくるかもしれず、また何を考えているか分からない凶悪人物の注目を浴びるのも良くない。そう諭そうとするものの、その目に覚悟が宿っていたため言葉を飲み込まざるを得ない。
一方で爆破魔法陣と聞いた真田様は指を上に向かってクルクルとさせ記憶の糸を手繰る様に考え込むと、思い当たるものがあったと笑顔で大きく頷く。設置した張本人が今まで忘れていたかのような態度をしたことに苛立ちを覚えてしまう。
ぐっと怒りを堪えつつも再び華乃ちゃんの手を引いて後ろへ下げさせていると、笑顔をやや濃くした真田様が抑揚のない声で質問を続ける。
「なるほど、皆さんはここへ爆破魔法陣を壊しにきたというわけですか。ところでビルの爆破方法が魔法陣と最初に言い出したのは、どなたですか?」
高層ビルを爆破すると言えば、一般的には構造的弱点に爆薬を設置したり、マジックフィールドであれば強力な魔法を打ち込むことを想定する。一方で魔法陣を使うと考える者はまずいない。
理由として、攻撃魔法陣は強力なものであるほど暴発の危険性が高まり、魔力の扱いは桁外れに難しくなる。そんな不安定かつ不確実な手法を用いると考えるのは不合理であるし、それ以前にこれほどの巨大ビルを破壊できる高位魔法陣など過去に実在した事例はない。
「なのに皆さんは真っ先に魔法陣の可能性を疑って動きました。単に無知だったという可能性ももちろんありますが……そうではないですよね。どなたが考えたのか教えていただけませんか?」
「教えてやってもいいが、爆破魔法陣の在り処が先だ。答えろ、裏切り者がっ!」
最初に魔法陣によるものと考えた者は、膨大な魔法陣の知識があるだけでなく、高位魔法にも精通している。是非名前を教えてほしいと言うものの、霧ケ谷さんは今にも襲い掛かりそうな剣幕で、先に魔法陣の場所を答えろと返す。
ビル爆破の方法が魔法陣によるものだと考えたのは、恐らくソウタだ。親友の名を勝手に取引材料にされそうになったので止めようとしたものの、華乃ちゃんが私の手を引っ張り小さく頷いたことで思いとどまる。
確かに爆破時間が迫っているというのに当てもなく魔法陣を探している場合でなく、解除できなければ私達もソウタも、このビルにいる人も皆死んでしまう。それに真田様が何事もなくこの場から見逃してくれるとも思えない。
ここは交渉カードをチラつかせて情報を引き出すことを優先にすべきか、そう思って出方を窺っていると、しばし考えるそぶりをしていた真田様の出した答えは、予想外なものだった。
「……いいでしょう、教えて差し上げます。このビルに爆破魔法陣なんてものはありませんし、最初から爆破する気などありません」
「お待ちになって。それが真実だという確証はありますの?」
爆破魔法陣どころかビルを爆破させる考えなど無かった。だとすれば何故そんな嘘を付く必要があったのかと楠様が厳しい顔で問い詰める。私達は決死の覚悟でここまで来たと言うのに嘘だったなんて……
「無いことの証明などできようにありませんが、そうですね。私も神聖帝国の同胞も爆破予告時間である20時を過ぎても立ち去ることはない、とだけ言っておきましょう。これでいいですか?」
「いえ、まだです。どうしてこのような暴挙をいたしましたの? あなた方の目的は?」
時間になっても立ち去ることはない。それが証明だと返す真田様に、楠様はさらなる質問で食い下がる。当然気になる疑問だし、目の前にいる人物はそれらの答えを全て知っているはずなので問わないわけにはいかない。
これまでに神聖帝国と真田様が起こした行動には、とにかく疑問点が多い。
真田様は【侍】の情報を流出させようと動いている――そう、リサは言っていた。でもそれなら【侍】の情報だけを秘密裏に渡してひっそりと日本から去ればいい。何故、ビルを爆破すると言って恐怖を煽り立てたり、逃げる者を追い込むように殺戮を繰り広げたりするのだろうか。これだけの暴挙を行う理由が別にあるはずだ。
数十兆円にも上るゲートの利権を独占するため? それも違うと思う。たとえゲートの権利を持つ金蘭会とその関係者を全て抹殺したところで、神聖帝国に全部の権益が渡るわけではない。日本政府はすでにゲートの存在を把握しているはずだし、神聖帝国にゲートを独占させるくらいなら全世界に全ての情報を無償公開してしまうだろう。加えて日本は明確な敵対国となるわけで、神聖帝国に得られるものがあるのか疑わしい。
もちろん真田様だってただではすまない。大貴族様にも匹敵するカラーズ大幹部という立場を剝奪されるのは当然として、日本政府や冒険者ギルドからも大罪人として世界のどこに逃げても追われることは確実。そんなことになるくらいなら、最初から金蘭会と仲良くやって折半していたほうが安全に稼げたのではないか。
ゲートの権益を吹き飛ばし、自身の築いてきた立場を捨て去ってでもこれだけの事件を引き起こした理由。そんなものがあるとは想像もつかないけれど……
楠様による立て続けの追及に真田様はうんざりとしたのか、わずかに殺気のこもった目を向けるものの、ゆっくりと息を吐いて怒りを静める。そして再び人の好さそうな顔に作りなおしてから話を続ける。
「そうですね……時間にまだ余裕がありますので、少しだけ……お話をいたしましょうか」
持っていた短杖を腰にしまい、手ぶらの両手を見せて「戦う気はない」とアピールしてくる。しかしこの騒動を引き起こした凶悪犯の言葉を素直に信じられるわけがない。
窓の外は何度も明滅して、ビル自体も時折大きく揺れ動いている。アーサー君とミハイロ・マキシムとの激闘が続いている証拠だ。また各階で今もソウタや金蘭会が白ローブ達と死闘を繰り広げて戦っている。そんな非常事態だというのに時間をかけてまで話を続ける意図とは何か。
(……もしかしたら増援を待っているのかも)
定時になればゲートから白ローブが出てくる、もしくは集まってくる可能性も否定できない。ここは危険なので話になど付き合わず、一刻も早く離脱すべきと提言しようとするものの、今まで黙っていた真宮様が「僕に考えがある」と言って私の肩をポンと叩き、制止してきた。
「せっかくだし、このような蛮行を行った理由を聞いていこうじゃないか。ただし手短にお願いしますよ、真田様」
「ふふ……分かりました。では単刀直入に聞きましょう」
楠様と霧ケ谷さんも眉を潜めていたけれど、あちらは千鶴さんが声をかけて止めていた。真宮兄妹にどのような考えがあってのことなのか見当もつかないけれど、口元に若干の笑みが垣間見える。
しかし本当に爆破する気がないのなら、こちらとしても時間稼ぎをする意味はある。ソウタとアーサー君の到着を待ちたいし、外からの応援だって時間が経つほどに期待できるようになる。加えて、事件の首謀者である真田様に何もさせずこの場に繋ぎ止めておくことはメリットとして大きいのではないだろうか。
覚悟を決めて、いつ戦闘が始まってもいいように杖を構えたままでいると、真田様は私達一人ひとりの顔を見渡すようにしてから抑揚のある声で問いかけてきた。
「――この中に“プレイヤー”はいますか?」