156 月明りの差し込む小窓
ゴーレムとナイフ使いが壁や天井などあらゆる場所を足場にして飛び回り、空中戦を繰り広げる。おかげでそこら中が砕けてコンクリート片が舞い散り、視界は悪化するばかりだ。
その戦いを後にして駆け抜けようとしたところ、ドレスを翻したキララちゃんがウェポンスキルを放って参戦した。
「今が仕留めるチャンスですわっ! 行きますわよ!」
見る限り白ローブはレベル10近く上の実力がある。そんな相手と戦うには10倍の戦力が必要というのがダンエクでの常識である。現在その条件は満たしているし、ここで倒すべきだという理由も納得するものはある。あのナイフ使いは速すぎるのだ。
ゴーレムはいつまで持つか分からず、追ってこられれば逃げ切ることはまず不可能。ならばキララちゃんの言う通り戦力が揃っていて、数種のバフが掛かっている今こそが好機といえる。それに――
(単騎でこんなところまで飛び込んできているしな)
味方の冒険者が集まっているど真ん中へ一人で飛び込むなんて、相当に舐めている証拠だ。その代償は高くつくと教えてやりたくもなるってもんだ。
軽く頷いてキララちゃんに同意すると、続いて霧ケ谷と金蘭会メンバーが隊列を組み、次々に剣を構える。一方で華乃とサツキには厳しい戦いとなるため、後方で守ってもらうよう頼んでおこう。
「真宮さん、華乃とサツキをお願いします!」
「うむ。千鶴、彼女達を守りなさい」
「……はい、お兄様。大いなる魔力の守りを《マナ・プロテクション》」
兄である真宮昴が要請すると、ダークピクシーを肩に乗せたチーちゃんが円を描くように杖を掲げて強力なバリアを発動。透明な膜が華乃とサツキを包み込む。これでウェポンスキルの直撃以外は何とかなるはずだ。
膨大なMPがあるからこそ無類の固さを誇る防御魔法。魔術士なのにタンクもサポートもできるという、とんでもヒロインが味方にいるのは心強い。
(さて。速攻で片を付けたいが――)
ナイフ使いと激しく空中戦を繰り広げている俺のゴーレムだが、レベル30以上の実力者を相手にミスリル合金の体がいつまでも持つわけがなく、すでに腕や脚に歪がでてきている。それでも戦えている理由はいくつかある。
空中戦で警戒すべきなのは最初の一撃だ。次の攻撃はどんなにSTRがあろうとも反作用で体が逆方向に回転してしまい、斬撃に力を乗せることができない。だからこそ初撃だけは受け流し、カウンターを積極的に取る作戦をゴーレムに指示している。
そこで重要となるのは初撃を見切る動体視力と、足場の確保。俺達だけでなくゴーレムもサツキの《アクセラ・ヴィジョン》のおかげで動体視力が大幅に上がっており、足場は《エアリアル》で必要な場所に作ることができる。ゆえに格上相手の空中戦でも粘っていられるわけだ。
ただしそれは相手が一人のときの場合である。複数相手の空中戦ではもろにレベル差が出てしまうため瞬時に破壊されてしまうだろう。奥にいる仲間の白ローブ共がこちらに来ないうちに倒してしまいたい。
そんな戦いにおける俺の役割はもちろん、空中戦である。ゴーレムだけでは長くもたないのでサポートに回るのが適切だ。
「上は俺とゴーレムに任せて、着地を狙ってください!」
「聞いたかお前ら、いくぞっ!」
掛け声と共に仲間と走っていく霧ケ谷を後目に、俺もよっこらせと壁を駆け上がって体を捻り、天井に着地する。ダンエクでもゴーレムと連携する空中戦は何度か試したことはあれど、実戦は初めてだ。
この後の手順と経路を考えながら顔を前に向けて状況を探れば、ナイフ使いが圧倒的な速さとパワーでコンクリート片を撒き散らし、縦横無尽に飛び回っているのが見える。あの中に飛び込んでいくのは非常に気が引けるが行くしかない。
壁を何度か跳躍して背後から近づこうとすると、早速ゴーレムが一撃を受け損ねて回転してしまう。すかさず足場を作って下げさせ、代わりに俺が前へ出る。一撃でカタを付けるつもりで背中目掛けて振りかぶるが、後ろに目があるかのように別方向を見たまま受け止め、さらにその反動を利用して旋回。予想しない方向からカウンターまで繰り出してきやがった。
(――こりゃ強い)
屋上で戦った白ローブと比べても遜色がない。俺はてっきりあれほどの強者は屋上だけに配置したと考えていたが、もしかしたら神聖帝国の戦闘員は全員がこのクラスの強者なのかもしれない。
想定以上の相手だと分かり戦慄しながら攻撃に備えていると、キララちゃんが鋭いジャンプ斬りを放って追撃してくれる。さらに何人もの金蘭会メンバーが重ねるようにウェポンスキルを放つが、ナイフ使いは無理な体勢から片腕のみで、全ての攻撃を受け止めきってしまう。
これこそがレベル差だ。動体視力、膂力、体力に俊敏性、魔力。あらゆるパラメータで大きく上回っていれば、こんな曲芸じみた防御も可能となる。しかしさすがに無理をしすぎたと思ったのだろう、顔を歪ませて距離を離そうとするが、当然それは許さない。
霧ケ谷の指示により金蘭会メンバーが隊列を形成して退路を塞ぎ、息つく間もなく次々に斬り込んでいく。細かい砂埃と大きめのコンクリート片が激しく舞う中、ナイフ使いは飛び上がって手薄なこちらへ突進してきた。強引に突破しようと考えているのだろう。ようやく俺の見せ場――
「いっけーおにぃ!」
「ソウタ、頑張ってー!」
――ではなく、ゴーレムに任せることにする。何故ならこれほどの格上を迎え撃つなんて普通に怖いからである。後ろで華乃とサツキが拳を突き出して応援してくれているが、俺のチキンハートを見くびらないでいただきたい。
左右の壁を蹴って弾丸のように迫りくるナイフ使いに対し、指示を受けたゴーレムはここは通さないと言わんばかりに空中で手足を広げ、大の字になる。一瞬で両者の距離が縮まって激突。火花を散らしながらミスリル合金でできたゴーレムの分厚い胸部は、あっさりとナイフで貫かれてしまった。
邪魔な障害物を投げ捨てようと頭部を掴むナイフ使いだが、ゴーレムは人間と違って胸を貫かれたくらいで行動不能とならない。そのまま抱き着いて一緒に落下していくと、キララちゃんや金蘭会が次々に落下地点へ殺到し、己の武器を突き刺していく。
遠くで戦っている神聖帝国の奴らがいつ助けに来るかと思って警戒していたが、こちらを指差し笑っているだけである。仲間意識が全くないようで助かった。
「急ぐぞっ!」
激しく損傷したゴーレムに感謝しつつ魔法陣へ戻していると、時間を確認していた霧ケ谷が声を上げる。戦闘には1分もかかっておらず比較的早く倒せたとはいえ、決して余裕があるわけではない。
奥にいる神聖帝国の戦闘員も、先ほど倒したナイフ使いと同等の強者である可能性が高い。その場合、放置して去ればこの場は相当まずいことになるだろうが、追ってこないなら無視させてもらう――なんて甘くはいかなかった。
俺達が駆け出したと見るや、恐ろしい速度でこっちに走ってきた。これまであいつらは、これだけの冒険者相手に手を抜いて遊んでいたのだ。本気を出せばいつでも全滅させられるという確固たる自信が、その走りから感じられる。
金蘭会メンバーが反転して果敢に立ち向かっていくが、援護する余裕はない。俺達の手にはこのビルにいる全ての人達の命が懸っている。悪いが先を行かせてもらおう。
「走れ! 曲がったすぐその先が昇降機だ!」
先頭を走る霧ケ谷の後を、真宮兄妹とキララちゃんが駆け抜けていく。後方でウェポンスキルによる爆発音が響き、こちらに飛んできた魔法弾を最後尾にいる俺が剣で叩き落とす。手に受けるあまりに強い衝撃に驚きながらも前へ前へと走っていくが……どうやら間に合いそうにない。
「華乃、先に行ってろ! 後で必ず合流する!」
「えっ、でもっ!」
「サツキ、頼んだぞっ!」
昇降機にたどり着いたはいいが、中に入って扉が閉まるまでに追いつかれてしまう。目の前を走る華乃の背中を押し込み、先に行けと言ってサツキに託す。この状況で必要なのは足止めし時間稼ぎをすることである。
「早く閉めろ! くぅっ!」
扉を閉めていいものか躊躇していた霧ケ谷に一喝しつつ、眩しい光の矢となって飛んできた魔法弾を再度叩き落とす。同時に杖を持った白ローブ――魔術士が床を滑り込んできたので、その軌道に斬撃を置くように放つものの、アクロバティックな動きで簡単に躱されてしまう。続けてその後ろにいた剣士にも斬撃を放つが、見てから防がれてカウンターまで合わせられる始末。
圧倒的レベル差に舌打ちしながらも剣先を逸らし、かろうじて回避。そこへ最後の白ローブが風を切り裂きながらやってきた。格闘使いか。
昇降機を丸ごと破壊しようと魔力を爆発させて拳を引くところが見えたため、息の上がる体に鞭打ち緊急旋回してスキルを放つ。
「絶対にっ! させねぇ! 《ポーパルスラスト》!!」
命より大切なものを狙われたことにより、焦りと怒りを綯い交ぜにしながらソードスキルを放つものの、これも曲芸のように体を捻って全ての斬撃を躱されてしまう。
お返しとばかりに格闘使いが鋭く踏み込み、俺の顔面に向かって正拳突きを繰り出してきた。轟音を立てて迫ってくる拳を《エアリアル》で作った足場を蹴り上げて間一髪で回避する。当たれば吹っ飛ぶどころか即死の可能性があったので肝が冷える。
「おにぃ!」
「大丈夫だよっ! ソウタ! 必ず戻って来てねっ!?」
「ああ、まかせろっ!」
華乃が飛び出てこようとしたので、サツキが慌てて抑え込む。続けて必ず戻って来いと見たこともない真剣な眼差しを向けてきたので、拳を突き上げ、できうる限りの笑顔で約束する。
そして扉は、俺だけを残して閉まった。
慌しさから一転し、薄暗い廊下は静かになる。代わりにすぐ近くで3つの猛烈な《オーラ》が殺意を乗せて吹き上がった。臓腑に響くビリビリとした感覚からして、戦えば敗北は逃れられないと悟ってしまう。
遅れて金蘭会のメンバーが息を荒げながら駆けつけてくれたが、数が若干少ない。向こうを見れば冒険者が幾人も転がって血だまりを作っているではないか。この僅かな時間でやられたのか。
味方はまだ十人以上いるものの、目の前にいるたった3人の白ローブに対抗することは、極めて難しいと判断せざるを得ない。
せめて奥の手である《オーバードライブ》が使えれば何とかなるかもしれないが、今は絶賛クールタイム中だ。再使用まで恐らく10分近くはかかるはず。そんな悠長に戦ってくれるかは甚だ疑問なので逃げたいところだが……それも叶いそうにない。
『te omor!!!』
怒気を放ち、掴みかかるように手を伸ばしてきた格闘使いの腕を上体逸らしで躱し、下から振り上げるようにカウンターの斬撃を狙う。しかし真横から魔法弾が放たれたところが見えたため全力で転がって回避する。
味方の冒険者も背後を取らせないよう隊列を組んで攻撃を繰り出すものの、その戦術は本気を出した格上魔術士には通用しない。煌めく光と共に爆炎魔法が放たれ、一瞬の内に数人が焼かれて絶命。何人かは炎に耐えながら斬りかかっていくが、そんなヌルい動きでは返り討ちだ。
圧倒的格上と戦うには何度も殺されながら、自分の何が通用するかを試行錯誤し把握することがわずかな勝利を手繰り寄せるカギとなる。しかし死者蘇生が可能なダンエクを経験でもしない限りそれを言ったところで無理な話か。
仕切り直すべく壁を蹴って空中に飛び上がると、俺だけは絶対に逃すまいと剣士と格闘使いも一緒に飛んできやがった。死角からきたパンチは避けることができたが、鋭い斬撃は躱しきれず横腹を深く斬られてしまう。血が飛び散るのを構わず足場や天井を蹴り上げて四方八方からくる連続攻撃を捌きつつ、カウンターの応酬となる。
そこへ背後から光が放たれたため即座に回避行動に出るが、間に合わず右膝から先を持っていかれてしまう。脳を焼き尽くすような痛みが襲い、視界が暗転。その場で気絶――だけはせずに歯を食いしばって残った左足で跳躍。気を抜いていた格闘使いの首を一閃する。せめて、一人だけでも道連れだ。
落下しながら最後に見た、最愛の妹と親友の顔を思い出す。
(――約束は、守れそうにないな)
唐突にやってきた、実にあっけない最期。世界一の冒険者になると息巻いてダンジョンに潜ったはいいものの、この世界はちっともゲーム通りにいかないし、上手くいかないことばかりであった。こうしておけば良かったという思いはいくつもあれど、それより何より、大切な人を最後まで守り切れなかったという後悔が、これから訪れる死よりも重くて痛い。
(どうか生きて――あぁ、そうだった)
元の世界ではずっと孤独だった。生きる意味も理由も持てなかった“俺”というつまらない人間が、この世界に来たことにより色づき、温度を得ることができた。
無条件にどこまでも深く愛してくれた成海家の面々。クラスで孤立していた俺に打算のない笑みを向けてくれた親友達。そして、恋するということが何たるかをブタオとカヲルに教えてもらった。そのどれもが初めて経験する、驚くほど温かく尊いものだった。
俺は救われたのだ。
ならばせめて、それに見合った恩返しをしろと。ここで命の全てを燃やし尽くせと、内なるもう一人の俺が叱咤してくる。そうだった。お前の言う通りだ。華乃達の助かる可能性が万に一つでも上がるのなら、この指一本でも動く限り、抗うとしよう。
一瞬でも気を抜けば倒れそうな痛みに耐えつつ着地し、残った足で再び跳躍する。味方冒険者の飛び交う血肉を煙幕にした、最後の特攻だ。
「――おぉおおおおっ!」
『Era încă în viață!?』
足場を一度蹴り上げただけで横腹と足から多量の血が噴き出す。血圧が低下し意識が遠のきそうになりながらも、吹き飛ぶ味方の陰から会心の斬撃を放つことができた。
しかし驚異的な肉体能力と反射神経によりわずかに軸をずらされ、致命傷には一歩届かず。追い打ちを考えるよりも先に、剣士が目で捉えられないほどの鋭い突きを放ってきた。
避ける間もなく腹を貫かれて何かの臓器が後ろに飛ばされる――が、まだ俺は動ける。ゴーレムと同じ“死なば諸共作戦”の決行である。
たとえ死んでもお前を離さない。ハンマーのような硬い拳で歯をいくつも折られるが、持てる力の全てを振り絞って俺を突き刺した剣とその腕を掴み続ける。空中から落下してほどなく、生き残っていた味方冒険者がトドメを刺しにきてくれたようだ。
(まだもう一人……残っているはずだが……さてさて)
口からは止めどなく血が溢れるし、視界も霞んでよく見えなくなってきた。さすがにもう、指一本すら動かすことが難しい。それにここは酷く……はぁ……寒いところだな……
呼吸を浅くし、月明かりの差し込む小窓を力なく見上げながらも願わずにはいられない。
どうか――