153 共同戦線
「知っていることを全て話す。お前ら協力してくれ!」
腰を直角に折り曲げて頭を下げる霧ケ谷宗介。純白のスーツは血と砂で汚れており、かっちりとオールバックにセットされていた髪は盛大に乱れて見る影もない。実際に話してみればそれなりに礼儀をわきまえ、常識も備わっている好青年だった――なんて思うわけがない。
こいつは成海家会議でもたびたび議題に上る要注意人物、攻略クラン“ソレル”の親玉だ。冒険者ギルドに勤めていたお袋が聞いた話では、揉め事や暴力沙汰を絶えず起こしており、非常に好戦的かつ野心的。見た目も雰囲気も明らかにカタギではなく、付けられた二つ名も“狂犬”ときたもんだ。そんな冒険者ギルド内で問題視されている人物を信用しろと言われても無理な話である。
とはいえコイツは金蘭会を動かす立場まで上り詰めており、真田や神聖帝国と直接交渉もしていたことから俺の知らない内部事情を色々と知っている可能性も高い。さらに、神聖帝国と明確に対立していることから「敵の敵は味方」という意味でも力になりえる。
ソレルと大きな禍根があったのは確かだが、神聖帝国というより大きな障害を乗り越えるために今だけは目を瞑って手を組むべきか。
そしてもう一人、超が付くほど怪しい人物。へらへらと軽い笑みを浮かべて横に立つ真宮昴だ。
俺がプレイヤースキルを全開にしなければ倒せなかった神聖帝国の戦闘員、その首をどこぞで買ってきた土産のように持ち帰ってきやがった。着ていた袴には乱れが全く無かったことから、死闘ではなく短時間で余裕ある勝利だったことが推測できる。これは明らかに異常なことだ。
神聖帝国の奴らと直接戦った感じでは、恐らくレベル33前後。戦争を経験しているせいか対人戦能力もやたら高かった。そんな実力者を無傷で倒すには日本トップクラスの実力がなければ難しいと思うのだが……もはやダンエクヒロインの中でも強キャラと言われた真宮妹が霞むレベルである。
仮にコイツが冒険者学校を中退せず在籍していたら、元生徒会長・相良を筆頭とする八龍を片手間に制圧できたのではなかろうか。有能という仮面を被ったどうしようもない無能……と思いきや、実は計り知れない実力者。俺を手玉に取ろうとする無邪気な笑みの奥で、一体何を考えている。
霧ケ谷と真宮。この二人に戦闘しているところを見られてしまったのは痛いといえば痛い。後々面倒なことにならなければいいが……
一方で、先ほどビルを貫いた強力な光線魔法も気になる。あの魔法自体は上級ジョブの魔法なので神聖帝国の誰かでも撃てる可能性はあるが、あれほどの高威力となればミハイロ・マキシムしかいない。となればパーティー会場は今頃どうなっているのか。
華乃はちゃんと逃げられたのか。キララちゃんや真宮妹は無事なのか。今すぐにでも戻って確認しに行きたいところだが、まずは向こうにある魔法陣を破壊せねばならない。あれがある限りこのビルにいる人達全員は、時限爆弾を背負っているに等しい状況なのだから。
「霧ケ谷さん。先に向こうにある魔法陣をどうにかしましょう。話はそちらで」
「賛成だね。僕も妹が心配だけどあれは見過ごせないよ」
この場所からちょうど対角に位置する大きめのヘリポート。その上に淡い光を放つ魔法陣が確認できる。まずは最大の懸念であるビル爆破の魔法陣があの中にあるかどうかを調べたい。そう提案すると真宮と霧ケ谷は頷いて肯定した。
(これでやっと当初の目的が果たせる……)
まったく、ここに辿り着くまでに問題が起こりすぎだろ。おかげで何回も死ぬ思いをして疲労困憊だぞ。だが爆破と通信妨害の魔法陣を壊しさえすれば、後は応援が来るまで金蘭会とくノ一レッドの陰に隠れて耐え忍ぶだけでいい。これが最後の任務と自身に言い聞かせ、ガタガタになった体に鞭を打ちつつ目的の場所へ向かうことにした。
いくつか配管と柵を跨いで進んでいけば、直径10mほどの円環魔法陣が3つ重なっているのが見えてくる。積層構造の魔法陣だ。早速近寄って調べていると、霧ケ谷が魔法陣と俺の顔を交互に見ながら声をかけてくる。
「ナルミ、この魔法陣が何なのか分かるのか?」
「……いいえ。でも大まかな区別はつきます。例えば攻撃魔法なら攻撃属性を示す記号があるはずなんですが、これらにはありません」
ダンエクの攻撃魔法は、火・氷・風・土・雷・水・光・闇などと属性で分けられており、それらの魔法陣を描く際には必ずどこかに属性記号を描かなくてはならない。一方で、ここにある魔法陣にはその記号が1つも見当たらない。ということは攻撃魔法ではないということになる。
バフや防御魔法でもない。付近にいる者を無差別に強化する魔法陣なんて設置しっぱなしにはしないからだ。また近寄っても嫌な感じはしないのでデバフ魔法でもない。残るは消去法で阻害魔法、ということになる。
そう説明すると、隣で魔法陣の写真を撮っていた真宮が頭を傾げる。
「でもこの3つの魔法陣全部が阻害魔法だというなら、爆破魔法陣は別の場所にあるということだよね。どこにあるか予想はつくかい?」
「巨大魔法陣を設置できる場所なんて、もう他にないと思いますが」
「うーん……ビルの外壁とかは?」
ビル爆破の魔法陣はここにないなら、どこにあるのか。
こんな大きなビルを爆破させるとなれば直径数十m規模の魔法陣を描く必要があるわけで、そんなものを設置できるのは1階のエントランス、55階のパーティー会場、そしてこの屋上の3ヶ所だけ。そのどれでもないというならビルの外壁ではないかと真宮が推測しているのだ。
確かにビルの外壁は平らな面積も十分にあるので描くことは可能だ。しかし魔法陣を描くにはマジックフィールド内でなければならず、それなりに時間と手間もかかるし、何より目立つ。もし東京中心街にある高層ビルの壁に巨大魔法陣なんてものを描いてたら、外を歩く人に一発でバレるだろう。
もしかしたらビル爆破というのはフェイク情報かもしれない。そう結論付けようとすると、霧ケ谷が首を振って否定する。
「いや、真田が『超高位魔法陣の威力を試す』と話しているのを確かに聞いたぞ。名前は……アポカリプス何とかという魔法だ。東欧の【聖女】が編み出した大魔法とも言っていたが」
「……もしかして《アポカリプス・ノヴァ》ですか?」
「ああ、それだ。間違いない」
それは――最上級魔法じゃないか。
上級魔法なら魔法陣を数十mまで巨大化させて威力を高める必要があるが、最上級魔法ならコンパクトな魔法陣でもこの高層ビルを粉々に破壊することは可能だ。現に、俺の《オーバードライブ》も直径1m未満の魔法陣ではあるが、非常に強力な効果を有している。
しかしそんな小さい魔法陣となるとどこにでも設置できてしまい、場所が全く絞れなくなる。というか――
(【聖女】って何者なんだ?)
魔法陣は、触媒を使って紋様を描くだけでは完成しない。何かしらの方法で必ず魔法を込める必要がある。そこで疑問となるのは、誰が最上級魔法《アポカリプス・ノヴァ》を魔法陣に込めたか、である。
最上級魔法を扱うには最上級ジョブに就く必要があり、最上級ジョブに就くためには“レベル50以上”という絶対条件がある。霧ケ谷の言うことが真実なら、東欧の【聖女】は少なくともレベル50以上が確定する。
別の方法として、魔法が記述されたスクロールでも代用可能だが、最上級魔法のスクロールを手に入れるにはダンジョン50階以降に潜ってひたすら宝箱を漁るしかない。いずれにしてもレベル50以上でなければ不可能な話だ。
(いや、もう一つだけ方法があったか)
最上級ジョブに就かずとも、スクロールを使わなくても、最上級魔法を扱える存在がいる。それはプレイヤーだ。むしろ可能性としてはそれが一番高いと思われるが――
衝撃的な推測に思わずのめり込みそうになったものの、今はそれどころではないので考えを戻すことにしよう。
「ビル爆破の魔法が本当に《アポカリプス・ノヴァ》なら、1m程度の魔法陣でもこのビルを十分に破壊できます。どこに設置したかも聞いていますか?」
「それは聞いていないが、奴らは44階フロアを何日も貸し切って宿泊していた。魔法陣の作成に時間がかかるとするなら、そこが一番怪しいんじゃねぇのか」
神聖帝国は44階を貸し切っていた……か。そこを探して本当にあればいいが、もし見つからなかった場合はこのビルにいる人達全員が残らず死ぬことになる。
現在時刻は19時40分に迫ろうとしている。20時に爆破すると言っていたので残り20分ほどしか残されておらず、探し回っている時間もない。まさに運任せだ。そこに賭けるしかないのか……
厳しい現実を突きつけられその場で膝を折りそうになったが、無理にでも自身を奮い立たせる。まずは目の前の魔法陣から処理しよう――とも思ったが、実はこれにも問題がある。
カフカとスヴェトラーナは“通信妨害”、“人避け”、“魔力障壁”、“幻影”、“隠ぺい”の5つの阻害魔法陣があると言っていたが、ここには3つの魔法陣しか見当たらない。つまり、別の場所に最低でも2つ以上の阻害魔法が設置されていることを意味する。それらも探して壊さないとまずそうだが……
一難去ってまた一難どころではない。頭を抱えて転げ回りたくなる苦しい状況ではあるがそれでも諦めるという選択肢がない以上、前に進むしかない。敵が用意周到に準備したエリアで戦うとは、こういうことなのだから。
「……では、44階に向かうとして、まずこれらを壊しましょうか」
目の前に設置されている魔法陣は攻撃魔法ではないので暴発の心配はない。3人で手分けし適当に魔力線を踏ん付けて消していると、魔法陣は低い音と共に光が消えて全てが停止した。これで何かが変わったはずだが……体感では何も感じないな。
周囲の様子を見ようと目を上げると早速、真宮が腕端末の画面を開いて電話をかけているではないか。
「あれ、電話ができるようになってるね。もしもし?」
『――もしもし。あ、お兄様ですか』
その画面をちらりと覗いてみると着物を着た大和撫子な女の子――チーちゃんが前のめりになって、どアップで映っていた。通信妨害が解除された……? ならば俺も華乃に電話をしてみよう。
逸る気持ちを抑えつつ腕端末の通話ソフトを起動する。もう脱出アイテムを使って向こうに渡っているだろうが念のための確認だ。
『おにぃ! あれっ、おにぃ? ずいぶん痩せて――』
『え、ソウタなのっ?』
画面にはドレス姿の華乃と、大きなリュックを背負った三つ編みの女の子――サツキがキョトンとした顔で映っていた。二人が一緒にいることはおかしなことではない。脱出アイテムを使えばサツキが控えている場所へ飛ぶことになっているからだ。
疑問なのは、華乃達の向こうで真宮兄と電話をしているチーちゃんの姿も映っていることだ。どうして一緒にいる。
「今どこにいる。もしかしてまだこのビルにいるのか?」
『うんっ、今ね、アーサー君が――あっ』
華乃が何かを言いかけたところで強めの振動が足元を襲う。地震ではなく、まるで何かが爆発したかのような衝撃だ。一瞬、爆破魔法陣が発動したかと思ってチビりかけたけど……何とかセーフな模様。で、アーサーがなんだって?
「その後ろの白い模様は何だ、そこで何が起こってる」
『これね、“防御結界”なんだって。あの白コートが私達を攻撃しないようにアーサー君が作ってくれたの、ほらっ』
腕端末のカメラを動かして後ろの映像を見せてくれる。すると青白く発光する糸が幾何学的紋様で編まれて周囲の人達を取り囲んでいた。あれはアラクネ種が得意とする防御結界だ。
そしてその結界の向こう。頭からつま先まで真っ白いアラクネが、黒い大鎌を持ってミハイロと向かい合っている姿が見える。まだ間合いを測りつつ小手調べをしているのか、ミハイロがちょいちょいと魔法弾を飛ばし、アラクネが細かく動きながら大鎌で切断することを繰り返している。
(あれは……アーサーなのか?)
アラクネ種は本来、張り巡らした糸を攻防に使う戦闘スタイルを取る。大鎌を使うアラクネなど聞いたことがない。ということはあのアラクネの中身は召喚獣ではなくアーサーの可能性が高い。
しかし前に見たときは肩に乗るくらいの大きさだったはずなのに、画面に映っている姿は子供の上半身まで生えていてずいぶんとアラクネらしく成長している。加えてあれがアーサーなら、ダンジョン外に出られないという“魔人の制約”はどこへいったのか……召喚獣の体に乗り移れば制約は回避できるものなのか?
いろいろと疑問は多いが、そんなもの吹き飛ぶくらいにアーサーが来てくれたのは大きい。最大の障害であったミハイロを抑えてくれるなら、魔法陣破壊ミッションの難度は大幅に下がるからだ。
今後の戦略を考えつつ腕端末の画面を覗き込んでいると、再び大きなリュックを背負っている女の子にカメラの方向が切り替わる。そういえば何故サツキまでこっちに来ている。脱出アイテムを使ってこちらに飛んできたのだろうか。
『ソウタ、使えそうなアイテムや魔導具をいっぱい持ってきたのっ。こっちに来れそう?』
『今から向かう、俺も相談したいことがあるしな。防御結界はまだ破られそうにはないのか?』
『大丈夫っぽい……? スキルを撃たれてもビクともしてないしっ』
アラクネの防御結界は一定ダメージ以下の攻撃をほぼ無効化するという強力な防御性能を誇るものの、ミハイロが本気を出せば一発で破壊されてしまう脆さもある。そんな魔法は撃たせないようにアーサーも立ち回っているはずだが、安心はできない。
華乃達がいるのは55階のクランパーティー会場。そこで合流しようと互いに頷いて電話を切る。時間は切迫しているのですぐにでも向かいたいところだが、電話が通じるならその前にやっておくことがある――と思って腕端末を操作しようとすると、霧ケ谷が俺を見ながら首を振る。
「駄目だ。ビルの外もフロントにも繋がらねぇ、近場だけだな」
「……そうでしたか。となると通信妨害の魔法陣はまだどこかに残っているようですね。応援を呼べると思ってたので残念です」
試しに俺も警察に電話を試みてみたものの、やはり通じない。この腕端末の通信は微弱な魔力を飛ばして行うものだが、この屋上から近くの階までしか届いていないようだ。応援さえ呼べれば選択肢が広がるというのに、そう上手くはいかないか。
だけどこの非常事態の裏で一緒に戦ってくれる仲間がいると分かり、折れかけていた心が一気に軽くなった。真っ暗な夜霧の中に光明が差し込んできた気分だ。これならば俺は十分に立ち上がれる。やはり持つべきものは仲間ということか。
それに……ここにも共同戦線を張る味方がいるしな。
「じゃあ用は済んだし戻ろうか。あぁそれと44階へ行くのなら、もちろん君も手伝ってくれるんだろう?」
「あったりめーだ。だいぶ仲間がやられちまったようだが、金蘭会の名に懸けてこの借りは100倍にして返してやる……真田だけは生きて返さねぇ」
地獄のような状況でも相変わらずの笑みを浮かべ続ける真宮と、殺意むき出しに拳を強く握り、復讐を誓う霧ケ谷。普段なら絶対に近寄りたくない要注意人物達だが、今だけは妙に頼もしいぜ。