150 蟹の脚
―― 成海華乃視点 ――
双剣使いの白コートが金蘭会メンバーの横腹を深く突き刺し、抉るように捻る。あのダメージの入り方は致命傷だ。ひと時も耐えることができずその場で崩れ落ち、傷口から多量の血があふれ出して床に広がる。
しかしながらこの場での敗北は死ぬだけでは許されない。別の白コートが近寄ってきて何かを唱えると、死んだはずの金蘭会メンバーが怨嗟の声と共に再び立ち上がり、味方に向かって刃を振るう。
傀儡を迎え撃つ方も精神力をとことん削られていく。後方で退避している人達もあまりの悲惨な戦場に戦慄し、何人かが非常階段から逃げ出しはじめた。
ここから逃げたとしても途中で“鬼”に捕まり殺されるだけだと思うけど、あの光景を目にすれば“脱出ゲーム”に縋ろうとするのも無理はない。
(さっきまで良い流れだったのに……)
九鬼様率いる金蘭会は一時押し返すほどの勢いがあったし、後方にいる私達だって鞭使いを倒して士気を大きく上げていた。なのに今では何人も討ち取られ、生き残っている人達も動きが鈍くなってしまっている。
その一方、白コート達の動きは目に見えて良くなっており、斬撃や魔法一つとっても力が漲っていることが見て取れる。真田様が個々に合わせて複数種のバフを使い支援しているからだ。集団戦において優秀なサポーターとはこれほどまでに影響を及ぼすのだと改めて思い知らされる。
(九鬼様と六路木様はまだ健在だけど、これはどう見ても負け戦だね……さてと)
戦場から目を離し、テーブルの裏に隠れてMPポーションを一気に飲み干す。次に胸の奥底にある魔力をゆらりゆらりと動かして魔力量が十分にあることを確認。最後に、おにぃからもらった平べったい石を手のひらに乗っけると――
「(その石が……この現状を覆す一手になりますの?)」
「(先ほどの巨兵の件もありますし、全く期待しないわけではありませんが……)」
手のひらの石を凝視していた雲母お姉さまと千鶴ちゃんが顔を近づけ、次は何をするつもりなのだと説明を求めてくる。なので「今から友達を呼ぶ」と正直に伝えるのだけど、二人は顔を見合わせて露骨に大きなため息をついたではないか。
でも私の友達は九鬼様や六路木様よりも……ひょっとしたら、おにぃよりも強い。このどうしようもない盤面をひっくり返すにはうってつけの助っ人だと思っている。
状況は非常に切迫している。両隣から訝しげに見守られながらも呼びかけるように腕を突き出して魔力を込める。
(ここだよっ、アーサー君! ここに来てっ!)
リサねぇから教わった通りに石を握って願いを込めると、目の前に青とも赤とも黄ともいえる奇怪な色の魔法陣が浮かび上がる。そこへ私の魔力を注ぐのだけど……あれ。底の抜けたバケツのように、魔力が溜まっていく気配がちっとも感じられない。
不具合、もしくは何かミスをしたのかと思ったけど、よく見ればほんの少しだけ溜まっている気も……しなくもない。もしかしてこの魔法陣を発動するには途方もない魔力が必要なのだろうか。
慌ててポケットからMPポーションを取り出すのだけど、残りはあと一本のみ。これを飲んだところで必要魔力量に届くとは到底思えない……どうしよう。
「(魔力が足りませんのね、わたくしのを使ってくださいまし)」
魔法陣に突き出した震える手の上に雲母お姉さまの手が重なり、ビリビリとした温かい電気のようなものが放出される。人の魔力は敵意がなければこんなにも心地よいものなのだと驚きつつも、どれくらい溜まったか期待の目で魔法陣を観察する。
魔力が満ちている気配は……ない。二人力だというのにまだ1割も溜まっていない。私が向こうへ行くだけならともかく、アーサー君ほどの存在を呼び寄せる魔法陣にはこんなにも魔力が必要となるのだ。
せっかく掴んだ一筋の希望に罅が入り、崩れ落ちていく感覚。不安と恐怖に襲われて思わず腕を下げてしまいそうになったところ、びっくりするほどの魔力が追加される。千鶴ちゃんだ。
「(あの魔法陣の奥に、とんでもない存在を感じます……それが何なのか見てみたいだけです)」
――などと言っているけど、きっと私が困っているのを見かねて手を貸してくれたのだ。とびっきりの笑顔で「ウェルカム」と言ってみると青筋を立て、顔を逸らしながらも魔力を注いでくれる。なかなかポイントの高いツンデレっ娘ではなかろうか。
これで三人力。それでも必要魔力量には程遠い……と思って魔法陣を見てみれば、光度が大きく増しており空気に溶け込めない魔力が周囲を取り囲むように駆け巡っていた。
この溜まり具合から察するに一気に3割くらいまで魔力が溜まったようだ。となれば千鶴ちゃんのMPは私の10倍近くあることになるけど、どういうことなのか。
たとえ魔術士系のジョブだとしてもこれほどのMP差は生まれないはず。レベルが私より10以上高い……というよりも、何かしらの固有スキルを持っていると考えるべきだろう。どちらにせよ嬉しい誤算だ。
それでも必要魔力量に全く届いていないことには変わりがない。雲母お姉さまの声によりスタッフが駆け寄って一斉に魔力を注いでくれるのだけど、じわりじわりとしか溜まっていかず、焦りも同様に募っていく。
会場の中央では六路木様が三対一の戦いを強いられおり、金属音と爆発音がさきほどからずっと響いてきている。六路木様の高火力スキルは二人がかりで止められ、もう一人の白コートが背後を取って斬りつける。これは金蘭会がやっていた対格上用の戦術だ。
九鬼様も苦しい状況に置かれている。コンクリートの壁に大穴をあけるほどの斬撃を何度も放っているのだけど、白コートもその斬撃を真正面から受けて盛大に打ち合っている。膂力で圧倒していたはずの九鬼様がこうも抑え込まれているのは、恐らく真田様のバフが関係しているものと思われる。
加賀さんもまだ生きてはいるものの仲間が傀儡にされてしまい防戦一方。金蘭会全体を見渡しても疲労の色が濃く、今や半数近くが討ち取られてしまっている。総崩れまではもう時間の問題だ。
だというのに魔法陣にはまだ半分も魔力が溜まっておらず、焦りで押しつぶされそうになってしまう。最後のMPポーションを飲み干して――もう4本目なのでお腹がたぷたぷだ――回復した魔力をすぐさま注いでいると、場違いに爽やかな声が届いてくる。
「おやおや、面白そうなことをやっていますね。その魔法陣で一体何をするつもりなのか私にも教えていただけませんか?」
声のする方を振り向くと、真田様がゆっくりとこちらに向かって歩いてきていた。黒い魔力を纏い、歪んだ笑みを携えてだ。
「まぁそう緊張ならさずに。肩の力を抜いてお話しましょう――《ライズ・デッド》」
黒い魔力が吹き上がると死者の顔となって地面に着弾し、魔法陣が現れる。あの紋様は召喚魔法の一種だろうか。不気味で恐ろしい何かが出てこようとしている。
最初に血だらけの手が伸びてきて、次に傷だらけの全身が這い出てくる。隣で雲母お姉さまの息を呑む音が聞こえた。それもそのはず、出てきたのはホテルスタッフ……しかも破れた服の下に“くノ一スーツ”が見えている傀儡だったからだ。
真っ青な顔で口や体から血を流しつつも、真田様の前に頭を垂れて跪く。これにはクランリーダーである御神様も怒り心頭のようで、ギョッとするような厳しい顔で出迎える。
「真田様。祖国を裏切り、あまつさえわたくしの部下を殺めるとは……お覚悟を」
「覚悟ですか? 御冗談を。まさか暗部ごときが私を倒せるとでも――」
まだ話している最中に問答無用とばかりにクナイを投げつける御神様。だけど真田様は避けずに笑って見ているだけで、代わりに隣にいた傀儡が割って入り叩き落とす。よく見れば傀儡の体内には過剰な魔力が巡っており、何かしらのスキルで強化していると思われる。
さらには白コート二人――双剣を手にした男と、朱色のガントレットを手に嵌めた女――も近寄ってきた。何人も味方を倒していた強敵だけど、退避組ではあのクラスの相手とまともに戦えるのは御神様のみ。だとしても一人で戦うのは明らかに無謀すぎる。
それでもドレスを翻して暗器を構え、不退転の決意で睨む御神様。雲母お姉さまも気が気でないだろうけど、達人同士の戦闘に入ったところで足手まといになるだけ。それが分かっているからこそ、歯を食いしばってこの魔法陣に魔力を注いでくれている。
戦いが始まり、砲弾のようなスキルが飛んできて近くに着弾する。巻き起こった爆風と砂埃が遅れてこちらまで届き、私の髪やドレスに砂が被るけど気になんてしていられない。一刻も早く魔力を満たすことこそが御神様を、ひいては私達の命を守ることにつながるのだから。
目を瞑って回復させた魔力を一心不乱に注いでいると、千鶴ちゃんが私の頬を突いてきた。
「あの……華乃さん。魔法陣から……蟹の脚のようなものが生えていますけど」
日焼けをしていない真っ白な手で魔法陣を指差す。その中央には白いふさふさした棒状の何かが1本、突き出していた。蟹の脚……違う。あれは蜘蛛の脚だ。アーサー君だろうか。
こちらには蜘蛛の体で来ると言っていたけど、前に見たときよりも脚が二回りくらい大きくなっている気がする……いや、それ以前に。まだ魔法陣には半分も魔力が満たされておらず不完全な状態だというのに、無理やり這い出てこようとしているのだろうか。
自分を召喚する魔法陣に脚を突っ込んで自ら発動させようだなんて。召喚魔法の存在意義についてしばし考えたくなったけど、白い脚から放たれる魔力が尋常ではなく、強制的に思考が戻される。
地響きのような音を響かせ、急速に満たされていく魔法陣。床や壁、天井が細かく振動し、この巨大なビル全体が揺れ動いているようだ。
「なん……なんという魔力でしょう、こんな存在が……」
千鶴ちゃんが大きな目をさらに開き、息を吞んで見つめている。御神様だけでなく、真田様や白コートですら戦闘を止めて見てしまうほどの馬鹿げた魔力なので無理もない。
そういえば以前に「カラーズ総出で倒した“冥王リッチ”を瞬殺できる」と豪語していたけれど、それが本当ならアーサー君の本気の魔力は日本では誰も体験したことのない領域なのかもしれない。
皆が足を止めて何が起きているのか把握しようと見つめる中でも、どんどんと魔法陣に魔力が満たされていく。脚一本分しかなかった小さな穴がほんの少し広がって濃密な魔素が流れ込んでくる。ダンジョンの深部と東京にあるこの会場が空間的に直接繋がったせいだ。
突き出された真っ白い脚は2本、4本と増えていき、そして残りの脚と共に“本体”が這い出てくる。
最後に放った魔力が紫電となって駆け巡り、数秒ほどで完全におさまると酷いほどの静寂がやってきた。出てきたのは予想していた真っ白い蜘蛛――ではなかった。
『ぬぉおおおおおぉおおぉ……やっと! これたぁぁあっ!』
蜘蛛本体の上に5歳児くらいの幼女の上半身が乗っている半人半獣だ。大きさも以前は私の肩に乗るくらい小さかったのに、体長が私と同じくらいにまで大きくなっている。あれはアーサー君なのだろうか、確信が持てない。
ガッツポーズしていた腕を下ろし、周囲をキョロキョロと見始めた半人半獣の幼女。テーブルの後ろで頭だけを出していた私を見つけると、8本の脚を滑らかに高速回転させて驚くほどの速さで近づいてきた。
『華乃ちゃーん、やっとこれたよぉ! 穴が小さすぎて出てくるの大変だったけど……おわっ、君達はっ!? キララちゃんとチーちゃんじゃないかっ! ボクの名前はね、アーサーと――』
「アーサー君っ、あのね、白いコートを着てる人達をみんなまとめてやっつけて欲しいのっ」
この鼻下を伸ばした幼女は間違いなくアーサー君だ。何だか珍妙で興味深いけれど、話が変な方向にいきそうだったので割り込んで軌道修正する。事態は限りなく深刻。急いで説明しなくてはならない。
「ビルが爆発しちゃうの! あの白コート達にたくさんの人が殺されちゃって……おにぃもまだ戻ってこなくてっ」
『うん、その石を通じてボクも見てたから状況は分かってるよ。でもこんな酷い有様なのに災悪はどこで何してんだか、まったく」
おにぃから渡された脱出アイテム。これは特定地点同士を繋げて行き来できるだけでなく、映像や音声も送信できる便利アイテムらしい。仮に通信妨害をされても空間を直接繋げているので情報送信や移動には支障がないそうだ。
本来の計画では、おにぃが単独でクランパーティーに潜入。リサねぇ達がいる拠点でこの石から送られた情報を分析し、今後の行動指針にするつもりだったようだ。そんなことを私に黙っていたとは……今度から私も絶対に交ぜてもらうよう言いつけておかなくてはならない。
とはいえ今回のクランパーティーでは戦闘を想定していなかったので、リサねぇとサツキねぇが慌てて戦闘準備をしているとのこと。崖っぷちまで追い詰められて苦しい状況だったけど、信頼している人達がすぐそばにいると知り、先ほどまでの心細さが嘘のように消えていく。
誰もがじっと動かずアーサー君の正体を見極めようとしている。その中で最初に動いたのはやはり真田様だった。
「“巨兵”の次は人語を介す“モンスター”ですか。日本にもこのような特異なスキルがあったのですね……是が非でも手に入れてみたくなりました」
『そりゃ無理だよ。だってお前らは、こ・こ・で潰しちゃうから』
検分するような視線を送って興味を示す真田様に、8本の脚を順番に動かして向き直る半人半獣の幼女。ぺろりと唇を舐めて、真田様に負けず劣らず悪い顔をしている。
「私を“潰す”ですか。やはりモンスターは身の程知らずといいますか、言葉を話せても頭が悪いようですね」
『真田。お前が【侍】の情報だけを流出させ大人しくこの国から去るなら見て見ぬフリをしてやったけど、こんなに暴れちゃって……もう許さないからな!』
「……どこで……その情報を?」
挑発されても余裕を崩さなかった真田様が、突然殺意ともいえる凄みを見せる。そして手でジェスチャーして動ける白コートを10人集め、何らかの指示を出す。【侍】の情報を流出って何のことだろうか。
アーサー君を半円状に取り囲むように白コートが布陣し、真田様のバフを受けながら武器を構える。さっきまでバラバラに戦っていたというのに初めて陣形のようなものを見せるのは、アーサー君を警戒している証拠だろう。
国内トップに位置する九鬼様や六路木様とも渡り合える使い手が10人。対して強者特有の魔力を全く発しない半人半獣の小柄な幼女。雲母お姉さまが不安げに私の顔を見るけど、ここは力強く頷いて応える。
これだけの大戦力に立ち向かえる冒険者なんて日本には一人もいないかもしれない。だけど私の知っているアーサー君なら――
最初に双剣使いが残像を置き去りにするかのような速度で斬り込み、次に一瞬置いて左右から格闘士と短剣使いが魔力を爆発させて襲い掛かる。三方向からの全開ウェポンスキルだ。
残りの白コートも一斉に動き出して、第二波の突撃を仕掛ける。風を切り裂きながらいくつもの刃が同時に迫りくる、というのにアーサー君は両手を掲げて天井を仰ぎ見るだけ。攻撃を1つも見てすらいない。
直後の惨劇を予想して思わず目をギュッと閉じるのだけど、ウェポンスキルによる衝撃音はいくら待てども聞こえてこない。ゆっくりと目を開けてみれば、白コート達は武器を振りかぶったままピタリと止まっていた。
『目だけで戦場を捉えているから引っ掛かるんだよ。戦闘の基本がなってないなぁ』
アーサー君が口を歪めながら魔力を放つと、種明かしとばかりに周囲に張り巡らされていた糸が一斉に姿を現す。白コートは自身に絡まった糸から逃れようと足掻くけれど、アーサー君が『魔力チューチュータイムッ!』と言って再び両腕を広げると、ぐったりとして動かなくなってしまった。絡まった糸から強制的に魔力を吸い出しているのだ。
あまりに細い糸なので見るには魔力探知を使うしかなく、それなのに白コートでも切断できないほどの強度を持つ。しかも触れたらMPを根こそぎ吸われてしまうオマケ付き。そんな糸があの一瞬に張り巡らされていたとは。
あまりのインチキっぷりに思わず引いてしまいそうになるけど、後ろで見ていた人達からは喜びの歓声が高らかに上がる。金蘭会や一流冒険者達でも為す術がなかった白コート達を、一瞬にして半壊させるだなんて……やっぱり凄い。もちろん私も、そして隣で一緒に見ていた千鶴ちゃんも元気よく拳を突き出して応援に加わる。
『このスキルってエコだよね、悪党どもの魔力でも有効活用できるしさ。でもボクの魔力を回復させるのにはちょいと物足りなかっ――』
突然眩い光が会場を照らし、アーサー君が上半身を軽く捻るような動きを見せる。どうやら今、攻撃魔法が放たれたようだ。
それはとんでもなくエネルギーが高かったのか、白コートですら切ることができなかった蜘蛛の糸はもちろん、背後のコンクリート壁を真っ赤に溶かして切断してしまう。遅れてビル全体を揺らすほどの振動がやってきた。
「下がっていろ。あれの相手はお前でも手に余る」
「分かりました……ですが我々の情報を色々と掴んでいるようです、お気を付けください」
深く礼をして後方に下がる真田様。代わりにゆっくりと歩み出てきたのは、先ほどの光線魔法を撃った銀のマスクだ。私では躱すどころか撃たれたことすら気づけない超高速かつ高火力魔法。実力が飛び抜けており、あの人が神聖帝国側のボスで間違いない。存在感も別格だ。
だけどアーサー君だって別格。普段ちゃらんぽらんに見えて、おにぃと遜色ないほどの深い見識を持っているし、糸のスキルだって実力のほんの一部に過ぎないことを私は知っている。それが証拠にアーサー君は先ほどの光線魔法を見ても怯むどころか悪そうな顔を崩していない。
『やぁやぁ、ミハイロ・マキシム。この世界では初めましてかな? ボクはそこの真田幸景に用があるんだけど』
「……私の名も知っているか。貴様には洗いざらい吐いてもらう」
銀の仮面とローブで素性を隠していたものの“ミハイロ・マキシム”と名前を言われてそれらを脱ぎ捨てる。その下には防具ではなく、スーツを着た西洋風の男だった。これから戦闘をするというのに几帳面にネクタイを整え、姿勢を正しているのが異質。
ミハイロはゆっくりとこちらに歩きながら左手を水平にスライドさせると周囲を守る様に障壁が現れ、右手を返すように上げると緑や赤、青色に体が光りだす。障壁魔法とバフ魔法の同時詠唱か。
対してアーサー君の頭上にはいつの間にか小さく黒い雲が現れており、そこに手を突っ込み――ギョッとしてしまう。途方もない魔力が空間を浸食し、悲鳴のような甲高い音を立てて巨大な鎌が引き抜かれたからだ。
マジックアイテムと呼ぶにはあまりに強烈。隣で千鶴ちゃんが涙目になっているではないか。何てものを取り出すんだと問い詰めてやりたい。
『そんじゃ行ってくるよ華乃ちゃん。あいつを倒すのはちょいと手間だから“災悪”が戻ってきたらすぐに参戦するよう言っといてね』
取り出した鎌をくるりと回し、ミハイロのほうへ鼻歌交じりに歩いて行くアーサー君。さっきまで一流冒険者同士の壮絶な戦いが行われていたわけだけど、これから起きようとしているのはそれに輪をかけた異次元の戦いだ。そんなものに参戦しろと言ったところで、おにぃが首を縦に振るわけがないと思うけど。
腕端末を見れば時刻は19時40分に迫ろうとしている。20時にビルを消滅させると言っていたから時間はあまり残されていない。今できることを考えつつも、これから起こる戦いに身構えるしかない私であった。