146 排気口の向こう側
(また血の臭いが濃くなってきたな……)
薄暗い廊下を進んでいると、鉄の錆びたような臭いが再び漂ってきた。魔力の動きを注視しながら部屋を覗いてみれば、酷く損傷した二人の死体が横たわっているのが見える。
どちらも重量のある斬撃武器で斬りつけられているのか、傷跡が大きくて深い。先ほどのくノ一レッドの死体は小さめの傷が無数にあったので、殺めた犯人は別なのだろう。しかしこの部屋には血は飛び散ってはいるものの戦闘を行った形跡がないので、奇襲または無抵抗のままやられたものと思われる。
他にも情報がないかと真宮が死体を仰向けにすると、胸元に見覚えのあるバッジを覗かせた。これは金蘭会のものだ。
「この辺りをガードしていた金蘭会の若手かな。全員殺されたようだけど金蘭会の主力は会場に残っているし反撃に……って、あれを見てよ。死体を運んだ跡かな」
真宮が指差す方向には、死体を引きずったような血の跡が続いていた。ここには死体が2つも放置されているので隠ぺい目的ではない。では何のために運んだのか。
血の跡を辿ろうと真宮が勝手に進もうとしたが、その先に複数の魔力を感知したため慌てて止めに入る。
「真宮さん。その先には階段がありますけど、神聖帝国の連中が守りを固めているようです」
「でも階段を使わないなら、どうやって屋上に行くつもりなんだい?」
「ダクトからいきましょう、あれです」
このビルには上下階を繋ぐ大きな空調設備がいくつもあり、ダクトは人が入れるほどの大きさとなっている。見た感じでは太っている俺でも入れそうではあるが……ハッチを開けて中の様子を見てみれば、大量の埃が舞って気が滅入ってしまう。まぁそれでも行くしかないのだけど。
ダクトは分岐が多く入り組んでおり屋上のどこに出られるのか分からないが、ところどころにある排気口から外の様子が見えるはず。その都度確認して出る場所を決めればいいだろう。
さて。ここを上がれば神聖帝国の奴らがいるであろう屋上だ。偵察するためにはやっておかねばならないことがある。
「真宮さん、帝国人の言葉は分かりますか」
「ん~簡単な定型文くらいなら……何だいそれは。魔導具かい?」
「そのようなものですね、これを使えば言葉が分かるようになるんですよ」
マジッグバックから緑色の宝石を取り出して見せると興味深そうにまじまじと見つめる真宮。神聖帝国人と言葉を交わす可能性を考え、前もって準備してきたものだ。腕端末のソフトウェアでも即時翻訳は可能だが、それ以上にこの魔導具は使い勝手が良い。
取り出した宝石の周囲にはシュンシュンと小さな音を立てて風が舞っており、軽く魔力を込めると緑色の風が飛び出して俺達を包み込む。するとどこからかクスクスと小さな笑い声が聞こえ、風が霧散した。
「これで聞こえてくる言語は全て翻訳されるはずです、たぶん」
「便利な魔導具だね。学校のテストで使えば大活躍じゃないか」
この石は魔法陣が刻まれた魔導具ではなく、噂好きの妖精が宿ったレアアイテムである。どんな言語でも耳元で翻訳して教えてくれるので便利そうに思えるが、マジックフィールドでしか精霊の能力を発揮できないので海外旅行には使えない。一応、冒険者学校はマジックフィールド内なので使用は可能だが、翻訳されるのはあくまで音声のみ。文章問題が中心のテストではやはり使えないのだ。
ということで魔導具をしまって大きく呼吸をしながら精神を整え、覚悟を決める。
「では俺から入ります、音を立てないよう気を付けてついてきてください」
「うむ、よろしく頼むよ」
ハンカチで鼻と口を覆って暗いダクトの中にある梯子を登っていく。途中、位置確認と方向転換に苦労しながらも這うように進んでいくと、前方に外から微かな光が漏れている場所を見つける。排気口だ。
目だけを出すようにそっと外の様子を窺っていると、複数人の話し声が聞こえてくる。顔は……西洋人風。言語も翻訳されて二重に聞こえるので日本人ではない。
『――どの程度の――が集まったか?』
『レベル20――ですが、最初は――で十分でしょう』
数は……10人くらいはいるだろうか。蒸し暑い夏場だというのに白いロングコートを着ており、背には鎌や大剣、ハルバード、杖など様々なタイプの武器を装着している。その内いくつかは怪しい光を放っているのでマジックアイテムだ。あんなに武装した戦力を集めて、これからフロアボスと戦いにでも行く気なのか。
集団の付近にはいくつものモニターとPCが設置されており、このビル内と思われる映像が切り替わり流れている。クランパーティーをやっていた会場やロビー、移動中と思わしき映像も映っているが、幸いにも俺達が通ってきた経路はなさそうだ。問題は――
(あったぞ! でもここからではよく見えないな)
屋上は巨大なヘリポートとなっており、その中央に大小いくつかの魔法陣が積層で描かれているのが見える。すでに発動しているものもあるが、俺のいる位置では魔法陣を水平から見ている状態なので、何の魔法陣なのか判別できない。
もう少し進んで別の角度から視認したい――ところだけど、さっきから真宮が「僕にも見せろ」と俺の尻を何度も突っついてきやがる。小さな排気口なので見にくくはなるが共有してやるとしよう。
狭いダクト内で体を回転させ幾ばくかの空間をあけてやると、真宮は口をぺろりと舐めながら興味深そうに外を様子見る。
「(ん? あの白いコートに、楔形文字のようなマーク……神聖帝国の軍服だね。それにあそこには真田様と――」)」
「(枢機卿……やっぱりいたか)」
白コート集団の中央に立つ二人の男。一人は青いコートに眼鏡をかけた真田幸景だ。いるだろうなと思っていたので驚きはない。それよりも警戒すべきなのは真田と向かい合うように立ち、一際異彩を放つ白人の男。フードを被っていて顔は見づらいが間違いない。神聖帝国の枢機卿、ミハイロ・マキシムだ。
あいつさえ退場させてしまえば今回の面倒事は全て解決しそうではある……が、生憎と俺にそんな力はない。そも周囲にいるコート集団が邪魔でタイマンには持ち込めそうにない。
また真田の足元には顔を盛大に腫らし、足があらぬ方向にねじ曲がった男がうつ伏せで倒れている。あの白スーツ……どこかで見覚えがあるなと思ったら、霧ケ谷宗介か。
「ぐ……てっ……てめぇ! カラーズを、何故裏切りやがった……真田ァ!!」
「裏切った? 端から私の心はカラーズにはない……というかそろそろ……黙りたまえ」
「ぐぁ゛っ……」
声を絞り出すように糾弾する霧ケ谷。綺麗にセットされていた髪はバラバラにほつれ、真っ白だったスーツには土埃と血に塗れている。怒りに満ちたその顔を真田が容赦なく蹴り上げ、霧ケ谷は半回転して完全に動かなくなった。
あの状況……やはり霧ケ谷は真田の口車に乗って金蘭会を動かしていたのだろう。そしてもう用が済んだため表舞台から退場させられたわけだ。
ゲーム知識と照らし合わせても、神聖帝国を引き込み、ここまでのシナリオを描いた犯人は真田ということで間違いはない。
だが何故これほどゲームと違う動きをしたのか……そのあたりは大人しく情報収集に徹してから後で再考するとしてだ。今は魔法陣の種類を確認、できることなら隙を見て壊しておきたい。霧ケ谷は……放置でいいな。
真田が何事もなかったかのように襟を正し、涼しい笑みを浮かべて枢機卿に話しかける。
『お待たせしました。それではお願いします』
『――本当にいいのだな。【クレリック】ではなくても』
『ええ。無能共の子守にはいい加減うんざりしていましてね。私はさらなる神秘を求め、魔導の道を極めたいのです』
枢機卿が確認すると、真田は「これ以上、無能をサポートするのはもううんざりだ」と首を振って拒否する。
【クレリック】というのはサポート系の上級ジョブのことである。神聖帝国と一部の国にしか知られておらず、日本では中級ジョブの【プリースト】がサポート系の頂点となっていた。
ゲームでの真田は【プリースト】に限界を感じており、上位の【クレリック】になりたくて【侍】の情報を取引材料に神聖帝国と接触したはずだが……それを断るとはどういうことか。
記憶を辿って何が見落としがないかを考えている間にも、事態はどんどんと進んでいく。
『……そうか、ならば何の問題もない。お前達、準備を急げ』
『かしこまりました。では真田様、こちらにお立ちください』
『承知した』
枢機卿の一声でコート集団が一斉に動き始める。何をする気なのか真宮と顔を突き合わせて覗いていると、真田を中心に色々なブツを設置し始めたではないか。
「(あれって冒険者ギルドにある魔法球だよね、今からジョブチェンジでもするつもりなの?)」
「(そのようですね)」
台座の上に置かれた手毬サイズの水晶。冒険者ギルドで厳格に管理されている貴重なマジックアイテム、[ジョブチェンジの魔法球]だ。一般冒険者はギルドの水晶を使ってジョブチェンジを行うのだが、オババの店にもあるので俺はそっちでやっている。
続けて真田の前には3体の死体が並べられる。酷く損傷したものや、比較的マシな状態のものもあるが……あれはくノ一レッドと金蘭会メンバーの死体か。最後に濃密な魔力を放つ肉塊が中央に添えられる。
「(なんだいあれは……何かの臓器……心臓かな)」
拳より一回り大きい赤黒い肉塊。管がいくつもついているので心臓のように見える。上級以上のジョブに就く際には対応する特別なアイテムを揃える必要があるのだが、あれらもきっとジョブチェンジに必要なアイテムなのだろう。だが待てよ?
(3人の死体に、多量の魔力を放つ心臓。あれらが必要となるジョブといえば、まさか――)
『それでは……始めます』
真田は小刀を取り出し自身の左腕を躊躇なく傷つけると、並べられた死体と心臓に血を垂らしていき、最後に何かを念じるようにして右手を水晶の上に置く。すると水晶が呼応するように光りだし、置かれた3つの死体からドス黒い魔力が吹き上がる。
それぞれの死体を検分するように見下ろしていたものの、女の死体の前で立ち止まる。
『この死体とは魔力が合いそうですね……さぁ、虚ろなる魂よ……我が陣門へ降り、サーヴァントとなりたまえ……《ソウル・キャプチャ》』
しばらくの間、吹き上がった黒い魔力は3つの死体の周囲をぐるぐると回っているだけだったが、真田が1つの死体を選んだ瞬間、それ以外の魔力が霧散。代わりに酷く傷つけられた“くノ一レッド”の死体に全ての魔力が収束した。
――と思ったら上半身をむくりと起こし、カクカクした不自然な動きで立ち上がったではないか。傷口から血を流し苦しそうに呻くその姿は、まるでゾンビ映画のワンシーンのようである。
「ぁ゛……ぁ゛~……」
『……なるほど、命令系統はこうなっているのか……素晴らしい……《リターン・デッド》』
腕を突き出し新たなスキルを唱えると死体の足元に魔法陣が現れ、吸い込まれるように消えてしまった。
対象の死体を支配下に置く《ソウル・キャプチャ》と、死者を別空間にしまっておく《リターン・デッド》。ジョブチェンジの際には、習得したスキルの使用方法やジョブ特性などが脳裏に強制的に流れ込んでくるわけだが、真田はその知識と情報に眼鏡を投げ捨て、顔を歓喜に歪めている。どうやら伊達眼鏡だったらしい。
「(なんて禍々しい魔力だ。あれもジョブなのかい?)」
キラキラした目で見てくる真宮に、頷いて肯定する。あれは俺がこの世界で絶対に就きたくないと思っていたジョブの筆頭格――【ネクロマンサー】だ。ジョブチェンジの条件は[リッチの心臓]と、まだ死後硬直していないレベル20以上の死体を複数。そこに[黄泉の書]に書かれた最初の文言を繰り返し心の中で唱える必要がある。
ダンエク時代なら気ままにPKして死体を持ってくるくらい朝飯前だったし、文言もネットで出回っていたので[黄泉の書]を手に入れる必要はなく、上級ジョブの中では比較的容易に就けるジョブであった。
しかし、この世界で新鮮な死体を揃えることは殺人を犯さねばならない。その上、[黄泉の書]も内容を見たり口にしただけで精神を侵す可能性のある禁忌のアイテム。そんなジョブに手を出し嬉々としているとは……真田は頭がイカれでもしたのだろうか。
てっきりゲーム通り【クレリック】になるものと思っていたのに、まさか属性的に正反対の死霊使いになるとはな。神聖帝国もこんなジョブを教えやがって、お前の国のどこに神聖とやらがあるのか問いただしてやりたい。
一連のジョブチェンジ作業が成功裏に終わり、枢機卿が乾いた拍手をしながら話しかける。
『おめでとう。これで君も立派な――人類の敵だ』
『光栄です、実に清々しい気分ですよ。一刻も早くより良いサーヴァントを集めに行きたいところです』
ジョブチェンジの影響もあるのか、邪悪な魔力を纏い、目つきもギラギラとした危険な色を灯している真田。加えてあろうことか、さらなるサーヴァントを集めたいだの言いやがる。
(ん……サーヴァントを集めるだと?)
そうか。だから“脱出ゲーム”なんて面倒なことをしたんだな。
真田の就いた【死霊使い】とは、手に入れた死体を操って戦わせるジョブだ。
死体は生前の戦闘経験や能力がある程度使えるため、操る死体のレベルが高いほどに戦闘力も増す。もちろん自分のレベル以上の死体は操れない制限はあるが、それ以外にも死体の戦闘力を上げる重要な要素がある。
どれだけの恐怖と絶望、苦痛を与えて死体にしたか、である。
恐怖や絶望はサーヴァントの魔力と筋力を高め、苦痛は防御力とHPを上昇させる。ダンエクのときには死体にする予定のモンスターを閉鎖空間に閉じ込めて恐怖を与え、できる限りのバッドステータスを与えながら倒すというやり方があったが、真田は現実世界の人間相手にそれを実行しようとしているのだ。
つまり脱出ゲームとは脱出させることが目的ではなく、恐怖と絶望を与えてより良い死体を手に入れるための手段なのだ。ここに来る途中に殺されていたくノ一レッドのメンバーが無駄に損傷を受けていたのも、死体強化のためと思われる。
『では手筈通りに私は動くが……真田、お前はどうする』
『私も参りましょう、良い素体があればツバを付けておきたいので。あぁそれと……九鬼だけは私にトドメを刺させてください。奴には少し借りがありましてね』
『分かった……行くぞ』
枢機卿の掛け声と共に、戦闘員達が一斉にバフをかけ回り、他階層に布陣している戦闘員にも何らかの手段で作戦開始の合図を送り始めた。真田もモニターに映る九鬼を見据えながら死体のおねだりをする始末だ。本当に……こんな東京のど真ん中で戦争を押っ始める気なのか。
だが会場には六路木や御神、九鬼を始めとする金蘭会のメンバーが多数控えている。そう簡単に押し通せるとも思えないが……華乃が心配だ。
万が一のために脱出アイテムを持たせてはあるが、大規模戦闘となれば被害が予測できず巻き込まれる可能性もある。一刻も早く魔法陣を何とかして戻りたいところだが――
「(みんな行っちゃったけど、これはチャンスかもしれないね。あの魔法陣を壊すんだろう?)」
枢機卿が真田と手下共を連れてぞろぞろと出て行き、屋上に残っているのはわずか数名のみ。その数名も俺達に背を向けて何やら作業をしているではないか。これは真宮の言う通り、魔法陣を壊すチャンスだ。
ここから見える魔法陣は3種。完全に破壊しなくとも魔力の流れ道を変更するか一部消しさえすれば魔法陣としての効力は発揮されなくなるはず。
最悪でもビルを消滅させる魔法陣と、通信妨害の魔法陣の2つだけは壊しておきたい。そうすれば20時というタイムリミットは消え、外野から応援をわんさか呼び寄せることができる。いくら神聖帝国の奴らとて日本国軍や数千の冒険者が駆けつければ難しい状況に追い込まれるに違いない。
……それ以前に、何故俺がこんな状況に追い込まれているのかという疑問も浮かんだが、気合で無理やり吹き飛ばして精神を研ぎ澄ませる。
(ここからは見つかれば即戦闘だ……集中しろ俺!)
震えそうな手で音を立てないよう慎重に排気口の蓋を外し、ゆっくり、ゆっくりと這い出る。心臓の鼓動がうるさく響くが無事に見つからず着地できて、ほっと一息。この先の進む経路を思い浮かべながら一歩踏み出そうとすると――
ガンッ! ガッシャーーンッ!!!
「あいたっ! 裾が引っ掛かってしまったよ。やっぱり袴は潜入任務には向かないようだね。困った困った」
排気口の尖った部分に服を引っ掛けて、金属の蓋と共に盛大に転げ落ちる真宮。身を起こすと尻を擦りながらこちらに向けてテヘッと舌を出す。もしかして……可愛げを見せればこの状況をごまかせるとでも思っているのだろうか。
あんなに大きな音を立ててしまえば作業していた神聖帝国の奴らもさぞかしびっくりするに違いない。そう思って恐る恐る振り返ってみれば――すでに武器を抜き、舌なめずりをしたり、サディスティックに喜色を帯びた顔をしているではないか。
ちくしょう……もう……やるしかないのかっ。