144 脱出ゲーム
花の咲くような笑顔を振りまいて話しかける御神。一方で真田は話しかけられれば多少は話し返すものの基本的に無口だし、主催である九鬼は足を雑に組みながら黙って酒を飲むだけ。六路木にいたっては鋭い瞳に殺意をうっすらと滲ませている。何とまぁ、居心地の悪い空間だこと。
ここに座る四人は互いが互いを監視し、または隙あらば裏をかいて追い落とそうとする間柄でもある。そんな人物達が同じテーブルについて顔を合わせてもパーティーに合う明るい話などできるわけない。
重苦しい空気をよそに、前々から真田に興味があったという華乃はそわそわと落ち着かない様子だし、白狐のお面を被ったチーちゃんも九鬼をじ~っと見つめている。もしかして二人ともイケオジが好みなのだろうか。
いずれにせよ、このテーブルは情報流出イベントの中心地となりえるため危険度MAX。用が済んだのなら早々に立ち去るべきだろう。キララちゃんに「所要ができた」と一声かけようかと考えていたところ、真田の腕端末が小さく点滅する。
皆が目を細めて注目する中、端末を耳に当て、柔らかい笑みを崩さずに何度か小さく頷くものの10秒ほどで通話を終えてしまう。
「失礼……少しだけ席を外します。ごめんねレディー達。あまり話せなくて」
華乃とチーちゃんにキザったらしいウィンクを送ってから別れを告げ、青いローブを翻す真田。トイレ――ではなく、連絡が来たというのならどこぞに待機している神聖帝国の工作員と接触するのだろう。ならば今日この場所で、ゲーム通りに【侍】の情報流出事件が起きるのだ。
とはいえ、そのことをキララちゃんや御神に伝えるつもりはない。流出イベントは既定路線。起こらないとむしろ未来が予測できなくなり俺が困るのだから。
「あ~ぁ、真田さんいっちゃった……もっとおしゃべりしたかったのにっ」
能天気に頬を膨らませて残念がっている華乃の後頭部にチョップをくれてやりたくなるが、俺だってゲーム知識がなければ真田を人柄の良い好青年と見ていたに違いない。だがあの男がカラーズを裏切っていることはほぼ確実。華乃とお袋にはこの事件について何も話していないので、ショックを受けなければいいのだが。
真田は軽い足取りで関係者専用の扉に入っていき、姿が見えなくなると遠くにいるスタッフ数名が動いたような気がした。御神が何かしらの方法で合図を出したのだろう。カラーズ幹部は最もマークすべき容疑者なので、御神も当然監視の手を緩めるわけがない。
そして、もう一人いるカラーズ幹部に六路木が問う。
「……九鬼。真田とはずいぶん仲が悪いと聞いているが、何故お前の招待に応じたんだ?」
「さぁな。来た理由までは知らねぇ……それよりも俺ぁアンタが来たことのほうに驚いている。ギルドやクランでも多忙の毎日のはずなのに、そんなに“ビッグニュース”が気になったか?」
徹底した現実主義の九鬼と、理想を追い求める真田。二人はカラーズの運営方針に対して幾度も食い違い、衝突するほどの険悪な間柄。だというのに何故、九鬼の開くパーティーなんぞに参加したのかと怪しむ六路木。だが九鬼にとってはこの場に六路木がいることのほうが驚きだと返す。
(冒険者ギルドの最終兵器が来るなんて、そりゃ驚くだろうな)
冒険者ギルドはダンジョンや冒険者の管理をするだけでなく、攻略クラン同士の揉め事の仲裁・介入も行う。ゆえに高レベル冒険者を退けられるほどの武力がなければ話にならないわけだが、その最高武力が六路木時雨という女である。
いつもは所属クラン“十羅刹”の運営やギルドの仕事で多忙を極めるというのに、どうしてクランパーティーなんぞに参加する余裕があるのだと、九鬼も気になっている様子。
九鬼のこの態度から情報流出には関与してないと推測できそうなものだが、元々頭の回転が速く、騙し合いも専門とする狡猾な男なのでブラフだと勘違いされていそうだ。
さてと、真田が行動を起こしたのなら時間はあまりない。急いだほうがいいだろう。
「(華乃、そろそろ退散するぞ)」
「(え? もうちょっとだけ見て回りたい――って、あれ!?)」
突然の違和感に襲われ、華乃と一緒に何が起きたのかと周囲を窺う。
一見、何も変わったようには見えない。だが周囲のざわめきがクリアに聞こえ、視界がよりシャープに、肌にはひりつくようなピリピリとした感覚があらわれた。これは五感が鋭くなっているのだ。
チーちゃんも異変に気付いたようで真宮兄と寄り添って何が起きたのかを確かめており、御神と九鬼は視線だけで周囲を探っている。これはダンジョンに入ったときの感覚と同じ。つまり、この場所に魔力が満ちたのだ。
恐らくは神聖帝国がマジックフィールドの魔導具を作動させたのだろう。通常エリアのマジックフィールド化は国際法により厳しく制限されているのだが、これほど人目がある中で堂々と使ってくるとは、遠慮とか配慮という言葉を教えてやりたい。
一部の招待客は何事かと立ち上がったり、慌てて警護を固めている者もいる。一般的にマジックフィールド化とは戦闘が起こるサインなので警戒するのも無理はない。そこへタイミング悪くスクリーンのスイッチが入ったため、緊張が一気に膨れ上がる。
何の犯行声明だとうんざりしながら俺も目を向けると、映っているのは蝶ネクタイにタキシードを着た若い西洋人の男だった。軽く手を振り、人のよさそうに笑って軽快に話し始める。
『紳士淑女の皆さーん、こんにちは! 突然ですがゲームを始めます! 注目してください、こちらがルールです!』
タキシードの男は上半身を勢いよく捻るようにして背後のボードを指差す。書かれているのはゲームルールだというが――
食事の後には“ショー”となっていたので見世物でもやるのかと思いきや“ゲーム”だと? それに予定では食事の時間があと30分は続いていたはずだ。そんなに繰り上げてまでやる理由は何だ。
なんにせよこの場がマジックフィールドと化した以上、【侍】の情報流出までそれほど時間は残されていない。ダンエクの通りに進むなら戦闘は起きないはずだが、トラブル回避のためにもさっさと離れるに越したことはない。
そんな俺の考えなど知らぬとでもいうようにタキシードの男は話を続行する。
『さて、皆さんにはこれから“脱出ゲーム”をしていただきます。要所には“鬼”が配置されているので、上手く切り抜けて進んでください』
・ゲーム目的は、このビルからの脱出。
・エレベーターは使用不可。
・要所に“鬼”が配置されており、倒すか切り抜けて進む必要がある。
ルールを見る限りでは招待客参加型のイベントのようだ。外に出られればクリアになるそうだが、俺達が乗ってきたエレベーターは使用不可とのことで階段を降りていく必要がある。
問題はここが53階であること。階段を下りて出ろといっても、どれだけの階段を降りればいいのか。しかも途中に鬼とやらが配置されているため、真っすぐに降りていくだけでは恐らく駄目。上がったり下りたりが予想される。階段も特に見晴らしが良いわけでもなし、こんなゲームやったところで楽しくも何ともないぞ。というか鬼って何だ。
すでにマジックフィールド化していて、俺は肉体強化が効いているからまだマシだが、レベルを上げていない人ならかなり厳しい内容ではなかろうか。そう思って周りの招待客を見てみれば、当然のごとく不満をあらわにしている。
「そんなものに私は参加するつもりないぞ。どういうことだ金蘭会は」
「このドレスでは階段なんて降りられませんわ……」
「出し物を楽しみにしていましたのに、まさか脱出ゲームだなんて」
――というような声がいくつも聞こえてくるが、これは金蘭会が考えたものではないだろう。何故なら主催した九鬼自身が「どうなってんだ!」と怒りの形相で電話をかけているからだ。ということは、神聖帝国の独断でやっている可能性が高い。
スクリーンに映る男は会場の様子が見えているらしく、予想通りの反応に笑みを濃くしてわざとらしく何度も頷く。そして腕時計をちょんちょんと指差し、とんでもないことを言い出しやがった。
『――なお。このビルは今から1時間後……20時ジャストに跡形もなく消滅します。それでは、皆さんの幸運を祈ります……クックック……』
男の仰々しい辞儀を最後にスクリーンの映像がプツリと消え、同時に招待客から怒号が一斉に放たれる。俺も聞きたいぞ、神聖帝国はこんなゲームをして何のメリットがあるんだ。
跡形もなく消滅する、というのは何の比喩なのか。ゲームで起きた金蘭会クランパーティーでは一人の死者もでなかったし、ビルが消滅するなんてことはならなかった。何事もなく終了し、後になってから【侍】の情報流出事件が起きたと分かったくらいだ。ゲームでも実はこんな事が起きていた、というのは考えにくい。
「九鬼、説明しろ。今の映像はどういうことだ」
「クソがっ、霧ケ谷にちっとも繋がらねぇ……おいっ、お前ら!!」
説明を求める六路木に、九鬼も苛立ちを隠さない。驚くほどの大声で近くにいる金蘭会メンバーを呼び寄せると、状況把握と霧ケ谷の捜索を怒鳴りながら命令する。
その一方で御神も何かを右耳に手を当て通信している。この場には配下の“くノ一レッド”を複数忍ばせているので情報収集を試みているのだろう。何かしら掴んでいるといいのだが、期待は早々に裏切られることになる。
御神は先ほどまで振りまいていた笑顔を消し、能面のような顔で状況を確認する。
「通信妨害でしょうか。スタッフだけでなく外界にも全く繋がりません」
スタッフ、つまり真田を尾行させた“くノ一レッド”と通信ができなくなっているだけでなく、ビルの外とも通信ができないとのことだ。
この世界の通信は元の世界のように特定周波数の電波を飛ばすものではなく、腕端末に内蔵されている小さな魔石から微弱な魔力を飛ばして通信するタイプのものだ。これを通信妨害するとなれば何らかの魔法的手段を使っているはずだが、マジックアイテム……いや、ビル全体の通信妨害となれば魔法陣か。しかし今のところ情報がほとんどないため断定はできない。
「外に救援も頼めない上に、制限時間も1時間と限られているようです。我々も動いた方がよろしいでしょう。それと九鬼様、お相手は誰なのか知っているのではなくて?」
スクリーンに映っていた男が真実を言っているかは分からないが、ビルが消滅したらどれほどの被害がでるか予測できない。御神の言う通り、動くなら早めにすべきだろう。そして「敵は誰か」という問いに対し、九鬼は心当たりがあるのか重い息を吐く。
「あぁ……神聖帝国だろうな。霧ケ谷に紹介されたんだよ。組織規模も世界の冒険者に与える影響力も申し分ねぇ。信用ならねぇとは思っちゃいたが……ま、見事に裏切られたわけだ」
転移装置で儲けた巨額の金を世界中から回収するには、グローバルに動ける大規模組織に頼る必要がある。しかしそんな組織は世界でも限られており、暴利を要求してくることも予想される。パートナーを選ぶために世界中の情報を集めている中、霧ケ谷から好条件がもたらされたと言う。
目の前のテーブルでは“霧ケ谷が主犯で、背後に神聖帝国がいる”と推測して話を進めているが……恐らくは違う。俺のプレイヤー知識を加味して考えれば、神聖帝国にパイプがあるのは真田の方で、霧ケ谷は入れ知恵されて動いただけではなかろうか。かといってそれを俺が指摘するのは不自然。割って入ることはしないが。
「霧ケ谷とかいう小僧は後できっちり吐かせるとしてだ。ビルの消滅というのに心当たりはないか? 爆弾、それとも魔法か。警備はどうなっている」
「この会場の上下階層には若手を数十人配備させているが……見ての通り、連絡はつかねぇな」
部下に通信を試みるものの全く繋がらないと腕端末を指差す九鬼。完全に分断されている。この通信妨害は本当に厄介だな。
そうこう考えている間にも金蘭会のメンバーやスタッフが次々に九鬼や御神の背後に立ち、耳打ちで報告してくる。六路木も「何か動きがあったか」「今の状況がどうなっているのか」と何度も尋ねるが、結局は通信できないので何も分からないとのことだ。
「つーことで……失礼するぜ」
九鬼は眉間に深い皺を寄せながら立ち上がると、金蘭会メンバーに向けて招待客の避難誘導と情報収集の継続を指示。同時に神聖帝国との戦闘に備えるよう声を荒らげる。会場は混乱状態だ。完全な鎮静化は無理だろうがクランリーダーとしての実力には期待してるぜ。
(さてと……俺が動くか……はぁ)
神聖帝国の狙いは何なのか。本当にこのビルごと消し去るつもりなのか。これらの調査を金蘭会任せにするよりは、ゲーム知識があり予測も立てられる俺が動いて調べたほうがいいだろう。
本当は俺と華乃だけ脱出してしまうことも不可能ではないが、キララちゃんや真宮兄妹が巻き込まれ死んでしまえばゲームストーリーにどんな悪影響が出るか分からないし、何より夢見が悪すぎる。最悪の事態だけは絶対に回避したい。
しかしだ。さっきも思ったが、これほどまで混乱を巻き起こすイベントが、ゲームのときにも起きていたとはやはり考えづらい。
俺はゲーム知識から【侍】の情報が流出することは知っていたし、その手段も想像できていた。
流れとしては、この場に集まった招待客から気づかれずに“活きた魔力”を集めて魔法陣を発動し、真田に刻まれた“契約魔法”を一時的に止めて情報を抜く、といったものだ。
そして情報流出に気づかないままクランパーティーは終了。後日になってから慌てだす、というのがゲームストーリーで起こっていた全てのはず……だった。
しかし蓋を開けてみれば、招待客を混乱の渦へ叩き落とす脱出ゲームときた。このようなイベントがダンエクでも起きていたのなら、大事件として必ず報道されていたと思うのだが……もうすでにこの状況がゲームストーリーと大きくズレている可能性もあるな。
できることならその理由も調べておきたいが、何よりも優先的に調べなくてはならないのは、この高層ビルを消滅させるという“何か”だ。それは何だ?
仮に本気でビルごと消滅させるとなれば、よほどの高位魔法か、あるいは巨大魔法陣が必要となってくる。前者は枢機卿でも難しいはずなので、あるとすれば恐らく後者。爆弾という可能性もゼロではないが、誰にも気付かれずビル中に設置するのは困難だし、それ以前に冒険者至上主義を謳う神聖帝国が近代兵器に頼るのは考えづらく、無視して構わないだろう。
ならその巨大魔法陣があるのは一体どこか。
そんな巨大なものを設置するにはこの会場ホールくらいの面積が必要となってくるわけだが、他にそのくらいの広さがあるといえば1階のエントランスホールくらいなもの。しかしあの場所には俺も通ったけど、そのような魔法陣などなかった……というか、そんなものがあれば俺でなくても誰かが気付く。
では巨大魔法陣の線は消したほうがいいか、といえばそうではない。実はもう1ヶ所だけ巨大魔法陣を描ける場所がある。それは屋上だ。出入口の階段を封鎖すれば人を制限でき、誰にも見られずに描けて発動も容易。魔法陣があるとすればそこだろう。
となれば、善は急げである。
「(華乃、楠先輩から絶対に離れるな。もしもの時は迷わず渡した脱出アイテムに思いっきり魔力を込めろ、いいな)」
「(この平べったい石のことだよね。でも、おにぃはどうするの?)」
「(ちょっと様子を見てくる。恐らくどこかに魔法陣があるはずだからな。用が済んだらすぐに合流する)」
「(うんっ、分かった)」
小さく握り拳を作りながら大きく頷く華乃。無理やり俺についてくるかと案じていたが聞き分けが良いのは助かる。もし神聖帝国と戦闘が起きても六路木や御神が近くにいれば安全だろうが、それでも危なくなりそうなら即座に離脱アイテムを使うよう、もう一度念を押しておく。
最後に俺達の責任者であるキララちゃんにも一言だけ言っておこう。
「(楠先輩、華乃をお願いしてもいいですか。ちょっと離れます)」
「(単独で動かれますの?)」
「(……トイレです)」
と、ごまかしてみたものの、キララちゃんは俺の真意を探ろうとして怪しんでいる。だが気にしている余裕はない。
このビルのデータは車の中でもらっている。腕端末を見ながら進めば迷うことはないだろう。まずは……真田が出ていった[関係者以外立ち入り禁止]と書かれた扉から進んでみるか。その先には屋上にいける階段があるはずだ。
扉を開けてざわめく会場から一歩出てみれば、静寂が広がっていた。ここから先は神聖帝国の奴らが潜んでいるかもしれず、気を引き締めて行かねばならない。
「(《魔力感知》)」
床に手を伏せるように突き出し、探知スキル《魔力感知》を発動する。敵から逃げる場合に備えて習得しておいたものだが、まさか潜入に使うことになるとはな。けどこれで俺を中心とした半径数十m内の魔力がくっきりと感じられるようになった。
そう、たとえば俺の後ろにいる――
「それでは行こうか。君の名前は何だったかな?」
振り向けば、黒狐の仮面を被った袴姿の男が俺を見下ろすように立っていた。