141 金蘭会クランパーティー
見上げてもてっぺんが見えないほどの超高層ビル。一面ガラス張りの入口から中へと入ってみれば、広大なエントランスホールが広がっていた。
高い天井にはキラキラと輝くシャンデリアがいくつもぶら下がっており、その下には着飾った紳士淑女が談笑しながら行き交っている。ぱっと見た限り年齢や客層にばらつきがあるが、どの招待客も仮面を被っているため素顔は見えない。
こういったクランパーティーでは顔を隠すのが一般常識なのか、それともただ仮面パーティーというのが流行っているだけなのかは分からないが、こんなところで素顔を晒し歩きたくない俺達にとって都合が良いのは確かだ。
前を歩くキララちゃんも、黒いドレスとお揃いの宝石が散りばめられたヴェネチアンマスクを被っている。背筋を伸ばし優雅に歩くその姿は、上流階級の令嬢そのもの。 知性と気品が感じられる。
そんな姿とは対照的に、コソ泥のように差し足忍び足で周囲を警戒して歩く我が妹。一応ここが場違いな場所であることは理解しているようだが……
鑑定阻害の仮面は綺麗にデコレーションされているので、この場でも目立つことはないが、ゆるキャラがプリントされたTシャツとショートパンツなのはいただけない。準備もなく部屋着のまま車のトランクに潜り込んだのだから仕方ないのだけども。
「まずは華乃さんのお召物を変えましょう。そちらのお洋服では悪目立ちしてしまいますから」
「えっ? もしかしてっ、私もお姉さまみたいな素敵なドレスを着られるんですかっ!」
キララちゃんもそれは気付いていたようで近くにいるスタッフを呼び寄せて、テキパキと指示を飛ばす。
どさくさに紛れて「フリフリのドレスとかありますかっ」などと図々しいお願いをしている妹の頭を下げさせて、俺からもどうか目立たない服を着させてやってほしいと頼み込むことにした。
浮かれた顔でスキップしながら貸衣装部屋へと向かっていく妹を見送って、手持ち無沙汰になった俺は近くの適当なソファーに腰を下ろす。
目の前に置いてあった冊子を何気なく取って見てみれば、このビルの紹介パンフレットであった。どこぞの財閥のお偉いさんが日本を代表するホテルとしていつ建てたなどと、ホテルの歴史が写真付きで書かれている。
それなら今夜はここで一泊していくのもありかと思って部屋の値段を見てみるが、安い部屋でも庶民の月給が飛ぶ料金だったので冊子をそっと閉じ、元の場所に戻しておくことにした。やれやれだぜ。
想像以上の場違いな会場だったことに多少焦りを感じながらも、平然を装って周囲を観察する。やはりというべきか招待に応じる客も俺のようなド庶民は見当たらず、金持ちそうな客ばかりが目につく。
一番目立つのは、何人も執事や配下を引き連れてあれこれと指図している貴族だ。貧乏だと思われれば食い扶持が減るという生き物なので、こういった場では大盤振舞で金を使うのだ。だが思った以上に多くの貴族達が参加していることから、金蘭会の勢いが相当なものであることが分かる。
他にはどんな奴がいるのかと仮面越しに周囲を窺っていると、異様な招待客がいることに気づく。
今から殺し任務に向かうかのような、やけに目つきの鋭い男。杖を突いているのに重心が全くブレない老人。宝石――恐らくはマジックアイテム――を多数つけている派手な女。目立ちはしないがタダ者ではなさそうな招待客が距離をあけて点在している。攻略クランのメンバーだろうか。
日本には自称を含め、数百の攻略クランが存在すると言われている。その多くは一攫千金目的のクランだが、カラーズのように最深部を目指したり、大貴族のお抱え集団であったり、世界のダンジョンを巡るクランもあったりする。
だけどダンエクに登場するクランなんてその内のほんの一部でしかなく、プレイヤーの俺であっても顔や名前を知っている冒険者なんて限られた数でしかない。
それでも中には一人くらい見知った顔もいるのではないかと先ほどから見渡しているものの、どいつもこいつも顔や目元を隠しているせいで誰だか分からず、早々に諦めることにした。
「――成海様。イベント進行表です、どうぞ」
高い天井を見ながらソファーに深く寄りかかっていると、女性スタッフが折りたたまれた紙を差し出してくる。何かと思って見てみれば“イベント進行表”と書かれていた……内部資料だろうか。お礼を言おうと振り向いてみるものの、すでにスタッフはどこかに消えてしまっていて言えずじまい。まぁ俺の名前を知っているということは、くノ一レッドの誰かなのだろうし気にすることはないか。
早速中身に目を落としてみると、クランパーティーの進行順序はこう書かれていた。
“挨拶” → “乾杯” → “会食” → “ショー” → “閉会”
特におかしな流れは見当たらない。仮に金蘭会のビッグニュースとやらが発表されるとすれば“挨拶”か“乾杯”の部分だろうか。どんな情報が飛び出てくるのか気がかりではあるものの、これは実際に発表を聞けばいいだけだ。
考えるべきは【侍】の情報流出が、これのどの辺りになるか、だ。
ダンエクの通りなら【侍】の情報はカラーズ幹部の一人が裏切ったことにより流出する。本来はその情報を口にしただけで死ぬという強力な契約に縛られているはずだが、その枷から外れる“手段”を神聖帝国が持っていたのだ。
では、その手段とは何だったのか。
ダンエクにおいて【侍】流出事件は、主人公がニュース番組を見たことで初めて知ることになる。だがその放送内容とは“神聖帝国に流出した”という事実のみが淡々と読み上げられているだけで、この場で実際に何が起きていたのか、その詳細は俺やリサであっても分かっていない。
とはいえ、神聖帝国のやり口は想像できる。契約魔法を解除したというなら、解呪のスキルを使ったのだろう。
基本的にこの世界の契約魔法とは、精霊が使う“呪い”を応用したものだ。精霊は力を貸す代わりに、契約者の身に要求事項を刻んで守ってもらうという習性がある。これを人間が解析、応用し、契約を破ると呪いが発動するという契約魔法を生み出したのだ。
ゆえに呪いを解除したいなら解呪を行う必要があるのだが、精霊の呪いというのは契約を違えれば死が発動するという、極めて高度かつ強力。たとえ下位精霊が使うような呪いであっても解除には最上級ジョブが使うような高位の解呪スキルが必要となってくる。
しかし最上級ジョブに就くにはレベル50以上という条件があり、これをクリアできている冒険者がいるとは考えづらい。もしいるなら、この世界はとっくに神聖帝国の手に落ちているからだ。
別の手段として、神聖帝国の【聖女】に手伝ってもらうのなら可能かもしれないが、それも考えづらい。現在、神聖帝国の【聖女】は戦争犯罪人として大国から追われる立場だし、そも【聖女】は国のシンボル的な存在であって、こんな離れた国まで来て工作を手伝うような軽い存在ではない。よってこの可能性はゼロではないが無視してもいいだろう。
となれば残るは1つ。解呪の魔法陣を描き、莫大な魔力をつぎ込んで発動させる方法だ。俺がマニュアル発動で最上級ジョブのスキルを発動させるのと同じ原理である。しかし、どうやってそんな魔法陣を知り得たのかという問題も浮かび上がる。
仮に魔法陣が間違っていたり不完全だと発動に失敗するのは当然として、運が悪ければ暴発したり魔力暴走が起こって術士は危険に晒される。契約魔法の解呪でいえば被験者が死ぬこともあるはずだが、神聖帝国はそんな非人道的な実験を数えきれないほど繰り返し、試行して編み出したのだろうか。
いずれにしても俺の想像通りに進んでいるとするなら、もうすでにこのビルには巨大魔法陣が設置されているはずだ。あとはそこに“活きた魔力”を大量に注入する必要があるわけだが、これは招待客から巻き上げればいい。
(イベント進行表で怪しい箇所といえば……この“ショー”かね)
どのような“ショー”をするのかは分からないが、ここで術士が魔法陣を起動させるために魔力を強制徴収するものと思われる。
しかしダンエクのときには戦闘が起こったという情報はなく、一人の死者も出ることはなかった。今回も手荒な手段は使わず、せいぜい魔力切れで何人かの気絶者が出る程度だろう。
とはいえだ、神聖帝国なんぞに俺や華乃の魔力を微塵もくれてやるつもりはない。飯だけ食ったら“ショー”とやらが始まる前に退散するのがいいだろうな。
でも飯だけはしっかりと味わいたい、親父やお袋にも何か持ち帰ってやれないか――などと考えていれば、キララちゃんと、その後ろには変わり果てた姿の妹が戻ってきていた。
「どう、可愛いでしょっ! ちょっとは見直したっ?」
くるりと回ってドレスを見せつけてくる華乃。キララちゃんの洗練されたドレスとは対照的で、華乃が着ているのは髪の色に似た淡いローズピンクのワンピースドレス。ツインテールの髪と腰には大きなフリフリしたリボンがついており、メイクにも少女らしさがあふれ出ている。
童顔な上に胸も大してあるわけではないので頑張ってもキララちゃんのような大人の魅力が出るわけではなく、それならこちらの路線で攻めるのが正解なのだろう。
機嫌良さそうに何度も褒めろと宣う華乃を連れ、高層階にあるパーティー会場に向けてようやく出発だ。
ビル最奥にいるスタッフに招待状を見せると簡単なボディーチェックが始まり、会場直通のエレベータへ乗るよう促される。ガラス張りになっていて中から外の景色が見えるタイプであった。
高度が高くなるにつれて東京中心部の夜景が徐々に見えてきたので、華乃と並んで額をくっつけるように夜景を眺めてみると、やはり背の高いビルは少なくイルミネーションの数も控えめ。元の世界とは明確に違う東京なのだと分かる。
といっても劣っているというわけでなく、むしろ見慣れない建物が多いので期待は膨らむばかり。華乃もついてくる気満々のようだし、それなら案内でもしてもらおうかと考えを巡らせていればエレベータが停まり、目的階の扉が開かれた。
「楠様の御一行ですね、ご案内いたしますのでお越しください」
恭しく頭を下げて待ち構えていたスタッフが案内をしてくれる。すでに正面には大きなホールへと続く入口が開かれており、無数のテーブル席と招待客の座っている姿が見える。千人くらいは入りそうなホールだ。
キララちゃんに聞けば席は決まっているとのことで、金蘭会にとって重要な招待客、もしくは格の高い招待客ほど前の席に座るそうだ。それなら実家が子爵家であるキララちゃんは最前列付近に座るのだろうかと思っていたら、案内された席は全体でいえば前から五分の一位くらいの位置であった。
俺達より前に座るなんざ一体どこのどいつだと頭を動かし探っていると、前方にたくさんのカメラやマイクで覆われたエリアが作られていることに気付く。記者会見でもやる気なのだろうか。
「(おにぃ、前に話した金蘭会メンバーだよ……)」
華乃が耳打ちしてきて小さく指を差す。そちらに目を向けると素顔の男女がせわしなく動いている姿があった。あの中に見覚えのある顔を見つけたと言うが……
(あいつか。サツキを蹴り飛ばし、華乃に手を上げようとしたバカは)
年齢は三十路くらい。胸元に金色の勲章を付けた……加賀大吾だ。クラス対抗戦のときは三次団体“ソレル”のクランリーダーを兼任していたらしいが今は金蘭会に戻ったのだろうか。何にしても攻略クランが高校生の試験に介入し、あまつさえ暴力を振るうとは随分と大人げないことをやってくれたもんだ。
どこぞで闇討ちしてやろうかと加賀の顔をギロギロ睨みながら覚えていると、俺達のいるテーブル席に袴姿の男がするりと座ってきたではないか。何者だろう。
「その麗しき碧髪に、魅惑のプロポーション。貴女は愛しのキララちゃんではないですか。こんなところで偶然ですね」
「あら? 貴方は……真宮様ですか」
深い紺色の髪に、線が細く華奢な体格。厳しい特訓で筋肉質ばかりとなった冒険者学校にはいないタイプである。男は黒い狐の面をしていたものの、チラリと外し素顔を明かしてくる。年上女性が好みそうなふわりとした童顔イケメンだ。
胸元に家紋の入った金バッジを付けているので貴族だと分かるが、この席に座ろうとするなら驚きはない。それよりも気になるのはプレイヤーのように「キララちゃん」と呼んだこと。真宮とかいったか、どこかで聞いたことがあるような……
「あぁ失礼。僕は真宮昴。片田舎で小さな会社を細々と経営している身でね、キララちゃんとは幼馴染でもあるんだ。君達は初めて見る顔だけど、楠家の士族かい?」
興味深そうに俺と華乃の顔を見比べてみてくる。大抵の貴族は士族であっても見下した態度を取ることが多いし、士族でもないなら人間扱いすらしない場合もある。さてどう言おうか、下手な受け答えは面倒事になりえるぞ。
「こちらは学校の後輩ですの。そしてその妹様。来年には高等部に受験されるそうですわ」
「はいっ! 来年にはぶいぶいと言わせるつもりですっ!」
元気よく手を挙げて来年は暴れてやると宣言をする妹。高校からの入学となればEクラススタート、つまりは目立った能力のない庶民ということになるが、真宮は素直に頷いて聞いており、侮るような態度は窺えない。
「なんとキララちゃんの後輩だったとは、しかもそちらのお嬢さんは来年受験! それなら我が不肖の妹と同級生になるかもしれないね。ほら、お前もここへ座って挨拶をなさい」
真宮が後ろに向かって語りかけると、どこからともなく白狐の面を被った着物姿の少女が、ぬ~っと前に出てきた。彼女もまた自己紹介のために面を外すわけだが、その素顔を見て俺は息を呑んでしまう。
真っすぐに伸びた艶やかな紺色の髪に、色素の薄い瞳。髪と瞳の色は兄と同じだが、童顔の兄とは違ってやや大人びた顔の美少女。この子は――
「真宮千鶴……と申します。雲母お姉様、ご機嫌麗しゅうございますか」
「ええ、千鶴さんもお元気そうですわね」
真宮千鶴。現在は冒険者学校中学の3年生で、来年にAクラス首席として高校へ上がってくる超大型新人、そしてダンエクヒロインでもある。まさかこんな場所で出会えるとはな。
少女は視線を合わせないまま自己紹介を終えると、仮面を付け直し何事もなかったかのようにキララちゃんと会話を始めてしまう。そこへフレンドリーな笑みを浮かべた華乃が「来年はよろしくねっ、チーちゃん」と手を差し伸べて割り込もうとするが、そのチーちゃんには顔を背けられた上に完全に無視されて一人寂しく頬を膨らませている。
(そうそう、こんな感じの人見知りでツンツンした子だったな)
余程の気を許した相手以外にはつれない態度を取って突き放す、攻略難度がめちゃくちゃ高いツンデレヒロイン。ゲームストーリーでは来年の入学式以降でしか出会えないキャラだったし、真宮兄も設定だけでストーリーには登場しない人物だったが、現実化したこの世界で誰と会えるかはタイミングの問題なのだろう。
予期せぬ出会いに驚きつつも対応を考えていたところ、会場のライトが落とされて強制的に思考が中断する。気付けば周囲のテーブル席は全て招待客で埋まっていたではないか。
もうクランパーティーが始まるのだ。
「――来ましたわね、親玉が」
「日本最強クラン“カラーズ”を最強たらしめているのは、彼の力によるものが大きい。よく見ておくんだよ、千鶴」
「はい……お兄様」
キララちゃんが表情を険しくし、真宮兄妹が興味深そうにじっと見つめるその先から、数人の部下を従えた縦縞スーツの男が颯爽と現れた。拍手で迎えられながら一歩一歩踏みしめるように壇上へと上がっていく。
年齢は五十路くらいだろうか。スーツは筋肉ではち切れんばかりになっており、日焼けした顔からは幾度も死線を潜り抜けた者のみが持つ風格が垣間見える。あいつはゲームでも有名なので知っている。金蘭会クランリーダーでありカラーズの大幹部、九鬼一元だ。
隣で見ていた華乃もあいつの強さを何となく感じ取ったのか、少々体を強張らせている。まぁそれだけの人物であるといえる。
豊富なモンスター戦の経験だけでなく、秘密結社・朧と正面から殺り合える高い対人戦能力を持ち、さらには潰れかけた金蘭会を立て直すなどクラン運営の手腕まで秀でている。真宮兄の言うように若く勢いだけだったカラーズが日本最強クランと言われるまで強くなれたのは、あの男の存在が大きかったはずだ。
多数のカメラとライトを一身に受けた九鬼は招待客を見渡すとニコリと笑い、仰々しく辞儀をする。
『本日はお忙しい中お越しいただき感謝する。これより、我が金蘭会のクランパーティーを開催する』