134 不人気のヒロイン
建てたばかりの家の前に颯爽と現れたのは、白くて長い体毛で覆われたネコ科のモンスター。体長はこの家の横幅よりも大きいので優に5mは超えているだろう。大きな耳と太い尻尾を持っているので一見狐っぽく見える。
「でっかーい……それに魔力も凄いっ」
『山の麓にいた“ウガルム”と見た目は似てるよね。色と大きさは違うようだけど』
「キィ……キィ?」
その大きさに目を見開いて華乃が驚く。この山の麓には虎ほどの大きさの黒っぽいネコ科モンスター、“ウガルム”がポップする。離れたところから猛烈な速度で襲ってきて一撃離脱する速度特化型モンスターで、この22階では一番危険とされている。
一方、目の前のこいつはウガルムの王種。その名も“ウガルム・クィーン”……のはずだけど、思っていたよりもずいぶんと大きい。蜘蛛も同じように思ったのか不思議そうな声を上げている。
ダンエクでは体長3~4mほど、体毛も明るい灰色だった。しかし、こいつは二回りは大きくて雪のよう真っ白。纏っている魔力も胸にずしりとくるものがあり、想定していたよりもモンスターレベルが高いことは確実。もしかしたら違う種の可能性も考えられる。
「あの、黒崎さん。あれって“ウガルム・クィーン”ですよね?」
「そうだ。だが攻略クランをいくつか壊滅させているからレベルアップしているぞ。本当に大丈夫なんだろうな?」
取り出したロングソードを見せつけ、ギロギロと睨みつけてくる黒崎さん。確認しているだけでも数十人規模の攻略クランを数度撃退しており、いくつかレベルアップしているとのこと。
冒険者がモンスターと戦って経験値を獲得してレベルアップするように、モンスターも冒険者と戦い経験を積めばレベルアップする。元が強力なフロアボスがそのパターンになると手が付けられなくなり、被害の度合いによっては災害指定されることもあるようだ。
「あいつは冒険者ギルドで何度も災害指定を検討されていたほどの凶悪なヤツだ、倒す手段があるならさっさと教えろ。お嬢様にもしものことがあれば――分かっているな?」
「分かってますってば。でもこちらから攻撃しなければ襲ってこないので、まずは落ち着いてその殺気をしまってください」
『でもあの猫ちゃん、壁に体を擦り始めたよ。あれって威嚇行為じゃないの?』
さっさと倒す方法を提示しろと黒崎さんが鞘から剣を半分だけ抜き、刃をキラリとさせて睨みつけてくる。元一流クランメンバーであり、武闘派執事を束ねる彼女の脅しは俺のスモールチキンハートには効きすぎるので、すぐに止めていただくよう懇願しておく。そんなやり取りをしていると、小窓に張り付いていた天摩さんがフロアボスに動きがあったと教えてくれる。
「あの動きは……威嚇じゃない。猫がするマーキングのように見える」
「ご明察。あれはマタタビの臭いを感じ取って酔っぱらってるんだよ、ほら」
見覚えのある動き、マーキングをしているのではないかと久我さんが推測するがその通りで、俺は種明かしとして家の隅に置いてある葉のついた植物を指差す。外から持ち込んだマタタビだ。本来はダンジョン内に生えているキウイフルーツによく似た植物を使うのだが、近所の山に生えていたマタタビでも効くことは麓にいたウガルムで実験済みだ。
通常、フロアボスは精神攻撃や状態異常に対し高い耐性を持っているものだが、ウガルム・クィーンはマタタビで酩酊してしまうという致命的な弱点を持っている。酩酊状態になると判断力、速度、攻撃力の全てが大幅ダウンし、そこらの一般ウガルムと変わらない程度まで弱体化する。
小窓から見える巨大猫はすでに酔いが回っているのか、仰向けとなって盛んに体を外壁に擦りつけている。まともに戦えば屈指の強さを誇るだけあって残念な――もとい、実に美味しいフロアボスである。しめしめだぜ。
「もう少し酔いが回ったら外に出て一斉に袋叩きにしよう。俺とアーサーが先陣を切るよ」
「……あの悪名高きフロアボスがマタタビ程度に屈するなんて。でも、これでこの革防具ともお別れ……長かった」
『ちょっと待って琴音ちゃん、成海クン。あんなにカワイイのに攻撃なんて駄目だよ。それに襲ってこないんでしょ?』
防具を付けながら倒す手順を説明すると、久我さんも短剣を取り出して武具更新の機会到来だ、ヒャッハーと舌なめずりをする。さぁフロアボス戦だ、貴重なドロップアイテムを手に入れるぞと気合を入れてると、驚くことに天摩さんはあのフロアボスが可愛いなどと言い出した。これにはさすがに黒崎さんも慌てて割って入る。
「お、お嬢様。あれはいくつものクランを壊滅させた凶悪なフロアボスでございます。倒せる機会があるのなら逃してはなりません」
「でも、確かにもふもふで可愛いよね。おにぃ、アーサー君。何とかならないかなぁ」
「……キィ?」
倒すべきだ、いやもふもふしたい、キィキィと会議が始まってしまう。ここのフロアボスは倒しても1週間でリポップするので俺としてはドロップアイテム目当てにさっさと倒したいところなのだが――あんなにも真っ白くて巨大なウガルム・クィーンなどダンエクで一度も見たことがないし、可愛いといえば可愛いかもしれない。華乃も何とかならないかと困り顔だ。
「キィキィ、キィ!」
「なんと……あれをペットにする魔法がある……とアーサー様は仰っているのでしょうか」
『ペット? ほんとに!? それってウチでも使えるようになる?』
「お待ちください。お嬢様は【ウォーリア】を極めると旦那様に誓ったではありませんか」
天摩さんは【ウォーリア】になって近接戦闘を極めるために冒険者学校に入学したのではないか、余計なスキルを覚える余裕はない、と詰め寄る黒崎さん。この世界において【ウォーリア】は近接戦闘における花形ジョブ。武具の開発・製造を手がける天摩商会としても嫡女がこのジョブで名声を高められるなら大きな利益に繋がる。
しかしながら【ウォーリア】は中級ジョブに過ぎないのでスキルもステータス上昇効果もさほど強くはない。契約魔法書で他言しないと誓ってくれるなら、いくつかの上級ジョブを教えるつもりだが……
「それって、おにぃが前に言ってた【テイマー】ってジョブのことでしょ? とっても危険なジョブだって」
「あぁ。ペットの忠誠心が足りなくなると裏切られる可能性があるからな。それ以前に、現時点ではテイムしたペットを預ける場所がない。外に出るならいちいち解放しなくちゃならないぞ」
テイムしたモンスターは一緒に戦ってくれる強力な仲間となるものの、忠誠心が無くなれば主を裏切って襲い掛かってくることもある。ウガルム・クィーンほどの強力モンスターに裏切られれば、それこそ大惨事だ。
またダンジョンから出る際は、ゲームと違って外界に連れていけないのでダンジョン内にモンスターを預ける必要があるのだが、その施設に行くにも、もっと深い階層に潜らねばならずレベルも足りない。しかもかなりのダンジョン通貨を要求されるため、資金もすぐに枯渇してしまうだろう。少なくとも現時点の俺達が【テイマー】に手を出すのは止めておいた方が無難だ。
『じゃあさ、その準備ができるまで、あの子は倒さないでいてくれないかな』
「……それだとクィーンの毛皮が取れない……」
鎧を擦り合わせながら『倒さないで欲しい』と、もじもじする天摩さんに、装備が更新できなくなると頬をぷくりと膨らませる久我さん。だがここは天摩さんの意見を採用したい。久我さんにはこの先にいくつも素材を取る機会はあるので、その時に埋め合わせすると約束し、この場は譲ってもらうようお願いする。
家の小窓からは、十分に酔いが回ったウガルム・クィーンが舌を出し、ベロンベロンになって横たわっている姿が見える。あれを倒さないにしても家から出るためにはすぐ隣を通る必要がある。本当に攻撃されないか確証が欲しいところだが……
「キィキィ~キィッ!」
「自分が出る……と仰っているのでしょうか、アーサー様」
偵察なら任せろとアーサーが前脚で胸を叩いて任務を買って出る。今は召喚獣である蜘蛛の体を借りているだけなので、攻撃されても万が一にも死ぬことは無い。適任だろう。
扉を少しだけ開けてやれば八本足を巧みに使い、じりじりとクィーンに近づいていき、そして――
『あっ! もふもふのお腹にダイブしてるよ。ウチもしたいー』
「……あの“獣王”にあんなことがするなんて、命知らずにもほどがある……」
クィーンは蜘蛛の存在に気づいても特に気にする様子はなく、仰向けになったままくねくねしているだけ。やはりノーマルのウガルムと違って攻撃性は無いように見える。
それをいいことに体をうずめさせ、もふもふしまくるアーサー。その姿を見て驚愕する久我さんと共にしばらく小窓から観察していると、もう一つ影が……というより光を乱反射させる何かが追加される。
さて、あれは何だろうか――と考えるまでもない。天摩さんである。可哀想に、後ろにいたメイドがガクガクと震え始めたではないか。
「お……おっ、お嬢様ーー!!」
「落ち着いてください黒崎さん、大丈夫ですって。あれを見てください」
「貴様っ止めるな! お嬢様だけは絶対に守らないといけないのだー!」
窓の向こうでアーサーに負けじと顔をうずめ、もふもふを堪能している全身鎧。クィーンは目を細めつつ横たわっているだけで、やはり攻撃する様子は見られない。それでも黒崎さんが怒気を放つなどして刺激してしまえば攻撃されかねないため、何とか落ち着いてもらうよう必死に諫めなければ……って、おい。お前もかよっ!
「もっふもふでフワッフワ! こんな子がペットになったら、もうどこにでも行けそうですね、お姉さまっ」
『ほんとに。はぁ、こんなにも柔らかいのに……鎧越しじゃなかったらもっと味わえるのになー』
ちゃっかり華乃も抜け出して顔をぐりぐりとうずめていやがる。ひとまずは戦闘になることがなさそうだからいいものの、もう少し慎重に行動しろと後で叱らねばなるまい。一方の天摩さんは鎧であることを憂いながらクィーンの白い喉を優しくさする。そのお返しとばかりにクィーンもゴロゴロと音を鳴らしながら大きな顔をピカピカの鎧に擦り付けている。
「お嬢様……おいたわしや」
鎧なんて脱ぎ捨てて全力でもふもふしたいけど、呪いがあるからそうはいかない。天摩さんはいつも明るく振舞ってはいるので気づきにくいが、この瞬間も苦しみ続けている。それを一番近くで見ていた黒崎さんの「おいたわしい」という言葉には深く重い悲しみが宿っていた。
窓の向こうでは不満顔だった久我さんも、いつの間にか交じってクィーンのお腹に顔をうずめていた。華乃と天摩さんも同じようにしているので、もはや母猫と乳を吸う三匹の子猫のようである。
とりあえず、当初の目的であった拠点作りは無事に終えられたし、あのフロアボスについても攻撃性がないことは確認できたので後回しで問題ないだろう。残るはあと1つ。今回のダンジョンダイブの最大の目的に取り組むとしようかね。今は黒崎さんと二人きりなので都合がいい。
「ご相談があります――」
俺はメイドに向き直り「天摩さんの呪いには心当たりがある。この夏休みの間に解呪を試みたい」と伝える。アーサーはもちろん、サツキとリサも全力で協力してくれるとのことだが、協力という意味では目の前にいるメイドと……ゲーム主人公であり解呪イベントのトリガーとなる赤城君の協力は絶対に欠かせない。俺は真摯に頭を下げて黒崎さんの協力を仰ぐ。
一瞬何のことか分からずキョトンとした顔になるメイドだが、すぐに鋭い顔つきになる。
「貴様、それを冗談で言っているのではないのだな……?」
「もちろんです」
いつもの睨む演技ではなく、殺意とも呼べるような本気の凄みで真偽を見定めてくる。黒崎さんにとって天摩さんは自身の命よりも大切にしている主。その未来に介入しようとするなら生半可な話では済まさないぞという気迫が彼女の目に込められている。
――ダンエクヒロイン、天摩晶とは。
全身鎧に身を包んだ異色のヒロイン天摩晶は、ダンエクにおいていわゆる“不人気ヒロイン”であった。一部を除き、多くのプレイヤーに忌避されていたと言っても過言ではない。その理由はいくつもある。
まず彼女の攻略難度が高すぎること。貴族や士族が集まるAクラスの次席であり、いつも黒執事に囲まれているせいでEクラスのプレイヤーが接触すること自体難しく、関係を深めるタイミングがとてもシビア。天摩さんの攻略にかまけていれば他のヒロインを誰一人口説けなくなってしまうというほどの難しさを誇る。数多のヒロインを口説き落とし、強力なパーティーを構築できるハーレムエンドを目指すなら真っ先に諦めるべきヒロインであった。
そして問題の解呪イベント。
解呪を行うために向かう場所はこの先にある厳しい道のりを乗り越える必要がある。最後に現れるボスモンスターも多彩な大魔法を操り、フロアボス並に強力。窓の向こうで仰向けになっている巨大猫のような簡単な攻略法は存在しない。
そのようなイベントをクリアするためには赤城君にも相応の成長が求められるのは当然で、実際に攻略するとなれば早くてもストーリー中盤以降、通常は終盤に差し掛かるくらいになってしまう。
その時期まで解呪ができないということは、天摩さんもその時期までずっと能力が制限された鎧姿のまま。つまり終盤でしか輝けないヒロインという低い評価になる。それは他の煌びやかで強力なダンエクヒロイン達と比較され、大きな影を落としていた。
これだけ問題点が揃えば、いくら天摩さん自身が魅力的であろうとダンエクプレイヤー達に不人気にならざるを得ない――が、俺にとってそんなことは些細な問題である。
何故なら接触が難しいはずの天摩さんと、すでに良好な関係を築けているし、俺にとっては全身鎧を着ていたとしても彼女の魅力を何ら貶めるものになっていない。高難度とされる解呪イベントも、プレイヤー知識を駆使した上で皆の力を総動員すれば何とかなると踏んでいる。
問題は黒崎さんと赤城君の協力を得られるかどうか。その初手として、まずは目の前のメイドの心を揺り動かさなければならない――
「俺はですね、天摩さんに救われて欲しいんですよ」
「……」
黒崎さんは俺の目をじっと見て、何を考えているのか、何が狙いなのかを見極めようとしている。無論、俺とて打算はある。
ゲームストーリーが不安定となる中、悲惨な未来を回避するためには信頼できる強い仲間が一人でも多く必要となる。その点、天摩さんは背中を預けるに値する人物であり、無事に呪いから解放されれば、覚醒後のカヲルやラスボス世良さんに匹敵するバランスブレイカーのような強力ヒロインがこの序盤に誕生することになる。それは俺達プレイヤーにとって希望の光だ。
だからこそ無理をしてでも解呪計画を早めたいわけなのだが……もちろんそんな狙いがあるとは言わない。
重要なのは天摩さんに救われて欲しいという“願い”。俺と黒崎さんの間に信頼関係なんて微塵も構築できていないのは明らかだけど、この一点においては強く共有している。あんな良い子の頬が涙で濡れるなんてあってはならない。いつも笑っているべきなのだ。そのためになら俺達は手を結ぶ価値がある、という理論である。
だがこの提案は黒崎さんにとって屈辱だろう。
今まで散々手を尽くしても主を救えなかった、救う方法すら見つけられなかった。なのに最近になって現れた若造が「天摩さんを救える」などと言い出したら、癪に障るしプライドだって傷つくのは容易に想像できる。それでも、誰よりも天摩さんの幸せを願っている黒崎さんならこの提案を飲むはずだ。俺はそう信じている。
拳を強く握りしめたメイドは葛藤を押し殺し、静かに言葉を放つ。
「……その言葉に偽りはあるまいな。仮にお嬢様のお気持ちを弄ぶようなことがあらば、貴様……ただでは済まさんぞ」
「俺は本気です。協力していただけるなら考えている解呪計画の全てをお話します」
呪いのせいで鎧に閉じこもり、今も金属越しにしか触れられず涙を零しているであろう天摩さん。そんな彼女の幸せを願い、絶対に救ってみせるという決意をもって小窓の向こうを覗いてみれば――
『わーーーっ! 速いーーーー! ああああーーいたぁっ!』
「お姉さまっ! 次は私もーー!」
ウガルム・クィーンに跨った天摩さんが小窓のすぐ近くを猛烈な速度で駆け抜けていき、勢い余り樹木に当たってぶっ飛んでいた。そこへ華乃が「次は自分も乗りたい」と嬉々として追いかけていく。さっきまでお腹に顔をうずめてもふもふしてたというのに、はっちゃけすぎだろう。
「お……お、お嬢様~~~!!」
顔を真っ青にさせた黒崎さんが涙目になりながら慌てて追いかけていく。まったく、破天荒で元気すぎる主を持つというのも気苦労が絶えなそうだ。