130 月嶋拓弥の理屈
片腕を失い、口からも多量の血を吐いて倒れている月嶋。所々焼け焦げた制服にも血が飛び散っている。そこに慌てて覆い被さったのは長い銀髪の少女、世良桔梗。血や土埃などで制服が汚れることも気にせず、強く抱きしめている。
「勇者様……ご安心をっ! わたくしめが必ずお救いいたします! 《ホーリーヒール》!」
自分が回復すると言って【プリースト】の先生を追い返した世良さん。《聖女》にまつわる者しか知らない隠匿スキル《ホーリーヒール》を躊躇なく発動させる。ダンエクでは彼女と仲良くなると覚えることのできる高性能回復魔法だ。
そのスキル効果はてきめんで、魔法のエフェクトがかかると同時に目に見える早さで肉体が修復されていく。根元から千切れていた腕からは、真っ白な骨が伸びてきて、数秒で真っ赤な筋組織や血管が巻き付き、最後に素早く皮膚が覆っていく。この間わずか10秒といったところ。先ほどまでの痛みに耐えるような厳しい表情もずいぶんと柔らかくなり、体内の血液量も増えたのか青ざめていた顔色も赤みを増してくる。
元の世界なら複数人の医者が大掛かりな手術器具を使ってやっとのことで命を繋げられるかどうかという大怪我。だが魔法ならば欠損していても後遺症もなく一瞬で再生する。この世界の回復魔法需要がどれほど凄まじいのか、どれほどの権威や権力に利用されてきたのか想像に難くない。
「うっ……」
「あぁ、本当に良かった……」
目じりに涙を浮かべた世良さんは安堵する表情で月嶋の様子を一通り確認すると、突如俺を睨むような視線を向けてくる。
「わたくしの勇者様には指一本触れさせません。もし、これ以上やるというのなら……わたくしが相手になります」
少し声を震わしながらも気丈に俺と戦うとおっしゃる。これまでの戦いを見て少々怯んでいるようだが、そう言えるだけの実力が彼女にあることは知っている。
近接戦闘、魔法戦闘、回復魔法、サポートと全てをハイレベルで扱え、総合力では冒険者学校の生徒でも類を見ない最強の戦闘能力を持つ次世代聖女・世良桔梗。そして何より彼女を校内最強たらしめているのは固有装備である“国宝”の存在だ。
先ほどのアーサーが放った《メテオ・ストライク》も、直撃ではないせよ間近で受け、瓦礫に揉みくちゃになりながらも全くの無傷だったのがいい例だ。“それ”は俺に見られないようすぐに隠したが、その存在も性能も俺は全てを知っている。だからこそ――
(世良さんが月嶋と共に立ち向かってきたら危かったかもな)
この決闘では出来得る限りの対策を講じてきたわけだが、世良さんまで戦うとなれば話は大きく変わる。それ以上に彼女はダンエク時代から憧れていたヒロインであり、攻撃なんて考えたくもない。そんな目で見られるだけでも心が痛むくらいだ。
しかしながら今は世良さんを気にかけているときではない。闘技場が壊れたせいで外も騒がしくなってきたし、この体形を変えている薬だってそれほど長くは持たない。早く月嶋と二人きりで話をしておきたいのだが、そう告げたところで今の世良さんは警戒心を強めて頑な態度を崩そうともしないだろう。
近くで見ているキララちゃんに何とか助けてもらおうと顔を向けると、察しの良い彼女はすぐに俺の意を汲んで動いてくれる。
「生徒会長の代行として、わたくし楠雲母がこれ以上の戦闘は禁じます。仮面の御仁もそれに従うとのこと。話をしたいそうなので関係者以外は離れ――」
「ですが! この方はわたくしの勇者様。わたくしも関係者でございます!」
「……その、“勇者様”とは何でございましょう……」
勇者とは何か。そう聞かれた世良さんが息巻いて早口で話そうとするが「話が長くなりそうならあちらで……」とキララちゃんが断りを入れて上手く向こうへ誘導しようとする。しかしそんな簡単に釣られてくれるはずもなく、世良さんは俺を睨みながら月嶋を抱く腕に力を入れて留まろうと粘る。
仕方がないのでキララちゃんの名に懸けて手出しはさせないと約束することで、やっとこの場から離れることを了承してくれた。貴族の名はそれほどまでに重いのだろう。助かるぜ。
一方の生徒会長は決闘を見た生徒の口留めを確約させつつ、この事態に駆け付けた警備員や学校運営者を相手に説明している。そこら辺りは全て任せるしかないのだが、俺もここにいれば事情聴取は免れない。月嶋も気が付いたようだし一刻も早くどこかへ移動したほうが良さそうだ。
しばし天を眺めていた月嶋は、むくりと体を起こすと血まみれでボロボロになった制服を見ながら肩を落とし、大きく息を吐く。
「はぁ……オレは、負けたのか」
「ええ、そうよ。完膚なきまでに。少し話したいのだけど急いでこの場を離れましょう。向こうが騒がしくなってきているわ」
『お前には根掘り葉掘り聞かせてもらう』
「……はぁ……しゃあねぇ。どこでも連れていけ」
リサが存在感を低下させるマントを取り出して羽織りながら移動を促すが、月嶋は持っていない模様。仕方がないので予備のマントを貸し出してやるか。
*・・*・・*・・*・・*・・*
「この辺りでいいかしら。それにしても……派手に壊したわね~」
マントを着て闘技場からこっそりと離れ、人気のないエリアに向かっていると、先頭を歩いていたリサがくるりと後ろに向き直り面白おかしそうに言ってくる。
ここは少し坂道を上った場所なので半壊した闘技場1番の様子がよく見える。天井や壁が吹き飛び、ローマにあるコロッセオのように風通しが良くなっている。まぁ月嶋がスクルドを呼び出した時点でああなることは運命だった、としか言うほかない。
他のタイプのヴァルキュリアならアーサーの力に頼ることもなくどうにか処理できたのだけど、スクルドの《防御結界》だけは俺単独で対処するのは厳しい。しかし、これでアーサーには大きな借りができてしまった。何を要求されるのかを考えると辟易するぜ。
月嶋も素直に黙ってついてきている。奴の行動には疑問点が多いので聞きたいことは山ほどあるが……リサについても疑問に思うところはある。
以前、決闘について話し合ったときも月嶋は助けるべきだと固執していたし、俺がトドメを差そうとするときも“力”の一部を解放してまで助けに入ってきた。
たしかにリサが言うように月嶋しか知りえない情報や考えを取り込み、今後の指針にするという意見には一理ある。しかし奴の人格や今までの行動を照らし合わせて考えたとき、生かしておくのは非常にリスクが高い。
ゲームストーリーという未来を知っているなら、それを破壊すればどれだけ多くの人が苦しみ、あるいは死ぬのかも知っているはずだ。ゲームなら、たとえ100万の人々が死んでも危機的な世界観を演出する設定程度にしか感じないが、現実となればこの街も、国も、怨嗟と悲鳴が絶えない地獄へと変貌し、俺たちはそれを実際に目の当たりにすることになる。
月嶋がいまだにこちらの世界の人々をNPCと見下し、死んでもかまわないと言うつもりなら、そのせいで俺の大事な人達にも危害が及ぶくらいなら――俺は躊躇するつもりなどない。
この場での戦闘も視野に入れつつ隣で涼しい笑みを浮かべる眼鏡の少女をそっと見るが、その表情からは何を考えているのか全く読み取れない。まぁそれも問えばいいだけの話だ。
『月嶋。決闘中でも聞いたが、どうしてプレイヤーを狙った』
無遠慮で直接的な問いに月嶋は眉間にしわを寄せ、不機嫌そうな顔をする。だが俺の隠さない殺気に気づくと面倒くさそうに息を吐き、ぽつりと話し始める。
「何から話すか、そうだな……お前もプレイヤーなら“プレイヤー固有スキル”を持っているだろう」
プレイヤー固有スキル? あぁ、スキル枠から消したくても消せず、絶えず苦しめられている《大食漢》というスキルがある。リサにも相当ヤバいスキルがあるし、聞けばアーサーにもあった。このことからプレイヤーなら全員持っていると考えていいだろう。
何故こんなスキルを持たされたのか。俺はそういうものだと思って理由を深くは考えていなかったが、月嶋はこれこそがプレイヤーを狙った理由らしい。今のところ因果関係があるように思えないが……説明の続きを聞くとしよう。
「クック……その様子ならお前にもあったようだな。もちろんオレにもある。壮絶なペナルティーが」
虚ろ気味な目をした月嶋はそう言いながら、こめかみを人差し指でとんとんと叩く。こちらの世界にきてからは思考能力が低下して無気力となり、すべてが灰色。絶望に染まったという。
全てはこの見慣れない固有スキルが原因。レベルを上げても消すことはできず、唯一スキルに抗う方法は、手に入れたいもの、やりたいことに制限なく考えて欲を膨らませることだったという。
『その欲の一つが冒険者学校を支配することか?』
「……いや、それはまた別の話だ。話を戻すとその程度では気力を振り絞ったところで抗うことは難しい。だからオレはこの呪いを削除するべく、スクルドの能力を使って解析していたんだが……色々と見えてくるもんだな」
スクルドは《鑑定》と同等の能力を持ち、ダンジョンに関する知識も豊富。大幅に弱体化しているとはいえアドバイザーとしては優秀だったそうだ。そこで分かったのは、プレイヤー固有スキルは削除できず、逆にアップグレードは可能とのことだ。
だがそれくらいなら俺も知っている。以前に鑑定ワンドを使って《大食漢》を調べたことはあったが、わざわざ精神を蝕む呪いを成長させるなんて馬鹿げている。当然スルーした。
それに最近では状態異常を低減させる《フレキシブルオーラ》をリサから教えてもらったので、日々の生活に大きな支障をきたさなくなってきた。それでもじりじりと飢える感覚は続いている。今後はもっとレベルを上げて、より強力な対抗魔法を獲得することが一つの目標となっている。
「《フレキシブルオーラ》か。オレも利沙に教わってからは救われた。それ以降は気力で何とかなる状態にまで持っていくことができたしな。だが、お前はアップグレードさせる意味を分かっているのか?」
……意味だと? 固有スキルをアップグレードしたとして、その精神負荷を《フレキシブルオーラ》と精神力でどうにかできるならまだいい。だが一歩でもそのラインを越えてしまえば、飢えに耐えきれず思考の全てを食欲に持っていかれてもおかしくない。そのリスクを押してまでアップグレードさせる意味などあるのだろうか。
すると今まで静かに聞いていたリサがニコリと笑い、とんでもないことを言い出した。
「私たちの持つスキルは~……成長させていくと~……なんと。なんでも願いを叶えてくれるみたいなの」
『……なに?』
どうして呪いを成長させると願いが叶うんだ。叶うとしてどの程度までの願いが……いや、その前にどうしてそんなことが分かったのか。スクルドに解析能力があるのは知っているが《鑑定》と大して変わらない効果だったはず。そう月嶋に聞けば、スクルドの解析を[スキルライズアッパー]でさらに強化して調べたそうだ。
ダンエクのときは普通に《鑑定》の上位スキルやアイテムがあったので、貴重な[スキルライズアッパー]を中下位スキルの強化に消費するなんて考えられなかったが、いち早く固有スキルの情報を得られるならたしかにその価値はあると言える。
「レベルを上げていけば遅かれ早かれ上位鑑定アイテムが手に入り、固有スキルの秘密についても知るときがくる。だからその前に、全プレイヤーを統制下に置きたかったんだ」
『……そこでどうして統制下に置くという話がでてくる』
「つまりね~? 月嶋君は、スキルのアップグレード目的にプレイヤー同士が殺し合わないようにしたかったみたいなの」
プレイヤー固有スキルをアップグレードさせるには、他のプレイヤーを殺す必要がある。それはスキルを解析したときにそう書かれていたので間違いないようだ。俺が《大食漢》を調べたときも、すでにアップグレード可能と表示されたが、それはつまりプレイヤーを殺したことがある、ということを意味する。
思い当たるのはあの骨野郎……ヴォルゲムートしかいない。あれがプレイヤーだと確定して多少の動揺はあるが、あの時あいつを殺さねば華乃は死んでいた。そう考えれば後悔など微塵もない。
とはいえだ、今の説明にはいくつか問題点がある。
『どの程度までの願いが叶うか書いてあったのか? それによってはプレイヤーが争う理由にはならない』
「“願いが叶えられる”とだけしか書かれていなかったな。だが……こんなトチ狂った世界を作り上げる存在だ。何でもありと考えるのが妥当だろ」
何でもありか。たとえば“この世界の神になれる”という願い。これくらいなら自力で何とかなる可能性は十分ある。ダンエクのときの俺達はまさに神のような存在だったし、そこまででなくともレベル50もあれはこの世界の軍隊や冒険者は恐れるに値しなくなる。神になりたいという願いですら、危険なプレイヤーと戦ってまで叶える価値があるとは思えない。
ならば“元の世界に帰る”という願いはどうか。こっちに連れてきたのだから戻すことだってできるはずだ。プレイヤーによっては殺し合う動機になるだろうが、戻るつもりのない俺やアーサーみたいな者にとっては何の価値もない。
では元いた世界の改変、少し踏み込んで“元の世界で死者蘇生”や“元の世界の歴史改ざん”などはどうか。しかしこれらにしても叶う確証がないのなら、やはり殺し合う理由としては弱い。というか、何でも願いが叶うと言われてホイホイと殺し合うほどプレイヤーは馬鹿ではない。
そも月嶋は、プレイヤー達が殺し合うから“統制下に置いて阻止したかった”と言うが、むしろ俺からすれば統制下に置こうとする月嶋こそがプレイヤーを殺してスキルアップグレードを狙う黒幕にしか思えない。
「信用が無ェのは百も承知だが、オレは願いを叶えてもらう気なんざ更々ねェ。せっかくこんな世界に来たんだ、欲しいもんは全て自分の力で手に入れてやる。だからこそ飴を与えて殺し合いをさせようって魂胆が気にいらねェ。ソイツはどこぞで高みの見物してんだろうが虫唾が走るぜ」
唾を吐き、苛立ちを見せる月嶋。プレイヤーにこんなスキルを持たせる一方で、なんでも叶えるという特典を与えた意味を考えれば、確かにこのシステムを作った何者かは俺達に殺し合いをさせたいようにも思える――が、それと月嶋の言うことを信じるのは別だ。
硬い態度を崩さない俺を見て、リサも擁護に回る。
「ふふっ。私と月嶋君は、互いに行動や目的に介入しない相互不可侵の契約をするつもりだったのよ。だから一応は信じてもいいんじゃないかしら」
「オレはもうレベル上げレースからは脱落する。この先、お前に勝てるとも思えねぇし、大人しくしておくつもりだぜ」
疲労がなく死にもしないスクルドを潜らせ続けて経験値を荒稼ぎし、全プレイヤーを出し抜いて最速で上級ジョブとなった。今この時点なら、どのプレイヤーが来ようとも圧倒し従わせることができるはず。
ズレたゲームストーリーは冒険者学校を支配し、従わせた貴族やプレイヤー達を総動員させれば赤城君やピンクちゃん抜きでも十分に対処は可能。そう判断して行動に移したわけだが――結果はまさかの敗北。
ここから先はスクルド単独で潜らせても狩り効率が悪くなる一方なので、レベル上げレースからは脱落せざるを得ない。そうなればますます俺に勝てるビジョンが浮かばなくなる。今後は目立つことはしないと言って月嶋は肩を落とす。
「つーことで、話せることは全て話した。他に何か聞きたいことがあれば聞くが……」
『いや、今はもういい。だが警告しておく。これ以上ゲームストーリーを破壊しようとするならば……容赦はしない』
「そうね~おかしな行動しないように私も見張っておくわ。何かあれば私が間に入って仲介するつもりよ」
月嶋が決闘を企てた理由。その背後にあったプレイヤー固有スキルと、その秘密。学校を支配するなど納得しがたい行動は多々あるが、理屈は一応理解できた。とりあえず俺の方も変身薬の残り時間が心許ないので、この場ではこのくらいの話が聞ければ十分だろう。
だがこれだけ暴れてしまえばゲームストーリーを元通りにすることは絶望的だ。少しでも軌道修正できるよう相良に動いてもらいたいところだが、生徒会長の任期はもう僅かしかなく、八方塞がり感が否めない。未来には恐ろしく残酷なイベントが待ち構えているというのに、焦りは募るばかりだ。
「もう用がないならオレは帰るぜ……ここにいない四人のプレイヤーの管理は任せた。それじゃあな」
ポケットに手を突っ込み、若干猫背になりながら哀愁を漂わせて去っていく月嶋。
――だがちょっと待て。ここにいない四人のプレイヤーって誰のことを言っているんだ。