129 絶対防御を貫く攻撃
――大宮皐視点――
どんよりとした分厚い雲が渦巻き、時折、か細い悲鳴にも似た木枯らしが吹き付ける。周囲には強力なアンデッドが闊歩し、地獄と言われても違和感のない暗く重苦しい荒野が延々と続いている。ここはダンジョン15階の奥地、“亡者の宴”と呼ばれている狩場だ。
そんな場所に似つかわしくない、活気のある元気な声が響く。
「いっけーおにぃ!! やっちゃえーっ!!」
「なーにやってんだ災悪っ、ぶっ飛ばせーっ!」
砂地の上に敷いた3m四方ほどの茣蓙の上で、私と華乃ちゃん、アーサー君の三人が顔を寄せ合わせて見つめているのは、地面に置かれた10インチほどの小さなモニター。画面の中央にはソウタと月嶋拓哉君の向き合っている姿が小さく映っている。
この映像はリサの小型腕端末からカメラを起動して撮ってもらっているので、映りはそれほど良くはない。
そして先ほどから華乃ちゃんとアーサー君が腕を振り回し大きな声で応援しているけど、この場所は決して安全地帯などではない。そんな応援をしていれば生者の存在を感じ取ったアンデッドが近寄ってくるのは当然のことだ。
「……グルォォ……ォォ」
骨が露出した手でボロボロの大剣を引きずりながら、こちらに狙いを定めて走ってこようとする――のだけど、そのたびにアーサー君が見もせずに魔法弾を撃ち込んで一発で倒してしまっている。おかげで近くには魔石がいくつも転がって放置されたままだ。もったないので後で拾っておこう。
それにしても……ソウタと月嶋君の戦いは何と表現すればいいのか。私が思い描いていたのは、剣と剣で斬り合ったり、魔法弾を撃ち合うようなものだったのだけどそれとは程遠い、別次元の戦いだった。
得体のしれない精神攻撃に、鋼鉄巨人と天使の召喚。そしてさっきの超高速空中戦もそうだ。使用するスキル、戦術、剣捌きも何もかもが驚きの連続だった。リサもあのような戦いを経験してきたのだろうか。一緒に見ている二人はどう思っているのか気になってしまう。
「……ソウタの呼び出したあのゴーレムって、まるで特撮アニメみたいな戦いだったよね。華乃ちゃんは全く驚いてなかったけど、もしかして――」
「そうなのっ! おにぃと一緒に【機甲士】っていうジョブになってぇ、ゴーレムを作れるようになったんだよっ。見て見て――《ハンドメイドゴーレム》!」
華乃ちゃんが嬉々とした顔で魔石を取り出し、少量の魔力を込めると、砂の中から50cmくらいのゴーレムが立ち上がる。だけどそこらの乾燥した砂で作ったためか、もしくは込めた魔力が少なすぎたせいか少し動くとすぐに崩れてしまった。
上級ジョブにはゴーレムを作って操れる【機甲士】というジョブがあり、画面に映っている鋼鉄の巨人――今は壊れてしまっているけど――もそのスキルによって作り出されたものだという。
私の知っている限りでは、よほどの適性がないと上級ジョブには就けないし、就けたとしても1種類のジョブのみだと思っていたのだけど、華乃ちゃんは複数の上級ジョブを渡り歩いている。聞けばステータスとレベルさえあれば自由にジョブチェンジできるそうだ。そんなことが本当に可能ならスキル枠の自由度が大幅に増すことになるけど……
そして驚くべき【機甲士】というジョブ。経験を積み重ねていくと、なんとダンジョン内に拠点を作れるスキルまで修得できるらしい。それを使って華乃ちゃんは快適な場所に別荘を作るのだと意気込んでいるけど……スキルってそういうものだっけ。
もしかしたら今日という日は、これまで常識と思っていたダンジョン知識を手放す絶好の機会なのかもしれない。そうやって混乱しかけた思考をどうにか落ち着かせていると、アーサー君が「新たな局面に入ったよ」と画面を指を差して教えてくれる。
見れば問題の大技、《防御結界》を発動するところだった。闘技場内が淡い光に照らされてキラキラと羽のようなものが舞い、同時に赤黒い靄がソウタにまとわりついている。あれが月嶋君の奥の手らしい。そのスキルをまじまじと見ていた華乃ちゃんは、コテリと首を傾げる。
「これが《防御結界》かぁ……へぇ~……ふーん。想像してたよりは強そうに見えないけど、とにかくこれでアーサー君の出番というわけだねっ!」
「よっし、そんじゃいっちょブチかましてやるか! 華乃ちゃん、皐ちゃん、ボクのカッコ良いところを、よ~く見ててね!」
満面の笑みを向けるアーサー君は鼻歌を口ずさみながら砂地の上に歩いていくと、ふわりと浮かんで上空10mくらいの位置で停止する。すると周囲の空気が歪むほどの莫大な魔力を練り始めた。大地が振動し、遠くにいたアンデッドさえも動きを止めて警戒するように姿勢を低くしている。
今から行うのは以前、この亡者の宴で“ブラッディ・バロン”を数十体まとめて葬った、とんでもない火力の《メテオ・ストライク》という大魔法だ。
リサが合図をしたらソウタの真上に繋がるゲートを作り、そこに大魔法を叩き込むという作戦である。その方法であればダンジョン外に出られないアーサー君でも外界に影響力を行使できるらしい。
画面内には自信に満ち溢れた月嶋君が映っている。《防御結界》の堅牢さも、ソウタに勝利することも何一つ疑っていないのだろう。背後にアーサー君の大火力魔法が控えているとも知らずに。
(月嶋君は、ソウタの執念と覚悟を根本的に見誤っているんだね)
そもそもソウタは最初から1:1で正々堂々と戦おうなどと考えてはいない。ダンジョンの知識量や戦闘センスは異常なほど高いので、きっとまともに戦っても勝てるとは思う。それでもあらゆる攻撃パターンを想定し、勝つための算段を数えきれないほど計算し、でき得る限りの助力を求め、絶対に負けないように万全の準備をしてこの決闘に挑んでいる。
だからソウタが負けることなど微塵もないと私は考えているし、兄思いの華乃ちゃんが安心して見ていられるのも、それを知っているからだろう。
ただそれでも懸念点はある。1つは魔法を撃つ場所が闘技場内だということ。闘技場1番は日本が世界に誇る頑丈さが自慢の建物だけど、あの大魔法にはまず耐えられないし、きっと使い物にならなくなる。その後始末は……今は目を逸らすしかない。
そしてもう1つは、月嶋君を死なせてしまう可能性だ。決闘を企んだ動機を聞き出して今後の行動指針にする必要がある――とリサが力説したので、死なせないことはすでに決まっている。だけど《防御結界》を打ち破った上で月嶋君を殺さないようにするには絶妙なコントロールが要求される。あの大魔法にそんな繊細なコントロールなんてできるのだろうか。
上手くいきますようにと小さく手を組んで祈っていると、画面にリサの手が大きく映って月嶋君を2回指差すのが見えた。GOサインが出たのだ。
「今、リサから合図が来たよっ!」
「いっけー! やっちゃえー!」
空に浮かぶアーサー君の左側には、等身大ほどの巨大で複雑な魔法陣が描かれており、バチバチと魔力が溢れ出ている。いつでも発動できる状態だ。私の声が届くと一度頷き、開いた右手を前に突き出して紫色の光を生み出した。あの先はソウタ達のいる闘技場だろう。
「ボクからの、ど~っきどきのお土産だよ! 熱い思いをプレゼントだぁああ!! 《メテオ・ストライク》!!」
信じられないほどの濃密な魔力が目もくらむような眩しい閃光となって解き放たれ、次々にゲートに向かって吸い込まれていく。
時を同じくしてスクルドの《防御結界》により淡い光に染め上げられていたモニターの画面は、一瞬にしてアーサー君の魔力色に塗り替えられていった。
*・・*・・*・・*・・*・・*
――早瀬カヲル視点――
生徒会長と共に観客席に戻り、信じられないような戦闘を目にして唖然とする。全く理解が追いつかない。それは私だけでなく、隣に座っている人達も同じようだ。
「何じゃありゃあ……妖怪大戦争か!? あいつら何者なんだ。おいっ、さっさと知ってることを話しやがれっ!」
「隠匿スキルのオンパレード……実に興味深いねェ。空を飛ぶとこうも戦術が変わるとは。それにあの仮面の御人、剣の腕も達人の域だョ。ボクも是非とも説明を聞きたいねェ」
筋肉隆々で小さな顎髭を付けたこの人は、確か第一剣術部の部長だったはず。怒っているような、もしかしたら喜んでいるのかもしれない不思議な顔をして周防君に向けて怒鳴っている。その隣に座っている長身の人も風格からして明らかに只者ではないので、同じ八龍だろう。仮面の男との戦いが始まると、この二人が事情を説明しろと走ってきたのだ。
少し離れたところには長い赤髪を後ろで束ねた第一魔術部の部長も座っている。無機質な目は闘技場に向けてはいるものの、こちらに耳を澄ませて様子を窺っているのが何となく分かる。
この戦いは八龍の目から見てもやっぱり異常なのだ。私もダンジョン最前線を争う攻略クランの戦闘は何度か動画で見たことがあるけれど、もっと常識の範囲内だった。世界には日本よりもダンジョン攻略がずっと進んだ国もあるというし、もしかしたら仮面の男も月嶋君も海外出身の冒険者なのかもしれない。それにしても――
(……なんて、美しいの)
注目すべきは仮面の男の剣。酷く合理的かつ自由で、今まで見たこともないほどに鋭く、美しかった。実際にはあまりに速すぎて全部を目で追えたわけではないし剣を振るった時間も僅かでしかないけれど、斬撃の軌跡、立体的な立ち回り、一瞬の戦術眼、その全てが私の理想を超えたものだった。まさに達人。先ほどから心臓の高鳴りが止まらない。あのように戦えたのならどんなに幸せだろうか。
だからこそあの人の情報を知っているのなら私も是非聞きたいと思っている。八龍二人に問い詰められている周防君が何を話すのかこっそりと耳を傾けてみれば、落ち着きを払った静かな声で答えていた。
「私もあの仮面の男が何者なのか知りませんし、見知らぬスキルが多くて私も少しばかり驚いています……が、先ほど説明した通り、拓哉さんには奥の手があり勝利が揺らぐことは微塵もありません。正体については仮面の男を倒した後にゆっくりと取り調べれば済む話でしょう」
「確かにそりゃそうだが――あれがその奥の手ってやつかぁ?」
仮面の男と月嶋君がしばし向かい合って何かを話していたかと思えば、スクルドが両腕を広げ、真上に向かって透き通るような声を紡ぐ。直後、ぞくっとするほどの魔力が広がる。
〖強固なる正義の力をここに示そう、邪悪なる者に無慈悲なる無を――《防御結界》!〗
闘技場全体に優しい光が満たされる。どこからともなく真っ白い羽のようなものが大量に舞い始め、安堵にも似た感覚に陥る。通常、他人の魔力は不快に思うか威圧にしかならないものだけど、これほど濃密な魔力に包まれているのに心地よく感じるのは明らかに異常事態だ。
一方で、仮面の男には黒い靄のようなものが纏わりついている。あれにはとても不気味で嫌な気配がする。防御スキルというけれど、金色の光と同じで呪いの類なのかもしれない。
近くで立ちながら見ている生徒会長も非常に厳しい眼差しになっている。
この戦いが始まる前、彼は絶対に仮面の男が勝つと言っていた。もちろん私から見ても仮面の男の実力は申し分ない。それどころか世界屈指の攻略クランメンバーだと言われても疑いはしない。だけど、全てを無効化するという異常な力の前に何ができるのだろうか。
(もしものときは私が……間に入らなくては)
今あの中に入っていくには、先ほど入ったときよりも何倍も勇気がいるだろう。震えそうになる手を強く握って押さえつけ、弱い心を叱咤しながら仮面の男の様子を窺うものの、あの呪いを受けても一向に動じていないように見える。
彼ほどの実力者なら、スクルドのスキルがどれほど強力なものなのか推測できてもおかしくないのに。もしかして打つ手が無く諦めたという線も……
そんな焦るような思いで見ていると、仮面の男はゆっくりと腕を上げて真上を指差す。その方向を目で追うと、天井付近に怪しく紫色に光る小さな光球が出現しているではないか。それはすぐに1mほどの大きさまで拡大する。
あれに何の効果があるのだろうか。近くで第一魔術部の部長が息を呑む声が聞こえたけど、何なのか知っているのなら教えてほしい。
『……月嶋。お前が何をしたいのか。何を狙っているのかを聞きたかったが、今はいい。まずはその自信を打ち砕き、勘違いを正してやる』
「何をほざいて……何だあれは……《ゲート》か?」
〖はっ! マスターすぐに避難をっ! 《プロテクション》!!〗
肥大化した紫色の光球はしばらく見ていても変化はなく、そのまま会話が続くものかと思っていたところ、スクルドが慌てたように前に出て障壁のようなものを生み出した。その直後、間近に太陽が出現したのかというくらいの強烈な光が出現する。
『――喰らいやがれェェ! 《メテオ・ストライク》!!』
雷鳴のようなつんざく音と共に、光が一瞬で地面に着弾。ミスリル合金でできた頑丈なはずの床が抉れるように捲れ上がるのが一瞬だけ見えた。
光は連続して怒涛のように降ってくる。そのあまりのエネルギーと爆発音に感覚が麻痺してしまい、何が起こったのかを理解する前に意識が途切れそうになる。
「早瀬さん、こっちよっ!」
驚きと恐怖で縮こまっていると何者かが手を引っ張ってきた。混乱しつつも連れていかれた先では暴風と爆音が幾分か和らいでいたので、やっとのことで目を開けて状況確認ができるようになる。
「なっ……んなんですか、あれは! くぅっ!」
目の前では第一魔術部の部長が赤い髪を激しく靡かせながら数m大の障壁を張っており、両手で支えるように立っていた。この障壁のおかげでこの場所は守られていたのだ。また私の右手は今も新田さんが握っており、ここまで手を引いて連れてきてくれてたのは彼女だと分かる。
後から周防君や八龍、第一剣術部の部員達が滑り込むように彼女の後ろへ避難してきた。
「持ってきた魔導具でエネルギーゲージを調べたら“レベル38”の数値を差し示しているんだけど、誰か今起きてることを説明できるかい!?」
「なんつった宝来! しかしこりゃとんでもねぇな!」
「頑張ってくださいまし、一色様! 障壁を張れるのは貴女しかおりませんの!」
「ぐっ……ぅ……ですが楠さん、これは強烈……長くは持ちません!」
八龍の皆も現状把握が上手くできていないようだけど、それも当然。闘技場内は強烈な光に包まれていて何も見えず、その上、爆風と爆音で何が起きているのかすら分からない。建材やタイルだった物、瓦礫が障壁に勢いよく叩きつけられており、これでは身動きも取れない。
どれくらい経っただろうか。
先ほどまでとは打って変わり、今は静まり返っている。混乱し怯えながら耐えていたので体感時間としては長かったものの、実際には1分も経っていなかったかもしれない。
障壁の前にできた瓦礫の山から少しだけ頭を出して周囲を探ろうとするけれど、塵や埃が舞っているせいで何も見えない。しかし風が吹いているせいか、砂塵も次第に晴れていく。最初に見えてきたのは――闘技場であったものだ。
こちら側以外の壁や観客席はほぼ崩壊しており、天井などは完全に吹き飛んで青空が見えている。あんな非常識な攻撃は想定して作られていないので、頑丈な闘技場が半壊したとしても納得できる。それよりも――
(月嶋君は……生きているの……?)
彼がいたであろう場所はまだ砂塵が立ち込めていてよく見えない。それでもミスリル合金でできた床が建物の基礎ごと破壊され、大きなクレーターがいくつも出来上がっているのは所々で見て取れる。これではさすがに……
壊滅的と言っていい状況を八龍や周防君と共に息を呑んで見ていると、最後に残っていた砂煙も風に吹かれて晴れていく。そこではちょうどスクルドが光の粒となって消滅していくところだった。
月嶋君は……いた。服は焼け焦げ、口から大量の血を吐いて蹲っている。左腕は根元から無くなっており、半死半生の状態だ。
あれほどの攻撃を受けてもなお、体が残っているだけでも驚きなのに生き残っていたというのは……スクルドの力はやはり並大抵ではなかったということだろう。もしくは魔法の火力をギリギリまで調節した可能性もあるけど、それは考えづらい。
とにかくこのまま放置していたら間違いなく彼は死ぬ。急いで【プリースト】の先生を探そうとすると、いつの間にか仮面の男が月嶋君の背後に立ち、剣を振り上げている姿が見えた。
『月嶋、やはりお前には死んでもらう』
「……かはっ……はぁ……はぁ」
仮面の男の魔力に殺気が乗る。抵抗できない月嶋君の首元に剣を振り下ろそうとしたので私が声を上げて制止しようとする――その前に、巨大な剣を持った女生徒がその剣を受け止めた。かなりの力がかかっていたのか砂埃が放射状に舞い上がり、鈍い金属音が大きく鳴り響いた。
新田さんだ。さっきまで隣にいたのに。
「決着はついたわ。月嶋君がどうしてこんな行動にでたのか、言い分を聞いてあげて欲しいの」