127 序曲
―― 早瀬カヲル視点 ――
時間ギリギリになってしまったので足早に闘技場1番へ向かう。観客席には大勢の見物人がいるかと思って身構えていたのだけど、到着して中に入ってみれば席に座っているのは十名にも満たず、非常に静まり返っていた。
ただし座っている人物達は風貌や存在感が別格。恐らく八龍を率いるリーダー達だろう。《オーラ》も発していないというのに見られただけでその迫力に気後れしてしまい、ろくに目も向けられない。
そんな視線を受けても周防君は涼しい笑みを浮かべて平然と歩いていく。
「それでは利沙さん、カヲルさん。我らは上の席へ参りましょうか」
「そうね~早瀬さんも行きましょう。見学するだけして答えは保留してもいいのよ~?」
「……え、ええ。そうね」
本当はこんな場所から一刻も早く離れたい。けれどそうもいかない。平常心を取り戻すように大きく息を吸い、姿勢を正して周防君についていく。
月嶋君は私に“強さ”をくれると言った。そのためには彼が率いるパーティーに参加するということが条件。もし仮に加入したのなら機密情報を使ってパワーレベリングを行い、たちまちレベルが上がって強力なスキルをいくつも得られると誘ってくる。
隣に腰を掛けた周防君はレベル20を超えた実力者で、新田さんにいたっては月嶋君と同じく“神の力”の持ち主。パーティーへの誘い文句は決して嘘でも誇張でもないことは分かる。
確かに私は日々強くありたいと願っている。夢でうなされるほどに、喉から手が出るほどに強さを欲している。だけど月嶋君の言う“強さ”と、私の望む“強さ”の定義や意味が大きくかけ離れていることは問題だ。私が追い求めて焦がれる強さとは単に戦闘能力が高いことだけを意味するのではない。
強き冒険者は弱き者を導き、人々の希望の光であろうとする気高き心を併せ持たねばならない。大きな力を行使するときは正しく愛あるものでなければならない。
それが一流冒険者であった亡き母の理念であり、遺言であり、私の信念だ。冒険者を目指すのも、この学校で這いつくばってしがみついているのも全てはその高みに到達したいがため。
だけど、スクルドが使った金色の光は何もかもが違った。
試しに周防君、新田さん、私の3人で“呪い”となった金色の光を受けてみたのだけど、浴びた瞬間にあまりの恐怖で視界が暗転し、その場にへたり込んでしまった。気の遠くなるほどの長い苦痛体験であったと思っていたのに、わずか数秒の間だけだったと聞いて私は震えが止まらなかった。
体験して分かった。あれは人を根底から支配し屈服させることに特化した力だ。そこに私の目指す強さなど欠片もない。月嶋君はスクルドの力を悪用して何をしようとしているのか。冒険者学校を恐怖で支配し、その先に描くものとは何なのか。
それに隣に座っている二人の考えも気になる。
周防君の場合は月嶋君の知識と力に心酔しているようだし、より強大な力を求めて手を組んだというなら一応理解はできる。でも新田さんはどうにもそこがぼやけているように思える。それなら直接聞いてみるとしよう。
「……新田さん。あなたも神の力を持っているというのに、どうして月嶋君と……いいえ。どうして標的の人物から乗り換えたのか聞いてもいいかしら」
これまでの話を聞いてみれば標的の人物は同じ神の力を持ち、新田さんも認めるほどに強いとのこと。にもかかわらず表舞台には立っていない……少なくとも私は認知できていない。このことから月嶋君のように力を是として周囲を動かそうとするタイプではなく、影に徹し慎重に動くタイプだと推測できる。
一方の新田さんは頭の回転が速いし、周りをよく見て計算し、静かに動くタイプに思える。それなのにどうして力で学校を支配しようとする月嶋君についていこうとしているのか。標的の人物のほうが考え方や行動理念が合っているのではないか。月嶋君と同じく暴れたいというのは取って付けたような理由にしか聞こえないのだ。
その真相を聞こうと新田さんの目を見て問いかける。するといたずらっぽく微笑んで小声で答えくれた。
「ん~別にまだ乗り換えたわけではないわよ~? 強いて言うなら……勝った方につくつもり。あ、月嶋君には内緒ね♪」
「ははっ利沙さん。それはつまり拓弥さんに付くことと同義ではないですか。内緒にする意味などない気がしますが」
「……ふふっ。この程度の相手に負けていては……――の名折れよね~。良い戦いになると面白いのだけど難しそうかな~」
いまいち要領を得ない答えだったけど、両者の実力を知っている新田さんは月嶋君が圧倒的に勝利すると踏んでいるようだ。本当に実力だけで選ぶつもりなのだろうか。
(やっぱり私がこの戦いを見届け、酷いことにならないよう止めに入らなきゃ……でも)
はたして無力な私に止められるものなのか。どう説得すればいいのか。そんな勇気があるのか、などと思考の海に沈みそうになったところで、ついに決闘が始まってしまった。
新たな召喚魔法イグニスを使って第一剣術部・副部長を圧倒した月嶋君。今は生徒会長と格闘戦を繰り広げている。
風を切り裂きながら目まぐるしく攻防が入れ替わり、巨大な魔力と気力がぶつかり合う。一撃を繰り出すごとに空気が弾け、座っているこちらまで低い衝撃音と振動が響いてくる。
はっきりいって冒険者学校の生徒がやる戦いではない。そんなものはとうに超えている。今すぐに一流攻略クランに入っても十分戦力として通用するのではないだろうか。
「あの生徒会長さん強いのねぇ。魔力操作と格闘技術が一級品だわ」
「相良会長は八龍筆頭、この学校の伝説とも言われるお方ですからね。武術のみで正面から倒そうとするなら苦労すると思われます。ですが――」
「スクルドがいるなら問題ないわね~ふふっ」
確かに私が見ても月嶋君が押されているように見える。それは生徒会長のSTRが高いことが原因だと思っていたのだけど、新田さんによれば魔力操作と格闘技術によるものらしい。
そしてついに均衡が崩れた。渾身のスキルを正面から撃ち合ったことにより月嶋君の手首があらぬ方向に折れ曲がる。ボタボタと流血し痛みに一瞬だけ顔を歪めるものの、その表情には随分と余裕がある。隣で話している二人も焦るようなことはなく涼しい顔で話を続けている。それもそのはず、絶対に負けるわけがないという明確な根拠があるからだ。
その根拠であるスクルドはこの戦闘中もダンジョン深層に控えさせており、いつでも空間魔法を使ってこちらに影響を行使することができるようにしている。この場に待機させず何故そんな回りくどいことをしているのかといえば“召喚魔法は同時に一体”までという制約の抜け道を作るためだそうだ。
月嶋君は血の滴る腕を掲げるとどこからともなく金色の光が降り注き、傷がたちまち癒えていく。加えてあらゆるステータスが上昇し、体の奥底から力が湧き上がる全能感に包まれていることだろう。
一方で敵対する者には恐怖の呪いとなって襲い掛かる。直下で浴びてしまえば耐えがたい恐怖により一瞬で心を砕かれて抗うことも不可能。あの生徒会長も全身の自由が奪われ、動くことすらままならないはず――そう思っていたのに。
(どうして……立ち上がれるの……?)
一度は崩れ落ちそうになるものの、歯を食いしばって恐怖の精神攻撃に抗い、拳まで繰り出した生徒会長。カウンターで簡単に返り討ちとなってしまっているけど、実際身をもって体験した私からすれば動けるだけでも凄いと思うのに、あの光の中で攻撃まで仕掛けるだなんて驚天動地の精神力だ。
「すぐにひれ伏すと思っていましたが、さすがは相良会長。しぶといですね。MNDが高いのでしょうか。まぁそれも時間の問題でしょうけど」
「なまじ耐えたところで心の傷が深くなるだけね~。でも八龍トップが屈した姿は学校を支配する象徴的なシーンになるのかな~? ふふっ」
戦いは続いているけど一方的なものになってしまっている。攻撃速度は格闘戦を繰り広げていたときの半分かそれ以下。その反面、バフ効果により力が大幅に増している月嶋君は軽く振り払っただけで生徒会長を壁まで殴り飛ばしていく。
生徒会長は諦めずに何度も攻撃を仕掛けるものの、全て反撃されて殴り飛ばされるせいで眼鏡が歪み血は流れ、服もボロボロ。それでも眼光の鋭さはいささかも衰えていない。あの呪いの光を浴びても立ち向かえる心を持つにはどれほどの修練と思いが必要なのだろうか。
そんな強い人であってもスクルドの力は容赦なく無慈悲に押しつぶす。月嶋君の言うように支配されてしまうのか。それだけは絶対にさせたくない――そう思うと、いても立ってもいられず飛び出してしまっていた。
*・・*・・*・・*・・*・・*
「そこまでよ月嶋君。その力は使ってはいけない」
「……何故、出てきやがった」
こちらを見る彼の目は憤怒に満ちている。時間をかけて計画してきたものを壊そうとしているのだから怒るのも無理はない。
だけど私は月嶋君と敵対するつもりはない。もっとも、私程度ではかすり傷一つ負わせることは不可能だし敵にすらなれないというのが正確なのだけど……でも、私に一度でも好意を寄せてくれたのなら少しは声が届くのではないかと期待したい。
「あなたは強いわ、きっと誰よりも。でも大きな力は正しく使わないといけない。だからその……支配とかそういうのは考え直して立派な冒険者になってほしいの。そうなれるよう一緒に目指しましょう?」
多くの人々の光となって期待を背負い、導くことのできる希望の冒険者。かつての私の母もそうだったし、今でいえば日本最大級の攻略クラン“カラーズ”の田里虎太郎などがいい例だろう。
力ある冒険者は多くの人に希望を与えることができる。その資格がある。月嶋君ほどの力があるのなら、スクルドの力を良い方向に使えばきっとなれるはず。そう思って無理に笑みを作り、手を伸ばすのだけど――
「んなくだらねぇものになるかよ……はぁ。せっかくこの世界の全てを支配する“最強”を見せてやったってのに。ここまで愚かな女とは思わなかったぜ……」
最高の提案をしたつもりだったのだけど、くだらないものと一蹴されてしまい酷く傷ついてしまう。それよりも世界の全てを支配するって一体何を言っているのだろう。真意を探ろうと月嶋君の目を見てみると怒りの色から次第に愉悦の色へと変わっていくのが分かった。
「オレのもとに来ないってなら……カヲル。お前も同様に支配してやろうか。今度はより長い苦痛を味わわせ、その愚かな考えを矯正してやる」
腕を軽く上げたのを合図に、キラキラと優しく降り注いでいた金色の光がだんだんと薄暗くなり、赤と黒が混じった絶望の光へと変わっていく。胸の奥底から冷たい恐怖がじわりと這い上がり、視界が狭まって意識が徐々に遠のいていく。
砕けそうな心を必死につなぎとめようとするけれど次から次へと亀裂が広がって、より深刻なものになり収拾がつかなくなる。とてもじゃないけど耐えきれるものではない。
(ぁ……あぁ、私はなんて弱いの……)
生徒会長はこの絶望の光の中でも強い信念を持って何度も立ち上がった。なのに私はほんの僅かな時間で何も見えなくなり、何も聞こえなくなってしまう。こんな体たらくでは母のような一流冒険者になるなんて夢のまた夢。諦めたほうがいいのだろうか――
――なれるさ。お前なら――
意識が遠のく中、酷く懐かしい声が聞こえた気がした。きつく閉じた瞼をゆっくりと開いてみれば、すぐ目の前にローブを着た細身の男性が立っていた。
存在感が薄く、仮面をしているので素顔も分からない。クラス対抗戦で助っ人に来てくれた少女と雰囲気が似ている。この人が月嶋君の言っていた標的の人物だろうか。その仮面とローブについて詳しく聞いてみたいけれど――今はそれどころではない。
「……に、逃げて……あの人には、勝てないわ」
この決闘は標的を誘い出すために計画されていたもの。背後に隠れているスクルドにいたっては強力無比なスキルを多数持っており、倒すことも不可能。その上、負けてしまえば精神の奥底まで支配され隷属することになる。
そうなればもう誰にも月嶋君を止められなくなってしまう気がする。この人にはここで負けてもらうわけにはいかない。
「クック……逃がさねぇぜ。プレイヤーでもこのスキルが使えるって知ってるか?」
月嶋君は人差し指を軽く上げるような仕草をすると軋むような大きな音が鳴り響き、視界が明滅する。上空から大きな魔力が広がったことからスクルドが何らかのスキルを発動したようだ。
仮面の男は静かに上空を見渡し、何事もなかったように向き直って首をコキリと鳴らす。
「空間はロックした。さて、ここで選ばせてやる。この場で契約魔法を身に刻んで服従を誓うか、徹底的にボコられてから支配させられるか、だ」
『……』
不敵に笑う月嶋君が威圧するように夥しい魔力を放出すると、呼応するように仮面の男も高濃度の魔力を張り付かせ、空気を一段と重くする。
(いけない……戦闘は何としても止めなければ……)
震えて力の出ない体を無理やりに起こし、もう一度「逃げて」と叫ぼうとすると後ろから腕を引っ張ってくる人がいた。生徒会長だ。
「はぁ……大丈夫だ。あの男は絶対に負けない。我々は彼の足を引っ張らないよう下がっていよう」
スクルドの力を知らないからそう言えるのだと反論しようとするけど、髪が乱れ血を滴らせていてもその表情には、仮面の男の勝利を微塵も疑っていないことが窺い知れた。
「ではお前の選択を聞こう……答えろ」
上空から強大な存在が降りてこようとしている。周囲に過密な魔力が溢れ、空気が細かく振動し始めた……スクルドをダンジョンから呼び寄せようとしているのだ。
対して仮面の男の真下には巨大な魔法陣が現れると、山のように武具が湧き上がってきて、あっという間に10m以上積み上がる。あの輝きはミスリル合金製の武具だろうか。それらは意思を持ったようにくっついて合体し、段々と巨大な“人の形”になっていく。
そして声高らかに叫ぶ。
『イッツ……オシオキタイムだぜぇ!!』