123 運命の決闘が始まる、その一方で
『成海か。入れ』
「……失礼します」
生徒会会議室の分厚い扉をコンコンと叩くとすぐに「入れ」との声が聞こえてくる。この部屋の主である生徒会長・相良明実の声だ。入室許可が出たので、いつものように若干縮こまりながら木製の分厚い扉を開く。
どうにも権威とか権力を見せつけるような空間は苦手だ。本来はこんな姿を見られると付け入る隙になるだけなので早々に直すべきなんだろうけど、元の世界でも修正はできなかったので多分無理なのだろう。小心者はつらいぜ。
そんなことを考えながらそろりと中を覗いてみれば、近くで難しい顔をして腕を組んでいる相良と、顎に人差し指を当てて考えごとをしているキララちゃんが立っていた。慌てて一礼をする。
「成海君。あと20分ほどで予定の時刻となりますけど、準備はよろしくて?」
「場所は闘技場1番だ。関係者以外近づかぬよう通達はしてある」
これから月嶋君と第一剣術部・足利の決闘が行われる。できるだけ情報を漏らしたくないので観戦人数を大幅に制限し、それに加えて生徒がこない休日に開催することになった。使う場所は情報機密性の高い闘技場1番。一般の生徒は周辺にも立ち入り禁止の通達を出したとのことで、あれから相良は随分と動いてくれたようだ。
俺は持っていたマジッグバッグから古びた木製の仮面と薄汚れたマント、小瓶を取り出して準備はすぐにできると伝える。
「闘技場にはこれらを被っていきます」
「そっ、それは……」
「魔導具か。それらにはどんな効果があるのか聞いてもいいか」
仮面とローブを見て息を呑むキララちゃん。この2つのアイテムは、くノ一レッドのような暗部クランならいくつか所持していたと思ったが、そんなに驚くことだろうか。
「この仮面は鑑定阻害、ローブには存在感を低下させる効果が付与されてます。それと……この薬は一時的に痩せる薬なんですが、俺は太っているので変装に丁度いいと思いまして」
小瓶に入ったこの薬は、天摩商会が天摩さんのために海外から取り寄せた秘薬だ。舞踏会や貴族同士の集まりにどうしても参加しなければならないとき、天摩さんは必ずこの秘薬を飲んで行く。俺はゲーム知識からそのことを知っていたので交渉して少し分けてもらったのだ。
薬をくれという際に天摩さんを動揺させてしまって凄く後悔したが、その代わりオリハルコンの詳細な精錬・加工法、性能を教えると言うと飛び跳ねるほど喜んでくれたので本当に良かった。アーサーから教えてもらった情報だけでは実際に防具にするために長い時間と費用がかかるのを覚悟していたとのこと。
しかしゲーム知識を使ってプライベートに踏み込むときは極力慎重に動くべきであった。ここは猛省しなければならない点だ。
ということで決闘まで時間がもう間もないので早速薬を飲んでおく。小瓶に入っているのは黄色い液体。口に流し込んでみれば少々甘く、ドロっとしていた。
効果はすぐに表れる。まだ胃に到達していないというのに喉奥の発熱が全身へと伝播し、体が面白いようにどんどんと萎んで引き締まっていく。脂肪でふっくらとしていた腕や腹は筋肉の筋や血管が浮き出て、顎を触ればシャープになった感覚が伝わってくる。ややきつめのズボンを履いてきたつもりだけど、それでも緩いくらいだぜ。
効果時間は約1時間。まぁ十分だろう。
「全くの別人に……いえ。以前、成海君の家にお迎え行ったときはそんな感じだったかしら。でもやっぱり別人に見えますわ」
「加えてこの仮面とローブを着ると……こんな感じですね」
「なんと。注視しなければ焦点が合わないほどか。これはある意味異様であるな」
仮面とローブが破損し素顔を見られても薬の効果で正体がバレないという二段構えだ。これなら月嶋君も俺がブタオだと分かるまい。二人には珍獣を見るかのような目でまじまじと観察されて少々気恥ずかしかったものの、効果は抜群とのお墨付きをもらえたので良しとしよう。
「それでは時間も押しているようですし、参りましょう」
「ふむ。成海、よろしく頼む」
3人で頷くと、部屋を出て無言のまま廊下を移動する。窓から見える空は俺の心情とは真逆で雲一つなく、突き抜けるような青空だ。
(まぁ気負わずにいこうかね)
月嶋君もゲームストーリーを壊すデメリットは重々承知のはずだし、俺が考えているような悪い事態にならないかもしれない。仮に戦闘になったとしても勝てる算段はいくつも用意してきた。気負ったところで結果が良くなるとは思えないし、肩の力を抜いて気楽にいくとしよう。
*・・*・・*・・*・・*・・*
冒険者学校には4つの闘技場がある。その中でも“1番”と言われる闘技場はレベル20以上の上級冒険者同士が戦っても問題ないよう、高い強度と機密性を重視して作られている。
例えば壁や床、天井には純度の高いミスリル合金製のタイルがふんだんに敷き詰められていてウェポンスキルの直撃にも十分に耐えうるし、スキルや戦闘データ、個人情報など貴重な情報が漏れないよう窓は一つもなく、防音、防振などの情報保護魔術が幾重にも仕掛けられている。
これだけの施設を作るとなれば建築費用や維持費も馬鹿にならないが、冒険者育成は国防という意味合いも強く、莫大な税金が投下されるまでそれほど時間はかからなかったという。冒険者学校の生徒としてもこの闘技場1番を使えるということは一種のステータスにもなっている。
その建物の入り口前に着いてみれば、まるで門番かというように剣道着を着た女生徒が腕を組んで仁王立ちしていた。肩から腕にかけて“第一剣術部”と金の刺繍、胸元には小さく家紋が入っている。俺達の姿を見ると僅かに笑みを浮かべ、丁寧に会釈する。
「相良様、楠様、ご機嫌麗しゅうございますか。此度は私が立会人を務めることとなりましたが……そちらの面を付けた方は?」
女生徒はやんわりとした挨拶の後に一転して鋭い目を俺に向けてきた。その立ち姿や微量に漂う魔力からは相応の実力が窺える。すでに仮面とローブを装着しているので顔姿は隠され、気配もかなり薄くなっている。警戒するのも無理はない。
「ボディーガードとして特別に招待した。身元は私が保証しよう」
「……相良様がそうおっしゃるなら。どうぞ中へお入りください」
相良の紹介により警戒を解き、俺にも笑みを浮かべて一礼してくる。このような身なりであってもすぐに通してくれるとは、相良はとんでもなく信頼されているようだ。それならば遠慮なく入らしてもらおう。
(立会人が同じ第一剣術部か)
立会人とは決闘をルールに則って進行させ、判定から勝敗まで取り仕切る審判兼、責任者のことだ。足利のような実力者を取り仕切るとなれば同等以上の実力を求められるのだが、そんな実力者は校内において八龍、またはその幹部しかいない。しかしながら今回の決闘は制裁の意味合いが強いので、わざわざ他の八龍からそんな実力者が出張ってくることはない。
だからこそ同じ所属で実力の近い彼女が立会人となったのだろうが、それだけに第一剣術部の都合の良いように事を進める危険がある。万が一、月嶋君が負けるようなことがあれば間に入らねばならない。
もっとも、八龍の強さを知っているプレイヤーが負けるとは思えないし、負けてくれるなら騒ぎが最小限に押さえられて俺としても助かる。無駄な心配かもしれないな。
闘技場の中に入ると、白く眩しい光に思わず目を細める。
真っ白く塗装されたタイルが床や壁など一面に貼られており、明るいライトにより照り返されているからだ。あれらは全てミスリル合金で作られたタイル。全体をぱっと見た限りでは無機質で何かの実験施設のような冷たい印象を受ける。
相良とキララちゃんは一段高いところにある観客席の方に歩いていったので俺も同じようについていく――と、そこにはすでに招待された何人かが思い思いに座っていた。
「よぉ相良。この決闘は果たして楽しめるもんなのか?」
「私もお聞きしたいと思っていました。月嶋拓弥とは、どういった方なのでしょう」
最初に声をかけてきたのは顎鬚を触りながら怪訝そうな視線を向けてくる筋肉隆々の男。第一剣術部部長の館花左近だ。ゲームのストーリーに登場する頃にはすでに部長職を引退しており、他の高位貴族のように傲慢に振る舞うかと思えば、ときに主人公を鍛えて力になることもあり、気まぐれが服を着たような人物だった。
その隣には赤い髪をふわりとサイドに束ねたローブ姿の女性が、ゆったりと座りながら質問してくる。第一魔術部部長の一色乙葉。柔和な顔立ちをしているので気を許しそうになるが、ゲームでは多くのルートで主人公の前に立ちはだかる要注意人物でもあった。貴族と対立することなどがあれば真っ先に最前線に出てくる好戦的な性格の持ち主なので、決して正体がバレぬよう気を付けなければならない。
相良は近くの席に腰を掛けると背筋を伸ばして腕を組み、大声ではないが意外にも響く声で返答する。
「私はルールに沿って行われるかを見に来ただけだ。詳しい情報は把握していない」
「……ちっ。相良が推そうとしていた1年じゃねーのか。ならやっぱり期待できねぇな。足利は中学時代から俺がみっちりと鍛えた後輩だ。経験の浅いEクラスのガキにやられるわけがねぇ」
「ですけど、お相手はその足利様を倒すと宣言したそうじゃないですか。そんな楽しみな方がいらっしゃるなんて、どうしてもっと早く教えてくださらなかったのですか」
八龍同士の会話に割って入ってきたのは、次期生徒会長――になる予定――の世良桔梗。すみれ色の瞳と長い銀髪が白いライトに照らされて光り輝いている。まるで女神のような神々しい美しさだぜ。
彼女の話によれば招待状は数日前に届いていたのだけど詳細は全く聞かされておらず、単なるEクラスへの見せしめと思っていたとのこと。昨晩、足利に断りのメールを入れたら「相手の1年は私を倒すと豪語していました」とか「相良様が気になっている人物かもしれませんよ」などと言われ、気になって夜も眠れなくなったそうな。もっと早く知っていれば“眼”を使って未来を視ていたのにと頬を膨らませる。
心の中で彼女に教えるのが遅い足利を叱咤していると、横からモジャモジャの髪の男が割り込んできた。
「ボクも調べてみたけど、面白い情報は何もでてこなかったョ。八龍全員に招待状を送るくらいだから何かあると思ったんだけどねェ……ところで、楠クンの隣に立っている仮面の御仁は誰なんだィ? やけに気配が薄いけど」
そう言い終えると俺に蛇のような鋭い目を向けてくる。この男は見覚えがないな。2mはあろうかという長身で、こんな独特な話し方をするならゲームに登場すれば忘れるはずないのだが。
相良や館花のように現時点で三年生の八龍は、ほとんどが代替わりしてしまうためダンエクのゲームストーリーには登場しない場合がある。恐らくこの人もそのパターンなのだろうが……さて。普通に自己紹介なんてできるわけがないし、どう答えたものか。
何かカッコいい名前がないかと考えていると、キララちゃんが黒い扇子を優雅に取り出し、間に入って答えてくれる。
「こちらの方は相良様が招待した賓客ですの。此度の決闘で予期せぬことが起こった場合にヘルプとして入ってもらうよう、お呼びしたと聞いております」
「その通りだ。だが正体は明かせん」
「……つまり、俺等が手に負えない状況でも何とかできるってことかよ。相良家の息がかかっていなかったら、この場で決闘を申し込みたいところだぜ」
そんなギラついた目で俺を見るのはやめていただきたい。館花本人はもちろん、八龍とその周りにはどうにも血気盛んなのが多くて困る。まぁ強くなればなるほど本気で戦える相手もいなくなるというジレンマがあるのだろうけど。
キララちゃんが隣へ座るよう手招きをしてくるが、八龍の座る特別席に庶民が座るのは憚られるので隣に立って見ることにした。
時計を見れば決闘の開始時刻までもう1分もない。皆考えることがあるようで会話は無く、闘技場は静まり返っている。八龍はまだ5人しか来ていないけど、これ以上は集まらないのだろうか。
そして開始時刻となったとき、入り口の方からガチャガチャと金属音が響いてきた。ヘルムを手に携え、全身を金属防具で固めた第一剣術部・副部長の足利だ。そのまま闘技場の中央付近に立つと仰々しく頭を下げて挨拶を始める。
「この度はご足労いただき、ありがとうございます。どうぞ最後までお付き合いください」
肩から首元までしっかりとガードできる大きな肩当て。鎧下にはしっかりとチェインメールを着こんでおり、腰には業物らしき装飾のついた大きな長刀が目に付く。思っていたよりも重装備だ。相手がEクラスの生徒であっても本気で戦うことを想定しているのが見て取れる。
そこへ先ほどから不信感を募らせていた館花が苛立ったように声を上げる。
「足利。月嶋って奴ぁちょっとはできるんだろうなぁ。それ以前に逃げずに来るのか疑わしいぞ」
「館花部長。仰る通りそこは私も少々懸念していましたが――来たようですよ」
足利が話している最中に入り口の扉を蹴飛ばす音が聞こえてきた。皆の視線がその方向へ一斉に動き、鋭くなる。
入ってきたのは制服のポケットに手を突っ込みながら歩く月嶋君だ。いつものダルそうな目つきではなく、瞳を爛々と輝かせて不敵な笑みを浮かべている。まるでこの日を待ち望んでいたかのようだ。それよりも気になるのは脇に控えて歩く人物達だ。
右隣にはセミロングで大きな眼鏡をかけた女生徒――リサが歩いている。同じプレイヤーとして今回の決闘に招待されており、情報収集という目的で参加すると事前に報告を受けていた。なのでリサがいることは予定通りだ。とはいえさすがにこの中を歩くのは気が引けているのか、若干ひきつった笑みになっている気がする。
そして左隣を歩くのは刀を腰に差した長髪の男――周防皇紀。高位貴族であり1年Bクラスを率いるクラスリーダーでもある。非凡な才能と能力を誇り、プレイヤーに立ちはだかるボスとして登場する……はずだったのだが、もしかしてあいつを傘下に取り込んだのだろうか。
赤城君と刈谷の決闘を通じ、その背後にいた周防と情報のやり取りをしていたことは知っていた。会うときも必ず人目に付かない密室であったともリサから聞いていたけど、こうして人前で一緒に歩くということはもう関係性を隠す必要がないということだろうか。
そして問題は、一番後ろ――
(参ったな。招待に応じていたとは……)
長いサイドテールを揺らして歩くのは、カヲルだ。月嶋君が招待していたであろうことは想定していたが、この決闘は貴族が集まる中で行われる。そこに飛び込む危険性は重々承知してるはずなのにどうしてその誘いに応じたのか。
しかしこれで仮面を外すわけにはいかなくなった。カヲルは痩せた俺の姿を知っているからだ。気を付けなければ。
足利は月嶋君の後ろにいる部外者に怪訝な目を向けた後、何事も無かったかのようにゆっくりと手を叩いて歓迎の拍手をする。
「よくぞ逃げずに来ました。覚悟はできているということでしょうか」
「くっくっ。お前なんざどうでもいいんだが……まぁいい。これを機に恐怖を存分に知らしめてやるよ。皇紀、利沙、カヲル。今日は晴れ舞台だ。オレについてくる価値があるのかどうか、その目で直に見極めろ」
圧をかけようとする足利をスルーして後ろに振り返り、自身を見極めろと言う月嶋君。恐らく俺とサツキのような共闘関係を結びたいのだろう。ソロでのダイブはレベル20前後が限界であり本格的にダンジョン攻略を考えるならパーティーを組まざるを得ない。そのパーティーメンバー候補として選んだのがあの3人というわけだ。才能や素質という面で一流どころを揃えたのだろうが、あのメンバー選びはどうなのか。色々な意味で複雑な心境になってしまう。
「ええ拓哉さん、是非ともそうさせていただきましょう。それでは利沙さん、カヲルさん。我らは上の席へ参りましょうか」
「そうね~早瀬さんも行きましょう。見学するだけして答えは保留してもいいのよ~?」
「……え、ええ。そうね」
そういって3人は八龍の座る席よりやや離れて座る。館花は何かを聞きたいのかカヲル達の方を見て立ち上がるが、小さいものの、よく通る声によって動きを止める。見れば瞳を真っ赤に光らせた世良さんが、ふらつくように立っていた。
「……見えません。何も見えません……でも、どうしてでしょう……」
「ぁん?」
彼女の固有スキル、魔眼《天眼通》を使用しているのだ。その目で見た対象の未来と可能性を覗くことができるというスキルだが「見えない」とはどういう意味か。
「未来が不確定? この力が及ばない? そのようなことは過去に一度もありませんでした。もしかして貴方様こそが……わたくしの勇者様なのでしょうか」
両手で胸を押さえ、どこか熱に浮かされたような表情で月嶋君を見つめる世良さん。彼女の言う「勇者様」とは、ゲーム主人公、つまり赤城君とピンクちゃんだけが就くことのできるユニークジョブ【勇者】に起因することだったはず。
幼少の頃に曾祖母である【聖女】から予言を受けて以来、【勇者】と共に旅し、巨悪に立ち向かう日を心待ちにしていた、という設定は知っている。赤城君がストーリーを進めていくと、世良さんは勇者様と言って慕って付いてくるようになるのだ。だけど何故に月嶋君がその勇者様なのか。プレイヤーでは就くことができないジョブだというのに……
闘技場の中央に立つ月嶋君も不敵な笑みで世良さんの問いに答える。
「世良か。お前も仲間に加えてやってもいいぜ。オレがどの程度の器なのか。その目でしかと見ておけよ」
「……はい。わたくしの勇者様」
目を潤ませ打ち震えながら頷いているけど、ちょっと待って欲しい。こうなると世良さんの個別ストーリーはどうなるんだ? というか、プレイヤーでもその勇者様になれるのなら真っ先に立候補したかったのだけど。
今後の冒険者学校を左右する大事な決闘が始まろうとしている。その一方で、俺の淡い恋心がひっそりと砕け散ろうとしていた。