118 致命的で不可避な攻撃
「どうぞ、相良様。成海君。熱いのでお気をつけて」
大きな出窓から明るい西日が降り注ぐシーフ研究部部長室。雲母ちゃんが香ばしいほうじ茶が入ったカップを静かに並べてくれる。俺が今まで飲んでいたものとは随分と香りの強さが違うけど、こういったもののほうが高級なんだろうか。
「そういえば成海。お前からも話があると聞いているが」
眼鏡の向こうから幾分和らいだ視線を俺に向けてくる現・生徒会長の相良明実。最初はプライドが高く気難しい厄介貴族のように思えたが、話してみれば庶民を差別することはなく、学校や国を思って憂い行動する好感の持てる青年だった。
そんな人物なら俺の頼みも真摯に聞いてくれるのではないかと、つい期待をしてしまう。
「……はい。今朝に剣術部と揉め事があり、ご相談したいことが」
「もしかして第一剣術部からの招待状のことかしら。Eクラスの生徒と決闘をすると連絡がきておりますけど」
そう言ってキララちゃんもゆっくりと正面のソファーに腰を下ろし、熱々の茶が入ったカップを手に取る。やはり全部の八龍に知らせていたか。足利は大々的に衆目を集め、その前で痛めつけてやると宣言していたしな。
なら話は早い。できればその決闘自体を無かったことにして欲しい、と率直に言ってみたものの、それはできないとキララちゃんが小さく首を振って否定する。
「第一剣術部から正式な手続きが踏まれましたので今さら無しにはできませんわ。でも、お相手の生徒も了承したと聞いておりますけど」
「残念だが私でも止めることはできない。しかし公式の決闘であるからには命までは取られないので安心しろ」
冒険者学校では正規のルールに則った場合のみ、決闘が認められている。不殺であることや【プリースト】の先生を待機させること、会場に闘技場を使うことなどが前提だ。以前に赤城君と刈谷が戦ったときも名目上は公式の決闘だったので、これらのルールが適用されていた。
学校が決闘を許可しているのは、生徒に対人戦の経験を積ませつつ戦闘意識を高める狙いがあってのことらしいが、実際そうなっているかと言えば実に疑わしい。というのも、ゲームでは弱い者いじめを正々堂々と行う手段として使われていたからだ。今回の決闘も見せしめとして決闘システムを利用されたことは明白。
俺としてはこの決闘で月嶋君が素直にやられるならそれでいいと思っている。あれだけ大暴れした上に貴族集団である第一剣術部と足利を挑発した彼にも責任の一端はあるわけで、自己責任の範疇と言えるからだ。不殺ルールで【プリースト】の先生も付いていることだし、痛みは勉強代として我慢してもらいたい。
だけど恐らく、そうはならないだろう。
「足利さんはやられますよ。それも一方的に」
「……なにっ」
「どういうことですの? それほどまでにレベルが高いということかしら」
相良とキララちゃんの目が驚きにより大きく開かれる。急いで腕端末で月嶋君のデータを呼び出して閲覧するが、そこでまた首をかしげることになる。
「1年Eクラス、月嶋拓弥……【ニュービー】、レベル4。成海の言う通りなら、このデータは信用できないということか」
「ですけど、足利様だけならともかく第一剣術部まで纏めて相手にするとなれば……現実的ではないほどにレベルが必要となってしまいますわ。それこそ大規模攻略クランの幹部と同等くらいに」
「月嶋君のレベルは、足利さんとそう変わらないと思います」
第一剣術部・副部長である足利のレベルはデータベース上では“21”と表示されている。もしその足利を余裕もって倒すならレベル25程度、さらに第一剣術部全員を相手にするならレベル30近く必要になってしまう。
では月嶋君がそこまでレベルを上げられているかといえば、そうは思えない。
召喚モンスターを呼び出し、ソロで突っ込ませてレベル上げしていると仮定すると、そんなことが通用するのはせいぜいレベル20前後まで。それはゲーム知識のある冒険者でも変わらない。複数人なら“ミミズ狩り”や“モグラ叩き”など美味しい狩場はあるが、ソロでは戦闘が長引きやすい上に事故率も高く、効率が著しく悪くなる。俺やリサが知っている知識を元に考えるなら、そこに例外はない。
なので月嶋君の推定レベルは高くても20前後と考えていいだろう。にもかかわらず足利や第一剣術部に勝利できる確信があるというのなら、レベル以外の理由が必ずあることになる。
例えば、最上級ジョブのスキル。どれも強大な効果を有しており、大幅に戦闘能力を引き上げられるプレイヤーの特権だ。俺もそれらのスキルをなりふり構わず使用すれば、第一剣術部の部員全員が相手でも壊滅させることは可能だろう。同様に月嶋君もゲーム時代のプレイヤースキルを使って本気で戦うなら勝てる可能性は十分にあると言える。
一方で、最上級ジョブのスキル使用はレベル20程度の体には負担が大きすぎるため、相手の出方次第では体力やMPが枯渇し敗北することだってありえる。それ以前に大勢が見ている前でプレイヤースキルを多用すれば情報流出が深刻だし弱点も露見しかねず、対策を打たれて身を滅ぼしかねない。
それらを総合的に鑑みれば、ゲーム時代のプレイヤースキル使用を前提にゴリ押す作戦なら、考えが甘いと言わざるを得ない。月嶋君がその程度の男なら俺も楽で良いのだが……やろうとしているのはこういったベクトルのものではない気がする。何だか胸騒ぎがするのだ。
「月嶋の勝つ根拠がレベル差でないというのなら、戦闘経験……いや、隠匿スキルの使用か?」
「お言葉ですが、隠匿スキルを使用したとしても、あの足利様が“一方的にやられる”ものでしょうか」
足利の剣術の腕はこの冒険者学校でも屈指。次期八龍候補というのも伊達ではなく、レベル差がないのならそう簡単にやられるものではないとキララちゃんが言う。普通に考えればそうだろう。
だが俺達プレイヤーは、対処法を知らなければ致命的で不可避な攻撃が存在することを知っている。
例えば即死魔法。時間操作。精神操作。これらの系統に属するスキルは耐性や対策アイテムが無ければ一瞬で勝負を決定づけられてしまう超危険なものだ。即死は言わずもがな、時間を止められれば無防備状態で認知できない攻撃を受けてしまうし、魅了や思考誘導など精神に介入されれば体を乗っ取られたりMPがいきなり0になってしまう。
これらのスキルはダンエクの上級プレイヤーなら誰しもが対策していたので大して怖いスキルではなかった。だけどこの世界においては1つも報告されておらず、扱える人間どころか対処できる人間もほとんどいないと思われる。
仮に月嶋君がこれらのスキルを使用したなら――さすがに即死魔法は使わないと思うが――自身の強さや情報を隠したままでも、第一剣術部を壊滅させることくらいわけがなくなってしまう。その圧倒する姿を見せつければ他の八龍の脳裏に強い恐怖として刻まれ、屈服させることも可能かもしれない。当然そうなれば、ゲームストーリーは成り立たなくなって崩壊してしまう。
俺はゲームストーリーを脅かす月嶋君が不思議で仕方がない。以前の決闘でも刈谷に赤城君対策を教えて足を引っ張っていたけど、ゲームストーリーの崩壊が怖くないのだろうか。数多のバッドエンドや大惨事は自力で乗り切れると思っていそうだが、その後の収拾はどうつけるつもりなのか。それ以前に未来知識チートという大きな武器を捨ててまで何を得ようとしているのか。
まぁ、とはいえだ。それらのスキル使用は最悪のパターンに過ぎない。こんな非人道的なものを本当に使うのかは疑問だし、使ったところで八龍はそう簡単に屈しなどしないだろう。もっともその場合、Eクラスは本格的に八龍と争うルートに入ってしまうわけだが……
「なるほど。成海の様子を見る限り、月嶋は相当な切り札を持っているということだけは分かった」
「俺も月嶋君の能力を知っているわけではないので推測なんですけどね……でも、混乱が起きることは確かです。決闘を無しにできないなら見物人を絞るとか決闘内容を他言無用にするなどの追加措置は必要です」
「……それほどのことか」
「八龍の一角が崩れるとなると……困りましたわね」
恒例のEクラスいじめと思って眉をひそめる程度でいたら学校の秩序が変わりかねない状況が差し迫っていると知り、互いの顔を見合わせて思案する。
庶民が強者として一方的に貴族を叩きのめすということは、権威とプライドの上に成り立つ貴族制に罅を入れかねない。相良とキララちゃんはEクラスが成り上がれる環境を作りたいとは思っていても、貴族制の放棄など露ほども思っていないはず。貴族なら、そこに危機感を抱くというのは理解できる。
だが俺としては、隠匿情報や機密情報の流出のほうに危機意識を持ってもらいたい。それらの情報が世に漏れ出てしまえばヤバい組織を呼び寄せる危険性を孕んでおり、下手をすればこの決闘を見た全員が狙われるかもしれない。その辺りの対策は俺にはできないので相良に動いてもらうしかないのだ。
二人は考えを纏めているのか、しばしの沈黙となる。今回の決闘はトラブルの元にしかならないということをまず共有したかったので、最低条件はクリアできたといったところだろうか。
「ところでこの……月嶋という男は何者なのか。聞いてもいいか」
相良が腕端末の画面から目を上げて聞いてくる。それほどの男がただの生徒であるわけがなく、どこかの組織の危険人物ではないかと疑っているのだ。
「会長が心配するような何かの組織や他国のエージェントではありません。この国を害しようとも思っていないはずです」
「組織の人間ではないのにそれほどの実力を……もしかして成海君のようなものかしら」
「まぁ……そんな感じ、ですかね」
色々と鋭いキララちゃん。だがその辺りを詳しく問い詰めてこないのはありがたい。月嶋君は俺と同じプレイヤーだ、なんて言えるわけないし言ったところで意味がない。
「分かった。難しいと思うが超法規的措置として観戦者にできるだけの制限をかけてみよう。足利が直に招待状を送った八龍や世良の観戦は阻止できないだろうが、その他の生徒については原則禁止にすべきだろうな」
情報漏洩する可能性を減らすためにも人数制限に動いてくれるのは助かる。たとえ漏洩しても常に護衛に囲まれている八龍や世良さんなら並大抵のクランでも跳ね返せる武力を持っているので容易には手は出せないはずだ。
「状況が状況だけにわたくしも掛け合ってみますわ。成海君はどうなさいますの?」
「俺は例外として決闘の見学を許してください。もしものときには止めに入るつもりなので」
「止める……か。了承した。そのときはよろしく頼む」
月嶋君がどこまでやる気なのかは分からないが、仮に暴走して酷い状況になりそうなら俺が間に入って止めることも考えておかなくてはならない。八龍といえどプレイヤーの使ってくるスキルに対応するのは難しいだろうしな。
またゲームストーリーが破壊される場合も想定して動くべきだろう。その場合、校内関連イベントを中心に、十数人いる攻略キャラの成長・恋愛イベントの大部分が起こらなくなり、逆に主人公が抑えるはずだった破壊イベントは野放しとなるため加速する。俺にできることなんて限られているので優先順位が高く、かつ実行可能なイベントがあれば早めに推し進めておきたい。
決闘までは1週間の猶予がある。近くアーサーがイベントを開くみたいだし、それを利用して彼女の誘い出しに動いてみるか。障害が多すぎて今までろくに接触できなかったけど、これをどう突破して囲い込んでいくかも頭の痛い問題だ。