117 憂いと願い
「部長、お客様をお連れしました」
『入ってもらって』
古めかしい、だがよく磨かれた木製の階段を二度ほど登ったここは、シーフ研究部部室の最上階にある部長室。その部屋の前で案内役の女の子が声をかけると、ドアの向こうから高めで聞き取りやすい声が響いてきた。キララちゃんだ。
「成海君。どうぞ、こちらへお入りください」
「……案内ありがとうございます」
俺に向かってやんわりとお辞儀をして笑顔を向ける貴族の女の子。屋敷の入り口からここまでの間、軽い世間話を交えて気を遣ってくれたりと思ってもみない丁寧な接客だった。今まで貴族からは目線すら合わされず、ろくな扱いをされてこなかったから恐縮してしまうじゃないか。
若干縮こまりながら入ると、中はモダンな作りの白い屋根裏部屋が広がっていた。部屋の上部には太い木材を組み合わせた梁が見えていてオシャレな空間を演出している。それほど広くはないが、天井が高く、大きな出窓からは遠くまで景色が見渡せて狭い感じはしない。
「失礼します……」
「いらっしゃい成海君。そちらの席にお座りになって」
「邪魔している」
碧色の髪を靡かせて笑みをたたえたキララちゃんに上座の席に座るよう促される。そしてもう一人、生徒会長が相変わらず気難しそうな顔をして座っていた。以前に呼び出したときの話をするためだろうが、その前に一度謝罪しておこう。
「あのときは、クラスメイトも付いてきてしまって申し訳ありませんでした」
「気になさらずともいいですわ。わたくしたちがアポイントも無く勝手に呼び出したのですから。それにしても……随分と無鉄砲な方達でしたわね、相良様に面と向かって陳情できる生徒がいるだなんて」
「ふふ。だが、見込みはありそうな奴らではあった」
見込みがある……か。サツキとリサは当然のことだが、立木君もダンエクでは赤城君にだって負けないほどの潜在能力があるヒーローキャラだ。普段はクールなのにどんな逆境にもめげずに立ち向かう熱い側面を合わせ持つため、そのギャップから女性プレイヤーに根強い人気を誇っていた。生徒会長もそこまで見えているわけではないだろうが、意外と人を見る目はあるのかもしれない。
「どうぞ。我が家が経営している農園の新茶です。部員にも香り高いと評判ですのよ」
キララちゃんが小さなカップに緑茶を入れて並べてくれる。ゆっくり話をしようとのことだろうが、貴族との接触はリスクを伴うので……というか心臓に悪いので手短に話を進めたい。
「ありがとうございます。それで……俺に話したいことがあると聞いていますが」
「ああ。だがその前に盗聴対策をしておくとしよう」
木目の美しいローテーブルに置いてあった煌びやかな四角い箱。その上に生徒会長が軽く手を置くと放射状に薄い魔力が広がった。防音の魔道具を使うということは聞かれると不味い話なのだろう。わざわざ俺をこんな場所に呼び出すんだから分かっていたことだが。
「簡単な用件だ。成海、生徒会に興味はないか」
「……へっ?」
「成海君さえ良ければ、相良様が生徒会員の任命権を行使すると仰っていますのよ」
生徒会長には生徒会員を任命する権限があると言う。自身の生徒会長としての任期はもう僅かしかないが、生徒会員は任命されてから1年間の任期なので問題ないとのことだ。
(いや、問題しかないけどな)
何を言い出すのかと思えば生徒会だと? そんなものに入るつもりなど全くない。それ以前に生徒会には成績優秀、かつ貴族だけしか入れないと聞いているが違ったのだろうか。
「俺はEクラスで庶民ですよ」
「生徒会に入るのに爵位など必要ない。今までの生徒会長が貴族しか任命しなかったので勘違いしている生徒が多いようだがな」
「わたくし達シーフ研究部も推薦に協力いたしますのでご安心なさって」
「……はぁ。一応理由を聞かせていただけますか?」
断ることは確定している。にしても何故生徒会なんぞに入れようと思ったのかを聞いておきたい。俺は普段から目立たないように静かな学生生活を送っているつもりだ。生徒会長に目を付けられるような理由があったのか。キララちゃんの前でも強さを見せたことはないはずだが……
「前に、工房の前で私と向かい合ったときを覚えているか。そのときのお前からは底知れぬ強者の風格が感じられた。私と張り合える、もしくはそれ以上の生徒が1年Eクラスにいると知って強く興味をそそられていたのだ」
(工房か……そういえばそんなことがあったっけ)
俺のミスリル鉱石が工房の先輩に詐欺られたときか。あの時は生徒会長――相良と向かい合ったというだけで、俺からは《オーラ》はもちろん、魔力も動かしたりはしなかったはず。それでも目を付けられていたというのは、実は相良もやり手だったということか。
対人戦では対峙している相手の立ち姿や重心の動きから、相手の特性、強さ、所持スキルなどを推し量ることがある。《オーラ》の魔力量や《鑑定》を使わなければ相手の強さが分からないなんて戦闘経験の少ない者だけだ。
とはいえ、強いということだけが生徒会に推薦する理由ではなさそうだが。
「仮にですが、俺を生徒会員にしたとして何を望んでいるんですかね」
「私の悲願である学校改革、そのための楔になって欲しいと思っていた」
「……学校改革ですか」
「わが校は貴族偏重の弊害により、年々レベルが低くなってきている。お前のクラスの……立木といったか、が指摘していた通り何とも情けない話だ。私はそれを変えたくて生徒会長になったわけだが――」
立木君が相良に言ったことは全て真実であり悩みの種であった。現在の冒険者学校は旧貴族の圧力により理不尽なルールが敷かれ、才能豊かなEクラスの芽が出る前に潰されている。必然的に冒険者大学へ進学する成績上位者は貴族だらけになるのだが、大学卒業後の貴族はダンジョンに全く潜らず後方支援しかしないので国家の力にはなりえない。
外国との競争は熾烈だ。外交裏では工作員同士の武力を用いた駆け引きが頻繁に行われているし、酷いものになればたった数人のエージェントが尖兵として暴れ、荒れ果てた国家さえある。そんな危うい世界情勢下で優秀な冒険者を輩出できなければ日本は衰退するどころか崩壊しかねない。
それを憂い、相良明実は自由で公平な競争が行える学校にしたいと生徒会長に立候補したのだが――
実際に当選して動いてみれば、八龍は非協力的な部ばかりで睨み合いとなり、旧貴族側であった自分の家もEクラス救済の施策にはことごとく介入してきて身動きが取れなくなったと苦渋に満ちた表情で吐露する。
(旧貴族か。ゲームでも主人公である赤城君やピンクちゃんと対立してたな)
昨今では冒険者上がりの新興貴族が大手を振るって勢力を拡大しているため、明治時代以前から続く旧貴族は危機感を抱き、これ以上庶民から有力貴族が生まれないようEクラス叩きに躍起になっている、という背景がある。
相良家は旧貴族の中でも非常に保守的。最近では相良の思想を危険視し、廃嫡も検討されていると言う。貴族の廃嫡は、ただ家を追い出され平民に落ちるというだけでは済まない。貴族に仇なす者として日本社会から徹底的に排除されるため、路頭に迷うまでがセットだ。何とも面倒な話である。
「貴族に連なる者であれば家の意向は絶対遵守。ゆえに相良様の改革は叶わなかったのですわ」
「それも言い訳だ。私は無能だったのだ……だが実力があり、家のしがらみのないお前が生徒会員になれば新しい風を吹かせてくれるのではないかと縋りたくなったわけだ」
家や派閥に縛られないからこそできる改革がある。たとえ改革の意志がなくとも、庶民が生徒会に入れたという前例になるだけで冒険者学校としては大きな前進であり成果だと力説する。だがそう上手くいくものだろうか。
「庶民の俺なんかが生徒会に入ったら風当たりはきつそうですね。嫉妬の嵐になるんじゃないですか。上位クラスに毎日絡まれて大変そうですけど」
「それは大丈夫だ。冒険者学校の生徒会員は正当な理由があれば生徒に対しペナルティーを科す権限を持つ。貴族であろうと生徒会員に指図も手出しもできない。だからこそ、その権限はEクラスを守るための強力な盾にもなりえる」
生徒会員には停学、生徒会長ともなれば退学にすらも追い込める強力な権限がある。生徒会が八龍最強と言われているのもこの特権が最たる理由になっているようだ。恐ろしや。
だが、相良の言いたいことは分かる。そんな権限を持つ生徒会員をEクラスから輩出できたなら、不当な攻撃をしてきた者に対し牽制する十分な抑止力となるだろう。下手をすれば八龍にさえ思いとどまらせるカードにもなりえる。それなら俺は――
(なおさら受けるわけにはいかないな)
俺だってクラスメイトの誰かが殴られたり暴力に怯える姿を見たいわけではない。平穏な学校生活を過ごせれば良いなと常々思っている。だがそれよりも遥かに重視していることがある。ゲームストーリーを守ることだ。
この世界がゲームストーリー通りに進むならば赤城君達は今後、今までの比ではないほど困難で大掛かりなイベントに巻き込まれることになる。近くにいるカヲルの葛藤だって今より大きくなることは間違いない。クラスメイトも何人かは追い込まれて退学になるし、教室は荒れに荒れてEクラスはボロボロになる。その状況をサツキが見たらさぞかし悲しむことだろう。
だが構わない。
そうなることはずっと前から想定済みで覚悟もしていたし、プレイヤーの武器である未来知識チートを手放す理由にはなりえない。もっとも、未来知識チートはゲームストーリーを守る理由の1つに過ぎない。
この窓から見られる新緑溢れる穏やかな景色。遠くには大きなビル街や多くの人達が行き交う冒険者広場も見える。仮にゲームストーリーが徹底的に破壊されたなら、あれらは業火に焼かれ瓦礫となり、その下にはいくつもの死体の山が築かれることになるだろう。その地獄は伝播し、この国は悍ましい地獄と化すかもしれない。それがゲームストーリー攻略に失敗したときの、最悪のバッドエンドだ。
その最悪の事態を止められるのは数多のイベントとゲームストーリーを乗り越えて、人々や精霊、魔人などあらゆる方面に愛され手を取り合える主人公だけ。プレイヤーではレベルを上げてゲーム知識を駆使したところで不可能だろう。俺とリサが、赤城君とピンクちゃんの成長を促してゲームストーリーが壊れないように動いているのもそれが理由だ。
ゆえに俺は、生徒会員となってゲームで起きていた暴力や粛清を止めるつもりなど毛頭ないし、それどころかイベント発生に必要なら仕向ける気すらある。ゲームストーリーを守るというのはそういう意味なのだから。
ちなみに、俺の退学はカヲルの、サツキの退学は立木君のサブイベントの一部にすぎず、ゲームの核となるストーリーを崩すほどの影響を与えるものではないので失敗しようが改変されようが問題ではない。仮に問題となってもそのキャラの攻略が難しくなるだけである。
ここで言うゲームストーリーとは主人公達が上位クラス、八龍、ダンジョン内外の敵キャラを順序良く倒しつつ、最低限の数のヒロイン・ヒーロー攻略イベントを消化して仲間を増やし、イベントを連続発生させてグッドエンディングに到達する道筋のことだ。
無論、そのゲームストーリーでさえも絶対的な優先事項ではない。俺の命よりも大切な最大優先事項のためなら躊躇なく破壊するつもりである。だが……それはおいておくとして、まずは生徒会員の誘いを丁寧に断っておくとしよう。相良の学校と国を思う気持ちは崇高なもの。決して無下にしていいものではない。
「確かに生徒会員になればEクラスのメリットは大きなものかもしれませんね。ですけど俺は目立たず平穏な学校生活を望んでいるんです。申し訳ないのですが……」
「……あぁ。話していてそんな感じはしていた。お前に重荷を背負わせる気はないので断っても構わない。ただ私は胸の内を誰かに話したかっただけなのだ」
生徒会員にならなくてもいい。Aクラスに上がり冒険者大学に行かずともいい。だが今後にEクラスとして入ってくる生徒のためにも、有名な冒険者となってくれないかと頭を下げて言ってくる。誰にも見られない閉鎖的な場とはいえ庶民の俺に頭を下げるとは、相良の強い意志と願いを感じる。まぁ俺は有名冒険者どころか世界最強になるつもりなのでそこは肯定しておこう。
にしても……相良も生徒会長として色々と悩んでいたんだな。生徒会の潤沢な資金と大貴族であることを背景に、肩で風を切るような学校生活を送っているものとばかり思っていた。キララちゃんも旧貴族側かと思いきやEクラス潰しを危惧して動いていたとはな……これは背後にいるくノ一レッド、御神遥の意向なのだろうか。
(でもその問題に限ってはそこまで悩む必要もないと思うけどね)
次期生徒会長はなんといってもあの希代の天才・世良桔梗。ゲーム通りに進むなら“大きな改革”を行ってくれるだろうし、Eクラスにもチャンスが与えられ躍進する機会も増えてくるはず。それによる反発やトラブルも多く発生することになるが、学校改革については大船に乗ったつもりで彼女に任せておけばいいだろう。
話に一区切りがついたところでキララちゃんが新たなお茶を入れようと立ち上がる。片隅に置いてある丸っぽい冷蔵庫を開けるとたくさんの容器が並んでおり、あれらは全て茶葉を入れて保存したものらしい。どれが飲みたいかリクエストを聞いてくるけど、茶の種類なんて分からないので相良と同じものを頼んでおくとしよう。
(さて。どうやって話を切り出すか……)
元々俺は相良の話を聞きに来たわけではなく、月嶋君と足利の決闘を軟着陸させるべく力を借りに来たのだ。先ほど生徒会員の話を断っておいてこちらの頼みを聞いてもらうというのは虫が良すぎるかもしれないが、背に腹は代えられない。
核心を話すわけにはいかない。それでも危機意識を持って動いてもらうよう誘導しなくてはならない。結構無茶な要求になるかもしれないが、やるしかないな。