100 降りだした雨
20階の大聖堂から帰る道中、久我さんと執事長の厳しい追及を何とか躱し、やっとのことで我が家に辿り着く。
ゲートを使えばすぐに帰ることはできたのだが、もちろん秘密にしているためそんなことはできない。また実力も隠しておきたいので適当に話題をそらしたり時には黙秘を続けていたのだが、俺の一挙手一投足を監視されるようになってしまい、ずっと針のむしろの時間を過ごしてきた。オラはもう心身共にクタクタだ。
『ピンポーン』
2階の自分の部屋に行くのも億劫だったため居間にある古びたソファーにぱたりと倒れ込む……と同時に家のチャイムが鳴った。今日の成海家はダンジョンダイブデーなので「雑貨ショップ ナルミ」は休店。家族は狩りに出かけて家には俺しかいないはず。眠いが店の客かもしれないので出るとしよう。
誰かと思ってドアを開けてみれば、腕を組みジト目で睨んでいる幼馴染が立っていた。
「どうして電話にでてくれなかったの?」
「……カヲルか」
電話。そういえば腕端末にはクラスメイトから数百件もの着信とメールが届いていたのは知っているが……疲れ果てていたため全て無視していた。何か起きていたのだろうか。
どう言い訳をしようか逡巡していると、幼馴染は俺の顔をまじまじと見て、大きな目をさらに大きくし驚いている。まぁこんな短期間でここまで痩せればそりゃビックリするだろうが、ちょっと驚きすぎな気もする。
「ど、どうしたの。そんなに細くなって……颯太よね?」
「男子、三日会わざればってな。まぁ折角来たんだ、茶くらい出すぞ」
いくつか聞きたいこともあるだろう。といっても大して言えることはないけど、カヲルには心配をかけてしまったし多少は説明しておきたい。
一方のカヲルは少しの間、考えるような仕草をするものの微かに頷いて靴を脱ぐ。そういえば家には俺しかいなかったので警戒されていたのかもしれない。疲れていてその程度のことも頭が回らなかったのは良くないな。何もしないから安心してほしい。
俺も一息入れたいので二人分の茶を入れることにする。美味しい新茶があそこにあったような……これだ。熱めの茶を入れた湯呑をテーブルに置いてカヲルをふと見てみれば、こちらの様子をじっーと見ていた。
「口に合えばいいけど……どうした」
「……あ、ありがとう。いただくわ」
慌てたように湯呑を取ると、姿勢を正し両手でゆっくりと茶をすするカヲル。いつもだけど何でこうも綺麗な飲み方をするのか分からないが、目の保養になるので特に言うことはない。俺も向かいのテーブルに座って茶をすすりながら一息入れるとしよう。よっこらせと椅子に座り湯呑を取ろうとすると、カヲルがおずおずと聞いてくる。
「……クラス対抗戦のことだけど。いいかしら」
「いいぞ」
腕端末は電源を切っていたりロッカーに預けていたりしていたので連絡ができなかったわけだが、そのせいでグループを総括する立場だったカヲルには手間と心配をかけてしまった。話せることは話そうと思う。
「本来なら7階で引き返して私達と合流する予定だったのに……どうして20階なんて危険な階層までいったの?」
「俺も引き返そうとしたさ。でもBクラスの貴族様がな――」
荷物持ちのために集団についていっただけ。何十人もの助っ人に囲まれていたので生徒が戦わなければならない状況なんてなかったと説明する。まぁ最後だけはあったけど。
一つひとつ確認するように聞き、本当かどうか俺の瞳の奥を覗き込むように見つめてくるカヲル。その目で見つめられるとどうにも落ち着かなくなる。言っていいことと悪いことを選別し落ち着いて対応すれば何とかなると思いながらも、俺の中のブタオマインドが嬉しい悲鳴を上げそうになるため、ちぐはぐな思考になってしまう。
続いて何故、大悪魔の魔石がEクラスのものになっていたのかと怪訝そうに聞いてくる。
これは後で気づいたことだが、天摩さんに押し付けたと思っていた魔石をいつの間にか俺のものとして登録してしまったようだ。だがレッサーデーモンと戦ったことは言えないので「俺は特に何もしていなかった仲良くなったからくれたのかもしれない」とゴリ押す。が、やはり納得はしてもらえない模様。
「それであんな貴重な魔石をくれるのかしら……売れば1000万円はするような貴重なものなのよ」
「1000万!?」
聞けばレイドモンスターの魔石は魔石エネルギーとしての価値よりもお宝としての価値のほうが高く、市場では高額取引されているらしい。それが有名なモンスターのものとなれば金額は跳ね上がるとのこと。最近の成海家は景気が良くなってきたとはいえ、これほどの金額の商品は取り扱ったことがない。額が額だけに天摩さんと久我さんには分け前を渡さないといけないな。
「でも、学年次席とずっと一緒にいたって情報は入ってきているわ。余程気に入られたようだけど……最近の颯太は妙に顔が広いというか……例えば、楠雲母先輩にしても」
昨日あったクラス対抗戦の結果発表。そこに楠雲母が一人で現れ、俺に伝言をしてくれと頼まれたとのこと。
「今日の夜に“お茶会”をやると言ってたわ」
「……そういえば誘われていたな」
1ヶ月ほど前に楠雲母から“くノ一レッド”のクランパーティーに誘われたことを思い出す。くノ一レッドのクランリーダーはお色気女優としてテレビで度々登場するので一般人からの認知度は高く、俺としてもくノ一レッドは芸能人グループのようなイメージであったが……リサから教えてもらった情報では非常に保守的なクランで攻撃的。諜報・工作を専門とする裏世界のクランだそうな。
そんな危険なクランに招待されたところで何も嬉しくはないし断りたいところではあるが、そうもいかない。なにせ、くノ一レッドのクランリーダー御神遥直々の招待状を送られたからだ。
俺もこの御神遥という人物について調べてみたところ、伯爵位を持つ貴族で父親が軍方面に強い貴族院政治家で大臣経験者、母親が侯爵位の流れをくむ大資産家の娘ということは分かった。この御神家というのは政界、財界に強いコネクションを持つ金満貴族のようだ。ちなみに楠雲母は御神遥の姪である。
「楠雲母という人がどんな人なのか、知っているの?」
「まぁ。一応な」
「前に聞いたときは知人ですらないと言っていたはずだけど……でも昨日話した限りでは颯太のことを知っているようだったわ」
と言うと俺が何者であるのか、何を考えているのかを見極めようと再び目の奥を見つめてくる。
高校まで平凡な生活を送ってきたはずの幼馴染が、いつの間にか貴族と知り合いになっていた。しかも相手は冒険者学校の中でも指折りの貴族。そんな人物がわざわざ俺と会うために一人で接触しに来たとなれば何かあったと思うのも無理はない。
大抵の貴族はプライドが高く、一般庶民がどうなろうと気にも留めない。何かあれば司法すらも捻じ曲げようとしてくる輩だっている。天摩さんのように寛容で誰にでも分け隔てなく接する貴族なんてまずいないと思ったほうがいい。
いわば貴族とは庶民にとって災害のようなものであり、カヲルはそれを危惧して探りを入れているのだろう。
「それでお茶会というのは……」
「あぁ……まぁ。なんというか」
俺が呼ばれているのは、お茶会という名の魔境だ。向こうも俺の素性を調べた上で直に見極め判断したいという思いから招待したはず。相手は貴族なので無視するわけにもいかないが、行けばトラブルになる可能性もなくはない。家族には今夜だけでもダンジョンに退避して待機するよう言っておくつもりだし、当然カヲルも巻き込みたくはない。
――と思うのだが、内なるブタオマインドが全てを晒して味方に引き込めと訴えかけてくる。早瀬カヲルという人間はとても賢く誠実。それでいて信頼もできる女性だと。
そんなことは重々承知だ。俺としても味方に引き込みたいと何度も考えたことはある。だが、何せ今までの行いのせいで嫌われすぎてカヲルの俺に対する信用はゼロどころか大きくマイナス。ここまで人間関係が破綻しているなら他の人を引き込んだほうがまだやりやすい。
(とはいえ、赤城君達のこともあるしな)
今回のクラス対抗戦。赤城君達はレベルが基準に満たないまま試験に突入し、案の定、成果は上げられず様々なトラブルに苦しめられていた。このまま放置しておけば今後のイベントにおいても苦戦は必至。下手すればメインストーリーが失敗に終わる可能性もある。ならば赤城君達を強くするために苦労してでもカヲルを引き込み、彼女経由で支援に回ったほうがいいのではないか。
「何か、言えないことでもあるの?」
大きな瞳で「何か隠しているなら話してほしい」と訴えかけてくる。無論、カヲルを引き込みたいのは赤城君達をどうにかしたいということだけが理由ではない。こんなにも才能豊かで可愛く優しい子が味方になってくれればどれほど頼もしいか。どれほど毎日を華やかに過ごせることか。ブタオマインドも心躍るように「手を差し伸ばせ」と何度も訴えかけてくる。だけど――
「――いや。料理をご馳走してくれるってさ。せっかくなら楽しんでこようかと」
「そう……」
核心は話さないと悟ったのか残念そうに長い睫毛が伏せられる。カヲルはサツキのように破滅的な状況に追い込まれる未来はないし、特段酷いバッドエンドもないはず。たとえ苦難があったとしても頼りになる仲間に恵まれているし、不屈の精神があれば乗り越えていける高いポテンシャルも持っている。そんな輝かしい未来が待ち受ける彼女を、俺の欲で勝手に巻き込んでいいわけがない。
それにだ。もし苦難を乗り越えられそうにないなら、いつでも駆けつけるつもりではある。これまでの罪滅ぼしというわけではないが陰から全力でサポートしよう。リサとサツキも立木君経由でバックアップするというし、カヲルを内側に引き込むかどうかはそれを見て判断してからでも十分だろう。
無言でお茶をすすりながら相手の出方を見るという気まずい空気を過ごす。このお茶こんなに苦かったっけ……とか思いつつ何かいい話題がないか思案していると、ポツポツという音が聞こえてくる。雨が降りだしてきたようだ。
カヲルは、憂うような表情で窓の外をぼんやりと見る。長い睫毛に切れ長の目。整った鼻や輪郭。その美しい横顔を見ていると、ダンエクで次期生徒会長やピンクちゃんほどではないにせよ、とても人気の高いキャラだったことを思い出す。幼馴染がこれほどの美人なら取られたくないと必死になるのも頷ける。
俺の中のブタオと共にしばし見惚れていると――突然、目を見開き立ち上がったではないか。
「颯太っ――いえ。ちょっと私にも考えることができたから、今日のところは帰るわ」
「あ、あぁ。気を付けてな……っていっても家はすぐそこだし大丈夫か」
てっきり見ていたのを怒られたと思い、オラびっくりしてしまったぞ。
「クラスメイトには私の方からそれとなく説明しておくから……それではまた」
先ほどまでのゆっくりとした時間が嘘のように、風のように去っていくカヲル。急用でも思い出したのだろうか。何にせよそんな忙しい中、わざわざ伝言を届けてくれた上にクラスメイトに説明までしてくれるとはマジで助かる。玄関まで送り届けて感謝の言葉をかけておくとしよう。
ドアが閉められ再び静寂が訪れる成海家。凝り固まっている筋肉痛を伸びでほぐしながら居間へと戻る。
「しっかし。やっと家に帰ってゆっくりできると思ったのに、クランパーティーがあったとはなぁ」
全力で逃げだしたい。思う存分ベッドにダイブしたい。そんな衝動に駆られるものの、頭を振って誘惑を断ち切ることにする。貴族連中に歯向かうにしても家族のレベルを30くらいにまで上げてからだ。それまでは目を付けられるような行動は控えるべきだろう。
服は制服でもいいとか言ってたっけか。とりあえずシャワーでも浴びてからどうするか考えよう。
着替えを持って浴槽に向かっていると、上からドタドタと階段を下りる音が聞こえる。静かだったから誰もいないと思っていたけど、華乃がいたようだ。
「おにぃ。おっかえり~! ほんとに痩せてるねっ!」
「いたのか。部屋が真っ暗だったからお前もダンジョンに行ってるのかと思ってた」
「寝てたのー! あ、もう結構降ってる! 早く洗濯物いれないとっ」
急いで洗濯カゴを取り出し、外に干してあった洗濯物を取り入れる妹。こんなどんよりした天気なのに洗濯物を干したまま寝てたとは。呑気な奴だ。
「風呂から上がったら話がある。後で時間くれよなー」
「タオルとぉ、Tシャツとぉ、仮面とぉ……このローブ、乾きにくいのに濡れてる!」
1週間ぶりのシャワーだ。体は《浄化》で綺麗にしていたとはいえ、やっぱりお湯は使いたくなるもんだな。