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本条紗那編 ずっとそばに居たかった…

 私は手の平の残された時間を確認した。22:08。


 今から猛ダッシュで自転車を飛ばせば、駅まで10分もかからないはず。雪は降りやんでいて、道が滑る事もなさそうだ。私は全身全霊でペダルを漕ぎ、何度か倒れそうになったものの、隼人が待ってくれているいつもの駅へと到着した。自転車は入口前で止める。今さら律儀に自転車置き場に行くつもりはない。


 息切れと動悸と眩暈がする。死んでるはずなのに不思議だ。だけどー、どこからだろうか。『紗那さん、深呼吸をして下さい』と、頭の中で声が聞こえた。ミーシャさんの声だ。私は一度深く深呼吸をすると、不思議とさっきまで感じていた身体の不快感が消えていた。


(ありがとう、ミーシャさん)


 私は彼女に感謝しつつ、手の平の残された時間を確認する。11:48秒。まだ10分以上時間がある。急いで駅の階段を駆け上がり、改札を通る。恐らく駅の待合室で隼人が待ってくれているはず。


 はやる気持ちを抑えつつ、目的の待合室に入った。当然室内には隼人がいた。彼は少しびっくりした様子だったが、ため息交じりに、


「紗那。遅いぞ。待ちくたびれて寝そうだったわ」


 そう軽口を叩いてきた。待合室には私と、隼人しかいない。それに不思議と駅構内にも全然人がいなかった。いつもならちらほらと、サラリーマンがいるはずだ。多くの人が利用する駅じゃないけど、それにしても人の気配を感じない。


「ゴメン!急いだんだけど、随分待たせちゃったよね」

「別に良いけどさ。20分くらいだしな」


 隼人は待っている間に飲んでいた空の缶コーヒーを、ゴミ捨てボックスに放り投げる。いつの間に隼人ってコーヒーなんて飲むようになったんだろう。知らなかった。ちょっと背伸びでもしてるかと思うと、笑えてきちゃう。


 彼は私の方に振り向くと、


「それで、俺を駅で待たせておいて、何の用事もないってわけじゃないんだろ?」

「うん、そうだね。大事な話があるの」

「大事な話?」


 隼人が少し訝しげに私の顔を覗く。


 私は彼に何の話をしたら良いのか、思えばはっきりと順序立てて考えていた訳ではない。ただ漠然と今までずっと一緒にいてくれた事のお礼を伝えれば良いと思っていた。でも家の近くで会った時、それとは違う想いが私にはあると、ようやく、本当に遅いけど気付いたのだから。


 私は今井隼人(いまいはやと)の事がずっと好きだった。でも真剣に向き合った事がなかった。だだそれだけの事…。それに時間がない。時間は10分を切っているのだ。伝えなくちゃいけない。さぁ!


「あのね。急にその、変な事を聞くけどさ。隼人って付き合ってる女の子っている?」

 

 言いながら私の顔が赤く染まっていく。こんな事言ったの初めてだから…。


「なっ、お前俺をからかっているのか?」

「違うよ。私は真面目に聞いてるんだよ」


 私の真剣な眼差しで見つめられて、隼人は動揺しているのか、目があらぬ方向を向いている。


「いねーよ。朝から急にびっくりさせるなって。マジでさ」

「じゃあ、その……好きな子とかはいたりするの?お願い教えて」


 今までの奥手な私ならこんな事、口が裂けても言えなかったと思う。でも今日だけは、この時間だけは私の背中を強く押してくれる。ミーシャさんもきっと私の事を応援してくれている気さえする。


「……好きな子か。いるよ。俺には一人ずっと好きな子がいる。いつもそいつの事考えてるし」


 隼人は言いながら気恥ずかしそうに、頬をぽりぽり掻いた。そっか。好きな子いるんだ。私が入り込む余地がもしかしたら、既にないのかも知れない。彼が好きなる女の子なんて、たくさんいると思う。部活のマネージャーだったり、後輩だったり。


 隼人自身も格好よくて、優しくて、気遣いが出来て。好きになっちゃう女の子はいてもおかしくない。少し悲しくなっちゃうな……。今になってこんな気持ちになるなんて、どうして神様は意地悪なんだろう。


「そうなんだ。ふーん、隼人モテるもんね」


 私はごまかすように、今の感情を漏らさないように、わざとらしく頬を膨らませる。でもこんな事を言ってる場合じゃない。時間はあと7分を切ってるのだから。


「なぁ、紗那は好きな奴いるのか?」


 聞かれてドキッとした。そんなの決まっている。だって目の前で話してる君なんだから。


「いるよ。好きな人。ずっと前から気になってた。でもずっとそれに向き合えなかった。どうしてだろうね。すぐ分かってた事なのに。後悔してからじゃ本当に、遅いのにね」


 私は気付けば隼人の姿をまともに目視(もくし)が出来ない程に、瞳から涙を溢れさせていた。


 もっともっと前から気付いていたのに、勇気がなくて、きっといつかチャンスがやってくるって勝手に思い込んでいて。でもそのチャンスが途絶えてから気付くなんて。どうして私はこんなに愚かなのだろう。どうしていつもそうなんだろう。大切なものほど、失ってから気付くなんて、ドラマの出来事だと勝手に思い込んでいた。


「お、おいっ! 急に泣くなんてどうしたんだよ!?」


 慌てふためく隼人はポケットからハンカチを取り出し、涙を優しく拭いてくれる。そのハンカチは私が彼の誕生日にプレゼントした、青い鳥が刺繍(ししゅう)されたハンカチだった。3年も前にあげたものなのに、隼人は大事に使ってくれていたんだ。


「そのハンカチ。私が誕生日にプレゼントした物だよね」

「ま、まぁな。せっかく紗那からもらった物だしな。今も大事に使ってるよ」


 私はとても嬉しくなった。そんな事ですらも嬉しい。だから今、勇気を振り絞って私の気持ちを伝えよう。もうここしかない。覚悟しろ私!


「あのね、ここで言うのも変だけどさ。私ずっと隼人の事が好き。凄く大好き。それだけは伝えたいと思って」


 隼人がどうなふうに思うか、私は怖くて彼の顔を直視できない。振られて、それで終わりかもしれない。でもこのもらったチャンスで言わなかったら、後悔がずっと私の魂の中でで残り続けると思った。


 僅かな間、お互いの中で沈黙が続いた。時間にしてみれば10秒くらい。彼は今何を考えているのだろう。私の気持ちを受け止めれず、お断りするため、傷つかない様な言葉を考えているのか。それとも、困惑して、ただ黙っているのだろうか。我慢しきれず私が言葉を発しようとする。


「ご、ごめん、迷惑だ――」


 私がつい謝ろうとしたその時ー、突然隼人が私を正面から強く抱きしめてきた。それはとても愛おしそうに、しかし強く、離そうとする気配がない。


「俺も紗那の事はずっと好きだった!だから明日、クリスマスイヴの日に気持ちを伝えようと思っていたんだ」


 私の心がとても満たされていく。嬉しい。とても嬉しかった。本当なら私達は恋人になる事が出来たんだ。それはとても嬉しい事実であり、悲しい事実でもある。


「凄く嬉しい。今の私は世界で一番幸せだよ」


 それは嘘偽りなく、本心から思った。もしこのチャンスがなければ、この瞬間は決して訪れなかったのだから。


「その、急に紗那が告って来て凄い焦ったわ。俺が明日観覧車で言うつもりだったのにさ」


 少し拗ねた唇で言う隼人はとても可愛くて、愛おしくて、かけがえのない存在だ。


「うふふっ。ごめんびっくりしちゃったよね。私だって緊張したし。お互いさまだよ」


 私は隼人の手をそっと手を取る。そしてその手を自分の胸の所まで持っていく。ドクン、ドクンと私の鼓動がまだ波うっている。仮にもまだ私の心臓が動いている証拠だ。


「紗那ってたまに突拍子もない事するよな。ちょっと恥ずかしいんだけど」


 隼人が顔を赤くしていた。でも私はまだ離したくない。だってもう時間が差し迫っているんだから。ちらっと手の平を見たら、1時間もあったリミットが、今では04:12秒と4分少ししかない。


「ねぇ、隼人。私が10歳だった頃に私と結婚するって約束覚えてる?」


 彼は突然の、子どもの頃の約束に困惑したが、すぐに当時の頃を思い出そうとする。


「確か、ガキん時にそんな事約束したっけか。公園にあった、りんごみたいな家の遊具」

「そう。その中で昔さ、おもちゃの指輪を交換したよね。あの約束って今でも有効なのかな」

「懐かしいよな。あの時は。でも冗談だろ、あんなの」

「そっか。そうだよね。子どもの時だもんね」


 分かっていたけど、私はどこか落胆していた。隼人の手をそっと放す。


「でもさ。いつか。まだ将来の事は分からないけど、ちゃんとした指輪を俺はお前の薬指に()めてあげたいって思ってる。この先色々あると思うけど、俺のそばにずっといて欲しい」


 その瞳は真剣で、とても今思いついた様な軽い感情ではないと分からせてくれる。


「それでも良ければだけどさ。急に俺何言ってるんだろな。言っててすげー恥ずかしいな」


 私はこの1時間で何回泣くんだろうか。もう出てこないと思ったはずなのに、それでも涙が頬を伝っていく。無意識のうちに私は彼の唇にキスをする。もう時間がない。さよならを言わなければ。


「本当はうんって言いたい。でも今は言えないの。ごめんね。こんな不器用な私の傍にずっと居てくれて。ありがとう。さようなら」


 私は隼人からそっと離れた。彼は気恥ずかしそうに口に手を添えていたが、すぐに私を見る。とても不安と、心配そうな顔で。


 私は彼の居た待合室から出て進みだす。手の平にはあと30秒で時間切れとなっている。ホームを走り出して、階段を急いで降りようとする。後ろから隼人の声が聞こえる。言っている内容が聞き取れないけど、呼び止めているのが分かる。でも走る事を止める事はもう出来ないの。きっと、私の事を呼んでいる。嬉しいけど、決して振り返る事は出来ない。


 頭の中で声が聞こえる。死神のミーシャだろうか。タイムリミットを告げているのかな。


 私、私は――、私の人生はこれで良かったのかな?


 与えられた1時間はこれで良かったのかな。私後悔してるかな?


 自問自答をしたところで答えが出ない。でもきっと、多分、伝えたい事は伝えられたと思う。だって私はみんなの事がすごく好きなんだから。


 隼人との将来がどんな未来なのか想像する。私は結婚して、彼の子どもを授かっているのかな。女の子か、男の子か。もしかしたら双子とかね。とにかく可愛い子どもが生まれ、おばあちゃんや母、父も喜んでくれてるかな。みんなに祝福された家庭を築けて、老後も幸せに過ごし、孫に看取られて逝っていく。



 きっと、多分、そんな未来が――。




 いきなり待合室から紗那が飛び出したので、隼人は一生懸命呼びながら追いかけた。自分の方が当然足が速いので、すぐに追いつくはず。そう考えながら紗那が降りて行ったホームの階段を自分も降りて、外に出た。


 しかしそこにはどこにも彼女の姿がなく、周りを見渡しても姿形を捉えることが出来ないでいる。どれだけその場で彼女を呼んでも、スマホを鳴らしても、探しても。反応がなくて、見つける事はついぞ隼人は出来なかったのだった。


 結局隼人がそれ以降、紗那を見た場所は病院の遺体安置所となった。彼は紗那の見るも絶えない姿を見て、ただ茫然と立つ事しか出来ず、涙を流す事が出来たのは、あれから一週間が経っていた。

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