5.幸福の食卓
雨が降り続いていた。不透明で緑がかった窓ガラス越しに叩き付けてくる雨粒の奏でるリズミカルな音。
天井にいくつものランタンが吊り下げられている。室内は夜だというのに昼のように明るい。ランタンの明かりだけではなく、その家の主が放つ球形の光の魔法が空中に鎮座し、室内を眩く照らしているのだ。
「ルバルディア街道にアイヤ王国の行商人がやって来ていてね。東方の珍しい食材が手に入ったの。ラー麺と言うらしいわ。おいしいレシピも聞いてきたのだけど、東方の香辛料は高値だったから買えなかったわ。勝手に色々アレンジしてしまったけれど、どうかしら」
真っ白い陶器の深皿から湯気が白く立ち上っている。普段ならシチューやスープパスタに使う皿だが今日は少し黄色みがかった透明度の高いスープに浸かった卵麺が入っている。
炒りゴマと乾燥させた柚子皮、カリカリに揚げたオニオンチップ、鶏肉を薄くスライスして強火で炙った鶏チャーシュー。
「うわぁ……何これ!?」
ヒスイが喉を鳴らした。これまで見たこともない食べ物だ。パスタのようだけど、麺が縮れていて、小麦と鶏卵を混ぜ込んであるため色が黄色い。スープは岩塩と鶏ガラ、少々の牛脂。ホワイトペッパーの華やかな香りが鼻腔をくすぐり、これから訪れるであろう至福の晩餐を予感させて脳と内蔵を歓喜さて、震わせた。
一言で言うと、お腹がぐうーっと盛大に鳴った。
隣でジェイドもまた目を輝かせて器の中の小宇宙を眺めていた。
「スープパスタによく似ていますね。でもどうして麺が縮れているんだろう。あ、そうか、本来はもっと粘度の高いスープなんですね?」
「よくわかったわね。アイヤ王国だととろみのあるスープとたくさんの香辛料を使うみたい。麺はスープに絡みやすいように揉んであるのね」
「興味深いです」
「もー、そういう感想は食べてからにしてよ!」
ヒスイは既にフォークを右手に握り締め、獲物を狙う肉食獣のような眼光でラー麺を睨み付けている。
「あら、ヒスイったら。貴女も料理人の卵なのだから、ジェイドのように色々と考えながら食べないといけませんよ」
「わかってます! ても私は頭より自分の舌で学ぶタイプ!」
「調子いいこと言うわね」
エヴァは苦笑しつつも二人の向かいに着席した。
「でもせっかくのラー麺が冷めてはいけません。そろそろ頂くとしましょう」
こうして食事が始まった。
暖炉では薪が勢いよく燃えている。外の身を切るような寒さと対照的に室内はとても暖かい。
ヒスイはまず左手のスプーンでスープを掬い、口づけをするようにすぼませた唇にそっと液体を含んだ。その際、ズズッと大きく啜る音を立てる。これは一見マナーが悪い所作に見えるが、液体のティスティングの際に口内で空気と撹拌させて香りと味を膨らませてより感じやすくしているのだ。
「うぅーん、おいしーい!!」
で、出てきた感想がこれである。
「麺はどうかなー!?」
ガッツリ口を開いて麺を掻き込む。モグモグと咀嚼するとプリプリした卵麺独特の食感が弾けて口内で踊り出した。
「ふわぁ!おいしい!!」
「ヒスイ、せっかくの珍しいメニューなのだからしっかり味わって食べなよ」
「かたいこと言わないの。ジェイドも早く食べてみて」
促されるままにジェイドはスープを、続いて麺を食べてみた。しかして彼も、深くため息をついてエヴァを見た。
「どうかしら?」
「これは凄いです」
「凄い?」
「……困りました。言葉になりません。スープや具材は師匠のアレンジだということで本来の姿からは離れていると思うのですが……」
考え込むジェイドの肩にヒスイが自分の肩をぶつけた。
「もっとシンプルに考えたら? おいしいものはおいしい、以上!」
困り眉になるジェイド、二人の様子を微笑しながら眺めているエヴァ。穏やかな時間が過ぎる。
この時、エヴァ宅の裏手を流れている小川は、降り続く雨で水嵩が増してきていた。家が流されることは無いだろうが、それでも川に近づくのが危険であることに違いはない。
ヒスイとジェイドには知る由もなかった。同時刻、漆黒のローブに身を包んだ一団が丘をこちらへ向かって進行していることを。激しい雨音は彼らの足音を見事に覆い隠していた。というより始めからこの雨に紛れるつもりであったのだろう。
「いいか、躊躇はするなよ」
先頭を行く人物が言う。
「ホントに大丈夫なのかい?」
「あの人も魔法使いだろう?」
後続の者達はやや不安げだった。
「弱気になるな。今夜が絶好のチャンスなんだ。今やらなければ俺達が処刑されるぞ。なぁに心配は要らねえよ、この時のために高い金を払って魔法使いを雇ったんだ」
先頭の男は一団の中程を指差す。
「火矢を射掛け、あの婆さんが出てきたところを火炎魔法で攻撃する。それだけだ。多少器用に魔法を使えるからと言って、こちらには4人の魔法使いがついている」
彼らはカナイ村の村民、そして汚れ仕事専門の雇われ魔法使い。
今宵、彼らはエヴァ宅を焼き払い主を、エヴァ・クリミアを亡き者にせんが為に動いていた。
何故か。
村人達は貧しい農耕民ばかりである。生活は苦しい。いつの頃からか誰かが、違法薬物の製造を始めた。一般の栽培が固く禁じられている強烈な幻覚作用のある薬草の栽培とその加工品の製造、そして闇ルートでの販売。国の役人に見つかれば即座に逮捕され処断される重罪だ。
村民は一丸となって違法な薬物を製造し続け、糊口をしのいでいた。違法薬物は闇ルートでかなりの高額で取引される品物である。しかし村民には市場価格についての知識がほとんど無かった。よって取り引き相手の言い値で買い叩かれ信じられないほど安い代金しか支払ってもらっていなかったのである。
楽にならない生活の中、懇意にしていた闇ルートに摘発が入り、売人が一斉に検挙された。自分達が違法薬物の製造元として特定されるのも時間の問題だった。
だから彼らは部外者であるエヴァに全ての罪を擦り付け、亡き者にするつもりなのだった。死人に口なし。火事で焼け死んだことにすれば殺害の証拠も残らない。暖炉からの出火による不幸な事故として処理されるだろう。そしてエヴァ宅の焼け跡から違法薬物栽培の物的証拠が挙がれば……。
エヴァは腕の立つ魔法使いであり頻繁に都会へ出て仕事をして生計を立てていた。魔法使いはこの世界では貴重な人材で食い扶持には困らない。なので村人と比べて多少裕福な暮らしが出来ていた。
かといってエヴァには魔法使いにありがちな偉ぶったところがまるで無く、年老いたこの聖女は村で傷病人が出れば無償で手当てをし、時に食料の施しを行い、手が空いていれば農業の手伝いまでした。善意が服を着て歩いているような人物だった。
だが村民の嫉妬の炎は、エヴァの積み重ねた善意よりも遥かに強く深かった。自分達が困窮しているのに、エヴァは裕福な暮らしをしている。
だから、罪を擦り付けられても仕方がない。
なんと言う一方的な主張だろうか。しかし村民達はもう引き下がれない。ここでやらなければ自分達が死ぬ。重罪人として石打ちか鞭打ちの刑に処されるだろう。あるいは国の魔法使いの実験台として供されるか。いずれにせよ悲惨な結末しかない。
「やるぞ、腹をくくれ」
男は少し震えた声で発破をかける言葉を絞り出した。
雨は降り続いている。
エヴァはラー麺に夢中な二人には気が付けないほどのさりげなさで一瞬だけ窓の外へ視線を送った。団らんの時間は終わったのだと彼女は悟る。
やおら立ち上がったエヴァは、棚から小さな木箱を持ってきて机の上に置く。表面を覆い尽くすかのように貼り付けられたたくさんの呪符、その上から麻縄が結ばれている。かつてエヴァは、とても強い魔力を持った道具がこの中に入っていると言っていた。これは開けるべきでないもの、そして開けるときが来るべきではないもの、だと。
怪訝な表情の二人の前で、エヴァのかざした両手から六色の小さな光が現れ、箱の周囲で円を描き始めた。
赤、青、緑、黄、白、黒。いずれも6つのエレメントを象徴するカラー。
六色の光が舞い踊る中、麻縄がひとりでに解けてゆき、呪符が青白い炎を上げて燃え上がった。
「解呪の浄炎……」
ジェイドが呟く。呪いを解除するための魔法、実際に目の当たりにするのは初めてだった。しかも見たところ、かけられていた呪文は6つのエレメント全てを組み合わせたものだったようだ。これでは、あらゆるエレメントを自在に操る力を持った魔法使いしか解呪出来ない。
呪符が全て消滅し、古びた木箱の蓋をエヴァが開け放った。そして手を突っ込み布でくるまれた何かを取り出す。
「あなた方に、話しておかなければならない事があります」
エヴァが布を取り払う。その中から姿を現したものは、
「これが、かつて魔王を倒し世界を救った勇者の剣、エメラルド・ソードの“実物”です」
二本の短剣であった。
ラー麺の後にデザートでプリンを食べるシーンを入れようかと思ったのですがあまりに長くなりそうだったので泣く泣く断念!