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4.追憶

 5年前。ヒスイにとっては忘れもしない最悪の日。師匠とジェイド、彼女にとってかけがえのない二人を一度に失った日。


 フローラに仔細を話しながら、ヒスイはあの日の事を追想していた。



 当時、ヒスイとジェイドは共に13歳。二人とも戦争孤児であった。


 天寿を全うできる人間など一握りしかいない戦乱の時代、生まれ故郷を戦争で焼け野原にされ両親を失ったヒスイは、途方に暮れているところをたまたま通りかかった魔法使いエヴァ・クリミアに救われた。そして同じくエヴァが養育していた戦争孤児のジェイドと共に、山間の長閑(のどか)な村であるカナイ村に移り住んでいた。


 この村唯一の魔法使い、エヴァの家は村外れの小高い丘の上に建っていた。牧草地帯、並び立つ牛舎、その向こうに小さな村落。それらを一望できるロケーションである。背後には急峻な山岳地帯。清涼な風がいつも吹いている。森林の中を小川が流れていて、ヒスイはジェイドと共に木の手桶を使って水を汲んでいた。小川は澄んでいて飲料水に最適だ。


「今日は師匠、早く帰ってくるんだったね」


 ジェイドが言った。彼は髪を切るのを嫌がっていつもサラサラの長髪を伸ばせるだけ伸ばしている。深い藍色の髪は艶があり、ほとんど手入れもしていないのに蜜蝋(みつろう)でも塗り込んだかのように綺麗だった。相貌もさることながら、この髪がジェイドの妖しい魅力を更に際立たせていた。水を汲むのに邪魔になるので今は紐で一本に束ねてあった。


「うん、ルバルディアには大きな市場があるらしいから今夜はご馳走かな?」


「ハンバーグ!」


「ビーフシチュー?」


「あぁ、それもいいね。それかお魚かもね」


 山間部に暮らしているから魚など滅多に食卓にのぼらない。小川で小魚は釣れるが。ルバルディア街道なら魚介類の塩漬けや干物がたくさん売っているはずだ。軽く炙って食べると最高においしいのだ。


 二人は小川のほとりで腰を下ろして、揃って天を仰いだ。頭のなかは今日の晩餐のことで一杯だった。自然と涎が垂れてくる。


「あっ、でもあまりのんびりしていてはいけないね。魔法の練習もしておかないといけないし、今日はこの後天気が崩れるって師匠が言ってた」


 ジェイドは空に厚く垂れ下がった雲を見上げながら言った。遠くの山頂は暗雲に覆われてしまっている。あちらはもう降りだしているだろう。やがてここへも雨雲が流れてくるはずだ。


 雨が降り始めるとこの川は水嵩が急激に増して危険だから近づいてはいけないと、師匠は何度も言っていた。


「雨かー、ヤだなぁ」


 ヒスイは悪態をつきながら右肩に天秤棒を担いで立ち上がり、ややふらついた。棒の両端に吊るされた桶が暴れて水が少し溢れる。


「おっとっと!」


「大丈夫かい? やっぱり僕が持とうか?」


「ううん、平気、行こ!」


 川に水を汲みに行くのは二人の日課だ。男の子であるジェイドではなくヒスイが力仕事をしているのは単純に力の差。ジェイドは生まれつき病弱でエヴァに拾われた時点では衰弱死する寸前だったという。


 ヒスイは小さい頃から勝ち気な性格で男勝りなところがあった。喧嘩していても口ではなく手が出るタイプ。もっと女の子らしくしなさいと何度も母親に注意されていた。


 というわけで、手桶で大きめの桶に水を満たし、ヒスイが担いで家に戻る。道中ジェイドは適当な話をして場を和ませる。そういう役割分担に自然となっていた。


 ヒスイは重たい荷物を持つのは苦では無かったしジェイドに無理に男らしいところを見せてほしいとも思っていなかった。

 彼には彼の得意なことがある。力仕事では勝っても魔法の技量では全然敵わないヒスイなのだった。


 やがてエヴァ宅へ戻ってきた二人は桶を部屋の隅に置き、調理場へと向かった。

 磨きこまれた大きな大理石。まるで巨大なサイコロのようなそれはエヴァが山から削り出してここまで一人で運んできたものらしい。もちろん、腕力ではなく運搬から加工までの全工程を魔法で行ったらしい。この大理石の傍に大きな暖炉があって、その中に金網が置かれている。食材を焼きながら同時に暖も取れる仕組みだ。大理石の作業台とこの暖炉が調理場である。


「さて、じゃあ魔法クッキング開始だね」


 ヒスイは歌うように言って、壁に建てつけられた棚から足のついた金網を持ってきて大理石の作業台に置き、鉄製のフライパンをその上にセットした。

 調味料がいくつも並んだ棚から小瓶を持ってきて、中の白い結晶をパラパラとフライパンへ投入する。結晶糖、要するにグラニュー糖である。この世界では機械的に精製する技術はない為、砂糖の精製は専ら魔法によって行う。もしくは、自然界に存在する生物から獲得するか、である。


 シュガー・リザードという種がいる。巨大なトカゲのような魔物でその名の通り体表をゴツゴツとした結晶糖が覆っている。これを削り取ればそのまま食用の砂糖として使うことが出来るわけだ。もちろん、獰猛なリザードを相手取るわけだから危険は大きい。けれど結晶糖は高値で売れるから狩人達にとっては十分に狙う価値のある獲物といえる。


 ちなみにヒスイが使ったこの結晶糖もシュガー・リザードから削り出したものだった。


「そろそろ君も火の扱いには慣れてきたのかな?」


 隣に立ってヒスイの指先をのぞき込むジェイド。身長は彼のほうが高いからヒスイを頭上から見下ろす形になる。


「ずっとイメトレ続けてきたからね、きっと大丈夫! さぁ、レッツクッキング! 火の精霊(サーマンドラ)ちゃん、お願いね」


 ヒスイの右手の人差し指に赤い炎が灯った。弱弱しいロウソクの火のようなそれを、じっとヒスイは見つめた。


「慎重に慎重に……ここからここから!」


 だんだんと猫背気味になりながらヒスイは指先の炎をそーっとフライパンへ近づけてゆく。金網の下へ手を差し入れ、フライパンの底面に少し火が触れるようにする。

 そして掌をパッと開くと炎は拳大に膨れ上がって盛んに燃えた。


「おお、火力の調整が出来るようになったんだねヒスイ」


「これくらい朝飯前よ! 今日は絶----っ対、上手にカラメルソースを作るんだから!」


「うん、その意気だよ」


 ジェイドは言いながらフライパンの上空で指でくるりと回し円を描いた。すると何もない空間から透明な水が発生してフライパンに流れ落ちた。彼の得意とする水の魔法である。少量であれば大気中の水分を集めて自在に水を出すことが可能だ。


「さ、砂糖と適量の水が入ったよ。後は君の……」


「燃えあがれ! 私の炎!!」


 ヒスイの掌の炎が激しく猛り、フライパンの中の水分を結晶糖もろとも蒸発させ、フライパン上に火柱を生じた。


 ボワァッ!!!


「熱っアチアチ!! 髪が、燃えたー!」


 髪の毛に引火したヒスイはバタバタと走り回って壁にぶつかってそこに掛かっていた調理器具と一緒に床に転がる。

 すかさずジェイドが手桶に汲んだ水をざばっとぶっかけた。


「ヒスイ! 大丈夫かい!?」


「ぐえー! 火力調整はやっぱり難しいよぉ……」


 仰向けになって顔中をびしょ濡れにしながら、ヒスイは叫ぶ。

 上からジェイドが苦笑しつつ手を差し出した。


「燃えあがれ、とかいう掛け声はやっぱり止めたほうがいいと僕は思うよ」


「ありがと。でもその忠告もっと早く聞いておきたかったな」


 握ったジェイドの手はいつものようにヒンヤリしていた。水の魔法使い特有の、いや、もともと低体温気味なジェイド特有のもの。


 ジェイドの手を借りてヒスイが起き上がったちょうどその時、カウベルがカランと鳴って玄関のドアが開いた。そして、


「おやおや、とても焦げ臭い、失敗したカラメルソースの香りがしているわねぇ」


 お日様のような微笑を浮かべたエヴァ・クリミアが藁編みのかごを持って佇んでいた。


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― 新着の感想 ―
[一言] 可愛い二人がクッキング。蜜蝋を塗り込んだような髪。最高です。 そしてシュガー・リザード。小さくして家で飼いたいです。 カラメルソースって弾いて大変ですよね。ということは、もしかしてプリン?(…
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