HappyEnd.石の月
その日、都市国家マノーはちょっとしたお祭り騒ぎとなっていた。2年前、ふらりと現れてこの国の危機を救い(庶民達はそんな危機など知る由もなかったのだが)、更にこの国の発展と周辺諸国との和平協定締結にも尽力した4人の(3人+1匹?)英雄たちの旅立ちの日。
都市国家マノーの象徴、イクリプス凱旋門に続く沿道を取り囲む大群衆。皆、手に手に旗やホットドック(!?)やフランクフルト(!?)、から揚げにどら焼き(???)などを掲げて持ち、この国の平和と食文化の伸展に寄与した者達が載った馬車がゆっくりと牽かれてゆくのを見守っていた。
「すっかり、人気者になってしまったね」
ジェイドは覗き窓から観衆へ手を振りながら、隣に座るヒスイへ声をかけた。
「何だか恥ずかしいよ」
そこまで熱狂的に支持されるような器ではないと未だにヒスイは思っている。けれど、ここまで盛大に見送ってもらえるのは、満更でもない。
「居心地がいい国だったのですけど、本当に出立してしまいますの?」
フローラは不満そうに唇を尖らせている。彼女はこの国で誰よりも自由を謳歌していた。時にアブリィと同衾し、時に若き魔法使いたちにママと呼ばれながら魔法を教え、屈強な兵士たちの訓練をいやらしい目で見て妄想し、使いの者を送って薄い本を蒐集させ(しかも自分で編纂して作品集まで出してしまった)、町へ出ては好みの女性を物色してヒスイに咎められ。まぁなんというか、フローラにとっては地上の楽園のような場所であった。
「残りたくば一人で残れ、痴れ者」
フローラの首元にマフラーのように巻き付いた緑色のモフモフが言葉を発した。ミームゥはすっかり、ここが定位置になっている。ジェイドにフラれたから。
「いいえ、それだけは絶対にダメです。私こう見えても一途なんです。最愛の人はいつでもヒスイちゃん。ですので最後まで私が“大聖女様”にお供しなければ、ね」
ヒスイは何故か庶民達から大聖女として認識されていた。アブリィを上回るほどの魔法使いならば高位の聖職者であろうという勝手な思い込み、そしてヒスイ自身のかわいらしいルックスも相まって、大聖女兼アイドルとしてヒスイはマノー市民に崇拝される存在となっていた。
「やめてよ、フローラ。私は私、ただの魔法使い、ただの料理人だよ」
ヒスイはその程度にしか考えていない。どれだけ民の熱烈な支持を受けようと、一切偉ぶるところがない。それがまた、彼女の神性を高めてもいたわけだ。
沿道の子供たちがたくさんの花束を持って駆けてきた。兵士が馬車へ近づくのを押しとどめようとする。その押し合いに気が付いて、フローラは窓から少しだけ身を乗り出した。
「あらぁ、綺麗なお花ね。私たちに下さるのかしら?」
「うん、あげるー」
「大聖女様に」
「ヒスイ様にお花を渡してー」
「んもぅ、ヒスイばっかり。ふふっ、仕方ありませんわね」
子供たちの持つ花束がふわりと浮遊した。フローラの風魔法が気流を操ってそれらを引き寄せる。
「ありがたく、頂戴しておきますわ。皆さん、お元気で。たくさん食べてたくさん遊びなさいね」
花束はフローラの手でまとめてヒスイに押し付けられた。
「人気者の特権ですわね」
「うわぁ、綺麗なお花」
ヒスイが目を輝かせていると、ジェイドが寄ってきて花を見下ろす。
「トクホの花だね。そうか……あの子たちは農園の」
美しい真っ白な花弁。独特の甘くも清涼感のある香り。かつては人々から忌み嫌われていた植物も今や、大規模な農園にて栽培されるほどの需要ある“食材”となっていた。
あれから、ヒスイらの努力が実り人々の健康に対する意識は変わった。そして食の在り方も。
ロカボが作り出した究極のラー麺“豚のエサ”はヒスイの手で改良が加えられ“人のエサ”となった。しかし新たなメニューを継続的に提供する為には材料の安定供給が必要不可欠だった。
そこで、ヒスイはアブリィへ農園の開発を要求した。
都市国家マノーはその名の通り、一つの大都市だけが国家として独立している国である。なので農園に適した土地を持たない。故に西側を接しているスリムヘルシ帝国との貿易協定により多くの食材を輸入していた。アブリィは帝国との結びつきを更に強め、交易のために国家間の民の往来を通行証いらずにした。その代わり多くの関所を設け軍を派遣し治安の維持に努めることにした。結果、安全な通行路ができたことでアブリィの思惑通り帝国との貿易は活発化・高速化し、物資も人的資源も潤沢になった。
さらにアブリィはヒスイの求めに応じてスリムヘルシ帝国と共同で帝国領内にいくつもの大規模な農園を開発、“人のエサ”やその他のメニューに使う材料の栽培に着手した。また併せて庶民の為の公営の食堂を建設し安価で様々なメニューを提供した。人々の舌は肥え、食に対する意識も芽生え始め、優秀な料理人も続々と輩出され始めた。
農園の数が増え、通行路の整備のための大規模な土木工事も必要になるにつれ、大量の雇用が創出され、結果的に貧困層は激減した。
職と食。二つの要素を国家が積極的に生み出し国力を拡大、これによって軍も強化され、都市国家マノーは益々列強国の手が出しづらい盤石の体制となった。
アブリィが堅実だったのは、飛ぶ鳥を落とす勢いの中でも決して領土拡大を焦らなかった点である。彼女には秘策があった。軍事力を以て制圧せずとも、敵国を内部から弱体化させる為のとっておきの秘策が。
「とっても素敵な笑顔。あの子達、幸せな人生を送っているんだろうね」
「あぁ、きっとね。アブリィ様の、えげつない施策のおかげだよ」
ジェイドが苦笑を漏らした。本当に、女王は頭がキレる。
都市国家マノーの料理人ギルドには、ロカボと面識のある料理人も多くいた。アブリィはロカボを一旦ギルドへ戻し、仲間の料理人たちに“豚のエサ”のレシピを伝えるよう命令した。彼女の狙いは一つ、周辺の列強国へマノー料理人ギルドから料理人を派遣し、各地にて“豚のエサ”を提供させること。
料理人は特権階級、すんなりと国境を越えられるし、腰が抜けるほど旨いメニューを作っているだけなのだから何も怪しまれることはない。アブリィには確信があった。必ず、どの国においても“豚のエサ”は人気を獲得できると。
さて、アブリィが何を意図してこのような采配を振るったのか、お分かりいただけるであろうか。金儲けの為ではない。
都市国家マノー以外の、周辺の全ての国の兵を肥満させる為、である。
アブリィは学習した。急激に肥満させられた兵士の士気は急落する。しかも対策を打たなければ下がった士気はずっと上がらないどころか、底値で固定されるのだ。気づいた時には手遅れになるだろう。そして白旗を上げた列強たちはアブリィへ頭を下げて助けを求めてくるだろう、と。
その目論見は、当たった。
ロカボの弟子たちの“豚のエサ”は各地で大ヒット。群衆も兵士も皆、その濃厚な味わいの虜になった。国家上層部や王でさえも当初は、アブリィとマノー料理人ギルド、及びロカボへ感謝状を贈りつけてきたものだ。
やがて異変に気付いた時、既に国家の防衛力はボロボロになっていた。この状態で、アブリィは自分に有利な和平協定を強引に結び、次々と列強を沈黙させていった。
非常にあくどいやり方で、アブリィは世界を平和に(?)したのであった。
「あんなにやり手の女王様なのに、ベッドの上では子猫ちゃんみたいになるのだから、たまりませんわねぇ」
「黙れ、売女め」
フローラに対してしょっちゅう口汚く罵るノブナガではあるが、実のところこの二人はウマが合うようだ。互いにアブノーマルな性癖を持つもの同士、夜明けまで激論を交わしているところを何度も目撃されている。
「あらぁ、ミームゥさんもアブリィ様の宦官にしょっちゅう手を出していると聞いておりますわよ?」
「男色は武士の嗜みであろうが。武芸百般の内に含まれておるのよ!」
「なるほど。ではあらゆるものを愛でるのは深窓の令嬢の嗜み、ということでよろしいですわね?」
「ねぇ君たち、そろそろ門を通過するよ」
ジェイドが言った。
馬車は人が歩くほどのゆっくりとしたスピードでイクリプス門をくぐる。かつて都市国家を独立へと導いた女王の熾烈な戦いの数々が彫られた勇壮な構えの門を抜けて、いよいよ馬車はマノー領から出てゆこうとしている。この先はどの国にも属さない中立の地。平原の先にはスリムヘルシ帝国が存在している。友好国なので、この旅路は非常に安全なものになるだろう。
ヒスイらの旅の目的地は遥か西方の大国、アイヤ王国。想像を絶する広大な領土を治める世界最大の大国。またアイヤ料理と呼ばれる独自の食文化圏を持つことでも知られている。料理人として更に高みを目指すため、そして世界中の人々を食で幸せにするため、ヒスイの修業はまだまだ続く。
「2年なんてあっという間でしたわね」
「ほんと、色んなことがあった気がするよ。もっともっと、この国にいてもよかったんだけどね」
生き急いでいるわけではないが、ヒスイの直感がそろそろ旅に出よと告げていた。ヒスイはいつも、己の直感を信じている。だから、今なのだ。
生憎の空模様。分厚い雪雲が中天の太陽を覆い隠している。それも悪くない。ヒスイにとっていつも、人生の転機が訪れるのはこんな天気の日だ。
師匠を無くした日は、冷たい雨が降っていた。
ジェイドと再会した日には、身を切るような冷たい風が。
そして今日は、
「雪だぁ!」
空から、白い結晶が降り始める。ヒスイの伸ばした手の上にはらりと載って、溶けて消えた。
「私たちの旅路を天が祝福してくれているのでしょうか」
「寒いのは、僕は苦手だよ」
細身で脂肪の少ないジェイドは寒がりである。ローブをしっかりと被り、震える真似をした。
馬車が停まる。
ヒスイらの見送りはここまで。スリムヘルシ帝国領内に入るまで護衛をつけようかというアブリィの提案はヒスイ自ら固辞した。旅は自分の足で歩くからこそだと思ったから。
「どうか、ご無事で」
御者をしていた兵士が馬から降りて敬礼をした。
「大袈裟だよ。戦争に行くわけじゃないんだから」
ヒスイが視線のやると、イクリプス門の前に居並ぶ大勢の兵士の姿。皆、兜を脱ぎ捨て小脇に抱え、直立不動で敬礼をしていた。涙を流している者も多い。ヒスイは皆に慕われていた。誰もが彼女に感謝していたのだ。
「アイヤ王国でもっと勉強して、必ず戻ってくるね。何年かかるかわからないけど」
「大聖女様の帰還を、お待ちしております」
深々と頭を下げる兵士。それに合わせて全員が同じく、頭を下げた。
「この光景は一生忘れられないな」
ジェイドの胸にも熱いものがこみあげてくる。ヒスイが成し遂げたことの偉大さ、その傍にいられた喜び。
「ふん、天下布武、この世界で我が達成してくれよう」
「あら、ミームゥさん、物騒ですわ」
ミームゥはするりと形態変化してフローラの頭上で王冠の形となった。モフモフを軽く撫でで、フローラは微笑する。
兵士の列の後方に交じって、庶民に変装したアブリィ・イクリプスとロカボの姿があった。
「女王様、どうせ見送りにくるんなら、堂々とすればいいんでねぇか?」
「やかましいぞ、豚男。別れの挨拶は城で済ませてきた。こんなところまで追いかけてきたら、女々しいと思われるだろうが」
「……あで、女王様もしかして泣いて」
「誰が泣くものか。私はいずれこの世界を統べる女王、アブリィ・イクリプス。涙などとうに枯れ果てている、よ……くっ」
目じりを拭って、アブリィは踵を返した。ヒスイ、ジェイド、フローラ、ミームゥ。彼女らから学んだことは多い。だが一番の収穫は、“感情”というものを教えられたことだろうか。女王に欠けていたのは人間味。あの敗北から、アブリィは学んだ。そして魔法使いとしても人間としても一段と成長した。
「しけた気分だ。城へ帰ったら酒宴を開くぞ、お前も付き合え!」
「は、はいっ。オデは女王様の下僕ですぅ」
「いちいち宣言するな、気色悪い」
別れに涙は必要ない。振り返ったアブリィの表情には絶対的支配者の不適かつ嫣然たる笑みがあった。
人々の姿がどんどん遠ざかってゆく。
寂しさはある。第二の故郷のように、思っていた。
「スリムヘルシ帝国には滞在いたしませんの?」
「うーん、この2年で何度も訪ねたからね。スルーかな」
「では少し北へ足を伸ばしてコミーケ公国に行きません?」
「却下!」
「んもぅ! ケチっ!」
いつでもヒスイの傍には頼れる仲間がいた。信じられる友たちがいた。今も。たぶんきっと、これからも。
ジェイドと手を繋ぐ。雪が降りしきる中でも、それだけでもう寒くない。
「ヒスイ、こんな僕をパートナーに選んでくれて、ありがとう」
「水臭いこと言わないで」
「水属性なんで」
冗談を言って、美貌の幼馴染はヒスイをにっこりとさせる。
新たな旅が始まる。
大聖女、火と光の魔法を操る料理人ヒスイ・イシヅキのパーティーメンバーは、以下の通り。
辺境伯の追放令嬢にして腐り気味の風魔法使い、フローラ・エンジェライト。
土の精霊に転生したかつての豪将、ミームゥことノブナガ。
水魔法と闇魔法を操る美貌の料理人、ジェイド・イシヅキ。
今、並び立つ二人の料理人の耳朶には同じ形のピアスが揺れていた。深緑色をした三日月。強力な魔除けの力があるとされる鉱石。
魔法使いに魔除けとはいささか不釣り合いかもしれないが、幸福そうに手を取り合って歩む二人にはとても似合っていた。
平原は振り出した雪によって一面白く染まり始めていた。冬がやってくる。厳冬が。
何も怖くない。この仲間たちとなら。ジェイドと共に行くのなら。
しっかりと前を向き、真っ直ぐに進む二人。
少女の瞳と同じ色をした“石の月”が揺れた。
後に伝説となる旅が今、始まった。
美貌の彼をスカウトしたい!~生き別れの幼馴染と腐り気味の令嬢が私を取り合う日常~
了
「やぁ、目が覚めたかい」
「ジェイド、私、気を失ってたの?」
「うん、急激に魔力を使いすぎたんだよ。魔法使いにはよくあることさ」
「そう……」
「喉が渇いていないかい? 水を」
「ねぇ、ジェイド。私、夢を見たの」
「夢?」
「師匠がいて、あなたがいて」
「へぇ。師匠は、何か言っていたかい?」
「後始末を頼むって。自分がめちゃくちゃにしてしまった世界の」
「それは随分と、難儀な」
「ううん、きっと出来るよ。私たちなら」
「あのアブリィ・イクリプスを倒した君なら」
「私だけじゃダメ。ジェイド聞いて、あなたに言いたいことがあるの」
「うん、いいよ」
「ジェイド……あなたを私のパーティーに、スカウトします」
Ⓒ2020.Kei.ThaWest




