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20.女王の采配

 ヒスイ・イシヅキは幼い頃、戦争によって生まれ故郷の村を焼き払われ両親を失った。大火は木造家屋だらけだった村を瞬く間に飲み込み、一夜の内に村人は全員が死んだ。ある者は炎に巻かれ、またある者は炎上する家屋から逃げてきたところを敵国の兵に殺害された。

 ヒスイは、燃え盛る炎の仲で父と母に抱かれていた。逃げ場はどこにも無かった。天井の梁が落下し、火の粉を巻き上げた。まるで、火の精霊のダンスのようだった。いつか、父が言っていた。火の精霊は気に入った人間の前ではひらひらと舞い踊ることがあるだよ、と。

 母は大丈夫、みんな一緒だからねと言った。ヒスイも同じように思った。お母さんとお父さんと、一緒に死ねるのなら怖くない。

 屋根が崩れ落ちた。炎は3人を飲み込み、他愛もない命を呆気なく焼き尽くした。


 はずだった。


 翌朝、ヒスイは倒壊した黒焦げの家から這い出し、自分が生き残ったことを知った。

 そして、“運良く”その村の付近を通行していたエヴァに発見され拾われることになったのである。



 厨房の裏手には物置小屋と井戸がある。その近くには薪が山積みにされていた。そこに、ヒスイは立っている。肩にミームゥを乗せたジェイド、フローラもいる。


「何をしたらいいの?」


「君の、本来の力を見せて欲しい」


「本来の?」


「そう。ずっと僕は考えていた。何故、師匠は僕と君の2人を弟子に取ったのか。あの時代、戦争孤児などそれこそ掃いて捨てるほどいたはずだ。その大勢の中からどうして、僕と君だったんだ」


「それは……偶然通りかかったところに私達がいたからじゃないの」


「違うよ、だって師匠には“未来視”の力があるんだから。師匠は去り際に言った。僕らの進む先に幾千幾万の笑顔が見えたと。あの言葉は明らかに、僕ら二人のことを指していた。最初から師匠にはわかっていたんだと思う。僕らがどういう人生を歩むのか。そして、僕らの秘めたる力も」


 困惑するヒスイ。秘めたる力などと言っても、ジェイドほど上手に魔法を扱えるわけではない。火の扱いは昔に比べればかなりうまくはなったが、光魔法は明かり取り程度にしか使えず、どちらともフローラのように戦闘で使えるレベルではないと自覚している。


「私は、ジェイドみたいに強くはないよ」


 この言葉がヒスイの素直な心象だった。だが、強く首を振り、ジェイドは否定した。


「僕はこれまで多くの魔法使いを見てきた。そして共に戦う中で多くの実戦的な火炎魔法をこの目で見、彼らに共通する特徴を掴んでいる。師匠はわざと、君の本来の能力を伏せておいたんだ。それはきっと、人間的に君が成熟する機を待つため」


「待って、ジェイド。どういうことか、全然わからないよ」


「いいかい、火属性とは扱いのままならぬもの。例えば薪で火を焚く時を考えてみるといい。一番難しいのは火をつけることでも、火力を強くすることでもない。一定の火力に調整することだよ。君は当たり前のように火力調整が出来るようになっているが、それは火属性の魔法使いの中でも相当高位の者にしか出来ない芸当だ。爆炎術(エクスプロージョン)が放てる程度の術師ではとてもかなわない」


 火の精霊サーマンドラは気性の荒い精霊だと言われている。火の精霊の加護に(たと)えられる火属性の魔法使いは、炎を発現させる第一段階の修業を終えた後、多くの者が炎を爆発系の攻撃魔法として扱う第二段階へと移行する。これは魔法により発現させた炎を維持すること、出力を調整することが困難なため、むしろ一気にエネルギーを爆発させる性質を持つ爆炎術(エクスプロージョン)の方が使用が容易であるからだ。


 火の魔法を攻撃用途以外に用いることが出来る魔法使いは珍しい。しかも料理のように繊細な火力調整が必要な作業に火の魔法を用いる術師が果たしてこの世界に何人いるのか。

 ヒスイにとって当たり前にしていたことは実は、ほとんどの魔法使いにとっては不可能な水準の技術だったのである。


「嘘……」


「僕は、君を助けて濁流にのまれながら水魔法を進化させた。死の淵に立った時、この体の奥底にあった力が呼び覚まされたんだ。魔法使いの中には、敢えて自身を極限状態にまで追い込む修行を行う者がいるという。彼らもきっと、僕と同じような境地に自分自身を置くことで能力を進化させているんだね」


 ジェイドは死の瀬戸際から内なる力の発露によって生還を果たした。何故今、このタイミングでジェイドがそんな話をするのかは自明だった。ヒスイは思い出した。いや、忘れたことなど一度も無かった。ずっと目を背けていただけだ。辛い過去の記憶を、それより少し新しい悲劇の記憶で蓋して、見えなくしていた。気付かぬふりを。


 崩落する天井。押し潰される父と母の重みを背中に感じた時、幼きヒスイの中に眠れる力は覚醒した。死の直前、ヒスイは無意識に全身に炎を纏い、瓦礫を全て吹き飛ばして身を守っていたのだった。気を失った彼女は翌朝に目を覚まし、エヴァに拾われた。


「君が今までその才能に気が付かなかったのは、一度も他人に対し攻撃する意図を以て魔法を使わなかったからだと思う。君は愚直なまでに師匠の教えを守り抜き、料理や日常生活の為にしか火魔法を行使しなかった。だからこそ本当の実力を知らなかったし、そこまで崇高な精神を持つからこそ、光魔法を得ることも出来たんだ」


「そんなまさか……」


「僕は確信している。今の君は、この僕より、フローラさんより、ミームゥよりも凄い魔法使いになっているはずだよ」


「でも、どうやればいいの!? 私、そんな急に言われても困るよ」


 攻撃魔法なんか、一度も放ったことがない。その感覚が全くわからない。


「魔法使いはそれぞれ、自分に合った方法で術を使うよね。呪文の詠唱をする人もいるし、呪符や魔杖を用いる人もいる。君は、普段どうやって魔法を?」


「えっと……私は料理の、仕上がりをイメージして……」


 そこから先を言う前に、会話は中断された。通用口のドアが開いて厨房からロカボが現れた。彼は酷く怯えた様子だった。


「ロカボさん、どうしました?」


 ただならぬものを感じ、ジェイドが尋ねる。


「ず、ずまねぇ……オデ、みんなを騙してた」


「騙す?」


「女王様に言われてたんだ……よ、用が済んだらみんなを……」


 体を震わせるロカボ。フローラはその腕をそっとさすり、瞳を覗き込む。


「どうなさったの? 何をそんなに怯えてらっしゃるの?」


「ずまねぇ……オデ、知ってて黙ってた。女王様は、あんたも……ヒスイちゃんも……殺す気だ!」


「何ですって?」


「に゛、逃げ」


 瞬間、フローラはその場から大きく飛び退いた。ふいに目の前で急激に魔力が増大する気配!

 ロカボが、背後から襲った衝撃によって側面からくの字に折れ曲がり山積みの薪に突っ込んだ。


「貴女は……」


 フローラが、魔力を練り風を纏う。


 ヒスイは驚いて、ロカボへ駆け寄ろうとした。それを、ジェイドが制する。彼の視線は、魔法の使用者へと向けられていた。


「ふっ、所詮は低能なオークよ。主君への恩義を忘れ、こんな連中に寝返るとは」


 純白のレースの裾が揺れる。彼女がそこに現れただけで周囲の気温が一気に下がったような錯覚すら覚える。背後に魔法使いとプレートアーマーに身を包んだ兵士を従えた女王は、鼻血を出してうずくまっているロカボを汚物を見るような眼で一瞥した。


「アブリィ・イクリプス……」


 至近距離、そして既に臨戦態勢を整えているフローラを前にして、アブリィは余裕の笑みを崩さない。まるでフローラなどいないかのようにロカボの方を向き、ほんの少し首を傾げた。


「何をしている、豚男。オークならその程度では致命傷にもならんだろう。早く起き上がって、近う寄らんか」


「ず、ずみまぜん……女王様!」


 アブリィの言葉に、よろめきながらロカボは立ち上がって駆け出した。そして皆の見ている前で地面に両膝をつき、額を地面にこすりつけて土下座を始める。

 その後頭部を、ヒールを履いたアブリィが踏みつけ、ねじった。


「監視をつけておいて正解だったな。貴様のような小物がまさかこの私を裏切るとは。それほどそこの小娘が気に入ったか」


「ず、ずみまぜん……」


「貴様は何だ? 言ってみろ」


「オ、オデは女王様の下僕です。薄汚いオークのオデを、ひ、拾って下さり、感謝しています」


 顔を地面に押し付けられ、苦しそうに喘ぎながらロカボは言った。

 アブリィは足を退け、ロカボの傍へ屈み込む。彼の顎の下に掌を差し込み、無理矢理上を向かせた。


「貴様のようなゴミを宮廷料理人として雇い、人間と変わらぬ正規の額の給金までしてやっているというのに、私の言いつけすら守れないのか、おい」


「や、やめて! 女王様!」


 ヒスイは黙って見ていられず、声を上げた。アブリィがサディスティックな笑みを浮かべながら、ロカボを地面に再度転がせる。


「安心せぇ、こいつは殺さぬ。新たなラー麺のレシピは今、こいつが持ってるのだから。これからも兵のため、腕を振るってもらわねばな。しかしお前は別だ。“私のもの”を(たぶら)かし、この私から奪い去ろうとしている。捨て置けぬよ」


「“私のもの”って……ジェイドのこと!?」


「それ以外に何がある? その男はこのアブリィ・イクリプスが所有権を持っている。この国にいる者、そして存在する万物全て、このアブリィの法の下にある。私がジェイドを所有物であると決定したのなら、その裁定はマノーにおいて絶対だ。不服を申し立てるのなら、力ずくで押し通るがよい、小娘」


 アブリィの左手から白い煙が立ち上り、周辺の大気を凍らせて氷柱のような剣を生み出した。その切っ先が、ロカボの鼻先スレスレにある。


「ただし、私に相対するならばこいつに代償を払わせる。この豚男が裏切らなければ私が無駄な労働をすることもなかったろうからな。お前たちの寝首を掻くか、毒殺でもすれば済んだ話だ」


「アブリィ……あなた、なんて酷い事を!!」


「攻撃魔法を私に向けた時点でこいつの片目を抉る。ま、目が一個無くなったところで料理に支障は無かろうて。もちろん、お前たちにはジェイドをここへ置いて自分たちだけ逃走することは許可しよう。その場合、お前たちは安全にこの城から脱出できよう。素晴らしい料理を考案したお前たちに対する、この女王の感謝の証だ、悪い話では無いだろう?」


「くっ……」


 ヒスイにこういう状況に対処した経験値はない。幸いなことに彼女は戦いをうまく回避して生きてこれた。ヒスイの傍にはいつでも代わりに戦ってくれる誰かがいたからだ。今はその役目をフローラが担っている。それにヒスイには火魔法や光魔法を攻撃魔法として使用するやり方がわからない。ロカボを助け、アブリィに立ち向かう為の術がない。


「ヒスイ、熱くなってはいけないよ」


 ジェイドが、肩を震わせるヒスイにやわらかく語りかけた。そして一歩ずつ、慎重にアブリィへと近づいてゆく。


「アブリィ様、貴女ならこうするであろうことは承知しておりました」


「ほほぅ、わかっていて、逃げなかったのか?」


「仲間を放ってはおけませんから。それに兵たちの健康を取り戻すことが今の僕に課せられた使命ですから」


「義理堅い男だ。ならば交渉に入ろうか」


 氷の剣がアブリィの手から霞のように霧散した。魔法を解き、アブリィが妖艶な笑みを浮かべた。


「王の間で、じっくりと話をしようではないか」


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