2.ジェイドとミームゥ
火水土風光闇。この世界の万物は6つのエレメントの影響を色濃く受けている。魔法の存在するこの世界において、人も必ず何かしらのエレメントの影響下にある。それは時に性格を左右し、魔法使いなら行使する魔法の属性を決定づける要因ともなる。
フローラの操るのは風属性の魔法。領地から追放される前に受けた英才教育と彼女自身の天性の才能によってその技能はかなりのレベルに達している。
ちなみにヒスイは珍しいことに火と光の2属性を使える魔法使いである。だが彼女自身はフローラとは比べものにならないほど魔法の熟練度が低いと思っている。戦闘で使える代物ではないと。
「大旋風!!」
フローラが踏み出した右足で強く大地を叩くと、紫色の小さな光球がいくつも生じた。この一つ一つが可視化された彼女の魔力そのもの。そしてフローラの右手が高く天へ掲げられると光球は渦を成しそれに伴って低い位置から局地的な竜巻のような旋風が発生した。
突進してきたユニコーンは突風に煽られて怯み、立ち止った。首を振って風を嫌がっている素振りを見せる。
流し込む魔力量によってはユニコーン程度なら容易に吹き飛ばすほどの風も生み出せるが、フローラはそれをしない。あくまでユニコーンは新鮮な状態の捕獲が望ましい。可能なら生きたまま捕まえて角を切り落としたいところだ。その方がユニコーン由来の生命力の減損が少なくて済むし、何より無駄な殺生をしなくて済む。
「止まりましたね? 隙ありです!! 風刃の一撃!!」
横薙ぎに払った手を起点に、竜巻を切り裂いて空圧の刃が飛んだ。狙い澄ました一撃がユニコーンの角を根元に近い位置で切断して空中に跳ね上げる。
ユニコーンは悲鳴のような嘶きを上げて踵を返し、森の奥へと逃げて行った。
「わぁ……相変わらず凄い魔法だね」
ヒスイにとっては純粋に憧れてしまうような手練れの御業である。
「ふふっ、私、深窓の令嬢なんで」
屈みこんで、ユニコーンの角を拾い上げるフローラ。ロングスカートの裾を軽く叩いて汚れを払うと、妖艶な微笑をして見せた。ちなみに深窓の令嬢という程には大切に育てられていないフローラである。伯爵第三夫人の次女であり、その位は決して高いとは言えない。単純に魔法適性に抜きん出ていたからこそ目をかけてもらっていたに過ぎない。縁談を断ってしまった時点で家的には厄介な人物でしか無くなってしまったわけだ。
「何はともあれ、無事、新鮮なユニコーンの角、ゲットだね!」
「ほぼ私1人の手柄ですけどね」
「これも私たちのコンビネーションの成せる業!」
「ほとんど私しか働いてませんけどね」
「一緒にお祝いしようね!」
「もう……全然私の話聞いてませんわね? 全く、これで貴女が可愛くてお胸が大きくて嗜虐心をそそるドM体質でなかったらとっくに私、パーティーから離脱しているところですわ……って聞いてます?」
ヒスイはあらぬ方向を向いて硬直していた。目を見開き、口を半開きにしている。
「何が……」
フローラはヒスイの視線の先を目で追う。するとそこに、薄暗い森の奥に影のように佇む人影を発見することとなった。魔力適性の高い人間は感覚が鋭い。人の気配を察知する能力にも長けていることが多い。しかしフローラは、そこに人がいたことなど全く気が付かなかった。
「嘘……」
ヒスイは幽霊にでも遭遇したのかと思った。もしくは幻か。既に死んでいるものだと考えていた。かつて自分を助ける為に荒れ狂う濁流に身を投じた幼馴染。その彼が今、確かな足取りでこちらへ向かって歩いていた。
「ジェイド!?」
背景の闇に同化するかのような、腰まで伸びた長髪。遠間では黒に見えるがよくよく観察すればその髪色が深い藍色をしていることがわかる。歩く度、流水の如くさらりと髪がなびく。接近するにつれ、その容姿も明らかになってきた。男性、しかもかなりの……。
「わぉ……美男子ですわね」
フローラが感嘆のため息を漏らした。それもそのはず、今、対峙している青年はこの世のものとは思えぬ(ヒスイにとってはまさに文字通り、この世にいないと思っていた)美貌を持っていた。ハイエルフ族の極めて高位の者ならばこれほどの容姿を持つこともあるだろうが、人族でここまで整った、研ぎ澄まされた相貌を備えた者など世界中探してもそうはいまい。
切れ長の目、濡れて光る瞳は銀色。背丈もすらりと高い。目測180センチ程度あるだろうか。黒を基調に赤とゴールドのラインをあしらった外套を纏い、動きやすそうな濃いえんじ色のズボンを履いている。この森の中ではいささか目立つ格好である。森の動物たちの注意を引くだろう配色だ。
それよりも奇妙だったのは、ジェイドと呼ばれた美青年の右肩に乗っている緑色の物体。ふさふさの毛の塊のような球体で、大きめのマリモみたいだ。ただのセンスの悪い飾りつけかとヒスイは思ったがしかし、そいつは、やがて閉じていた二つの丸い目を開いた。生物なのか。
「ヒスイ……やはり君だったね」
「ジェイド、生きていたの!?」
「あぁ、運良く」
「あらあら、お知り合い同士かしら?」
フローラはヒスイを手で制し、ジェイドの前に立ち塞がった。
ジェイドが片眉を上げて、首を傾げる。
「君は?」
「私は現在のヒスイのパートナーです。貴方がどちら様かは存じ上げませんが、気安く彼女に近づくのは止していただけません?」
「ねぇフローラ、大丈夫だよ! こいつは私の幼馴染の」
「その方はお亡くなりになられたのでは? 確か貴女、そう仰ってませんでした?」
「そう思ってただけ、でも現に今、目の前に」
「この森は魔物も多く棲息しています。中には精神を乗っ取り幻覚を見せるような種もいるやもしれませんよ? レイス、ラルヴァ、敵意ある悪霊の類かもしれませんね」
「物騒な話をしているね。この僕が悪霊に見えるかな?」
「さぁ……生きている人間だという確証が欲しいところですわ」
「ほぅ、確証ね」
「もぅ、フローラ! 心配し過ぎ!」
「貴女は私の大切な仲間。ですのでそう簡単に、他人様に触れさせるわけには参りません」
フローラは両手でヒスイの体を押して後ろに下がらせる。こうなってしまってはフローラは頑として聞かないことを理解しているヒスイは不満顔ながら素直に従った。
「君……フローラさん、と言うのかな」
「ええ、深窓の令嬢と書いてフローラ・エンジェライトとお読みくださいまし」
「僕はどうすれば信用してもらえるのだろうか」
「このガルガルの森は“多様な生態系”を持つ危険地帯です。一般人が気軽に足を踏み入れる場所ではありません。そんな所へ単身でいらっしゃるのでしたらもちろん、武術か魔法くらいは扱えるのでしょう?」
一陣の突風が吹いた。フローラの足元から発生した風がジェイドの長髪を逆巻かせる。ジェイドは瞳を細め、口元に微笑を浮かべた。
「なるほど、そういう確認方法、か」
「フローラ、まさか!?」
「ヒスイ、貴女はあまり警戒心のない女性です。なまじ見た目が可愛いので放っておくとたちどころに“悪い虫”が付きます。この私がちゃんと見極めて差し上げますわ」
「困ったね。この僕を粗暴な輩扱いかい?」
「申し訳ありませんが、私、こういう性分なので」
「風属性……シルフェの加護か」
「そういう貴方は、水の精霊かしら」
フローラが笑った。その瞬間、彼女の足元の地面が陥没。そのわずか半秒前、フローラは風に乗ってふわりと舞い上がっていた。ジェイドの水魔法による奇襲を読み切っていたのだ。
上空にてフローラが両手を交差させる。紫色のオーブが舞い踊り、風を操って空刃を生み、立て続けに、ジェイドへと降り注いだ。
「ジェイド!!」
ヒスイが悲鳴を上げる。フローラの空刃の威力はよく知っている。あれはどんな硬度の物質もチーズみたいに容易く切り裂いてしまう。
「痛そうな攻撃だな」
ジェイドは棒立ちで、反撃する素振りも見せない。このままでは間違いなく空刃を全身で受けてしまうだろう。
が、実際にはそうはならなかった。ジェイドの肩に鎮座した緑色のモフモフが体毛をウニみたいにピンと張り、それを合図として、地面を割り細い蔦が無数に天へ向かって伸びていく。空刃は蔦を引き裂いて力を失い消滅してゆく。
「土の精霊の加護!?」
何本もの蔦が未だ空中にいるフローラへと迫る。フローラはジェイドの肩に乗る生物の正体を即座に看破したが、既に手遅れだった。彼女の両手両足にするすると絡み付いた蔦は周囲の木々の間に蜘蛛の巣でも張るかのようにして、彼女の体を宙に拘束した。
「あぁん! 酷いですわ!」
「よく言う。君が望んだ結末だよ」
ジェイドの言う事はもっともである。こういう“確認方法”を選んだのはフローラ。しかし彼女はジェイドのパートナーが魔法を扱えるとは想定していなかった。森の中では土属性の独壇場である。相性が悪い。
「ぐすん……参りましたわ。私の事を好きにして構いませんわよ」
「じゃあそこでおとなしくしていてくれるかな?」
「放置プレイですの? こんな恥ずかしい姿のまま捨て置くなんて……ふふっ新たな癖に目覚めそう」
拘束されているのにどこか楽しげなフローラを無視して、ジェイドはヒスイと向き直る。
「本当に久しぶりだね、ヒスイ。元気にしていたかい?」
「うん。あなたの方は?」
「ま、それなりさ」
「そう……」
「お互い、頼もしいパートナーに恵まれたようで何よりだね」
ジェイドが体毛を張って魔法を維持しているモフモフを軽く撫でた。
「もういいよミームゥ。あの子も分かってくれたはずだから」
「みむっ」
ミームゥと呼ばれた生物は大きな双眼でジェイドを見詰めて一度鳴くと、魔法を停止した。体毛がもとの柔らかな状態へと戻る。周囲に展開していた蔦が力を失い解けてゆく。
フローラは地面に落下する寸前でホバリングするように風魔法で衝撃を打消し、静かに着地を決めた。
「なかなか面白い生き物ですわね、何という種族ですの?」
「さぁ、僕にもよく知らない。ノームに関連した若い精霊か、魔物の類だろうけど。本人はミームゥ、って名乗ってるよ」
「みむぅ!」
丸っこい緑のモフモフ、ミームゥがお辞儀した。
「その小さな体でよくあれほどの強度の植物急成長を使えますわね」
「だから僕のパートナーが務まるんだよ。背中を預けるのは頼れる仲間がいい。ヒスイ、君だってそうだろ?」
「私は……」
ヒスイは困惑している。彼女の中でジェイドは既に故人だった。突如姿を現し会話していることが信じられない。だがどうやら現実のことのようだ。幽霊や幻が、フローラとここまで戦えるわけはない。少しずつ納得していく中で、ヒスイの胸中には戸惑いが生まれていた。素直な気持ちを吐き出す前に、喉が詰まった。
「ヒスイ、今の君のパートナーは強い」
「……え?」
「だから今の君に僕は必要ないだろう」
ジェイドが薄く笑った。鋭利な美貌が浮かべる冷笑はヒスイを突き放すように朗々と響いた。
「どうしてそんなこと!?」
「あの日、僕と君とは生きる道を違えてしまったんだよ。過去へは決して戻れない。今の君を一目見て理解した。君はずっと変わらずに君のままだった。けれど僕は……」
ジェイドの背後には深い闇を湛える森がある。一歩、彼は後ずさる。
「待って、ジェイド!」
「ダメですヒスイ!」
駆け出そうとしたヒスイをフローラが抱きしめて制止する。そしてジェイドの足元を指差した。
「都市国家マノー。僕は今、そこにいる」
ジェイドの足元から黒煙が発生する。瞬く間にそれは彼の下半身を覆い、じわじわと上半身へ上っていく。
「ジェイド、どうして逃げるの? せっかく再会できたのに!」
「君の為だ。君が幸せに生きる為……」
黒煙がジェイドとミームゥの全身を覆い隠す。
「いけませんよ、ヒスイ。あれは闇の魔法、影の暗幕。貴女のような光の魔法使いが触れてはなりません」
「でも、ジェイドが!!」
顔を歪めて手を伸ばすヒスイの前で、ジェイドの姿は煙と共に掻き消えた。
「そんな……」