19.ヒスイの秘密
その日、食堂は詰めかけた兵士で大賑わいであった。お腹の贅肉をたぷたぷと揺らした巨漢達がトレーを手に列を成している。ヒスイの“人のエサ”提供初日。ロカボ自身が率先して宣伝したこともあり、兵士達の期待感は既に最高潮。“豚のエサ”を超えるメニューという触れ込みに、こっそりと任務を放り出してまで食べにやって来た者達までいた。
結果から先に言ってしまおう。ヒスイの“人のエサ”は兵士達から大好評であった。食後のプリンも、替え玉も、大成功。ヒスイの作戦は見事に成功した。
ちなみにあの試食会の後、ジェイドの提案で別のスパイスもスープに加えることになった。強精効果のある屹立豆と呼ばれる豆類の乾燥粉末である。
独特のスパイスブレンドにより食後に血行が促進されまくった兵士達はその持て余したエネルギーを午後の訓練にぶつけた。これまでただただ満腹で動けなくなっていた肥満兵士達の姿はそこには無く、燃え上がる闘志の精鋭、マノー兵団が再び、蘇ったのである。
ヒスイの説得により“人のエサ”の提供は週に3回と決められた。毎日同じメニューばかり食べていては栄養バランスは偏るばかり。兵士達にはもっとバランスの良い食事を心がけてもらう為に他の日はサラダを中心にしたヘルシーメニューを提供することになった。
幸いなことに、アブリィやロカボが心配したような暴動は起きなかった。
「本当に、本っ当にごめんなさい。特別なスパイスを使っているので毎日はお出しできないんです。許して下さいねっ。てへぺろっ」
ヒスイがロカボの代わりに兵士達の前に立ち、誠心誠意、心を込めて(?)謝り倒したからである。
「か、可愛い……」
「聖女だ……」
「許す!」
「俺も許すぞ!」
「結婚してくれ!」
等という黄色い声援が飛び交い、すんなりと兵士達はヒスイの言う事に従ったのであった。恐るべし、ヒスイ!
実際のところ、トクホの実も屹立豆もそんなに大量に確保し続けることは難しい香辛料である。数百名の兵士達に毎日提供し続けるほど、生産量は多くない。またその他の食材にも大量に流通していないものが多く、新メニューの安定供給に至るまでにはまだまだ年月がかかることが予想された。
それから数週間が経過した。兵士達はみるみるうちに元の屈強な、いやそれ以上の頑強な肉体を取り戻しつつあった。
「既にアブリィ様はスリムヘルシ帝国と共同で大規模な農場開発に着手し始めたようだ。君の“人のエサ”の安定供給の為に西方との貿易路の拡大も同時に行う方針らしい」
「そっか。良かった、本当に」
ジェイドの報告にヒスイは目を細め、にこりと笑った。都市国家マノーの危機は去った。
夕食の時間が終わり、厨房にも平和な時間が訪れている。ロカボが保管庫に余った具材を放り込んでいる。ヒスイとジェイドは一息ついて紅茶を飲んでいた。
「ここから先は、私たちの出る幕じゃないね」
ヒスイのレシピはもうロカボに渡してある。彼はあまりにもすんなりとヒスイがレシピを譲渡するものだから、たいそう驚いて恐縮していた。
「い゛、いいのか!? こんな大事なものをオデなんかに」
「うん、いいんだよ。だって私は、みんなの笑顔の為に料理をしているからね。それにこのレシピはロカボさんのラー麺が無ければ完成しなかっただろうし」
料理人はこの世界においてはかなりの厚遇を受ける職業である。それ故に彼ら彼女らの新作レシピには稀少な宝石以上の価値が認められる。そんなものを、ヒスイは簡単に投げ出してしまう。彼女にとってレシピなど、その程度の意味しかない。レシピそれ自体が大事なのではなく、おいしいものを作って、それを食べた人々が喜んでくれることこそ意味があると考えているのだ。
「ヒスイ、君は見事にアブリィ様の期待に応えて見せた。きっとあの方も、君を高く評価しているだろう。もしかしたら寵愛を受けてこの国に定住を許可してもらえるかもしれないよ」
「私は、そういうことには興味ないかな。この国の問題が解決できたのなら、また旅に戻るよ」
「そうか」
「ねぇジェイド、私と一緒に」
ヒスイが言いかけた言葉は、ジェイドによって止められた。彼は人差し指を自身の口元で立ててヒスイに中断を促し、それから静かに言った。
「その前に、君にどうしても伝えておかなくてはならないことがある」
「えっ?」
「フローラさんを、連れてきてくれないかな。この時間だと……この厨房が一番いいかな。構いませんかね? ロカボさん」
「あ゛、あぁ、オデは大丈夫だど。何か秘密の会話をするのかぁ?」
「えぇ、プライベートな内容です。もしよろしければ、少し席を外して頂けませんか?」
ロカボはすんなり従って厨房から出て行った。
程なく、ヒスイはフローラを捕まえて食堂へと戻ってきた。ジェイドはミームゥを肩に乗せ、先に待っていた。
「あら、全員集合ですのね。どういった風の吹き回しですか」
『ジェイドよ……お主、遂にあのことを』
ミームゥのテレパシーは触れているジェイドにしか聞こえていない。ジェイドは頷いて、ヒスイを正面から見据える。
「ヒスイ、君は僕と離れているこの5年間で見違えるほど成長した」
「ジェイド、どうしたの急にそんなこと」
「聞いてくれ、大事なことだ。君は恐らく君自身について勘違いをしている。ある意味ではその勘違いがこれまで君を救ってきたのかもしれない」
「ううーん、言ってる意味がよくわからないよ」
「これから説明する。恐らく、そろそろ言っておくべき時機だと思うから」
そして、ジェイドは語り出した。ヒスイの“ある秘密”について。