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18.味覚の魔法

 ヒントは思わぬところに転がっているものだ。だがそれを活かすも殺すも当人次第。ヒスイが突破口(ブレイクスルー)を得たのはひとえに彼女の経験値の成せる業。旅の中で出会った多くの人々、無数の文化と料理。困難を乗り越えてきた経験。あらゆるものが、ヒスイに天啓にも似た閃きを与えた。


「完成したよ、“豚のエサ”の改良版。名付けて……“人のエサ”!!」


「そのネーミングセンスはどうなのかしら?」


 フローラが苦言を呈するも、ヒスイはさらっと流してその場にいる全員を等分に見渡した。自信満々の表情。ジェイド、フローラ、ロカボ、3人の前にそれぞれどんぶりが置かれていた。


「これが、オデのラー麺の改良版……で、でも何が変わったんだど? 具材は新しくなっているみたいだけんども、スープも麺もあまり変わって無さそうに見えるど」


「香りが、少し違うよね」


 ジェイドは鋭い指摘をする。ヒスイが加えた香辛料を、優れた嗅覚で敏感に嗅ぎ分ける。


「さすが、ジェイド。でも、正解はまだ言わないよ。とにかく食べてみて欲しいの。話はそれからだね」


 この“人のエサ”の完成までには数週間を要した。材料の確保に意外と時間がかかった。マノーのマーケットはかなり充実しているがヒスイが求めていた一部のスパイスは一般にはほとんど流通しないものだったのだ。それは人間にとっては有害であると考えられているもの。リザードマンやエルフ等、自然の中で生きる種族が古くから活用してきたとある樹木の種子。ヒスイはそれらをわざわざ現地まで調達しにいかなくてはならなかった。

 

 国境を越え、都市国家マノーと比較的有効な関係を気付いている西側の隣国スリムヘルシ帝国まで出向いていたのだ。

 ヒスイはリザードマンの里へ赴き、その地の龍鱗族が頭を悩ませている毒龍を対峙して信頼を得、彼らからスパイスを譲り受けたのであった。


「さぁどうぞ、召し上がれ!」


 ヒスイが言った。

 “人のエサ”を前にした3人は、三者三様の反応を見せた。


 ジェイドはまず香りをしっかりと嗅ぎ、続いてレンゲで少量のスープをすくって口元へ運びその味を吟味した。


 フローラはフォークで豪快に麺をざばぁっと濃厚スープから引き揚げ(サルベージ)してズルズルといきなり啜り始めた。深窓の令嬢はすっかり“豚のエサ”にやられて食い方がやたらとワイルドになってしまっていた。


 ロカボは具材に興味を示した。豚バラ肉のチャーシューがブロックではなく薄くスライスされていることに注目。しかも、どうやらそれだけではないことにも気付く。軽く炙られた豚ばら肉のチャーシューの下に、別種の肉が存在していた。鶏のむね肉、中でも淡白な味わいのささみだろうか。豚と鶏、二種のチャーシュー。


「スープの濃度は相変わらず。こってりとしていて舌に絡み付いてくるね。麺もそのままかな。ただ、何だろうこれは……スープの味わいがより複雑になっている。豚骨と香味野菜だけじゃない……隠し味を入れたね」

「あぁ、おいしい。いくらでも食べられますわ。極太の麺と臭い豚骨スープ。もう私……このまま豚になってしまっても良いですわ。ってこのラー麺、前と何が違うのでしょう?このカリカリに揚げたオニオンスライスですか? 食感のアクセントとしてはなかなかですけど。チャーシューもなんだか薄っぺらくなってしまいましたわね。野菜の山盛りも無くなってしまいましたし」

「あ゛、麺の量も減らしてるだぁ? 」


 それぞれの感想が出てくる。ヒスイのこだわりとしてロカボが生み出したラー麺の根幹をなす部分は変えていない。だから一見、ちょっとしたバージョン違いくらいの印象しか抱かない。始めの内は、である。


 やがて食べ進めていくうち、明確な変化が表れてくる。

 その“症状”が最初に出始めたのは人間よりも体温が高く汗腺の発達したオークであるロカボ。続いて勢いよく麺とスープをかっ喰らっていたフローラ。最後がジェイドだった。


「あ、熱いだぁ。汗が、噴き出てくるど。舌もなんだかピリピリしてきただで」


 普段から汗をダラダラかいているロカボだが、今や彼の顔面は滝のような汗にまみれていた。フローラも、眼鏡を外し何度もナプキンで汗を拭っている。ジェイドは、ゆっくりと味わって食べていたから発汗もやや少なめだった。そしてやはり、最初にその正体に至ったのはジェイドだった。


「これは……特殊な香辛料を使っているね。このピリリと舌を刺す刺激……この発汗作用。トクホの実かな?」


「当たり! ほんの一つまみの、私だけの秘策だよ。入手するのが大変だったんだから」


 トクホの実。それは山椒のように痺れる辛みと独特の香りを持つこの世界特有の樹木の果皮の俗称である。発汗作用に加え、食事と一緒に摂れば糖と脂肪の吸収を阻害して体外へ排出させるという効果を持つ。その上、邪気を祓う作用もあり、人間界では一部のシャーマンが儀式の際に用いることで知られる香辛料だ。

 だが貧困が蔓延するこの世界において、貴重な栄養源である糖や脂肪分を排出する実など有害以外の何物でもなく、基本的には味付けに使われることはない。

 リザードマンやエルフは人間のように食べ物から栄養を吸収するだけでなく自然界に存在する魔力をも自身に取り込み糧と出来る為、体内に取り込み過ぎてしまった過剰な魔力や邪気を排出する目的でトクホの実を食用する。だから彼らにとってはちょっとした健康維持の為のサプリのような感覚だ。


 圧倒的なカロリーボムである“豚のエサ”。そこに含まれる大量の脂質をトクホの実でカットし、香辛料による辛みを上乗せすることで、当然のように次なるアクションへと移行させる。

 全員がコップを手に取りゴクゴクと水を飲み始めた。ここまではヒスイの想定通り。そして水の異変に、ジェイドが気付く。


「これは……脂解水ではない!? ただの水かい?」


「うん」


「……そう、か。トクホの実をスープに混ぜているなら敢えて脂解水でなくとも良いわけか。でも、この香辛料の刺激は結構強いね。後引く辛さだよ。兵士たちに果たして好評を得られるだろうか」


 もちろん、これだけではない。ヒスイは自分の思い通りの疑問をジェイドがぶつけてきたことに対し、にっこりとほほ笑んでから、デザートをテーブルへ並べだした。小皿の上には何と、甘い香りを漂わせる真っ白いプリンが載っていた。


「ラー麺に、プリンですの?」


 それはとても奇妙な取り合わせに思えた。聞いたことのない食べ合わせだった。


「まぁ、騙されたと思って、食べてみてね」


 促されるままにジェイドとフローラがプリンを口にする。


「ぷるぷるしていて、とても甘くて、確かにおいしいですわ。牛乳プリンですわね。けれど……これがどういう」


「このプリン、通常よりもずっと甘く作ってあるね。後口に甘さが残るけど……っ!?」


 フローラがきょとんとしている隣で、ジェイドが目を見開いた。やはり、ジェイドだった。最初にその意味を掴み取ったのは。


 何故、ロカボのラー麺はおいしくて食べやすいのか。それは大量の脂質が麺とも具ともうまくマッチして濃厚でありながら意外にもマイルドな食味にしてしまうから。しかし実際はカロリーも油分も塩分も明らかに過多であり肥満の原因になっていた。


 そこでヒスイは濃厚豚骨のパンチに負けないよう、痺れる辛みをプラス、味わいに変化を出した。この辛みの素であるトクホの実自体が非常に健康的でデトックス作用を持つ香辛料であるのに加え、水もたくさん摂取してもらうことで満腹感を促し、食べ過ぎも抑制。更に辛みのあるスープであれば、汁まで飲み干すことも抑制できる。


 これに加え野菜を減らしたのは、スープと麺を覆い隠すように山盛りになっている野菜を食べるのに手間取って、どんどん麺が伸びてきてスープとよりハードに絡んでいくのを防ぐため。麺の体積が増えるまでに素早く食べきってもらえるよう、敢えて野菜を減らした。


 チャーシューもブロック肉ではなく薄いスライスに変えて、豚ともう一つ、秘密の肉を加えた。シュガー・リザードのもも肉である。鶏のささみとよく似た低カロリーのヘルシー肉だ。味わいも非常に淡白で、筋繊維が柔らかくて歯で噛まずともほろほろと口の中でほどけてゆく食感がある。食用としてはあまりメジャーではないが、狩人がシュガー・リザードの背中の結晶糖を獲得する際に皮や肉も一緒に持ち帰って自分たちの食糧にしたりする。


 ラー麺の改良についてはこの通り。そしてジェイドが気付いた牛乳プリンの仕掛けについても解説する。


 ジェイドは料理人として経験豊富な男だ。しかも彼はどちらかと言えば作る側の人間。だからその意味にいち早く気付いた。

 辛いものを食べた後で冷たい水を飲むと、辛さがより際立ってしまう。では辛いものの後で甘いものを食べた場合はどうか。辛さを甘さがうまく中和してくれるのである。

 それだけではない。辛いものをたくさん食べると胃腸が荒れたりするが、乳製品を一緒に摂ることで粘膜を保護してくれるので、伝統的に辛い料理をよく食べる地域の食文化には必ずと言っていいほど、甘い乳製品や乳飲料が存在する。たとえば中華料理の杏仁豆腐、インド料理のラッシー等が挙げられる。


 これだけでは野菜がまだまだ不足していて栄養バランス面からすれば完璧とは言い難いが、それでも以前の“豚のエサ”と比べれば健康面への配慮には雲泥の差が出ていることがわかる。


 塩味から辛味、辛味から甘味へと、次々と変化する味覚の魔法。ヒスイはフローラの「酸いも甘いも」と言う言葉からの連想ゲームによりこの答えに辿り着いた。ジェイドの脂解水は、塩味からミントの清涼感への変化が急激過ぎて食べ合わせの点から兵士達に不評だったのである。


「ちょ、ちょっといいだか?」


 ジェイドとヒスイが感嘆している横で、ロカボが申し訳なさそうに短い手を挙げた。


「はい、ロカボさん」


「す、すまねぇけんど……オデには量が物足りないだぁ。兵士の健康の為に麺を減らすのはいいけんど、これじゃあ大食いの兵士達からは文句が出てくると思うど」


「ですよね。そこは私も考えました。ロカボさん、麺はもう食べ終わってますね? スープは残していますよね?」


「お゛、あぁ」


「じゃ、“替え玉”します?」


「ん゛、何だど、それ?」


「麺だけ追加しますか? ということですよ」


「え゛、麺だけ!?」


 我々の世界では近年一般的になってきた替え玉制度であるが、当然この世界では前代未聞のことである。貧困の時代に突如として出現したドカ盛りラー麺だけでもオーバーテクノロジーであるのに、更にその先、替え玉とは。これもまた、ヒスイの柔軟な発想の成せる業。


「替え玉はなんと、専用の細麺での提供になりますよ!」


「替え玉専用の、細麺゛!?」


「茹で加減はどうなさいますか、お客様。レア、スーパーレア、ウルトラレア、レジェンドレア、ほとんど生、から選んでくださいねっ!」


「茹で加減までオーダーできるだどっ!?」


 基本となる麺の量を減らしたのも作戦の一つ。替え玉を細麺にすることで2玉食べてもカロリー的には“豚のエサ”よりも控えめになる。だが替え玉の提供時間が少しかかることで食事全体に要する時間も増し、満腹感をより感じやすくなる。量は減らしても満足感は増大させる。


「ただの栄養補給じゃない。食を楽しむ為の食事。“人のエサ”、ここに完成だよ」


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