16.豚を手懐けろ!
あれから数日が経過した。ヒスイとジェイドは城の皆が寝静まった深夜、厨房にいた。“豚のエサ”対策を考える為である。
厨房にはいくつかの光球が浮かんでいる。ヒスイの魔法だ。光球は時間の経過と共に消滅するから、その都度、ヒスイは新しいものを生み出して浮かべていた。これくらいの魔法なら難なく扱えるよう、ヒスイは成長していた。
「僕は“豚のエサ”と一緒に飲む健康的な水を作ってみたけれど、あまり飲んでもらえなかった。食べ合わせによる方法は効果が薄いかもしれない」
「あれだけ強烈な味だもん。水だけじゃ太刀打ちできない。あのラー麺自体を改良するか、いっそのこと全く違うメニューを出してみるか……。でも私、出来るだけロカボさんのラー麺の本質は変えたくないの」
「本質って?」
「ロカボさん、ラー麺を作る時いつもすごく充実した顔をしてる。みんなが、自分が作った料理をおいしいおいしいって言いながら食べてくれるから。あの人は悪い人じゃないんだよね。ただ一生懸命、兵士に喜ばれる料理を作ろうとしているだけ。朝は誰より早く起きて仕込みをして、夜も遅くまでスープを炊いているの」
なので厨房はいつも濃密な豚骨臭に包まれていた。今は裏口へ通じる扉を開け放って換気をしている。厨房は扉を隔ててすぐ外になっている。井戸と物置小屋があって、小屋の脇には大量の薪が置かれている。ロカボは手が空けば自分で薪割りまでする。
「だから私は、ロカボさんの作ったラー麺を何とかして健康的なメニューにしてみたい。基本的な味付けはそのまま残して、濃厚さとヘルシーさを両立させたい」
「それは……とても困難な道のりに思えるけど」
「そうだね、でも、頑張ってみる」
「ならば、私の力添えが必要ですわね」
そこへふらりと、フローラが姿を見せた。
「フローラ! もう平気なの?」
「ええ、回復致しました。まさか3日も体調を崩してしまうとは“豚のエサ”恐るべし!」
「城の屈強な兵士ですら、あのラー麺を食べ始めた頃は皆、腹を下していたよ。だが慣れると病み付きになるらしい」
ジェイドはそのあまりの中毒性から何らかの違法な薬物が使用されているのではないかと疑ったのだが、そうではなかった。ユニコーンの角は全く反応を示さなかった。自然食材の持つ力だけで、あれだけ人を虜にするメニューを形作っているのである。
「今ならよくわかりますわ。あれはとても丁寧な仕事です。見た目に騙されてはいけませんね。いかにもジャンクなメニューと見せ掛けて、その実、食べやすさという点においてかなり研究されています。あの脂っこいスープが麺や具材に絡まりながら表面をコーティングして、するりと飲み込めるようにしている。ですから満腹を自覚する前に食べ過ぎてしまうのですわ。更に悪いことに、時間が経つほどに冷めていくスープの粘度が増してどんどん麺に絡み付いてくるので、途中からは“スープを食べている”状態になってしまいます」
そこまで一息に言った後、フローラは中空を見つめ、
「ですが、この味は危険ですわね。未体験の濃厚さ、パンチの効いた味わい。これは殿方が夢中になるのも頷けますわ。私とて、体調が万全になったらまた食べてみたいと、思ってしまっていますわ」
ぼそりと呟いた。
「フローラさん、わかりやすい感想をありがとう。どうだい、ヒスイ」
話を振られ、返答に窮するヒスイ。
「うぅー、すぐには答えを思い付かないよ。どうしよう……濃厚で、それでいて健康的……」
ヒスイは押し黙り、考え込む仕草を見せた。ジェイドとフローラは興味深げに彼女の動向を見守る。
静寂が厨房を支配する。そして、最初にそれに気付いたのはドアに近い位置にいたフローラであった。
「足音、聞こえません?」
「えっ? ホント?」
ヒスイはジェイドに視線を送る。ジェイドも何かに気付いた素振りをしている。
「誰か、こっちにやってくるね」
ヒスイが浮かべている光球の明かりはドアの隙間から廊下へ漏れ出ている。兵士が、見咎めに来たか。
いや、兵士では無かった。やってきたのは現在の厨房の“主”だった。
「おや゛? こんな時間に集まってさ、作戦会議かぁ!?」
オークの料理人、ロカボである。
「ロカボさん、どうしたのです? こんな時間に」
「仕込みの時間だぁ。最近はオデのラー麺が人気過ぎて手が回らねえ忙しさだでな。近々新兵がたくさんやってくるらしいで、もっともっとオデも頑張らなくっちぁ」
短い手足でバタバタと厨房を横切り、保冷庫をあけるロカボ。中には氷の魔法使いが生み出した氷塊が並んでいて、冷蔵保存するのが望ましい肉類等の食材がしまわれていた。
ふと、ロカボは3人を振り返りブヒッと鼻を鳴らす。
「う、噂は聞いてるど。オデの“豚のエサ”に対抗するメニューを、作るつもりなんだど? だからこんなよ、夜中にコソコソ集まって、会議してるんだぁ」
「対抗だなんて、そんな。以前にもお話したと思いますがロカボさん。僕はあくまで兵士の体の事を思って」
ジェイドは無駄だと知りつつ、ロカボを諭すような口調で言う。しかし既に彼には何度となく説得を試みていた。そしていつも徒労に終わっている。聞く耳を持ってくれない。
「兵士は、あんなに喜んでくれてるんだど! お、オデはみんなに喜ばれるおいしいラー麺をつ、作ってるだけだぁ。それの何がいけない!?」
ジェイドが更なる反論に出ようとした気配を察し、機先を制してヒスイは彼の胸にそっと手を置き、首を振る。恐らく、ジェイドが何を言っても決して聞き入れられることはないだろう。
「ロカボさん」
ヒスイはロカボの目の前まで接近し、突然その両手を掴んで引き寄せた。
「なっ、何するだっ!?」
「私も料理人です。だからあなたの気持ち、よく分かります。自分が作ったおいしいものをみんなに食べてもらいたい。喜んでもらいたい。素敵なことだと思います」
「ちょ、ちょっと、は、離して欲しいだぁ」
ヒスイがロカボの腕を自身の胸元まで引き付けているから、しぜんと彼の両手がヒスイの豊かな膨らみにガッツリ触れていた。
「私、ロカボさんのこと、尊敬してますよ」
「そ、そんけい?」
「はい。あんなに人を夢中にさせる料理を作るなんて。誰にも真似できることじゃありません。しかも、こんな時間からたった一人で仕込みもして。寝る時間もほとんど無いんじゃないですか? どうしてあなたはそんなに頑張れるの?」
「え゛っ? だってオデ……こんな酷い見た目だで、ずっといじめられて来ただぁ。それがやっと、認めてもらえるようになって……う、嬉しくて。みんながオデにありがとうって」
ヒスイにも、ロカボの気持ちはよく分かる。旅を続けながら行く先々で痩せ細った人々を見、厳しい暮らしを目の当たりにし、料理人として自分には何が出来るのかを煩悶し続けてきた。
フローラからは無意味だと言われながらも出来る限りの施しをして、料理を振る舞ったりして、その度にもらった感謝の言葉が胸に蘇る。
料理は、世界を変えられる力を秘めている。ロカボの“豚のエサ”はそれを体現している。だから、だからこそ、今ここで改良しなくてはいけない。ロカボ自身もまだ気付いていない。このままジャンキーなラー麺が供給され続ければいずれ、この国は内側から瓦解する。
「わかります。わかりますよ、ロカボさん。私もみんなに料理で喜んで欲しい。だから、一緒にやりませんか? 二人で、もっともっと喜んでもらえるラー麺を!」
「い、一緒に、やる?」
一段と強く、ヒスイは腕に力を込めた。するとロカボの両手をヒスイの双丘が柔らかくしっかりと包み込む。
「やりましょう! ロカボさん!」
「わ……わかっただで……」
「ありがとうございます! 嬉しい!」
トドメの100パーセントのスマイル。ロカボ、ここに完堕ちである。
「……なかなかやるわねヒスイちゃん。男をたぶらかす素質、ありますわ」
ヒスイにとっては無自覚の行動だったが、深窓の令嬢は勘違いしてしきりに感心していた。
隣でジェイドもヒスイのハニートラップ(本人にその意図はなし)の手並みに思わず絶句。
(ヒスイ……君ももしかして僕と同じように男に媚びて生活を!?)
何はともあれ、ジェイドでは不可能だったロカボの懐柔はヒスイによって即座に完了したのであった。
料理バトル、ここに決着!!
ヒスイちゃん、意外と怖い子。