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15.穏やかな午後

 改めて説明しておこう。この世界に住む多くの人々は貧困に喘いでいる。

 かつて、太古の邪神の力を得て強大な魔法使いとなり世界を掌中に収めんとした魔王エヴァーランド。勇者によってその野望は打ち砕かれたが、それは同時に魔王により荒廃した世界を多くの国家が奪い合う次なる戦乱の時代の幕開けに過ぎなかった。

 魔王の軍勢に対抗するために一致団結していた人類は、共通の敵を失ったことで空中分解した。対魔王用に研究が進められた魔法や兵法が、今度は人間自らへ牙を剥いたのだ。

 真っ先に戦争の犠牲になるのは末端の人々である。平民達は長引く戦乱の世の中で痩せ細り、命の危険に晒され、時に寝床を追われ、時に“肉の盾”として最前線へと狩り立てられた。


 おいしい料理をお腹いっぱい食べられること。こんな当たり前の幸福が夢のように遠い場所に、人々はいる。


 都市国家マノーは周囲を列強国に取り囲まれている。その中で独立を維持することがいかに困難であるか。この無理難題を可能にしているのが絶対的支配者アブリィ・イクリプスの超一級の魔法使いとしての威光、そして彼女のもとに集いし屈強な兵士達の存在である。

 マノーに攻め入るのは骨が折れる。そう隣国が思ってくれているうちは、国内の人々は安全でいられる。


 だが由々しき事態は発生していた。オークの料理人ロカボが作り出した究極のラー麺“豚のエサ”。満腹どころか日々の食事をしっかり摂れることすら稀なこの世界にあって、味覚を破壊するほどに濃厚な味付けと満腹中枢を浸食し麻痺させるほどカロリーモンスターなメニューの出現は兵士にとって極めてショッキングな出来事だった。

 彼らはあっという間に魅了され、“豚のエサ”の虜になった。そして肥満が蔓延し始めた。


 多くの兵士が醜く肥え太っていく。日々の生活にも支障をきたすような急激な体重増加。これが続けばマノー兵団の士気は下がり続け、ゆくゆくは他国の侵略を受けてこの国は滅びるだろう。


「というような深刻な事態になっているんだよ」


 かいつまんで、ジェイドが現状説明を行っていた。場所は城の中庭。ベンチに二人腰かけて、話し込んでいる。


「で、ジェイドがその対策を担当しているわけだね」


「うん。僕は料理人ギルドから派遣されてここに滞在しているんだけど、うまくアブリィ様の信任を得ることが出来ている。直接雇用も夢じゃないね」


 異性として気に入られているから、という説明は省いた。ジェイドはアブリィを尊敬しているが彼女の愛人になるつもりはない。最愛の人は今、目の前にいる。


「それは凄い。さすが、ジェイド」


「いや、僕はアブリィ様に仕えるつもりはあまり無いんだ。だって、ほら、君に約束したからね」


「うん」


 あの夜の出来事を思い出したら二人とも少し恥ずかしくなった。同じタイミングで俯いて、それからまた同じタイミングで笑い出した。感情が伝播するように、ヒスイが笑い、ジェイドも笑った。


「昔に戻ったみたい」


「僕もそう思うよ。君とまた会えて心から嬉しい」


「聖剣の導き、だね」


「聖剣を持つ者同士は引かれ合い、いずれ交わることになる、か。師匠の言った通りになったね。やはり未来視は正しくこの邂逅(かいこう)を見抜いていたわけだ。だったら、僕たちはこれから多くの人々を笑顔にすることになる」


「きっと、今回の一件のことだよね」


「あぁ、そうに違いない」


 今、都市国家マノーの国防を内部から脅かす大問題。兵士たちの肥満。飽食の時代からすれば笑える話で済むかもしれないが、肥満がある種のステータスとして機能するこの世界において、太ってしまった兵士を痩せさせるのは困難である。


「頑張らなくちゃね、私たち」


「君と一緒なら、僕はどんな難問すら突破出来るよ。君のその真っ直ぐな瞳が、僕に勇気を与えてくれる」


「なんか今日、やけに褒めるよね」


「そうかな?」


「そうだよ。恥ずかしいよ」


 もっとずっと、二人で話していたい。失った時間をこれから少しずつ、修復していきたい。ヒスイはジェイドと手を重ね、その体温を掌に感じた。少しひんやりしたジェイドの手。


「ジェイド」


「ん?」


「ありがとう」


「何だいそれ」


「何でもないよ、言いたかっただけ」


 言葉に表し切れない想い。生きていてくれてありがとうと思った。一生守るなんてとびきりのセリフを言ってくれてありがとうとも思った。今、ここで見つめ合って話してくれてありがとうと、そんな風にも思う。ジェイドという存在の大きさに、感謝していた。ヒスイにとって友達であり家族であり、今はそう……共に歩みたい大切な、愛する人。


「僕からも、ありがとうと言わせてくれ」


「いいよ、好きなだけ言って」


「そんな。何日かかるかわからないよ?」


「何日でも聞くよ」


「ふっ」

「えへっ」


 お昼時、中庭には人気(ひとけ)がない。ジェイドはヒスイの桜色に染まる頬をそっと両手で包んで、柔らかな口づけをした。

 それはとても穏やかな午後の……





「うぐぅ……お腹が、お腹が痛いですわ……。ヒスイちゃん……助けてぇ」


 自室のベッドで毛布にくるまって震えているフローラ。彼女は昨晩から酷い下痢に悩まされていた。原因はもちろん、“豚のエサ”である。あまりにもしつこい味付け、ボリューム、大量の脂質がフローラの消化器官をオーバーフローさせたのだった。ドカ盛り系メニュー初挑戦の人間にありがちな症状である。


「なんだか、ヒスイちゃんがジェイド様とイチャついているような気がしますわね……。私がこんなに苦しんでいるのに……しくしくっ……人でなし。うう、おかわりなんてするんじゃなかった……」


 お腹がぎゅるぎゅる鳴って、冷や汗をかきながら深窓の令嬢は身悶えした。


 穏やかな午後であった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] やられた兵士がギリギリで生きていて何よりです(笑)。女王様がライバルって最強過ぎませんか? こわっ。 フローラの食レポは変態過ぎですね……(゜▽゜) これはもうヒナちゃんに対する挑戦! …
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