12.二人だけの時間
光属性と闇属性について、多くの魔法研究者が指摘する点がある。
かつて、万物は虚無より出で混沌へと至った。その中から長い年月をかけて秩序が生まれ、秩序は4つの属性となった。すなわち火、水、土、風である。そして原初の生物が誕生し、原初の精霊が形作られた。火のサーマンドラ、水のウンディーネ、土のノーム、風のシルフェ、4つのエレメントを象徴する精霊達である。
時は流れ人類がこの地に産声を上げるのと同時に、光と闇は出現した。この2つの属性は人間なくしてはありえない。光と闇、それは人の心と密接に関わっている。自然界には本来、聖なるものも邪なるものも存在しなかった。これらは人が観測し人によって再定義されたものに過ぎない。神聖性も邪悪さも、人からそう見えたというだけのこと、当の生物にとっては単なる営みでしかなかったのだ。
人類と他の生物、魔物、精霊が共生するようになると光と闇のエレメントは生態系にも影響を及ぼすようになった。能力を持たないものには触れることは出来ないが確かに存在する“魔力”という概念が、人と他の生物を介在し、相互に影響を与えあった。そして、自然界にかねてよりあった4つのエレメントに加え新たに光と闇、2つのエレメントが加わることになったのである。
人間の魔法使いの中でも光属性と闇属性を操る者は稀少である。更に言えば強力な光属性を持つ者は中でも相当に珍しい。類稀な高潔さを持たなければ光属性を極めることは出来ないからだ。
また、闇属性は光を呑み込むと言われることもある。闇属性使いは多くのケースにおいて光属性よりも強い。だから交われば闇が勝つ。実際には魔法使いとして熟練度の高い者が打ち勝つのであるが、光属性使いがレアであることもあって俗説として光は闇には勝てないと信じられているのだ。
魔法使いの中でさえ、闇>光の図式はメジャーなものとして語られる。ガルガルの森でフローラがヒスイに対して警告したのは、こういう背景があってのことだ。闇属性の魔法にヒスイが触れれば彼女の光が失われる。フローラはそれを危惧したのだった。
影の暗幕が解けた時、ヒスイとジェイドは城の裏手に存在する田園地帯へと瞬間移動していた。この影を纏う魔法は術者を影から影へ移動させることが出来る。夕暮れから夜闇へと向かうこの時間帯であれば利用できる影は多い。ある程度の長距離移動も容易になる。
遠く西の空へと太陽が沈みかけていた。茜色の大スクリーンを浸食する群青はその勢力を増し、すぐに夜がやってくることを教えてくれる。
「大丈夫かい?」
ジェイドは握っていた手を離し、一歩だけ後退した。それから不安げにヒスイへと問うた。闇の魔法に触れて平気だったかと、訊いたのである。
「うん」
初めて闇魔法に直に触れたヒスイは驚きこそしたものの、自分が抱いていたイメージとは違う感触に驚いていた。もっと、底冷えするような恐ろしいものだと考えていた。ジェイドの手を握り、共に影に包まれた時彼女は、ぬくもりさえ感じていた。
「凄かった」
太陽を背にしたジェイドの顔は、陰になって見えにくい。でもわかっていた。ヒスイには、闇属性の魔法を操る彼の心が、闇に堕ちてはいないことを。
フローラと二人、ジェイドの独白を盗み聞きしていた。どうやらあのミームゥという生き物に話し掛けているようだった。とても辛い内容。ジェイドのこれまでに比べれば自分は何て恵まれていたんだろうと思った。
「ジェイド……ごめんね」
「ん?」
「全部、聞いちゃった」
「あぁ、そうだね。出来れば君には知られたくなかった、かな」
「でも、生きててくれて、本当に良かった。もう二度と会えないと思ってたんだから」
まず生還できるはずのない状況だった。あの豪雨の夜、ジェイドは濁流に飲まれて流されていった。最後の力を振り絞り魔法を放ち、ヒスイの命と引き換えに。
「私、私は……だから貴方の分まで頑張らなくっちゃって。だから必死に魔法の勉強も料理の勉強もして。それで、それで……」
ヒスイからはジェイドの表情は窺い知れない。けれどジェイドには、今の自分の顔がはっきりと見えているだろう。さぞや、酷い顔をしているに違いない。ヒスイは思った。言葉にすればするほど言葉にならない想いが溢れて来て止まらない。どれだけ、ジェイドのことを想ったのだろう。忘れようとした夜も、夢に見てうなされた夜もあった。師匠を恨んだことも。
「カラメルソースだって、うまく作れるようになったんだよ」
訊きたいことが、山ほどある。無数の尋ねたいことの整理がつかず、言葉に詰まる。日が沈む。どんどん、辺りは暗くなってくる。ここはいつも、強い風が吹いている。髪をなぶって、流れてゆく。まるで風の精霊に背中を押されるように、ヒスイはジェイドの胸に飛び込んだ。
「ジェイド、ジェイド、私、」
その身に触れた時、ジェイドの体はビクリと震えた。自分は汚れていると独白していたジェイド。だが、ヒスイには関係ない。どれだけ荒んだ生活を送ってきたのだとしても、闇に呑まれたとしても、ジェイドはジェイド。ヒスイにとって唯一の、友達であり家族であることに変わりはない。いや、きっとそれだけでは無いのだろう。
やがて、ジェイドもヒスイの背を優しく抱き締めた。そしてようやっと、理解する。師匠が言っていた言葉。“闇”は“悪”ではない。
我が身を売り、穢れながら生き、闇の魔法を得た時、ジェイドは師の言葉の真意を見失い、自分は運命に見放されたのだと思った。本来辿るはずだった栄光の道を踏み外し、暗黒を道を行くのだと。
だが違った。やはり、エヴァには全て見えていたのだ。未来視は過たず今日の日を見透していた。
「僕は怖かった。君に会わせる顔がないと思っていた。でも、こんな薄汚い僕でも、許してくれるんだね君は」
「……まだ、許してない!」
顔を上げたヒスイは、泣きながら叫んだ。そしてジェイドもまた、静かな涙を流していたと知った。星の瞬きのように、最後の日光がジェイドの涙を魔法みたいに輝かせた。
「もう二度と離さないで。でないと許さないから!」
「わかった、よくわかったよ。ここに誓う。ヒスイ、君の事を何があっても、僕が一生守り続けると」
一陣の突風が流れた。ヒスイのやや癖のある髪と、つややかなジェイドの長髪が逆巻いた。夜の帳が下りる。唇が重なって、二人の時は止まった。
エヴァは聖剣が二人の運命を引き寄せると言った。それは事実だったが最後にヒスイとジェイドを強く繋いだものは、想い。人が人を愛するという行為。光と闇は人間がこの世界に出現したと同時に存在するようになったエレメント。だが相容れない関係ではない。闇が光を呑み込む、光が闇を抱き締める。のみならず、ここに結ばれた二人のように、手を取り合うことすら。
「ぐうぅ~~!! 私の、私のヒスイちゃんがっ!!」
二人の様子を木陰から見守る深窓の令嬢はハンカチを噛んで震えていた。思わず風魔法で突風を放ってしまったが愛を囁きあう二人にはまるで効いていない。
『我のジェイドが……むむむ~~!!』
ちなみにフローラの肩にちょこんと載ったミームゥも密かにショックを受けていた。