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五日目『聞かせてあげたかったんだ』

「眠っている間にね、体が変わってるんだって」

 僕は朝早くから、真白ちゃんの病室にいた。

 今日はずっと一緒にいるつもりだった。

 小さいときの思い出とか、忘れたい恥ずかしい話とか、初恋とか、普段誰にも話さないようなことを、僕たちはいっぱい話した。

 途中、検査で真白ちゃんがしばらく席を外した。

 その間も僕はずっと病室で、真白ちゃんが戻ってくるのをじっと待っていた。

 真白ちゃんのお父さんは、まだ諦めていないみたいだった。

 真白ちゃんのお母さんも、何度か病室に来た。

 少しだけ話をして出て行って、お菓子とか飲み物を持ってきてくれて、また少しだけ話してから出て行って。

 家族の時間を邪魔しているような気がして出て行こうとしたけれど、真白ちゃんのそばにずっといてあげてほしい、とお願いされた。

「じゃあ寝なかったらそのままでいられるの?」

「ううん」

 僕の問いを真白ちゃんは首を振って否定した。

 気付けば、意識的に避けていたこれからの話を僕たちはしていた。

「夜になるとね、すっごく眠くなっちゃうんだ。寝ないようにしようって毎日がんばってるんだけどねぇ」

 目を細めて、笑う。

 もうその顔には、真白ちゃんの面影なんてどこにも残っていなかった。

「寝てる間に消えちゃうから、苦しくないのがせめてもの救い……なのかなぁ」

 儚げに、窓の外に目線を移した。

 何を話せばいいのかわからなくて、僕も同じように窓の外を眺めた。

 元気出して。

 僕がついてる。

 きっとお父さんが治してくれるよ。

 どんな言葉も、たぶんそれは気休めにもならなくて、真白ちゃんには届かない気がした。

「今日は雪、降らないのかなぁ」

 真白ちゃんがポツリと呟いた。

 真っ赤な夕日が、降り積もった雪を眩しく照らしていた。

「雪人くんは雪、好き?」

 こくりと頷く。

「私も好き」

 うれしそうにはにかんだ。

 なんとなく、その笑顔に真白ちゃんの面影を見た。

「私の真白って名前は雪を連想してつけたってお母さん言ってたし、雪人くんの名前も雪って字が入ってるし、共通点あるよね」

「うん」

「運命的な出会いだったのかも」

 そうだったらいいなと、心から思った。

「私が消えちゃったら……どうなるんだろう」

 血の気がさっと引いて、指先にチリチリと痛みが走った。

 僕が考えたくなかったこと。

 考えようとしなかったこと。

 漫画や小説みたいにきっと奇跡的なことが起こるんだって、そう信じようとしていた。

 真白ちゃんがいなくなるなんて……想像できなかった。

 したくもなかった。

「消えるってよくわからないよねぇ。骨も残らないんだって」

「そう、なんだ」

 明日の天気を話すような、そんな調子で真白ちゃんは喋っていた。

 たぶん、僕に気を使ってくれているんだと思う。

 一番怖いんだと思う。

 すごく不安だと思う。

 泣いてしまいたいんだと思う。

 でも僕のために、普通でいようとしてくれている。

 それに比べて、震える声を隠すことも出来ない僕は、なんて弱いんだろう。

「消えちゃって別のものになるのかなぁ。だったら私は雪になりたいな」

 窓の外を見ながら、楽しそうにそう語った。

「雪になれたら、毎年冬になったらここに帰ってこれるもん」

「うん」

「空から降る雪が全部私なの。どこにだって行きたい所にいけるよ。それって素敵じゃない?」

「うん」

「雪人くんにも会いにくるよ」

 真白ちゃんの瞳から一滴、頬を伝った。

「だから――」

 それから僕たちはなにも話さず、ただじっと窓の外を眺めていた。

 日が落ちて、あたりが暗くなって、街灯がともって、そんな景色の移り変わりをじっと見ていた。

 話したいことはいっぱいあった。

 でも普通に話せる自信がなくて、口を開くことができなかった。

 真白ちゃんもそうだったのかもしれない。

 ただただ、時間だけが過ぎていった。

 その時間が無意味だったのか、ちゃんと意味があったのか、わからない。

 でも真白ちゃんといる一分一秒を、僕は大事にしたかった。

 そのまましばらくして、真白ちゃんが目をこすりだした。

「眠くなってきた」

 それは、二人の時間が終わる合図だった。

「これ……」

 真白ちゃんが毛布から左手を出した。

「返さなくていいよね?」

 薬指に、僕があげた指輪がはめられていた。

 サイズが合ってなくて、今にも抜けてしまいそうだった。

「うん」

 僕が頷くと、真白ちゃんは本当にうれしそうに笑ってくれた。

「おやすみなさい」

「おやすみ」

 目を閉じると、真白ちゃんはすぐに寝息をたてはじめた。

 安らかな寝顔だった。

 あとどれだけ時間があるんだろう。

 このままゆっくりと真白ちゃんの体が薄くなって、消えていくんだろうか。

 それとも急にマジシャンに消されたみたいにいなくなってしまうんだろうか。

 そんなことを考えただけで気持ち悪くなって、気が狂いそうだった。

 だから僕は、考えることをやめた。

 何も考えずじっと、真白ちゃんを見ていた。

 その瞬間を見逃さないように。

 じっと、見ていた。

 物音がして振り返ると、病室の入り口に真白ちゃんのお父さんとお母さんが立っていた。

 静かに病室に入ってきて、僕の隣の椅子に腰かけた。

「真白は眠ってしまったか」

 腰を浮かせて、寝顔を覗きこむ。

「結局、何もしてあげられなかったな」

 真白ちゃんのお母さんが、ハンカチで口元を抑えた。お母さんの目は、真っ赤に腫れていた。

 最後の時間を僕が独占してしまったことに、いまさら罪悪感を覚えた。

「真白はひどい弱視でね。なかなか治してあげられなかった。レンズを通さない世界を見せてあげたくて、私が遺伝子治療を受けさせたんだ」

 真白ちゃんのお父さんが、ぽつりぽつりと喋り始めた。

「あの時はこれが最善だと思ったのだが、結局は私が真白を死に追いやってしまった。こんな副作用があるなんて考えもしなかったよ。どうにかならないかと入院させて、ずっとこんな狭い部屋に閉じ込めて、検査ばかりさせていた」

 真白ちゃんの頭を優しく撫でた。

「退屈だったろう。色々したいこともあっただろう。でもどうしても諦め切れなくてね。真白の側いてやることもせず、治療法を探していた」

 眼鏡を上げて、親指と人差し指で両目を押さえた。

「雪人くん」

 名を呼ばれて、顔を上げた。少しだけ赤くなった真剣な目で、お父さんは僕を見ていた。

「真白はね。君のことが好きだったんだろう。楽しそうに君の話をしていたよ」

 そして、僕に深々と頭を下げた。

「娘の側にずっといてくれて、ありがとう」

 お父さんの肩は、小刻みに震えていた。

 お母さんも堰を切ったように、声をあげて泣きだした。

 ありがとう?

 僕が真白ちゃんに何をしてあげたんだろう。

 一緒に雪だるまを作った。

 雪合戦をした。

 結婚式をあげた。

 キスをした。

 喧嘩をした。

 指輪をあげた。

 おやすみって言った。

 それが何だっていうんだろう。

 特別なことはなにもしてない。

 今だって、こうやって側にいることしか僕にはできない。

 今、僕にできることがなにかあるだろうか。

 家族でいるべき時間を奪ってしまった。

 だからせめて、一緒にいる以外になにかできることは、ないだろうか。

「雪人くん?」

 無意識に、立ち上がっていた。

 ああそうだ。

 一つだけ、あった。

 真白ちゃんにたった一つ、今の僕ができること。

「僕、出かけてきます」

「しかし……」

「どうしても、真白ちゃんにしてあげたいことがあるんです」

「雪人くん!」

 お父さんの制止も聞かず、僕は病室から飛び出した。

 階段を飛び降りて、廊下を駆け抜けて、病院を出た。

 走った。

 がむしゃらに走った。

 息が切れた。

 心臓が破裂しそうだった。

 それでも構わず走った。

 何度も登った坂道。

 凍りかけた雪に足を滑らせて、僕は数メートル転げ落ちた。

 体中に痛みが走った。

 でも、構うもんか。

 彼女が好きだったあの場所へ。

 息を切らして、肩を上下させながら、僕はたどり着いた。

 手の平から血が出ていた。

 その手で僕は、アーチから伸びる鎖を勢い良く引っ張った。

 大きな鐘の音が、夜の町に響き渡った。

 何度も何度も鎖を引いて、僕は鐘の音を鳴らし続けた。

 届け。

 届け。

 届け!

 一心不乱に僕は鐘を鳴らした。

 彼女が好きだといった鐘の音。

 僕らの誓いの鐘の音。

 聞かせてあげたかった。

 最後に、聞かせてあげたかったんだ。

 真白ちゃんが消えてしまうその際にあえなくても、どうしても聞かせてあげたかったんだ。

 何度、鐘を鳴らしただろう。

 鎖を握る手はずるりと抜けて、気付けば僕は雪の上にうつぶせに倒れこんでしまっていた。

「聞こえたかな……聞こえたかなぁ」

 僕の手の甲に、何かがふわりと舞い降りて、とけた。


 ――私は雪になりたいな。


 ――雪人くんにも会いにくるよ。

 

 だから――


 ――そんな顔しないで?


「無理だよ……そんなの……」

 真白ちゃんと一緒にいた、五日間。

 たった五日間。

 友達すら作れないような、短い時間だった。

「……だったんだ……」

 僕は真白ちゃんのことをほとんどしらない。

 真白ちゃんにも僕のすべてを見せてない。

 二人がどういう関係だったかなんて聞かれても、僕には答えられない。

 お互いの関係を深めるには、短すぎる時間だった。

 でもそれでも、それでも……!

「好きだったんだ!」

 ふわふわと舞う柔らかい真っ白な雪が、泣きじゃくる僕の体を優しくつ包み込んでいった。

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