三日目『ごめんね』
今日の真白ちゃんも、昨日とは少し雰囲気が違っていた。
どこが違うんだろうと彼女の顔をじっと見て、気付いた。
「化粧してる?」
真白ちゃんが一瞬だけバツの悪そうな顔をした。
「ちょっとだけ」
そういって笑って、恥ずかしそうに手で顔を隠した。
これ以上触れちゃいけない気がして、僕は黙り込んだ。
化粧だけじゃなくて、他の様子も少しいつもと違っていたから、しつこく聞くことはできなかった。
楽しそうに笑っていたかと思えば、急に黙ってしまったり、そうかと思えば突然元気になったり。
僕の頭の中で、昨日の別れ際がちらついた。
またねって言葉をためらったあの表情が、僕を不安にさせた。
僕が何か悪いことしてしまった?
僕の話がつまらないから飽きられてしまった?
小心者の僕はそんなことばかり考えてしまって、雪合戦しているときも、二人並んで座って話している今も、なんとかこれ以上嫌われないようにって必死だった。
でも、真白ちゃんの不自然さの原因は他の所にあったんだって、すぐにわかった。
「私ね、明日引っ越しちゃうの」
ショックだった。
こっちにきて初めてできた友達だから。
初めて普通に喋ることができるようになった女の子だから。
そういう理由もあるけど、これからのことを楽観的に妄想してた自分とか、真白ちゃんと会うたびに感じていた、胸の奥のふわふわして気持ちよくて、たまにずっしりと不快なこの気持ちが、真白ちゃんが僕の目の前からいなくなってしまうことを拒否していた。
でもだからって、どうしろっていうのか。
行って欲しくないなんて言ったところで一体何が変わるんだろう。
彼女を引き止められるほど僕たちは親密では無いし、ドラマみたいに彼女の腕を掴んでどこかに逃げ出す行動力も、僕には無い。
「そうなんだ」
結局僕は、こんなどうでもいい言葉しか口にすることができなかった。
真白ちゃんは体育座りをして、膝に顔をうずめながら、町の景色を眺めていた。
蒼い瞳は悲しげなようで、でもいつもと同じようにも見えて、そこから真白ちゃんの感情を読み取ることはできなかった。
いつもと違って、なにも喋ってはくれなかった。
僕も何を喋ったらいいのかわからなくて、真白ちゃんの横顔と町の景色を、ただ交互に見ていた。
「あのね」
真白ちゃんが体を反転して、言った。
シャンプーのいい香りを纏った風が、僕の鼻をくすぐった。
「あの建物、結婚式場だったんだって」
僕も体の向きを真白ちゃんと同じにする。
「そうだったんだ」
「お父さんが言ってた。お父さんが子供の頃はここでよく結婚式あげてたって。でも、今はやってないんだって。なんでだろう」
「わからない」
「景色もいいし、ここで結婚式できたらすっごく素敵だと思う」
「うん」
「あーあ」
ぐっと背伸びして大きく息を吐く。
「ここで結婚式したかったなぁ」
残念そうに、目の前の建物を見つめた。
「もう帰ってこれないの?」
「うん」
僕の問いに、小さく首を振って答える。
「そんなに遠いところなの?」
「うん」
「外国?」
「そんなところ、かな?」
「そっか……」
そのまま、二人で押し黙る。
考えた。
去ってしまう彼女に僕ができること。
僕ができる精一杯のこと。
たぶん普段の僕ならこんなことは言えなかったと思う。
でもなぜかこのときは、照れることも恥ずかしがることも無く、本当に自然に、こう言えた。
「じゃああげようよ」
「え?」
「結婚式」
彼女が僕をどう思っているかわからない。
何を言ってるんだって、気持ち悪いヤツだって思われるかもしれない。
でも彼女を喜ばせてあげられる可能性があるのなら、言ってみる価値はあると思ったんだ。
「私たちで?」
「う、うん。って言っても本当の結婚式じゃなくて、ごっこ遊びみたいなものだけど……」
他人が見たら馬鹿馬鹿しいっていうような、そんな提案だった。
「うん!」
でも真白ちゃんはそんな僕の幼稚な精一杯に、頬を赤く染めながら頷いてくれた。
「なんか照れるね」
鐘の前で向かい合う。
はにかんだ真白ちゃんの顔がすごく可愛くって、僕の頭の中は真っ白になってしまった。
「えーと」
そもそも結婚式ってどういうことをすればいいんだろう。
僕の一世一代の思いつきは早くも追い込まれてしまって、僕は空を仰ぐことしか出来なかった。
「新郎、雪人くんは新婦、真白に永遠の愛を誓いますか?」
こんな感じ? と真白ちゃんが微笑む。
胸に手を当てて、宣誓した。
「誓います」
満足そうに真白ちゃんは目を細めた。
「新婦、真白ちゃんは新郎、雪人に永遠の愛を誓いますか?」
真白ちゃんが言ったように、僕も勇気を出して問いかけた。
「誓いまーす」
顔の横に手を掲げて、真白ちゃんも誓った。
そしてすっと眼を閉じて、僕を見上げるように顔を傾けた。
「え?」
片目を開けて、戸惑う僕に笑いかける。
「誓いのキス」
「ええー!」
全身からぶわっと汗が噴き出した。
こんなことになるなんて、予想もしてなかった。
「だって、結婚式なんでしょ?」
悪戯っぽく笑って真白ちゃんは再び目を閉じた。
僕なんかでいいの?
ただの気まぐれ?
後ろ向きな思考がグルグルと回った。
膝がガクガクと震えた。
真白ちゃんは目を閉じたまま、じっと僕を待っていた。
覚悟を決めなきゃ、いけないみたいだった。
華奢な肩にそっと手を置いて、唇を近づけた。
心臓がバクバクと自己主張して、今にも倒れてしまいそうだった。
「……」
「ん……」
一瞬だけ、触れ合った。
キスと呼ぶにはあまりにも短く、つたない接触。
真白ちゃんの体温を感じた瞬間、僕の全身に電流が走ったような、体がふわふわと空中に浮いているような、そんな不思議な感覚に襲われた。
真白ちゃんにとって良い思い出になったんだろうか、かけがいの無い思い出になったんだろうか。
そんな自信なんて、ない。
でも僕は、初めて感じた真白ちゃんの柔らかさと、照れくさそうにはにかんだこの笑顔を、一生忘れないと思う。
「誓いの鐘……なんてあるのかな? まあいっか」
二人で聞く、三度目の鐘の音。
そして最後の鐘の音。
「ごめんね」
鐘の音に消されてしまうほどの小さな声で、真白ちゃんがそう言った。
その意味も、なんて答えていいのかもわからなくて、僕は聞こえないふりをした。
「じゃあ、行くね」
「うん」
鐘が鳴り終わって、僕たちが一緒にいられる時間も、終わった。
「バイバイ」
今日の別れの挨拶は、またね。じゃなかった。
まっすぐ家に帰る気がしなくて、僕はブラブラとあても無く町を歩いていた。
そんなに長い時間一緒にいたわけじゃない。
涙を流すほどの思い出も、ない。
悲しいのか寂しいのか、それすらもよくわからない。
でも僕の胸には確かに、大きな穴があいてしまったんだ。
僕の足を絡めとる雪の深さが、今は鬱陶しかった。
雪を避けていると、自然と足が町の中心部へ向いた。
徐々に人通りが多くなっていく。
無意識に真白ちゃんの姿を探す自分が、惨めだった。
駅前について、足を止める。
体格のいい外国人が、路上でシルバーアクセサリーを売っていた。
財布を開いて、千円札の枚数を数えた。
「これください」
たいした装飾もない、地味な指輪。
「ありがとネー」
お釣りと指輪を乱暴にポケットにつっこんで、僕はそこを立ち去った。




