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◆助け舟




 熱でうなされる彼女の看病をすることは、至難の業だった。

 大人しく眠っていたのはベッドに寝かせた最初だけで、それからは熱と悪夢にうなされて、暴れるようになったのだ。眠った意識の中で見る夢から、必死で逃れようとしているようだった。

 そして彼女はベッドの上で、狼の姿と人の姿とを頻繁に切り替えて、行き交った。苦しそうな悲鳴を上げて体をよじっては狼になり、獣のような鋭い唸り声を上げては人の姿になった。

 水をよく絞った冷たいタオルを、熱を帯びた額にかけようとすると、彼女は勢いよく顔を背けて、頭に近付いたタオルから逃れようとした。でもそんなことは序の口で、水を飲ませようと近付いた時に思い切り顔を殴られたり、足をばたつかせて近くにあった物を蹴飛ばしたりで、落ち着く様子を一向に見せようとはしなかった。

 あまりにも勢いよく暴れるために、看病するロクトまで危険な目に遭いかけることもしばしば。殴られた頬をさすりながら、少しだけ落ち着いて大人しくしくなった狼の姿のパティナを見た。

 これほど暴れていたら、きっと体力の消耗も激しいはずだ。時を経るごとにやつれていく彼女の姿を、ただ黙って見ていることしか出来ないのは辛かった。



 彼女を救うためには、彼女が抱えた謎の病を治さなければならない。だが彼女はきっと、今まで病気とは無縁の生活を送ってきたのだろう。洞穴のどこを探しても、ここには薬草のひとつも見当たらない。

 街へ戻り、薬類や看病に使えそうなものを持ってくることも考えた。だが高熱を出して苦しんでいる者を独り置き、どこか行く勇気はない。


「どうしよう」


 与えられる薬もなく、楽にしてやる術はない。悪夢から救い出すことは難しくとも、せめて熱を下げてやれたら、どれだけいいことだろう。

 このままタオルを取り替えたり、かいた汗を拭ったり、水を飲ませたりしているだけでは、埒があかない。そんなその場しのぎを続けていても、熱が引く保証はない。

 額に置いた冷たいタオルは、すぐに熱を持ってしまうし、それ以前に彼女が暴れるために、熱を冷ますタオルの意味がない。汗の量は凄まじく、拭っても、拭っても止まることはなかった。かいた汗の分、水分を与える手は休められない。

 薬は無い。薬草も無い。役に立ちそうなものは、何一つ無い。この場から動くことも出来ない。かといって黙って見ているわけにもいかない。

 ないない尽くしの八方塞がり。ロクトは、立ち尽くしていた。


「まって……!」


 熱と悪夢にうなされながら、パティナがうわ言のように呟いた。

大人しくなりかけていた千歳緑の狼の姿が、めきめきと不吉な音を立てて、人の姿に変わっていく。前足の先から、頭の先から、少しずつ人の姿に変わっていく。

 彼女はうなされる度、なにかうわ言のようなものを口走っていた。その言葉の内容は、長かったり、短かったり様々だが、もごもごと口篭るようなものが多く、そのほとんどは聞き取ることが出来ない。だがその全ては、誰かに問いかけるような、話しかけるような、口ぶりに思えた。

 聞き取ることも難しかったが、こちらからも無理にその内容を聞き取ろうともしなかった。それは、彼女の過去に土足で踏み込んでしまうような気がしたから。

 でもたった一つ、こちらが意識しなくても、はっきり聞こえきた言葉があった。それは、桶につけたタオルを絞っている時のことだ。


「ひとりにしないで」


 彼女の発したその言葉は、それからもロクトの尖った耳の奥、頭の中にはっきりと残っている。


『ひとりにしないで』


 夢の中で彼女は、一体どんなものを目にしているのだろう?

 合間を縫って、役に立ちそうなものを探す間中、ずっとその疑問がロクトの脳内で繰り返されていた。

 今も彼女は、うなされて苦しんでいる。手を岩の天井に伸ばして、パティナは声にならない声を漏らし、目を強く閉じた。眉根に耐えるようなきつい皺を寄せて、しきりに口を動かしている。

 今、彼女を救うために出来ることは何一つ、存在し無い。

 己の無力さを痛感し、顔を俯けた。


 そんな時、洞穴の入口に誰かが立つ気配がした。そこまでやって来るまで、その存在に全く気が付かなかった。


「……!」


 何者かは分からない。悪寒がする。

 ベッドの上で体をよじるパティナを見た。彼女は狼の姿へ変わろうとしている。痛みからか体が持ち上がり、まるでブリッジをしているようだった。痛々しくて、とても直視できない。

 洞穴の前に立ったのは、もしかしたら人間かもしれない。

 彼女は今、無防備だ。戦えない。現れたのが人間なら、彼女を守らなければならない。守るのは、自分だ。


「……」


 意を決し、洞穴の入口へ。大きくカーブするように反った岩壁。入口から外の光が差し込んでいる。黄色に近い眩しい光、もう日没が近いらしかった。

 戦闘に備えて、狼に成った。


「あれ?」


 恐る恐る外へと踏み出すと、暮れかけの日差しの下に立ったアンバランスな人影が、間の抜けた声を発した。それは子どもの声だった。

 ロクトは姿勢を低くして、その人影を睨んだ。影の大きさの割に、足の線は細い。影の形は大きいのに、声は若いし奇妙だ。

 逆光でよく見えなかったが、目を凝らすとその大きな影は人ではなく、自分の背丈よりもずっと大きな荷物を背負った子どもの影だということが分かった。

 そしてロクトの警戒は、すぐに解かれることになる。


「パティナさんはどこですか?」


 口ぶりと、名前。どうやらこの者はパティナの知り合いのようだ。子どもに近付いて、その匂いを嗅ぎとり、その子どもが人狼だと気付く。

 ロクトはほっと息を付いた。


「誰だ?」


 目を細めて尋ねると、その子どもはゆっくりと洞穴の中へ踏み入ってきた。

 力を加えれば簡単に折れてしまいそうな、細い手足。体にも脚にも、贅肉どころか必要な肉すらもついていないように見える。キャスケット帽をかぶっていて、まくった腕と半ズボンは季節外れを演出している。その子どもの背や体つきは、赤いニット帽の少年フェックとよく似通っていた。

 フェック少年と違うのは、その自信たっぷりの、余裕綽々な表情だった。瞳は堂々とした色で出来ており、人を不快にさせないたおやかな笑みは、この少年(?)独特の持ち味がある。少なくとも、不自然さのない本物の“社交的な”笑みだった。

 だが何より、その少年を一見見て不思議な事と言えば、その細い体に背負われた巨大な荷物だろう。

 子どもの人狼に背負われた巨大な荷物がリュックサックだと気付けなかったのは、その形状が中身を詰め込まれてパンパンに膨らみすぎて、まん丸に太っていたからだ。リュックはロクトの背丈ほど大きくて、子どもが持つにしてはあまりにも大きい。これだとどちらが背負われているのか分からないし、そもそもこの大きさの荷物を背負える力がこの少年の細い身体のどこにあるのか見当もつかない。

 少年は洞穴の中に入ってから、まじまじとロクトを見ると、目をまん丸にした。


「貴方も人狼さんですか。パティナさんのお知り合いですか?」

「君こそ、パティナの友人か何か?」

「まぁ、そんな感じです。ところでパティナさんはどこです?」


 少年はそこに立ったまま、「重そう」という感想では済まされないぐらい重そうな荷物に、重心を揺さぶられて、ふらふらしている。

 頼りなげに見える訪問者だったが、ロクトはこの少年の出現に安心していた。子どもに頼って良いかどうかは問題ではない、今はもう藁にもすがる思いだった。


「彼女が大変なんだ」

「?」


 少年が首をかしげる。ロクトは彼を引き連れて、奥へと案内する。少年は洞穴の内部を、まるで初めて見るかのようにきょろきょろ見回しながら、黙って後をついてきた。




「あちゃー……忠告に来たのに、もう遅かったかぁ」


 パティナの眠るベッドの前。うなされる彼女を見た少年の第一声がそれだった。

いかにも困った風に額に手を当て、キャスケット帽から覗いた赤茶色の前髪をかきあげると、少年は眉をひそめた。


「君、何か知ってるの?」

「ええ。知っていますとも」


 少年が得意気に腰に手を当てて、そう言い切った。ロクトの不安そうな視線を見て、「まあ見ててください」と言ってから、少年は肩からリュックを下ろした。重たい物や軽い物のいろんな音が混じった重量感のある音を立てて、岩穴の地面に荷物が落ちる。そうして身軽になった少年は、そろそろとパティナに近付いた。

 狼の姿のパティナは、少年の近付く気配を感じたのか、ベッドの上で頭を振って暴れた。

 噛み付かれそうになるのを避けるように、少年は自分の体をひょいと仰け反らせ、なんとか隙を見てパティナの額に触れると、飛ぶようにベッドの側から逃げてきた。そして確信の面持ちで、こくこくと頷いた。


「メア・シックです」

「メア・シック?」


 ロクトがオウム返しした問いかけに、少年は苦しむパティナの姿を眺めながら涼しい声で「ええ」と答えた。


「古くからある、ちょっと珍しい病気です。なぜか人狼にしか発病しない病気だとかなんとか、ってやつですね」

「どうやって分かったんだ?」

「まあ、経験ですよ」


 自信満々に答えられても、むしろ不安を煽られる。

 少年はそんなロクトの心配などをよそに、パンパンに詰まった巨大なリュックの留め具を外し、ごそごそさぐりながら中身を取り出し始めた。ロクトが止める間もなく、みるみる内に洞穴の床が少年の持ち物で埋め尽くされていく。


「ふつうの風邪を引いて熱を出したくらいじゃ、寝込みはしても、ここまで酷い暴れ方はしません。

 でもメア・シックなら別ですね。この病気にかかると、恐ろしい高熱で、意識を保てなくなって、失った意識の中で酷い夢……悪夢、を見るそうです。

 夢の内容があまりにも恐ろしすぎて、こんな風に暴れてしまうんですって。僕ら人狼は頑丈ですが、この病は体の内側から、病人を蝕みます。夢の内容が酷すぎたら、ショック死するらしいですよ」


 こわいですね、と少年は平然と付け足した。

 ショック死。夢の内容が酷くて死ぬなんて、そんなことがあるものなのか? だがこの少年の言葉が、子どもの戯言とも思えなかった。

 膨らんでいたリュックは、今は中身を失い、半分ほどの大きさに縮んでいる。それだけ中身を出しても、少年はまだお目当てのものを探し出せていないらしい。再びリュックの中に上半身と顔を突っ込んでいるが、そのままリュックの中に体全てが入ってしまいそうだった。

 洞穴の地面に所狭しに並んだ、少年の持ち物を見物する。

 泥のついた根菜のようなもの、使い古された弓、錆び付いた歯車、鉄製のドアノブ、鏡の破片、何かの動物の毛皮、不思議な文字の書かれた羊皮紙、瓶詰めにされた何かの臓物、ハート型の首飾り――。それらを一見するだけでは、価値のあるなしを判断出来ない。少なくともロクトには、ガラクタの山にしか見えない。

 ロクトにとっては、運ばれたガラクタよりも、この少年の方が興味深かった。これだけ沢山のものを詰め込んだリュックを背負うなんて、この細い体のどこにそんな力があるのだろう。

 まだ時間がかかりそうだったので、ガラクタの山の近くに屈んで、試しにひとつ、見たことのない生き物の置物を手にとってみた。置物は見た目以上に重く、危うく落としかけるとことだった。

 手にずっしりとのしかかる置物は、頭と前半身が獅子で、下半身が蛇になっている。背には鷹のような巨大な翼がついていた。そして頭部の獅子の目は、異常に前へ飛び出ていて、気味が悪い。ロクトは顔をしかめた。



「あ! あった!」


 リュックの中からくぐもった声が聞こえた。ロクトは置物を元の場所に戻し、立ち上がった。


「それは?」


 リュックの中から戻ってきた少年の手に握られていたのは、くるくると巻かれ留められた一枚の紙。少年は、よく慣れた滑らかな手つきで、紙を開いてみせた。


「メア・シックの特効薬の製造方法です」


 手渡された紙に目を通す。すべての文字が、隣の文字と間隔無しでくっついていて、かなり読みにくい。古文書でも解読するように、目を凝らして一字一句を見紛わないよう、じっくりと読む。

 その紙に記されていた、なんとか読み取ることが出来た情報は、何かのレシピのようだった。少年の言った通り、特効薬の調合方法、と言ったところだろう。必要な素材は「オリュオ茸」、「赤星貝の貝殻のパウダー」、「治癒たんぽぽの根」など、十数個の材料。レシピの後半には、調合の手順が事細かに記されている。


「前に、お医者さんに教えてもらったことがありまして。メモっておきました」


 だが記された材料は、どれもどこかで見たり聞いたりしたことはある。だがそのほとんどは、ここにいても手に入るものではない。森の中に、海の貝や砂漠の花は存在しない。記された素材の一つ、「オリュオ茸」ならば、この森にも生えている可能性はあるが、それ以外を用意するのは、とてもじゃないが無理だ。


「でも材料はどこにあるんだ?」


 言いながら少年に紙を返すと、心配は無用とでも言わんばかりに、少年は胸を張った。


「ご安心を。そこは、この僕に任せて」


 そう言って、少年はまたリュックの中へ潜った。そして今度は、先ほどよりもずっと短い時間で戻ってくる。


「まずはこれと……」


 少年がリュックから取ってきたものが、テーブルの上へ並べられていく。一見ヒトデのようにも見える、赤いグロテスクな赤星貝は、ライハークの隣の港街でも滅多に上がらない、遠く離れた地域で漁れる貝だ。異常に根の長い治癒たんぽぽは、前に一度、仕事中に荷物の中から覗いているのを見かけたことがある。渦を巻くように絡まった草の束は、今まで見たことがなかったが、紙に記されていた材料リストから見て、竜巻草だろうと判断する。


「全部あるのか?」


 恐る恐る尋ねると、一拍おいてから少年はリュックから顔を上げ、困ったように肩を竦めた。


「それが……オリュオ茸だけないんです」


 逆に言えば、他の材料は全て揃っているらしい。


「どうしましょう? これじゃあ不完全です」

「……オリュオ茸なら、もしかしたらこの森にもあるかも」


 幸いキノコ狩りなら、ライハークに来る前に住んでいた、村はずれの小さな家に住んでいた際によくやっていた。その時にもよくオリュオ茸を見かけた。

 あの森とこの森の環境が、よく似ていることは前から気付いていた。それならこの森にもオリュオ茸が生えているはずだ、という確信があった。


「森の中を探してくる」

「僕も……」と顔を上げた少年を制し、ロクトは言った。

「君は、パティナの容態を見ながら、僕が戻ってくるまでに調合の準備をしていて」


 そして「すぐ戻る」と言うやいなや、ロクトは狼の姿になって洞穴を駆け出た。




 ロクトの足音はすぐに遠ざかり、洞穴の中にはパティナがうなされる声だけが残る。


「行っちゃった……」


 ひとり残された少年は目を点にして呆然としていたが、すぐにロクトの指示通り、準備を始めた。口元に浮かんでいるのは、余裕綽々の笑み。




優秀、有能、リサキさん。頼りになる。


なんだかんだで『オオカミオトコとオオカミオンナ』を投稿し始めて、一ヶ月が経ってました。物語は次回でようやく折り返し。最後まで頑張ります。

次話、パティナ編「明滅する過去」は明後日投稿です。続きます。

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