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◇狩りへふらり

お腹が空いたので、狩りをします。





「……」


 ぼんやりとする頭をもたげ、天井を眺める。洞穴のゴツゴツした岩肌は、ここを寝座にした日から何も変わってはいない。

 数日前から発作のように発生していた頭痛が、日を増すごとにきつくなっていた。そして今朝からは、ついに頭痛のみならず、常に頭の中に異物が入っているような感覚がして、何をしなくても意識がぼうっとするようになってしまった。

 風邪でも引いて、熱があるのだろう。気分が悪いので、パティナは寝床の中で長い間じっとしていた。


 気分の悪さを紛らわせるために、他の考え事を頭の中で泳がせる。

 手紙、森、人狼、シャナルル、釣竿、そして――。いくつもの考え事の中で、最後に思い浮かべたのは、あの料理。野菜がゴロゴロ入ったスープと、その上で寝そべる、脂がよくのった美味な魚。

 あの料理ロクトが作りに来てから、既に三日の時が経っていた。

 あの日食事を終えた後、彼はすぐに人間の街へ帰って行った。そしていそいそと森を去っていく背中を見てから三日間、一度も彼の姿は見ていない。


「はぁ……」


 あの料理は、美味かった。もう一度食べたいとすら思える、美味な料理。

 しかし、作った料理が「美味い」ということは伝えたものの、食事を作ってくれたことに対しての礼は述べられずにいた。それがほんの少し気がかり、というのが今のパティナの本心だろう。

 だが彼がここへ現れないことには、礼を述べることは出来ない。思えば、自分はあの人狼のことを何も知らない。住む場所も、どこから来たのかも、どうして『疲れた』のかも。



 既に二日前のことでも、あの料理の味はよく思い出せる。魚の旨味とスープの味付けを思い起こしていると、腹がぐぅと唸りを上げた。

 腹の虫。誰に聞かれたわけでもないが、顔が赤らむ。

 じっとしていられなくなって、狼の姿で寝そべっていた体を、ベッドの上から立ち上げた。ずっと安静にしていたからか、頭のぼんやりは多少マシになっていた。やはりただの風邪だったのだろう。



 洞穴の中から飛び出して、森の中へ駆け出す。体を動かすために、狩りへ行くことにした。ここ最近ずっと狩りを疎かにしていたから、体が鈍ってしまって、代償に風邪を引いてしまったに違いない。体調不良を盾に怠けたままではいけない、体を動かさねば治るものも治らない。

 そして何より今、パティナは空腹だった。



 遠目に見えた河原を見て、あの三人組の狩人を思い出した。

 少し前までは、数日に一回は人間が侵入してきていたというのに、森に侵入してくる人間は、あの日以降めっきりいなくなった。

 あの狩人達はパティナの指示通り、狼を討伐したという偽りの報告をしたのだろう。思っている以上に、傭われ狩人の言葉にも効果はあったらしい。

 これが束の間の平和だと分かってはいても、人間が攻め込んで来ないことが平和であることに嘘はない。生活の中に悪意や敵意が流入して来ないことが、これほど居心地の良いものだということを、パティナは知らなかった。



 さて、パティナの行う狩りは、人間が動物を狩る“娯楽”としての狂気じみたものや、人間が人狼を殺すために行う“憎しみ”に溢れた狩りでもない。

 彼女の行うそれは、生きるための儀式としての狩りだ。人間の中で言うなれば、狩人が自分たちの食料を得るために行うような狩りに近いだろう。

 こちらも動物も、生きるために全力を尽くす。もし彼らを逃してしまったのなら、その時は潔く諦め、もし捕らえたのなら、感謝を忘れずにその動物の肉をいただく。

 この森でパティナがもっぱら狩りの対象として選ぶのは、デアディーアと呼ばれる、小さな角の生えた体躯の細い草食の哺乳類だ。外見の通り肉は少ないが、身は引き締まりながらも柔らかい。そしてその味は、一度食べれば病みつきになるような魅力がある。

 そんな美味な肉を持つデアディーアだが、捕らえるのは非常に困難だ。彼らは聴覚に優れ、音や気配に敏感だ。自分を狙うものが近付けば、すぐさまそれを察知する。

 そして彼らは、俊敏な動きが出来る脚を持つ。複雑に入り組んだ森の中を駆け回れる脚力には、並の獣では追いつくことはおろか、追いかけることも難しい。危機察知に優れ、危険から逃げ出せる十分な力も持っている、用心深く強かな生き物だ。

 これまで何度も狩りに挑んできたが、ほとんどの結果は失敗に終わっていた。姿を見かけて接近しても、ほんの少し物音を立てれば、デアディーアは風のように素早く逃げてしまう。

 捕まえには相当な気力と体力とを要するが、その肉の味は絶品だ。苦労の価値がある、狩りの相手に相応しい生き物と言えるだろう。狩りが成功したときは、決まって自分の体調が万全だった時。今回は、どうだろう。



 デアディーアは、パティナが生活を営む洞穴の周辺へ近寄ってくることはない。他にも、パティナの通る場所だったり、釣り場だったりにも近寄って来ない。それはもちろん、捕食者であるパティナを警戒してのこと。よって普段生活を送る上で、デアディーアを見かけることはそう多くない。彼らを見つけるには、こちらから彼らの姿を探す必要がある。そしてその気さえあれば、デアディーアの群れを見つけることに、時間はかからないはずだ。

 木々の隙間を走り抜けながら、パティナは洞穴の近くにあるのとは違う池を目指した。その池は、よくデアディーアが水飲み場として集まっている場所だ。

 彼らが池の淵で、四脚の脚を突っ立てながら首を下げ、ちろちろと水を飲む姿は、まさに無防備そのもの。虚をついて飛びかかるには、水を飲んでいるところを狙うのが一番いい。だが逆に言えば、虚をつかずにデアディーアを捕らえるのは非常に難しい。

 デアディーアの走行速度は、狼の姿の人狼を優に凌ぐ。体力や持久力も、野生の彼らの方が優れている。縦横無尽に森中を駆け回り、跳ね回るその背中に追いつくのは、至難の業だ。どんな者でも、鮮やかな足取りで跳ねるように走っていく矮躯を見れば、そう判断するだろう。



 デアディーアの水飲み場の近くまでやってきた。大小様々な木々に囲まれた、黒っぽい青色の大きな水たまりが見える。

 その岸辺を遠目から見ると、どんぐりのような色合いの獣が見えた。しめた、とパティナはほくそ笑んだ。三頭のデアディーアが四本の脚を張って、お辞儀するように顔を下げ、舌で水面をちろちろと舐めている。水飲み場の周辺には、彼らが水を飲むちゃぷちゃぷという音以外に、鳴るものはない。彼らは休息中、隙だらけだ。

 匂いが流れる風上に立たないように気を付けて、獲物の後ろへと大回りに回り込み、木と草葉の影から様子を眺める。デアディーア達は、白い毛で覆われた腰部をこちらに向けていて、パティナに気付く様子は見せない。完全に油断している。

 だがまだ、パティナが身を潜めている草むらから、獲物までの距離は遠い。もう少しだけ近付けば、確実に仕留められる距離になる。足元に何も無いことを確かめて、体に草が触れないように注意しながら、一歩、二歩、と慎重すぎるぐらいに時間をかけて、前へと進んだ。

 じわじわと足を勧め、ようやく射程範囲に入る。あとはタイミングを見計らい、勢いよく飛びかかるだけ、状況は完璧だ。

 息を止めて、後ろ脚のバネに力を入れた。後ろ足の側に、湿った土が盛り上がって小さな山が出来上がる。あとはバネを伸ばし、地面を蹴り上げる。

 正面で水を飲むデアディーアの首に、自分の牙が突き刺さる明確なイメージ。いける、脚のバネを伸ばしかけた瞬間。



「!!」



 突然、どこからともなく、とてつもない強力な衝撃が、パティナを襲った。

 殴られた? 叩きつけられた?

 動揺し、狼狽する。だが、そうではない。外からの衝撃だと錯覚してしまうような、悶える激痛。


「が……ッ!」


 体をよじり、踏みとどまる。激痛の出処は、こめかみの辺りに存在していた。それはここ最近、自分を苦しめていた頭痛と同じ場所。これは、頭痛だ。だがその頭痛が訴え掛ける痛覚は、今までの比ではない。

 痛みから逃れるように首を傾け、俯き、顔をゆっくりと、振るう。だがそれだけでは、あまりに酷い疼痛に、耐え切ることは出来ない。体をよじって、その場に倒れた。


「Kua……!」


 強く食い縛っていた牙の隙間から、呻きにも似た苦しみの声が漏れる。

 倒れた時に、隠れていた草むらに体全体を突っ込んでしまったせいで、ガサガサと音が立った。その音に一瞬で気付いたデアディーアたちは、互いの顔を見合わせると、水飲みを中断し、森の中へ一目散に逃げ出して行った。

 獣が水をすする音も無くなった森の一角で、頭を割らんばかりの強烈な痛みがパティナを襲う。



 数日前から続いていた頭痛。頭痛は、もとより体の不調を訴えていたのかもしれない。今朝顕れた、頭の中に異物があるようなぼんやりとした気怠さ。あの気怠さは、体が限界に近いことを伝えていたのかもしれない。それとも、と他の可能性を考えるが、ガンガン鳴り響く頭では、何かを思考することは不可能だ。今もなお、頭の内側から、勢いよく殴り続けられるような疼痛が、頭を支配している。

 パティナは頭を振り、乱した。痛い。痛みが、狂いそうな痛みが断続して、刺すような痛みが連続して、次々と畳み掛けるように襲いかかってくる。

 水辺で湿った土の上に体を転がし、バタバタ全身を打ち付けながら悶える。

 今まで感じていた、ささやかな頭痛の痛みと、この激痛は比べものにならない。抱え込むように前足で頭を抑えつけたが、もちろん効果は無かった。

 身をよじった。痛みから逃れようと、必死に体を捻り、よじった。だが頭の痛みは、絡みつくように捉えてパティナを逃がさない。


「痛い……」


 この強烈な頭痛に合わせるように、自分の全身が火照り、燃え上がっていくのを感じる。頭の痛みは燃料となり、体の奥底に構えるヒーターが轟々と過稼働しているような。沸騰した鍋に、頭から投げ込まれたような、急激な火照り。

 そしてその火照りで体が暖まり、身体中に熱を感じるぐらいになった頃。ふと痛みが、頭の中から少しだけ引いた。地面へと押さえつけていた頭を上げ、いつの間にか止めていた呼吸をする。

 吸って、吐く。

 助かったのだろうか、そう思いかけて、脚に力を込め、体を持ち上げる。

その時、頭の中で「プツン」という音がした。


「Aa……」


 パティナの意識は、そこで真っ暗になって、かき切れた。

 パティナの身体は狼の姿のまま、体を支える力を失って、土の上に力なく倒れこんだ。糸の切れた操り人形のように。

 風に吹かれた池の水に、波紋が起こる。


 パティナが倒れ込んだ音を最後に、森は静まった。






……次話、ロクト編「やらなきゃ」、次々話パティナ編「ブルーブルー」は双方短めなので、明後日一気に投稿です。続きます!

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