表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/51

◆振舞え、ディナー

手料理系男子。





 今日は仕事が休みだった。

 大量に取引されるセカドールなる、忌まわしき魚の多量の運び入れは少し落ち着きを見せ、休みが取れることになったのだ。どうやらセカドールの漁獲量が、例年よりもずっと早く落ち着いたらしい。噂では、毎年セカドールでボロボロ儲けていた商人たちが、かきいれ時のこの機にと、こぞってあれやこれやと投資したが、セカドールの水揚げが落ち着いてしまって、出資額を補いきれず今は阿鼻叫喚の地獄絵図らしい。

 だがそんなこと知る由もなく、セカドールから解放されたロクトは、晴れやかな気持ちで休日を迎えていた。

 家で羽を伸ばして仕事の疲れを取ることも考えられたが、そうはしない。あの日彼女と交わした約束を果たさなければ。



 歩いているのは街の外。ライハーク東門から伸びる、緩やかな上り坂の街道。

 時刻は昼を回って数時間。ロクトは黙々とパティナの住む森へ向かっていた。約束通り、料理を作りに行く。あれから既に一週間ほど時間が空いてしまったものの、入念に準備を固めた。

 大きな紙袋を胸に抱え、ゆっくりとした足取りで道を歩く。紙袋の中にはライハークの市場で買い集めた、たくさんの食材が詰まっている。

 レタスやホワイトハクといった緑野菜、パプリカやトマト、ロウズといった赤野菜、ニンジンやオニオニなどの汎用性の高い野菜もいろいろだ。

 買い集めた食材のほとんどは野菜だが、栄養価の高いものや色味の綺麗なものを中心に選んである。彼女の家に用意されてあるか怪しかったので、調味料も手に入れておいた。紙袋の中は、硬いものから順々に食材が積み上げられている。

 袋のてっぺん、紙袋の口の辺りには、仕事中に嫌というほど目の合ったセカドールが数匹、透明な袋に詰められて乗っかっている。そのため袋を胸に抱えていると、目の前にセカドールがやって来ることになる。つまり、仕事中でもないのに、今日も虚ろな瞳と自分の目が交差する。だが、美味しい料理を作るための辛抱だ、ロクトは歩き続けていた。

 料理の材料が詰め込まれた紙袋はあまりにも重たく、下から支えないと底が抜け落ちそうだ。どう考えたって無計画な買い物だったが、必要なものを片端から買っただけだ。買い物を終えてから、つべこべ言っていられない。



 中身を落とさないよう、慎重に道を歩いていく。今日はこの荷物を運ばなければならないので、人の姿のまま森へ入ることになり、狼の姿で身軽に動けない。数倍時間のかかる回り道をしながら、一度通った道の目印を頼りに進んだ。

 彼女の家までを辿る道は、狼の姿で見る時と、少し違って見えた。

幹の真ん中に大きな空洞の出来た巨木。こうやって見てみると、首を上げても見上げきれないほど大きな木だ。

 それを右に曲がると、泥っぽい水の張った底の見えない池が見えてくる。今日は池の周辺にうっすらと白い霧が張っていて、少々視界が悪い。霧で悪くなった視界で、足を踏み外して池に足を突っ込んでしまわないように、少し遠めに池を回る。

 そのまま行くと、次は前方にどっしりと寝転んだ倒木が現れる。じっとしたまま森の養分になっている木の表面は、花壇のように大小様々な草花が無造作に並び生えている。

それを乗り越えて、今度は岩のトンネルに差し掛かった。円盤状の平たい岩と、縦長の丸い岩二つが重なった自然の造形物だ。

 トンネルの先に流れる綺麗な川に沿い、川上へ登る。ここは狩人たちと戦った河原だ。つい昨日のことのような、あの切迫した空気を思い出して、身震いする。あれからはもう一週間もの時が経っている。

 そして、あともう少し歩けば、パティナの住処である洞穴、大きな岩の塊が見えてきた。

 体を振りながら茂みをかき分けて進み、そして洞穴の見える、少し開けたところへ出た。


「おーい」


 重たい紙袋を洞穴の前の焚き火跡の側に置き、洞穴の中へ呼びかけた。


「……お、おーい」


 少し待ってもう一度呼びかけてみたが、返事はない。中にいるのに居留守でもされている気がして、中を覗いてやろうかと考え始めた頃、後ろで枝葉の揺れる音がした。


「……何をしてるんだ」


 ロクトがやってきたのとは違う方向の茂みの中から、パティナが現れた。ロクトは体の向きを変えて顔を綻ばせた。


「……」


 パティナはそれを冷めた目で見ながら、ゆっくりと洞穴の入口に向かってきた。焚き火の跡のそばに置かれた大きな紙袋を一瞥してから、すぐに目をそらす。

 肩には先日見かけた釣竿を担いでおり、手には底の深い木の容器が提げられている。釣りに出かけていたらしい。持ち手のついた木製の容器は、釣った魚を入れる容器なのだろう。


「ちょっと遅れたけど、来たよ」


 紙袋の一番上に置かれていた透明の袋の中のセカドールをそのまま手に取って、頭と尾を持って見せびらかす。


「魚は釣れた?」


 パティナが黙って木製容器の中身をロクトに見せる。中身は空だった。坊主だったらしい。

 パティナはセカドールには目もくれず、体の向きを変えると、釣り用具を片付け始めた。

 反応は薄いが、「帰れ」とは言われていない、多分料理をしても問題はないだろう。彼女が物を片付ける音を聞きながら、ロクトは紙袋を自分の側に寄せて、買ってきた食材の確認を開始した。


 地面に座れば、ちょうどいい高さになる石があった。広さもちょうど良かったので、家から持ってきた木のまな板をその上に置いて、同じく家から持ってきた包丁を取り出した。

 野菜を洗うには川へ行くべきだろう。紙袋から、調味料などの洗う必要の無いものを取り出して、野菜だけの袋にする。


「……もう来ないのかと思ってた」


 橙色のニンジンと、黄金色のオニオニを手に持っていると、頭の上からそんな言葉をかけられた。怒ってはいないものの、暗い色調の声だった。

 恐る恐る顔を上げると、パティナが渋い顔でこちらを見ていた。もう釣り道具の片付けは終わったらしかった。


「そんなとこでやるな。家の中を使え」


 もう来ないのかと思っていた、その言葉に返答するよりも前に違う言葉が付け足されて、口を噤む。彼女は彼女の自宅である洞穴を、首を軽く動かして指した。


「でも、悪いし……」

「家に勝手に入って来たこともあるくせに今更悪いもあるか」

「そ、そうだね」

「それにお前が作った料理は私も食うんだから、せめてマトモな場所でやってくれ。泥まみれの料理でも出してみろ、お前が今日の夕飯になるぞ」


 感情のない声で言い切ってから、彼女はぷいと顔を背け、洞穴の中へ入っていってしまった。


「そうか。そうだな、確かに」


 作った食事を食べるのは、彼女も同じだ。石の上で切った食材が不衛生だと言われれば、違うとは言えない。黙って従うことにしよう。

 包丁とまな板、袋から取り出した食材を、もう一度まとめていると、洞穴の中から声が飛んできた。


「水場はこっちだ。野菜はちゃんと洗え」


 聞こえた声は、さっきよりも少しだけ明るい声だった。笑いそうになるのを堪えながら、ロクトは紙袋を抱えて洞穴に急いだ。



 ブロック状に細かく刻んだ野菜はすべて鍋に入れて熱し、水煮していた赤野菜を加えて浸す。いくつかの調味料で軽く味付けし、少しだけ料理酒を注いだ後、アルコールを飛ばしてさらに香草を加え、煮立つまで焚き火にかける。さばいたセカドールは鍋の下に張った網の上で炙りつつ、塩コショウと香り付きの油を軽くかけ、焼き具合を眺めながら、焦げないように注意する。

 鍋の中身が煮立ち、塩コショウで軽く味を整えて、セカドールに焼き目がついたら、ひとまず料理の工程は終了。パティナが知らないうちに出してくれていた食器に、野菜のスープを注いで、その中にセカドールの切り身を乗せ、生の香草を飾れば。


「完成です……!」


 料理が出来上がるまでに、思っていたよりも時間はかからなかった。日は少し傾いたが、夕食にはぴったりの時間だ。パティナのために盛った器を、焚き火の向こうにいる彼女に渡す。

「僕が全部やるから」と伝えると、もとから手伝うつもりだったらしいパティナは不服そうに顔をしかめた。しかも食材のほとんどが野菜であることが不満だったらしく、調理台の上に広げられていく色とりどりの野菜を見たときの彼女の嫌そうな顔は、冷や汗ものだった。

 でもその食材が目の前で形を成していくにつれ、彼女の表情は次第に明るくなっていった。特にロクトが野菜を刻む際の彼女の表情は傑作で、パティナはじっと、ロクトが動かす包丁を、少し離れた場所から興味深げに見つめていた。時折、ロクトの手元が危なく見えるのか、「あっ」と声を上げて、その度に笑いそうになって危なかった。



「美味しそ……」


 ぼそっと呟いてから、即座にパティナが自分の口を抑えているのに気付かず、ロクトは黙々と器に料理を注いでいた。

 網の上のセカドールを取り出し、まな板に載せ、包丁で身を切ってから、スープの上に乗せる。


「よーし」


 自分の作った料理を見、ロクトは満足気に頷いた。それを「どうぞ」と言いながら、パティナに渡す。彼女はじっと、手の中に収まった皿の中の料理を眺めている。


「あ、そうそう」


 手で食べなくていいように、用意しておいたものがある。紙袋の奥に手を突っ込んで、中から取り出した木製のスプーンを渡す。

 そのスプーンを見て、パティナは少し口を尖らせた。


「手でいい」


 どうやらスプーンに文句があるらしい。

「そのほうが食べやすいから」と促すと、納得のいかない顔のまま、パティナは野菜たっぷりのスープと白身魚のグリルに、スプーンをぐいと切り込ませた。スプーンを使う手つきが少しぎこちなかったのを見ると、普段から手掴みで食事をしていることが伺える。

 湯気の上がるごろごろした野菜のブロックをスプーンですくい、口に運ぶ。食べたことのないものを見る珍妙な面持ちを眺めながら、ロクトは彼女の反応が返ってくるのを、じっと待っていた。


「……」


 野菜のブロックが口の中に入った瞬間、彼女は少しだけ目を開いた。咀嚼して、ゆっくりと飲み込む。奇妙な面持ちのまま、パティナは固まった。

 出来上がる前に味見をしたが、慣れない環境で初めて作った料理にしては、我ながら上出来だと思っていた。だが、その味が彼女の口に合うかどうかは不明である。

 ドキドキ跳ねる鼓動を感じながら、ロクトは息を飲んだ。


「……どう?」


 パティナの視線は、器の中に落とされている。ロクトは身を乗り出して尋ねた。


「美味しい?」


 一瞬の沈黙の後、パティナは目をそらしならが、ゆっくりと頷いた。


「……悪くない」


 小さな声だったが、望んでいた答えを引き出せた。ロクトは開いた両手をあげて「やった」と小さく声を上げた。

 自分も皿の食材をすくい、口へ運んでもう一度味を確かめる。野菜とスープの旨味がじんわりと口の中に広がり、ロクトは満足げに顔をほころばせた。普段から野菜不足感満載のパティナのために、野菜を使うことだけを考えて作った料理だったが、大成功だ。

 セカドールの切り身にも手をつけた。味付けは塩胡椒のみでも、よく脂がのっていて濃厚な味だ。仕事中に見過ぎて見飽きた食材だったが、決して食べ飽きた食材でないことを痛感する。

 パティナもロクトと同じように、切り身を口に運んだ。


「!」


 身が彼女の口に入った途端、彼女は目を丸くした。ゆっくりと食べてから、ぎゅっと唇を噛み締めた。


「……この魚……なんて言うんだ」

「セカドールっていう魚で、隣町で捕れるんだって」

「……ふーん」


 パティナは黙々と、セカドールの切り身を頬張った。もぐもぐしながら目を少しだけ細める彼女の顔は、幸せそうだ。言葉数は少ないが、とりあえずロクトの料理は気に入ってもらえたらしい。

 その証拠に、今回作った鍋いっぱいの料理は、パティナがほとんど食べ尽くしてしまった。黙って器に盛り直したスープを食べるパティナを見ればそれだけで、ここへ来た価値があったと強く思えた。





ちょっと仲良くなれたような、そんな気がします。


次話、パティナ編「狩りへふらり」は明後日投稿です。続きます。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ