◇武器鑑賞のその後
「弩か……」
昨日、狩人たちから取り上げた武器を眺めながら、パティナはひとり呟いた。自分を仕留めるために用意された武器たちは、洞穴の地面に並べ置かれている。
短髪の狩人が持っていた弩は、隅々まで手入れが行き届いていた。随分年季が入っていて、きっとあの狩人が昔から使っていたものなのだろう。金髪の狩人の方が持っていた弩もまた同じように、細かい傷こそ残っているものの、大切に使い込まれた美しさを持っていた。
パティナが用心のため奪い取った武器たちは、彼らにとって生き物を狩るためのただの“道具”ではなく、よく馴染んだ“彼ら自身の一部”だっただろうことが、見れば見るほどよく伝わってくる。狩人たちのこの武器は、パティナにとっての牙のようなものだったに違いない。そう思うと、ほんの少しだけ気の毒にも思える。
だがもちろん、彼らがこの森へ侵入さえしなければ、武器を失うことはなかった。こっちは死にかけたのだから、やっぱり向こうの自業自得だろう。
またしてもロクトが人間の街へ帰ったあと、パティナはすぐに床についた。起きていると、複雑な考え事をしてしまいそうだった。
精神的にも身体的にも疲労を感じていたせいもあって、ベッドへ横になれば、すぐに眠りにつくことができた。夢も見ないほど深い眠りにぐっすり落ちられたのは久しぶりで、今朝の目覚めはいつもより気分が良かった。
目覚めた後は日課をこなした。洞穴のすぐ近くの澄んだ池で沐浴を済ませ、森の散歩のついでにリサキに支払う山菜を集めて、生活に必要な川の水を汲みに行ってから、朝食のスープを作った。それから昨日、書きっぱなしで放り出していた手紙も完成させた。これでいつでも、郵便屋のリサキに渡すことができる。
釣竿はあのザマで、釣りに行くことは出来ないし、体に残った疲れから、狩りに行くのも気が進まなかった。何のやる気も起きなかったので暇つぶしに、昨日の人間の武器でも観察することにしたのである。
試しに弩を手に取ってみる。まるで鉄の塊でも掴まされたようなずっしりとした重量が右手の上にのしかかる。これをあの狩人のように取り回したり、抱えて長距離を移動したりすることは、自分には難しいかもしれない。
それでも一応、両手をしっかり使って、狩人が扱っていた姿を思い出しながら、弩を構えてみた。以前から知っている武器だったが、自分の手で持つのは初めてだ。
引き金を引いてみるとカチカチと音がした。矢はつがえられていない。矢筒も没収したので、矢自体は手元に無数にある。弩の矢は、弓の矢よりも細長く、矢先が鋭く尖っている。
興味本位で矢をつがえてみようと矢筒から矢を一本引き抜いた。構造を睨みながら弩に矢を嵌めるが、思っている以上に矢をつがえるのは難しい。何度も失敗を繰り返しながら、意地になってなんとか矢をつがえた。
近くにあったもう使うことのなさそうな瓶を的に決め、少し離れた場所に立つ。ゆっくり狙いをつけて、トリガーに手をかけ、ゆっくりと引き握った。すると、どっしりとした反動が一瞬胸の辺りに響いて、次の瞬間にはガシャンと鋭い音を立て、ガラスが勢いよく飛び散った。狙いは正確、威力は大きい。
だが取り回すには重たいし、装填するのにも一苦労だ。いくら威力や精度が高くても、それに見合わない労力が必要になりそうだ。
そんな弩を曲がりなりにも使いこなしていたあの狩人を思うと、敬意に似たものを抱くことが出来た。パティナとの戦いでは、上手く噛み合わなかったものの、彼らの本来の力が発揮されていたら、爆ぜ散っていたのはガラス片と化した瓶ではなく、自分だったかもしれない。
とにかく。
「私には使いこなせないな」
パティナは残念そうに言葉を漏らして肩を竦めると、弩を元の位置に戻した。
次に、少年が持っていた拳銃を手に取る。こちらもまた、ずっしりと手にのしかかるような重量感があった。
最近の銃の主流は、猟銃のような銃身の太いものらしいが、この銃は猟銃とは違う。リボルバー式と呼ばれる、一度に六発まで装填出来る、猟銃よりも小型化軽量化された代物だ。今存在する銃のなかでも、特に最先端のものだと、自称武器マニアのリサキから前に聞かされたことがある。
銃身や持ち手を包むメタリックな外見は、冷ややかだがどこか美しい。だがその小柄な体躯から、重たい弩と同等、あるいはそれ以上の威力を持つ弾を撃ち出すことを忘れてはいけない。その上、弾の装填や射出に弩ほどの苦労はなく、かつ命中精度も高い。まだ幼い少年がこの拳銃を扱っていたのを見るに、拳銃は誰にでも扱える殺傷武器、と言えるだろう。今は数を見ないが、もしもこの銃が武器の主流となる日が来るとしたら、と思うとぞっとしない。
拳銃の試し撃ちはしない。拳銃の引き金を弾けば、破裂するような爆音が鳴ることを、昨日によく思い知らされていた。爆音は心臓に悪くて嫌だ。弩の隣に置いて、それで終了。
他に取り上げていた残りの武器は、ナイフだ。刀身の小さなこのバトルナイフも、かなり年季が入っていた。柄の部分は木製だが、表面はかなり摩耗して剥げている。刃は動物の血をよく吸って黒ずんでいて、普段からこれを使って狩りをしていたのであろうことがよく分かった。
「さて」
人間から取り上げて集めた武器は、全てリサキに渡すことにしている。人間が何かを殺すために作ったそれらを、パティナが使うことはなかったし、リサキに渡すといいことがあるのだ。
森に侵入してきた人間を追い払った際に人間たちが落とした武器を回収。それを渡すとリサキは、こちらが差し出した人間の武器と、リサキの持ってきた他の物とを交換してくれる。郵便業の傍らで、リサキは物々交換もしていた。
交換してもらえるものは様々。どこかの人狼がリサキと交換したものの中から、どれか好きなものを選び、それを自分のものと交換する。今までに交換したものを、洞穴にあるもので言うと、鍋や釣り針、洞穴に飾られた置物などがある。
リサキが各地で集めた品々は、重量も物量も凄まじく持ち運びが容易でないため、リサキが訪ねてくる度に持ってくるわけではない。物々交換がしたいなら、事前に申し入れておく必要があるのでそこは注意だ。
人間が侵入してくる分、武器を回収する機会も多く、更にリサキの運んでくる品々も、なかなか面白いものが多かったので、パティナはよく物々交換を申し入れていた。ちなみにだが、交換の際にこちらが出すものは、人間の武器である必要はない。例えば森の木になる果実なんかでも、少々価値は落ちてしまうが、交換はしてくれる。
武器を眺めたり、ちょっといじったりするだけでは、大した時間つぶしにはならなかった。
目に見えてやるべきことは特になく、無駄に時間が過ぎていくだけ。かといってなにか仕事を探すのも面倒で困った。
洞穴の前をうろつきながら、顎に手を当て、時間つぶしの方法を考える。
そんな時に聞こえた聞き覚えのある声。茂みの向こうから、それは近付いてくる。
「おーい」
いくら暇でも、あの人狼の訪問が嬉しいとは思えない。望んでいたわけでもなく、むしろ約束のようなものをしたことすら忘れていたことに気付き、歪めかけた口を正す。代わりに胸の中に、何とも言えない微妙な気持ちがとくとくと満ちていく。
パティナは声のした方向を見ながら、腰に手を当てた。
「やあ」
茂みの中から現れた真っ黒な体、ロクトは狼の姿だった。ロクトは洞穴の前にいるパティナをその目で確かめると、嬉しそうに尻尾を振った。口で咥えていた持ち手を離し、鞄をその場に置くと、ロクトは立ち上がるように人に姿を変えた。
日の下で、こうして面と向かってきちんと彼の顔を見るのは、これが初めてかもしれない。黒いくせっ毛のある髪、深いグレーの瞳。少しだけ下がった眉のせいで、陽の光の下でも彼は気弱そうに見えたが、昨日や一昨日よりは幾分か明るい表情に見える。右頬に傷跡があることには、今まで全く気が付かなかった。
「持ってきたよ」
ロクトはそう言うと、鞄の中から小さな箱を取り出した。
「もう持ってきたのか……」
確かに昨日頼んだのは自分だが、これほど早く持ってくるとは思いもしない。パティナが呆れると、ロクトは後頭部に片手を回し、恥ずかしそうに笑った。
手渡された小さな箱の蓋を開け、箱の上部をすっぽり覆うカバーを外して中身を覗くと、様々な釣り用具が箱の中で丁寧に並んでいた。
釣り針も錘も糸もある。道具一式がきちんと揃えられているのを見るに、彼が過去に釣りをしていたというのは本当のことなのだろう。
ひとつ、針を手に取ってみる。よく出来た精巧な釣り針だった。パティナがこれまで使っていた何かの骨で出来た安物ではなく、もっと手の込んだもの。
もしかすると、人間の作ったもの、なのかもしれない。
「あと」
ロクトが鞄の中に手を入れて、さらに取り出した何かをパティナに差し出した。釣り道具の入った箱を小脇に抱え、空いた手で受け取り、手の中に収まったそれが何かを疑問符をつけた目で尋ねる。
渡されたのは、一箇所だけ突起がある軽い球体。表面を爪で叩いてみると、カチカチと音がした、どうやら中は空洞らしい。球体の全体が、赤っぽい蛍光色で塗装されている。その色のせいで、見たことのないもののように見えたが、これは。
「ウキだよ」
手のひらに収まった丸いウキは、パティナの使っている木製のものよりも、さらに軽かった。
釣り針を失くしても、ウキは壊れていない。それに、今使っているウキもそれなりに気に入っているから、正直に言えばウキは必要ない。だが嬉しそうにしているロクトを見ると、断る気力は失せてしまった。
「……ありがとう」
小さな声で礼を伝えると、ロクトは笑顔で「どういたしまして」と答えた。
そして迷いなくまた地面に手をついて、真っ黒な狼の姿に戻る。
「帰るのか?」
深く考えず、自然と口をついた言葉。放ってから、パティナは自分の言葉に驚いた。
わざわざ時間をかけて街からやってきて、手荷物を渡すだけで帰る、らしい。ロクトがここに来て、まだ五分と経っていない。
「今日は家で寝ようと思って」
眠そうにあくびをしながらロクトが答えた。
別に、パティナには彼を引き止める理由はない。だが何故か、彼がすぐさま帰ることを知って僅かに動揺する自分がいた。その自分を無視して「そうか」とパティナはふいと顔を背けた。
「そうだ。昨日ご馳走になったし、今度は僕がここで料理を振舞ってもいいかな?」
昨日のお返しがしたいし、釣り用具一式の詰まった箱とウキとを両手に持ったまま、あらぬ方向を見ているパティナを見上げ、ロクトが言う。
「え、ああ」
断る、断らない、を考えるよりも前に、気付いたらそうやって返事をしていた。
自分の動揺を隠すために、頭を回転させていたらこのザマだ。ロクトは断られる覚悟で言ったのか、曖昧な返事でも喜んでいるようだった。今更取り消すこともできず、顔を引きつらせる。
「じゃ!」
そしてロクトは、ウキウキしながら、パティナに背を向けた。
料理ってどういうことだ。彼の言った『今度は僕がここで料理』の意味を今頃思い直し、黒い背中に手を伸ばすが、もう遅い。ロクトはもと来た道の茂みへ飛び込んで、草木をかき分ける軽快な音は、すぐに遠のいて聞こえなくなってしまった。
「……なんなんだ……あいつ」
釣り針や道具の入った箱が乗った右手と、赤っぽい蛍光色のウキが乗った左手を、交互に見てから、パティナは顔をひきつらせたまま誰にでもなく呟いた。
ちゃっかり次の約束してますね。
続きます。
次話ロクト編「正義感」は21日(木)の0時投稿です。