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◆余韻

短いので二話連続投稿なのでした。




 パティナのもとで食事をご馳走になった後、ロクトは急いで街に戻った。日は没し、仕事が始まる時間までそう時間はない。結局これから仕事だというのに、ほとんど睡眠を取らずに出勤することになるが、気分は全く暗くない。

 狼の姿になって、夕方に歩いて来た道を、駆け足で辿る。月明かりが、雲や木々に遮られ、森の中は光のない真っ暗な世界になっていたものの、そこから抜け出すのに時間はそれほどかからなかった。

 川の流れる方向へ向かって川の脇を駆け下り、パティナが狩人たちと一戦交えた川原を抜ける。その際、狩人が放った矢が深々と突き刺さった木が横目に見えた。深く傷を受けたその木の幹を見て、死人が一人も出なかったことは奇跡的だったと思う。

 岩のトンネル、大きな倒木、泥っぽい池、穴の開いた木――。目印にしていたものを辿りながら、危険と安全が隣り合わせになった世界への道を、素早く戻っていく。



 森を出て、人の姿になって街道に出た。このまま街へ戻り、直接職場へ向かうことにする。

街道は緩やかな下り坂になっていて、人間の姿で小走りするぐらい、ちっとも辛くない。走りながら、尖った自分の耳を隠すためにフードをかぶる。これで自分は、人間と見分けがつかなくなる。

 整備された道の上を往く最中、ロクトはパティナのことを考えていた。

 先ほどロクトが街へ戻ることを告げたとき、彼女はその目に造り物でない色を浮かべた。その色は、最初に向けられたような「嫌悪」の色では無かった。だがかといって、「理解」や「共感」といった、前向きな感情でもなかった。言うなればあの色は、そのどちらでもない色、例えば「迷い」とでも呼ばれる感情なのかもしれない。「嫌悪」でも「理解」でもない瞳で自分を見つめた彼女は、互いが『疲れ』を覚えていたことは理解してくれても、人間の街に住むことを理解してくれる日は来ないのかもしれない。

 でも突然襲いかかられた昨日と違って、今日は最終的にマトモな会話が出来るようになった。これは大きな進歩だ。何より断られるだろうと思いながら言った「釣り針を持ってくる」という提案を、彼女に受け入れてもらえたのは大きかった。何せ、もう一度彼女のもとを訪ねる理由が出来たのだから。

 まだやり直せる、そう安心できた。



「……」


 小走りで駆けながら、持って帰ってきたカゴの鞄に目をやる。

 結局中の料理を渡すことは出来なかった。狩人がやって来てそれどころではなかったし、実を言えばこれを持ってきていたロクトですら、すっかりこのカゴの存在を忘れてしまっていたのだった。それにそもそも、人間の街で買った食べ物をパティナが受け取ってくれるかは、今冷静に考えれば、かなり怪しい。ある意味忘れてしまっていてよかったのかもしれない、とロクトは思った。

 とは言えせっかく買ったものを捨ててしまうのはもちろん勿体無い。カゴの中で冷え切った鶏肉のソテーは、仕事上がりの朝食にすることにする。



 しばらく進んで、門番たちの賑やかな声が聞こえる東門をくぐる。本来荷を運び入れる際の署名に使う机の上には、木製のジョッキがいくつも並んでいる。門番たちは酒気の帯びた顔を赤らめて豪快に笑いながら、やいやいとジョッキをぶつけ合っている。勤務中に皆で酒を飲んでいるらしい。

 ロクトはそんな様子を気にせずに、その隣を通り抜けて街へ入った。

 東門を抜け、門番たちの騒ぐ声が遠くになる。夜に沈む街は、彩度の高い油絵のような、どろどろとした雰囲気に包まれていた。日が暮れても道を歩く人の姿は少なくないし、道端で不埒な会話をする男女の声や、夜が本番の商売を始める人間の声も多くある。ロクトは顔を少しだけ下向けて、早足で歩いた。微睡みの街の姿を眺めていると、何故か不安定な気持ちになってくる。

 夜のライハークには、昼間のような“正”の活気はなく、沸騰直前の温度を保つ水のような、不安定な空気が漂っていた。街の中に灯された街灯の光はおぼろで、男の罵声と笑声と、女の嬌声と悲声が入り乱れる世界は、まるで夢の中だ。


「オニーサン見てってよ、いいもんあるよ」


 ボサボサの髪を極限まで伸ばした、男か女かも分からない人間にかけられた声を耳に入れずに顔を伏せて歩いた。夜の到来と共に怪しい者が増えるのは、きっとどんな場所でも変わりないことなのだろう。

 背の高い建物の壁面に取り付けられた時計が見えた。このまま行けば、始業時間には焦らなくても充分間に合いそうである。問題は睡眠を取っていないことだが仕方ない。酒場やパブの扉の向こうから漏れる、重く響く音で盛り上がる街の路を通り、フードをきつくかぶった。

 道を右へ折れて、小道を抜ける。その先の通り、ここからしばらくは、世界の東西南北から集まってき料理人たちの料理屋が続く。夕食には少し遅い時間だが、店の窓から漏れ出す灯りや笑い声からして、今夜も大いに盛況のようだ。ロクトが歩く道の上は、様々な香辛料や食材の匂いが混ざり、不思議と調和し、そこを歩くだけでお腹が鳴りそうだった。

 また時が経ってさらに夜が更ければ、この通りにも人影は少なくなる。そうなれば立ち並ぶ店は明日に備えて、灯りを消していくのだろう。

 料理屋の続く路を抜け、大きな通りを三つ横切った。そして近道になる細い路地を二つ過ぎて、さらにもう一度大きな通りを越した。そこの区画にある、街の西門のすぐ近くの集配所が、ロクトの勤める職場の本社だ。

 西門から集配所へ運び込まれた荷物を、街の西の区画に運ぶのが、仕事先の業務である。



 ちょうど通りかかった建物の側面の時計を見ると、始業開始のちょうど十分前だった。いつもより遅い時間だが、やはり無事に間に合った。

 集配所に入る前に、大きなあくびをした。睡眠を一切摂っていないことを考えると、それだけで、「ああ」と力ない声が漏れる。

 だが睡眠を削って、手に入れた友人――彼女をそう呼ぶにはまだ早いかもしれないが――のことを考えれば、後悔は無かった。もちろん、釣り針のことも忘れない。

 眠気に負けないよう頬を叩いて、ロクトは職場の敷地へ入った。




次話パティナ編「武器鑑賞のその後」はいつも通り二日後に投稿です。

続きます。

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