◇釣り針のない釣竿
大変短いですが、一応前話から次話へ繋がる繋ぎパート。
二話連続投稿と相成ります。
食事を終えて、ロクトはゆっくりと立ち上がった。
「そろそろ……お暇するよ」
「……ああ」
その場に座ったまま、パティナは吊り下げていた鍋を取り外したトライポッドの下で、静かに揺らめく火を眺めていた。
夜が来てからでも人間の街に戻らなければならない理由が、彼にはあるんだろう。自分には関係のないことだ、パティナは何も訊きはしなかった。
しかし、立ち去りかけたロクトは、そこで足を止めた。どうやら洞穴の入口に置いてあった“それ”が目に入ったからのようだった。
「?」
彼の視線の先には、地面へ直に置かれた、パティナ手製の釣竿が寝そべっている。
釣り針がない釣り竿に価値はない。道具入れにしまい込むこともせずに、どうせリサキが来るまで使えないのだから、とそのまま地面に放り出していたのだった。
ロクトはその近くにしゃがむと、無造作に投げ捨てられた釣竿を手に取った。
大きさは二メートル弱。立てて横に並べば、ロクトよりも背が高いだろう。この釣竿は、ここに来てから真っ先に作ったものだ。それから今まで一度も作り変えることなく使い続けているので、表面についた傷や色あせた表面が、年季を感じさせる。
「釣りするの?」
尋ねられて「ああ」と適当に短く返事をする。だからどうしたと鬱陶しそうに視線をやると、彼は釣竿を眺めながら「ん?」と声を上げた。何かを発見したらしい。どうやら糸の先に釣り針がないことに気付いたようだ。
これでどうやって釣りをするんだろう――とでも言うように、不思議そうに糸の先を眺めているロクトを見ていられず、パティナは火の側から立ち上がった。説明を求められると面倒だ。
「……針はどこかで無くした。替えもないからそのままにしている」
ロクトは振り返って、釣竿の先を指差した。
「替えがないってことは……」
「もう釣りができない」
「それは困るな」
奥深い森にたったひとりで暮らすなら、退屈しのぎの道具は、多いに越したことはない。特に釣りは、釣り糸を垂らしているだけで、時が過ぎるのも早く感じられるし、獲物がかかるまでゆっくり頭の整理も出来る。何より食料の確保にだってなる、終わりのない遊びだ。
釣竿を作ったように釣り針を作ることは不可能だったし、郵便屋のリサキがやってくるまで釣り針の調達は絶望的。少なくともそれまでの間、今までのように釣りができないということは、退屈しのぎのための道具が一つ減ってしまうということだ。やはりそれは面白くない。
考えるだけで、自分の顔が曇る。いくらでもため息をつけそうだ。
「前に僕もよく釣りをしていたんだ。あの街で住み始めてからまた一式を揃えたから、釣り針が家にあったはず……」
持ってこようか、と控えめな声の、ロクトの提案。
釣り針があれば、釣りができる。答えるよりも前に、自制しても自然と顔が明るくなる。正直これからしばらく釣りができないことを考えるだけで憂鬱だった。
「……本当か」
「いいよ」
ロクトが快諾するのをよそに、だが、と彼女は喜ぶ自分に制止をかけた。顔を俯けて顎に手を当てて思案する。
これ以上この男に借りを作るのはどうなんだ? しかもこの相手は、今まで自分が散々嫌っていた相手だ、都合が良くないか。
目を落とすと、再び地面に置かれていた釣竿が見えた。釣り糸の先に釣り針が存在していないのを見て、恨めしそうに下唇を噛む。借りを作るのを嫌って、提案を断ることが出来ても、釣りが出来なくなるダメージは大きい。
プライドと、釣り針が天秤にかけられる。釣り針は待てばそのうち手に入る、だがしかし。
返事を待つロクトを見ないように、目を背け悶々と考えていると、ふとシャナルルの手紙が思い浮かんだ。手紙の内容は正確に覚えてはいなかったが、あの手紙の中で何度も出てきた文言が脳裏に浮かぶ。
《意地っ張りをやめればあなたはもっと――》
ため息をついて、額に手を当てた。どうしようもない可笑しさが、腹の底から浮き上がってくる。
頭の中の天秤のイメージに、奇妙にもシャナルルの手紙の言葉が登場して、その手紙はひらひら舞いながら、釣り針の乗った皿に乗りかかった。天秤が、傾く。
「『意地を張るな』ね……」
ぼそっと呟くと、ロクトが「え」と不思議そうな顔をした。
意地のつもりではなくても、そう見られてもおかしくないのかもしれない。それにどうせなら、利用してやろうと思うぐらいの心づもりで、一瞬の迷いを切り捨て、それから軽く頷いた。
「頼む」
ロクトは「分かった」と笑って答えた。
短い!続きます。