ロケット花火ウォー
この物語はフィクションであり、良い子のみんなは花火をぜったいに人へ向けちゃいけないぞ。
もぐらのおいちゃんと約束な。
六月。
ぱちりぱちりと横殴りの雨が、教室の窓硝子にぶつかり、尖っては弾けていた。
湿気が多く、どんよりと重たい空気の教室で、一人ぼくは、それはもう鼻歌でも歌ってしまいそうなくらい意気揚々と、色とりどりのチョークで汚された黒板をせかせかと綺麗にしていた。
まるで日直の鑑のような立ち振る舞いに、さぞ下々の者から羨望の眼差しを向けられことであろう。
「ご機嫌じゃん。マコト。何かいいことでもあったのか?」
「馴れ馴れしくファーストネームで呼ぶなっちゅうに。お前と友達だと思われると、ぼくの立場が危ぶまれるわ」
「なんだよ! 連れねぇな。あたしとあんたは、一蓮托生じゃねぇかよ」
同じく日直の椎名 志乃は、ぼくが生真面目にも日直業務に精を出すのに対して、全くもって働きやしない。
しかし、それも仕方ないことであった。なぜなら、このクラスの男子は、女子の奴隷なのだから。
ちっこい体躯に、長い睫毛を羽ばたかせ、まるで小動物のような椎名であるが、人を見掛けで判断してはならない。
こう見えて椎名は、この四年二組の頂点。狂気の魔王と呼ばれている。悪魔の王で魔王である。そして何を隠そうぼくは、先日その悪魔に魂を売ってしまったのだ。
ぼくたちわたしたち三年生一同の学年が、四年生に上がった年の新学期、我々逞しき男子と憎き女子の間で、血を血で洗う悲しい抗争があった。
ことの発端は数多のならず者を束ねる新四年二組の暴君、田辺 雅臣が、一人の女子児童をイジめたことにあった。名は深津 鈴という。とにかくノロマで不器用、おまけに暗くて他人と話すのも苦手ときた。
田辺はその腕っ節に似合わず、それはもう陰湿に、上履きを隠したり、消しゴムを盗んだり、地味なイジメを繰り返した。
小さなイジメは次第に大きくなり、ついに深津は学校に来なくなった。
それに激怒したのは魔王椎名。彼女を筆頭にクラスの魔王軍は、男子狩りを始めた。
男子は悪しき魔王軍に取り囲まれ、パンツをひん剥かれ、すっぽんぽんにさせられた。そして奴らが親から買い与えられた携帯電話で、あられもない姿の写真を撮られた。
我々男子は「どぐされ女子なんかに舐められるな」と、意気込んでみるものの、狂気の魔王 椎名 志乃は、俊敏にして豪腕。勇敢にも戦った同胞たちは、一人、また一人と散っていった。
かく言う男子も負けてばかりはおらず、戦局は一進一退を繰り返し、戦士たちは疲れ果てていった。
ぼくは最後まで戦った。散っていった友たちの為に。
お互い限界を感じたのであろう。話し合いの末、いよいよ大将同士の一騎打ちが設けられた。六月半ばのことである。所謂、タイマンってやつだ。
「おい、田辺。あたしが勝ったら男子は女子の奴隷だかんな」
「誰に口を訊いている。余を誰だと思っているのだ。跪け虫けらよ。フハハハー」
田辺 雅臣。巨漢の彼は、番長中の番長との呼び声も高く、上級生からも恐れられている。
一見ぷにぷにのその躰。その実中身は、わんぱく大相撲で鍛え抜かれた鋼の筋肉を内包しており、運動性能は極めて高し。動けるデブの二つ名は伊達ではない。そう、彼と一般ピープルである我々下々の庶民とでは、生物としての性能が違うのである。
対する椎名は飄々と田辺から一定の距離を保ち、余裕綽々にんまり嗤ってみせる。
「いいのか? 魔王。貴様の得意な種目で決着をつけてもいいのだぞ」
「ハッ。嗤わせんな。拳と拳で上等。相手の土俵で戦わなくちゃ女が廃る。木っ端微塵にしてやるぜぃ」
この時、鼻を鳴らした魔王のあまりに男前な表情に、不覚にもぼくは、見惚れ、釘付けになった。敵なのに、がんばれなんて思ってしまった。
開始一番、魔王椎名の猫騙し。それに怯んだ僅かな隙を突き、田辺の一見ぷにぷにのお腹に、ずどんと一発ボディブロウ。倒れた田辺。まさかのノックアウト。さらに魔王は馬乗りになり、狂気の魔王の名に相応しく、狂ったように田辺を殴ろうとする。まさに一蹴。皆で暴れる魔王を止めに入り、別のクラスのやつがテンカウントを数える。
男子の完全敗北。ぽつりぽつりと雨粒が、我々男子の熱を冷ますようにゆっくりと降り、戦士たちの涙が、全国的に梅雨入りを告げる。こうしてクラス内戦争は幕を下ろした。
この日からである。ぼくたち男子が、女子から奴隷以下の家畜として、扱われるようになったのは。
暗雲の立ち込めた青春ではあるが、ある日ぼくは一筋の光を見つけた。魔王の弱みを握ったのだ。そう、席が隣のぼくは、薄々気が付いていた。魔王椎名が顔を赤らめながら、ぼくの親友である野球部の亮太に熱い視線を送っていることに。
魔王もやはり女であったのだ。
これを魔王に突きつけ、脅せば、この家畜みたいな生活が終わるかもしれない。ぼくは男子たちの英雄になれるかもしれない。魂の牢獄に囚われし男子児童を約束の地にへと導くことができるやもしれない。
確信したぼくは放課後、魔王を呼びつけた。キーンコーンカーンコーンとチャイムの鳴る放課後。西日差し込む図書室、窓の外は野球部の掛け声。
「椎名が亮太に熱い視線を送っていることぐらいは、お見通しだ。クラス中にばらして欲しくないよな?」
「汚ねぇぞ。それでも男か」
「まあ、待て。ぼくに協力するなら、亮太との仲を取り持ってやってもいい」
ぼくは、この時どんな顔をしていたのであろうか。あの絶対無敵の魔王がぼくに怯えている。
「協力だ、と?」
「ああ。そうさ。…………ぼくと、クラスのマドンナ神宮寺さんとの間を取り持って欲しい。さあ、お互い幸せになろうではないか」
そう。彼女があくまで雌であったと同様に、ぼくも雄であったのである。倒れていった仲間たちには、申し訳のない話ではあるが、ぼくはこの千載一遇のチャンスに、仲間たちよりも、自分を優先した。悪魔に魂を売ったのだ。
この日からである。魔王とぼくの共同戦線が引かれたのは。
そして今に至る。
士農工商穢多非人の、さらにその下。カーストピラミッドの最下層に位置する我々男子は、女子トイレの掃除以外、全ての掃除をやらされる。
「ったく。絶対許さねぇ。あのゴリラ女」
室内でもキャップを斜めに被る亮太は、ゴミ箱を蹴飛ばしながら毒付く。ぼくたち男子に降る雨は止まない。ゴリラ女とは、もちろん魔王のことである。四年二組全ての男子から、恨みの対象なのである。仕方のないことではあるが、近頃共同戦線を張っている身としては複雑な気持ちだ。
「なあ、でも顔は可愛いと思わないか? 魔王のやつ」
「は? 正気か? マコト」
取り付く島も無い亮太は、怪訝な顔をぼくに向ける。ぼくが椎名と行動を共にしていることがバレたら、間違いなくクラスの男子から村八分であろう。ぼくは自分が犯した軽率な約束が怖くなる。
「いいか? あいつの所為で、おれたちは、こんなうだつの上がらない生活を強いられているんだぞ」
「でもさ、先に手を出したのはこっちじゃないか」
「それはあの腰抜け番長だろ? おれたちには、関係ない」
田辺はあの日から、人が変わったように大人しくなった。
「なあ、亮太。梅雨が明けたら夏祭りだ。ロケット花火ウォーが始まるって時に、クラス内で争っている場合かよ」
梅雨が明けたら夏祭り。床奈津リーグ四種目中でも、最も恐ろしいロケット花火ウォーが始まる。床奈津小学校四天王の一人である田辺の不在はクラスにとって大きな痛手である。
「ああ、確かにな」
「和解しよう。今週の土曜。話し合いを一度設けて、男子の奴隷化を撤回させよう。ぼくに全部任せてくれ」
「おおっ! すげえ。マコトお前、なんか革命家や政治家に見えてきた」
作戦大成功。これで週末は椎名と神宮寺さん、それに亮太とぼくの四人でダブルデートである。打ち合わせ通りだ。
亮太は部活があるのでここで別れ、ぼくは一人家路を辿る。雨は止んで空は晴れていた。
両親不在の自宅の鍵を開け、玄関から廊下を隔て、洗面に行き手洗い、うがい。そして鏡で自分の顔を眺める。そこには、中の下としか言いようのない汎用な顔。人はいつしか自らの器を受け入れ、様々なことに諦め、自分に見合った相手と結ばれることであろう。神宮寺さんはクラスでぶっちぎり一番の美人である。ぼくなどその他大勢のモブキャラが望むべき相手ではないのであろう。しかしだ。今は、今だけは、寝ても冷めても彼女のことを考えてしまう、自分の気持ちを優先したいのだ。
あの日、神宮寺さんは、クラスの女子から、奴隷以下の迫害を受けていたぼくに、手を差し伸べてくれた。
もちろん知っている。彼女が誰にだって分け隔てなく優しいことぐらい知っている。だからこそ、そんな優しい彼女の特別な存在になりたいのだ。
土曜日。
「おいおい、なんでお前タキシードなんだ」
そんな亮太のツッコミになんてめげないぼくは、遠くの方から似合わないひらひらのスカートを履いた魔王が、不吉なオーラをその身に纏い、歩いてくるのを確認する。
場所は河川敷に打ち捨てられた廃バス。暴君田辺が秘密基地として使っていた場所であるが、今は人が寄り付かない。
魔王の隣には深津。田辺にイジめられてたあの深津だ。おいおいちょっと待て、神宮寺さんはどうした。
「待たせたな。マコトと……りょ、りょ、亮太くん。まどかは少し遅れてくるって」
まどかとは神宮寺さんの下の名だ。神宮寺さんが来ることに安心したぼくは、早速廃バスの中に置かれたソファに腰掛ける。基地の中は、田辺がせっせと集めたガラクタで溢れていた。
正直、神宮寺さん以外のことに興味などない。寧ろ何故魔王が深津を連れてきたのか、意味が解らない。これではダブルデートでは、なくなってしまう。
「んで? おれたちとしては、いい加減奴隷みたいな扱い辞めて欲しいんだけど。あれは田辺が勝手に約束しただけだ」
これまた田辺が拾ってきたラジカセに電池をいれ、FMをBGMにし、テーブルを隔てた向かいのソファに腰掛ける二人に目線を戻す。深津が冷えたラムネを、持って来たクーラーボックスから出し、全員に差し入れしてくれる。
「りょ、りょ、りょ、亮太くんがそこまで言うなら、あたしたちだって
吝かではない。床奈津リーグ前には、男子と和解しようと思っていたんだ」
ラムネの瓶の水滴が、テーブルに小さな輪を作り、深津は話に入れず一人おどおどしてそれをことある毎に、ハンカチで拭き取る、そんな時であった。
「ごっめーん。志乃ちゃん。遅くなっちゃった」
ガチャリと基地の扉が開き、なんとも麗しい純白のブラウスを身に纏った神宮寺さんが、室内に入ってくる。その姿、まさに女神。
「神宮寺さん。なんてお綺麗なんだ」
神宮寺さんのあまりもの美しさに、ぼくは気絶した。
…………何時間経ってしまったのであろうか、目を覚ますと、窓の外は薄暗くなっている。
「ったく、だらしねーなー。まどかなら、門限があるからつって、先に帰ったよ」
基地の中は椎名だけが残っていて、向かいのソファで横になり、どこからもってきたのか漫画を読んでいた。
「あゝ、勿体無い。ぼくはなんてダメなやつなんだ」
「あたしだって、人のこと言えないよ。恥ずかしくて亮太くんと全然喋れなかった」
「そうか。と言うか、お前は帰らないのか?」
「あんた一人置いて、帰れないっしょ」
「魔王。お前意外といいやつだな」
炭酸が抜けて、すっかり温くなったラムネを持ち、チンっと小さく椎名と乾杯する。
真っ赤に燃える夕焼けが、ぼくらに梅雨明けを知らせる。
七月。
夜空には天の川。それを切り裂くように放たれた、一発のロケット花火が、床奈津リーグの開幕を知らせる。
縁日。神社には祭囃子。和太鼓の音が、隠れるぼくらの心臓の音と混じり合う。
「敵軍は?」
ゴーグルを掛けた魔王は、ぼくに状況を確認する。その指示に従い、ちょいと双眼鏡を覗いてみる。
「雨池の向こうに二人。ただ人質になった深津はみえないから、どこか別の場所にいると思う」
どんくさいことに掛けては、右に出る者のいない深津は、数刻前に敵に捕まった。捕虜にされたのだ。
「すずを救出して、一気に畳み掛けるよ。マコト。あんたは雨池を左回り、あたしは右回りにいく。挟み討ちにしよう」
「オーライ。残りの玉数は少ないから、慎重にな。グッドラック」
ぼくは手持ちのロケット花火を半分椎名に渡す。そして雨池の外周を左回りに、音を出来る限り殺してイタチの如く駆ける。
目標まで残り、二十メートル、十メートル、五メートル。風向きは向かい風の微風。
そこでぼくはチャッカマンと呼ばれる特殊なライターで、ロケット花火に火を点ける。その間、零コンマ数秒。こう見えて床奈津小の”早打ちまこキュン”と呼ばれているぼくのロケット花火さばきに、叶うやつなどそうそういない。椎名を初めとした四天王と呼ばれる化け物たちくらいであろう。
能ある鷹は爪など隠さない。ガンマンたるぼくは、その早撃ちで敵の警戒網を蹂躙し突破する。
「ナイス。マコト。奥の方のジャングルジムに数人いるみたい」
「ああ、多分深津はそこにいる」
しかしどうする。恐らく多勢に無勢。それにそこにいるのは、四天王の一人、第五学年の頂点、ドン加歩根田である。魔王椎名と言えども、一筋縄では行かないであろう。
「奇襲を掛ける。双眼鏡で確認して」
ぼくは親父からくすねた双眼鏡を覗く。数人に囲まれた深津がジャングルジムの中に閉じ込められていた。そしてジャングルジムの頂点に太々しく鎮座するのは、夏なのにファーの付いたコートを着て、トレードマークのシガーレットチョコを口に咥えたドン・加歩根田の姿。
奇襲。見晴らしの良いジャングルジム付近では、どちらかが囮になるしかない。
魔王 椎名 志乃は自らを囮にした。計画では、ぼくが死角から加歩根田を仕留める手はず。しかし机上の空論は、上手くはいかなかった。容赦のないロケット花火の雨に晒される椎名を、ぼくはなぜだか放ってはおけなかった。
「やめろぉぉぉ」
作戦は失敗。ぼくはありったけのロケット花火を敵に向ける。大丈夫。ぼくの早撃ちをもってすれば、作戦などなくてもいける。
二人して応戦する。椎名はさすが魔王である。火傷しようが、擦りむこうが怯むことはない。踏んできた鉄火場の数が違う。ただその傷口を見る度、ぼくは酷く心が痛んだ。
「おっと、そこまでだ。人質がどうなってもいいのか?」
深津をその腕に掴み、手持ち花火とライターをその顔に向ける加歩根田、まさに絶体絶命であった。
深津を人質に取られ、動けない椎名とぼく。あれに火を点けたら顔に火傷してしまう。女の子なんだぞ。
「まずは目障りな男子。お前からだ。女二人はその後ゆっくり調教してやる」
加歩根田は、取り巻きの一人に指示を出し、そいつはぼくに花火を向ける。ジーザス・クライスト。ぼくが観念して目を瞑ったその時だった。
ぴゅーっと甲高い音を立てた、笛付きロケット花火は一筋の流星。大きな放物線を描き、加歩根田の咥えたシガーレットチョコを撃ち落とした。
「な、な、だだだ、誰だ!」
「五年のくせに多勢に無勢で、人質まで取り、恥ずかしいとは思わんのか。ばかたれめ」
木の上に一つの影。雲の切れ目に見えた月明かりに照らされたのは、他の誰でもない。紛れもなく番長中の番長、四年二組の暴君、田辺 雅臣であった。
両腕を組み、木にもたれ掛かり、痛々しいくらいにキザなポージングである。そして彼はそこから飛び降りた。
ボヨヨーンっと、彼のぷにぷにの腹が波打ち刹那、四方八方にネズミ花火をばら撒く。
そこに大きな隙が生まれ、田辺は瞬時に深津を奪い返す。
こうなってしまえば、こっちのものであった。ぼくの早撃ちは零コンマの世界であるが、それよりもこの場で疾いものがいる。
まさにゼロ秒。魔王椎名の豪快なアッパーが、ドン・加歩根田の顎を捉え、彼の躰は宙高く舞い上がった。それは、もう、まるで打ち上げ花火みたいに。
「た~まや~ってな」
残された五年生たちは、「最後は結局アッパーとか汚ないぞ。先生に言い付けてやる」とかなんとか捨て台詞を残して、三々五々散っていった。
空は晴れて月明かりに照らされるは、田辺と深津。
「怪我はないか?」
「はい」
「そうか。良かった」
なんて雲行きの怪しいやり取りをしている。おいおい暴君。まさかまさかだぞ。
「あの時は済まなかった。余は貴様のことが好きで、意地悪をしてしまったのだ」
そう。あの血を血で洗い、数々のクラスメイトが傷つき倒れた抗争は、この暴君 田辺の「好きだったから、意地悪しちゃいましたー。てへっ」に、巻き込まれたのだ。
「償いがしたい。卒業するまで、余に貴様を守らせて貰えないだろうか?」
暴君田辺は深津の前に跪く。その姿は、まるで騎士とお姫さまみたいだった。
深津はおどおどしながら、ただ「はい」とだけ言って、田辺の手を取った。
ぼくら四年二組は床奈津リーグ四種目の内一つ、ロケット花火ウォーで、順調に勝ち進み、その駒を進めた。
そして最終決戦。
相手は前年度リーグの覇者。野球部キャプテンにして、我が小学校の支配者、四天王最後の一人、児童会会長、最愛の我が神宮寺まどかの兄、神宮寺宗一郎率いる、六年二組である。
「兄さん。ついに貴方と戦う時が来ましたね。ぼくらが勝ったら、妹さんをください」
「ふむ。わたしたち六年が勝ったら、二度とうちの妹に近づかないで頂こうか」
決戦は雨池公園の側の神社の敷地内。町ぐるみのリーグに協力するため、泣く泣く神主は承諾している。
結果から言おう。この最終決戦、ぼくらはあっさりと負けた。ロケット花火が飛び交うこともなくである。
「きみが魔王 椎名 志乃か。妹から訊いてるよ。こんなに可愛いお嬢さんだったなんてな」
「ああ、まどかの兄貴だからって手加減はしないよ。正々堂々と戦おう」
「そうそう。きみはうちの部の、亮太が好きなんだってな。それも妹から訊いたよ」
「なっ! いきなり何を」
「どれどれ、親切なわたしが亮太に直接訊いてみてあげよう」
神宮寺宗一郎が、パンパンと手を叩くと、敵陣の真っ只中から亮太が現れる。まさか亮太。裏切ったのか。
「なあ、亮太。この悪しき魔王がお前のことを好きらしい」
「……」
「どうした。応えてやれ」
「おれは……こんなブスで乱暴なゴリラ、大嫌いだ」
時が止まった。がっくりと膝をつく椎名を残して。我々の完敗である。こちらの大将は、もう立ち上がることなど、出来はしないであろう。
あたり一面六年生どもの笑い声が響き渡る。それどころか、仲間であるはずのクラスメイトまでも笑っていた。これは完全無敗の魔王が初めて味わった敗北であった。失恋という名の敗北であった。
「笑うなぁぁぁ」
ぼくは必死に叫んだが、誰にもその声は届かなかった。俯いてよく視えないが、もしかしたら椎名は。
終業式、椎名はあの日から学校に来ていない。ぼくは隠し持った、花火とチャッカマンを確認。教諭に見つかればこっ酷く叱られる。
チャイムが鳴る。一学期が終わり、ぼくは階段を降り野球部の部室を目指す。
蝉のオーケストラ、茹だるような暑さ、グラウンドにはゆらゆらと陽炎が揺れる。
ぼくは汗も拭わず、野球部の部室を訪れる。丁度着替える時間である。きっと中には物騒な金属バットをもった球児たちが、わんさかいることであろう。
あれから色々考えたんだ。ぼくには椎名を慰めてあげることも、抱きしめてやることも出来はしない。
結局、こんなことしか出来ないんだって悲しくなった。
部室の扉を思いっきり開けはなつ。まだ半裸の者も多くいる野球部の部室、ぼくは注目を集めた。
「だれだ? お前?」
「訊かれて名乗るのも烏滸がましいが、我は第四学年二組の属する姓を神田川、名をマコト。主君 椎名 志乃 の無念を晴らす為、仇討ちに参った。討ち入りじゃぁ。覚悟しろ、どぐされ野球部ども。天誅!」
ぼくは持っていた手持ち噴射花火に火を点す。そしてそれをライトセイバーに見立てて、呆然とする上級生たちに斬りかかった。
この事件はぼくが卒業した後も、語り継がれることとなる。
◇ ◇ ◇
八月。
「ばっかじゃね」
夏休みの夕方。迎えに行った椎名の自宅。やっと笑顔を取り戻した魔王は、しっしっしと歯を見せ咲う。
「うん。お陰様で上級生からぼこぼこにされるは、先生から親呼び出されるは、散々だった」
「あたしがガッコー言ってない間、まどかや亮太くんとは?」
「神宮寺さんとは、元々あんまし話さない。兄弟だし悪気はないと思うから別に何も怒っていない。亮太は……ごめんって伝えてくれって」
「いいさいいさ。そのごめんが、あたしの振られた言葉さ。それよりなんであんたが怒る必要あんのさ」
話し込んでしまったが、河川敷の秘密基地で田辺と、深津が待っている。
今日は花火大会である。深津が立てた、名付けて、『引きこもった志乃ちゃんを花火大会に連れ出そう大作戦』。計画は立てるまでが楽しくて、実行に移すのは酷く面倒である。
ほれ、前乗れと、ぼくの自転車の後ろに乗る椎名。男子奴隷制度は、未だ健在のようである。
「大人に見つかったら怒られるだろうに」
「びびんなって。はいはい漕いだ漕いだ」
回り出す車輪と新たな歯車。流れ出す時間と景色。ぼくは必死に上り坂を、立ち漕ぎでペダルを回す。
雨池公園を越え、神社を越え、そこからは下り坂を下り、そして堤防沿いを走らす。強い風が吹いて汗が仄かに乾き、河川敷の廃バス前で手を振る、田辺と深津を見つける。
顔を見合わせ何か話しているようだ。
「ねえねえ田辺くん。あの二人なんだかいい感じじゃない?」
って、ところであろうか?
「なあ。椎名。あのさ」
「なにー? かーぜーがーつーよーくーてーきーこーえーなーい」
ぼくは自転車を止める。この花火大会が終われば、季節は瞬く間に秋を連れてくる。自転車から降りたぼくは、椎名を真正面に見据える。暫しの沈黙。田辺たちと合流するまえに勇気を出さねば。
「ぼくじゃダ…………」
ぼくの声を掻き消したのは、暮れかけた空いっぱいに咲く一輪の花。椎名はぼくの手をキュと強く握って、困ったように笑った。
「さあ、スズたち待ってるからいくよー。魔王さまの命令は絶対」
ぼくの手を握ったまま、駈け出す魔王 椎名 志乃。これはぼくが魔王に魂を売った物語である。




