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言ノ葉協会事件簿帳  作者: 色彩和
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第四件 休息の時間

第四件 休息の時間




 紅日は、夢を見ていた──。

 夢だと気がつくのは、すぐだった。自分の幼少期の頃、そしてまだ自分の本当の両親と一緒に暮らしていた頃のことだった。幼くても、忘れることのできない記憶。いつもの母親と父親の喧嘩。何で喧嘩しているのかが分からないあの頃は、どうしても何も言えなかったし、分からなかった。いまだに、あの頃の言葉を理解できていない部分がある。それでも、忘れられなかった。

 父親に暴力症状があった。母親が殴られたり、怒鳴られたりしていたのは幼くても理解できた。泣き声は日常で、でも母親は紅日に優しかった。ただ、いつも悲しそうな顔をした。元気づけようと、いろいろと試した覚えがある。だが、結局母親は家を出て行った。紅日を置いて──。

 それから、父親の矛先は自分へと向いた。だが、毎日必死に耐えた。心の中では、母親に、誰かに助けを求めながら──。

 そんな時、会ったのが屋城だった──。



 窓から入ってくる日差しで、紅日は目を覚ました。なんとなく、夢を見ていたことを覚えている。だが、詳しいことを思い出せなかった。

 屋城さんが最後に出てきたのは、覚えているんだよな……。神経質になっているのか?

 うーんと寝床でそのまま考える。だが、そんなに気にすることもないと考え直し、着替え始める。

 最近は、仕事がなく、蒼月も紅日もただただ毎日を過ごすばかり。ピークが終わったらしく、協会の中は人で溢れかえっている。賑やかな声がいつも耳に届いて、それが嬉しく感じる。人が多いということは、今世間では大きな問題がないということ。それは、喜ぶべきことだ。

 この間、佳露もたくさんの人にかわいがられているのを見つけた。自分の中で安心したのを覚えている。

 この日常が、続けばいいのにな。

 紅日はそう考えた。けれど、そううまくいかないのが、現実なのだ。

 その時、自室の扉をノックする音がした。返事をすれば、蒼月が入ってくる。

「おはよう、紅日。今起きたのか?」

「おはよう、蒼。ああ、まあな」

「まったく、お前は。いつまで寝てるんだか。時間見たのか?」

 蒼月の言葉に、時計を見てみる。時刻は、午前十一時を指そうとしていた。

「うわっ、そこまで寝ていたのか! そりゃあ、言われても仕方ないな」

 笑って見せれば、相棒は苦笑した。いつものことだと、呆れているのかもしれない。実際、蒼月は「しょうがないな」と呟いていた。

 あはは、と乾いた笑いで誤魔化して、それから蒼月にどうかしたのか、と問いかける。蒼月は、「ああ」と頷いた。

「実は、今まで忘れていたんだが、鴉夜さんにもらったメモを一緒に確認しようと思ってな。図書室に行こうと誘いに来たんだが……。早いが、先に昼食を食べに行くか? それとも、何か用事があったか?」

「忘れてたのかよ、珍しいな……。そうだな、腹減ったし、先に食べたいな。用事はまったくなし、めちゃくちゃ暇」

「分かった。じゃあ、外で待っているな」

 蒼月はそう答え、外へ出た。紅日はそれを見届け、携帯電話をジャージのポケットへ突っ込む。基本、仕事がない時は楽な格好でいたいため、上はティーシャツ、下はジャージという、ラフな格好。紅日は特に運動するのが好きなため、動きやすい服装でいたいのだ。協会のメンバーでスポーツをすることもあるので、急に誘われることもある。ちなみに、蒼月はいつも見学している。

 よし、と頷いて、部屋から出た。扉のすぐそばで蒼月は腕を組んで、背を壁に預けていた。声をかければ、頷いてすぐに歩き出す。駆け寄って、隣に並んだ。

「図書室も人がいるんじゃないか?」

「部屋だと聞き耳を立てられても困るだろう。何があるかは、分からないからな」

 「図書室なら、まだ気配で分かるし、気を張りやすい」と続いた相棒の言葉に、なるほど、と頷く。さすがによく考えられている。蒼月には頭が上がらなかった。

 とりあえず、食堂に向かえば奥に人だかりができているのが目に留まる。何だろうと疑問に思って、顔を見合わせた。それから、人だかりに向かって足を踏み出す。

 近寄って中心にいる人物を見て、驚いた。

「え、姉さん(あねさん)!?」

 その言葉に全員の視線が、一斉に紅日に向けられる。中心にいたその人物は、紅日を目にすると、フッと笑ってみせた。

「久しぶりだな、紅日。相変わらず、うるさいな」

「ひどい……」

 紅日の言葉に、周囲にいた仲間が笑う。笑いに包まれたその空間を、すぐに破ったのは蒼月だ。

「お久しぶりです、梶都(かじと)さん」

「ああ、久しぶりだな、蒼月。お前は相変わらず冷静だな、かわいげがない」

「よく言われます」

「だろうな」

 クックと笑って見せた、梶都は楽しそうだった。

 梶都和賀(かじとわか)。協会にいるメンバーの中では、紅日の次に長くこの場所にいる。話し方や振る舞い、性格は男前だが、実は女性だ。いつも(さらし)を巻いているのもあり、よく男性に間違えられるという。協会の中で頼りにされている一人だ。長期の依頼を受けることが多いため、最近はめっきり姿を見ていなかった。

「協会にいるということは、依頼が終わったんですか?」

「やっとな。今回も手強かったが、なんとか」

 梶都は肩を竦めて(すくめて)みせた。表情は相変わらず微笑んでいたが、目が悲しそうに少しだけ細められたのを、蒼月は見逃さなかった。

 何か、あったんだな──。

 蒼月は何も言わずに、そのまま立ち去る。紅日は相棒が離れていくのを見て、慌てて彼女に挨拶をしてから、追いかける。蒼月の様子に、紅日も何かあったんだろうな、と考える。しかし、そのことには触れることはなかった。

 その二人の後ろ姿を、梶都は目を放さずにじっと見つめていたのだった。

 二人は昼食を取って、すぐに図書室へと移動する。

 図書室は一応、個室と本棚に囲まれた空間にある席と大きく分かれて二種類ある。詳しく言えば、窓際の席もあるわけだが、とにかく席は多い。図書室は意外に人が寄らない場所でもあり、静かであった。本の数は下手な図書館よりは種類が多く、数も多い。大体、誰かが購入したものを寄付してくれたり、要望があった物に関してはその日の当番が購入して補充しておいてくれたりしている。そんなこんなで、現在図書室には二〇万冊以上があると言うが、本当のところは分からずにいるのだった。

 二人は個室ではなく、窓際にある席を選んだ。角ではなく、図書室内のど真ん中位置にある、窓際の席。ちょうど日が差し込んできており、とても暖かくて気持ちがいい。最近はだんだんと気温が低めになってきているため、暑いと思うことが少なくなった。

 席に着いて、すぐに蒼月は上着の胸ポケットに入れていた小さなメモを取り出した。

 蒼月は休みでも結構しっかりと服装を整えている。ジャージを着ているところなど、紅日は見たことがなかった。逆に前回の依頼で着ていたスーツなど、ほぼほぼ着たことがないはずなのに、似合っていたし、しっくりときていたことが不思議で仕方がない。

 蒼月は何も言わずに、メモに目を走らせた。紅日はそれを見ながら、彼の言葉を待つ。

 嫌な予感がする……。

 紅日は瞬間的にそう感じた。冷や汗が一筋、自分の頬を流れ落ちたことに気がつく。とっさに、ごくりと唾を飲み込んだ。

 蒼月は読み終わって、一つため息を吐き出した。それから、「そう、か……」と小さく呟いた。紅日は気になって仕方がない。相棒に声をかけ、先を促した。聞かれた相棒は、言いにくそうにしていたが、誰もいないことを確認した後、紅日の目をしっかりと見つめ、静かに告げた。

「……鴉夜さんのメモには、こう書いてあった。『今までの依頼者の中で、俺たちのことを覚えている人間はいなかった。むしろ、そんな事件がどう収拾がついたのかも、あまり覚えていないらしい──』、と──」

「嫌な予感が当たった、というわけか──」

 紅日はつい、舌打ちをしてしまった。普段は言葉に気を付けたり、あまり態度が悪いことは行わないように常に気を付けていた。だが、今日は違った。腹が立つ気持ちのほうが勝ってしまって、つい出てしまった。悪態を付きたくなるのを必死に耐える。舌打ちだけでとどまらせることだけに集中する。

 たぶん、蒼も抑えているんだろうな──。

 蒼月は必死に考え込んでいた。怒りが湧いてきているのは、自分がよく分かっている。だが、常に冷静でいられるようにしなければ、という思いが強い。この間までだいぶ感情を優先に動いていたが、それを変えようとしている最中だ。

 紅日は怒っている。だからこそ、俺が冷静でいなければ──。

 苦い気持ちを噛み殺す。一つ息を吐き出し、気持ちを落ち着かせてから、蒼月は続けた。

「鴉夜さんが接触したのは、佐藤あずさ先輩、島田麻穂ちゃん、横山さん、それ以外にも俺たちがかかわってきた人間や俺たち以外の人間が依頼を受けた人間、ざっと一〇〇人以上を調べてくれたようだ。そして、すべての人間が『知らない』、『どうして事件が終わったのかも分からない』、そう答えたらしい。ついこの間解決した事件もが、そうなっているとは思わなかったがな……」

 しばらく、二人の間に沈黙が流れた。静かな図書館の中で、だんだんと冷静になっていく二人に、近づいてくる人間の気配を察知した。二人は息を潜める。だが、近づいてくることで、その気配がよく知っている、だが任務では一緒になったことのない人間だということに気がついた。先程、食堂で会ったはずの人間が自分たちの前で足を止める。

「な、んで……、姉さんが……?」

 紅日が震える声で問いかければ、梶都ははあ、と息を吐き出す。先程の笑っている顔とは違った、凛々しい真面目な顔。その瞳は、強い意思が宿っており、なぜか目をそらすことが二人にはできなかった。

「お前たち、少しいいか? 大事な話がある」

 淡々と告げた梶都は、二人を見つめた。


 梶都は、二人を中庭へ連れてきた。中庭には誰もいない。静かな空間に、風が流れるだけ。紅葉しはじめた木々が光を浴びて、綺麗に見える。だが、二人の心はそれだけを見ても、落ち着かなかった。

 なぜ、梶都が自分たちを呼んだのか、そして大事な話とはなんなのか……。気になって仕方がない。

 中庭の真ん中にある、一組の席。椅子が片側に二つずつ、合計四つ置かれており、梶都が座った後、その反対側に蒼月と紅日は座った。座った直後は、沈黙が三人を包み込んだ。梶都の様子をうかがい見るも、目を伏せて腕を組んだまま、口を開こうとはしない。二人は不安になってきてしまった。

 席に着いてから、十分は経過したのだろうか、ついに梶都が口を開いた。

「……蒼月、紅日。単刀直入に聞くぞ、何を探って(さぐって)いる?」

 すっと見開かれた視線に、二人は息をのんだ。突き刺すような視線が、逃げられないことを悟らせる。観念した蒼月は、話すことを決めた。

「紅日、すまない。……梶都さん、他言無用でお願いできますか?」

「ほう、素直に話すか。だが、俺を疑わないのか?」

「……あなたがもし、誰かに言うとするならこんなところに俺たちを呼ばないと思います。それに、その視線はどこか心配するような視線にも思えますから──」

 蒼月ははっきりとそう告げた。それを聞いて、梶都はふむと頷く。それから、クスリと笑ったかと思えば、くつくつと笑い始めた。

「さすがだな、蒼月。いや、悪い意味ではない。信用してくれて嬉しいぜ。無論誰にも言わない、約束する」

 その言葉に頷いた蒼月は、静かに語りだした。


 蒼月の言葉が切れると同時に、梶都は息を吐き出す。ここまで一言も口を挟まなかった梶都に、違和感を覚える。驚く様子は見せたが、話を遮ることは絶対になかった。それよりも、ほぼ表情が変わらなかったことが気になる。

 二人は静かに彼女の言葉を待った。

「本当は、どうしたらいいのか、よく分かっていない。あまりにも、予想が(・・・)当たりすぎていてな(・・・・・・・・・)

 今度は二人が驚く番だった。梶都は長いため息をついて、二人を見つめる。誰もいないことを確認してから、また静かに話し出す。

「やめておけ。それ以上首を突っ込めば、ろくなことがないぞ」

「ちょ、姉さん!? それ、どういう──」

「おい、紅日。お前、今がどういう状況か、分かってんのか。大声で言うんじゃねえよ」

 梶都は紅日の頭を思いっきり叩く(はたく)。騒ぐ紅日の横で、今度は蒼月がため息をついた。せっかくの雰囲気がぶち壊しである。さらに言えば、注目されて気づかれる場合もある。そんなことになれば、今までの苦労が水の泡だ。

 梶都は座り直して、頭をガシガシとかく。

「お前たちを中庭に呼んだのは、嫌な予感がしたからだ。この時間帯は、中庭に人がいないからな、ちょうどいいと考えた。まったく、俺が任務でいない間にそんなことをしているとはな」

「あの、梶都さん──」

「お前たちが察しのいい人間だとは気がついていた。俺と(・・)同じ(・・)でな」

 すっと細められた目は、何かを思い出している目だった。

 まさか、梶都も──!

 蒼月はそう考えた。思わずガタッと音を立てて、椅子から立ち上がる。紅日が不思議そうに見てきたが、それに構う余裕はなかった。梶都は気がついているようだ。立ち上がったが、何も言えないでいる蒼月に、彼女は頷いて見せた。

「お前の考えていることは正解だよ、蒼月」

 その言葉に、蒼月は息をのんだ。梶都は、ゆっくりと息を吐き出した。落ち着かせるように、二人には見えていた。

「いいか、今から話すことは絶対に誰にも言うな。ここだけの話にしろ、いいな」

 釘をさすように言ったその言葉には、重みがあった。彼女の瞳は真剣そのもの。表情はいつになく真剣で、今任務を行っているように錯覚を起こす。絶対に逆らえない何かを感じ取れた。

 二人はお互いを見合った後、思いっきり頷いた。

「あれは、三年前のことだった──」

 梶都の声が耳に届いてすぐに、二人はごくりと息をのんだ。背筋をピンと伸ばしなおす。

 梶都の声は、ゆっくりと語り始めた。



 あれは、梶都が三年前に一人で任務に行くことになった時のことだった──。

 屋城の部屋で任務の話を聞きながら、内容を把握していた。

「……つまり、今回はこの女性を助けに行け、とそういうことなんだな。それにしても、ストーカー被害は俺たちの仕事なのか?」

「そこを言われると、どうかとも思うけどね。まあ、なかなか問題が解決できないんだろうね。そういうのもこっちに回ってくるからね」

「面倒なこと、このうえないな」

「そうバッサリ切らないでくれるといいんだけどね、そこが和賀のいいところなんだけど」

「な、ま、え、で、呼ぶなと言っている」

 ぐりぐりと拳を屋城の頭に押し付ける。「痛い」と騒ぎまくるのを聞き流して、ため息をついた。梶都の様子を見て、屋城はにこにこと笑いながら、話し始める。

「そんなにため息をついたら、幸せが逃げるよ」

「余計なお世話だ」

 梶都はそう告げると、すぐに背を彼に向けて去ろうとする。その時、屋城をちらりと見たことは内緒だ。

 あいつは、たぶんだが、何か隠している──。それは分かるのに、尻尾を見せないから食えない男だ──。

 梶都自身も、この時何かを感じ取っていた。それが何なのかは分からないままではあったが。

 それでも深く探ろうとは考えていなかった、この時までは──。



 梶都が一区切りつけた途端、二人は反応する。

「それって、やはり──」

「姉さんも──」

「まあ、そういうことだな。だが、まだ話は終わっていない。とりあえず、最後まで聞け」

 梶都は二人を見据えてから、また思い出に浸りながら、話し始めた。



 その任務自体はすぐに終わらせることができた。ストーカー被害も確かに面倒くさいものではあったが、一つずつ解決させていけば簡単だった。

 終わらせたら、すぐに被害者から離れた。そのまま協会に戻ろうとした時、ふと自分が大切にしている万年筆を被害者の家に置いてきたことを思い出した。その万年筆は自分が昔からずっと持っていた物。自分が協会に来る前から所持していたが、もともと誰の所有物なのかは知らなかった。けれど、それを持っていると胸が温かくなって、力を貰えた。なぜかは分からない。それを毎日身に着けて、任務にも欠かさず持ち歩いた。もしかしたら、それが誰の物なのか、任務で分かるかもしれないとも思っていたから──。

 すぐに気がついたので、まだあの女性も家にいると思って、引き返すことにした。だが、引き返して、曲がり角を曲がったら、すぐに被害者の家なのに、足を止めた。それから、姿が隠れるように、曲がり角へ引き返す。こっそり様子を見ていれば、やはりいるはずのない人物がそこにいて。戸惑いを隠せない梶都はそのまま息を潜めて様子を見ていた。

 その人物も被害者の家を訪れていた。インターホンを押して、そのまま玄関の前にたたずんでいる。すぐに被害者は家から出てきた。しかし、不思議なことに、自分の目の前に人が立っていることに気がついていない。その人物は家に引き返そうとした被害者を急に後ろから襲い掛かり、頭に右手をかざす。被害者はそれにも気がつかない。そのまま家に入ってしまった。

 その人物も動いたのはそこまでで、右手の上には何やら光の玉があった。なんだ、あれは、と思っていると、その人物は口を開いた。小声で何か言っているのを懸命に聞き取る。

「……あの子も、無事に任務を終えたようだね。後は、この記憶を消滅しておくだけ」

 光の玉を見つめたと思ったら、すぐに粉々に握りつぶしてしまった。

 記憶ってなんのだ……。だが、今まで被害者と接していたのは俺だし、それにあの人なら──。

 考えがまとまらない。なぜ、あの人が、あいつ(・・・)が今自分の目の前にいるのかがよく分からない。

 驚きで動けない梶都の目の前で、すぐにその人物は姿を消した。瞬間移動、その言葉が本当にあるようだった。不思議なものを見たおかげで、任務が終わったのに終わった気がしない。むしろ、今から始まるような、緊張が自分の身体に走ったのを感じ取った。

 重々しい空気のまま、梶都は被害者の家の前まで歩み寄った。嫌な予感がするのをびしびし感じながら、震える指でインターホンを押した。自分の身体が震えていることなど、そうないことだ。久し振りに感じるその感覚に、思わず苦笑する。

 俺も、まだ「恐怖」というものを、感じ取ることができたんだな──。

 梶都は、被害者が出てくる間にそんなことを思った。

 被害者が出てくるまで、そんなに時間はかからなかった。インターホンから声が聞こえてきて、名前を名乗る。すると、戸惑いの声が返ってきた。もしや、と冷や汗が一筋頬を流れる。真面目にこの状況を捉えなければいけない気がした。

 家から出てきた女性は不思議そうな、でも警戒する顔でうかがってくる。先程まで話していた人物だとは思えなかった。

「あの、一体この家に何の用ですか……?」

「すみません、先程家に上がらせてもらった者ですが、あなたの家に忘れ物をしまして」

「え……、先程家に……?」

 下手に出てはみたが、相手に不安や恐怖が瞳に宿った気がした。事実を言っているのに、疑われなければいけないことに少し腹が立ってくる。

「先程まで、家に来たのはご近所の方ですけど……」

 厄介なことになった、と思った。しかし、忘れていったあの万年筆だけは、返してもらわないと困る。

「その方に貸した物なんです、万年筆なんですけど、家の中にありませんか? お聞きしたら、間違えて一緒に渡してしまったと聞いたもので」

「はあ……。ちょっと待ってくださいね」

 不思議そうに答えながら、家に引き返した彼女を見届ける。姿が完全に見えなくなると、一つため息をついた。どう考えても、彼女は梶都のことを(・・・・・・)忘れている(・・・・・)。だが、別れてから三十分が経過したかどうかの時間だ。それだけで、しかもあんな事件があったというのに、忘れるものなのか。

「どう、なっているんだ……?」

 一人呟いたところで、彼女は家から出てきた。手には、あの万年筆。とりあえず、それが家にあったことに梶都はほっとした。梶都が言っていたことが本当だと証明されたおかげで、心なしか彼女自身も警戒心が薄れたようだった。

「これで、合っていますか……?」

「はい、助かりました。ありがとうございます。お手数をおかけしました」

「いえ、ではこれで」

 彼女は用件が済むと、すぐに家の中に戻って行った。それを見届けると、梶都もすぐに協会に戻ろうと歩き出す。ただ、冷静に装ってはいるが、内心はすごく動揺している。だんだんと歩くスピードが速くなっていくのが分かった。

 車が近くの駅のロータリーに止まっていることはすでに連絡が来ていた。早く車に乗って、考えをまとめたいと思った。それと、すぐに協会に戻って確認がしたいと思った。焦る気持ちをどうにか抑える。

 車はすぐに見つかった。乗り込んで、あとは運転手に任せる。

 走り出した車の中で、静かな空間ができた。頭が冷静になってくる。梶都はふと携帯電話を取り出した。そのままある場所へ電話をかける。すぐに相手は電話に出た。

『おや、珍しいね。君が電話をかけてくるなんて』

「うるさい。別にかけてもいいだろ。……それよりも、調べてほしいことがある、鴉夜」

『うん、いいよ。で、用件は?』

「実は──」

 梶都は手短に用件を伝えて、すぐに電話を切った。鴉夜なら、問題ないと考える。安心感から、少し眠たくなってきた。

 後は、鴉夜の返答と、協会に戻ってからだ──。

 頭を左に傾け、窓に預けると、そのまま目を瞑った。

 協会に着くと、すぐに屋城の部屋に向かった。廊下に響く自分の足音が、早く、早くと急かしたてる。とにかく、冷静に対応することが大事だと心の中で何度も何度も言い聞かせた。

 屋城の部屋の前に着くと、一度深呼吸をしてから扉をノックした。中から声が聞こえてきたので、すぐに扉を開ける。

「今戻った」

「お、おかえり。早かったね、今回の事件は結構簡単だったのかな?」

「そんな訳あるか。とりあえず、報告するぞ」

 屋城に報告しながら、問い質したいことが口から出てこないように、意識する。屋城は話を聞きながら、にこにこと笑っているだけ。何も、素振りを見せる気配はなかった。

 報告が終わると、屋城は深く頷いた。

「なるほど、中々面倒だったようだね。お疲れ様。さて、じゃあ後はこの書類をファイルに挟んで──」

「屋城」

 梶都は屋城の言葉を遮って、名前を呼んだ。その言葉に、屋城は書類から視線を上げて、見つめてくる。しばらく沈黙が流れたが、「どうしたの?」と聞かれて、意を決した。

「屋城、お前、どこか出かけたりとか、してたか?」

「いや、特には……。ああ、でも、急に政府から呼び出されたからそれに出向いたのはあるかな。……けど、なんで?」

 問いかけてきた屋城の瞳が、すっと細められたのを確認した。それが、すごく怖いものだと感じ取った。とっさに息をのむ。何かを探るような、それでいて入ってくるなと言っているような、そんな()。梶都は深入りしてはいけない、と思い直した。

「……いや、なんとなく、興味を持っただけだ」

「そう? でも、珍しいね。僕に興味を持ってくれるなんて、和賀もちょっとは僕を慕ってくれたということかなー」

「名前で呼ぶな、と何度言ったら分かるんだ、この頭は」

 ぐりぐりと拳を相手の頭に押し付ける。また、「痛い」と騒ぎまくる彼の目は、いつもと一緒だった。だが、それ以上どうすることもできなくなった。

 梶都は屋城の部屋から出た後、すぐに自分の部屋に戻った。ベッドに腰かけ、ため息をつく。上着を脱ぎ、それもベッドに投げ捨てる。

 あの()が、自分の頭から離れなかった。それが、自分に恐怖をさらに思い出させた。なんだったんだ、と言いたくなる。

「あれは、本当に……」

 あれは、本当に屋城だったのか──。

 戸惑いが隠せない。誰もいないこの部屋だったから、弱気にもなれる。梶都は基本、人に弱音を吐いたり、悩みを相談したりなどしたことがなかった。協会の中でも憧れる存在にある梶都は、人からの信頼が厚い。仲間の悩みを聞くことも、不安を取り除いてやることも多い。けれど、それが梶都に、「仲間に弱いところを見せてはいけない」と思わせるのに、時間はかからなかった。だからこそ、一人でいられる時間が、自分が弱くなれる唯一の時間であり、また好きな時間だった。

 はあ、とため息を深くする。これは誰にも話してはいけないと思った。やっと一つにまとまってきたところで、水を差すようなことをしたくない。とにかく、今は黙っていよう、とその時決意した。

 もし、自分の後にそう深く探ろうとする者がいるのであれば、そのときは語るかもしれない──。だが、そのとき自分がしなければいけないことは──。

 梶都は深く一人で頷いたのだった。



「その後、鴉夜に頼んでいたことが判明した。それを、俺は一度もほかの人間に話したことはない。そして、鴉夜自身も──」

 すべてを話し終わったのだろう、梶都はそのまま黙った。

 まさか、鴉夜までが絡んでいることだとは思わなかった、そう蒼月は思う。その鴉夜にこの間調べてもらったのだから。それに──。

 それに、今の話の流れで分かった。梶都さん自身がはっきりと言わなくても、この展開は分かる。それを口に出してもいいものか──。

 蒼月の頬を一筋汗が流れた。ひやりとした感覚に、身体が強張る。時間が止まったような、そんな感覚にも陥った。

 だが、それでも真実が突き止められるこの時をずっと待っていたんだ。絶対に真実を知って、それからどうするかは決めたい。

「梶都さん、お願いです。なんとなく予想はついてますが、あなたの口からはっきりと聞きたい。あなたが見た人物とは、一体誰だったんですか……!?」

 蒼月の震える言葉に、彼女ははあ、とため息をつく。それから諦めたように、二人をしっかりと見つめた。

「お前の予想は当たっているだろうよ、蒼月。……俺の目の前にいたのは、ほかでもない。……屋城だ」

 その瞬間、二人に戦慄が走った。予想していたにしても、衝撃が強すぎる。梶都はそのまま腕を組んで、椅子に背を預けた。ぎしっと音がしたのが、やけに遠くから聞こえたような気がした。

「あの時、しっかりと見た、それは間違いない。そして、鴉夜に調べてもらっていたのは、今までの事件の関係者のことだ。誰一人、その事件のことを覚えていなかった。そのことから、屋城が毎度事件現場に行ってかかわった人物の記憶を消しているのだろう、と予測したんだ。そして、その記憶の塊が、俺の見た光の玉なのだろう」

「けど、どうしてそんなことを……」

「何かを隠したいのだろうと、俺は考えている。……お前たちも、気になったんじゃないか、俺たちが使える唯一の力。あれは、普通の人間では使えない」

 その言葉に、また息をのむ二人。梶都の()が細められた。

「俺たちがなぜ使えるのか、そしてどうやってその力を手にしたのか──。この協会には謎が多すぎるんだ」

 梶都は腕を組み直した。蒼月も紅日も何も言えずに、そこにじっと座ったままだった。梶都の顔を見ることすらできなくなる。うなだれてしまう、頭がものすごく重い気がした。頭痛がする、今までこの協会で過ごしてきた時間が、崩れ去った気もした。何もかもを失う、あの時の、子どもの頃に体験したあの時と同じように──。

 蒼月は今更ながら後悔した。こんなことをするのではなかったと──。だが、それ以上に。

 それ以上に、紅日を巻き込むのではなかった……! バカだ、俺は。大事な人間を傷つけることを、いまだに続けるというのか。俺は、何も変わっていなかったのか……!

 その時、紅日が思いっきり立ち上がった。はっと、相棒のほうに視線を向ける。梶都も驚いたように、彼をじっと見つめた。

「……姉さん、あなたは俺たちを止めようとしたのかもしれない。けど、その話聞いて、俺は俄然やる気が出てきましたよ……! やっと、掴んだ真実。それを手にして、俺は屋城さんを助けたい!」

「……お前、人の話聞いてたか? 危険だと言っているのに。あの屋城の瞳は、踏み込んではいけないと言っていた。何が起こるか分からないんだぞ?」

「だからこそ、ですよ。俺たちが知らなくてはいけないことは、まだたくさんあるってことでしょ。屋城さんが一人で抱え込まなくていいことも抱え込んでいるってことなら、俺たちがやることは一つ。『真実を知って、その手伝いをする、支えてあげる』ってことですよ!」

 ぐっと親指を上にあげて、いつもみたいにニッと笑った。太陽みたいな眩しい笑顔、その笑顔はいつも曇ることがない。

 それに驚いたのは、梶都だ。何回か瞬きを繰り返し、その後にぼそりと「……まったく、馬鹿だな」と呟く。その言葉は二人の耳に届くことはなかったが、くすりと笑った。

「……本当にお前は馬鹿だな」

「本当に姉さんはバッサリですね! あと、『馬鹿』は言ってはいけないんですよ!?」

「本当のことなら、仕方がないな」

「ああ、もう! バッサリすぎる!」

 紅日の抗議の言葉はすべて受け流し、梶都は言いたいことだけきっぱりと告げるだけだった。その光景を見ていた蒼月は、だんだんと笑いが込み上げてきて、抑えられなくなってしまった。蒼月の笑いに気がついた紅日と梶都は各々笑った。

「やっと、笑ったな、蒼」

「お前は深く考えすぎなんだよ、蒼月。本当にかわいくない」

 梶都はそのまま蒼月の頭をくしゃくしゃと撫で回した。蒼月は慌てて抗議の声を上げる。梶都は聞く耳を持たないまま、手も止めずにいる。一通り撫で終わったら、梶都は「しょうがないな」と言いながら、紅日を見た。

「協力してやる。真実を暴くぞ」

「おう、やりましょう! ほら、蒼もやるぞ!」

「ああ」

 三人で決意したその時、だんだんと意識が周囲に向くようになってきた。協会全体が騒がしい。

「なんだ、急に騒がしいな」

「分かりません、今までそこまで意識が回っていなかったので」

 三人で顔を見合わせ、首を傾げているとそこに駆け寄ってくる小さい影。紅日の背中に思いっきり抱きついたと思えば、そのまま離れない。その人物は、三人がよく知る協会の中の優秀な最年少者だ。

「佳露、どうしたんだ」

 紅日が佳露を離しながら、顔をのぞきこんで聞くと、佳露は顔を歪めた。眉毛が八の字になっている。紅日は小さな手が震えているのが分かった。何かがあったことだけはすぐに分かった。後ろにいる蒼月も梶都も気を引き締めた。

「紅兄、蒼兄、梶都さん、早く食堂に来て……。大変なんだ」

 佳露の言葉にすぐに三人は走り出した。紅日は佳露を抱きかかえ、スピードを上げる。梶都、蒼月、紅日と佳露の順番で廊下を全速力で走り、梶都は食堂の扉を思いっきり蹴飛ばす。丈夫すぎる扉は一度蹴飛ばしただけでは、破壊されることはなかった。その音に食堂にいた全員が一斉に振り向く。三人は食堂にカツカツと足音を鳴らしながら、入っていく。食堂にいた全員が噛みつくように見ていたのは、一台だけ置いてある大きなテレビだった。

「何があった?」

 梶都の声に仲間の一人が無言でテレビを指さす。三人は割り込んで一番前でテレビをのぞきこんだ。そこに映っていたのは、ニュース番組だった。そこから、流れ込んでくるニュースキャスターの言葉は──。

「今まで、政府公認だと名乗っていた、『言ノ葉協会』という公になることがなかった一つの組織が、実は政府非公認だということが判明しました。さらに、その組織を廃止する活動が行われていることが分かっており──」

 そのニュースを見て、三人は固まった。頭が真っ白になる。

「な、何い!?」

 そんな中、静かになっていた食堂に、紅日の叫びだけが響くのであった。



 協会の存続をかけた闘いが、今始まろうとしていた──。

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