前途多難
『光に憧れ、影に生きる』を多くの方にお読みいただけましたこと、深く感謝申し上げます。
不定期更新ですが、思いついたネタを順次投稿していこうと思います。
基本短編で更新予定です。
よろしければお付き合いください。
時折隠れる月の光が暗闇に染まる林の中をぼんやりと照らす。聞こえてくるのは虫の鳴き声や葉の揺れる音だけだ。
神経を集中させれば、肉眼では確認できないが、僅かに感じる数種類の気配が離れたところに点在している。
「全部で、三人だーーって痛え!」
声を上げた瞬間、後頭部に襲ってきた痛みに思わず男は頭を抑える。そんな男に呆れのこもった眼差しをため息とともに浴びせたのは、林の中から突如現れたソフィアだった。
「貴方、また魔力探知で気配を探ったでしょう。確かにそれは便利だし正確だけど、気配を感じようとしなきゃ魔力のない武器には気づけないわよ」
「だからって思いっきり攻撃してくることないだろうが」
「高らかに声をあげてきたから何だか腹が立って」
「腹が立って、っておい」
いまだに痛む頭をさすりながら文句をつけているのはクレイズである。
今、彼らは林の中で気配を探る訓練の真っ最中だ。これはソフィアの『影』の任務についていくと宣言したクレイズのためのもので、足手まといにならないための訓練でもある。
「まぁ人数は正解だけどな」
ソファアに続いて隠れていた林の中から出てきたのは、この訓練に協力してくれている『影』のメンバーだ。彼らはクレイズとハデスト帝国で任務にあたったメンバーで、何故か協力を申し出てくれた。
「あれは気配を探ったうちにははいらない。ハデスト帝国の時のように敵に見つかったらどうするの? 相手よりも先に相手に気づくくらいにならなくちゃ」
「そう言ってやるな。元々身についていた能力に頼ってしまうのはよくあること。まだ始めたばかりだしな」
「そんな甘いこと言ってたら駄目よ。ついてくるって言ったのは彼だもの」
仕事に関して一切妥協しないソフィアはクレイズを励ますどころか、ボロボロになるまで殴りつける。主に心を。
ただ、クレイズもソフィアがこれ程までに厳しいのは、それだけ『影』の仕事が危険であるからだと理解しているので、若干凹みはするものの文句はなかった。
「今のままで構わない。続けてくれ」
クレイズはその場にあぐらをかいて座ると、目を瞑り、集中し始めた。それを見たソフィア達は再び気配を消してクレイズから距離を取る。
最初にクレイズに近づいたのは影のメンバーの一人だった。足音もなくクレイズの斜め前に立つ。しかし、クレイズは気がつかない。この時点で、これが本当の任務ならばクレイズは死んでいる。
また一人クレイズに近づけば、今度は何となく人が近づいてきたのを感じ取ったようだが、場所までは特定できていないような素振りを見せた。
次はソフィアだ。気配を消し、慎重にクレイズの斜め後ろに立つ。その瞬間、ブワッと強い風が林の中を抜けた。けれどソフィアに動じた様子は全くない、はずだった。
突然目を瞑ったままのクレイズがソフィアの足をつかんだのだ。それは正しく気配を察知した人の動きだった。
「うそ……見破られた。魔力探知をした?」
「いいや、してない」
他の仲間は気づかれなかったというのに、自分だけが見破られた。それはソフィアにとってとても屈辱的だった。
一方、見破ったクレイズは目を開けると、ニヤリと不敵な笑みをソフィアに向ける。「どうだ」と言わんばかりのその顔を見て、ソフィアは表情を歪めた。
「私もまだまだってことね……」
悔しくてたまらないソフィアはギュッと強く拳を握りしめる。
そんなソフィアの元へ、クレイズは首を振りながら立ち上がると近づいてきた。
「そんなことはない」
「いいえ、そんなことあるの」
「ないって。だって俺、気配を感じたわけじゃないし」
「……はい?」
クレイズの思わぬ発言に皆がポカンと間抜けな表情を浮かべていた。気配も魔力も感じずにどうやってソフィアの居場所を感じ取ったというのか。
その答えは至って簡単なことだった。
「匂いが風に乗ってきたから、なんとなく手を伸ばした」
「に、匂いって……私の!?」
「ああ」
真面目な顔つきで頷くクレイズを見て、ソフィアは咄嗟に己の匂いを嗅ぐ。ソフィアは今までの仕事で匂いによって気づかれた事はなかった。ということは、相当今は匂っているという事になる。
仕事を終わらせた後の訓練ということで、仕事の時の汗が匂いとなって残っていたのか、と不安になったソフィアだったが、周りの仲間達の反応を見ると、そうでもないらしい。
「鼻が……いいとか?」
「もしそうなら犬並みだな」
周りから若干呆れた声がいくつか聞こえてくる。
ソフィアは複雑な想いでクレイズを仰ぎ見た。本当にクレイズが匂いを嗅ぎ分けたとは思わないが、気配を見破られたのは事実である。訓練の成果を喜べばいいのか、自分の気配が見破られたことを嘆けばいいのか。
「ま、まぁいいわ。ちょっと休憩でもしましょう。私、ちょっと走り込みしてくるから!」
「え、おい! それじゃあ休憩になってな……いっちまった」
颯爽と闇の中に消えていったソフィアの背を見送った男は重たい息を吐き出した。なぜなら、ソフィアが走り去る際、顔に腕を近づけているのを見てしまったからだ。
男はソフィアの消えた先を黙って見つめているクレイズに視線を向ける。
「あれ、絶対気にしてるぞ」
「何がだ?」
もう一人の影のメンバーである男も目元に手を当て「あちゃー」と小さく声を漏らしていた。二人の反応の意味が全く理解できないクレイズは首を傾げる。
そんなクレイズに残念なものを見るような目を向けながら、男はクレイズでもわかるような言葉を探しつつ口を開いた。
「いいか。女性に対して匂いで気づいたって言うのはいただけないだろう」
「なぜ?」
「なぜってお前……女性は身だしなみや匂いに気をつかっているんだ。そんな女性に匂いについて指摘したら、下手すりゃ『臭い』って言ってるように聞こえるぞ」
「……な!?」
そんなこと考えもしなかった、と固まったクレイズの表情は物語っている。男達もそうだろうな、と内心納得しつつ、目の前の哀れな男を見つめていた。
「あ、あいつが臭いわけないだろう! 鼻の曲がるような香水を大量につけているそこら辺の女とは違うんだ。あいつは毎日手入れをしている花壇の花のような、甘くて優しい……そりゃあもういい香りだ!」
「……それを俺たちに言ってどうするよ」
「…………ちょっと行ってくる」
ソフィアの向かった方へと駆け出していくクレイズ。その背中を黙って見送った二人の男は、同時にため息をこぼした。
「ソフィアの匂いなんて感じたことなかったけどな」
「好きな女の匂いは特別ってことだろ」
「あいつ、ソフィアの足に追いつくと思ってるのか?」
「……これも訓練のうち、ということにしておこう。まぁ、今日はこれでお開きだろうな」
「あんなに完璧な顔を持ってても、あんだけ中身が残念だと……ソフィア、大丈夫かなぁ」
「……」
男達の予想通り、クレイズが追いかけてきていると気づき全力で逃げ始めたソフィアと誤解を解きたいクレイズの追いかけっこは日が昇るまで続く事となった。
誤解を解いた後、ソフィアがクレイズと数日間口をきかなかなったのは、余談である。
乙女心は繊細なのです。