暗闇
あまりにも呆気なく、私の脱走生活は終わりを迎えた。
あの寮に戻るくらいなら、と思いあんな無茶なことをしたが、怪我どころでは済まなかった。
死ぬ寸前は本当に恐ろしかった。迫る崖、砕ける車体、燃え盛る炎、今まで感じたことのない衝撃が全身を貫いた。
できるならもう二度とは体験したくないと思った。
そんなことを考える、随分と冷静な自分に驚く。
最後に見た景色、灼熱の車内とはうって変わり、今いるここは全くの暗闇。
熱くもなく、痛くない。・・・そして、誰もいない。
もう何日も食事をしていないのに、空腹感は無い。のども乾いていない。着ていたTシャツは新品のようだ。
これが死後の世界だというなら、なかなかに快適だ。暑くもなく、寒くもない。食事はいらず、私を攻撃しようとまとわりつく人間もいない。
・・・数時間後、浅はかだった自分の考えを呪った。
ここには何もない。なにも必要としない。食事も、睡眠も、性交も、排せつも!
眠ろうとしても眠れず、ただただ続く暗闇からは時間の流れも感じなかった。ひたすら目の前に広がる空間に、もはや空気があるのかさえ怪しかった。
「・・・出して」
そう呟いたのが合図だった。
「誰か!!誰かいないんですか!おーい!!ここから出してくれ!助けてくれ!!!誰か、誰でもいい、ここから助けてくれ・・・!1人は嫌だ!こんなところにいるのは嫌だ!」
まるで罰のようだった。
自分の言いたいことを言わず、親の期待を勝手に抱え込み、限界が来たかと思えばさっさと脱走。そして自殺じみた迷惑な救助活動だ。
そのツケがこれなら、それはあんまりだ!!
「出してよ!!これが罰だっていうんなら、<1人分の命>は助けたぞ!!」
(・・・やれやれ)
「誰だ?!」
誰でもいい、今は誰でもいいとにかく今は助けが欲しい!
(確かにお前は自分勝手ではあったが、人の命を救った。それは間違いない)
「そ、そうだろ?!頼むよ、ここから出してくれ!」
(それはできん。儂はたまたまチャンネルが合ってお前と話しているだけだ)
「チャンネル?意味の分からないことはいい、なんとかしてくれよ!」
(だから、できんと言っているだろう)
うんざりとした声の主からは、はっきりとした不可能の色を感じた。
「じゃあ、あんたはこれからどうするんだよ?」
(儂か?儂は自分の部屋に帰る)
「・・・俺も連れてけ。・・・なんでもする、連れて行ってくれたら俺にできることはなんでもするから!このままここにいたら、狂ったまま生きることになる!」
私の無茶な願いに、相手はしばらくの間沈黙していた。
私は今すぐにでもこの「ここにいる別のだれか」がいなくなってしまうのではないかと、怯えていた。
(仕方ない、できるかどうか保証はないが試してやろう・・・)
この言葉が私にはどれだけの救いに思えたろう。
「ありがとうございます!よろしくお願いします!」
(ただこれは無理やりあんたのチャンネルをこちらのチャンネルに変える行為じゃ。お前さんの大切な記憶が失われるかもしれんが、それでもやるんじゃな?)
「いいです、やってください!」
私は深く考えもせず、老人と思しき声の提案に縋りついた。
ここから抜け出せるならなんでもよかった。
(やれやれ・・・責任は持てんぞ?じゃあわしは先に戻る。道しるべを残していくからそれに従ってくるのじゃ)
老人の声はそう言い残すと、ふっと存在感が消えた。
私は慌てて暗闇に目を凝らす。どこかにある、道しるべを探して。
暗闇の空間の中で、それはすぐに見つけられた。
暗闇のずっと奥の方に、小さな白い点が見えた。ここに来て初めての黒以外のなにかだ。道しるべとしてしか分からないが、私には救いの手にしか見えなかった。
私は必死に手を伸ばしながら、上かも下かも分からない空間を進んだ。
段々と小さな点が大きくなっていき、私の心はここから抜け出せるという希望でいっぱいだった。
そして、私の手があと少しで道しるべに触れそうだというところで、私はがくんと穴の中へ落ちて行った。
いつからあったのか、なぜ私が落ちたのか、分からないことだらけだった。だが、落ちていく中で見えた道しるべがどんどんと小さくなって見えなくなってしまう様子を、私は泣きながら見ているしかできなかった。