偽りの勇者
水がポタポタと顔にあたり、その冷たさでアスは目を覚ました。まだ頭がふわふわしてぼんやりとしてるが、辺りを見渡す。
ここは地下なのだろう、窓が見当たらない。薄暗い中で目を凝らすと、簡素なベッドに小水用の壺、石造りの壁に鉄格子が見え、どうやら牢獄に閉じ込められているようだと気づいた。
聖剣は取り上げることができなかったのか、アスの手元にある。
アスは頭を振ると集中する。辺りに生き物の気配を感じることはできない。アマリアは別の場所に居ると考えていいだろう。
それにしても何時間寝ていたのだろうか。毒に耐性があるため、あまり時間は経っていないことは分かるが、イザナミのあの様子からみても、勇者を兵器化する計画は試験段階から、実践投入へ移行している筈だ。ということは急がねばならない。
なぜなら、イザナミに作られた勇者の初戦の相手はイザナギではなく、平原で戦をしているイースとティルナノーグだからだ。
戦という名目で、大量に虐殺できる。またそれを足掛かりに、イースの南にあるイザナギのいる出雲に攻め込めるという状況を、イザナミという女が見逃す筈がない。
今どうなっているかが分からなくて、アスはアーサーに尋ねることにした。
「アーサー、アマリアの居場所は分かるか」
すると頭の中に直接声が響いてくる。
『アマリア嬢は、勇者の資質があると言われ、連れていかれたぞ。アスよどうするのだ?』
「そんなの決まっているだろう。アマリアを取り戻して、子供達を盗み出す」
そうと決まれば動くのは早い。アスは靴底から針金を取り出すと、牢の鍵をいとも簡単に外す。扉を開け音もなく走れば、前方に看守が見えて、アスはその背後から頭を叩き気絶させる。
辺りの気配を伺いながら地上への階段を上り、ようやく外へ抜け出すと、空を見上げた。空は一面黒い雲に覆われ、雲はとぐろを巻いて閻魔殿に向かい降りてきている。十中八九、あの下にアマリア達は居るだろう。
歓楽街の通りに出れば、あれだけひしめきあっていた住人達は消え失せ、アスの邪魔をするように、金棒を手にした鬼達が立ちはだかっている。
アスは足にぐっと力を込めると駆け出す。速く速く何者にも追い付けない速さの高みへ。
鬼が気付いた時にはもうアスの腕がしなり、鬼の首はへし折られていた。怯む鬼達を前にアスは殺気を剥き出しにして襲いかかる。そのあまりの力の強大さに鬼達は震え上がり、次々と逃げ出そうとする。
「誰が逃げていいって言った」
ぶわりとエネルギーの波が鬼達の肌を撫でて、アスは詠唱もなく時の魔法を発動させる。辺りの動きが止まり、アスは鬼達の首の骨を折りながら、走り抜ける。動けない鬼達は悲鳴も上げられないまま息の根を止められ、時が動きだした途端、通り抜けたアスの後ろでバタバタと倒れた。
そうして坂をのぼりきると閻魔殿の入口が見えてきた。アスはその扉をためらいもなく蹴り開けた。閻魔殿の中は濃い障気で満たされていて、その異常さにアスは顔をしかめた。魔界の空気が入り込んでいるな、と辺りを見渡せば、不気味な柱からうめき声が聞こえた。
「誰か、誰かいらっしゃるのですか……」
人が埋め込まれているのだろうか、柱から声が聞こえ、駆け寄ると柱がしゃべり出した。アスは柱に手をかけ、その声に耳をかたむける。
「おいどうした」
「おお……光のような人……どうか私の願いを聞いて下さい」
「いいだろう」
「この先にイザナミ様が捕らえた子等がいます。
私はイザナミ様の怒りにふれ、このような姿に……。
だから助けることができません。光のような人、どうか子等を助けてやって下さい。お願いします」
「分かった助けてやるよ。だからもうゆっくり休め」
その言葉に安堵したのか、柱に閉じ込められた者がそれ以上語りかけることはなかった。
この先にアマリアと子供達が居る。アスは閻魔殿の奥を目指し、どこまでも続くような回廊を駆け抜ける。すると、とぐろを巻いたような雲に雷が走り、次の瞬間どんと地面が揺れた。これはまずいかもしれない。アスは足にぐっと力を込めてスピードを上げていった。
突き当たりに鬼が待ち構えており、アスはそれを全力で殴り付ける。すると、その衝撃波で、後ろで構えていた鬼達が弾き飛ばされてしまった。鬼達はぐしゃりと壁にめり込み、辺りに血が飛び散った。歯の根が合わずぶるぶると震える鬼達に向けて、魔法の詠唱を破棄した光の槍が現れその体を貫く。アスひとりで鬼達は既に全滅状態だ。
そこかしこに倒れる鬼達を避けながら、アスは大きな朱塗りの扉の前にたどり着いた。厚さを気にせずアスは扉を蹴り破った。
すると子供達が部屋の角で震えているのが見えて、アスは優しく声をかけた。
「もう大丈夫だからな」
その声に安堵したのか、子供達は泣き始めた。アスはそれをなだめながら辺りを見渡し、アマリアが居ないことに気付いた。
「なあ、銀の髪のお姉さんがどこに居るか分かるか?」
子供達はしゃくりながら教えてくれた。
「お姉さんは、僕達の代わりに、玉座の間に連れていかれたよ。僕達が殺されかけたのを、助けてくれたんだ」
「そうか玉座の間ね。
オレはお姉さんを助けて来るからな。お前達はここで隠れているんだぞ」
「うん分かったよ。お兄ちゃん」
よしとアスは子供の頭をぐしゃぐしゃと撫でると立ち上がり、玉座の間に向かって走り出した。玉座の間はこの場所からそんなに遠くはなかった。だがその門の前には牛頭と馬頭が立ちはだかっていた。
「勇者様、どうかお引き取り願いたい」
「オレは勇者じゃありません。連れを返していただきたい」
「ならば我々が相手をするまでよ」
殺気がびりびりと伝わってくる。こんな時に限ってナイフが無くて、アスは舌打ちする。素手でいけるだろうか。牛頭が降り下ろす巨大な斧を紙一重で避け踏みつけ、その反動を使い頭を蹴りつける。次に馬頭がすかさず突いてくる槍を、身をよじり跳びはね避ける。馬頭は思った。アスは素手である。それなのに勝てる気がしない。怒れるアスのオーラに怯みそうになる。
牛頭もそれは同じようでどこか弱腰だ。怒らせてはならない存在を怒らせてしまっている。だがどうしていいか分からず、武器をふるおうとすると、次の瞬間アスの蹴りが馬頭の腹に決まる。鎧が凹み内臓が吹き飛ばされるような感覚がして、馬頭は力なく倒れた。もう、どうしようもなかった。
牛頭は相方がやられ動揺していた。アスの力は尋常ではない。魔王を倒す力というのが、どれだけ恐ろしいものなのか身を持って知る。アスは素手なのに、死という恐怖を感じさせる存在で、牛頭の汗が引いていく。がむしゃらに斧を振り回すがそれは避けられて、アスの残像が牛頭を翻弄する。そして次の瞬間、頭を強く蹴られ、牛頭の意識は闇に閉ざされた。
「お前達にはよく世話になっていたからな。殺しはしない。そこで眠ってろ」
もう気絶しているため返事は無いが、アスはそう言い残すと、目の前の大きく重い扉を開いた。
アスが来る少し前に遡る。
私の名前はアマリア・フェルナンデス。
公爵家に生まれた、ただひとりの子。父はイースの将軍である。この国では女性でも爵位を継げるため、私は公爵家の後継ぎとして、小さな頃から男のように生きることを課せられ、父の望むままに剣術を教わり、淑女教育とは無縁の生活を送っていた。
正義感を研ぎすませ、高潔な騎士を目指して生きるのはとても大変で、止めてしまいたいと思うことも何度もあった。
同年代の令嬢達のようにお洒落や恋愛に興じることもなく、お茶会や社交界に混じることもできない。蝶よ華よと生きる令嬢達を羨ましく思う時期もあった。
しかし父の勇ましい姿を見るたびに、私もそうなりたいという思いが日に日に募っていき、いつの日か将軍になるのだと日々努力をしてきた。
アスと出会ったのはそんな時だった。初めはチビでこそこそしてる胡散臭いやつだと思っていた。しかも女神の方舟のゼロナンバーというのも嘘臭いと感じた。だが一緒に旅をするうちに、それは本当のことだと理解できる程、アスは強かった。
だからイザナミがアスを勇者と言った時驚きはしたが、本当のことだと理解できた。アスは今どうしているだろうか。あの時疑ってすまないと伝えたい。だがそれができるかは分からなかった。私はゆっくりと目を開いた。
アマリアは長い夢を見たと思った。内容はあまり覚えていない。まだ虚ろな状態のまま、目を開けた。ここは一体どこなのだろうか、アスはどこに行ってしまったのだろうと、ぼんやりとした頭で考える。何が起こったのかを思い出し、ハッとして辺りを見渡した。薄暗く埃っぽい納屋のようなそこには、捕らえられた子供達が五、六人居て、どの子も恐怖で震え、声を圧し殺して身を寄せあっている。
なんとかここから抜け出そうと身をよじるが、後ろ手にロープで縛られ、身動きができない。何とかロープを外そうと武器を探すが、靴底に仕込んでいたナイフも取り上げられたのか見当たらない。何とか体を起こすと、子供達が青ざめた顔でアマリアの様子を伺っている。
するとどんと大きな音を立てて扉が開かれ、子供達は小さな悲鳴を上げ、震えながら泣き出した。そこへイザナミが薄笑いを浮かべながら数人の鬼を従え現れた。イザナミがあごで行けと合図を出すと、鬼は一人の子供を捕まえイザナミのもとへ引きずるように連れてきた。その子供は悲鳴を上げながら暴れ、イザナミはそれを見て更に笑みを深めると、おもむろに懐から玉を取り出し、子供に近付けていった。
狂ったように泣き喚く子供の口から、青白く光る何かがひゅるひゅると出てくると、玉の中へとそのまま吸い込まれていった。すると子供は力を失い、その腕がだらりと垂れ下がる。虚ろな子供の目を見て、アマリアはイザナミを怒鳴りつけた。
「貴様、一体何をした!?」
「儀式のために魂を抜いてやっただけよ。さてお前達全員の魂を奪ってやるわ」
「待て! 私が、私が代わりになろう。だから子供達には手を出すな!」
「ふうん、あなたが代わりになるならいいでしょう。彼女を玉座の間に連れていきなさい」
命令された鬼は俵を担ぐようにアマリアを担いだ。ごつごつした肩が腹に食い込み息苦しくなる。
本当はとても怖かった。
けどそれを口にしてしまえば、平静を保つために張りつめた糸が切れてしまいそうで、口を真一文字に引き結ぶ。
死の気配が足下から這い上がってくるようで、体が冷えてくる。アマリアは寒気から震えた。先程と何も変わりないのになぜだか寒かった。それだけ恐怖を感じているのかもしれない。
玉座の間に連れて来られたアマリアはそのあまりの不気味さに肝を冷やした。そこにはおびただしい数の儀式に使われるような不気味な肉腫があり、その中央に大きな棺があってその中には、赤い髪の少年がまるで死んだように眠っている。その体には肉腫から伸びた無数の管が繋がれている。イザナミは先程の玉を取り出すと口元に掲げ、魂を少年の中に移した。すると少年の体が淡く輝き出して、アマリアは何か危険なことが起きていると確信した。
「あともう少しで勇者が誕生する。
さあ娘よ。その魂を捧げよ」
立ち上がり距離を取るアマリアに、イザナミはころころと鈴の鳴るような声で笑う。ジリジリと近寄る鬼達を前に、アマリアはうって出た。鬼を蹴りつけ引き倒し、次々に蹴散らしていく。アマリアの渾身の一撃をくらい鬼は倒れた。
だが多勢に無勢だ。アマリアは捕らえられ、イザナミの前に引きずり出される。
「今の気持ちはどうかしら、震えているわ。怖いのね」
「怖くなどない! 怒りに震えているだけだ」
するとすかさずイザナミの手が上がり、アマリアはひっぱたかれた。
それでも睨みつけるアマリアに苛立ったのか、イザナミは気がすむまで痛みつけると、アマリアの髪を掴み上向かせる。
「ふん! 生意気な小娘よ」
イザナミはあの玉を懐から取り出すと、アマリアに近付ける。アマリアがかたく目を閉じると、アスの顔が思い浮かぶ。
アスよ助けてくれ!
しかしその願いは叶うことなく、アマリアは意識を失った。
アスが扉を開けた瞬間、目に飛び込んできたのは、イザナミがアマリアの魂を奪っている姿だった。怒りのあまりアスの体からは光が溢れ、聖痕が手の甲から体に広がる。足下からぶわりと風が立ち上り、アスの髪を揺らした。そして次の瞬間、アスの姿が消え、イザナミはその気配を感じとり、すれすれのところで聖剣を避けた。そしてクスクスと笑いながら、アスの攻撃をひらりひらりとかわしていく。
「その攻撃力は凄まじいけれど、当たらなければ意味がないのよ」
「さっきも聞いたが、お前は本気で勇者の卵を兵器化するつもりなのか?
それほどにイザナギが憎いのか?」
「勿論そうに決まっているじゃない。あの男は妻である私を裏切ったのよ。死したばかりの醜い私を見て逃げ出した。それを許せると思う?
許せるわけがないわ。だから邪魔をするあなたも憎くてしょうがないのよ。
面白いことを思い付いたわ。私があなたを傷付けてあげる」
イザナミは笑みを浮かべると、手から魔力でできた細い糸を出し、その糸をアマリアの体に絡ませる。するとさっきまで死んだように倒れていたアマリアの体が突然動きだして、魔法でできた光の剣を握る。来るそう思った瞬間、アスは襲い来るアマリアのその剣を聖剣で受け止めた。そして、アスはイザナミを睨みつけた。
沸々と煮えたぎるような怒りに、剣を持つ手に力が入る。こんなに腹が立ったのは久しぶりだった。
「オレを怒らせたいのか?」
アスの口調にぞくりと寒気がして、イザナミの汗が引いていく。だがイザナミという女は諦めるということを知らない。アマリアを操り、アスにけしかけると笑った。
「その娘を殺せもしないくせに何を言うのです。
さあ、娘よ。勇者を殺してしまいなさい」
「だからオレは勇者じゃねぇって言ってんだろうが」
アスはそう怒鳴り付けると、光の剣を正眼に構えるアマリアを見る。今のアマリアには魂が無い。呼びかけたところで返事はないだろう。しかしアスはアマリアを呼ぶことを続けた。
「アマリア、正気を取り戻せ」
虚ろなアマリアには、声が届かない。瞬時に距離を詰めて懐に入ると、光の剣を砕く。だが剣は砕いても砕いても元に戻り、仕方ないとアマリアの鳩尾を拳で撃つが、操られているためアマリアが止まることはなかった。チラリとイザナミを見る。自らが作り出した勇者にアマリアの魂を捧げている。
アマリアの剣を受けながら、アスはどうすればいいかを考える。アマリアを傷つけずに救うためには、魔力の糸を切らねばならない。だが魔力の糸は今のところ切れる気配はない。物理的に切ることはできないということだ。ならばと、アスは聖剣に自身の魔力を流し込み斬りかかった。
だがしかし、糸は切れるどころか聖剣を押し返し、アスはバランスを崩しかけ持ちこたえる。そこにアマリアが襲いかかり、紙一重で避け、距離を取った。
「アマリア、しっかりしろ。
お前はなんのために戦っている。子供達のためじゃないのか」
アスの声はアマリアには届かない。せめて魂だけでも取り戻せたらと思うが、アスの前にはアマリアが立ちはだかり、イザナミには近付けない。
「くそ、どいつもこいつもオレに面倒を押し付けやがって……」
糸が聖剣を押し返したのなら話が早い。もっと魔力を鋭くすればいいだけの話だ。アスは聖剣に流す魔力を刃先に集中させ鋭くすると、アマリアの背後に回り込み、その背からのびている糸を切った。アマリアの体は力を失い、崩れるように倒れ、アスはそれを支え確認する。目につく傷はなく良かったとほっとしていると、イザナミの歓喜の声が上がった。
「遂に私は勇者を作り上げたのだわ」
イザナミの視線の先にはひとりの少年がゆらりと立っており、その体から凝縮された負の力が溢れ出している。あれはまずい、とアスは思った。イザナミは歓喜のあまり気付いていないが、あの圧縮された力はここら一帯を消し炭にしても余る位に強い。静かに、だが沸々と強大な力が溢れていく。その矛先はアスに向けられていない。
「さあトキよ。勇者を倒し聖剣を手に入れ、全てを破壊するのよ」
トキと呼ばれた少年は憎しみを込めてイザナミを睨みつけた。すると次の瞬間、イザナミは負の力を向けられ、壁に叩きつけられた。
「なぜ……」
「女、オレを簡単に操れると思うなよ。お前には怨みがある。ここで滅びろ」
少年が振り上げた手を、アスは聖剣の腹で受け止めると、そのまま弾き飛ばした。いくらなんでも殺すことはないだろうと思ったからである。
トキは驚いた。アスがイザナミを庇う道理がなかったからだ。だからトキはアスに興味を持った。イザナミを慕っているわけではないのに、なぜという疑問が浮かんだからだ。
「なぜその女を守る」
「確かにイザナミのしたことは許せないが、だからといって殺す必要はないだろ。そいつには手を汚してまでして殺す価値はないからな」
アスはチラリとイザナミを見る。イザナミはその口から黒いモヤを吐き出し気絶した。どうやら操られていたようだ。大方魔物あたりが手を出したに違いない。イザナミという女の心の奥底に眠る憎しみや怒り、悲しみを引き出し利用したのだ。
「お前はやさしいな、勇者」
「オレは勇者じゃねぇ。ただの盗賊の王、アスライル・カルバネーラだ」
「ではアスライルよ。貴様が勇者に成らなかったことで、作り上げられたオレ達の憎しみを受け取れ!」
トキの白目が黒く染まり、金の瞳が光を帯びて、どす黒いオーラが立ち上る。トキは、アスを強く睨みつけると、ニヤリと微笑んだ。その顔は自信に満ちており、自分が負けるとは欠片も思ってないようだ。
その様子を観ながらアスは思う。これでは勇者というより魔神だ。新たな魔の芽が出たように感じられ、ここでなんとかするしか食い止める方法がないような気がした。
仕方ない、こうなったら子供達の魂を無理矢理にでも剥がすしかないと決め、アスはアーサーに語りかけた。
「アーサーお前の力を貸してくれ!」
『いいだろう存分に使うがいい』
アーサーは快く応えると聖剣の封印を解き始める。すると聖なる力が爆発し体に流れ込み、アスの目を通して見える世界は、時間を引き延ばしたように映る。それはまるで駒送りのような世界、アスはその中を音もなく駆け出した。
「面白いぞ、アスライルよ。なんとしてもこのオレが、お前を倒してやる」
「馬鹿かお前、戦いを楽しんでんじゃねぇぞ。命のやりとりはそんなに軽くねぇ。
お前にはお灸が必要なようだな。お前の中の子供達の魂は、このオレが全部刈り取ってやるよ」
狙うはトキの体の中にある魂、まるで切っ先が吸い込まれるように、トキの魂へと突き刺さり、切り裂いていく。痛みと驚愕によろめくトキの体に数度刃を滑らせれば、どす黒いオーラが飛び散り、切り取られた魂は剥がれ、元の場所へと戻っていく。
トキは状況を瞬時に理解し、手をアスに向けると雷を放つ。だがアスはそれを紙一重で避け、即座にトキを袈裟斬りにした。
「危ねえな。未来を予測したのかアイツ。雷にやられるところだった」
「ふん! まさかあれを避けるとはな……。
未来の見えるオレと、お前の速さ、どちらが凄いか試してみる価値はありそうだ」
「言ってくれるじゃねぇか。
まだ余裕があるように見えるな、だがな大人を舐めるなよ小僧。全力を出さなかったことを後悔させてやる」
『アス、言ってることが悪人みたいだぞ』
「アーサー、お前な! 盗賊は悪党に決まってるだろう!」
『アスよ! なんということを言うのだ!』
これ以上アーサーと話していると、お前は勇者だとか言われ喧嘩になり、拗ねられ力を貸して貰えなくなる。これでは弱くなるのが落ちなので、アーサーの言葉を聞き流し、意識をトキに戻す。
「悪党か! ならお前を倒してオレが勇者になってやるよ」
「やれるもんならやってみろ! 勇者の肩書きはそんなに安くはないからな! 盗賊の素早さを舐めんなよ! 覚悟しとけ!」
アスはどんどん加速していく。トキが雷を放てば、アスがひらりとかわし、剣を突き立て魂を引き剥がす。その度にトキの顔が痛みに歪み、切られた箇所を押さえ込む。
「壊してやる……」
トキは今までためていた力を解き放ち、雷が辺り一帯を焼きつくす。アスはその迫り来る雷を、剣で切り裂いた。雷は二股に割れ辺りを焼き焦がす。力を放出しきった一瞬の隙を狙い、アスはトキの魂を切り裂いた。
深く切り込まれて、トキの魂が悲鳴を上げる。それにより硬直したトキをアスは容赦なく追撃する。トキは焦りながらも先読みの力を使い、そこかしこに向け雷を放つ。だがアスはそれをことごとく避ける。その速さは未来を超える程のものだった。
「くそ! なぜだ! なぜ当たらない!」
「それはな、お前が弱いからだよ!
このアスライル・カルバネーラがお前の全てを、その負の力から盗み出してやる!」
「くそ! くそ! くそー!!」
トキの顔には不安の色が表れ、強ばっていく。力の源である魂の集合体が削られる程、トキの力は弱まっていくからだ。すると遂に魂がどす黒い負のオーラに釣り合わなくなり、力が暴走を始める。体は悲鳴を上げ、トキを中心に放電しながら、辺り一帯を焼き焦がす。次元が歪み爆発寸前のトキは、さながら時限爆弾のようだ。その力に取り込まれたら、無事では済まされないだろう。けれどアスは怯まなかった。
「トキ、今、楽にしてやるからな」
アスはトキの最後の魂を切り取ると、聖剣の力で負の力を浄化する。ぶわりとエネルギーの波が辺りに広がり拡散して、トキは眠るように目を閉じる。トキの中の全ての負の力は消え去り、温かなぬくもりがその体を包み込んだ。
アスは深く息を吐き出すと座り込む。
「やっと終わった」
トキの寝息を聞きながら、その髪を優しく撫でる。アマリアもイザナミもトキも子供達もみんな、誰ひとり欠けることなく戦いは終わった。
代わりにぼろぼろになった閻魔殿と、沢山の鬼の死体が残った。きっとイザナミは、今までの出来事を全て忘れているだろう。そんなイザナミが目を覚ましたら厄介になりそうなので、アスは逃げることにした。
アマリアとトキを両脇に抱えて、子供達の隠れる部屋までいくと、皆を連れ黄泉を後にする。最後に振り返ったアスは少しだけ悲しげな顔をして、背を向けたのだった。