少女と黄泉と
地平線が丸みを帯びて見えるほどの高さから飛び降りたアスは、空中でバランスを取りながら落下する。相変わらず世界は美しく見えて、笑みを浮かべる。
「ここから見える景色は綺麗なんだけどな」
現実はどろどろとしたもので、争いが絶えることはない。主張と主張がぶつかりあうのに、話し合いなど無駄だと言うように、世界は混沌と化している。
東の平原に見える黒煙。魔法と魔法がぶつかりあっているのか、稲妻が走る。思っていたよりも大規模な戦を目にし、二国の背後に這いよる魔物の気配に顔をしかめた。
手を取り合うべき時に、これである。
魔物退治は勇者に任せているつもりなのだろう。
アスは下らない争いを繰り返すこの世界の為に戦うことがバカバカしくて勇者にはならないのだ。なぜって、それはなんのために戦っているのか分からなくなるからだ。
イースの北に位置する黄泉を見れば、暗雲が立ち込めていて、何やらものものしい雰囲気である。戦中のイースの背後からけしかければ、今なら一網打尽にできる筈だ。黄泉がきな臭いのは、イースが安定しないということが、理由の1つなのかもしれない。
アスは崖に杭を幾つか打ち込み、スピードを落とし着地した。
上を見れば聖域は遥か遠く見えない。視線を辺りに向ける。目の前には、ティルナノーグのスリープフラワーの森が広がっていて、一歩踏み出せば妖精達が騒ぎ出す。気配を殺しながら、見つからないようにこっそりと先を急いだ。
この森は、一度引きずり込まれれば二度と抜け出せないと言われる迷宮だ。初めてこの森に来た時は散々な目にあったなと思い出す。
ツルツルに磨き上げられた鏡の石に光が差し込み、鈴蘭にも似たランプの花スリーブフラワーがその光に妖しく照らされ、キラキラとした光る花粉を吐き出す。光は屈折し続け道を隠し、妖精の囁きが方向感覚を狂わせる。
あの頃は鏡の先を何度も越えようやく聖域までたどり着いていたが、聖域に居をかまえる今となっては慣れ親しんだ道に変わっていた。
迷宮の脇道、獣の通る小さな隠れ道を行けばあっという間に出口が見える。森を抜け、戦の真っ只中である平原を迂回して、田舎道を行く。アスは地鳴りにも似た進軍の足音を耳にして息をつくと、逃げるように歩を進めた。
半日、北を目指し歩き続けるとかつてはなかった場所に、関所ができていて驚いた。
アスが茂みの中から更に迂回するかと考えていると、矢が飛んできて、それをすかさず避ける。
「そこで隠れている者出て来い!」
それは凛とした少女の声だった。声の感じから考えるに、真面目で曲がったことが大嫌いといった風な人物だろうと勝手に解釈した。まともに相手をしていたら夜になってしまう。アスが気配を更に消して、動き始めようとしたが、その瞬間、二本目の矢が飛んできた。どうやら完全にこちらの様子を把握しているらしい。アスは仕方がないと諦め、茂みから姿を現した。
「貴様、名をなのれ」
そこにいたのは煌めく銀の髪に深く青い瞳、剣を持つには華奢ではあるが、男のような覇気を持つ少女だった。年の頃は17か。若いそれも娘に気配を感じ取られるとは勘が鈍ったかと疑問を覚えたが、彼女の立ち姿や隙の無さから実力者だとアスは思った。何せアスの気配に気付く者はほぼ居ない。だからそれに気付く存在とは希有な存在なわけで、勇者になれる素質がある少女にアスの心が踊る。久しぶりに面白いものを見つけたと思ったからだ。
「オレはアスライルだ」
所属を聞かれアスは確か冒険者ギルドに名を残していた筈だと記憶を手繰り、ネームタグを探し出すと、それを少女に向かって放り投げた。すると少女は困惑したような顔をし、そのタグを何度か確かめ怪訝な声で呟いた。
「女神の方舟のゼロナンバー 」
そしてアスの顔をまじまじと見て渋い顔をした。
何か問題でもあるのかと聞けば少女は捲し立てるように怒りだす。
「女神の方舟は伝説のギルド、しかもその初代ゼロナンバー持ちは各国の上層部に名を列ねる存在だ。貴様のようなこそこそとした子供が、騙っていい身分ではない。大体にしてその歳で初代に入るのは無理な話だ。もっとましな嘘をつけ」
その言葉にアスは困り果てた。そして若くというか子供として見られたと思うと落ち込む。
オレってそんなにチビで若いのだろうか。
それなりの年齢の大人なのだが気付かれていない。
反論のひとつもしたいところだが日も傾いていて、ここらで野宿をしようかと思っていたから、今は一度この少女に捕まって関所で体を休め朝方抜け出せば、野宿よりもマシだと思いついた。それにこの少女の力量も気になるところ。関所の牢獄など、アスにとっては鍵のない部屋と同義である。別に捕まってもかまわないと結論が出て、アスはすんなりと少女に捕らえられた。
「貴様抵抗しないのか」
捕まえておいて訳の分からない少女である。もしかしてアスの実力を感じとったのかと思ったがそうではないようだ。
「抵抗して欲しいのか」
質問を質問で返すなと睨まれ、これが反抗期のキレやすい若者なのだろうかと思った。
「抵抗はしない。だがかわりに情報をくれ。ここいらで最近神隠しが大々的に起きていないか」
少女はハッとして考え込み、まだ頭の中で答えが出ていないまま口を開く。
「何か知っているのか」
少女の目は期待と不安がない交ぜになった目をしていた。瞳が微かに揺れる。神隠しは起きているとその目が語っていた。
「弟が神隠しにあって探している。神隠しという時点で希望は薄いが、出雲と黄泉に行こうと思っていたところだ」
よくもまあペラペラと嘘が出てくるものである。盗賊であるアスにとっては嘘の1つや2つは当たり前のこと、ここで身分をあかしてもいいことはない。それに仮の聖域の守護者だなんて言ったところで信じてもらえる筈がないし、拐われた子供達は結局救い出すのだから、この嘘が害になるわけではない。
だからこの少女から情報を聞き出しやすく、演出をしてみたのだ。どうやら根が真面目なのか、少女はすんなりとその言葉を信じた。
「私はイース国境兵団のアマリア・フェルナンデスという。話を詳しく聞かせてくれるか?」
「ああ、それは構わないが先を急いでいてね。明日にもここを出ようかと思っていたところだ。出雲ならばまだ希望があるかもしれないが、黄泉ではもう殺されているだろうしな」
「分かった。先程は疑って悪かったな、ネームタグは返そう」
歓待とまではいかないが、それなりの信用は得たようだ。だがさてどこまで嘘を膨らませるかと、アスの思考はくるくると動き出す。
所属を自由ギルド女神の方舟という扱いにしたから、旅人という区切りにしておかねばならない。生まれた時から旅をしていた為に国籍はなしということにすれば、後々面倒もない筈だ。
親は魔物に殺され、仇討ちの旅をしている。という名目も付け足した。旅の最中に弟が拐われたというシナリオで話を弾ませ、必要な情報だけを拾っていく。
アマリアが言うには、被害の殆どで黄泉の痕跡が確認されているようだ。拐われてる子供は、下は5歳から上は13歳までで、その年頃は丁度勇者の意識が芽生える頃だ。勇者候補の子供ばかりを集める辺り、軍事目的として利用しようという考えがあるのではないかとアスは感じた。
勇者ひとりで町を壊滅させることなど造作もない。黄泉がそれを軍事目的で利用することになれば、世界を揺るがす大惨事になるだろう。そして戦が長引けば、自ずと魔王の傘下がその隙をつくに違いない。だが、とりあえず見に行かないと始まらない。アスは小さく息をついた。
「アスライル殿、情報提供してくれてありがたく思っている。部屋を用意したので、今日はゆるりと休まれよ」
「助かるよ、ありがとうな」
アマリアと別れたアスは、案内された部屋のベッドに倒れ込んだ。
「明け方にはここを出て、さっさと黄泉まで向かわないとな」
眠りは思ったよりも早く訪れて、アスの意識は夢の世界に飛んでいったのだった。
体内時計がしっかりと働いているのか、いつも通りアスは明け方頃目覚めた。アマリアや関所の人間が起きて来る前に、さっさと準備をしてしまう。何も言わずに出て行った方が、引き留められないと考えたからだ。
アマリアの実力が知りたかったが、昨日の話を聞く限り、寄り道をしている場合じゃないと強く感じたからだ。
そっと扉を開けると、こっそり外へと向かう。夜の番をしている兵士に気付かれないように関所を抜け息をついた。
「こんな朝早くにどこへ向かうつもりだ」
ギクッと驚いて振り返った先にはアマリアが居て、これは面倒になると感じつつもその問いに答える。
「できるだけ早く黄泉に向かうためだ。弟が殺されたら終わりだろう」
だからと続けようとした言葉は続かず、アマリアの言葉に遮られた。
「別にお前を止めるつもりはない。そのかわり私も黄泉に連れて行ってくれ」
何でそうなるのかアスは呆気にとられた。しかも馴れ馴れしい。アマリアがついてくる理由は、このところの神隠しの事件を解明したいと考えているからだと思われる。
だがアマリアがアスの足の速さについていける訳がない。これでは倍以上の時間がかかってしまう。だからアマリアの同行を認めるわけにはいかない。しかしアマリアはどんどん話を続けてしまう。
「急ぐのだろう。近道を知っている。行けると言っても、黄泉に一番近い我が国イースのトライアドの砦までならな」
アスは困った。こんなお荷物を連れて黄泉へ行くなんて、と思ったからだ。だが近道があるのなら距離を短縮できる。
しかもここで断ったらかなり疑われ、下手したら尋問されかねない。そうなったら遅れるどころの話ではなくなる。だから残念なことに、アマリアを連れて行くしか道はなかった。
「分かった、じゃあ一緒に黄泉に行こうか」
棒読みのアスの返事にアマリアが嬉しげに応え笑った。
「では行こうか」
アマリアに連れられた場所はまだ未開とされている森だった。
アスは土と獣の匂いから確かにここが近道であるに違いないと思った。
土はぬかるんではいない。走れば直ぐに着くだろう。
アスの初動の速さにアマリアは目を見開く。
速い。それも恐ろしく速い。肺が燃えるようだ。ついて行くのに精一杯で、あのネームタグ、方舟のメンバーのゼロナンバーは本物であると自覚した。砦までは3、4日かかるが、この様子だと今夜中にはたどり着けそうで、アスを追うことだけに集中する。でなければその背を見失ってしまうからだ。
これはとんだ怪物だと、アマリアの中でのアスへの評価が変わる。一体彼が何者なのか。それはアマリアの中ではまだ分からなかった。
砦に着いたのはその日の夜だった。まさか本当に一夜でたどり着けたのが、奇跡の様な感じがして、アマリアは肩で息をしながらアスを観察する。アスは息すら乱していなくて、座り込んでしまいそうな程疲れきったアマリアからすると、やはり異常な強さを感じた。
トライアドの砦は戦時中だからか、かたく門を閉ざしており、アス達は中に入ることはできなかった。できれば戦うための準備をしたかったが仕方がない。黄泉の入口はトライアドの北に位置する岩山の洞窟にある。アスはまず、そこを目指すことにした。
薄暗い森に足を踏み入れると、深い霧に包まれ、生ぬるい風がアスの頬を撫でた。ここは死霊の溢れる惑いの森、侵入者を餌にしている生ける屍であるグールや死した霊魂が恨みにより留まり魔物になったゴースト、それからそれらを狩る黄泉の小鬼のすみかだ。
突然ケタケタと笑い声がして、アマリアが辺りを警戒し剣の柄に手をかけた。すると、小鬼が一匹茂みの中から現れ襲いかかってきて、アスは間髪入れずにナイフを滑らせ、小鬼の首を跳ねた。
あまりに強いアスを見て唖然とするアマリアを置いて歩き出せば、慌てて後をついてくる。
「私を置いてくなひとりでは危ないではないか。貴様は私の後ろに隠れていろ」
アスの力量が分かっていないのか、背伸びしているのかは分からないが、言えることがある。アマリアは少し生意気で扱いづらい少女だと。アスはそんなアマリアにため息をつくと、さっさと歩き出した。慌てるアマリアを気にも止めず先を促した。
「はいはい洞窟はこちらになりますよ」
森がざわざわと騒がしくなる。まるで侵入者を警戒しているようだ。ぴりぴりとした殺気に、アスはナイフを手で遊ばせ構える。それに合わせアマリアも剣を抜き、アスに続く。
来る。そう思った瞬間、グールが姿を現した。アスがグールに向かって走り出せば、次々とグールやゴースト、それから小鬼が現れて、アマリアがそれを切り捨てる。
アマリアが小鬼の一撃を剣の腹で受けとめなぎ払う。小鬼は持ち前の素早さでその懐に飛び込むが、アマリアはそれを切り捨て、今度は迫り来るゴーストを光魔法で一瞬にして葬る。
アスは一撃のもとグールを倒し、アマリアを観察する。
どうやらアマリアはアスが思っていたよりもずっと強いようだ。だが自分と同じラインにまで立てるかと聞かれるとまだ難しい。未熟それは伸び代があるということ、今のアマリアは未熟そのもの、判断が遅い。動きに無駄がある。手解きはしてもいいが、アマリアにそれを昇華するだけの力があるかと問われれば、否、だ。アーサーお前はどう思うと、心で話かければ、アーサーから返ってきた言葉も同じく未熟、というものだった。勇者になれるかは、まだアマリア自身を見つめなければ分からない。
彼女は諦めない心、高潔な意思がある。叩かれてこそ生きる力があった。
「先を楽しみにしておくか」
アスはそうぼそりと呟くとグールの首をはねた。アマリアを勇者として育ててみてもいいのではないかと思ったからだ。
岩山の麓にある洞窟についた。アスの背後からアマリアがこっそり洞窟の中を伺う。生ぬるい風が吹き抜けてアマリアはアスにしがみついた。
怖いのかと聞けば大丈夫だと震えた声で言われ、アマリアはアスからパッと離れた。怖いなら怖いと言えばいいものを。アスはアマリアの手を取り歩き出した。
するとアマリアにぎゅっと手を握られ顔を覗き込む。よく見るとアマリアの顔が赤い気がして、大丈夫かと思いつつ返事を待つ。アマリアはふっと息をつくとアスの手を握り返した。
アスはアマリアの手を掴んだまま、ずんずんと進んで行く。洞窟の中は薄暗いが、星硝石という火薬の材料にもなる石が淡く輝き、足元を照らすので、そう苦にはならなかった。
風を頼りに奥へ奥へと進む。暗い道を越えた先には、螺旋状の下り道が続いていて骸骨の灯籠が辺りを照らす。切り立った崖の底には沸き上がるマグマがごうごうと唸っている。
手すりのない細い階段を、落ちないように気を付けて通って行く。すると、まるで線香のような匂いに、甘ったるい香りをつけたような、そんな香りがしてきて、その香りを頼りに歩を進めた。そうしてやっと黄泉の入口にたどり着いた。
骸骨でできた朱塗りの大きな門には、獣の頭を持つ巨大な門番、牛頭と馬頭が立ちはだかっていた。
「ここは死者の国黄泉ぞ。生者がなんの用だ。」
何人もの人間が狩られたであろう巨大な斧と槍が、道を塞ぐ。
「オレの名はアスライル・カルバネーラという。 黄泉津大神イザナミ殿に会いに来た 」
「なんだと! 貴様はまさか! あの……」
「話が分かるようで助かる。そうあのカルバネーラだ」
牛頭と馬頭は互いに目配せして門を開いた。
「よくぞ参られたアスライル殿! どうぞお通り下さい!」
まだ状況を飲み込めていないアマリアを連れて、アスは黄泉に一歩足を踏み入った。重たい扉が閉まる音を耳に歩き出す。黄泉の玄関口である地獄の歓楽街は、鬼達で賑わいを見せている。見るもの全てが珍しいのか、アマリアは辺りを見回してそわそわしている。
黄泉は切り立った岩山に囲まれた低地にできており、何階層にも別れた地下がある。地下は死者が罰を受けるために作られた地獄になっていて、地獄への入り口は閻魔殿の奥につくられている。唯一空を見ることのできる最上階が、地獄の鬼達が住まう区画になっていて、歓楽街もここにある。
段々と上へと続く階段に、商店がところ狭しと建っており、珍しいものが沢山ある。櫛やかんざしなどの雑貨から食べ物まで色々だ。そして階段の先には閻魔殿があり、その両脇にも赤い提灯のぶらさがった屋台や商店が建ち並ぶ。空腹である二人を誘うような匂いに、アスは食べ物を買おうとするアマリアを引き留めた。
「ここの食べ物を飲み食いすると魂が形を変え、黄泉から出られなくなる。
だからこの干し肉でもかじって我慢してろ」
アスは荷物の中から干し肉を取り出すとアマリアに持たせた。これ以上ここに居たら、アマリアが誘惑にいつか負けるだろうと思い。アスは大通りから小道に入る。
小道の横を流れる血の川を見て、アマリアの顔色が悪くなった。
「アスよ、これは一体……」
呆然とするアマリアに対し、アスは落ち着かせるように説明した。
「これは生者の血でできた川だ。黄泉の住人になるってことは死ぬということだ。だから、魂が変質したものの末路がどうなるか、これを見れば分かるだろ」
「ああ、すまない。以後気を付けることにする」
「オレから離れたら危ないからな。手を放すなよ」
アマリアは真剣な顔で頷いた。
血の川をたどり脇道を行くと、閻魔殿が見えてくる。白塗りの壁に朱塗りの瓦屋根、骸骨がうず高く積まれたおどろおどろしい雰囲気の門。それを前に、緊張するアマリアの手を、アスがぐいと引き、中に入る。すると、金棒を手にした鬼が待ちかまえていて、ギロリとこちらを睨んだ。
「人間が黄泉に一体なんの用だ。イザナミ様はお忙しいのだ。だから、お前等に構う暇はない。さっさと帰るがいい。
もし、帰らぬのなら、このオレがお前等を死者にするだけの話よ。さぁどうするチビ助?」
「チビ助……でかい口叩きやがってやれるものならやってみろ」
アスがアマリアの手をはなしてナイフを取り出すと、アマリアも剣を構える。鬼の金棒がアマリア目掛けて降り下ろされるが、アマリアはそれを避け、鬼の腕の腱をめがけて一太刀浴びせる。敵に恐れることなく向かっていく強さ、相手の力量を読み、的確に急所を狙う観察力、アマリアにはやはり勇者の資質があるとアスは思った。
アマリアが懐に飛び込み斬りつければ、アスがすかさず鬼の手を狙い斬りかかる。鬼は絶叫しながら金棒を振り回すが、二人は跳んでは避けを繰り返し翻弄する。
「貴様よくも!」
リズムを狂わせられたのか、鬼は怒りをあらわに金棒を振り回す。滅茶苦茶な攻撃が二人にあたるわけもなく、石造りの柱に金棒がぶつかり砕かれた埃が舞う。視界が悪くなったが、鬼の振り回す金棒を目印に、アスは懐に飛び込むと、金棒を持った鬼の腕を、肩から斬り落とした。だが片腕を失ってもなお、鬼の攻撃はゆるむことはない。
アマリアが懐に入り込み鬼を袈裟斬りにすると、鬼は力なく崩れるように倒れた。
するところころと鈴の鳴る様な笑い声が辺りに響き、アスはナイフをしまった。
「イザナミ」
「久しぶりね」
姿を現したのは、ひとりの女だった。
美しい黒髪を真っ直ぐ切り揃え、艶やかな着物姿に妖艶な笑みを浮かべている。だがその見た目と反してイザナミはかなり歳をとっている。だから腹の内が分からないのは仕方がない。イザナミの金の瞳が嬉しげに細められた。
「あなたが来るのをずっと待っていたのですよ。勇者アスライル・カルバネーラ」
「オレは勇者なんかじゃない。薄汚い盗賊の王アスライル・カルバネーラだ」
勇者という言葉にアマリアは驚き呆然とする。まさか今目の前にいる存在が勇者だとはみじんも感じ取れなかったからだ。アマリアは改めてアスの今までの行動、抑えられた力を思い出し、それが本当のことであることを理解した。アスは苦笑を浮かべながら、ポンポンとアマリアの頭を撫でた。まるで子供扱いされたようだと思いながらも、その慣れない感触にアマリアは顔を赤らめた。
「その聖剣を手に入れるために、どれだけの子供を集めたか。あなたの体ごと聖剣は手に入れさせて貰います。そして、勇者の卵達を使い。今度こそイザナギの命を葬ってみせましょう」
イザナミは冷酷に言い放った。
「あの男に捨てられたこと、まだ認められずにいるのかよ。勇者の卵達を兵器にしてまでして呪う価値があるのか?」
「黙れ小童! まだ黄泉に来たばかりの醜い姿を見て、あの男は私を捨て逃げ出したのよ。こんな恥辱はない。勇者の力を使い。あの男もろとも世界を滅ぼすまでよ」
不安定なイザナミを前にアスは明らかにおかしいと思っていた。そもそもイザナミは、嘆いてはいたが儚く悲しげに笑って、ごまかす様な人物である。今では、憎しみは悲しみに変わっていたはずだが。だというのに、この状態である。イザナミは狂っている。それは明らかに異質で、彼女らしくない振る舞いだった。彼女に何が起きた。頭を回転させても答えは出ない。
だからか失念していた。いつの間にか部屋に充満していた甘い香りに。突然アマリアが倒れ、アスは、はっと近寄るが、アス自身、立っているのがやっとで、膝をつく。まさか不意を突かれるとは思ってなかった。
酷い眠気に誘われて、アスの意識は暗闇に落ちていった。