#9「欲望のブラックホール 前編」
#9「欲望のブラックホール 前編」
【Aパート】
あたしは今日、彼氏に三行半を突き付けられた。
彼によると、原因はあたしにあるという。
我が儘、束縛、暴力、その他諸々。
半年。たった半年、あたしと付き合っただけで、彼はこれらの苦情を陳述した上で音を上げてしまったのだ。あたしは彼には何処にも行って欲しくなかっただけだ。ただ、それだけなのに。
あたしは悪くない。悪いのは全て、堪え性が無い彼だ。
あたしは何もしていない。
あたしはただ、恋していただけだ。
「それは単なる勘違いだ」
あたしの目の前に降り立った黒くて大きな人影は、思わず口に出してしまっていた前述のモノローグに対し、ただ簡潔に、吐き捨てるように回答した。
「お前は単に恋している自分に酔っていただけだ。彼氏をブランド品扱いしただけに過ぎない。どうせ、付き合う時もその彼氏を脅したんだろう。或いは、QPバトルに勝利して強引に手籠めにでもしたか? その彼氏もさぞかし苦痛だっただろう。お前のような、浅薄も甚だしい可哀想な女に丸め込まれた挙句、いまのいままで色々と堪えていたんだろうに」
「うるさい……!」
あたしは奥歯を軋らせ、目の前の黒い男を睨み据えた。
「あんたなんかに何が分かるってのよ……!」
「分かるさ。お前がどうしようも無く下らない下等生物である事くらい」
「黙れっ!」
「でも、そんな日々もいまこの時を以て終わりとなる」
男は右手を遅々として上げ、掌をあたしの額に添える。
「醜い劣情こそ血液の味。それはこの私――モスキートの糧となる」
「何を……」
「今日からお前は、新たな自分に生まれ変われ。そして……」
男の掌から、柔らかく、温かな緑色の光が広がった。
「全てを捨てて、抜け殻となるがいい」
●
「モスキートの怪人?」
小坂雄大はカツカレーを頬張りながら、その名前を繰り返した。
「ここ最近じゃ有名な都市伝説だ。でも、その正体を俺は知ってる」
向かいの席にどっかりとデカい尻を落ち着けているのは、最近この食堂でコック見習いとして働き始めた鞍馬康成だ。元は傭兵で、新人の生島将星がQP/の上級捜査官に配属されるきっかけとなった事件の主犯格だが、いまは長官の独断と食堂の人手不足が理由で現在の立場に落ち着いている。
雄大は水を飲んで、肩を軽く揺らした。
「そりゃ興味深い」
「奴は空井春樹の仲間だ」
「……え?」
早速ネタバレかと思った矢先、意外な情報が飛び出した。
「ちょ……おい待て。お前、そんな大事な事を何でいままで黙っていた?」
「誰も聞かなかったからだ。だったら答えようがねーだろ」
これについては康成の言う通りだが、だったら何でこのタイミングでモスキートの怪人の話を世間話みたいな語り口で切り出したのだろう。
康成がにやにやと楽しそうに話す。
「そんな事より、だ。そのモスキートは、最近このネリマ一帯で不特定多数の人間の前に現れては、悩める人々の心の闇を取り払ってくれるっていうありがたい存在になっちまったらしい。でも、その正体は謎の犯罪組織、『百眼』の幹部クラスなんだとよ」
「その百眼って組織はかつてのお前のクライアントか?」
「そんなトコだ。だから、こうして捕まえられちまった俺を機密保持の為に殺しに来る公算だって充分ある。お前らの手で潰してくれると有り難いんだがなぁ」
「奴らが本格的に動き出したらな。俺らの仕事は基本的に対処療法だし? あっちが際立った行動を起こさないと、こっちからは迂闊に手が出せない。困ったもんさ」
「まあ、そもそも連中だって表立った祭りを開かん組織だしな」
康成は立ち上がり、背を向けてひらひらと手を振りながら厨房へと歩き出した。
「じゃ、俺行くわ。そろそろ休憩時間も終わりだしな」
「お……おう」
雄大は釈然としないものを覚えながら康成の背中を見送った。
「何だ、雄大。まだこんなところに居たのか」
すると今度は後ろから、ベテラン捜査官の日下部芳一が話しかけてきた。
「ういっす。日下部さんも朝メシっすか?」
「まあな。ところで、お前は今日非番だろう。対抗文化祭には行かなく良いのか?」
「ああ……そういや今日からでしたっけ?」
今日はエリア・ネリマの学校全てが出し物を大放出する対抗文化祭の一日目だ。雄大からすればあまり興味の湧かないイベントである。
「俺はパスしますよ。文化祭とか、あまり良い思い出が無いんで」
「俺もだ。文化祭というと学生時代における青春の輝かしい一ページみたいな印象があるように思えるが、そんな体験をするのはごく一部の若者だけの話だ。大半の学生は大体鬱屈した思い出しか持っていない」
「やっぱりそう思います? 学生時代の俺なんて駆共々、準備期間中はずっと除け者にされてましたからね。だからやる事無くてずっと屋上でカード麻雀やってました」
「俺なんて、大学生の頃はさぼって雀荘にずっと通っていたな」
「マジっすか!」
いまでこそ本庁時代からの英傑とされる芳一ですら、学生時代は意外にも雄大と似通う部分はあったらしい。
この後、二人はそんな話題で小一時間くらいは盛り上がっていた。
●
「文化祭なんてクソったれだ」
不機嫌を隠そうともせず、将星は駅前のバス停近くで悪態を吐いた。
「文化祭の時くらい仕事を休ませてくれたって良いだろ。なのに、何で文化祭が原因で仕事に駆り出されなきゃならんのだ、俺は!」
「もしかしてガチで激おこ?」
「激どころか爆だ! 爆おこぷんぷん丸だコンチキチョー!」
「まあまあ」
いつも通り、頭の上でセイランが呑気にシャボン玉を吹かしながら言った。
「柊子様が来る頃までには悋気をお納めなすってくださいよ」
「お前はどこからともなく古臭い言葉を拾ってくるな。ちなみにそれ、かるーく用法間違ってるからな?」
「中学生でそれを知ってる方がちょっとおかしい……」
「現国だけなら学年三位だからな」
ちなみに、成績上位の現国と数学以外の教科はほとんど平均点である。さらに言うなら数学は<バブルブリンガー>の軌道計算や速力調整などに使えるからという理由で力を入れて勉強しているだけなので、決して得意とかいう次元の話ではない。
「将星様ー!」
とうとう来やがった。
パステルグリーンのワンピースと白いカーディガン、いつもの白い鍔付きの帽子で着飾った細身の女性が、大きく手を振って将星の傍まで駆け寄って来る。
彼女こそ、今日のデート相手である移ノ宮柊子様だ。
「今日は良い日和ですねっ」
「最初はどちらへ?」
「え……・? あ、最初は……」
天気の挨拶に取り合わなかったのが意外だったらしい、柊子様は少し戸惑った様子で応じた。
「たしか、水鉄砲のサバイバルゲームなんかをやっている学校があるとか」
「桂木中学の方ですね。では、そちらへ参りましょう」
「あの……将星様?」
「何か」
「……いえ、何でもありません」
「でしたらさっさと行きましょう」
将星が上級捜査官仕様のジャケット(夏服)を翻し、先陣を切ってさっさと歩き始める。同伴相手である柊子様を置いていかんばかりの勢いだ。
後ろから慌てて柊子様が追いかけてくる。
「将星様、せっかち過ぎますわ!」
「失敬」
顔も見せずに謝罪する。これが上司と部下の会話なら、将星は真っ先に無礼者として上司から厳重注意されていたに違いない。
セイランがこっそり将星に耳打ちする。
「大人気無いぞ~」
「黙れ」
セイランは気楽な態度だが、将星の場合はそうも言っていられない。
今日は柊子様の護衛という名目で彼女の享楽に付き合っている。ただし名目は名目と軽視する訳にはいかない。護衛対象が皇族の一要人とあらば尚更だ。
もし万が一、自分が付いていながら彼女の身に何か起きてしまった場合、事は始末書程度では済まされない。先の襲撃事件みたいな騒ぎだってあるかもしれない。
「将星様?」
柊子様が首を傾げ、心配そうな眼差しを向けてくる。
「なんだか、顔が怖いのですが……」
「どうかお気になさらず。これも仕事ですので」
「…………」
どうやら柊子様もお気づきになられたらしい。
俺はただのSPだ。だから、俺は貴女と遊ぶ気は無いという、意思の表れに。
正直、自分でも嫌気が差すくらい社交性に欠けているし大人気無いとは思うが、立場や命が懸かっている以上はご容赦願いたいものだ。
叶うなら、今日は何も起きませんように。
桂木中も松陰中と同じ規模の学校だが、県内トップの高校への進学者を多数輩出しているだけあって在校生の偏差値も必然的に高いらしい。やはり教育方針の違いというのも関連しているからだろうか。
そんな桂木中の出し物は、水鉄砲を用いた特殊なサバゲーである。特殊加工が施された専用のTシャツを着て水鉄砲を撃ち合うというゲームを校舎内全体で行うのだが、この特殊性が売りとなっているのか、事前予約は既に大入り満員、当日客も常時二時間待ちを強いられている程の盛況ぶりだ。
ただ、皇族の姫君を二時間も立たせて日射病なり熱中症なり、或いは貧血でも起こされたら、護衛の将星及び学校側が責苦を受けるハメとなる。
そこで将星は、二つの権力を巧みに使った。
一つは警察組織の構成員としての特権。安全性を確認する為の立ち入り審査を抜き打ちで行っていると説明すればどんな順番にも割り込める。
もう一つは、説明するまでもなく皇族の威光だ。
「このTシャツ、水に濡れて透けないかが心配だわ」
専用の更衣室で着替え終え、将星と共にスタートラインに立ったあたりで、柊子様が青いTシャツの裾を伸ばしながら唇を尖らせた。
「ご安心ください。配色上の設定から透過率は抑えてあるそうです。あと、水が命中した箇所は黒く変色するそうです」
「なら安心ですわ」
もっとも、水に濡れて肌に張り付いた生地から浮かび上がる下着のラインなどについては考慮されていない様子だが、果たして気にする女子は日本中に何人存在するのだろうか。
「ルールは簡単です。合図と共にここからスタートして、指定されたコースを一周してここに戻ってくれば良い。ただし学校側が用意した敵が何人か潜んでいますので、そいつらから水を引っ掛けられてシャツの真ん中に描かれた的が黒く変色した瞬間、即ゲームオーバーです」
将星は柊子様のシャツの胸元に描かれた四重丸の的を見ながら言った。
「女性にはハンデとして、真ん中の小さな赤い丸に当たらなければ当たり判定が出ないという特別ルールがあります。もっとも、僕だけは特別に四重丸の中にちょっとでも水滴が跳ねて掛かった場合即刻退場となりますがね」
これは桂木中側から提示された将星に対するゲームへの参加条件の一つだ。皇族ならともかく国家権力を振りかざす同年代の捜査官が気に食わないらしい、ささやかな抵抗としてこのようなルールが追加されてしまった。
だから嫌だったんだ、こんな任務。
「これがルールのあらましですが、何か質問などは?」
「いえ、特に無いです」
「そうですか。では、これを」
将星はあらかじめ係員から受け取っていた黒いハンドガン型の水鉄砲を柊子様に手渡した。
「見た目は骨董品の銃そっくりですが、勿論ただの水鉄砲です」
「グロッグ19ですわね」
存外、柊子様は銃火器の知識も豊富でございました。
「? 将星様?」
「いえ、何も」
なるほど、最近の皇族は銃の名称まで教養の一部と化しているらしい。少し驚いたが、これ以上は疑問を持たない為にそういう風に受け入れるとしよう。
「すみませーん、そろそろスタートのお時間でーす」
スタートラインの端に立っていた女子生徒の係員が告げてくる。
「私の合図でゲームスタートでーす。それでは、三、二、一――」
係員が、思いっきりホイッスルを吹き鳴らした。
「いきますわ、将星様!」
「了解」
二人は小走りで青いビニールシートが敷かれた廊下の上を駆け、壁掛けの看板の表示に従ってコースを順調に進んでいく。
将星は一年生の教室の付近で遮蔽物となるロッカーを発見する。
「柊子様、こちらへ」
「あ、はい」
わざとらしく廊下にロッカーを置いておくという事は、この辺りで敵役が現れると警告しているようなものだ。
さて――ここで柊子様に恥をかかせない為にも、俺は全力で妨害してくる桂木中の生徒達を潰さねばなるまい。少なくとも、スタートから数秒でリタイアなんて洒落にならない。
将星が前に意識を集中させていると、何故か右の耳が反応する。
――まずい!
「後ろかよ!」
将星が斜め後ろに銃口を向けると、狙いを定めた位置と近い教室の扉から生徒が一人躍り出てきて、こちらに銃口を向けようとする。
だが、先に反応したこちらの方が断然速い。
引き金を引き、細い水の線が相手のシャツのド真ん中に命中する。着弾した四重丸の中心である赤い丸が黒く染まり、撃たれた相手はリタイアとなる。
「遮蔽物に隠れた途端に背後から奇襲とかマジかよ! まるっきり初見殺しじゃねぇか! これ本当に文化祭の出し物ですか!?」
「将星様、凄いですわ!」
こちらが喚いているのに対し、柊子様はやけにご機嫌な様子だった。
「あんなの普通反応出来ませんよ!」
「そりゃどうも。それより、とっととここから離れ――」
将星がロッカーから顔を出し、すぐにその口が半開きになった。
なんと、この廊下の最奥部で、ライフル型の水鉄砲を構えた敵役の生徒達が横並びに配置され、膝立ちでこちらに狙いを付けていたのだ。
まるで、その様は弩弓隊のようだった。
「あ……あれは……!」
「各員、狙え!」
射手の列の一歩後ろに立つ指揮官らしき男子生徒が、びしっと腕を伸ばして指をこちらに向けて突き出す。
「撃て!」
そして、発砲。細い水流の線が、たったいま顔を引っ込めた将星の鼻先を掠める。
横はもはや水の格子とも表現できる有様だった。これでは前に進めないどころか、ロッカーを盾にしても後ろまで下がれるかどうかも微妙だ。何故なら、連中の攻撃パターンが極めて陰湿な手口と仮定するなら、下がった先にも射手が潜んでいる可能性があるからだ。
「くそ! こんな嫌がらせゲームの為に何時間も待たされる連中の気が知れないぜ!」
「将星様、あれ!」
柊子様が指を差したのは、さっきの敵が現れた時から開けっ放しとなっていた教室の扉だった。
「ひとまずあそこに飛び込んでみては――」
「いや、あの中に別の伏兵が潜んでるかもしれません。それに、誰も居なかったとしても外から別の射手が来たら袋の鼠です」
「でもここで立ち往生する訳にもいきません」
「たしかに……」
存外、柊子様にもまともな思考力が備わっていたらしい。彼女の言う通り、ここで動けないままジリジリ狩り尽くされるのを待つよりも、可能性がわずかにでもあるのならそっちに懸けて動いた方がまだマシだ。
「柊子様はここを動かないでください」
指示した時には、丁度将星達の横を流れていた無数の水流が止んでいた。おそらく、水鉄砲のタンクの中身が尽きたのだ。
「セイラン、あの教室内の熱源反応を探索しろ!」
「こんな事もあろうかと、既に調査済み~」
さすがはセイラン。分かっているじゃないか。
「将星の予想通り、伏兵がお二人様~」
「二人だけなら!」
将星はすぐに立ち上がり、例の教室へ素早く突入する。
中は何の施しもされていない普通の教室だ。おそらくゲームのステージとは全く関係無いのだろう。
だとすれば、連中はステージ外から奇襲を仕掛けた事になる。つまりさっきの背後からの攻撃はルール違反だ。
奴らめ……自分のホームグラウンドだからといって調子に乗りやがって……!
「将星、後ろ!」
「分かってる」
教卓の陰から頭を突き出し、銃口を向けてきた生徒の一人に即応し、発砲。シャツの真ん中の赤丸と、ついでに両目を撃ち抜いてやる。
続いて、掃除用具入れのロッカーから飛び出してきた者が一人。相手が発砲するが、将星は身を回転させながら水流をかわし、即座に発砲。
またも赤い丸に命中。日頃の射撃訓練の賜物だ。
将星は例の相手二人がゾンビ行為を働かないように目を光らせつつ、手近な机を持ち出して外に出る。
すると、予想通り、すぐに突き当たりの弩弓隊による弾の嵐が飛んできた。
「バカめ!」
将星はたったいま持ち出した机の天板を前面に向け、猪突猛進を絵に描いたような勢いで射手の列へと突っ込んで行った。
水の射線は全て天板が防いでくれる。シャツに当たりさえしなければ男女関わらず当たり判定は下されない!
「は、反則だ!」
「てめぇらに言われたくねぇんだよ!」
狼狽え始めた生徒群の目の前に机を投げつけ、彼らは驚いて蜘蛛の子を散らすように逃げ出そうとする。
そこが中学生の限界だ。将星は生徒の一人が取り落としたライフル型の水鉄砲を拾い上げ、カモ撃ちの要領で背を向けて逃げ出す連中を一人ずつ始末していく
敵側の連中は襲う側のハンデとして背中にも四重丸の的が描かれている。いま将星に背を向けた全生徒の的は、例外無く真っ黒に染まりきっていた。
これで関門突破だ。柊子様の思いつきが役に立つとは思わなかった。
「柊子様。付近の敵の掃討が完了しました」
「……ははっ」
何故だか知らないが、柊子様が突然笑い始めた。
「? 柊子様?」
「いまの将星様、凄く楽しそうですわ」
「っ……!」
しまった。顔に出てしまっていたのか。
「この調子で、バンバン行っちゃいましょう」
ロッカーの陰から出て、柊子様は水鉄砲のグリップを深く握り直した。
そんな彼女の笑顔は、とても皇族のものとは思えない程に無邪気だった。
結局、あの後も様々な妨害を潜り抜け、最終的にはしっかりとゲームを堪能した上で全ステージをクリアしてしまった。主に敵を排除したのは将星だが、柊子様も頑張って援護射撃で相手の邪魔をしてくれた。
「あー、楽しかった!」
大学が出している屋台が立ち並ぶ道の真ん中で、柊子様がアイスクリームを舐めながら気持ちよさそうに言った。
「まさかあんな嫌がらせゲームを全ステージクリアだなんて。さすがは将星様、実際の戦闘経験が違いますわね」
「実際の戦闘……ですか」
それを言うなら、花香や雄大なんかはあのステージをどれだけ早く攻略出来ただろうか。雄大ならさっきみたいな小細工を使わず、神業レベルの早撃ちであの射撃部隊を瞬殺出来た筈だろう。
「今日は将星様がご一緒してくださって、本当に良かったですわ」
柊子様がこれまた晴れ晴れとした笑顔で言った。
「何せ、こうやって本気で遊べる日は今日で最後でしたから」
「最後?」
このさりげない一言から、初めて将星は柊子様に少しばかりの興味を抱いた。
柊子様は変わらぬ面持ちで語る。
「縁談の話が来ているのです。といっても、実際に結婚するのは成年皇族になってからになりますが」
「縁談……?」
予想の斜め上を行く話だった。以前、シロサワで将星と自分は一生を誓ったとか本気っぽく宣言していたから、てっきりその手の相手がいないものかと思っていた。
「あと五年。私が成年皇族になるまでの五年間、私はその殿方との婚約を交わした直後から花嫁修業をせねばなりません。だから私はもう、自らが望む殿方と結ばれる事は二度と叶わないのです。多分、一生」
そう語る柊子様の横顔は、ほんの少しだけ物憂げだった。
「でも、それではあまりに嫌な話ではありませんか。故に私はお父様に頼み込んだんです。せめて最後の一日ぐらいは、私が望むようにしてみたいって」
「じゃあ、今日のデートは……」
「私にとって、最後の享楽となりますわ」
この時、将星は自分の幼稚さに本気で腹が立った。
これまでの日常から別れを告げるつもりでいた少女の最後の願いを、自分はただ自らの保身だけを願って無碍にしようとしていたのだ。
セイランが言った通りだ。なんて大人気無い。
自分で思った通りだ。仕事を理由に、自分に嘘をついていた。
「……柊子様」
将星が務めて平静に言った。
「もし貴女がよろしければ、今日は僕の学校に来ていただけないでしょうか」
「松陰中学……ですか?」
「ええ。メイド喫茶なるものをやっておりまして」
正直、皇族の姫君を連れて行くには分不相応な店には違いないが、さっきの嫌がらせサバゲーよりかはサービス精神がある方だと思う。
それにあそこのリーダー格はあの雪見だ。事情を説明すれば、少なくとも自分よりかは大人の対応をしてくれる筈だろう。
「あそこには信頼出来る友人がおります。如何でしょうか」
「将星様が信頼しているというのなら、素敵なご友人なのでしょうね」
柊子様が深く頷いた。
「では、行きましょう」
「ええ」
将星が彼女をエスコートしようと思い始めた時だった。
突然、視界がちかちかと点滅したのだ。
「っ……!?」
続いて、激しい頭痛が襲い掛かる。
「がぁっ……あああああああああああああああっ!」
「将星様! 将星様!?」
柊子が何度も呼びかけてくるが、まるっきり頭に入ってこない。
脳裏にいくつかのイメージがちらつく。
今日のサバゲーの内容、家を出る前に確認した装備の数々、空井春樹との戦い、退役軍人との集団戦――
無数の映像が脳内で乱舞し、意識を激しくかき乱してくる。
やがて、その怒涛がぴたりと止んだ。
「っ……!」
頭痛が止まっている。視界も元通りだ。
背中から妙な汗が噴き出している。でも、それ以外はいつも通りだ。
「……何だったんだ、いまのは」
「将星様、大丈夫ですか?」
「いいえ、大丈夫です。最近仕事であまり寝てないものでして」
適当にごまかし、とりあえず笑ってみせた。
「行きましょう。時間は有限です」
「え……ええ」
心配そうな柊子様を背後に置き、将星はゆったりと歩き始めた。
「記憶の定着化?」
『ええ。いまごろ彼の身に何らかの形で発現している頃合いでしょう』
長官室の机で書類仕事に勤しんでいた由香里は、その最中に将星の主治医だった精神科医の里井から電話を受けていた。
『これまでに何回か生島君の脳のスキャンをしているうちに気付いたのですが、彼の脳波は一定時間毎に急激な浮き沈みを見せている。人間は睡眠時、前回の覚醒時からそれまでの間にあった出来事を記憶として脳に定着させますが、彼の場合は意識がある時にもその現象を発現させている』
「起きながら寝ている、みたいなものですか?」
『いまはその理解で良いです。何にしても、寝ているにせよ起きているにせよ、一定周期で彼の身には何かしらの影響が起きている筈です。何かその心当たりは?』
「特に無いですが……それで何か大きな問題でも?」
『場合によっては一か月後に彼が脳死している可能性もありますからね』
「脳死!?」
あっさりと告げられた余命宣告に、由香里は思わず口が半開きになる。
「いきなりそんな事を言われても……ていうかどうしましょう!? ある日突然将星君が死んじゃったりなんかしたら……!」
『あくまで仮説です。ですが、思い当たる節はあるでしょう』
「と、いうと?」
『彼が上級捜査官として長官の下に配属された直後からいまに至るまで、彼の成長スピードが異様に速すぎるとは思いませんか?』
「言われてみれば……」
最初こそ度胸のある新人として注目される程度だったが、いくつかの事件を経ていくうちに、彼は熟年の捜査官に匹敵する能力を短期間で獲得しつつある。
普通の上司なら手放しで喜んでいるところだが、いまの話を聞いて由香里も気が変わってしまった。
「分かりました。ちょっと注意して見てみます」
『何か分かり次第、情報はお互いシェアする形でよろしいですかな?』
「勿論です」
『時間を取らせてしまい申し訳ない。私はこれで失礼します』
「ええ。ありがとうございます」
電話を充電器の上に置き、由香里はしばらく動きを止めて考える。
もし将星が何らかの才能を覚醒させつつあるとしたら、それはおそらく、自分や他の捜査官のそれとは比べものにならない両刃の剣だ。
その時、彼はどのように変わってしまうのだろうか。
最初に<昇華系>を覚醒させた花香みたいに、精神状態がより安定するのだろうか。
それとも、己が力に耐えきれず自壊するのだろうか。
「……あ、そういえば」
由香里はふと、全く関係の無い事を思い出した。
そういえば今日の対抗文化祭で、息子が友達と一緒に将星が通う松陰中学に遊びに行くんだっけか。たしかメイドが見たいとかなんとか言って。
「あの子ったら、雪見ちゃん達に迷惑掛けてないかしら」
●
一日目でもあるに関わらず、メイド喫茶はそれなりに大盛況だった。ルックス的にもレベルの高いメイドを厳選して用意したのが功を奏したらしい。まあ、当たり前か。
雪見は仕事の合間に、厨房からホールの様子を覗き見ていた。
客層は老若男女問わずといった感じで、メイド達は接客が初めての経験なので多少ぐだぐだだが、そこは可愛さと若さ故の気合とフレッシュさでカバーされている。料理は大好評で、しかもお値段設定は学校の出し物らしく良心価格なので消費サイクルは上々だ。
先日まで酷い妨害に遭っていたのが嘘みたいだ。これはいける。
「雪見。そろそろ昼のラストオーダーだ」
「あいよ」
父親であり、食品衛生管理責任者の白沢正樹が報せてくる。雪見は早速言われた通りの準備に取り掛かった。
「おうおうおう、スカート短いねぇ」
「ほーれ、ぴらぴらしちゃうぞー」
「ちょ……止めてくださいっ」
何やら不穏当な会話が聞こえてきたので、雪見は再びホールの様子を確認した。
騒ぎの火元は真ん中のテーブルからだった。やたらガラと頭の悪そうな高校生らしき男子生徒の一団が、配膳にやってきたメイドのスカートの裾に手を伸ばそうとしている。中には実際に腰まで突く者がいる始末だ。おかげ様で、他のテーブルの客にもその不穏な空気が伝播してしまった。
雪見は元々眠たそうに見える瞼をさらに細めた。
「あれは……たしか五陵高校の制服か」
「不良生徒の巣窟とも言われてる男子校ね」
コック帽を被ったグレイスが、雪見の頭の上から彼らの素性を教えてくれた。
「雪見、どうする? 私のマテリアライザーであいつらを追い出しちゃう?」
「残念。いまの私は思ったより冷静だ」
雪見の心拍が穏やかである以上、マテリアライザーは起動しない。グレイスの案は残念ながらボツだ。
「ね、TEL番教えてよ」
「これ終わったら俺達と遊ぼうぜ、なあ?」
「その……困ります」
言ってる間にエスカレートしている。早く止めてあげないと。
「ねぇ、君達」
よく通る涼やかな声で彼らに呼びかけたのは、すぐ近くの席に一人だけで座っている中世的な外見の人物だった。
まず特徴的なのは、その真っ白な長髪である。凛々しく整った顔立ちからは男性か女性かの区別が付けづらく、服装も夏場なのに体のラインが浮き出ないような黒いジャケットとオリーブ色のカーゴパンツである。
やや女性寄りのその人は優雅に立ち上がるや、鍋でトマトを煮詰めたような赤い瞳で男子生徒を睥睨する。
「やんちゃな年頃なのは分かるけど、たまには大人しくしておくもんさ。少なくともここは君達の縄張りじゃない。多種多様な人々が集まる公共の場だ」
「あぁ? なんだよ、てめぇは」
「きっも! 髪真っ白じゃん! なに? 若白髪ってやつ?」
「しかもカラコン付けてんぞ。俺知ってる。こういうの、痛い子っていうんだ」
彼(彼女?)の姿を見るなり、男子生徒達がげらげらと笑い始めた。
間仕切りの陰から雪見は舌打ちして呟く。
「あの白髪、なんて余計な真似を……これじゃあ逆効果じゃないか」
「果たしてそうかな?」
どうやら聞こえていたらしい、白髪の人は雪見に微笑んでみせた。
すると、男子生徒達の手元に置かれたお冷やのグラスが、たった一瞬で全て破裂したのだ。
「……へ?」
いきなり起きた超常現象に、男子生徒達どころか、この場にいる全ての客とスタッフが凍りつく。
その中でただ一人、白髪の人が平然と言って退けた。
「おっと、そういえばグラスも学校の備品だったかな」
その人は自らの長財布から無造作に札束を取り出すと、雪見の前まで歩み寄り、その札束を彼女に押し付けた。
思わず受け取ってしまった札束と白髪の人を交互に見て、雪見は目を白黒させる。
「え? あ、あの、これは?」
「弁償代と今日のお代さ。お釣りは要らないよ」
「困ります、割れたグラスだってそんなにしないのに……」
「ふぅん? じゃあ、そこから半分だけちょーだい」
こちらの合意を求めず、白髪の人は札束からきっかり半分だけ一万円札を抜き取ると、未だに口をアホみたいに半開きにして呆然としている男子生徒の前に戻り、たったいま持ってきた札束を彼らのテーブルに投げつけた。
「ゲーセンで一日遊べる分だけの小遣いはくれてやるさ。だから、とっととここから失せてくれないかな? ああ、安心しなよ。ボクもすぐに帰るから」
「ひっ……い、いや……帰ります、金は要らないから……」
男子生徒達のうち一人が、恐慌のあまり腰を浮かせて首を横に振る。
すると、そのお仲間も彼の続くように立ち上がり、じりじりと席から出入り口まで遠ざかっていく。
「お、おれも帰る」
「い、行こうぜ、こいつ……何かヤバいっ」
迷惑者達が全てメイド喫茶の中から消える。
それでも、如何ともしがたい静寂は続いていた。
「……さて、ボクもそろそろ帰ろうかな」
白髪の人が律儀に置きっぱなしになっていた札束を拾い上げて懐に仕舞い、さっきの男子生徒達に続くように出入り口まで歩を進める。
「ああ、そうそう」
白髪の人は去り際に一旦振り返って足を止める。
「お代とグラスの弁償代、それだけでも足りるよね?」
「え……ええ」
答える雪見の声には、いつもの偉さが消えていた。
「良かった。じゃ、お邪魔しました」
そう言って、白髪の人は室内の静寂を置き去りにしてメイド喫茶から立ち去った。
あまりにも颯爽とし過ぎて、雪見は正気に戻るまでの十秒間はずっとその場に立ち尽くしていた。
松陰中の全体を見下ろせる高層マンションの屋上に着くや、ハクは待ち合わせをしていた人物から早速説教を貰った。
「目立ち過ぎだ、ハク」
赤髪の少年、空井春樹が唇をへの字に曲げる。
「全く……作戦前にメイド喫茶に遊びに行くとかどんな神経してんだか」
「だってぇ、女の子が可愛いんだもん」
ハクがお尻を振って身を捩らせる。
「もうほんとね、ちゅっちゅしたい!」
「気色悪い」
「でも一番可愛かったのはなんと厨房スタッフの女の子だった。何でメイドにならなかったんだろう?」
「知るか」
春樹の返答はにべも無かった。
「それより、モスキートの野郎は何処へ行った?」
「いまごろ栄養補給の真っ最中だよ。ほら、見てみ?」
ハクは自らのリンクウォッチからいくつかのホログラムモニターを呼び出して春樹の目の前に寄越してやった。
映し出されているのは、黒い人型の活動記録のようなものだ。人気の無い場所にいる人間の前に現れては、掌を彼らの額に翳し、何かしらの光をエネルギーとして吸い取っている。
「文化祭というと学生連中にとっては屈指の青春イベントだけど、そこからあぶれた者だって必ずしもいる。準備にも参加させてもらえないようなボッチから、準備期間の真っ最中に何かしらの恋のトラブルで損を負った者まで……とにかく、プラスの感情と同じくらいはマイナスの感情が渦巻くイベントでもある。まさしく、モスキートにとってもカーニバルって訳さ」
「にしても食い散らかし過ぎな気がするぜ、まったく……」
春樹が呆れている様子でぼやいた。
たしかに、最近有名な都市伝説とまで呼ばれるくらいには知名度が上がってしまっているのはハクからしてもやり過ぎと思わざるを得ない。
「まあ、それでも待ち合わせ時間には必ず来るでしょ」
「だと良いんだけどなぁ……」
「誰が食い散らかし過ぎだと?」
「「うおぉおいっ!?」」
声を掛けるなり音も無く背後に現れた黒マントの怪人に、ハクと春樹が同時に腰を抜かし、お互いにがっちり身を寄せ合って声を裏返らせる。
「い、居たなら居たって言ってくれよ!」
「ショックで俺達を殺す気か!」
「勝手に驚いたのはお前らだ」
目の前の黒い怪人、モスキートの言い分はまるで自分が悪くないとでもほざいているみたいだった。ていうか、絶対悪びれていないな、こいつ?
「それより、こちらも準備が終わった」
モスキートが右手を振り上げる。
「お前ら二人には事前の打ち合わせ通り、足止めの役割に徹してもらうとしよう」
「オーライ」
「精々気楽にやらせてもらうとするさ」
春樹とハクが適当に応じると、モスキートが天に向けた掌に青白い電光を迸らせる。
「これより我々は新たな王を探す。いくぞ、空井、ハク」
●
「本当に大丈夫なんですか?」
松陰中学に向かう道すがら、隣の柊子様が心配そうに訊ねてきた。
「ええ。むしろ、さっきより頭が軽くなったような気がします」
将星の答えは決して強がりから出た嘘ではない。あの激しい頭痛が収まってからしばらくすると、何故か頭の中がすっきりしたような感じが続いているのだ。
「心配をお掛けして申し訳ない。僕はもう大丈夫です」
「なら良いのですが……」
「しょうせ~い、アレ」
セイランが将星の目の前に踊り出て、遠くの一角を指差して言った。将星の視線も、示された方向をなぞっていく。
いましがた指された先では、外見的にはぱっとしないような若い男性が、夢遊病にでも罹患しているような脱力っぷりで道を歩いている姿が見受けられた。
しかも彼のすぐ近くの野外ステージでは、エトワール女学院の女子生徒達がユーロビートの音に乗って何らかのダンスを踊っている。
何故だろう。あの男と、踊っている女子生徒達を引き合わせてはいけない気がする。
「セイラン、マテリアライザーを起動しろ」
「あいよー」
新型の四角いリンクウォッチの画面が、マテリアライザーの強制発動の成功を報せてくれる。将星は右の太腿に括り付けてあった銃型QPドライバーを抜くと、ステージの正面を横切ろうとしていた男の様子をそこから動かずに観察し続けた。
男が立ち止まった。
その直後、男の全身から、炎のように揺らめく白い何かが漏れ出した。
「皆、そこから離れろ!」
直感から、将星は全力で叫んだ。
たが、いきなり掛けられた声に反応した周辺の人々はただ立ち止まって呆然としているだけで、決して将星の指示通りに動いてくれる者はいなかった。当然だ。
その間にも、男が放つ白いオーラは徐々に膨れ上がり、やがて彼の頭上で一つの大きな形を成していく。
その姿はこの地球上のどの生物とも形容しがたい、強いて言うなら怪人と呼ぶに相応しい有様だった。
怪人は男の頭上から地面に降り立つと、野獣のそれより猛々しい咆哮を上げる。
「ウオオオオォオオオオオォォオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォッッッ!」
雄叫びは木霊し、大地を揺らし、周辺の建物のガラス窓を悉く破砕していった。
この異様な光景を見て、ようやく周辺の人々にも認識が及んだらしい。ダンスに興じていた女学生達、付近で屋台を開いていた学生らや、道行く一般客の全てが一瞬で蜂の巣を突かれたように騒ぎ始め、我先とこの場から逃げ出していく。
「……! 遅かったか!」
「何なの、一体!?」
「こっちが聞きたいわ!」
とりあえず、喚くのは後にしよう。
将星は制服の裾を広げると、左の腰のホルスターからグリップ型QPドライバーを抜き出し、ドライバーを中心とした水晶のような六角形の盾を生成する。
こちらの武装に気付いた怪人が身を向け、猛然と飛び掛かってきた。
「きゃあっ! 来たあぁあっ!?」
「こうなったら完全版<フロンティア>の初お披露目だ。いくぞ、セイラン!」
「ういー」
こちらの戦闘準備が整った矢先、目の前で白い光の怪人が野太い腕を振り上げる。
怪人の重々しい右ストレート。
しかし、将星は左手の盾で正面からその拳を受け止める。
「……!」
「耐久力と緩衝性能は上々!」
盾ごと相手の拳を左に振り払い、怪人の空いた顔面に右の銃口を突きつける。
発砲。オプションコードを絡めた弾丸が爆発し、顔面が黒焦げとなった怪人がその場で仰け反ったまま立ち止まる。
「セイラン、シフト・アタッカーだ!」
「おーらい」
銃を太腿のホルスターに仕舞い、今度は右腰のホルスターに収められた、いつも将星が愛用している普段用のグリップ型QPドライバーを抜き放つ。
攻撃モードの宣言に従い、左のグリップ型がシールドを引っ込め、右のグリップ型と全く同じタイミングで先端から水色の大きな刃を伸ばす。
背を屈め、右の大剣による水平の斬撃。その両脚を膝下までの長さに切り揃える。
すかさず、左の大剣による頭への一突き。手ごたえを感じるや、素早く刃を抜き、柊子様の傍まで後退する。
怪人は膝から下を地面に残して前のめりに倒れるや、余った両手ををじたばたさせてもがき始めた。
しかし頭を貫かれて無事で済む筈が無かった。結局、足の無い怪人はその場から一歩も動けず、やがて動かなくなる。
息絶えた怪人の体が砂のような光子となって宙を舞って消えていく。
「一体何だったんだ、あれは……」
「ああ、俺のバブーンが!」
今度は何かと思って、叫び声がした方向を見てみるや、さっきの男が自らのリンクウォッチとQPドライバーを交互に見ながら取り乱していた。
将星はやや眉を寄せつつ、男の傍まで駆け寄って声を掛ける。
「おい、そこのアンタ」
「え?」
「え? じゃねぇよ。QP/だ」
まず、挨拶代わりにリンクウォッチからホログラムの警察手帳を見せる。
「さっきあんたの体から妙なモンが出てたんだが、あれは何だ?」
「何の話!? それより、俺のQPが……バブーンがいないんだ!」
「QPが……」
「いない?」
将星とセイランがお互いに顔を見合わせると、男は慌ててまくし立てた。
「さっきまでバブーンと一緒にホロ麻雀やってたのに、気付いたらこんなところにいて……そしたら一緒にいたはずのバブーンが消えてるんだ!」
「……まさか」
将星はさっきの怪人の姿を思い出し、すぐに悟った。
「あのデカブツ……まさかQPそのものだったんじゃ……?」
この時、将星はどっと背中に嫌な汗をかいていた。
もしさっき倒したのが、目の前の男が所有するQPだったとしたら――
「なあ、あんた、俺のバブーンはどうなったんだよ!」
男が将星の両肩を強く掴んで、その体を激しく揺らす。
「教えてくれよ、なあ!」
「だ……大丈夫です、多分」
呆然となりながらも、将星はどうにか正気を取り戻しつつあった。
「リンクウォッチには過去二十四時間以内のQPの組成情報がバックアップされてます。QPドライバー内を調べても見つからない場合は、リンクウォッチに残ったデータを元に復元すれば良い」
「それでも駄目だったらどうするんだよ!」
「それは……」
「そんなの、貴方の自己責任でしょう!」
いつの間にか傍まで来ていた柊子様が腰に手を当て、眉を寄せて男に叱咤する。
「あなたのQPは実体化して将星様に襲い掛かったのですよ? 将星様が貴方のQPをデリートしてしまったとしても、それは正当防衛の結果論でしかないんです!」
「あ、バカ!」
「バブーンが……デリートした?」
男がさらに蒼白になり、いままで力強く握りしめていたQPドライバーを取り落としてしまった。
柊子様め、何て余計な事を。この男はさっき、あの白い怪人の末路に関する記憶は無いと、自分の口から証言していたというのに。
「そんな……俺の、俺のバブーンが……どうしてくれるんだ、なあ!?」
「落ち着いてください! 俺にも何が何だかさっぱりで……」
「そんな言い訳を聞きたいんじゃない! 俺のバブーンをかえ――」
男の責め文句はそこで途絶えた。
いきなり痙攣したかと思えば、すぐに泡を吹いて倒れたからだ。
「なっ……!?」
「生島捜査官、無事ですか!」
こちらに駆け付けてきたのは、マシンガン型QPドライバーを専用のストラップで肩から吊り提げた主力捜査官の連中だった。近くには彼らがさっきまで乗っていた灰色のパトカーが見える。
なるほど。彼らが特殊弾でこの男を眠らせたのか。
「何で主力捜査官がここに?」
「ネリマの各所で緊急事態の発生を探知しました。長官からは、真っ先に生島捜査官のカバーに入るようにと指示を受けまして」
たしかに、将星が柊子様と一緒にいる以上は正しい判断だ。
「それ以降は生島捜査官に指示を仰ぐようにと通達を受けていますが」
「とりあえず柊子様を一旦本部まで移送してください。いまあんたらが眠らせたこの男もです」
将星が視線で地面に伸びている男を指した。
「なにやら重要な情報を握っている可能性が高い。俺の方から説明している時間は無いので、不足している分は近くで状況を見ていた柊子様から伺ってください」
「生島捜査官はこれからどうしますか?」
「さっきネリマの各所で緊急事態がって言ってたでしょう」
将星はビルを縫うようにして頭上に姿を現した、大きな白い鷲を見上げる。
「市民の避難誘導とその護衛に付きます。俺の<フロンティア>はそれに向いている」
「了解です」
「将星様っ」
柊子様が潤んだ瞳でこちらを見つめながら言った。
「その……私は……」
「俺の事なら心配は要らない」
将星は左のグリップ型を再びシールドで覆い、右手に銃型をしっかりと握り込んだ。
「だからちょっとだけ待っててくれ、柊子」
「……はい」
状況にそぐわぬ穏やかな笑みに見送られ、将星は白い鷲のもとへ駆け出した。
【Bパート】
広々としていた本部のモニタールームも、いまや職員が忙しく往来する狭き情報戦の戦場と化していた。
由香里は中央の大型モニターの前で困惑する。
「何なのよ、これは……何なのよ、あの白い奴は!」
「多分、QPが変貌して実体化した姿だと思う」
情報官の初島文彦が後ろで控えめに言った。
「あれにはQPが搭載しているバトルコードと所有者の個人情報が記載されている。でも、肝心の自我や記憶、心に関するプログラムが無い」
「つまり、あれは魂を抜かれた人間の体と似たようなもんだね」
文彦の隣にいた千草が呑気に言った。
「だったら破壊しちゃっても良くない? QPだったら魂さえあれば体を後から復元すれば良いだけの話だし?」
「そうね。詳細は後から調べれば済むだけの話だし」
思いの外重要な情報を得られた事で、由香里の心にも幾分かのゆとりが生まれた。
「被害が起きているのがネリマ一帯だけなら、まずはネリマ全域から一般市民を他の区域に避難させないとね」
「白い化け物は誰が駆除すんの?」
「それならノンプロブレムよ。ここには非番の上級捜査官がゴロゴロしてるわ」
とは言うものの、ここには雄大と芳一しか戦闘において頼れる捜査官がいない。
最悪、自分が出撃するという手もあるが――
「とにかく今回は個の力より数の力よ。今日の花形は主力捜査官で決定ね」
まずは市民の安全を確保しない事には先に進まない。
由香里は早速、主力捜査官の監督責任者に電話を繋いだ。
●
松陰中学校のメイド喫茶に突如として出現した白い怪人は、既に付近の客を何人か殴り倒していた。
雪見はグリップ型のQPドライバーの先端から九尾の尻尾みたいな九本のブレードを伸ばし、じりじりとにじり寄ってくる正体不明の勢力とにらめっこしていた。
「こいつ……!」
「何をしているの! 早く攻撃しないと!」
「分かってる! でもっ……」
グレイスに急かされると、雪見はこの家庭科室全体の様子をざっくりと見渡した。
怪人の周辺で血を流して倒れている男女が三人、いまは無事だが腰を抜かしてその場にへたり込む他校の生徒達と社会人の客が数人、同じ体たらくに陥った当店のメイドが四人。
「この状況でグレイスのブレードを振り回したりなんかしたら……!」
「グオォアアァァアアアアォオ!」
怪人がしびれを切らしたらしく、鋭い牙と爪を覗かせてこちらに一足飛びで襲いかかってきた。
「くそっ……!」
「うりぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!」
怪人の咆哮よりも甲高い叫びを響かせ、星乃が家庭科室の扉を蹴破ってエントリーして、右手のグリップ型のQPドライバーから大きな黄色い刃を振りかざした。
星乃の斬撃が一閃。怪人型があっさり真横に吹っ飛び、窓ガラスを突き破って外に叩き出される。
「星乃!」
「ゆっきー、無事!?」
「なんとか」
「怪我人は何処だオラァ!」
チンピラみたいな怒声を発し、今度は平津浩二がマシンガン型QPドライバーを片手に突入してきた。そういえば、浩二はQP/の主力捜査官になったんだったか。
「平津君、そこの人達の手当てを!」
「お、おう!」
浩二は頭から血を流して倒れている客の介抱を始めようとするが、すぐに何かを考え直したらしい、リンクウォッチの通話機能で何処かに電話を繋ぎ始めた。おそらく、救急車かQP/の仲間あたりでも呼んでいるのだろう。
一通りの連絡を済ますと、浩二が多少慌てつつも報告してくる。
「いまここの職員に救護の手伝いを頼んだ。あと、俺の仲間が救急車を引き連れてくる。怪我人の事はとりあえず大丈夫だ」
「じゃあ、後は……」
雪見は窓の向こう側でのろのろと起き上がる怪人を見遣る。
「星乃。とりあえず、私とお前であいつをやっつけよう」
「よっしゃ」
「お楽しみは俺からだ」
本職らしく、浩二が先頭に立ってマシンガンを構えた。
「二人ならあいつをヤれんだろ。俺が奴の動きを止めるから、その間に奴を確実にファックしろ!」
「ふぁ……なんだって?」
「星乃よ、細かい事は気にするな。要するに、ブチのめせって事だ」
星乃に汚いスラングはまだ早い。
浩二は二人の準備が整うのを見届けると、窓の傍まで近寄り、立ち上がったばかりの怪人に狙いを定める。
発砲。銃弾の嵐が怪人を包み込む。
「よし、いけ!」
浩二の合図に従い、まずは星乃が先行。窓枠を軽々と飛び越え、相手の側面に回る。
怪人は腕で顔を覆って銃弾を防いでいる。視界が満足に確保できないどころか、さっきの星乃の不意打ちによるダメージもあってか身動きが取れない様子だ。
星乃が敵の真横から縦に黄色い刃を一閃。怪人が横にぐらついた。
「ゆっきー!」
「グレイス、いけ!」
「ええ!」
雪見がQPドライバーを突き出すと、白い九本のブレードが一斉に伸び、窓を越えて怪人の五体をまんべんなく串刺しにしてみせた。
怪人の体が砂の城みたいに崩落する。撃破に成功したのだ。
「よし!」
「ゆっきー、後ろ!」
「え?」
星乃に警告されなければ気付かなかった。
家庭科室の入り口から、さっきとはまた違う形の白い怪人が入ってきたのだ。
「せっかく一体ファックしたばかりなのに」
「く……来るなぁああっ!」
新たな怪人が歩を進めようとしている先に居たのは、涙目で尻餅をついている小学生くらいの子供だった。年が年だけに何が楽しくてさっきまでメイド喫茶だった場所にその子供が来たのかは分からないが、いまの彼はどうやら付き添いの人間がいないらしい。
雪見は少年と怪人の間に割って入ると、グレイスに鋭く指示を飛ばした。
「グレイス! パーソナルコードを!」
「了解!」
グレイスが応じるや、すぐに白い刃がほんのりと水色の燐光に包まれる。
「いけ!」
雪見の合図に応じ、九本の刃が怪人の五体に触れる。
すると怪人の体に霜が乗り、そこからみるみるうちに薄い氷の膜が張られ、最終的には全身が分厚い氷に覆われる。
これがグレイスの固有技、その名も<アブソリュート・ゼロ>。QPに関わる機能を持つ全ての物体を一定時間だけ完全に凍結させる能力だ。マテリアライザー発動時は上記の能力に加え、相手が何であろうとこうして氷結させる追加効果を得る。
「星乃、やれ!」
「ふぁっく!」
口汚い気勢からの兜割りにより、怪人が一撃で崩壊する。
雪見はやや微妙な気分で星乃に指摘する。
「……星乃。女の子がファックとか言っちゃいけません」
「え? 駄目なの?」
「ていうか平津テメーコノヤロー。星乃がいる前で何て事を……」
「え? 俺のせい!?」
「まったく……揃いも揃って」
星乃にしたって浩二にしたって、もう少し緊張感は持った方が良いと思う。
雪見は肩を竦めると、たったいま護った少年に振り返り、しゃがみ込んで訊ねた。
「少年、大丈夫だったかい?」
「う……うん」
「そうか。君、ご両親は近くにいないのかい? あとは……そう、友達とか」
「今日は友達と来たんだけど、いつの間にかどっかにいなくなっちゃって……」
「そうかそうか。ところで、君の名前を聞いても良いかね」
いまにも泣き出しそうな少年の心を落ち着かせるには、とりあえずこちらが平静を装って接してやる必要がある。
最初はただ、そんな気楽な考えだった。
「新條……宗二」
「ほうほう、宗二君か――え? 新條?」
雪見は聞き覚えのあるその苗字に、ある人の顔を重ねてしまった。
「……宗二君とやら。もう一つだけ質問だ」
「な……何?」
「君のお母さんの名前、もしかして新條由香里というのではないかね?」
「そうだけど……お母さんを知ってるの?」
「知ってる。そして私の勘違いでなければ、その人はQP/の長官だ。違うかね?」
「そう……だけど」
「マジかよ!」
傍で聞いていた浩二が大げさに唸った。
「このガキ、長官の息子さんなん!?」
「嘘ぉ!?」
部下の浩二はともかくとして星乃まで驚いている。まあ、三人揃って由香里とは面識があるので、驚くなという方が無理な話ではあるが。
「……こりゃちょっと大変な話になってきたな」
雪見がぼやいた頃には、学校の教職員達がぞろぞろと家庭科室内に立ち入り、怪我人の介抱や客の避難などに取り掛かっていた。
雄大と芳一への指示に加え、主力捜査官の運用に手を焼いている由香里のもとに、一本の電話が掛かってきた。
誰だこんな時に――思わず舌打ちしそうになり、リンクウォッチに表示された発信者の名前を見た時、由香里はあまりにも予想外な相手に思わず唸ってしまった。
「……もしもし?」
『どーも、ごぶサターン。ゆっきーです』
「あなたいま無事……で良かったわ。かなり落ち着いてるもの」
『ついでに言うなら長官さんの息子さんも無事です』
「え?」
『うちのメイド喫茶でお迎えしていたご主人様達の中に新條宗二君を見つけまして。例の怪人に襲われていたんで助けておきました』
「何ですって……?」
これまた予想の斜め上を行く報告だった。
「あなた達はいま松陰中にいるのね? でも私はいまここから動けないの。平津君が主力捜査官の増援をそっちに呼んでる筈だから、しばらくそこから動かないで――」
『申し訳無いですが、こっちもそう長居はしていられないみたいです』
通話の真っ最中に、雪見はこめかみに冷や汗を垂らした。
窓の外から、何体もの怪人が一斉に家庭科室に乗り込んできたのだ。
「何か、いっぱい来ちゃいました」
『何ですって!?』
「しかも私達――ていうか宗二君に熱い視線を注いでいる。どういう事情かは知りませんが、狙いは十中八九宗二君でしょう」
『宗二が狙われている……? 何で!』
「さあ? 何にせよ、ここで待つっていう方策はもう使えなくなりました。長官さんが動けないなら、敵勢を突破して私が宗二君をQP/の本部まで送り届けます」
『ちょっと待って! 無茶よ!』
「さらば」
ぶちっと通話を切り、雪見は再び九本のブレードを構えた。
「……! 雪見ちゃん、雪見ちゃん!」
通話を切られ、由香里はさらに焦燥に駆られた。
雪見の話を信じるなら、いま彼女に発信しても応じてはくれない。おそらく、いまこの瞬間もあの怪人が群れを成して彼女と宗二を襲っているに違いない。
由香里はすぐに、将星に専用の回線で通信を繋ごうとする。だが、いくらトライしても彼は全く応じてくれなかった。
「っ! 何で将星君が出ないのよ!」
「普通に戦ってる最中なんじゃね?」
千草がこれまた呑気に言った。
「柊子様と、他一名の民間人を乗せた車がもうすぐここに到着するんだと。彼の詳しい動向だったら柊子様に聞いた方が早いよ」
「そんな事はどうでもいい!」
由香里はとうとう自暴自棄になった。
「こうなったら、私が直接松陰中に――」
「ここを離れたら、誰が指揮官やんの?」
千草の指摘は正論だった。
「あたしと初島君にそんな能力は無いよ?」
「でも、このままじゃ宗二と雪見ちゃんが……!」
「多分、大丈夫」
文彦が弱弱しくも、どこか確信的な口調で告げる。
「白沢雪見のQP……グレイスの能力はQP/の上級捜査官仕様のQP以上。だから、グレイスの頑張りを信じるしか無い……と思う」
「…………」
彼の言う通りだ。グレイスの運用を守備中心に傾ければ、少なくとも人命の一つは確実に護られる。
だが、宗二を護る為に恐怖に晒される雪見は、この先一体どうなるのだろう?
「どうすれば良いの……私は……!」
グレイスとは幼少期から長い付き合いだが、ここまで鬼神じみた戦いを繰り広げる彼女の姿はこれまで一回たりとも目にした事は無かった。
九本のブレードがそれぞれ別方向へ伸び、前方と左右から襲い掛かってきた怪人の心臓を串刺しにする。
敵の一体が背後に回り込んできた。すると、たったいま敵を刺したばかりのブレードがさらに伸び、稲妻のようにジグザクな軌道で雪見の背面に回り込み、いましがた殴りかかろうとしてきたその敵を一撃で真っ二つにする。
圧倒的だ。向かってくる敵の悉くがグレイスの刃の錆と化している。
しかも、九本のブレードだけでは対処しきれない相手も、浩二と星乃がしっかりとカバーしてくれている。
おかげさまで、都合二十体もの怪人を殲滅し、校門の近くまで辿り着けた。
「ふぅ……この調子、この調子」
「こんなに本気を出したのは星乃さんとのQPバトル以来ね」
一番の功労者であるグレイスがひと息ついた。
「それにしても、何であの怪人達があんなに沢山こっちに乗り込んできたのやら」
「分からない。でも、校舎から離れたのは正解だったかも」
もしあの怪人達がこちらを狙い撃ちしていると仮定するなら、校舎に長居していたら他の人達が巻き添えを喰っていたかもしれない。どのみち、行動の選択自体は誤っていない筈だ。
浩二がいつになく真面目な面持ちで促す。
「とりあえず、先を急ごう」
「だね」
彼らがさらに踏み出した、その時だった。
雪見のつま先の手前に、黒い線が彫り込まれたのだ。
「!?」
「悪いな。ここから先は通行止めだ」
校門の手前に現れたそいつは、逆立つ赤い髪を蓄えた、自分達とさほど年の変わらない少年だった。
何故だろう。全く知らない人物の筈なのに、何故か彼の外観に妙な既視感を覚えている。
「……へいへい兄ちゃん。私達はいま急いでいるんだ。道を開けたまえよ」
「驚いたな。いまの挨拶で驚かないんだ」
「こう見えて度胸だけは一人前なんだ。貧乳ナメんなよコラ」
「君のスリーサイズについては聞いて無いんだけどな……」
赤髪の少年が苦笑いする。
「まあいいや。初めまして。僕は空井春樹。よろしくね、白沢雪見さん」
「何で私の名前を知っている?」
「んな事より、何でてめぇがこんなトコにいやがる!」
浩二がマシンガンの銃口を突き出して吠えた。
「ここは国際指名手配犯がのこのこ遊びに来て良い場所じゃねぇんだよ!」
「国際……指名手配?」
たったいま飛び出した異様な情報に、雪見はさらに目を丸くした。
「……何だ。誰かと思ったら、結構な有名人じゃないか」
すぐに思い出すと、雪見は思わず薄ら笑いを浮かべる。
彼は未成年でもあるに関わらず、少し前のイブニングニュースで顔写真まで公開され、ご婦人方の話題にも上がっていた。
「こいつが……花香ちゃんのド腐れ玉無しブタ兄貴か」
空井春樹。かつて東京タワーで電波ジャックを目論み、将星と死闘を繰り広げた挙句まんまと逃げ果せた危険人物。
そして、空井花香にとっての、唯一の肉親だ。
「ド腐れはともかく、玉無しは酷いな」
春樹が不本意そうな顔をする。
「まあいいや。とにかく、足元の線を越えないで――え?」
彼の警告を全く聞く気が無かったらしい、星乃があっさりと雪見の手前に刻まれた線を越え、春樹の目前まで肉薄し、黄色い<ブレード>を力強く振り下ろした。
「おっと……!」
春樹は笑みを消し、グリップ型のQPドライバーから赤い<ブレード>を伸ばして、星乃の斬撃をあっさりと受け太刀する。
「……これはまた威勢の良い子が飛んできたね」
「ゆっきーは先に行って!」
春樹の茶々に取り合わず、星乃が叫んだ。
「こいつはあたしが足止めする!」
「星乃、止せ! そいつは本気でヤバい!」
「大丈夫!」
刃を払い、すかさず<ブレード>での連続攻撃。春樹は反撃する事も無く、ただ自らの得物で星乃の太刀捌きを受け流しているだけだった。
「せいっ!」
星乃がさらにもう一撃。<ブレード>の切っ先が春樹のQPドライバーの出力端子を引っ掻いて破損させ、彼の<ブレード>を引っ込ませる。
これにはさしもの春樹も目を丸くする。
「へえ? やるじゃん」
「まだだ!」
右腕を狙った追撃の一閃。これは春樹もまともに取り合わず、後ろに飛んで刃の軌跡から逃れる。
彼はやれやれと大仰に肩を竦めた。
「ああ、QPドライバーが壊れちゃった。どうしよ」
「所詮は普段用の端末さ」
春樹の顔の横に、突如として赤い小人型のQPが現れる。
椿の花びらをマフラーみたいに巻いたその姿は、なんとなく花香のQP・アイリスの格好と似通っていた。
「もう一個、新型のQPドライバーがあるんだろう?」
「そうだな。ツバキ、ドライブコンバートだ」
春樹が腰の後ろから朱色を基調とした剣の柄みたいな物体を取り出すと、ツバキと呼ばれた赤いQPがその柄の中に潜り込む。
すると、その先端から、薄紅色の刃が伸ばされた。
「さーて? たしか君は宇田川星乃ちゃんだっけ?」
「さっきもそうだけど、何であたしとゆっきーの名前を知ってるの?」
「生島将星の関係者の顔と名前は大体覚えてる。なるほど、君達みたいな度胸のある女の子が友達にいるのか。どうりで彼自身も強い訳だ」
「将星はあたしなんかよりずっと凄い奴だよ」
「知ってるよ。一度は俺に勝った男だ。認めるしかないでしょ」
「あっそ」
これについては星乃にとって当たり前の問答だったようだ。
星乃は力強く駆け出すと、再び春樹と激しく斬り結ぶ。
「雪見、いまがチャンスよ」
グレイスが刃の姿のまま告げてくる。
「彼には星乃さんをどうこうする気が無いように見える。だから、この間に早くここから抜け出すの」
「でもっ……」
「大丈夫だ、俺もついてる」
浩二が冷や汗を垂らしつつ言った。
「早く行け。星乃ちゃんには指一本触れさせやしない」
「……分かった」
雪見は再び腹を括った。
何が何でも、宗二を絶対親の元へ送り届けてみせる。
「宗二君、こっち!」
「うんっ」
雪見は宗二の手を引いて、校門の外へ飛び出した。
「おりゃあ、せいや、そいや!」
一撃、二撃、三撃と太刀を振るも、春樹の体にはかすりもしない。
しかも彼は未だに余裕を保っている。突き崩すのは非常に難しい。
「星乃ちゃん、横に飛べ!」
「!」
後ろから飛ばされた浩二の指示に体が反射的に応じ、星乃は連続斬りを中断して横に飛ぶ。
一瞬遅れて、後方の浩二のマシンガンから幾千もの銃弾が吐き出される。
「<シールド>」
<ブレード>が消え、春樹の目の前に赤い水晶の壁が現れ、銃弾を全て弾き飛ばす。
浩二がマシンガンの銃口を上げて毒づいた。
「くそ! 駄目か!」
「邪魔だよ、君」
春樹が目を細め、<シールド>を消す。
何故だろう。いまから何が始まるのかは不明だけど、春樹のQPドライバーの出力端子から浩二の頸動脈付近の間までに、何とも言い難いような違和感を感じる。
これは――危険だ。
「平津君!」
星乃は身を翻し、跳躍して浩二の胸倉を掴み、勢いのままに彼を違和感の領域から押し出した。
すると、星乃のブラウスの肩に、小さな切れ込みが刻まれる。
「……!」
そして、浩二と一緒に地面に倒れ込んだ。
星乃はすかさず身を起こすと、豆鉄砲を喰らった鳩みたいな顔で立ち尽くしている春樹と再び対峙する。
「コメット、いまのは?」
「あいつのQPのパーソナルコードだと思う」
「くそったれ、あれが報告にあったツバキの能力か」
浩二がまたぞろ毒づいた。
「良く聞け。あいつはQPドライバーの先端から、二○○ナノメートルを下回る光線波を出してやがる。さっきの攻撃は、その上を小さな<ブレード>が走って起きた見えない斬撃。現状、生島とセイランにしか視認出来ない技だ」
「良く分からん!」
理解を放棄し、星乃が再び春樹の懐に潜り込む。最大速度による横一閃の斬撃。しかし、春樹はもはや受け太刀する事もなく、一歩後ろにずれるだけで刃の切っ先から逃れる。
「くそ……!」
「残念だけど、もう遊んでいられる余裕は無くなった」
春樹の目からは、既に余裕を感じさせる何もかもが消えていた。
「いくよ」
ここから春樹の動きが一変した。
下から救い上げるような一閃が星乃の額を狙う。星乃は身を捻って直撃を避け、膂力を総動員して後ろに下がる。
春樹が星乃の懐まで肉薄し、手元も見えないような太刀捌きが連続する。星乃はその全てを最大の集中力を用いて受け太刀して凌ぐが、それでも彼の猛攻は留まるところを知らなかった。
春樹の剛腕が唸り、頭上からの斜め一閃が下り、星乃の<ブレード>に直撃する。
鋭く、そして重い。まるで、素手をバットで殴られたみたいな衝撃だ。
「平津君!」
「くたばりやがれ!」
星乃が離脱し、相手の斜め後方に回り込んだ浩二の支援射撃が怒涛の如く炸裂する。春樹が<シールド>を展開して弾丸を凌ぐと、引き金を引きっぱなしにしていた浩二がセレクターを親指で跳ね上げる。
すると、春樹の盾に亀裂が入り、破裂した。
「これはっ……」
「やあああああああああああああっ!」
既に肉薄していた星乃による兜割り。<シールド>を割られて丸腰になっていた春樹には、もうこの一撃を防御する手立ては残されていない。
「……っ!?」
しかし、目の前からは春樹の姿が消えていた。
気付けば、彼はいま、星乃の真横で刃を振り下ろしている真っ最中だった。
「うそっ……!」
星乃はこの時、本能的に自らの死を悟った。
反応はしていた。だが、受け太刀しようとしても、その動作に自分の体が追いつかない。
終わった――星乃は目を限界まで見開きつつ、ただ横から迫る春樹の凶刃を眺めていた。
「――おい」
しかし、星乃は死ななかった。本来だったら自分の頭蓋を裂いている筈だった薄紅色の刃を呆然と見上げている。
いや、春樹の<ブレード>だけではない。
彼の刃と交差する形で、水色の刃がその軌道をしっかりと阻んでいるのだ。
「お前ら、ここで何してんの?」
水色の刃の主は、星乃を挟む形で春樹の向かいに立っていた。
着用している上級捜査官の制服は薄手で袖が無い夏仕様、両手には指抜きの黒いグローブ型、太腿に撒きつけたホルスターには一丁ずつの銃型QPドライバーが収まっている。
生島将星は、右手のグリップ型をさらに強く握り込み、先端の出力端子から伸ばした水色の<ブレード>を微かに震わせた。
「ちょっとおイタが過ぎたな。お仕置きタイムだ、空井春樹」
「待っていたよ、生島将星君」
春樹は特に驚きもせずに、むしろ心底楽しそうに笑っていた。
●
「対象は現在、こちらに繋がる最短ルートを直進中」
「そのまま捕捉して。付近の主力捜査官は引き続き市民の避難誘導を」
「しかし、このままでは対象が……」
「大丈夫」
由香里はモニターに映る赤いビーコンをひたすら睨み上げていた。
「大丈夫……絶対に、大丈夫」
「とてもそう思っているようなツラには見えんがな」
茶々を入れるように指摘してきたのは、たったいまこのモニタールームに入ってきた主力捜査官の監督責任者、田辺隆義だった。
どんと目立つ太鼓腹を張り、田辺は顎で出入り口を指し示した。
「行ってこい。いまのお前さんじゃ、まともに俺の部下を使いこなせないだろう」
「でも私にはここの中枢を担う責任が――」
「ここじゃあお前さんの代わりはいくらでもいる」
田辺はずいっと由香里の前に立つ。
「でも、親に代わりなんていやしねぇんだ。分かるだろ、それぐらい」
「…………」
「だからとっとと行って来い。部隊の指揮は俺がやる」
「ぼ……僕もその方が良いと思う!」
後ろに控えていた文彦が珍しくはっきりと意見する。
「その……やっぱり、宗二君の護衛はグレイスだけじゃキツいと思うから……」
「ありがとう、初島君、田辺さん」
由香里はようやく腹を括り、踵を返してモニタールームから退出した。
「本当に良かったの?」
いままで黙っていた千草がつまんなさそうに言った。
「明らかに私情を挟んでいるようにしか見えないんだけど」
「お前さんには一生分かんないだろうさ」
千草の性分を知りつつ、田辺は皮肉を吐き捨てた。
「甘道。お前にはいまから例の怪人共の弱点を割り出してもらう。人の痛いところを突くのは得意だろ?」
「はいはい」
「初島。お前のグロウに偵察を頼みたい。奴らと接触させて、可能な限り多くのデータを掠め盗れ」
「了解」
千草と文彦はそれぞれデザインが違うタブレット型QPドライバーを取り出し、各々の作業を開始した。
QPドライバーの保管庫の最奥部、本来だったら決して開かれる事の無い扉の鍵を、由香里は三年ぶりに開錠した。
扉の奥の薄暗い空間の奥に鎮座するカプセルの前まで歩み寄り、手前のコンパネを操作し、カプセルの中身を開く。
入っていたのは、夜叉を彷彿とさせる銀色の仮面だった。
「……宗二、雪見ちゃん」
戦う以外に脳が無いというコンプレックスを、自分はこの仮面に押し付け、そしてこんな大仰な保管庫の奥へと封印した。
戦う以外に、自分に出来る事を探したかったからだ。
でも、田辺からは「お前の代わりはいくらでもいる」と言われてしまった。
結局、自分はただ喧嘩が強いだけの役立たずだ。
でも。
「いま助けるから、少しだけ待ってて」
いまはそんなコンプレックスが愛おしい。
由香里は意を決し、仮面型QPドライバーを顔に装着した。
●
将星が接触している刃を払うと、春樹が片足でけんけんして後退する。
星乃は思わず、彼に向かって控えめに手を伸ばした。
「将せ――」
「オイ、平津!」
こちらが呼びかけようとしているのを無視して、将星はまず、こちらから少々離れた位置でマシンガンを構えて呆然としている浩二に呼びかけた。
「何で星乃が野郎と戦ってんだ! 一般人の避難一つできやしねぇのか、てめぇは!」
「うるせぇ! そっちこそ、いまはそれどころじゃねぇってのが分からねぇのか!」
「言い訳すんじゃねぇ! てめぇの仕事は市民様の安全を守る事だろうが! 話は長官から聞いた、とりあえずてめぇはとっとと雪見の所へ急げ! 星乃は俺が面倒を見る」
「りょ、了解」
「今度こそ役に立てよ?」
「わーってるよ、うっせぇな!」
浩二は喚きながらも指示に従い、校門の向こう側に飛び出した。
次に、将星は春樹を睨みながら星乃をやんわりと背後に押しのける。
「お前は少し下がってろ」
「ま……まだやれるし!」
「いいや、こいつとは一対一でケリをつけないと気が済まねぇ」
極めて冷静な声音で告げると、将星はさらに前に出て、左腰のQPドライバーを抜き放つ。
両手に握っているのはそれぞれグリップ型だが、右の先端からは水色の刃が伸び、左にはドライバーを中心とした水色の大きな水晶の盾が展開される。まるで中世の騎士みたいな出で立ちだった。
「何のつもりか知らないが、よくも星乃に手を上げてくれたな」
「誤解だよ――と言って聞くタマじゃないね、君は」
「俺がもの分かりの悪い奴に見えるなら上等だよ。悪人風情から説得されるような隙を作ったら、市民様のシールド、おまわりさんとしては致命的だからな」
「殊勝な仕事観だこと」
春樹はふっと笑い、地を蹴った。
次の瞬きを終えた時、二人は既に刃を重ねていた。
「いくぞ、セイラン!」
「ういー」
将星とセイランのやり取りが、戦闘開始の宣言となる。
擦れ合っていた刃が離れ、再び打ち鳴らされ、幾多もの軌跡と交差を描く。
動きは春樹の方が圧倒的に速い。それでも、将星は左の<シールド>で巧みに相手の刃を凌ぎ、右の<ブレード>でしっかり反撃に転じていた。
身体能力と戦闘能力の差を、<フロンティア>が見事にカバーしている形だ。
「<バウンサー>!」
将星が<シールド>に反発力を持たせるオプションコードを起動させ、春樹の体をスーパーボールみたいに遠くへ弾き出す。
すかさず右のグリップ型を仕舞い、
「<シフト・シューター>!」
掌から水色のリングを発生させ、中央からいくつものシャボン玉を宙へ飛ばす。三秒経った時点で、指折り数えるのを諦めるような数にまで増えている。
頭上を覆い尽くすシャボン玉の中に、それぞれ青い光の粒が三つだけ生成される。
これがセイランのパーソナルコード、<バブルブリンガー>だ。
「セイラン、やれ!」
「ふぁいあー」
手近なシャボン玉が三つ破裂して、封入された青い光の弾丸が三発ずつ、都合九発が射出される。弾丸は春樹を狙って歪曲した起動で飛び、急に下へ沈み込んで彼の足元に着弾、炸裂した弾丸から濃い灰色の煙が広がった。
将星が右太腿の銃型を抜き、すぐさま発砲、連射。煙幕の中に弾丸を叩き込む。
普通ならその時点で終わりの筈だったが――いつの間にか、春樹は将星の右側に回り込んで得物を振りかぶっていた。
春樹の一閃。しかし、将星は最初から読んでいたかのように身を引いてかわし、銃口を春樹の顎にポイントする。
発砲。だが、春樹は身を横にずらして回避し、目にも止まらぬ鋭い回し蹴りを将星の横っ面に見舞った。
「ぐっ……!?」
思いっきり蹴りを貰った将星は勢いのままによろめいて後ろに下がり、どうにか持ち直して盾を構え直すが、続いて春樹の剛腕から飛んできた斬撃一閃によってさらに吹っ飛ばされ、背中から地面に転げ落ちて大の字になる。
最初から思っていたが、やはり空井春樹は強過ぎる。至近距離で銃撃に即応して反撃まで仕掛ける反射神経と体捌きは既に人間離れしているとしか思えない。
しかも、さっきの斬撃を防いだ将星の盾にも亀裂が入っている。腕力も異常だ。
「この野郎……!」
将星は起き上がり、右手の武装を再びグリップ型に切り替える。
「なあ、セイラン。あいつってあんなに強かったっけ?」
「東京タワーの時は手加減されてたのかも」
「だよなぁ……」
将星が場違いにも小さく笑い始めた。
「<シフト・バランサー>」
万能型のモードを起動させ、右のグリップ型から再び水色の刃が伸びる。
すると、未だに頭上で呑気に浮いていたシャボン玉が一個ずつランダムに破裂。春樹を狙って撃ち下ろされた弾丸が、次々と爆ぜては地面を黒く焦がす。
春樹は飛んできた弾丸を全て走って避けながら将星に再び肉薄、最初と同じような近接格闘に持ち込んでみせた。
それでもさっきまでとは条件が違う。いまは<バブルブリンガー>による支援射撃が加えられているので、今回は将星の方が若干有利に見える。
だが、それだけで春樹の優位は覆らない。頭上から降りかかる弾丸を避けながらでも、彼は将星を手数と腕力による重量で圧倒し続けていた。
春樹が再び大振りの横一閃。ついに、将星の左の盾が破壊されてしまった。
「盾がっ……!?」
「デッドエンドだ」
春樹が呟き、返す刀で将星の胸板を狙った斬撃を繰り出す。
将星はかろうじて反応し、右の<ブレード>で凶刃を受け止めようとするが、春樹の<ブレード>の威力には勝てなかったらしい、今度は右の<ブレード>が全壊する。
「ふんっ」
鼻を鳴らし、春樹がQPドライバーを逆手に持ち替え、将星の顎に真っ直ぐ柄頭を叩き込んだ。
将星の首が思いっきり後ろに反れ、たたらを踏んで後ろに倒れ込む。
すかさず、春樹の刃の切っ先が将星の喉元に突き付けられる。
「っ……」
「終わりだ」
春樹が息を切らして告げる。さしもの彼も相当体力を消耗しているようだ。
「久しぶりに本気を出せた……最近持て余していたんだ、色々と」
「将星!」
とうとう見ていられなくなり、星乃は立ち上がって、自らが握るグリップ型の先端から再び<ブレード>を伸ばした。
「いま助けるから!」
「やめろ、星乃!」
「そうそう。短気は損気だから」
春樹が面持ちを穏やかに崩した時、星乃はようやく気がついた。
彼の<ブレード>が消え、自分の<ブレード>の真ん中に例の違和感が重なっている事に。
次の瞬間、星乃の<ブレード>もバラバラに砕け散った。
「しまったっ……!」
「星乃!」
「君もストップだ」
再び春樹のグリップ型から<ブレード>が伸ばされ、立ち上がろうとした将星の首筋に切っ先が添えられる。
「さあ、このまま殺してしまうか、それとも次の成長に期待して放逐しておくか。俺としては後者を選びたいけど……でも、うちの指揮官がなぁ……」
「指揮官だと……? この騒ぎはお前が起こしたんじゃ……?」
「んな訳無いじゃん。俺はただ、とあるバカが担いだ神輿に相乗りしただけさ」
春樹はどういうつもりか、<ブレード>の切っ先を将星の首から引いた。
「さて、ラウンド2の開始と行こうか。お互い消化不良だろう?」
「ならば、私がその相手を務めよう!」
「何?」
空から高らかに降りかかった声に、春樹の耳が微かに動いた。
声の主は地上百メートルの高度から、トリコロールカラーのパラシュートを開いてこちらに真っ直ぐ降下している。
「……あれは」
「嘘だろ……?」
春樹と将星、そして星乃も瞠目した。
白いヘルメットと白いライダースーツの各所をメタリックレッドの装飾が彩るその格好を見紛う人間は、このネリマに住んでいる人なら知らない者はいない。
そう、彼の名は――
「「全ての悪よ、あまねく正義よ。私が来たからには、この騒がしい一時にささやかな休息をくれてやろう」
ふわりと地に降り立った全身白スーツの変態は、将星にとっては非常に馴染みのある男だった。
彼は全身を使った無駄なポーズを決めて名乗りを上げる。
「SHOW MUST GO ON!
MY NAME IS、I・HERO☆ラパウザーマン!」
奴こそが、ネリマを中心に活動し、幾多もの悪を単身で裁く最強のヒーロー。
そして、将星の友人の一人だ。
「もがー! なんじゃこりゃー!」
将星の拍子抜けに更なる拍車がかかる。ラパウザーマンが背中に引き連れていたパラシュートが、後ろにいた星乃の全身に覆いかぶさっていたのだ。
星乃が必死にパラシュートの傘から抜け出し、犬のようにぶるぶると頭を振った。
「ぷっは! こらー! パラシュートで着地するんならもうちょっと気を使えー!」
「おっと、これは失敬」
登場早々、ラパウザーマンが尊大な態度で謝罪する。
「ところで将星君。君はいつまでそこで寝ているつもりかね?」
「そりゃそうだ」
思わず笑みがこぼれ、将星は何事も無かったかのように立ち上がった。
春樹が頭痛を催したように片手で頭を覆った。
「……生島君。君はもう少しだけ自分の交友関係を見直した方が良いと思う」
「お前に言われたか無いんだよ」
「そりゃそうか」
あっさり納得して、春樹は将星の首を目がけて横一文字の一太刀を振るう。
「うおっ!? あっぶね!」
あまりにも無造作だったので反応が遅れたが、どうにかギリギリで後ろに下がって回避に成功する。
春樹がラパウザーマンを睨み据えて言った。
「君をここまで足止めした時点で俺の仕事は終わった。どうせ暇だし、せっかくだから俺と遊んで行こうよ、ラパウザーマン」
「なるほど、全ては掌の上という訳か」
どうやら事情のほとんどを察しているらしい、ラパウザーマンが大仰に頷いた。
「将星君。君はこんなところで油を売ってる場合じゃない筈だ。彼の相手は私がするから、君はさっさとこの乱痴気騒ぎを片付けたまえ」
「気を付けろ、そいつは本気で強いぞ!」
「安心しろ。私は無敵だ」
ラパウザーマンは不敵に言い放つや、腰のグリップ型QPドライバーを抜き、先端から赤色の刃を伸ばして剣尖を払った。
「さあ、ショータイムだ!」
ヒーローの号令が開戦の合図となり、二人は同時に駆け出し、それぞれの刃を激しく振るって斬り結ぶ。
傍から見て気付いたが、春樹も春樹なら、ラパウザーマンもラパウザーマンだ。
とにかく、お互い速力が半端ではない。剣の先を肉眼では追い切れない。加えて、それぞれの体捌きも自分なんかと比べたら一回りも二回りも上だ。もはや達人級と言っても良い。
戦闘能力は全くの互角。
あの二人は、本当に強い。
「なんて奴らだ……全く手元が見えない」
「将星!」
こちらが呆然としていると、星乃が焦って駆け寄って来た。
「早くゆっきーを追わないと!」
「そうだった……!」
いまは達人同士の戦闘に見惚れている場合ではない。
「セイラン、グレイスの現在位置は!」
「ここと駅前の中間地点から全く動いてない。多数のQP反応に囲まれてる!」
「奴らめ、雪見をリンチするつもりか!」
「急ごう!」
星乃が先に駆け出し、将星を急かしてくる。
「待て星乃、お前は学校にいろ!」
「やだ! ゆっきーを見捨てておけないし!」
「っ……しゃあねぇ! お前も本部まで連れて行く!」
少なくとも星乃だったら道中は足手纏いにならない。連れて行ってもなんら問題は無い筈だ。
将星はラパウザーマンと春樹の戦闘を背に、星乃の背中を追いかけた。
この時、将星はふとした不安に駆られた。
自分が手も足も出なかった春樹ですら、この事件においては末端の存在らしい。
なら、もしこの騒ぎを仕掛けた張本人と出くわした時、果たして自分はそいつに勝てるだろうか――いや、そいつを相手に生き残れるのだろうか。
そう考えてしまうくらいには、将星は自らの弱さを悔いていた。
●
エリア・ネリマで一番大きい総合病院の個室にて、丸井坂慎之介は病床の上の人物を再び頭の上からつま先まで見てから言った。
「……いま、この近くで騒ぎが起こってるってさ」
「…………」
彼女はある日を境に完全なる抜け殻となっていた。その日に彼女を道端で発見したパトロール中の警官の証言はこうだ。
彼女は当時、まるで夢遊病患者のようにふらふらと歩いていた。だから不審に思って職質してみると、彼女は言語中枢の一部に何らかの障害を患い、さらに彼女のQPがQPドライバーの中から抜けていたというのだ。
そこで救急車を手配して彼女を搬送した。それ以降は、ずっとこんな調子だ。
慎之介が彼女に別れ話を持ち出した後、彼女の身に何があったのだろう。
「今日は本当の別れ話をしに来た。もしかしたら、僕は生きて帰れないかもしれない」
「………………」
「それでも行かなきゃならない。僕の大切な人達を護る為に」
慎之介は踵を返し、
「ノブレス・オブリージュ。力有る者は責務を全うする義務がある。だから、行ってくるよ。思い上がりを覚悟の上で」
去り際の一言を最後に、慎之介は生涯において二度と彼女と会う事は無かった。
#9「欲望のブラックホール 前編 おわり」