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QPドライブ  作者: 夏村 傘
第二集「社畜捜査官・生島将星の憂鬱」
7/11

#7「モザイクで隠せるのは恥部だけではない」


   #7「モザイクで隠せるのは恥部だけではない」


   【Aパート】


 天井に据え付けられた三台の監視カメラに見守られ、生島将星は簡素な机一つを挟んだ向こう側に座る浅黒い男を睨み据えた。

 本村正志。これが本名かどうか定かではないが、この場で彼はそう名乗っている。

 ちょっと前に天皇陛下の娘さんを暗殺しようとした殺し屋二人組の片割れで、相棒とは正反対に銃火器の扱いに長けている。

 将星はまず手始めに、咄嗟に思いついた軽口を叩いてみた。

「どうだい。現役の中学生から尋問されようとしてる気分ってのは」

「学校に帰って授業でも受けてろや」

「ご生憎様、あんたの為に放課後の教室から飛んできたんだ」

 いま、この取り調べ室には将星と正志しかいない。本来だったら部屋の隅には書記が控えており、将星とは別の役割を持ったもう一人の刑事も隣に立ち会っている筈なのだが、今回は将星の要望によって二人っきりだ。

「本来だったらあんたの身柄はとっくに警察へ引き渡してる。でも、その前に一個だけ、確認しておきたい事がある」

「俺が答えるとでも?」

「それはあんた次第だ」

 鷹揚な態度から一転、将星の姿勢が前のめりになる。

「プリンセスの暗殺が失敗した瞬間、あんたらの計画は水泡に帰した訳だが、戦い慣れしたあんたらの事だ。どうせ、失敗する場合を想定して確実な逃走手段くらいは確保していた筈だ」

「高く買っていただいてるようで何よりだよ」

「なのに、あんたらは何であのまま戦闘を続行した?」

 正志の眉根がかすかに動く。

「俺があんたらなら、SP二人のどてっ腹に風穴開けた時点でとんずらぶっこいていたと思う。うちの射手が伏兵として機能していたとしても、それを見越した何らかの次善策を最初から用意していた。なのに、あんたらは俺達と戦った。状況は市街のド真ん中で三対二。どう考えてもメリットは無い」

「賢いガキは嫌われるぜ」

「賢い捜査官はお嫌いかな?」

「イイねぇ、その度胸」

 正志の厚い唇の端が釣り上がる。

「お前、正義の味方っつーよりは悪役の方に向いてるぜ」

「無駄話をする気は無い。悪いが、俺達は最近の警察よりも数段性質が悪いぜ? うちのボスはお前を乗せた護送車を断崖絶壁からバンジージャンプさせても良いと考えるくらいには思い切りが良い」

「ここまで下手くそなハッタリは聞いた事が無いね」

「ハッタリかどうかはあんたの返答次第だ。皇族を殺し損ねた間抜けな殺し屋さん?」

「ふん」

 相手もこれ以上こちらの戯れ言に付き合う気は無いらしい。鼻を鳴らしただけで、これ以降は一分待っても一言も喋りはしなかった。

 でも、いまはそれで良い。このやり取りで必要な情報は充分に得られた。

「……黙秘するって事は、そうするだけの理由があるんだな」

「さあね」

「釈明は新宿で聞こう。もっとも、その時の相手は俺じゃないがな」

 将星は話を打ち切って立ち上がると、扉の外に控えていた主力捜査官の二人を呼び出し、先に部屋の外に抜け出した。

 ここから先、いま立ち入った主力捜査官達が、本村正志の身柄を本庁に移送する。これで柊子様暗殺未遂の一件はQP/の手元から完全に離れた事になる。

 仕事を一つ終えた事に安心感を覚えつつ、将星は長官の執務室に向かった。


「ふーん? 誰かがあの戦闘を覗き見していたと?」

 大きな革製のチェアにゆったりと腰かけている新條由香里が、随分とくつろいだ様子で頷いた。

「先の軍人の一件にしたって同じです。最近、こちらの動向を探るような動きがあちらこちらで見受けられます」

「気味の悪い話よねぇ。まあ、でも……」

 由香里が少しだけ、何かを思案するような仕草を見せた。

「千草ちゃんが本庁の要請を受けて、いま特製の自白剤を調合している最中だから、真実が明かされるのは時間の問題ね。それに、もう私達とは関係が切れた事件だから、そうナーバスになる事も無いんじゃない?」

「ですね。ああ、それから」

 将星は頭の中身を完全に切り替えた。

「例の件ですが、文化祭までには間に合いそうですか?」

「既に試作品の新型リンクウォッチがロールアウトされたから、それに合わせた調整を加える必要があるくらい? あと三日も待たずに届くでしょ。でも、本当に良いの? あんなの、正直イカれてるとしか思えないんだけど」

「僕からすればあのぐらいが丁度良い――」

「うーす、小坂捜査官、ただいま到着しましたー」

 扉をノックもせず、色とりどりな配色の頭髪を揺らしたファンキーな男が手を振ってこちらに歩み寄ってきた。

 小坂雄大。QP/最初期から所属しているベテラン捜査官の一人だ。

「よう、将星。お前も来てたのか」

「取り調べの報告と<フロンティア>の調整についてちょっと」

「まあ、それについては後にしましょう」

 由香里が手を叩いて将星と雄大の気を引いた。

「将星君には悪いけど、いまから任務に出向いてもらうわよ」

「それは全然大丈夫なんですが……」

「俺も呼ばれたって事は、今回は将星のフォローに回るんだな」

「その通り。で、これが詳細資料なんだけど……」

 由香里が二人にダブルクリップで綴じられた紙束を手渡す。

「先月からエリア・シブヤのヨヨギで多発してる悪質な悪戯行為。今日のニュースでも特集が組まれていたかしらね。二人は知らないだろうけど」

「うわぁ……何スかこれ」

「いやはや、ひっでぇ絵面だな」

 将星と雄大の顔が徐々に曇っていくのも無理は無かった。いましがた渡された資料の中には、いくつかのとんでもない画像が貼り付けられていたからだ。

 有り体に言って、全てが露出狂の写真だった。

「複数の露出狂……しかも全部男ですか」

「若いねえちゃんの画像とかねぇのかよ。こんなん、誰が見たって不幸な気持ちにしかならねぇよ」

 二人が見ている画像資料の被写体は、見ているだけでも笑いがこみあげてくるような恰好をしている者ばかりだった。ストリーキング(全裸で外を走る人)からバーバリーマン(マントで裸の全身を隠し、目当ての人間の前でマントを広げて恥部を晒す、世間一般的に有名な露出の一種)まで、ありとあらゆるタイプの露出狂がお天道様の下で開放的な猥褻物陳列罪に勤しんでいるのだ。

 雄大が辟易として呟いた。

「画像をレタッチした奴もふざけ過ぎだろ。シモのブレードならまだしも、ご丁寧に乳首までモザイクで隠しやがって」

「顔までモザイクですか。これじゃあ犯人なんて特定できないじゃないっすか」

「そうなのよ。だから困ってるのよねぇ」

「「は?」」

 何だ、いま何を言い出したんだ、この長官は。

「いや、困ってるって……画像を編集した人に言えば良いでしょ、モザイク外せって」

「私がいつレタッチした写真をあなた達に手渡したって言ったのかしら」

「……まさか」

 いまの由香里の発言で、将星の脳裏に一つの可能性が過った。

「このモザイク、まさかQPの仕業なんですか?」

「そのまさかよ」

 由香里がため息を吐いて述べる。

「ヨヨギで起きている悪質な悪戯は二つ。一つは多発してる複数人の露出狂。もう一つは、ヨヨギ内のありとあらゆる箇所にぶちまけられた正体不明のモザイク。露出狂の局部にもモザイクが掛けられている事から、モザイクを掛けた犯人は露出狂と同一犯、もしくはその協力者の可能性がある。あとは、分かるわね?」

 要はモザイクで町内を落書きしている奴と露出狂を纏めて捕まえろと言っているのだ。ターゲットが複数設定されている分だけ、逮捕するのは中々骨が折れそうだ。

「まあ、大体は理解したが……」

 雄大が難しそうに眉を寄せて訊ねる。

「俺はともかく、将星にこの任務を受諾させるのはどうなんだ? たしかに例外が多い奴だけど、こいつはまだ中学生だぜ? 戦闘任務は致し方ないとして、R18指定の任務はさすがに学校側や教育委員会から文句を言われる気が……」

「だったら、彼がどっかの変態ヒーローとの間で貸し借りしている書籍についてはどう説明すれば良いのかしらねぇ?」

 由香里の顔が悪役のそれに変貌する。

「あれの被写体も、いまあなた達が見ている写真と同じように、局部にはしっかりモザイクが掛けられているじゃない」

「そういう問題か……?」

「ていうか、何で俺とパスタ野郎の交友関係を知ってるんすか」

 つい最近出来た同好の士とのやり取りは、少なくとも由香里には秘匿している筈だった。だから彼と自分の間にある、健全な男子の安らぎを記した聖典の貸し借りなんぞを由香里が知りようも無い。

「女子のネットワークを軽んじてるあたり、まだケツから青さが拭えないようね」

 由香里が何の躊躇いも無く下品な発言をする。

「花香ちゃんや雪見ちゃんから聞いてるのよ? あの二人の前で、ラパウザーマンとエロ本の取引をしていたんですって?」

 何てこった。あの二人、密告という形であっさり俺を裏切りやがった。

「それに雄大君だって、たまに将星君とラパウザーマンの三人で密会してるそうじゃない。談合の内容については言わないでおくけど」

「うっ……何故それを」

「秘密。何にせよ、あなたからはこれで何の文句も無い筈よね?」

 怖い。いつもは朗らかで優しい長官が、いまや笑顔で人を殺せる悪魔と化している。

「詳細は資料に書き込んであるから、後で全部目を通して頂戴。それから、調査の初期段階における携行武装はCクラスに設定。緊急時のみBクラス以上の武装の使用を許可します。あと、捜査活動と逮捕の方針はそちらに任せます」

 いつもの調子に戻った由香里が口にした内容は、要約するとこうだ。

 街中での捜査は人目に触れる。よって支給された小型のスタンバトンとデーザー銃のみを携行し、最初のうちは可能な限り穏便な捜査活動に従事せよ。

 つまりは、派手な戦闘行為を原則禁止にすると言っているのだ。

「Cクラス……QPドライバーを使わない任務は初めてです」

「身の危険があるって訳じゃねぇんだし、ここは気楽に行こうぜ」

 これについては雄大の言う通りだ。例のモザイクによって死傷者が出ている訳ではないし、露出狂は露出狂であって殺人狂ではない。

 モラルさえ度外視すれば安全な任務だ。戦闘任務よりかは断然マシだろう。

「聖なる書物については黙っておいてあげる」

 由香里が再び笑顔に悪魔を憑依させる。

「だから、とっとと片付けてらっしゃいな」

「「イエス、マム!」」

 二人揃って、かちこちになりながら敬礼した。


   ●


 ヨヨギに着いてすぐ、車を適当なレンタル駐車場に停め、将星と雄大は適当なファミレスを見つけ、窓際の席で適当に腰を落ち着けていた。

エリア・シブヤはヨヨギの一丁目。ここが今回の事件の主要な舞台となる。

「さっきからちらほら見えたんだが……たしかに、こりゃ酷い」

「ええ」

 二人は窓の外に視線を投げた。

 時間が時間なだけあって日はもう暮れている。ただそれでも、この場所から見える植え込みや向かい側のコンビニの喫煙所にはあからさまに不自然なモザイクが覆いかぶさっていた。

「解像度は350dpiといったところかな」

「何すか、その単位」

「画像編集ソフトで使われる画像解像度の単位だよ。数が大きければ大きい程、その画像を構成している光の粒の目が細かいのさ」

「覚えておきます」

 もっとも、今回の事件に関係は無いだろうが。

「で、どうします? 周辺住民への聞き込みから始めますか?」

「いや。まずは露出狂を一人くらいは捕まえよう」

 どうやら手短に済ましたいらしい、雄大がきっぱりと言った。

「被害をこれ以上拡大させらんねぇ。それに露出狂はともかく、モザイク犯はまだ姿を見せちゃいない。だったら出現率が高い露出狂の方を捕まえて尋問するのが一番手っ取り早い。俺達の目の前に出現したら公然猥褻で現行犯逮捕、当然の話だ」

「そうですね。まずは適当に腹ごしらえしてから――」

 メニュー表に手を伸ばそうとした将星の目の端を、奇妙な気配と影が通り過ぎた。

 再び、窓の外に目を向ける。

「あれは……!」

「んなっ!?」

 将星と雄大は窓にへばりつき、いましがた走り去った影を目で追った。

 なんと、こちらの横を、全裸の男がたったいま通り過ぎたのだ。

「将星、追うぞ!」

「はい!」

 二人は慌ただしく席を立ち、店内のスタッフに何も告げずに店の外に出るや、いまや闇の奥の小さな点となった対象を全力疾走で猛追する。

 将星の反応と雄大の判断が早かったのもあり、まだお互いの間で距離差はそんなに開いてはいない。おかげですぐに間合いは縮まり、逃げ去る男の背中がありありとこちらの視界に映される。

 予想はしていたが、奴は全裸だった。しかも、頭と尻にはモザイクが被せられている。

「そこの変態、止まりやがれ!」

「ひっ……!」

 男はしゃっくりみたいな呻きを上げてこちらに一瞬だけ振り返るが、それでもすぐ正面に目を戻して真っ直ぐ走り続けている。止まる気が無いのは明白だ。

 仕方ない。荒っぽいのは嫌いだが、やるしかない。

「雄大さん、デーザーを!」

「おっしゃ!」

 雄大はあらかじめ支給されていたデーザー銃をジーパンのポケットから抜き出し、照準を合わせてすかさずトリガーを引いた。

 銃口からリールに繋がれた電極が二本飛び出し、先端が男の腰に突き刺さる。

 続けて、電流がリールを伝って電極に到達。二○万ボルト相当の電圧が発生する。

男の全身が激しく痙攣。これで動きは止まった――と、二人は思った。

だが、男は何事も無かったかのように、再び走り出したのだ。

「嘘だろ、オイ!?」

「二○万ボルトの電圧を素っ裸で凌いだ!?」

 射手の雄大だけでなく、将星もこれには素で驚いた。

 走り出した勢いで、男の腰に刺さっていた電極がいとも簡単に抜かれてしまった。発射は一回限りなので、もうこれで雄大のテーザーは使い物にならない。

「だったら!」

 二度も同じ失敗はしない。将星は自らのテーザーを左手で抜き、電極を射出。さっきと同じように男の腰に二本の電極が突き刺さる。

 高電圧が流れ、男の足が一瞬だけ止まった。

 将星はすかさず、空いた右手で腰の後ろに隠していた十手型スタンバトンを逆手に抜き出して左に振りかざし、右足で強く地面を踏みしめる。

 力を溜め込んだ右足のバネで跳躍。

 十手を左から右に一閃。先端が後頭部を掠めると、男はさっきよりも酷く痙攣し、ぴたりと動きを止め、次の一瞬でぐらりと前のめりに倒れ込んだ。瞬間的な電圧を脳に近い後頭部に流されたショックと、テーザーによる電圧の負荷に、脳と肉体が同時に耐え兼ねたのだ。もちろん、これで彼が死ぬ事はまず無いだろう。

 将星と雄大も立ち止まり、大の字になってのびている男を苦々しく見下ろした。

「ったく……何て奴だ」

「モザイクが消えていない……やっぱり別の奴がこのモザイクを操作してるのか」

 見たくは無いが、それでも見なければならないものもある。将星はちょっとした吐き気を催しつつ、モザイク塗れの男の頭と尻をよく観察した。

 ああ……見るならどうせ、可愛い女の子のお尻が良かったなぁ……。

「とりあえず主力捜査官に通報するわ。お前はそいつの監視をよろしくな」

「はあ……」

 雄大がそそくさと将星の傍から離れて通話を始めた。どうやら、汚い男の裸を見張る役割を何としても後輩に押し付けたいらしい。

 将星はとりあえず男の両手に手錠をかけると、男の体勢を仰向けに変えてみた。

 男の年齢は二十代後半から三十代前半まで。恥部どころか顔にもしっかりとモザイクが掛けられている為、正確な人相を把握するのは不可能だが、いまは別にそれで良しとしよう。

「顔までモザイクを被せる目的って言ったら何がある……?」

「簡単でしょ。顔さえ分からなければ警察に指名手配されないからだよ」

 セイランが例によって、将星の肩の上でシャボン玉を吹かしながら答える。

「まあ、十中八九そうだろうな。でも、それだけじゃない気がする」

「というと?」

「もし露出狂とモザイク犯がグルだったとして、露出狂が捕まったら施されたモザイクも一緒に解析されるだろ。それでモザイク犯の身元が割れたら元も子も無い。なのに、露出狂達の行動は捕まるリスクを全く考えていない。どう考えても不自然だ」

「それを言うなら、町に振り撒かれたモザイクからは何も検出されてないぜー」

「知ってるよ。だからこそ引っ掛かる」

 町中のモザイクは目下解析中だが、作業は難航しているとの話だ。この男に与えられたモザイクも同じ種類のものだろうから、いまはモザイク関連についての結果は期待できない。無論、モザイクから身元を割り出すだなんて夢のまた夢だ。

 だが、それとは別に、いくつか気になる点がある。

「将星、あと十分ちょいで主力捜査官が来るってよ」

「分かりました。じゃあ、今度は雄大さんがそいつの見張りをお願いします」

「は? ちょ……将星?」

 戸惑う雄大を無視して、将星は近くの木の陰に隠れ、薬物事件担当の上級捜査官・甘道千草の番号にダイヤルする。

 数秒と待たず、彼女が着信に応じた。

『はいはーい、千草だよーん』

「生島です。いまから全裸の男がQP/の本部に移送されます。お忙しいところ大変申し訳無いんですが、そいつの血液検査をお願いできますか?」

『血液検査? 何で?』

「薬物に手を染めてる可能性があるからです。成分分析、急げますか?」

『オーライ。早速準備に取り掛かるから』

「お願いします」

『うん。じゃ』

 千草が通話を切ったのを確認し、将星は雄大のもとに引き返した。



 捜査二日目。今日は学校を休み、将星は朝から本部の会議室で待機していた。

「将星くーん、血液の成分分析の結果を持ってきたよー」

 千草が会議室に入り、資料が入ったファイルを小脇に抱えて体当たりしてきた。

「ぐふぉっ!」

 痛いというか、重たい。朝ご飯を食べたばっかりだから、尚更腹に響く。

「……で、どうでした?」

「そっちの予想通り、血中から薬物反応が出たよ。覚醒剤だってさ」

 千草が二つに分けた三つ編みを振り乱し、ぐりぐりと将星の胸板に頭を押し付けてくる。最近の彼女はやたら将星に触りたがる癖があるらしい。気に入られているのは悪い気分ではないので何も言わないでおくが、それでも節度というものがあるだろうに。

 ちなみに今日の彼女はいつもの白衣姿ではなく、上はタンクトップの下はホットパンツだ。夏場なので暑いから気持ちは分からなくもないが、大きく開いた胸元がかなり目立つので、普通の男子なら目のやり場に困ってしまうだろう。

 ただし、そこは生島将星。当然ながら、普通にガン見している。

「他にも痛覚遮断のドラッグが複数投与されてたみたい」

「電撃を喰らってもピンピンしていたのはそのせいですか」

「そそ。ところでぇ……」

 千草が目を細め、にたにたと楽しそうに言った。

「そんなにあたしのおっぱいが気になるなら触らせてあげようか?」

「間に合ってるんで結構です」

「嘘ばっかー。どうせ星乃ちゃんの事でしょ? だとしたら皮算用過ぎるよねぇ」

「…………」

 何故バレたし。

「そんな事より、資料は?」

「ん? ああ、これね。はい」

 千草がファイルから何枚かの紙を取り出し、将星に手渡した。

 資料を斜め読みしている最中、千草が興味深そうに話しかけてくる。

「麻薬の出所は警察の領分だとして、君はこれから先どうするの?」

「やる事は変わらない。モザイク犯を探し出して逮捕する」

「露出狂は?」

「ストリーキングしてるのは昨日の奴だけじゃない。だとすれば、モザイク犯を追っているうちに露出狂達の根城も判明するでしょう。そこを一網打尽にする」

「見つけ出す手段は?」

「手掛かりが無い以上、最初は無難に聞き込み調査からですかね」

「なるほど」

 千草が満足そうに頷く。

「やっぱり君は優秀だね」

「そりゃどうも。じゃ、俺はもう行くんで。また何かあったら報告してください」

「うん。そっちも頑張ってね」

「はい」


   ●


 所変わって、再びヨヨギのファミレス。

既に現地入りしていた雄大と合流し、将星は彼と捜査の方針について話し合っていた。といっても、基本的には先輩である雄大の意向が大きいし、既に分かっている事の確認だけだったので、将星はただ相槌を打つだけだったが。

「まずは聞き込み調査からだ」

 雄大が見かけによらぬ真面目さを見せる。

「これまで出現した露出狂の顔は確認出来ないが、地域住民から得た目撃情報から、そいつらが固まってるとされる場所を探し出す」

「賛成です」

「薬物の件は既に警察が捜査の準備に取り掛かってる。いまごろヨヨギ警察署の方で捜査会議が進んでる筈だ。露出狂は俺達が、薬物の流通ルートは奴らが押さえる事になってる。集中すべき仕事は変わらない」

「承知してます」

「見つけ次第速攻で鎮圧、モザイク犯もQPのパーソナルコードを確認した時点で即逮捕。単純な話だ」

「了解しました」

「お前、さっきからずっとそればっかりだな」

 あ、バレた。

 将星が図星を突かれて固まっていると、雄大が呆れ混じりに言った。

「何か気になる事とか代案があったら言っても良いんだからな?」

「いまの話で全く問題無いと思います。いや、本当に」

「お前だったら不審な点の一個ぐらいは見つけてると思ったんだが……」

「無いですってば。いまのところは」

「……まあ、いいや。そろそろ頃合いだ。出るぞ」

「はい」

 二人はドリンクバーの料金を払ってファミレスを後にした。


 炎天下の下で行う聞き込み調査は過酷なものだった。道行く人々を車に乗りながら呼び止める訳にもいかなかったので、当然ながら将星と雄大は自らの足で地域の住民の時間を借りて情報を集めていたのだが、如何せん発汗量がイカれている。

 今日の最高気温は三○度近くあるという。熱中症が本格的に怖い。

 当然かもしれないが、露出狂の目撃者は多かった。昼夜問わず自分の存在を見せつけるようにストリーキングを働いていた連中が多かった上に、夜中限定でバーバリーマンに遭遇して被害に遭った女性も何人かいたようだ。だが、顔までモザイクで隠されていたので、先日逮捕した男同様、詳細な人相は掴めていなかったらしい。

 加えて、連中の拠点に繋がるような情報はほとんど得られなかった。聞き込み調査に回答した通行人は口を揃えて「露出狂を目撃した」としか言わなかったからだ。

「……二時間歩き回った結果がこれか」

「さすがに露出狂の拠点を追うような感覚の持ち主はいませんでしたね」

 公園のベンチで、二人は並んでアクエリアスを補給していた。当然、その表情は明るいものではない。

 将星は茫洋とした視線を、遊具の周りに戯れている学校帰りの小学生に向けた。その遊具もいくつかのモザイクに覆われており、彼らはそれに興味の矛先を向けている。

 いやいや。何で危険かどうかも分からんものに喜んで集るのやら。

「……あれ?」

「ん? どした?」

「いや、あの子供達……モザイクに平気で触ってますよ」

「それが何だよ」

「普通だったら警察が警戒線を張ってる筈ですよね、あれ」

「……たしかに」

 そういえば、捜査一日目に見たモザイクの周りには警戒線が張られていなかった。単に自治体や警察の対処が遅れたというのなら分からないでもないが――

「そうか。モザイク自体に危険性が無いのは確認済みなのか」

「でも、それが関係あるとはさすがに思えないんだよなぁ」

「ですね。でも、つついてみる価値はありそうです」

 将星は立ち上がると、未だブランコの足場に掛けられたモザイクを前に戯れてる子供達の傍に歩み寄り、しゃがんで彼らと視線を合わせて訊ねてみた。

「ねぇねぇ、君達。ちょっと良いかな」

「?」

 子供達の興味が一斉に将星に向いた。下手に「なになにー?」とかはしゃがないあたり、思ったより最近の子供達は警戒心が強いらしい。

「ちょっと聞きたい事があるんだ」

「えっと……」

「最近、素っ裸の人がここら辺を走り回ってるのを見なかったかい?」

「おれ、見たよ!」

 比較的元気そうな男の子が手を上げて答える。

「それって、何処らへんで?」

「おれ達の学校の近く。家に帰ろうとしたら、いきなりすっぽんぽんで全身モザイクのおばあさんが凄い勢いで走ってきて……」

「ぶっ!?」

 思わぬ発言に、将星は思わず咽てしまった。

「いま、おばあさんって言ったか?」

「うん。それで、面白そうだから追いかけてみた」

「いやいや、追いかけるなよ!」

 通報しろよ。いや、マジで!

「そしたら、そのおばあさんがお店に飛び込んで……」

「お店……だと?」

 これまた思わぬヒントだ。さすがに気になる。

「それ、どういうお店か分かる? その……お店の名前とか」

「覚えてないよ、そんなの」

「じゃあ、どういう雰囲気のお店だった?」

「うーん……」

 しばらく頭を抱えると、少年の顔が点灯した電球のように明るくなる。

「地下!」

「何?」

「入り口が地下にあるお店だった。でも、そこからは行く気が無くなっちゃって」

「いいや、それで良いと思うけど……」

 どうやらいくら好奇心が旺盛でも、行かない方が良い場所の区別は本能的にはついているようだ。

 しかし、これはかなり大きな手掛かりだ。

「ねぇ、君。名前は?」

「おれ、新條宗二」

「そうか。俺は生島将星。将星で良い。実は俺、おまわりさんなんだ」

「おまわりさん? マジで!?」

 宗二なる少年がはしゃぐと、周りの子供達もざわつき始めた。いくらなんでも自分の身分を簡単に明かすのはやり過ぎだが、宗二が有する手掛かりが有用な分だけ、こちらもあまり遠慮はしていられない。

「マジのマジ、大マジだ。で、俺はいま事件の捜査をしてるんだけど、その手助けを君に頼みたいんだ。お願いできるかな?」

「何をすれば良いの?」

 宗二の目がきらきら輝いている。将来有望だな、この子は。

「さっき言ってたお店のある場所まで俺達を連れていって欲しい」

「分かった!」

「あと、それが終わったら家に真っ直ぐ帰るんだ。良いね?」

「うん!」

 これで良し。思ったより素直な子だったので、懐柔するのは実に簡単だった。

 将星は宗二なる少年を雄大の前に連れて行くと、

「雄大さん。手掛かり、見つけました」

「あ? マジかよ」

 日の光によって干からびかけていた雄大が、少しずつ正気を取り戻した。


 少年の名は新條宗二。付近の小学校の四年生だ。案内される道すがらで聞いた話によると、母親も警察官をやってるとの話だ。苗字に何かしらの既視感を覚えるが、いまやゆでダコ同然の将星の思考回路は事件の尻尾だけを追っている。

 話しながら歩くこと十分。商店街の外れに建つ古さびたテナントビルを、宗二ははっきりと指差して告げた。

「あそこの地下」

「たしかに、それらしい雰囲気はしてるな」

 少なくとも綺麗とは言い難いような有様のビルで、しかも地下に続く階段からは何やら得体の知れない瘴気が漂っているように錯覚してしまう。

「この地下に裸のババァが……ねぇ」

 雄大が顎に指を当てて唸っているのを尻目に、将星は宗二に向き直り、目線を合わせてしっかりと言い含めた。

「いいかい? さっきも言ったけど、君はもう家に真っ直ぐ帰るんだ」

「えー? 一緒に行きたーい」

「駄目だ。ここから先は本当に危険だから」

「はーい……」

 少年が名残惜しそうに踵を返そうとする。

あ、忘れてた。

「宗二君」

 将星は手近な自販機でポカリの缶を購入し、呼び止めた宗二に手渡した。

「暑い中付き合わせてごめんね。帰るんならこれを飲みながらにしてくれ」

「わかった。ありがと」

「こちらこそ、ご協力感謝します」

 最後に気軽な敬礼をして、将星は背中が見えなくなるまで宗二を見送った。

 一連の様子を見ていた雄大が茶化してくる。

「お前、将来は絶対子煩悩になるタイプだろ」

「否定はしません」

「ははっ――いくか」

 明白な証言がある以上、ここから先は油断していられない。捜査官二人は既に心の準備を終え、完全に脳みそを仕事モードに切り替える。

 例のビルの地下に繋がる階段を、雄大を先頭にして下っていく。片手は腰の後ろに収納された十手型スタンバトンの柄に添えられている。

 やがて、古びた木の扉の前に辿り着く。

 雄大がそっと扉の取っ手に手を掛け、押してみる。

 空いた。存外、あっさりと。

「……大丈夫だ」

 雄大が中の安全を確認すると、あくまで慎重に、店内に立ち入った。

 内観は普通のこじんまりとしたバーだった。バーカウンターの内側にはグラスを拭いているバーテンが一人。彼がおそらくマスターだろう。

流れる音楽は小洒落たジャズ。一九八○年代に活躍した音楽家の色褪せたポスターや、いまや生産が終わってしまったレコード盤のパッケージが規則性も無く壁に飾られている。

薄暗い空間を照らす暖色系の照明が、カウンターに並ぶ昔ながらの酒のボトルを照らして透過する。

 若干十四歳の将星が見るにしては、随分と早すぎる風情の店だった。

「いらっしゃい」

 マスターがグラスを拭く手を止め、こちらの様子を注意深く窺っている。雄大ならともかく、未成年の将星が同伴しているのを不審に思ったのだろう。

 このマスターも年齢は思ったより若い。まだ三十代といったところだろうか。

「昼間っから営業してるんですね」

 まず、将星が軽いジャブを打ってみる。

「まだ内装が新しい。最近出来たお店なんですか?」

「ええ。それより、君は?」

 マスターが早速核心を突いてきた。

「最初に申しあげますが、お酒は二十歳から、ですよ」

「今日は酒を飲みに来た訳ではないので」

「だとしても、今日は平日です。学校は行かなくても宜しかったのですかな?」

「ええ。今日は公欠扱いですし」

「公欠?」

「実は僕達、こういう者でして」

 将星は左手のリンクウォッチから、自らのQPであるセイランと一緒に、QP/のエンブレムをホログラムで表示させる。

「QP/です。今日はあなたに聞かせていただきたいお話がありまして」

「こりゃ驚いた。随分と若い警官だこと。では、そちらの御仁も?」

「その通り」

 雄大がにやりと頷く。

「このまま穏やかにグラスを揺らすのもありかなとは思ったが、今日は仕事中なんでやめておくとしますわ」

「で、ご用向きは?」

「付近の小学校の生徒が、全裸の老婆がこの店に駆け込んだと証言している。それについて、あんたは何かご存知なのかなと」

「ああ、それですか」

 マスターが苦笑する。

「いやー、驚きましたよ。一昨日、いきなりですよ。営業中に得体の知れない素っ裸のお婆さんが飛び込んできて、驚きのあまり振っていたシェイカーを落としてしまいました。でも、何故か私の顔を見るなり逃げだしまして」

「逃げた?」

「ええ。まあ、当然追いはしませんでしたが」

「警察には通報したのか?」

「いいえ。あれ以上、店に来たお客さんを不安にはさせたくなかったし、すぐに逃げたからそれ以上は何も起こらなかったし、むしろ話のネタになってましたよ」

「なんじゃそりゃ」

 雄大が呆れたような反応を示すが、将星からしても同意見である。

 何だろう。さっきの宗二といい、このマスターといい、ここら一帯の住民は呑気過ぎるというか、重大なところで危機意識が欠けているというか。

 将星はふと、バーカウンターの奥にある小さな扉に目を遣った。扉の高さ自体は大人が背を屈めば入れるくらいだが、将星にはその扉が妙に不自然なものに思えた。

「マスター、あの扉は?」

「ああ、あれですか。裏は弾き語りに来た地元歌手の控室になってるんですよ」

「ほほう……」

 少々意外な話だった。ここには音楽家も出入りするのか。

 マスターが気楽に手近の椅子を勧めてくる。

「他にも聞きたい事があるなら、まずはそちらの席にでも――」

「蓮池さん、蓮池さん」

 例の小さな扉が開き、中から老婆が現れた。

 顔と局部にモザイクが施された、全裸の老婆が。

「薬が切れてしまってねぇ、もう一個恵んではくれないかね」

「…………」

「…………」

「…………」

 暖色系の照明によって温かく照らされた空間を、真っ青な冷感が支配した。

 一時的に思考停止状態に陥っていた将星が、誰よりも早く復活する。

「聞きたい事……ですか」

 もはや、笑みで顔が引きつってしまう始末である。

「じゃあ、そちらの御老体は?」

「……………………」

 マスター――もとい、蓮池なる男の顔がみるみるうちに白くなっていく。気づけば、開け放たれた小さな扉の奥からも、中の様子を窺わせるような楽しげな喧騒が漏れ出している。

「蓮池さん、蓮池さん。聞こえてます?」

 反対に、老婆の方は全く空気が読めなかったらしい。こちらの存在に気付いても、無視して蓮池を呼び続けているだけだった。

「お薬を……」

「警察だぁああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」

 蓮池が、突然叫び声を上げた。

「警察が来たぞおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 この瞬間から、場の雰囲気は百八十度一変した。

 扉の奥から聞こえていた喧騒は突発的な悲鳴へと変貌し、中から素っ裸の男女が雪崩のように溢れだす。最初から全裸の者もいれば、マントで全身を覆っているバーバリーマンまで確認出来る。

 もちろん彼らも例に漏れず、局部にはしっかりとモザイクを装備している。

 彼らはバーカウンターを踏み越え、一斉に将星と雄大に飛び掛かり――

「ぎゃああああああああああああああああああああっ!?」

「何じゃこりゃあああああああああああああああああっ!」

 先に店から飛び出したのは将星と雄大だった。突然発生した露出狂達の大量発生に恐怖を掻き立てられ、気絶しそうになりながらビルの外にまろび出る。

 続いて、後ろから露出狂達が一斉に飛び出してきた。

「まずいまずいまずいまずい! こっちに来る!」

「逃げろ! とにかく、逃げろ!」

 もう一斉摘発とか応戦などを考えられるレベルを遥かに超えている。

 将星と雄大はいい年こいて泣きべそをかきながら、解き放たれた猛獣の群れを背に全力逃走を開始した。


 その後、蜘蛛の子を散らすように広がった露出狂達に対し、ヨヨギ警察は非番の署員を含めて総員出動命令を下し、全戦力を以てして露出狂達の一斉逮捕に臨んだ。

 ほぼ全ての露出狂達が捕獲されたのは、あれから三時間経った後の事である。


   【Bパート】


 当然、この大騒動は翌朝のトップニュースとなっていた。

『昨日の正午、東京都エリア・シブヤのヨヨギ町にて全裸の男女が大勢現れたという通報を受け、ヨヨギ警察は職員を総動員、公然猥褻の現行犯で彼らを全員逮捕したと、同警察署の署長からメディアに対しての正式な発表が成されました。逮捕された男女は全員局部と顔にQPのパーソナルコードの能力と思しきモザイクが施されており、彼らの犯行動機やそのモザイクの詳細に対して捜査を進めているとの事です』

「うっへー……朝から何てニュースを」

 リビングで納豆ご飯を味わっていた星乃が口をへの字に曲げる。

 そんな彼女の真横を、腰にタオルを一枚だけ巻いた父親が通り過ぎる。

「……お父さん。その恰好で家の中を歩かないでって、何度言ったら分かるの?」

「いいじゃねぇか、家の中くらい。これが朝シャンの醍醐味だっての」

「この露出狂」

「反抗期か? 前までは「お父ちゃん大好きー!」って甘え甘えだったくせに」

 父親、もとい宇田川白秋が親父臭くからかってくる。昭和の頑固親父のイメージがそのまま表出化しているような人物で、星乃はこの十四年間、この父親の姿を見て育っている。おかげでこちらの趣味嗜好や性格にも男臭さが浸食しているので、思春期真っ只中の身からすれば困った父親以外の何者でもない。

 白秋が冷蔵庫からビンの牛乳を取り出し、紙の蓋を器用に空け、中身を一気に飲み干した。

 すると、彼の目がテレビの画面に向けられる。

「ん? おお? おい、星乃。あれ、将星君だろ」

「え? どこどこ?」

「ほら、あれ」

 白秋が指差した画面には、くしゃくしゃの顔をして逃げ回る少年と、アホみたいに両手を上げて少年と併走する成人男性の姿があった。しかも彼らの後ろには、顔と全身にモザイクが施された全裸の老人達の群れまで見える。

 間違いない。逃げている二人は、生島将星と、彼の先輩である小坂雄大だ。

「ほんとだ。何やってんだろ」

「しかも裸のジジババに追い回されてやがらぁ。何をしくったんだか」

 白秋の疑問はある意味ごもっともだ。昼間に雄大と一緒にいるという事は、おそらくは何かの仕事中だったのだろう。将星は昨日、朝から欠席していたし。

「そういやよ、星乃。最近、将星君とはどうなんだよ」

 白秋が全く別の方向の話をし始めた。当然、星乃も素っ頓狂な声を上げる。

「は?」

「は? じゃねぇよ。お前最近、全くあいつを家に呼んでねぇじゃん? 小学校の時はよく連れ込んでたのに」

「昔の話ですぅ。将星は最近、とーっても忙しいの」

「本当にそれだけか? 中一の時からあんまり姿を見てないし……」

「別にいいじゃん、そんな事くらい」

「何だぁ? やっぱり奴と何かあったんか? んん?」

「しつこいっ!」

 あまりにも苛々させられたので一喝してやった。

 星乃は手元の朝ご飯を全てかきこみ、麦茶を一気にあおり、席を立って洗面所に行って歯を磨いだ。玄関に至るまでの一挙手一投足がほとんど荒々しかったのも、白秋がしつこかったせいだ。そう思っていないと、正直やってられない気持ちになる。

「行ってきますっ!」

 不機嫌なまま、星乃は鞄を引っ掴み、ずかずかと大股で家を出発した。


   ●


 QP/ネリマ本部の管制室。その隅っこで、将星と雄大は膝を抱えて縮こまっていた。

「もうイヤだもうイヤだもうイヤだもうイヤだ」

「忘れろ、忘れるんだ。全てを忘れて楽になれ」

 二人の全身からは真っ黒い何かが漂っているように見える。

 空井花香がぴくぴくと頬を引きつらせて呟いた。

「……何があったんですか、あの二人」

「余程ショックだったみたいね。まあ、無理も無いけど」

 由香里がやれやれと肩を竦める。

「全裸の御老体に追い回された挙句、正面に待ち伏せしていた中年男のバーバリーマンに思いっきり裸を見せつけられた精神的ショック――若いぴちぴちの女の子が大好きな二人には効果てきめんな精神攻撃だったでしょうね、あれは」

「このバカ二人は放っておくとしよう」

 由香里の隣で、日下部芳一が見事に二人を切って捨てた。

「ともかく、露出狂の件はこれで解決なんだな?」

「まあ……全員、捕まえちゃったし?」

「でもさ、随分と妙な疑問が残るよねぇ」

 珍しく捜査会議に立ち会っていた千草が、頭の後ろで手を組んで言った。

「露出狂達の拠点は判明した途端に無価値になって、モザイクの正体は鑑識がいくら解析しても分からずじまい、逮捕した連中から採取された薬物の流通ルートも結局は未だに捜索中。混乱ここに極まれり、って感じだね」

「それだけだったら、まだ良いよ……」

 情報担当官の初島文彦がいつも通り、タブレットを弄りながら弱弱しく述べる。

「モザイクを仕掛けた奴が見つからない。蓮池のQPの仕業なのは確定事項だけど、その蓮池の現在地点が割り出せない。クラッキングでもしてるのか、QPドライバーの反応が無いんだよ」

 バーの店主の情報はビルを貸している不動産経由から既に得られている。

蓮池藤二、三十二歳。QP名はパララ。そのパーソナルコードは最初から予測されていた通り、あらゆる物体にモザイクを施す能力だ。こういった情報が得られている以上、文彦なら速攻で対象の居場所をQPドライバーの反応を頼りに特定している筈なのだが、今回に限って言えば、蓮池は彼の探知にも引っ掛かっていないのだ。

 肝心の重要参考人が目下行方不明。これまた面倒な。

「そういえば、何で二人はお爺さんとお婆さんに追われてたんでしょう」

 花香がふとした疑問を口にすると、将星と雄大以外の全員が彼女を注視する。

「二人を追ってるうちに逮捕された老人は全員六十代以上を過ぎてましたよね? そんな御老体で、若くて体力が有り余ってる二人を追いかけ回せるものなんでしょうか?」

「出来るんだなー、これが」

 千草がちっちっちと指を振る。

「逮捕された連中には覚醒剤と痛覚遮断の効能があるドラッグに加えて、ドーピングなんかで使われる筋肉増大の作用があるステロイド系ホルモン、あとはカンナビノイドの類がいくつか投与されていたらしいよ?」

「えーっと……つまり?」

「筋肉ムキムキハッピータイムの御老体に追い回されていたんだよ、この二人は」

 千草が未だ意気消沈の只中にある将星と雄大を見遣る。

「どのみちオーバードーズだよ。でも、不思議な事に死人が未だに一人も出てないんだわ。少なくとも六十越えてる老人はぽっくり逝ってる筈なのに」

「多分、ここ一か月の間に服薬し始めたから致死量をギリギリでオーバーしてなかったんでしょう。それでも生きているのは奇跡的ですが」

「だったら、その一カ月の間で薬物の流通が活発化している組織を探せば良い。警察の方でもその線で捜査を進めてるらしいよ」

「そうですか。ところで、当事者の二人がこの様子では、捜査もへったくれも無い気がするんですが……」

「放っておけば良いんじゃね? そういや、不能になったら労災って降りるのかな?」

「何を呑気な――あ、そうだ」

 思いついた。傷心中のアホ男二人を、一発で復活させる方法が。

 花香は上級捜査官の面々に見守られつつ、並んで蹲っている将星と雄大の耳元に唇を寄せ、いま出し得る限りの色っぽさを捻り出しつつ囁いた。

 まずは、将星からだ。

「ねぇねぇ、将星さん」

「もうイヤだもうイヤだもうイヤだもうイヤだ」

「さっき星乃さんから恋愛相談されたんですけど、彼女、将星さんの事が好きみたいなんですよ」

「なぬ?」

 将星がようやくまともな(?)反応を示すや、一転して表情に希望の光が灯った。

「それ、本当か!?」

「うんうん。だから、お仕事をちゃんと終わらせたら、将星さんの方から告白してあげてください。その方が絶対喜びますから」

「よっしゃあああああああああああっ!」

 生島将星、復活! やっぱりこの人、ただのバカだ!

 そして、次は雄大の方だ。

「雄大さん、雄大さん」

「リンピョウトウシャカイジンレツザイゼン」

「仕事終わったらエッチしてあげる」

「ゴムはサ●ミオリジナルで良いかな!?」

小坂雄大、復活! この人はバカ以前の問題だ!

 魔法の呪文で死者を蘇らせた花香は、さながらプリーストの気分に浸りつつ、様子を見ていた由香里と芳一の傍にすたすたと帰還する。

 雄叫びを上げて歓喜する二人を尻目に、由香里が小声で訊ねてきた。

「ちなみにいまの話、本当なの?」

「嘘です」

「まあ、そうよね」

「割と洒落になっていない冗談な気もするんだが……」

 芳一までもがつつとこめかみに小さな汗を垂らしている。

「良いんですよ、あれぐらい言っておいた方が。それに、仕事が終わったら真相を明かせば済むだけの話です」

「魔性の女だ……田辺が知ったら卒倒するだろうな」

「どうでも良いです。それより」

 花香は単細胞二人組にびしっと指をさした。

「この二人にはまず、蓮池の逮捕を優先してもらいます」

「そうね。話を戻しましょう」

 由香里が鶴の一声を放つと、将星と雄大もすぐに大人しくなった。

「既に顔写真での指名手配がメディアを通じて市民にも知れ渡ってる。蓮池もそう遠くには逃げられない筈だし、国外逃亡の線はまず消えたと言って良いでしょう」

「なんなら東京の外に出るのも有り得ない」

 復活早々、将星がいつもの勘を光らせた。

「大騒ぎの渦中で迂闊に顔を出せば命取りですからね。だからこそ、そういう時に備えての隠れ蓑はあらかじめ確保している筈」

「例えば?」

 花香に訊ねられ、将星が少しの間だけ考え込む。

 こういう時の彼の横顔は、見ていて何故か吸い込まれそうになる。

「麻薬組織の拠点か、以前の職場。あるいは個別で用意したセーフハウス」

「はい?」

「そもそも、薬漬けの露出狂と蓮池の関係って何だ? それに、あの店で最初に俺達が出くわした……やべ、吐きそう」

「将星さん、頑張ってください! 星乃さんが待ってます!」

「……最初に出くわした裸のお婆さん。あの人は蓮池に薬物を無心してた。もう店の中からも薬物が何種類か見つかってる頃合いでしょう」

「ですね。それで?」

「薬物の卸元と、蓮池の関係……奴の職務履歴から割り出せないかな」

「ちょっと待ってて」

 文彦が早速タブレットで情報を検索する。

「……出たっ」

 突き出されたタブレットの画面に記載された文字列を、この場にいた全員が顔を突き出して全力で注視する。

 雄大はその中の一つから、不審な匂いを嗅ぎ取った。

「ソクラテスソフト株式会社に十年勤務して、退職してからあのバーを開いてる。しかもバーの開業はかなり最近の話だし、ソクラテスソフトっていやぁ……」

「AVメーカーの中でも老舗中の老舗ですね」

 将星が真面目な面持ちでとんでもない発言をした。主にR指定的な意味で。

「でもつい最近、会社そのものが跡形も無く消されたとかなんとか……」

「裏を取る必要がありそうだね」

 文彦が控えめながら的確な方針を示した。

「薬の事は一旦置いておくにしても、蓮池がソクラテスソフトを退職した時期とバーの開業時期、露出狂が現れ始めた時期――いずれもかなり最近だ。とても偶然には思えない」

「警察の方でも麻薬組織の尻尾を掴んでるそうよ」

 由香里が自分のリンクウォッチ上に浮かぶホログラム画面を睨みつつ言った。

「たったいま本庁からメールが来てね。いま、本拠地を追跡してる最中だそうよ」

「その警察連中は信用できるんですか?」

「何言ってんの? 私達の古巣よ? あなたも成人したら一回ぐらいは研修に行った方が良いと思うわ」

 警察本庁は花香以外の最初期メンバーの元の鞘、という訳か。

 という事は、音無駆――将星の恩人が元々所属していたのだ、あそこには。

「覚えておきます。ところで、一つ気になる事が」

 将星はさっき確認したソクラテスソフトの情報を思い出しながら質問する。

「初島さん。ソクラテスソフトの本社があったビルっていまどうなってます?」

「あの周辺は元々再開発計画の対象区域だったからね。いまはたしか、超大型の複合商業施設として生まれ変わってる筈だよ」

「それって何て名前の施設ですか?」

「マルクスターモール。およそ僕には無縁な場所さ……フッ」

 文彦が一瞬で真っ白に燃え尽きた。リアルがお充実なさっている方々に関する話題を出される時の彼の反応は大体こんなもんである。

 将星はある意味深い感慨を覚えた。

「マルクスターモールか。名前だけは聞いた事があるけど……それにしても、たかがリア充御用達の大型店の為なんぞにいくつもの企業と住居を奪われた人は無念だったろうなぁ……ていうか、その人達っていまどうしてるんだろう?」

「そんな事はどうでもいい」

 雄大が冷淡に述べる。

「ソクラテスソフトの跡地に建てられたって事は、もしかしたらマルクスターモールの運営に関わってる人間が蓮池とグルで、奴に電波暗室みたいな隠れ家を提供してる可能性もある。早いうちに乗り込もうぜ」

「賛成です。長官、<フロンティア>の使用許可を」

「いや、普通に駄目でしょ」

 由香里が当たり前のように言った。

「超大型のショッピングモールに完全武装したQP/の上級捜査官を送り込む? 冗談でしょ。平和にショッピングしてる最中にそんな連中が堂々と闊歩してみなさいな。お客さんの不安を煽るだけでしょ」

「だったらどうすれば――」

「それなら私に一つ、考えがあります」

 花香が手を挙げて答える。

「簡単な話です。要は、誰の不安も煽らずに施設内を探索すれば良いんでしょう?」


   ●


 エリア・ネリマに新しく建てられた『マルクスターモール』の全体像は、バームクーヘンの形を想像してもらうと非常に分かり易い。広さは東京ドーム二つ分とされており、そのデザインコンセプトは「お洒落人の庭」。内装や併設しているお店にアングラを感じさせる要素は何一つ無く、何から何まで、余計なものが無く全てが洗練されている。

 幅広い年齢層、客層が訪れ、しかも開設して間もないだけあって人混みも想像を絶していた。下校中の寄り道と称して、制服姿のまま蓮池を探索している花香からすればうざったい事この上無い。

 ここはそんな施設の内側にある店の一つ、上流家庭の奥方しか買わないような週刊誌やお堅い政治評論、デザイナー向けのデザイン論関連、地方のガイドブックなどといった現実嗜好の書籍のみを取り扱う某有名企業のフランチャイズ書店だ。

「漫画が無い。ライトノベルも無い。なのに、何で聖書は山積みされてるんだ?」

 花香の隣で、白沢雪見がぶーたれ文句を吐いていた。

「最近、そういうオタク嗜好の店がやたらめったらに減らされてる気がするんだ。そんな店が潰れた後の廃墟には意味不明のダンス教室やらいまさら在り過ぎて増える必要の無い呉服問屋がぶっこまれる。ゲームショップはちょっとでも人気に変調がきたされた時点で、現実嗜好の人間に食い物扱いされる。我々も肩身が狭くなっているのさ」

「おお……雪見さんからブラックなオーラが……」

「その気持ち、ちょっと分かるかもー」

 二人の後ろで、横幅が広い巨躯の女子がゆっくりと雪見に同意する。

 彼女は花香の学校の同級生、沖合冴子。エトワール女学院中等部では花香を良く思わない生徒が大半だが、色々あって少なくとも冴子だけには良くしてもらっている。

「おーい、みんなー。さっきからなに固まってんのさー」

 こちらから少し離れた棚でファッション誌を手に取って閲覧していた星乃が不思議そうに首を傾げる。

「通行のジャマだよー」

「お、すまぬすまぬ」

 他のお客さんの進路妨害になりかねない位置に立っていた事に気づき、三人はとりあえず星乃の傍に寄った。

 花香を除いた以上の三人は、花香から捜査協力を依頼されて集まった勇者達だ。もし蓮池や彼に関連する協力者などが施設内を巡回している場合、ほっつき歩いているのが女子一人ではさすがに怪しまれるので、彼女ら三人に脇を固めてもらう事にしたのだ。人間関係が潤沢に見える女子四人が歩き回っているだけなら誰にも怪しまれはしない。勿論、全員が女子中学生である立場上、店に留まれる時間にも限度はある。

 それでも、<フロンティア>を装備した将星がパトロールするよりは幾分もマシだ。

 花香が周囲をつぶさに観察していると、ふいに星乃の手元に目が止まった。

「星乃さん……それっ……」

「ん? って……うおぁあっ!?」

 星乃もいまさら気付いたらしい。

 なんと、さっきまで彼女が熱心に読んでいた雑誌が、何処かで見たようなモザイクに覆い尽くされていたのだ。

「な……なんじゃこりゃ!?」

「おお、まるでエロ本みたいだ」

「星乃さん、いますぐそれから手を離してください!」

 このままでは星乃が如何わしい物体を手にしてはしゃぐ痴女に見えてしまう。もしこの場面を同年代の男子に見られたら、きっと彼女の痴態は今晩のオカズに――

「あれ? 宇田川さん?」

 遅かった。恐らくはクラスメートなのだろう、松陰中学の制服を着た男子に見つかってしまった。

 だが、花香はすぐに気が付いた。彼が、ただの男子で無い事に。

「あ、丸井坂さん!」

「あら、空井さんまで」

「シンちゃん、パス!」

 丸井坂慎之介がこちらの存在を認識したと同時に、星乃がモザイクだらけの物体を慎之介にぶん投げた。

 彼は咄嗟にそれを手に取り、全体を矯めつ眇めつした。

「? 何だこれ? 特殊加工の本かな?」

「そんな訳無いでしょう!? これ、ヨヨギにぶちまけられた例のモザイクですよ!」

「へぇ……ところで」

 慎之介が本に落としていた視線を平然と上げた。

 モザイクだらけの顔面を、こちらを向けて。

「どうしてかな。さっきから前が見えないんだけど。おっかしーなぁ……」

 この絵面を見て、この場にいる女子全員が絶望的な顔に豹変する。花香は顎が外れそうなくらいに大口をぽかんと開け、星乃と冴子は蒼白になり、唯一表情の起伏に乏しい雪見ですらあからさまに青ざめている。

 この状況を未だに認識していないらしい、慎之介はただ頭の上に疑問符を浮かべるだけだった。

「ねぇ、誰か返事してよ。宇田川さん? ……空井さん?」

「こ……来ないでください!」

 根源的な恐怖から、花香は慎之介が伸ばした手を打ち払ってしまった。

「いいですか? そこから絶対に動かないで――」

「何だ、コレは!」

 今度は客の一人が後ろの本棚で騒ぎ始めた。壮年のスーツ姿の男性で、恐らくは仕事帰りなのだろう、自己啓発本を手に、驚きの表情で固まっていた。

 彼の本にも、予想通りモザイクが掛かっていた。

「わ! ゾウさんのおハナが!」

 今度は子供の悲鳴だった。すぐ近くで親と一緒に絵本の立ち読みしていた子供が、咄嗟の事で本を床に投げ捨てたところである。

 開かれたまま床に放置された本に描かれた大きな象の鼻にも、しっかりと例のモザイクが被さっていた。

「おお、まるでチ●コみたいだ」

 雪見が恥も外聞も無く呟いた。

「しかし、一体誰がこんな――」

「ぎょっ!? 柊子様の顔にモザイクが――」

「こっちは週刊誌の政治家だぞ!」

「店長、レジの表示が……!」

「検索用の端末まで!?」

 この騒ぎは既に書店全体に波紋を呼んでいた。気づけば、店内の内装の一部にもモザイクが振り撒かれている。

 まさか将星と雄大の推測が本当に当たっていたとは思わなかった。ここに蓮池が潜んでいるのは間違いなさそうだ。

「花香ちゃん、あれ!」

「……!」

 星乃が指さした先を目で追い、花香はこの騒ぎの真犯人を確認した。

 キノコに手足が生えたような外見のQPで、手に持ったハケから、絵の具のようにモザイクを周囲に振りまいている。

 学校に行く前、市役所のデータベースを照会し、既に確認しておいた。

あれは蓮池藤二のQP、パララだ。

「あれがパララ……」

 花香は目を細めて呟くと、リンクウォッチでQP/専用の回線に繋いだ。

「こちらスラッシュ・フォー。マルクスターモールの書店にて、例のモザイク犯のQPを確認しました!」

『何ですって!?』

リンクウォッチから由香里の素っ頓狂な声が上がった。

『まさか本当にいたなんて……』

「とりあえずパララだけでもこれから捕縛します。長官は捜査官の増援を」

『了解。気を付けて!』

 交信終了。続いて、制服の内側に仕舞ってあったグリップ型のQPドライバーを抜き出し、中にいる自分のQPに呼びかけた。

「アイリス、マテリアライザー・オン!」

 恥ずかしがり屋のQP、アイリスは姿も見せなければ返事もせず、代わりにグリップ型QPドライバーの先端から白い<ブレード>を伸ばす。

「皆さんは下がってください!」

 他の客に鋭く呼びかけ、頭上でモザイクの絵の具を振り撒くパララに<ブレード>の切っ先を伸ばす。

「<スピア>!」

 <ブレード>と連動するバトルコードを起動。白い刃が急速に伸び、パララを狙う。

 しかし、パララは軽々とその刺突を回避するや、こちらを挑発するように見下ろし、すいすいと空間を泳ぐようにして店を飛び出していった。

 思ったより速い。人間の速力では、まず追い切れないだろう。

「逃げられた……!」

「花香ちゃん、そのQPドライバーを貸して」

「え?」

 意外にも、要求してきたのは星乃だった。

「貸してって、一体何をするつもりですか?」

「いいから、早く!」

「は、はい!」

 星乃の剣幕に押し負け、アイリスが入ったQPドライバーを差し出してしまう。

 彼女は花香のQPドライバーをしっかり右手に握り込むや、パララが逃げていった方向を見据え、力強く床を蹴って走り出した。

 花香はいまさら、自分の失態を後悔する。

「ちょ……待ってください! 生身の人間がQPの速力に追いつける筈が――」

 無い。少なくとも、一瞬前までの花香はそう思っていた。

 だが、星乃に限っては違った。

 彼女は走り出し、人混みをプロのサッカー選手顔負けの体捌きですいすい縫い、もはや疾風と見紛う速力でパララを追跡し始めたのだ。

 星乃の姿が消えて、きっかり五秒が経過。花香は彼女の強烈な身体能力を目の当たりにして、しばらく口を開けてぽかんとなる。

「……は、速い……何なんですか、あの人は」

「私にも分からん」

 雪見もこちらに同意する。

「それより、君はこんなところでボーっとしてて良いのかね」

「そ、そうでした!」

 花香は我に返ると、いま置かれた現状を再認識する。

「アイリスがまだあの中に……ていうか、あれが無いと私も本部と連絡が取れないじゃないですか!」

 QPドライバーとリンクウォッチは二点ワンセットの端末だ。片方を失えば、片方はただのガラクタと化してしまう。

「待ってください、星乃さああああああああああああん!」

 花香は青ざめつつ、星乃を追って本屋を飛び出した。


 一方、取り残された雪見と冴子はというと。

「……どうするよ、冴子ちゃんや」

「どうする……と、言われましても……ねぇ?」

 花香の背中を見送ってから、ただその場で棒立ちしているのであった。


「待て待て待てぇ!」

「うえええええええええっ!?」

大型ショッピングモールの屋内は、もはやハンティングゲームのステージと化していた。

 星乃が尋常ならざるスピードでパララを猛追し、パララは空中をひたすら浮遊して逃げ回っている。もしマテリアライザーを起動しているアイリス入りのQPドライバーでパララにダメージを負わせれば星乃の勝ち、逆に星乃からの一撃を一回も貰わなければパララの勝ち、という図式だ。

 時間は無制限。となると、こちらのスタミナが尽きるまでが勝負だ。

 星乃は横並びに歩く大学生くらいの男女の列に突っ込み、その手前で左側に飛び、突っ込んだ先の壁を蹴って天井まで飛び、さらに天井を蹴って三角飛びを成功させるや、着地してさらに床を跳ね、目の前にいたカップルの片割れの頭を踏みつけてさらに勢いを付けて前進する。

 背後から悲鳴やら驚嘆やら怒号やらが聞こえてきたが、非常時故に無視させていただくとしよう。あのカップルや大学生はどうせ、この状況下ではただの踏み台としてしか機能はしないだろうし。

 パララとの距離差は既に三メートルまで詰まっている。

 あともうちょい、あともうちょいだ!

「観念しろー!」

「何なんだ、このガキは!」

 パララはさっきから、悲鳴を上げながら逃げに徹しているだけだった。モザイクを振り撒こうとする素振りは見せていないので、もしかしたらもうあのQPにも余裕が無いのかもしれない。

 それにしても、道行く連中はほとんどが若いカップルか。そういう連中が中心となって来るような施設だと分かってはいたが、はっきり言っていまは邪魔でしかない

「邪魔だオラァ!」

 父親譲りのがさつで乱暴な素養が発揮され、目の前のアベック共の波を次々と乗り越え、時々さっきみたいに踏み台にしては、徐々にパララとの距離を詰めていく。

 息が切れかけ、口の中に血の味が広がる。実際には吐血なんてしていないけど、肺活量が限界を迎えると、何故かたまにこういう感触に苛まれるのだ。

「あと少し。あと少し……!」

 あと少しで、捕まえられる。

 あともうちょっとで、手が届きそうだ。

 そしたら、将星は褒めてくれるのかな?


「ちっきしょー! 何で俺が人の形をしたバケモンに追われてんだよ!」

 パララは叫び散らしつつ、内心でも悪態を吐いていた。

 冗談じゃない。俺は単に存続が危うくなった得意先の麻薬組織が東京湾から国外に逃げる為の時間稼ぎをする為だけに大観衆の前で大暴れしていただけだ。普通の人間ではQPの移動速度には敵わないし、他にもいくつか逃走手段があるから捕まらないとたかを括っていたのだ。

 なのに、何で車より速いQPに追いつける人間がいるんだ?

 しかも、まだ中学生ぐらいの小娘だぞ! 絶対ありえねぇ!

「おい、藤二! 聞こえてんだろ、藤二!」

『聞こえてるよ、パララ』

 こちらの呼びかけに、主の蓮池藤二が無線で答える。

「早く助けてくれ! じゃなきゃ俺、本当に破壊されちまうぞ!」

『まだ麻薬組織の連中が逃走の準備に手間取ってる。回収しなきゃいけないブツが多すぎたんだよ。あと十分以上は騒ぎを起こして警察の目を引き付けなきゃいけない』

「俺がいま置かれてる状況を分かって――ぎょえぇええええっ!?」

 至近距離から縦に一閃された<ブレード>を、間一髪で横に逸れて回避。

 危なかった。もし直撃していたら、心臓部に位置する遠隔操縦型のQPドライバーが破壊されてしまうところだった。それはいま具象化しているパララにとっての心臓、そして頭脳であり、これの破壊はそのままパララの死に直結する。

「このままだと俺、マジで死ぬから!」

『しょうがない。地下一階の駐車場まで、例の追跡者を誘導しなさい』

「何か考えがあるんだな? 了解だ!」

 これ以上は文句を言っても始まらない。

 パララは星乃の凶悪な追跡と攻撃の数々からどうにか逃げ切り、指示通り、地下一階の駐車場まで彼女を引き連れてやった。

 さあ、頼むぞ、相棒。これが失敗したら、本当に俺達はおしまいだ!


 地下一階の駐車場まで、どうにかパララを追い詰める事に成功した。

 ここならもう逃げ場は無い。チェックメイトだ。

「キノコちゃん、覚悟!」

 適当な車のボンネットを蹴って、跳躍。

 眼前のキノコ型QPに、縦一閃の兜割りが炸裂した。

「よし、手応えアリ――」

 星乃は目を剥いた。

 いま自分が斬ったのは、決してキノコ型のQPではない。

 人指し指の腹ぐらいのサイズしかない、小型のキューブだった。

「え……?」

 さらにいつの間にか、右足がモザイクに包まれていた。

 しかも、モザイク自体が重量を持っているのか、星乃の体は急に深く沈み、右足から地面に落ち、バランスを崩して敢え無く転倒してしまった。

「っ……これは……!?」

「これがパララの能力だよ」

 仰向けに倒れる星乃の傍に歩み寄って来たのは、バーテンダーの恰好をした三十代くらいの男性だった。

 これが、ヨヨギのモザイク事件の犯人――?

「いま君が斬ったのはラジコン操縦が可能なQPドライバーの子機だ。あの中に入っていたパララはいま、私自身のQPドライバーの中に収納されている」

「あんた、一体何を……!」

「言った筈だよ。これがパララの能力だとね」

 男は自慢げに言った。

「ありとあらゆるものにモザイクを仕掛け、それを施した箇所にオプションコードの効果を付与する。いまのは<パラベラム>の効果をモザイクに付け加えた。体が鉛のように重いだろう?」

「……あたしをどうするつもり?」

「さあ、どうしようかな」

 男は飄々として答える。

「私は以前、エッチなDVDを製作している会社のアートディレクターで、そして監督だった。かつての私はその仕事には比類なき情熱を注いでいた訳だが――でも、その情熱は行き過ぎて、もはや狂気へと変わってしまった」

 彼はスラックスのポケットから、おもむろに注射器を取り出した。

「丁度良い。君には私が日本で作る最後の作品の女優になってもらおうか」

「何を言ってるの……?」

「君、まだ中学生だよね。でも、発育が素晴らしい」

 彼の視線は、ねっぷり舐めるようにして星乃の体を這っている。

 脚の先から腰、胸、首――そして、顔。

「最後くらい、法に囚われない、背徳感に塗れた映像を……!」

 男の目は血走っていた。

 彼は注射器の針の先を揺らし、こちらに一歩ずつ、遅々と歩み寄り――

 細い火線が正面から男の頬を掠め、鋭い切れ込みを浅く刻んだ。

「っ……!」

「そこまでだ、このワーカーホリックめ」

 男の正面、その十数メートル先で、生島将星が銃型QPドライバーの銃口を突き出していた。

「星乃から離れろ、クソ野郎」


 蓮池がここに潜伏している可能性を示唆しておきながら、全ての始末を花香につけさせるのはいささか心許ない。だから将星は平服のまま従業員用の出入り口からマルクスターモールに立ち入り、騒ぎが起きたと同時に待合室から飛び出してきたのだ。

「星乃、無事か?」

「将星……どうしてここに?」

「話は後だ」

 将星は銃口を下ろさないまま蓮池をねめつける。

「俺の顔は覚えているな、蓮池藤二。お前には違法薬物所持の他、複数の嫌疑が掛けられている。QPドライバーを捨てて投降しろ」

「嫌だと言ったら?」

 蓮池の態度は一貫して余裕そのものだった。

「私に手を出すのなら、そこの金髪のお嬢さんのモザイクに別のオプションコードの能力を付与するまでです。今度は<バースト>あたりでもセットしておきましょうか。右足どころか全身が吹っ飛ぶ威力だ」

「やれるもんならやってみろよ」

 将星がにやりと笑い、蓮池から視線を外さないまま星乃に告げる。

「星乃。そのモザイクを消す方法を教えてやる」

「え?」

「いいか? そいつのモザイクは幻術系のパーソナルコードだ。つまり、実際の攻撃力は皆無だ」

「よくもそんな出鱈目を……」

「――分かった」

 蓮池が小馬鹿にするように肩を揺らすが、星乃だけは本気でこちらの言葉を信じ切っていた。

 彼女が瞼を閉じる。

 すると、さっきまで動けなかったのが嘘みたいに、星乃は綺麗な後転を決め、

「うりゃっ!」

 前方に跳躍。すらりと伸びた脚による、格闘ゲーム顔負けの旋風脚を、無防備な蓮池の横っ面に直撃させた。

 彼は呻き声すら上げられず、横に一回転し、あっけなく地面に倒れ込む。

 蓮池が次の言葉を発したのは、それからすぐの事だった。

「ば……ばかな……」

「ほれみろ。誰が出鱈目だ?」

 今度は将星が小馬鹿にする番だった。

「幻術系のパーソナルコードは人の五感や機械系統に影響を及ぼすけど、人間に掛けられた幻術は対応する五感の一つを閉ざせば無意味となる。パララのモザイクは人の視覚に影響を与える。だから、目を閉じればこの通りだ」

 実際に、星乃の脚からは既にモザイクが消えている。やはり、事前調査によって解明された弱点は本当だったらしい。

「ついでに言えば、お前のQPドライバーは違法改造されていない正規品だ。だから、星乃の脚を吹っ飛ばすだなんて脅しは通用しない」

「じゃあ、どうしてあたしの脚は重たくなったのかな?」

 星乃が素朴な疑問をする。

「あれってマテリアライザー使ったからじゃないの?」

「星乃が喰らったアレは単なるプラシーボ効果の一種だ。このモザイクは重いっていう暗示を掛けられていたんだ」

「おお、なるほど」

 星乃はまた一つ、賢くなったようだ。

 将星が彼女の成長を微笑ましく思っていると、蓮池は懲りずにふらふらと立ち上がり、恨みがましい目でこちらを睨んできた。

「このガキ共……お前さえ……お前達さえいなければ……!」

 蓮池がポケットからグリップ型のQPドライバーを抜き、先端からハケみたいな形をした光子を発生させる。

 なるほど。パララが使っていたハケと同じ、筆の形をした武器、という訳か。

「喰らえやあああああああああああっ!」

 振り上げられたハケから、モザイクの絵の具が将星と星乃に向けて振り撒かれる。

 だが、もうその技は通用しない。

「星乃!」

「うん!」

 二人は同時に目を閉じた。これでいくらモザイクを被っても関係は無い。

 蓮池の足音が近づいてくる。おそらく、ナイフか何かを抜き出して、近距離で星乃か将星のどちらかを刺しに来たのだろう。

「なっ……何で……!」

 でも、読めていた。

 将星が目を開けた時には既に、星乃が後ろから蓮池を羽交い絞めにしていたのだ。

「そんな……目を閉じていた筈なのに……!」

「どうだ! これぞ心の目という奴じゃい!」

「嘘だっ……」

 そう。これは単なる嘘っぱちだ。

 実は蓮池がモザイクを振り撒いた直後、星乃は一瞬だけ目を開けて、彼の背後に素早く回り込んでいたのだ。

 それはそれで、人間技では無いような気もするが。

「将星!」

「これで終わりだ、変態野郎」

「やめっ――」

 銃口を蓮池の眉間に向け、発砲。

「がっ……!?」

麻痺効果のある弾丸が額に突き刺さり、蓮池は白目を剥いてぐったりと昏倒する。

 星乃が気絶した蓮池を地面にそっと下ろすや、将星はポケットから手錠を取り出し、彼の両手をがっちりと拘束する。

「一七○○時。蓮池藤二、確保」

 これで事件の第一段階はクリアだ。

 将星が他の上級捜査官のメンバーに通信で報告を済ませると、花香や雪見、それと見覚えの無い横幅の広い女子が慌ただしくこちらに駆け寄って来た。

「将星さん、星乃さん!」

 花香が安心したように言った。

「良かった、二人共無事で……!」

「花香ちゃんも、立ち入り封鎖ご苦労様」

 実はこの駐車場に誰も入ってこなかったのは、花香にあらかじめこの階の出入り口を封鎖してもらっていたからだ。その彼女がいまここにいるという事は、増援としてやってきた主力捜査官に見張り番を引き継いできたのだろう。

 星乃がやや申し訳なさそうに、花香に借り物のQPドライバーを差し出した。

「ごめんね、花香ちゃん。はい」

「もう……今度からは絶対貸しませんからね!」

「ごめんってばー!」

 これについては星乃が悪い。花香の気持ちも分からなくはない。

 花香が星乃の手からQPドライバーを受け取ると、彼女のQPであるアイリスが姿を現し、大泣きしながら彼女の頬にへばりついた。さすがに星乃から乱暴な扱いを受けた分だけショックが大きかったようだ。

「んー……ここは……」

 意外や意外、蓮池が早くも目を覚ました。

「って……あれ? 何だ、これ」

 続いて、後ろ手に掛けられた手錠の感触に気付いたらしい。

「おい、この手錠を外せ!」

「あんたには山程聞きたい事がある」

 将星は彼の目の前にしゃがみ込む。

「丁度いい。連行する前に、俺の質問に答えてもらおうか」

「何だよ、一体」

「あんた、何でソクラテスソフトを辞めたんだ?」

「……そこまで調べたのか」

 とうとう観念したらしい、蓮池が自嘲混じりに言った。

「だったら、取り調べの時にでも聞けば良いじゃないか」

「じゃあ、お言葉に甘えて。それから、お前には一切関係の無い話かもしれないが、もう一つだけ報告な」

「?」

「これはあくまで別件だ。この一か月の間、エリア・シブヤで活動が活発化してる麻薬組織がおってだな。何の偶然か、そいつらはあんたと全く同じタイミングで逮捕される予定なんだわ」

 将星はそしらぬ顔で嘯いた。

「さあ、いまごろどうなっているのやら」



 事情を説明せずに借りたホテルの一室、そのベランダより、雄大はライフル型QPドライバーの銃口を外へ突き出し、一キロ以上先の獲物を超高精度スコープの中心線に捉えていた。

 今日の獲物は東京湾から出港しようとする標準サイズの貨物船だ。先端の甲板の真下に位置する操縦席を狙い、航行機器のいくつかを破壊すれば、エンジンを止めなくても船は機能を停止する。

 ただし、出港直前を狙ってはいけない。何故なら、船が動けなくなったと悟った時点で、中の乗員が港に降りて蜘蛛の子を散らすように逃げ出しかねないからだ。あらかじめ港の付近に主力捜査官を配備してはいるが、今回の指示は警察本庁の人員による一網打尽が基本となる。その難易度を、この段階で上げるのは上手くない。

 そこで、船が出港地点から三百メートル離れたあたりで発砲するのだ。

 作戦概要を頭の中で反芻しているうちに、船が港からゆったりと離れていく。

 観測員として別の位置に配備された主力捜査官の一人から連絡が入った。

『こちらダッシュ・ツー。ダックが陸から離れていく。まだ撃たないでくださいよ?』

「スラッシュ・スリー、了解」

 しばらく待つ。船が陸から百メートル離れる。

「なあ、そろそろ撃っても良いんじゃね?」

「堪え性がねぇなぁ。子供か、おめぇは」

 ライフルの中から、相棒のQP、メテオが辟易として言った。

「んだとコラ。これが終わったら花香ちゃんとの情熱的な一晩がだな……」

「だったら指示通り、確実に成功させろ。勝利の美酒は終わった仕事の完成度次第で味わい深く醸成されるって言うぜ?」

「言うじゃねぇか」

 船が二百メートル地点を通過し、船尾をこちら側に向ける。

「頭を狙いたいのに……」

「俺とお前なら出来ない事は無いだろ。スコープに航行機器の位置データを送るぜ」

 メテオがスコープ内で、こちらが狙うべきポイントを赤点で表示する。これで、甲板を貫いた向こう側に備わる計器類を狙えるようになった。

『こちらダッシュ・ツー。ダックが三百メートル地点を通過』

「あーばよっと」

 引き金を引くと同時に、重たいリコイルが全身を震わした。

 ホテルの高い位置から放たれた弾丸は斜め一直線に撃ち下ろされ、船尾の上を越えて前部の甲板を見事に貫いた。

 引き続き、全弾発砲。甲板上に北斗七星みたいな穴が空く。

『こちらダッシュ・ツー。北京ダックの出来上がりだ』

「おっしゃ、ブルズアイ!」

 これで航行機器はほとんどがお釈迦となり、船が洋上で停止する。引き続きスコープを覗くと、港のコンテナが一斉に開き、海上保安庁から拝借したクルーザーが次々に海へと放たれていくのが見えた。

 港から三百メートル離れた貨物船は海上で完全に孤立している。中から逃げ出そうにも脱出艇や救援ボートの準備に時間が掛かるだろう。あとはたったいま発進したクルーザーに乗っている警察の連中が貨物船を制圧すればゲームセットだ。

 こちらの仕事は終わった。雄大は晴れ晴れとした気分で踵を返す。

「さて、帰りにゴムでも買っていくかね」

「なあ、雄大」

「ん?」

「いい加減学習しろよ。花香ちゃんのあれ、単なる嘘っぱちだからな」

「…………」

 雄大はしばらく固まると、ゆったりと身を翻し、胸ポケットからセブンスターを一本取り出して、フィルターを口に咥えて先端に火を点ける。

 たっぷり吸い、暮れなずむ夏の空に紫煙をふわりと吐き出す。

「薄々、気づいてたんだ……嘘だって」

「そうだったのか……。ところで」

 メテオがやたら神妙な声で告げた。

「もう一人だけ、全く気付いていないバカがいるよな」

「……あ」

 雄大は思い出してしまった。

 そう。花香が嘘っぱちを吹き込んだ相手が、雄大一人だけでは無い事に。


   ●


 QP/本部の取り調べ室にて、将星は蓮池藤二を相手に事情聴取を行っていた。

「麻薬についてはだんまりですか?」

「…………」

 蓮池の態度は非協力的だった。少なくとも、逮捕されたからといって完全に観念した訳ではないらしい。

「じゃあ、別の話題を振りましょう」

 将星の手元には、蓮池のプロフィールが記された紙の束が置いてある。これを文彦は一時間足らずで集めたと言うが、紙の厚さから見れば、彼が嘘をついているとしか思えない程の内容量だ。

「蓮池藤二。およそ十年間、ソクラテスソフトでアートディレクター兼監督として活動していたが、いまから丁度一年くらい前に退職して何故かヨヨギでバーを開いている。加えて、あんたが退職してから半年後にソクラテスソフトは別の大手映像メーカーに吸収、合併されている。この動向から、ソクラテスソフトはあんたと相棒のパララを軸に据えて作品製作していた事が窺える」

「…………」

「あんたの演出技術も然ることながら、パララのパーソナルコードから生まれたモザイクも中々に使い勝手が良かった。映像編集の手間を省いたり、モザイクの解像度を自在に変更出来たり――まあ、それはともかくとして、そんなあんたが主体としていたジャンルは『露出狂』、そして『薬物』だ」

「君はまだ十四歳だろう」

 蓮池がようやく口を開いた。

「良いのかい? 私の作品は十八禁だぞ?」

「じゃあ、あんたはさっき、若干十四歳の女子中学生に何をしようとしていた?」

「…………」

 彼はまたもや黙り込んでしまった。

「話を戻しましょう。そんなヒットメーカーの中心に居たあんたが、十年も勤めた会社を手放す気になった理由って何ですか?」

「…………」

「おっと、答えなくても良い。理由はもう分かってる」

 将星はわざとらしく身を揺らしておどけると、机の上に出した借り物のタブレットPCの画面上に、あらかじめブックマークしておいた掲示板サイトを呼び寄せた。

「これは随分前から存在する、露出癖のある有志の誰かが立てた掲示板サイトです。例えば露出に向いてそうな場所、集団露出の計画、あるいは自撮りの画像……とにかく露出に関するあれやこれやが好き放題に書かれている」

「それがどうした?」

「あんたの自宅のPCから、このサイトに書き込みをしたっていう履歴が残っている。しかも、露出狂の集いを仄めかすような内容だった」

 つまりは、あのバーの事だ。

「あのバーの扉の向こうが露出狂達の隠れ家になっていたのも、バーの内装を設計する段階で既にそのスペースを作るように指示してあったからだ。つまり、あのバーは元々、ネットがきっかけで集まった露出狂達の秘密基地として開かれた」

「じゃあ、老人が集まっていたのはどう説明をするつもりかな? 老人がネットの掲示板に……というか、露出癖があるだなんて普通は考えられないだろう」

「何言ってるんすか? 僕ら、二一一五年の人間ですよ?」

 将星が目を丸くして言った。

「二○一○年の段階で既にインターネットが常識的に普及していて、しかも日本国民全体のモラルが迷走して、年々酷くなってるんですよ? 二○四○年前後の段階で出生した日本国民なんてデジタルネイティブかつカオスの権化じゃないですか」

「酷い言い様だな……」

 蓮池が有り体に言ってドン引きしている。

 だが、こちらは決して間違った事を言っている気は無い。

「何にせよ、あんたが会社を辞めた時期と、この掲示板に書き込みをした時期が丁度重なっている。おそらく、こんな掲示板を何かの間違いで見つけちゃったのが退職の理由だったりして?」

「……ここまで言い当てられると、もう抵抗する気が無くなるな」

 蓮池が視線を落とし、落胆したように述べる。

「そうだよ。最初はただ興味本位で覗いていただけなんだ。でも見ていくうちに、私は作りたくなってしまった。私がいつも作っているような、文字通り作り物じゃない、本物の露出……この価値を自分のものに出来るかもしれないと知った途端、私の中で何かが弾けたような気がした」

「それでその露出狂達に一時的な秘密基地を提供していたんですね。じゃあ、町中に撒かれたモザイクは何ですか?」

「あれはパララのパーソナルコードを改めて検証する為のテストみたいなものだよ。仕事をしているだけでは見つけられないような使い方について研究していた」

 自分のQPの固有技――つまりはパーソナルコードについて調べたがる気持ちは分からなくも無い。将星も未だにセイランの<バブルブリンガー>の全てを把握している自信が無いので、いつか時間が出来たら検証しようとは思っている。

「その過程で、色んな事が発覚した。QPドライバーの位置情報や、QPそのものに登録された個人情報にモザイクを被せて秘匿出来る事とか。まあ、大体の使い道は、集まった露出狂の局部全てにモザイクを掛ける事くらいだったけど。でも、露出の初心者にとっては良い補助輪になっていたようだ」

 つまり、露出自体に興味はあるが迷いもあるという人達の為のモザイクだったのか、あれは。

だとしたら、セイランが最初に予測した通りだ。蓮池の息が掛かった露出狂達は皆、自分が裸で外を歩いていようが他人には自分の素性がほとんど分からないという状態に置かれていたので、当人達からすれば気分的にはやりたい放題だったのだ。

 ていうか、俺は何で露出狂達の気持ちを理解してんの?

「……なるほど。でも、彼らに麻薬まで打つ必要性が何処にあった?」

「それについては答えない」

「あっそ。じゃあ、ここから先は俺の妄想で話を進めるぞ」

 将星は天井に目を向け、視線を泳がせながら述べる。

「あんた自身は麻薬まで使おうとは思っていなかった。いや、薬を本当に使おうとしたとしても、精々媚薬程度で済ませようと思っていた。でも、麻薬まで使わざるを得ない状況にあんたが陥っていたとしたら? 例えば、あんたが前に勤めていた会社が撮影の為に取り寄せているアンプルの卸元に、個人的に付き合いのある友人がいて、そいつが麻薬組織と繋がりがあった。そして、その友人は薬の効果を確認する為の実験台として、あんたが匿っていた露出狂達に目を付けた――雑だが、こんなところですかね」

「良く出来た妄想だな」

「でしょう? でも、案外アリだと思うんですよ」

「何故だい?」

「覚醒剤以外にも露出狂達の体内には見た事が無いタイプの薬物が注射されていたみたいでして。例えば、一発のスタンガンを凌ぎ切れる程の効能を肉体に与える痛覚遮断ドラッグ。もし新薬なら、実際の効果は試したくなるもんですよね」

「……………………」

「まあ、QP/にとっちゃどうでもいい話です」

 将星は鷹揚に立ち上がり、タブレットPCを小脇に抱えて踵を返す。

「世の中には適材適所というありがたい言葉がある。例えば俺達が解決するのはQP絡みの事件だけです。だから実際のところ、俺達の興味はパララが使ったパーソナルコードだけなんです。でも、一応は忠告しておきましょう」

 将星は間近で蓮池の顔を覗き込む。

「あんまり、俺達おまわりさんを舐めるなよ? このイカレポンチが」

「……………………」

「じゃ、機会があったらまた今度」

 将星は何事も無かったかのように取り調べ室を後にした。


   ●


 ここ数日間はトラウマ尽くしだった。事件内容自体が十八禁だった事も考えると、どう考えてもQP/が青少年健全うんちゃらかんちゃらにうるさそうな連中に怒られる未来しか見えない。結局はまだ解明していない謎もあるし、外側だけ見れば大爆笑必至な事件だが、その内実は正直遣る瀬無い。

 でも、悪い事ばかりじゃない。

 QP/の本部から出た将星は、思いっきり両腕と背筋を伸ばした。

「さーて、やっと星乃に会いにいけるな」

「将星、将星」

 頭の上に乗っていたセイランがこちらの頭皮をドラミングしてくる。

「ん? どした?」

「アイリスからメールが来た。花香ちんのあれ、嘘だってよ」

「…………」

 将星がその場で立ち止まり、しばらく呆然とし、

「あのクソアマァ……! いつか絶対シバく……ていうか、犯す!」

 状況を理解し、般若の形相を表出させる。

「あ、将星さん」

 丁度良いところに、後ろから花香が駆け寄って来た。

「お疲れ様です。あ、そうそう。さっき言ってた星乃さんのアレなんですけど――」

「嘘、なんだってな」

 将星は首を後ろに回し、瞳の奥を爛々と光らせる。

「ですです。だから、勢い余って告白なんかしちゃ駄目ですよ? 後悔しますから」

「ああ……丁度いま、アイリスからセイランにメールが来てな」

「え? そうなんですか? もう、あの子ったら勝手な真似を……」

「花香ちん、逃げた方が良いと思う」

 セイランがのほほんと花香に警告する。

「いまの将星、完全に花香ちんにボッキンキン」

「ボ……何ですって?」

「それから、後ろ、後ろ」

「え?」

「はーなーかーちゃーん?」

 花香の背後から、これまた都合良く、仕事帰りの雄大が現れる。

「ゆ……雄大……さん?」

「ちゃんとサガ●オリジナル買ってきたよぉ?」

 コンドームの箱をこれみよがしにちらつかせる雄大の目は、あきらかに正気を失っている人のそれだった。

「さあ、ちゃんと約束を果たしてもらおうか?」

「雄大さん。この女にその気は皆無でしょう」

 将星が至って冷静に述べる。

「なので、どうでしょう。男の純真を弄んだ罪を、ここであがなってもらうというのは」

「ナイスアイデアだ、将星。――さあ、どう料理してくれようか……?」

「ご……ごめんなさい……許して……」

「「許さん!」」

 QP/本部の敷地内で、将星と雄大は花香を相手に、十五分にも及ぶ壮絶な追いかけっこを実行したのであった。

 結局、二人は確保した花香に罰ゲームとして、向こう一か月分の掃除当番を全て彼女に押し付けたのである。

 良い子のみんな! 嘘を吐くならもっと計画的にネ☆


            #7「モザイクで隠せるのは恥部だけではない」 おわり


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