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QPドライブ  作者: 夏村 傘
第二集「社畜捜査官・生島将星の憂鬱」
6/11

#6「社畜捜査官・生島将星の憂鬱」


   #6「社畜捜査官・生島将星の憂鬱」


   【Aパート】


 初夏の兆しを通り過ぎ、熱気がじわりと大気を蒸らす六月某日の事である。

生島将星は八百屋の店頭で野菜を選ぶ振りをしながら、背後で黒い礼服姿の男二人に挟まれて歩く少女にちらちら視線を配りながら呻く。

「あー……あちぃ……」

「おいらは超涼しいー」

 将星の頭の上にビニールプールを置き、水着姿で涼んでいる小人型QPの存在が恨めしい。

 将星の相棒、セイランが安っぽい水鉄砲からしょぼい水流を飛ばす。

「どぴゅ、どぴゅ、どりゅりゅりゅりゅー」

「やめろコラ。如何わしい効果音を付け足すな」

「しこしこぴゅっぴゅー」

「だから、お止めなさいって」

『なに遊んでるんですか』

 耳に装着したインカムから涼やかな少女の声が聞こえてきた。

『しっかり柊子様を見張ってください、どうぞ』

「そっちは良いよな。待機地点が喫茶店のテラス、しかも日陰ときた。こちとら炎天下で、しかも八百屋の前だぞ。さっきから店主のおやっさんに白い目を向けられています、どーぞ」

『文句を言わないでください、どーぞ』

「やかましい、どーぞ」

『先輩の私に対する敬意が欠けていますね。長官に言いつけますよ? どーぞ』

「是非止めてください、銅像」

 通信の相手、空井花香は、この通りあー言えばこう言う奴である。年齢の上で言えば彼女がQP/内で最年少なのに、入った順だと将星の先輩にあたるのだ。

 将星がやれやれと首を振っていると、問題の少女――移ノ宮柊子うつしのみやしゅうこ様が小さな書店の前で立ち止まった。

「こちらスラッシュ・セブン。お姫様が書店の前で立ち止まった。店頭に置いてあるティーンエイジャー向けのファッション雑誌に興味を持たれたご様子です、どーぞ」

『雑誌の名前は何ですか、どうぞ』

「I’s tuneアイズ・チューンです、どーぞ」

『後で買ってきてください、どーぞ』

「さらっとお遣いを頼むな。衛星回線を何だと思ってんだ、どーぞ」

 QP/に配属された当初、花香は真面目な子だと思っていたのに、何をどう間違ったのか、最近はずっとこんな調子だ。

 同じ回線から、また別の声が割り込んで来る。

『こちらスラッシュ・スリー。怪しげな男がスラッシュ・フォーの現在地点を通りかかろうとしている。夏場なのに黒いブルゾンとニット帽。見ているだけで暑苦しいったらありゃしない』

『スラッシュ・フォー、了解。マークに付きます。領収書はQP/の本部宛てで切っちゃっても良いんですよね?』

『何を注文していたかにもよる。どーぞ』

『抹茶のフラペチーノとシフォンケーキです、どーぞ』

「高い奴じゃねぇか。ちゃっかり満喫してんじゃねーよ、どーぞ」

 仕事中に遊んでんじゃねーよ。だったら俺にもポカリの一本くらいは寄越せや、どーぞ。

 という愚痴はさておき、将星もベルトに装着していた銃型QPドライバーのグリップに軽く手を添えた。

 現在、将星と花香、小坂雄大の三人に与えられている任務は、さっきからずっと将星が付近で見張っている移ノ宮柊子様の護衛だ。QP/は警察の下部組織なので、時にはSPまがいの仕事も引き受ける場合がある。

 ところで、さっきから何で例の少女の名前に様を付けているかだが、その答えは実に簡単かつ明瞭だ。

 何を隠そう、護衛対象である彼女は皇太子の第一女子なのだ。

 ごついSP二人を従えて商店街の石畳を闊歩する柊子様は、身分相応と語れるくらいには外見も美しい。整った顔立ちには柔和な笑みを常に湛え、長く下ろした髪はその言葉の通り一糸の乱れも無い。シルクで織られた白のロングスカートに水色のトップス、レースのカーディガンを纏って夏風を受けるその姿は、風景画などで見られる景色に佇むたった一人の登場人物のようだ。

 そんな彼女を護るには、背後に控えるSP二人だけでは心許ない。だから、マテリアライザーをいつでも強制発動出来るQPドライバーを有する捜査官の三人が更なる護衛として抜擢されたのだ。

「それにしても、迷惑な話だ」

 将星が誰に対してでも無く呟いた。

「皇太子様の子女が物見遊山でお出かけなんかしやがって。しかも、治安が悪いネリマなんぞに。これ、ボーナスはちゃんと出るんだろうな」

『まあまあ。そうは言ってもまだ十五歳ですし、身分を差し引けば普通の女の子なんですから』

「その身分が問題なんだよ。それより、例の男は?」

『そちらの現在地点を迂回するようなルートで歩行してます』

「なんじゃそりゃ。もしかして尾行されてるのがバレたんじゃ――」

「きゃあああああああああああっ!」

 突如として響き渡った金切り声は、いましがた石畳に尻餅をついた柊子様のものだった。

「なっ……」

 将星は言葉を失った。

 柊子様の護衛についていたSPの男二人が、揃いも揃って血で濡れた腹部を押さえてうずくまっているのだ。

 駆け寄ってSPの容体を確認しようとしたが――柊子様の視線の先にいたTシャツ姿の浅黒い肌をした若い男が、手にしたサイレンサー付き自動拳銃の照準を彼女に合わせる。

 男の引き金を引く指に力が入る。

 すっと、将星は自分の頭が冴え渡っていく感覚を味わった。

 動揺は一瞬で忘れた。姿勢を低くして駆け出し、男の懐に潜り込む。男はいきなり目の前に現れた将星の存在に目を丸くして動きを一瞬止める。

 この刹那は見逃さない。将星がごく自然な意識下で掌底を放ち、相手の拳銃を真上に弾き飛ばす。続けざまに空いた片手の拳を握り、直線的な軌道で相手の腹に拳を突き出し、体を後方に押し退ける。

 さらにすかさずミドルキックを入れてやると、少なくとも将星の倍以上の体格を有するその男が体勢を崩し、後ろに倒れ込んだ。

 これも日頃の訓練の成果だ。武装したチンピラ程度なら簡単にあしらえる。

『将星さん、そっちにもう一人が行ってます!』

「了解」

 頷き、振り向いた時には既に、さっき花香が追尾していたニット帽の男がナイフを抜いてこちらに突進していた。彼の狙いは視線からでも丸わかりだ。

 野郎、こっちを無視して、柊子様を刺しに来やがったな?

「柊子様はそこを動かないで!」

 さっきからずっと恐慌してその場を動かない柊子様に鋭く指示するや、将星は突進してきた男が突き出すナイフを横にずれてかわし、軸足を狙って足払いを仕掛ける。

 ナイフの男が前のめりに倒れ――咄嗟に手を付いて勢いのままに石畳の上を前転し、立ち上がって再び駆けだした。

 しまった。みすみす、柊子様の眼前に野郎を送り出してしまった。

「――と、思うじゃん?」

『射線確保、ご苦労様』

 インカムから雄大の声がしたと思ったら、男が握っていたナイフの刃が粉々に砕ける。銃型QPドライバーによる、雄大の物陰からの精密射撃だ。

 ナイフの男はすぐに危険を察知したらしい、一旦後退して距離を置くと、すぐにブルゾンの裏から別のコンバットナイフを用意する。

 一方、さっき将星が転ばした浅黒い男は既に立ち上がっており、ジーパンのポケットからリボルバーを抜き出し、雄大が潜んでいるパン屋の物陰を狙っていた。

 なるほど、二人一組の殺し屋か。思ったより戦い慣れている上に、自分の命を最優先に慎重な動きを見せている。

 だとしたら、暗殺が失敗した時点で逃げないのは何故だ?

「野郎が狙ってるのは柊子様だけじゃない……?」

「いまはそんな事を考えてる場合じゃないぞよ」

 セイランに言われて、すぐに気付いた。

 一連の暗殺劇を見ていた一般の通行人達が、ようやく事態の深刻さを飲み込んだらしい。一様に恐慌し、ざわつき始めたのだ。

「そうだったな。じゃ、いつものアレな」

 将星は頃合いを見計らい、右手首のリンクウォッチから、ホログラムで警察手帳代わりのエンブレムを表示させる。

「俺達はQP/だ。貴様らを殺人未遂の現行犯で逮捕する」

「ちっ……私服警官が潜んでやがったか」

 浅黒い男が忌々しげに舌打ちする。

「どうするよ。まだまともなデータすら取れてないぜ」

「しゃーねーよ。適当にやり過ごして、とっとと引き上げようぜ」

 ニット帽の男が冷静に答える。

「そういう訳だ。じゃ、さようなら」

「そうは問屋も卸しませんよ」

 薄い茶色のシャギーカットを揺らし、小柄な少女が男達の横側から銃型QPドライバーを突き出して告げた。

「可能な限り手荒な真似はしたくないんです。大人しく投降してください」

「嫌だと言ったら?」

「強引にねじ伏せるまでだ」

 将星が答え、左手に銃型、右手にグリップ型QPドライバーを握った。

「いくぞ、セイラン」

「ういー」

 左手の銃で発砲。男二人は機敏な動きでそれぞれ散開すると、ニット帽を被った男は花香に飛び掛かり、浅黒い男は将星に発砲しつつ、空いた片手で何処からともなくもう一丁のリボルバーを抜き、雄大が潜む物陰に発砲する。

 将星はグリップ型QPドライバーを中心とした六角形状の<シールド>を展開し、銃弾を凌いで手近な軽トラックに身を潜めた。

 銃型QPドライバーを仕舞い、右のサイドバックルのケースからメモリーカードを一枚取り出し、中央のバックルに空いたスリットに挿入する。

『シフト・シューター』

射撃モードに換装。グローブ型QPドライバーを嵌めた左手の上に水色の光るリングを生成、中央から少量のシャボン玉を呼び出す。

 銃声が入り乱れる中、六秒が経過。シャボン玉の中にそれぞれ、三つの光の粒が生まれる。

 ナイフ男は花香、リボルバーの射手は雄大が足止めしている。

 撃つなら、いまだ。

「二人共、散れ!」

 花香と雄大が交戦を打ち切り、将星の指示に従って発砲を中止。すぐに散開し、柊子の目の前を塞ぐように陣取った。

「ブレイク!」

 こちらの合図に従い、頭上を覆っていたシャボン玉の数々が全て破裂。内包されていた青い光の粒が一つ残らずレーザーとなって伸びる。

青い流星群が降り注ぎ、狙い過たず、全弾が男二人の全身に直撃する。

 二人は揃って何度か痙攣し、白目を剥いて前のめりに倒れ込む。射撃用バトルコードに麻痺効果を持たせるオプションコード、<スタン>のレーザーを十発以上も総身に受けた結果だ。

 将星は軽トラックから顔を出して男二人の末路を確認し終えると、次に雄大と花香に守られていた柊子の前に歩み寄って訊ねた。

「柊子様、お怪我は?」

「あ……だ……だい、じょう……ぶ……です」

 彼女も相当混乱しているらしい。返事も明らかにたどたどしい。

 将星は次に、腹を抱えて倒れ込んでいたSP二人の傍に跪く。

「大丈夫ですか?」

「あ……ああ、問題、ない……防弾ベストを貫通しただけだ……」

「いますぐ救急車を呼びます」

「かたじけない……」

「あなた達は優秀なSPです。こんなところで犬死にはさせない」

 実際、浅黒い男から放たれた凶弾を防いで柊子様を護ったのはこの二人だ。将星達は単にその実行犯を倒しただけに過ぎない。もっと早くこちらが気付いていれば、彼らにこんな苦労を背負わせずに済んだのに。

 さすがに済まない事をしたという気分になる。全てはこちらの過失だ。

 救急車にダイヤルして状況を全て伝えると、いましがた暗殺犯二人を手錠で拘束した雄大がこちらの背後に歩み寄ってきた。

「将星。ちょっと良いか?」

 雄大が将星に立ち上がるように促すと、二人はSPの傍から離れ、電信柱の陰まで身を寄せた。

 雄大は最初に、信じられない言葉を口にした。

「あいつらの所持品を調べたんだが、本来だったら持ってるべき物を持っていなかった」

「……マジすか」

 将星は唖然とした。

 薄々分かってはいたが、あの連中はQPドライバーを所持していない。

「じゃあ、奴らは一体――」

「全ては移送してからだが……それよか、ちょっと面倒な事になったな」

「え?」

「ほら、あれ」

 雄大が指差した先では、花香に面倒を見てもらってる柊子の姿があった。彼女は何故か、将星に視線を向けたまま固まってる。

「天皇家の暗殺騒動が公衆の面前に晒されちまった。大スキャンダルだぜ、これは」

「そうっすねぇ……」

「……様」

「は?」

 将星は柊子様が小声で何か呟いているのに反応してしまった。

 すると何を思ったのか、柊子様の顔が徐々に明るくなる。

「将星……様……」

「え?」

「将星様っ!」

 彼女はすぐに立ち上がり(その拍子に頭が花香の顎に激突した)、およそ貴族の娘とは思えない無邪気さを湛えて駆け寄り、事もあろうに将星に向かって全力で体当たりしてきたのだ。

 さらに、愛しいぬいぐるみに縋るようにして抱きつかれた(花香は顔を押さえて悶絶している。可哀想に)。

「? ? あの、柊子様?」

「すごい、すごいすごい、すごい! 将星様、すっごくかっこよくて強いですわ!」

「あの……俺一人の力じゃないんですが……」

 むしろ、ナイフ野郎の得物を精密射撃で破壊した雄大の方が褒められるべきだろう。将星はただ火力と物量の力押しを仕掛けただけだ。

 この娘、仕方ないとはいえ、状況をよく見ていないんじゃないのか?

「ねぇねぇ、花香ちゃん!」

 柊子が花香に勢いだけで訊ねる。

「彼、私が貰って良い!?」

「も、貰うって……」

「いいでしょ、いいでしょ!?」

「あの……それは長官の許可が必要でして……」

「ああ、俺の人権は無視するのね」

 権力すげぇ。権力ってマジ権力(意味不明)。

「彼を私のお婿さんにする!」

「いやだから、人の話を聞いてください」

「新婚旅行は何処へ行きます? オーストラリア? アフガニスタン!?」

「聞いてねぇし」

 彼女の口から最後に飛び出した国の名前は忘れるとしよう。

 柊子様が早口でまくしたてる。

「私、実は花香ちゃんと同じ女子校に通っているんですけど、お陰様で素敵な殿方との出会いに恵まれていないのです。だからどうせ出会うなら、あなたのような理知的で頑強なお方が良いなと日頃から思っておりまして、ですから――」

 さっきあんたを凶弾からかばって倒れたSP二人が浮かばれねぇよ――という、若干申し訳無い気分のまま、将星は小一時間近く彼女の話を一方的に聞き流していた。


   ●


 ここ一週間、柊子様暗殺未遂のスキャンダルが話題になり、当事者である将星達もその対応に追われていた。やれ週刊誌の取材を突っぱねろやら、やれ勝手にQP/の本部に上がり込んだ柊子様の相手をしろやら、とにかく酷い目に遭った。

 お陰様で将星の体力は甚大な被害を被っている。目の下のクマがその仕事の苛烈ぶりを象徴していると言っても過言ではない。

 教室に入るなり自分の机に顎を乗せて呻いていた将星は、一限目の授業が始まっても未だに意識が判然としていなかった。

 脳みそが起きたのは、いま自分が受けている授業が、実は必修科目の授業などではないと知った時だ。

 担任の女教師である水谷の口から、驚きの発言が飛び出した。

「今日は通常の授業をストップさせて、文化祭の出し物について話し合いましょう」

「……あ?」

 将星が間の抜けた声を上げると、クラス全員の視線が将星に集中する。

「文化祭? 何の話ですか?」

「生島君こそ、何言ってんの?」

「はい?」

「え?」

 ん? ん? 何だ? 会話になっていないぞ?

「将星君、将星君」

 左隣の席から、クラスメートの白沢雪見が助け舟を寄越してくれた。

「もしかして何も知らんのか」

「だから、何を」

「夏休みに入る直前、エリア・ネリマ全域を使った学校対抗の文化祭があるって話。随分前から告知されていたと思うんだけど」

「……おやすみ」

「寝るな」

 雪見に教科書ですぱーんっ! と頭を叩かれる。痛い。意味が分からない。

「……そんな話は知らん。一っ言も聞いた事が無い」

「知らないなら教えてあげよう」

 雪見は事情の全てを説明した。

 エリア・ネリマの対抗文化祭。ネリマの教育委員会が打ち立てた企画の一つで、区内全域に配置された中学校、高校、大学が一斉に文化祭を行うという企画だ。開催期間である三日間、客はエリア・ネリマ内全学校の文化祭を一通り見て回れるのだ。

学生連中による町全体を巻き込んだお祭り騒ぎ、という認識で間違いは無い。

「もう何カ月も前から告知されて、準備も着々と進められていた訳だ。じゃあ、何で俺のところには連絡が行かなかったんだ?」

「君の場合は最近、緊急出動エマージェンシーが多かったからかもしれない」

 雪見が頷き納得しつつ答えた。

「君もそれなりに大変な立場なんだろう。知らなかったのも無理は無いか」

「俺が知らなかっただけ――じゃあ、俺が知らない間に企画が進んで、もっと言えば出し物まで決まっちゃったって事か?」

「そういう事になる」

「白沢さん、説明ご苦労様」

 こちらのやりとりを時間的にも見かねたらしい、水谷が咳払いしつつ言った。

「とにかく、そういう事なの。理解した?」

「……あらましだけは」

「そう。じゃあ、さくさく進行しましょう」

 いやいや、進行しましょう、じゃねーよ。

 まだ、詳細を何も聞いてないんですけど!?

「将星君、将星君」

 またもや、雪見が小声で話しかけてきた。

「一応、これ、詳細資料」

 彼女から差し出されたのは、合同文化祭の企画概要が纏められた藁半紙の束だった。重要な点はちゃんと蛍光ペンで線を引いてるあたり、彼女の意外な真面目さが薄々ながら伝わってくるようだ。

 それにしても、何て気が利く良い子なんだ。嫁にしたい。

「感謝するが良い」

「あざっす」

 お互いにサムアップを決める将星と雪見であった。

 将星は寝ぼけた頭を高速回転させ、資料を全力で読み込んだ。

 イベントの概要はさっき雪見が説明した通りだ。開催期間は海の日を迎えるまでの三日間。いまが七月の初頭だから、二週間後にはもう開催されている計算だ。しかし、いまはそんな事などどうでも良い。

問題はその詳細、そしていま現在の状況である。

 水谷が勝手に司会進行しているのを尻目に、目はインクの文字を追っている。

 学校対抗なだけあって、各学校に与えられた選択肢はかなり広い。学校一つが一個の出し物の為に総力をつぎ込むのも良し、通常の文化祭通りにしてみるのも全然アリ、一部の大学は過去に町内全体に屋台を開いていたなど、知れば知る程にその自由な在り方が見えてくる。

 そして開催期間終了後、どの学校の文化祭が一番面白かったかという人気投票も執り行うらしい。集計結果と順位の発表、一位を獲得した学校に対する表彰が行われるのは夏休み明けとの事だ。

 さて。ここまで理解したところで、更なる疑問が追加される。

 まず、文化祭に対する松陰中自体の方針である。

 将星はチョークの白い文字でびっしりと埋め尽くされていた黒板を見遣る。

 その中に一つ、興味深い文字列を発見した。

「……え?」

「おお」

 肩の上に乗っていたセイランも唸った。

 何故か知らないが、黒板の右端に、チョークでメイド喫茶と書かれているのだ。

「メイド喫茶って……まさかとは思うけど、学校全体でメイド喫茶を?」

「いやいや、そんな馬鹿な」

 これには雪見が更なる助け船を寄越してくれた。何だろう。普段はそうでもないのに、今日だけはやたら彼女を心強く感じる。

「松陰中自体の出し物は『大型商業施設の再現』。教室の多さを利用して呉服問屋やリサイクルショップ、本屋や家電量販店の集合体を作ろうって話だ。各クラスが一個ずつ店を持っている、という設定でね」

「つまり、学校全体を使ってショッピングモールを作ろうと?」

「そういう事。まあ、中学レベルのクオリティ程度なら、小規模のバザーが寄り集まっただけのショボい出し物にしかならんだろうけど」

「だとしたらおかしくね? 何ゆえメイド喫茶? 普通の喫茶店なら併設されてるかもしれんけど、ショッピングモールにメイド喫茶はさすがに聞いた事が……」

「それについては後で説明する。とにかく、うちのクラスが出す店はメイド喫茶だ」

「はあ……」

 別に、学校全体が打ち立てたコンセプト自体には何ら疑問は無い。というか、有り体に言ってどうでもいい。どうせ、その日は社宅から一歩も出る事なく床に伏せっている予定の将星には関係が無い話だ。

 ただ、それでも興味をそそられる部分も存在する。

「セイラン。他の学校の出し物が何か、調べられるか?」

「それについてならさっき花香ちゃんからメールが来たおー」

「ほう?」

「ご覧あれー」

 セイランがこちらの目の前に、光学ディスプレイを寄越して来た。

 そこに記載されたメールの内容を読んで――将星は顔を険しくしかめた。

「なるほど。花香ちゃん達の学校は各所ステージでのダンスイベントか」

 ネリマには最近、各所にいくつかの公演用野外ステージが作られている。花香が通うエトワール女学院の女子生徒達は、炎天下の中でそこに出向き、三日間ずっと何かしらのダンスを踊り狂っていなければいけないらしい。

 これ、保護者からのクレームとか大丈夫だったのか? 安全衛生とか倫理的な面で、何かしらのお叱りをP●Aから学校側にブチ込まれそうなものだが。

 ちなみに、メールの文章には続きがある。


 ただでさえQP/の仕事が大変なのに、こんな事までやらされたら流石の私も死んじゃいます! 助けてください、将星さん! (>_<)


「いや、助けてくださいって言われてもなぁ」

「他の学校なんて凄いわよ」

 今度は誰かと思ったら、雪見の足元からグレイスがひょこっと姿を現した。

「近くの桂木中なんて、学校内全てをフィールドにした水鉄砲のサバイバルゲームですって。参加者は科学部の生徒が開発、量産した特殊なTシャツを着るんだけど、そのTシャツがまた凄くてね。真ん中の的の絵柄に水が当たったら何かしらの絵柄が浮かび上がる仕組みらしいの」

「本当だ。参加者の事前登録までネットで始まってる」

 桂木中のホームページを覗き、将星が感嘆する。

 学校の中だけで行われるゲームだというのはこちらと同じだが、生徒と教師の全員がサバゲー運営の為のステージを学校内に作り上げている様子などが写真などでも公開されている。

 なるほど、非日常を求める現代人の闘争心をくすぐる内容だ。

「ていうかもう登録締め切りかよ。とんでもない人気だな」

「それに比べて、この連中ときたら」

 セイランが珍しく忌々しげに呟き、膠着状態に入っていたクラス内の会議に意識を戻した。

 実はさっきからずっと会議の内容はちょこちょこ聞いていたのだが、やれ「あたしメイドやりたーい」とか「だから、メイドにも定員数が」とか「白沢さん以外誰も厨房スタッフいないのかよ」とか、ずっと不毛な言い争いばかりを続けていた。

「こいつら、基本的に自分の事しか考えていないな?」

「おお、いつもは穏やかなセイランがご機嫌ナナメだ」

「だって、おいら、楽しくないのが大っ嫌い!」

「……たしかに」

 ここはセイランの言う通りだ。徒に時間を浪費するだけの会議に意味は無く、そして楽しくも無い。こんなに無意味な時間の為に学校に出向くくらいなら、文化祭の事なんて聞かずに社宅で寝てりゃ良かった。どうせ通常の授業は無いし。

 過労死のリスクと輝かしき青春の一ページ。秤にかけるまでも無い。

「そもそも、誰がうちの学校の出し物を決めたのやら」

「校長よ」

 こちらの話を聞いていたらしい。教壇の水谷が淡々と答えた。

「何か文句でも?」

「…………」

 気付けば、教室内がしんと静まり返っている。おそらくは付近の誰かが将星とセイラン、グレイスの会話を聞いて、その内容が徐々に伝播していったのだろう。

 集団社会の、この賢しき愚かさよ。こういう雰囲気で息が詰まるくらいなら、ずっと不毛な会議を続けてくれた方がまだマシだった気がする。

 将星はちょっとした頭痛を覚え、ふらりと席を立った。

「すんません。ちょっと頭痛くなったんで保健室行って良いっすか」

「ええ、どうぞ」

 むしろ出ていけ、と言われているように錯覚したのは俺だけだろうか。

 将星が衆人環視に見送られて教室から出ると、後ろから金髪ポニーテールの少女が横に並んできた。

「将星、大丈夫?」

「星乃……お前まで出て来たのかよ」

「だって、心配じゃん。あんまり寝てないんじゃないの?」

 宇田川星乃の言っている事は大体合っている。

しかし、可能な限り彼女の同伴だけはご勘弁願いたかった。中学生女子にしては背がすらりと高く、校内トップクラスの美貌からファンも多いので、こういう時に二人で歩いているのを誰かに目撃されると即、妙な噂に繋がってしまうからだ。

現に、廊下でも既に内装の準備に取り掛かってる生徒達が多く散見される。本格的な内装の設置はまだ早い気もするが、おそらく仕事を前倒しにして進める方針なのだろう。

でも、この様子なら別に並んで歩いていても変に角は立たないか。

「心配すんな。俺の目的地は保健室じゃない」

 加えて、保健室云々は真っ赤な嘘である。

「え? そうなの?」

「他の教室も文化祭の話し合いやってんだろ。そっちを覗きに行く」

「どして?」

「俺が何も詳細を知らないからだ。全体の状況も一応は理解しておく必要がある」

 将星はまず、隣のクラスの様子を扉の窓から覗き見た。どうやら本格的な準備が始まっているらしい、このクラスでは小規模ながら、如何にもブックカフェらしい雰囲気が教室内で展開されている。

「ほほぉ、おっしゃれー」

「他のクラスの連中も出入りしてるみたいだな。準備が終わったクラスから順次手伝いに行ってる感じだ」

 このクラスは合同文化祭の基礎コンセプトを巧く利用した人材の運用を心掛けているらしい。学校全体が協力するというのなら、手の空いた他の学年、他のクラスから人員を引っ張ってくれば、マンパワーに任せたクオリティの出し物が展開出来る訳だ。

 なるほど、うちのクラスとは大違いだ。優秀な指導者でもいるのだろうか。

「にしても本格的だなー。壁を隠す内装と読書用のテーブルも外注か?」

「将星、他も覗きに行こうよ」

「だな」

 二人は学校中を一通り見て回り、目ぼしい物を見つける度に唸り声を上げていた。まるでウィンドウショッピングでデートしているみたいだ。

 観察もひと段落して、昇降口の前で一息つき、将星は結論から口にした。

「バカなのはうちのクラスだけだった」

「そうだねー……」

 いつも笑顔で満ちた星乃ですら苦笑するくらいなのだから、将星達のクラスの現状が如何に雑なものであるかがよく分かる。

 他のクラス、他の学年はそれぞれ、意外にもショッピングモールとしての体裁を保てるくらいのクオリティとして仕上がっていた。内装もおそらくは試しに設営してみただけで、いつでも組み立てとバラシが出来るセットになっているのだろうが、それはそれで尚更感嘆を禁じ得ない話だ。

 少なくとも他のクラスの方が準備は進んでいるのに、うちだけは未だに配役に関する会議の段階だ。

 不毛だ。あまりにも、不毛過ぎる。

「お、二人共、そんなところに居たのか」

 横から雪見が歩み寄ってきた。どうやら会議を抜け出してきたらしい。

「保健室で大人のお医者さんごっこしてるのかと思った」

 口を開けばすぐこれだ。見た目は可愛いのに残念な奴である。

 それにしても、星乃とお医者さんごっこか……星乃のナース服姿も悪くないな。

「……お前は何しに来たんだよ」

「無論、将星君と星乃に構ってもらいに来た」

「そうかそうか。雪見はやっぱりこっちの味方か」

 どんな理由であれ、こうしてクラスの会議を抜け出してまで会いに来てくれたのは嬉しい限りだ。

「で、会議の様子は? 進捗はどうですか?」

「進捗ダメでした」

「だろうな」

「でも、君に教え忘れていた事ならいくつかある」

「教え忘れてた事?」

「そういえば、メイド喫茶が商品として出すメニューの話をしていなかった」

「言われてみれば……」

「そのメニューは既に私の方で開発済みだ」

 雪見は手に提げていた学生鞄から紙の資料を取り出し、何枚かを将星に手渡した。

 いま将星が見ているのは、例の料理の写真とその概要だ。普段の食事においてメインを張れそうなものから、デザート、ドリンクなどのレシピが事細かに記載された文面を見て、将星は目を丸くして素直に唸った。

「これ、全部雪見が作ったのか?」

「うむうむ。それから、うちのクラスを監督する食品衛生責任の有資格者はうちのパパりんだ」

「マジで?」

 つまり、うちのメイド喫茶の責任者を、担任の水谷ではなく雪見の父親がやると言っているのだ。

「マジでマジ。食品を取り扱うなら、その手の人材は必要でしょ? だから家庭科室をメイド喫茶に魔改造して、パパりんと料理長の私がその部屋の支配者として君臨するのだよ、フハハハハ」

 忘れがちだが、教室だけを使って出し物を展開するのに固執する必要は無い。だから雪見が事前に色々と手を回し、家庭科室をメイド喫茶として利用する権利を勝ち取ってきたのだろう。

「なるほど、根本の部分はバッチリって訳か」

「問題はクラスメートの人達……だよね」

 星乃が控えめに呟くが、彼女の見解はそのまま正解だ。

 流し聞きしていたから詳しいところまでは知らないが、目下のところ、「誰がメイド役をやるか」という一点が大きな問題となっているようだ。

 一クラス四十人、男女の比率はハーフ&ハーフで二十人ずつ。

 ホール内で動かせる定員の都合上、女子二十人のうち、半数近くがメイド役から落とされる。約二十人の男子は設営さえ終われば用無しで、文化祭当日は純粋に遊び倒せると考えられるから気楽なもんだが、如何せん女子だけはそうもいかない。

 女同士の醜い争いとは良く言ったもので、運営する側からすればメイドは可能な限り見てくれの良い人材を採用したい筈だから、女子側の頭の中では『メイド役と自分の美貌がイコール』という図式が完成する。勿論参加に消極的な女子も少なからずいるものの、メイドの配役がそのままクラス内のミスコンとなり、あるいはクラス内及び等級内カーストの順位決めとなる。

 くだらん。そんなに自分の可愛さの順位を決めたいか、お前らは。

「……ていうか、何で俺がこんな事を考えなきゃならんのだ!」

 頭がパンクしそうになってる自分に気づき、将星はくしゃくしゃと髪をかいた。

「俺はまだ先月分の課題が終わってねぇんだよ! ぶっちゃけ文化祭の事なんてどうでも良いんだよ! むしろその三日間は社宅に引きこもってやる!」

「しょ……将星……?」

「ありゃりゃ、相当ガタが来てるな、これは」

 星乃が戸惑い、さすがの雪見も苦い顔をする。

 ややあって、いきなり校内放送が始まった。

『ピンポンパンポーン』

 何故か、スピーカーの向こうのバカが、肉声でチャイムの真似事をしている。

『二年Bクラス、生島将星君。生島、将星君。いますぐ生徒会室に来られたし。繰り返す。生島将星君、生島、将星君。たったいまお湯を注いだカップ麺の中身が程よく仕上がるまでに生徒会室に来られたし』

「人様呼び出しといておめぇはメシの準備か!? ていうか誰だコノヤロー!」

『三分以内に来れば、赤い狐と緑のたぬき、どっちか好きな方を選ばせてあげよう』

「赤い狐でオナシャス!」

 もう何も疑問は持たない。めんどくさいし、腹減ったし。

「そういう訳だ。何か知らんけど、俺は赤い狐を狩ってくる」

「そういえばそろそろ昼時だな。私も同行しよう。緑のたぬきは私のものだ」

「あたしもお腹ぺこぺこー」

「呼ばれてないのに来るんかい! つーか、おめぇらは食う事しか頭に無いのな!」

 もういいや。せっかく一緒にいるんだし、両方とも連れて行く事にしよう。


   【Bパート】


「赤い狐寄越せゴルァ!」

 扉を蹴破り、将星は雪見と星乃をそれぞれ脇に抱えて生徒会室にエントリーする。当然、中に居た文化祭実行委員と思しき連中もぎょっと振り返った。

 しかし、部屋の最奥部のテーブルで偉そうに両手の指を組んで座っていた男子生徒、生徒会長の谷戸篤やとあつしに限っては、待ってましたと言わんばかりに頷いた。

「わざわざ来てもらってすまないね」

 彼は一言前置きするや、手前に置いてあったカップ麺の蓋を剥がし、とりあえずといった調子で将星らに近くの席を勧めた。

「どうやら疲れからテンションがおかしくなっているようだが、まずは一旦落ち着こうか。座りたまえ。昼食にカップ麺を用意してやろう」

「……はあ」

 将星は一瞬で冷静になると、抱えていた星乃と雪見を下ろし、外した扉を元の位置に嵌め直し、勧められた席に腰を下ろした。

 しばらく世間話を続ける事、三分経過。横で好みのカップ麺に食らいつく星乃と雪見を尻目に、将星は早速本題を切り出した。

「で、生徒会長とあろう人が、俺に何か用ですか?」

「実は君に頼みがあってね」

 この一言からも、彼の中学生らしからぬ貫録が伝わってくる。

 谷戸篤。三年生。松陰中学きっての風雲児と謳われ、直近の全国模試では全教科堂々の一位に輝いた秀才だ。見た目は眉目秀麗かつ高身長な優男で、この先どんな年輪を重ねたとしても外見的な老いが想像できないような出で立ちだが、性格は将星や雪見と似たり寄ったりらしい。

 つまりは彼も、ぶっちゃけ変な人だ。

「単刀直入に言おう。君には文化祭当日、この学校の用心棒をやってもらいたい」

「用心棒? どうしてです?」

「言いにくい話なんだが……」

 篤は周囲を気にするように視線を配ると、改めてこちらと目を合わせた。

「PTAから苦情が来たんだ」

「というと?」

「最近、不審者が怖い――とね」

「はあ?」

 これまた意味不明なクレームだ。

「これには深い訳がある。最近、東京タワーをジャックした赤髪の少年――国際指名手配犯の空井春樹。彼はエトワール女学院に通うQP/の上級捜査官、空井花香の兄だと聞いている」

「それが何か?」

「僕達とそう年が変わらない少年が凶悪犯で、その妹もまた、僕達と同年代の捜査官だ。つまり、親からすればいくら自分の子供と同年代の少年少女であれど、そのインパクトのせいで自分の子供以外に危険意識を持たざるを得なくなってしまった。木の葉を隠すなら森の中、少年犯を隠すなら学生社会の中、だ」

「言ってる事は分かりますが……」

「もしかしたら十代前半から二十代前半までの若者達が一つの区画内でごった混ぜになるこのイベントにも、空井春樹のような少年犯が潜んでいる可能性がある。だから、それをどうにかしろという要求がこの学校に寄せられてきた。そしたらおあつらえ向きにも、最近活躍している上級捜査官の少年がこの学校に通学している。つまり、君の事だ、生島将星君」

「いやいや、考え過ぎですって」

「僕もそう言ったんだよ……」

 篤が疲れたように言った。

「でも、何か起きてからじゃ遅いって言われてしまってね……彼らのような人種は、石橋に榴弾砲をぶち込んで歩くようなタイプなんだろう、きっと」

「…………」

 少なくとも将星だったら戦車に積むような代物を持ち出してまで、その橋を渡ろうとはさすがに思わない。

「だから、保険を掛けておこうと考えた」

 篤が気を取り直して、毅然と告げた。

「君の戦闘能力を貸して欲しい。QP/の専用装備があるんだろう?」

「勘弁してください。その日くらいは休ませて頂きたい」

「頼りになるのが君しかいない」

「私じゃ駄目なのかい?」

 緑のたぬきを平らげていた雪見が、ハンカチで口元を拭いながら訊ねる。

「私は女子だ。しかもグレイスのパワーはセイランよりも格段に上。QPドライバーとQPの戦闘能力だけで言えば、将星君よか私の方がずっと上だと思う」

「君はメイド喫茶の料理長だろう」

「あ、そっか。じゃあ駄目かも」

「じゃあ、あたし!」

 雪見があっさり折れるや、今度は星乃が元気に手を上げる。

「あたしのコメットはグレイスには及ばないかもだけど、あたし自身は将星よか強い自信があるし!」

 星乃の自己評価は決して過信ではない。将星が知る限りだと、彼女の身体能力と体術の腕前は将星を簡単に凌ぎかねない。性格通りの単細胞がたまにキズだが、それでも総合的な戦闘能力はQP/専用装備を有する将星とどっこいだ。

 だが、そんな事は関係無かったのか、篤の態度は渋かった。

「駄目だ。そもそも女子を護衛に立たせるとPTAがうるさい。直近のマテリアライザー暴発事件の一件もあるし、こちらとしても不安要素しかない」

 篤のそれは屁理屈ではない。立派な正論だった。これには曲者の女子二人も黙り込むしか無かった。

 将星はため息を吐き、やれやれと首を振った。

「しょーがないっすね。やりますよ。ただ、非常時の時しか働きませんから。パトロールまでやれとか言わないでくださいよ」

「助かるよ。これで不安要素は全て消えた」

「ただし、QPドライバーの手配は長官との交渉次第ですからね」

 将星の専用機は特別仕様だ。量産に向かないワンオフ機というだけならまだしも、使用する際には逐一、長官による許可が必要になる。あの適当な長官だからそんなもんはあってもなくても同じだが、とりあえずは話しておかねばならない。

 それは勿論承知の上らしい、篤は快く頷いた。

「勿論、それで構わない。セイラン自体にマテリアライザーの強制発動権限が備わっているだけでも大助かりだ」

 篤が何処からともなく、赤い器のカップ麺を一個、将星の手前に置いた。

「これは前金代わりだ。受け取りたまえ」

「これは……!」

 カップ麺を労働の対価として献上するとかナメた真似してくれやがってと一瞬だけ思ったが、問題のブツを目にした時、将星の認識は百八十度回転した。

 カップ麺にしては品位と風格の漂う赤くて角ばった容器。これは、まさか……!

「ら……ラ王だと……! 普段は絶対に買わない奴だ……!」

「喜んでくれたかね?」

「あざっす!」

 高いカップ麺に心奪われる苦学生の姿がそこにはあった。

 あ、俺の事ですわ。てへ。

「カップ麺につられた。やっぱ彼はただのバカだ」

「ていうか、正常な判断力を失ってるんじゃないの?」

 傍で様子を見守っていた雪見と星乃が、それぞれ平たい目をして呟いた。


「で、結局自分で自分の首を絞めたと」

「ああ。俺はもう、駄目かもしれない」

 放課後の教室。小学生時代からずっとつるんでいた仲である丸井坂慎之介に、将星は珍しくも弱音を吐いていた。

「慎之介。助けてくれ。このタスクの量はもう俺一人じゃ処理しきれない。せめて宿題だけでも良いから手伝って欲しい」

「ゆーてもなー、僕も暇じゃないし」

「お前の場合は学校終わったら制服デートとか制服デートとか制服デートしかねぇだろ! ちょっとはその、何の実にもならない無駄な時間を人助けに使っても良いんじゃねぇの? 頼むよマジで!」

「酷い言い草だね。それ、人にものを頼む態度なのかな」

 慎之介が珍しく強気で冷酷だ。何があったんだ、こいつ。

「俺は税金と引き換えに必死こいて市民様の平和と安全を守ってるんですぅ! ただ手前の女とイチャコラしてゴム製品の汚物を量産するしか能の無いゴミップルとは訳が違うんですぅ!」

「将星。最近ちょっと、様子がおかしいよ。とりあえず、落ち着いたら?」

 何でだろう。正当な意見を口にしている筈のこちらが狂人扱いされている。

「一日ぐらいは本当に休んだら? いまさら捜査官を辞めた方が良いなんて言えないけど、ちょっとは考えを整理する時間くらい必要だよ」

「何故だ……何で俺が可哀想な人になってるんだ……」

 もう、落胆するやらブチ切れるやら、自分で自分の感情が分からない。

 慎之介は席を立って鞄を持ち上げると、やや呆れ気味に挨拶した。

「じゃ、僕はもう帰るから。駅前で彼女が待ってるし」

「お前、今日はいつになく冷たいな」

「僕にも余裕が無いの。こっちにはこっちの事情もあるし」

「?」

「じゃあね。そっちはそっちで頑張って」

 こちらを捨て置いて、慎之介がすたこらと教室から退散してしまった。

 何だ? 俺の様子がおかしいとか吐かしてた割には、あっちはあっちで何やら様子が変だぞ? いつもはもうちょっとコミカルにやり取りしてくれる筈なのに。

 いやいや。いまはそんな事より、直面している事態に対処せねばなるまい。

「孤立……無援」

 ふと、そんな四字熟語が、口をついて出てしまった。

「俺はもう……駄目かもしれない」


 学校。仕事。そして、数多くの頭痛の種。

 将星の精神は、周囲が見た通り、限界まで疲弊していた。

 学業とバイトを両立させるだけならそこらの馬鹿でも頑張れば普通に可能だ。ただし将星の職業は緊急性を要する場合が多い。戦闘任務が最近多く割り振られているのもあって、肉体的な疲労が突発的に襲ってくるのだ。

 加えて、文化祭の一件もある。うちのクラスがああもバカな連中だとは思わなかったし、谷戸篤と話した件についても解決済みの事件が思ったより遠因としてこちらの生活に影響しているようだ。

自分が何か被害を喰らった訳ではないが、イライラが収まらない。

不要にも程があるストレスが、ここ最近、ずっと連続しているのだ。

「帰ったら先月分の課題……帰ったら先月分の課題……」

「さっきからそればっかり言ってるー」

 仕事帰りでやっとこさ社宅の前に着いた将星は、映画やゲームなんぞに登場するゾンビと同じ角度に腰を曲げて歩いていた。

 セイランがしかめっ面で提言する。

「誰かの助けを借りた方が良かったんじゃない?」

「雪見にも星乃にも迷惑は掛けられない。慎之介はあのザマだし、同僚をアテにする訳にはいかない。俺だって体面がある」

 QP/内でも将星は未だに半人前だ。上級捜査官はそれぞれの分野で異能の力を持ったスペシャリストとされているが、自分の認識が間違っていなければ、将星は未だに上級捜査官として通用する力を開花させてはいない。

 長官が自分をエースだとか言ってはしゃいでいたが、それは人を褒めて伸ばすタイプの上司が使う方便に過ぎない。

「最低限……こんなところで他人に迷惑は掛けられない」

「将星……」

 セイランと話しているうちに、上級捜査官のみにあてがわれた自分の部屋の前に辿り着いた。

「将星。部屋の鍵が開いてる」

「は?」

 言われてみて、扉の取っ手に手を掛け、ちょっとだけ引いてみる。

 本当だ。開いている。

「おいおい、この部屋の鍵ってオートロックだろ。クラッキングでもされたのか?」

「クラッキングの痕跡は無いよ~。マスターキーを使って誰かが入ったみたい」

「マスターキー? もしかして長官が?」

 上級捜査官の部屋のマスターキーは全て、QP/の長官である新條由香里が管理している。彼女に許可を取らなければ、誰も部屋の鍵を借りられない筈だ。

 だとすると、彼女自身が鍵を使ったか、或いは彼女が簡単に鍵の貸し借りを認める人間が中にいるという事である。だから警戒する必要はほとんど無い。

 おそるおそる、扉を引いてみる。

 すると、温かく心安らぐ香りが、将星の鼻腔を甘くくすぐった。

「これは……」

「あ、将星だ! おかえりー!」

 こちらが部屋の様子を覗き見るなり、エプロン姿の星乃がおたまを持って玄関口まで駆け寄って来た。

「疲れたしお腹空いたでしょ。ご飯にする? お風呂にする? それとも――」

「待て。待て待て待て」

 疲れた脳みそをフル回転させつつ、将星は片手の掌を額に添えて訊ねた。

「何で星乃が俺の部屋に?」

「あたしだけじゃないよー」

「星乃。お味噌汁が出来上がったぞ」

 廊下の奥から、同じくエプロン姿の雪見がひょっこりと上半身を覗かせてきた。

「将星君。君はいつまでそこにいるつもりだね。君の部屋だろ。さっさと入りなよ」

「その俺の部屋に、何で雪見と星乃がいるんだよ」

「話は後だ。ご飯にする? お風呂にする? それとも、ホ・シ・ノ?」

「それともア・タ・シ? とは言わないのね。あくまで星乃を献上するのね」

 星乃にするというのも魅力的な提案だが、いまは先に知りたい事がある。

「ていうか、本当に何でここに――」

「ほらほら、いつまでも突っ立ってないで……!」

「お、おお……おお?」

 星乃に腕を引っ張られ、彼女に言われるがままに、将星は靴と上級捜査官の制服を脱いで部屋に上がった。

 リビングのテーブルには既に夕飯らしき料理がずらりと並んでいる。肉類から野菜類まで、とにかく、盛り沢山だ。

「……これ、二人で全部作ったのか?」

「言ってなかったっけか。私と星乃は料理が出来るって」

 知っている。雪見の料理はさっきレシピと一緒に写真で見せてもらったし、星乃は星乃で意外と器用なので料理も上手だ。最近では宇田川家の食卓に並ぶ料理の半分を星乃が作っているとも聞いている。

 こちらがセイランと一緒にひたすら唖然としていると、星乃が珍しくもじもじと顔を赤らめながら言った。

「ほら、最近の将星ってずっと忙しくしてるし、そのクセ誰にも助けてって言わないから……だったらちょっと心配になるっていうか……」

「星乃……お前……」

 将星は心底驚いていた。

 あの星乃が――同年代の女子だったら有り得ないくらい無邪気で、男っ気が全然無い、あの純情無垢な宇田川星乃が――

「まさか……女子力に目覚めたのか!?」

「え? そこ?」

「だって、そうだろ!」

 戸惑う雪見に、将星は必死こいてまくしたてた。

「昔からマセてもいなければ女の子らしい趣味を何一つ持たず、中学生になっても何の抵抗も無く男子と混じって昼休みにサッカーに出かけて得点を量産するようなハイパーお転婆ガールが、急に男の部屋に上がり込んで乙女の顔をしてお料理に勤しんで別のところで得点を稼ぎに行こうとするなんて!」

「よく分からんが、君がいま酷く失礼な発言をしているのだけは分かる」

「俺が知ってる星乃は何処行ったぁあああああああああっ!」

「ええ加減にせい」

「げぼっ!?」

 みぞおちに雪見の膝がめり込んだ。痛いし、超苦しい。

「ぐおおおおおおおっ……!」

「もうちょっと冷静になりなさいよ。ねぇ、星乃」

「う……うん」

 さすがの星乃も少し引いているらしい。床に蹲ってる将星の哀れな姿を、ただひたすら微妙な顔で見下ろしている。

 ただ、たしかに雪見の言う通りだ。もう少し冷静になろう。

 落ち着け。落ち着くんだ、生島将星。色んな意味で。

「……すまん。ちょっと疲れてるんだ」

「分かってる。だから、さっさと椅子に座りなさい」

 雪見に勧められるがままに椅子に座らされ、女子二人は将星の向かい側の席を陣取った。それぞれ、正面からこちらの反応を窺いたい腹積もりらしい。

 さっきまで歪んでいた顔に笑みを戻し、星乃が元気に告げてきた。

「さあ、冷めないうちに」

「ああ……いただき……ます?」

 腹が減っては戦どころか会話も出来ない。詳しい事情を後回しにして、まずは目の前の煮込みハンバーグから食してみる事にした。

 それは見た目通り、美味だった。


「……なるほど」

 一通り食べ終えて、事情の一切合財を二人から聞き、将星はようやく納得した。

「だとしたら心配掛けたな。初めてだよ。単純な厚意でここまでしてくれた人は」

「最近の君はとても見てはいられなかったからな」

 雪見がいつも通り、偉そうに首を縦に振った。

「国民が払った税金を飯の種にして警察は市民の安全を守ってる。でも私達は生憎、義務教育中の中学生だ。働き口なんてほとんど無い。だから、私達だけの力で君に払ってやれる税金はこれぐらいしかない」

「そんな気を使わんでも良いのに……」

「いいじゃん。あたし達が勝手にやってる事なんだし」

 星乃の割り切り方は実に清々しかった。

「それよか、先月分の課題がまだ終わってないって言ってたっけ。後で手伝ってあげる」

「いや、さすがにそこまでは……」

「星乃。君は将星君の宿題の手伝いにかこつけて、終わっていない自分の課題も私に見てもらうつもりじゃあるまいな?」

「うっ……」

 よく分からんが、星乃が何かの図星を突かれたらしい。

 雪見が呆れ果てた様子で言った。

「まあ、行きがけの駄賃だ。両方纏めて面倒を見てあげよう」

「良いのか?」

「特別に提出期限を延ばしてもらってるんだろう? だったら早めに終わらせるに越した事は無い筈だ。君にとっちゃ、悪い話じゃないでしょ」

「……そうだな」

 これも雪見の言う通りだ。他はともかく、課題に関してだけはもう四の五の言ってられる段階を通り過ぎている。

 それに、雪見は意外と優等生だ。勉強の面では非常に頼りになる。

「じゃあ、お言葉に甘えて」

「時間が時間だから、超特急で終わらせる」

「ついでにあたしの課題も超特急で――」

「星乃は後回し。途中までは自分でやりなさい」

「何てご無体な……!」

 ショックでぽかんとしている星乃も、案外可愛かった。


   ●


 ここ二日間で上がった成果は実に素晴らしかった。

まず、星乃と雪見のおかげで、将星の心配事のほとんどが解消された。抱えていた先月分からの課題も終わったし、二人がたまにハウスキーパーみたいな作業をしてくれるようになったので、生活面は非常に楽になった。

ただし、いつまでも二人に世話を焼かせる訳にはいかない。

 QP/の執務室で、将星は由香里と執務机越しに向かい合っていた。

「そうねぇ……いつまでも星乃ちゃんと雪見ちゃんに面倒を掛ける訳にはいかないし? ちょっと仕事の割り振りを変える必要があるわね」

「雄大さん曰く、僕は緊急出動の回数も他の捜査官の方達と比べて異常に多いと窺ってます。花香ちゃんも入りたての頃はそこまでしなかったとも」

「あなたの場合は<フロンティアバトルシステム>を唯一使えるオペレーターだもの」

 <フロンティアバトルシステム>とは、将星に与えられたQP/専用装備の正式名称だ。扱いが非常に難しく、現状この武装を自在に操れるユーザーは全世界の中でも将星一人のみだ。実質、将星の専用機である。

「いままでは戦闘可能な捜査官が三人しかいなかったし、それぞれ能力の偏りが激しかったの。そこにあなたという、どの状況にも高い適応性を持った捜査官が加わった。おかげで緊急性を要する事件に対しての難易度がグっと下がってるの」

「本当ですか、それ?」

 由香里が褒めて伸ばすタイプだと知ってはいたが、だとしても期待値がペテンみたいに高すぎやしないだろうか。ここまで来ると本当に疑わしい。

「本当よ。だってアレは元々、そういう人にしか使えないQPドライバーだもの」

「だとしても過度の運用はこっちの身がもちません。そう何度もあの武装でセイランと精神融合してたら僕が廃人になります」

「んー……」

 由香里はしばらく唸ると、やがて意を決したように告げた。

「分かったわ。月あたりの緊急出動の回数も半分くらいに抑えておくから」

「面倒をお掛けして申し訳ないです」

「良いのよ。あなたが来る前の人材運用に立ち帰るだけだから」

「ありがとうございます。それから、文化祭の件ですが――」

「<フロンティア>の持ち出しは許可しましょう。でも、過度の使用は禁物だって自分で言ったからには用法を絶対に守る事。いいわね?」

「了解。では、僕はこれで失礼します」

 将星は由香里に頭を下げると、執務室から退出し、廊下を歩きながら今後の予定を考え始めた。

 文化祭の準備期間中は教師から課題を出されない。加えて、花香の倍以上もあった緊急出動の回数も彼女とイーブンに抑えられるなら、夏休み明け以降から出されるであろう課題を次の月まで持ち越すというヘマをしなくて済みそうだ。

 生活能力の水準も一人暮らしの標準に戻るだろう。この先、星乃と雪見に手数を掛けなくて済むなら、文化祭の準備くらいは手伝ってやれる余裕もあるだろう。

 少しは躊躇ったが、思い切って話してみるのも大事である。由香里が話の分かる上司で非常に助かった。

「生島君!」

 と思ったら、背後から由香里が急いで駆け寄って来た。

「大変! たったいま市民からの通報があって、違法改造されたQPドライバーで暴れ回ってる男が出現したって!」

「最近多すぎやしないですか、その手の事件」

 将星が苦い顔をして振り返る。

 実は将星の生活能力を奪っている仕事の大半が、暴徒化した市民の鎮圧作業だったりする。以前からもちょくちょくあったらしいが、今月に入って何故か急激に増加しているらしい。

「とりあえず俺が出ます」

「外に<フロンティア>を積んだ車が待機してるわ。あと、花香ちゃんがいま別ルートで現場に向かってるから、彼女と共同で暴徒を鎮圧して頂戴」

「了解」

「本当にごめんなさい! 今日だけはお願い!」

「ええ。いくぞ、セイラン」

「ういー」

 この先にしばしの安息がもたらされるなら、今日ぐらいは出撃しても大変な事にはならないだろう。

 この日もいつも通り、ただ息をするように暴徒を取り押さえ、報告書を書き上げてからクタクタになって帰宅した。



「という訳で、こっから先は二人の助けが無くても大丈夫そうだ」

 雪見の実家、つまりは喫茶店・シロサワのホールの一角で、学校帰りの将星は星乃と雪見の前でここ数日間の成果を報告した。

「最近は雄大さんと花香ちゃんが中心になって事件の対処を進めてる。幸い、そこまで大きな事件が起きてる訳じゃないし、俺も通常シフトの休暇を増やしてもらってる。長官もしばらくはのんびりしてて大丈夫って言ってた」

「良かったじゃん!」

 星乃が心底嬉しそうに言った。

「これで次に忙しくなるまでは、自分の身の周りの整理に集中できる訳か」

 雪見も納得したように述べる。

「私生活にも細かい問題が生じてるなら、まずはそっちを片付けると良い。学校の問題は二の次だ」

「学校の問題ってのはあれか。メイド喫茶の件か。そういや、前に質問してなかったっけか。うちのクラスがメイド喫茶なんぞをやる理由」

「単純な話よ」

 雪見が横目に星乃を睨む。

「一部のバカ男子共が星乃のメイド服姿を見たいんだと」

「…………」

 え? そんな理由でクラスの出し物が決まっちゃったの?

「というのは理由の一端であって、一番の理由は、私が喫茶店の娘だからだ」

「なるほど。雪見ありきの企画って訳だ」

「迷惑な話よ。うちのパパりんはノリノリだけど、学校全体のコンセプトを考えるとうちのクラスだけはかなり浮いている。うちに喫茶店の役を押し付けた文化祭実行委員の連中は後でグレイスに八つ裂きにしてもらうとして……」

「殺すのは良いけどさー」

 将星が目の前に置かれたグラスの中身をマドラーでかき混ぜる。

「うちの学校の出し物って、全部文実の連中が決めてたんだ」

「そうそう。クラスの連中は文実から投げられた課題に対して創意工夫を凝らす役割を与えられてる」

「要は無茶ぶりされてるんだよ、うちらは」

 星乃が珍しく不機嫌にぼやいた。

「ていうか、何であたしがメイドの恰好をしなきゃいけないんだろ」

「嫌なのか?」

「だってヒラヒラで動き辛いし、クラスの男の子が持ってきたメイド服はその……スカートの丈が短すぎるっていうか……」

「ふむ……」

 ピチピチのメイド服姿で「お帰りなさいませ、ご主人様!」と可愛らしく満面の笑みを振りまく宇田川星乃、十四歳。

 うん、アリだ。少なくとも、俺なら勃つ!

「つーか、何で男子がメイド服を持参――」

「雪見。みなまで言うな」

 将星がゆったりと首を横に振った。

「それより、星乃は当日、出し物に参加しないで普通に遊ぶつもりなのか?」

「ゆっきーに頼まれて厨房スタッフになるつもりではいるけど……」

「…………」

 正直、どっちも惜しい。

 調理と配給、どっちもこなすのは決して不可能じゃない。だが、一人が全ての仕事をこなそうとすれば必ず無理が生じる。それは将星自身、最近得た経験からよく分かっている。

 でも、星乃のメイドさん姿は見てみたいし、彼女の手料理は普通に人前に出すものとしては通用するし――世の中に二者択一というありがたい四字熟語があるとはいえ、それでも一方を切り捨てるのは非常に惜しい。

 などと将星が普段は使わない思考回路の一つを働かせていると、店の正面口の鳴子がカランコロンと小気味良く打ち鳴らされる。別のお客さんが来店したのだ。

なんとなく、いましがたやってきた客に目を向ける。

「え……? 花香ちゃん?」

「あ、将星さん」

 花香が表情を綻ばせておじぎする。どうやら友人を連れているようで、彼女の隣には白い鍔付きの帽子を深く被った細身の女子が佇んでいた。

 雪見が立ち上がり、花香に手を振った。

「おー、花香ちゃん、いらっしゃい」

「どうも、ご無沙汰してます」

「こっちへ来なさいな。いま飲み物を用意するか――」

「将星様!」

 いきなりだった。花香の隣に立っていた女子が急に駆け出し、店内に並ぶ机の数々をすいすい縫って、思わず立ち上がっていた将星の胸板に頭から突進してきたのだ。

「え、ちょ……」

「会いたかったですわ、将星様!」

 戸惑う将星にしがみつくと同時に、彼女の頭から白い帽子が床に落ちる。

 露になった彼女――移ノ宮柊子様の御尊顔が、視界の真ん中を占拠している。

途端に、将星の全身から血の気が引いた。

「あ、あああああ……あなたは……柊子様!?」

「覚えてくださったのですね! 嬉しいですわ!」

「ちょっと! あんた、いきなり何してんだよ!」

 星乃が喧嘩腰で柊子様に喰ってかかった。

「誰だか知らないけど、とりあえず将星から離れてよ!」

「ちょっと待て星乃、一旦落ち着け!」

「お言葉ですが、柊子様もはしたないですよ!」

 将星が星乃を言葉だけで制している間、花香が慌てて将星から柊子様を引き剥がし、ついでに星乃と将星の間に割って入った。

 花香が狼狽えつつ星乃と雪見に頭をぺこぺこ下げた。

「星乃さん、雪見さん、どうか……どうかこの事はご内密に……!」

「あの人、前に何処かで見た事があるよーな……」

「え? なになに? どういう事?」

 雪見は薄々何かを察しているのに対し、星乃はただ疑問符を浮かべるだけだった。

 花香があたふたと弁明する。

「え、ええっとですね、こちらのお方はその、あの、さる要人の御令嬢でして」

「第一皇子、移ノ宮文隆の第一女子、移ノ宮柊子と申します」

 柊子様自らが、あっさりと自分の正体をばらしてしまった。

「そちらの空井花香さんは私と同じ学校に通う後輩なの。いまは護衛という名目でQP/の許可を得て彼女に同行してもらってる。そちらのお二人、理解した?」

 お二人こと、星乃と雪見は、ただひたすら唖然としていた。

「第一皇子? という事は、皇太子――天皇家……だと?」

「うそ……」

「本当なんだな、これが」

 将星が肩を揺らして答えると、花香と小声で会話する。

「ていうか、何でこんなとこに連れてきちゃったの」

「仕方ないじゃないですかっ……どうしても将星さんに会いたいって言うもんですから、文彦さんに頼んであなたの現在位置を特定してもらって……」

「直接電話しろよ」

「電話したら絶対あなた断るでしょ……!」

「だったら何だ? つーか、いますぐ皇居まで送り返せ……!」

「何をこそこそ話しているの?」

「「……!」」

 柊子様がこちらを細い目で睨んでいる。あとゼロコンマ数秒だけ反応が遅れていたら打ち首獄門に処されていたかもしれない。

 将星は必死に言い繕った。

「あ、あの、あのですね、わざわざ私めに会う為にお越し頂いたのは至極光栄なのですが、今日はちょっと問題を多く抱えておりまして、いま級友達に丁度相談していたところでして、ですからその――」

「それって、私がお手伝い出来る範囲の事でしょうか」

 いや、無い。むしろ、お願いだから回れ右して皇居までお帰り願いたい。

「とととととんでもない! わざわざ柊子様のお手を煩わせる程の案件ではないので、ええ、俗事です、ハイ……」

「ふーん……ところで」

 柊子様がじろりと、未だに唖然としっぱなしの雪見と星乃に半眼を向ける。

「さっきから間抜けな顔を晒してるそちらの二人は? もしかして将星様のガールフレンドですか?」

「ええっと……まあ、はい……その、友人です」

「恋人や愛人ではないと?」

「決してそういう関係では……」

 そもそも、中学生の愛人とか犯罪だろ。

「あらそう、なら良かった!」

 柊子様が胸の前で両の掌を合わせると、今度は将星の右腕にしがみつき、しなを作って小さな頭を将星の肩にこすりつけた。

「そちらの二人、よく聞きなさい。こちらのお方は、私と将来を約束した殿方ですの」

「勝手に約束を捏造しないでくれますかね」

「規制事実を作っちゃいましょう。それで問題は全て解決です」

「いいや、問題だらけだ」

 いち早く復活した雪見がいつも通りの調子で述べる。

「最初から将星君の意思が尊重されていない。しかも出会って間もない相手なんだろう。だったらお互い、もう少し間を置いて考える時間が必要なんじゃないのかね」

「何なの、あなた。喋り出すなり失礼極まりないわ」

「ゆっきーの言う通りだ!」

 今度は星乃も反抗する。こいつら二人は物怖じという言葉を知らないのだろうか。

「そんなの、幼稚園の子供が「将来絶対結婚しようねー!」って言ってるのと変わらないじゃないか!」

「……何ですって?」

 雪見の意見は大人のそれであり、星乃の意見は子供っぽいものの核心を突いている。本来なら、ここから自論で巧く切り返せる人間などそうそういなさそうなものだが、文字通り天下の人にとっては些末な問題だったらしい。

予想通り、柊子様の顔から、どんどん笑顔が消えていくのが分かる。

「あなた……私に逆らっておいて、今後普通の生活が送れると思っているの?」

「柊子様。一つだけよろしいでしょうか」

「? 将星様?」

 こちらが何かを言おうとした途端に従順になった。分かり易い小娘だ。

「彼女達は私の大切な友人です。出来ればあまり不穏当な真似をしないでいただけるとありがたいのですが。あと、いい加減腕が痺れてきました」

「んー、将星様がそう仰るなら」

 柊子様は将星を解放するや、名残惜しそうに宣告する。

「まあ、時間はいくらでもありますわ。また会いに来ますので、そのおつもりで」

「はあ……」

 曖昧な返事をしてしまったが、本当だったら「二度と目の前に姿を見せるなこの雌豚が!」とでも言っておけば、これ以上の苦労はしなくて済んだのだろうか。

 柊子様は花香を引き連れ、この店から優雅な足取りで出て行った。

 後の祭りとも言うべき静けさの中、将星と雪見、星乃の三人は、雪見の父親であるこの店の店主が店内の様子を見に来るまで、ただひたすら立ち尽くしていた。



                 #6「社畜捜査官・生島将星の憂鬱」 おわり


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