#5「エースの資格(後編)」
#5「エースの資格(後編)」
【Aパート】
「このタイミングで鞍馬が脱走するなんて、本当に予想外でしたね」
モニタールームの真ん中で、花香が額に手を当てて呟く。
「しかも拘置所を全焼させるなんて……他の囚人達まで巻き込んで、一体何がどうなったらそういう事態になるんでしょうか」
「巻き添えを食った囚人と看守についてはご愁傷様としか言い様が無いわね」
報告を持ってきた当人である由香里も渋面を作る。
「鞍馬についてはとりあえず後回しね。目下の問題は、あれよ」
由香里は真ん中の大型モニターに映る赤い巨大な鉄塔を指差した。
「東京都、エリア・ミナトの観光名所にして、地上アナログテレビ放送の発信源となった総合電波塔。日本で二番目に高い建造物」
「日本電波塔。又の名を、東京タワー」
自分で口にしておいてあれだが、随分と馬鹿げたことを考える犯罪者もいたものだと、花香はほとほと呆れ果てていた。
文彦が東京全体に流れる電波の周波数と、以前の事件で得た証拠品を元に独自に作成した電波を照らし合わせ、こちらのサンプルと同じ反応を示す電波の発信源を探した結果、何故か東京タワーの頂点に中型の電波ポッドが仕掛けられていたのを突き止めた。
よってQP/は総員で、東京タワーに乗り込む準備に取り掛かっていた。
「例の電波ポッドを仕掛けた奴も中にいるかもしれない」
「ここが正念場ね。悪いけど、花香ちゃんにはもうひと頑張りしてもらうから」
「勿論です。生島さんの分まできっちり仕事を果たします」
「よろしい」
由香里はコンソールに据え付けてあったマイクを手に取ると、いくつかのスイッチを押し込んで、マイクの頭を何度か叩いて音の調子を確かめ、小さく声を吹き込んだ。
「ええ……ええ、テーステース、ティラミース、オールドミース」
「誰のものまねですか?」
「清●宏」
「誰ですか、それ」
「百年以上前にはね、そういうコメディアンがいたのよ」
「はあ……ていうか、何で百年以上前の芸人さんのものまねを知ってるんですか?」
「細かい事は気にしない」
『すみません、長官殿。全部聞こえています』
モニタールームのスピーカーから、主力捜査官の監督責任者である田辺の声が流れてきた。
由香里は少しばつが悪そうな顔をすると、弛緩した空気を吹き消すように、マイクに力強い声を叩き込んだ。
「……QP/の上級捜査官各位、及び主力捜査官の諸君、傾注せよ!」
彼女の呼びかけに、いままで固まっていた花香が姿勢を正す。
「これより東京タワー制圧作戦を開始します。上級捜査官各位は主力捜査官達を率いて、事前の打ち合わせ通りに与えられた任務を完遂してください。もし中に人がいたなら全て不審者と断定して拘束するように。敵性勢力が現れて交戦になった場合の判断は各自に任せます。必要があったらこちらに指示を仰ぐように。そして何より、自分の命を優先なさい。どんな状況下にあっても生きて帰るのがあなた達の任務です」
由香里は一旦間を開け、大きく息を吸って、
「さあ、行きなさい! QP/、GOGOGO!」
気合を入れて、出撃の合図を下した。
花香はモニタールームから素早く抜け出し、エントランスで控えていた総勢五十人近い主力捜査官達と、黒い長着と青いロングコートに身を包んだ芳一と合流する。
それぞれが無言で頷き合い、駆けだそうとした時だった。
「花香ちゃーん、ちょっとお待ちー」
ぱたぱたと、本来だったら自室で寝ている筈だった千草が駆け寄って来た。
「甘道さん? どうしたんです?」
「これを」
千草が手渡してきたのは小さなピルケースだった。中にはアイボリーカラーの大きめな錠剤が三個も入っている。
「もしもの時の為に必要なんじゃないかと思って」
「……そうですね」
正直気が進まないし、叶うなら飲まないに越した事は無い類の薬物だが、それでも花香にとってはこれが唯一の切り札となる。
一応、ありがたく受け取っておこう。
「ありがとうございます」
「いいよ、別に。それを使いこなせるの、花香ちゃんしかおらんし」
「花香、行くぞ」
芳一が急かしてくる。あまり主力捜査官達を待たせるのも良くない。
花香は千草に頭を下げ、その場を忙しく後にした。
●
東京タワーの展望台の二階が、空井春樹と鞍馬康成が生島将星に対して定めた戦場だった。
ここでなら誰にも邪魔されずに将星と戦えると思った、というのが春樹の談だ。
「鞍馬。俺はね、人を殺して生きてるんだ」
コントレックスの一五○○ミリリットルペットボトルをぐびぐびあおいでいた康成に、春樹は穏やかな面持ちで物騒な話題を持ちかける。
「殺し合いは命の有り様を表した極限の領域だよ。相手を殺し、自分は生き残る。俺はその駆け引きに愉悦を覚えて、再び求める。煙草みたいなもんさ。報酬系に作用しているのかもしれない」
「人を殺して生きてるってそういう意味かい。そりゃ大変だ、禁煙外来にでも訪れてみるといい」
こちらとてただ小馬鹿にしている訳ではない。実際、春樹が康成に特別な興味を持っていないように、康成も春樹に関しては全く興味が無い。だから康成はとっとと自分の仕事を完遂してここから逃れなければならない。
話題を変えるべく、康成は至って素朴な疑問を提示する。
「ところで一個質問。犯人がいるからって生島将星がここに来るとは限らんぜ? もしかしたら今日に限って来ないかも」
「ならば強引にでも引っ張り出す。君には露払いを頼みたい」
「へいへい」
康成はペットボトルを捻り潰して床に投げ捨てた。
「空井。お前から受け取った新しいQPドライバー、さっそく使わせてもらうわ」
「壊さないでよ? 貴重な一点モノなんだから」
「わーってるよ。あん時みたいなヘマはもうしない」
康成はエレベーター付近に立てかけてあった骨太な着剣小銃型QPドライバーを持ち上げ、その出来に満足しながら呟いた。
「さーて。ちょっくらリベンジさせてもらうぜ、QP/」
東京タワーの真下にはフットタウンと呼ばれる娯楽施設が併設されている。主に水族館やらフード系のショップやら各種イベントなどに対応する為の展示場などが設けられており、いまでも観光名所としての機能は維持されている。
その手前に複数台のバンが距離を置いて停まり、中から突撃銃型のQPドライバーで武装した主力捜査官と、彼らの指揮官である花香と芳一が降車する。
花香は専用回線を開き、付近で滞空しているヘリコプターで狙撃ポジションを確保していた雄大に繋いだ。
「こちらスラッシュ・フォー。現場の手前に到着しました」
『スラッシュ・スリー、了解。打ち合わせ通り頂上の異物を排除する。こちらの合図で突入を開始するんだったな』
「一発で仕留めてください。そしたら後でちゅーしてあげます」
『マジで? じゃあ俺、頑張っちゃおうかなー』
無線越しに聞こえる鼻息が荒い。どうやら本気で信じ込んでいるらしい。
『そんじゃ、いまからぶっ壊しまーす』
軽々しく応じると、雄大は一旦無線を切った。
スコープ越しに見えるターゲットが十字線の真芯と重なる。
雄大は引き金を引く為の指を軽く動かしながら、ヘリコプターの開け放たれた扉から銃口を突き出し、伏せ撃ちの姿勢で腕に抱いているライフル型QPドライバーの角度を微調整する。
距離は一キロフラット。感覚派のスナイパーである雄大は照準補正を酷く嫌う性質故に、常識的には有り得ない距離間における極大射撃の時ですら、自分の感覚が一番正しいと信じきっている。
運が良い事に、天候に大きな荒れは見受けられない。だから狙撃の計算に必要となるのは、高高度による風圧の強さと、弾の威力と回転、そして弾道のイメージだけだ。
そこじゃない、もうちょっと上……いや、風向きからして右だ。スコープの十字線だけを信用してはならない――
そこだ。
「……っ」
発砲。長細いバレルを通って銃口から吐き出された銃弾は、射撃用オプションコードである<ランス>の助けを借り、真っ直ぐ標的に向かって飛翔していく。
雄大には、たったいま放たれた銃弾の行く末が見えていた。
弾丸は螺旋に回転して、真っ直ぐ気持ちよく伸び、少しだけ風の影響を受けて左に寄り――
「当たったな」
『こちらスラッシュ・シックス。<ランス>の命中を確認。電波ポッドが機能を停止した。凄い……オプションコードの補助を受けていたとはいえ、かなりの腕前です』
「当然だろ? 日本最強のスナイパーとは俺の事よ」
雄大は嘯きつつ、花香に専用回線を繋いだ。
「こちらスラッシュ・スリー。目標の沈黙を確認した」
『スラッシュ・フォー、了解。突撃しても大丈夫ですか?』
「ああ。後はもう好きにやんな。それより、ちゅーの約束……」
『ああ、あれは嘘です』
「…………」
『交信終了』
花香があっさりと回線を切断する。
「……………………」
『こちらスラッシュ・ゼロ。どんまい』
「うるせぇ、クソババァ! 専用回線をくっだらねぇ用事で使うんじゃねェ!」
『減給』
「ごっめんなさぁあああああああああああいっ!」
ちゅーだけじゃ我慢できなさそうとかいうシチュエーションを割と本気で想像していた自分がアホみたいだったと、雄大は内心で喚き散らした。
「バカはどこまで成長してもバカだな」
雄大と由香里のやり取りをインカムで傍受していた芳一が呟いた。
「花香、お前も案外酷い奴だな」
「だって、雄大さんって昔から扱いやすいじゃないですか」
「あまり苛めてやるな。それより、そろそろ俺達も」
「ええ」
花香は後ろでずっと待機していた主力捜査官達に向き直る。
「たったいま電波ポッドの破壊を確認しました。総員、突撃です!」
こちらの合図と同時に、全軍が東京タワー内への侵攻を開始した。フットタウンの入り口の自動ドアは文彦のハッキングによって開くように設定されているので、わざわざ爆破する手間もなくエントリーできる。
屋内に立ち入り、一階の様子を主力捜査官に探らせる。爆破物の有無については事前に調べてあるので、彼らが探索しているのは不審者、及び不審物の存在だ。
一階には怪しげな痕跡は見当たらない。次は二階に上がり、同様の作業をする。
「……どうやら、フットタウンの方には何も無さそうですね」
「だとすると、可能性があるのは展望台か」
「おそらく。誰もいないに越したことは無いんですが……」
花香達の目的は、電波ポッドが仕掛けられている施設における不審物の有無の確認だ。不審者の確保については二の次だし、そもそもこの電波塔に犯人が隠れているかと言われると簡単に首を縦には振れない。
よく考えてみると犯人が誰かも分からないまま突入しているのだ。優先すべきはやはり、手掛かりの追及だ。
「空井捜査官、日下部捜査官!」
若い主力捜査官が、やや固めの姿勢で報告してくる。
「初島捜査官が展望台に続くエレベーターも使えるようにしていたとの事で、その付近も調べてみたんですが……」
「何かあったんですか?」
「いえ……エレベーターが止まっているんですけど……」
「え?」
「何だと?」
花香は芳一と一緒に目を丸くすると、すぐに文彦に無線を繋いだ。
「こちらスラッシュ・スリー。スラッシュ・シックス、展望台行きのエレベーターは使えるようにしてあるって聞いたんですけど」
『え? おかしいな……さっきはちゃんと制御系統に潜り込めたのに……』
どうやら文彦をして不測の事態らしい。インカム越しに、彼の焦るような吐息と、忙しく叩かれているキーボードの音が連続する。
『えー、えー、テース、テース、ティラミース、オールドミース』
突然、若い男の声が、施設内全てのスピーカーから屋内に響き渡った。
『えー、あー……QP/の皆様、本日はお忙しい中、この東京タワーにお越しいただきまして誠にありがとうございまーす。わたくし、当施設で今夜限り責任者を務めさせていただく事になりましたー、空井春樹と申しまーす』
「お兄ちゃん……!」
屋内に伝播している声が名乗りを上げた時、花香は自分の心臓が一瞬止まったように錯覚した。
間違いない。この声は、自分の兄のものだ。
『諸君らの様子はそこかしこに設置された監視カメラに全て映っています。早速ですが、いまフットタウンにお招きした諸君らの中に、生島将星君はいらっしゃらないようですねぇ。彼は一体どうしたんでしょうか? 風邪でもひきましたかね?』
「何でお兄ちゃんがここにいるの!」
『ん? おやおや、花香じゃないか。見ない間に随分と綺麗になったね。でもね、お兄ちゃんはいま、お前には全く用が無いんだよ』
「もしかして電波ポッドを仕掛けたのも……!」
『人の話聞いてた? 俺はいま、お前じゃなくて、生島将星君に用があるの』
「生島さん? どうして!」
春樹の出現は予想外も良いところだったが、さらに驚くべきは、彼の目的はどうやら何ら接点の無さそうな相手である生島将星らしい。
『質問してるのこっちだから。彼は何処だい? わざわざここの管理責任者に金を握らせて、こんな手の込んだ事件を引き起こしてやったってのに……』
「ここに生島捜査官は来ていない」
花香に代わって、芳一が至極平然と告げる。
「お前の目的が何かは知らないが、奴に用があるなら別を当たる事だ」
『えー? めんどくさいなぁ……まあいいや。いないなら引きずり出せば良い』
「何をするつもりだ」
『君達には人質になってもらおう』
春樹が当然のように告げた。
『この施設には爆発物は仕掛けられていない。けど、俺のQP・ツバキのパーソナルコードならこの施設を燃え滓にしてやれる。ちょうど、鞍馬康成を収容していた監獄を瓦礫の山に変えたみたいにね』
「奴の脱走も貴様が手引きしたのか。じゃあ、まさか――」
『展望台一階を彼に見張らせている』
作戦開始の直前に鞍馬脱走の報を知った時はまさかと思ったが、春樹が一枚噛んでいたとは思わなかった。
春樹は声を弾ませて続ける。
『それよりも、早く生島君を連れてきてよ。もし一時間以内に彼がここに到着しないようなら、百年以上も前から人々に親しまれてきた日本国のトレードマークをたった一瞬で灰にしちゃうよ? 君達を焚き木にしてね』
「それだけはやめて!」
花香が怒声を放つ。
「人質だったら私だけで充分でしょう!? 芳一さんと主力捜査官の人達だけでも逃がして! お願い!」
『人質が指図するなよ。決めるのは俺だ。それに、役立たずの命一つが人質としての役割を果たすとは到底思えないがね。お前なんか、いてもいなくても同じだろう?』
「何をっ……」
『端的に言って、弱いんだよ。昔からそうだった。結局は人に頼りっきりで、自分一人では何もできない愚か者。お前の仲間だって、そんなお前が可哀想だから「自分達だけはお前の味方だ」とか嘯いてるんだろう? ねぇ、オジサン』
春樹が意外にも芳一に水を向ける。
『どうなんだい? いままで彼女が何かの役に立った試しはあるかい?』
「…………」
芳一はしばらく黙り込むと、ゆっくりと口を開いた。
「たしかに、お前の言う通りなのかもしれない」
「…………」
ああ、やっぱり――そう思われていたんだ。
最初から分かっていた。最年少の上級捜査官で、しかも女の子。精々、周囲からはマスコットみたいにしか思われていなかったんだな、と。
ただ、芳一の解釈は、どうやら違ったようだ。
「だが、それは俺達も同じだ。一人では決して何も出来やしない。俺達は組織の支え無しに食い扶持を得られない。自分の傍に大切な誰かがいなければ、自分で自分を見失ってしまうような、本当に弱い人種の集まりだ」
『何が言いたい?』
「結論から言おう。貴様よりかは断然マシだ」
芳一がカメラの一つに人指し指を突き出す。
「クズ共はいくら集まってもクズにしかならないが、クズを笑うクズはゴミクズ当然だ。東京タワーを燃やす前に自分で自分を燃やして灰になれ。花香を嗤うなら、自分で自分を嗤ってから俺達を嗤ってみせろ。屈辱を受ける覚悟の無い奴に、人を――俺達を馬鹿にする資格は無い。覚えておけ、小童が!」
「芳一さん……」
彼がここまで怒りを露にして長広舌を振るう姿を、五年以上の付き合いの中で花香は初めて目にした。
使う言葉の選定といい、まるで将星に影響を受けているようだった。
春樹はスピーカーの向こうで少しの間だけ沈黙すると、やはりさっきまでと同じ調子で言葉を紡いだ。
『……なるほど。そのご高説、たしかに聞き届けた。でも、だからといって状況が好転するとは思えないがね。現に君達はここから出られない』
「何を言っている?」
『知らないのかい? 百数年の歴史の中で東京タワーは何回かテロの標的にされたらしくてね、何回にも及ぶ増改築の過程で、窓に使われているガラスはほとんど防弾仕様に張り替えられてるんだよ。その硬度と言ったら、小型のミサイルですら弾き返す程ともされている。君達の仲間が仕掛けたハッキングも跳ね除けて、再度電子ロックをかけておいたから、生島君を連れて来る以外の方法でここから出ようだなんて考えない方が良い』
「…………」
花香は迷っていた。過労で倒れて医務室で眠っている将星を叩き起こしてこちらに急行させたとして、春樹が彼と何を始めるのか、すぐに予想出来てしまうからだ。
「花香」
芳一が決断した。
「生島を呼ぼう」
「危険過ぎます! もし戦闘になられでもしたら――」
「迷っているだけ時間の無駄だ」
芳一がリンクウォッチで通信の操作をする。
「何をするか分からない相手に悠長な対応はしていられない」
「…………」
芳一は正しかった。気づけば、春樹が制限時間の指定をしてから、既に五分が経過していた。タイムリミットは五十五分。ネリマからミナトまでの距離は車で約四十分。いまから出発すればギリギリ間に合う。
でもそれ以前に、生島将星は起きているのだろうか。
●
おぼろげに聞こえる誰かの話し声がきっかけで将星は目を覚ました。
「……ここは」
「あ、生島君!」
ベッドの横に置かれたパイプ椅子に腰かけていた由香里が、通話を打ち切って、起き上がる将星を慌てて制する。
「もう起きて大丈夫なの? あまり無理しない方が……」
「ここは医務室か……」
将星は頭を振って意識を半分ほど取り戻すと、心配そうな顔をする由香里に枯れかけた声で訊ねる。
「長官。俺、どれくらい寝てました?」
「八時間ぐらいじゃないかしら」
「そんなに寝てたのか……あ、そうだ!」
ある事を思いだし、将星はひどく取り乱した。
「事件は? 怪電波は!? 他のみんなはいま何をやっている!?」
「落ち着きなさい! とりあえず――」
由香里は冷蔵庫から缶コーヒーを二本取り出し、そのうち一本を将星に手渡した。
「これでも飲みなさい。寝起きは喉も乾くでしょう?」
「……ありがとうございます」
将星が缶のプルタブを開けて中身を一気に飲み干すと、由香里はさっきまで花香と電話で話した内容をそのままこちらに伝えた。
全ての事情を呑み込んだ将星のこめかみから、一筋の汗が細く流れる。
「空井さんの兄貴が、俺を……」
「理由はよく分からないけど、そういう事らしいわ」
「だったら早く行かないと!」
「無茶よ! 駆君ですら敵わなかった相手なのよ?」
「じゃあ長官は空井さん達を見捨てるんですか!」
「それは……」
由香里にしてはしどろもどろも良いところだった。
「他の方法は……何か無いの? あなたも危険に晒さずに済んで、花香ちゃん達も助けられる……そんな、都合の良い方法が」
「時間制限がある以上は四の五の言ってられないでしょう。それに、俺が空井春樹とやらに勝てば済むだけの話です」
「勝つって、そんな無茶な!」
「こっちが闘らなきゃあっちに殺られる。どのみち、戦いは避けられない」
将星の態度は少しも揺るがなかった。
「俺のQPドライバーは何処ですか? セイランに会いたいんですが」
「…………立ち上がれるなら、こちらへ来なさい」
由香里は憮然とした表情のまま椅子から立ち上がった。
「しょーせぇえええええええいっ!」
任務などで使われるQPドライバーの保管庫に、セイランは新型QPドライバーと共に幽閉されていた。
セイランは将星の頭に顔をうずめると、珍しくびえんびえんと泣き喚いた。
「ざみじがっだよぉぉぉぉぉっ! 将星が倒れでがら、ずっどごごにどじごべばべべぇえええええええええっ!」
「おー、よしよし。心配かけたなー」
「ごめんなさいね。一応、生島君が起きるまでにメンテナンスは済ませておこうかと思って、ずっと預かっていたのを忘れていたのよ」
由香里が掌を合わせてぺこりと頭を下げる。
「それにしても、セイランって本当に将星君が大好きなのね」
「じょーぜいいいいいっ!」
「まあ、俺からすればセイランは本当の家族みたいなもんですから」
セイランを掌の上で可愛がりつつ、将星は苦笑して言った。
「いい加減泣き止めよ、セイラン。これからお仕事の時間だ。空井さん達を助けに行く」
「うんっ……!」
言われた通りに泣き止み、セイランが洟をすすった。
将星は新型QPドライバーであるグローブ、CPUカードリーダー搭載ベルト、いつも使っているグリップ型と、最近新たに追加した銃型QPドライバーを装備し、上級捜査官専用の青いロングコートの制服に袖を通した。
「ヘリは屋上に用意してあるわ」
由香里が告げる。
「もしこの事態を収束させられたなら、あなたは紛れもない――駆君に代わる、ネリマ本部のエースよ」
「それは楽しみですね」
「だから、みんなを救ってやって」
「了解。生島将星、出撃します」
将星はいつになくきっちり敬礼すると、すぐに保管庫から飛び出し、屋上のヘリポートへと駆け上がった。
●
共に幽閉された主力捜査官は誰一人として取り乱さなかった。芳一が空井春樹に放った怒りの啖呵を聞いて、相手が思った程の脅威ではないと悟ったのか、はたまた勇気付けられたのか。どのみち、ありがたい話である。
花香は芳一と主力捜査官を引き連れ、二階から一階に降り、彼らに入り口前に待機するように命じる。
芳一が眉根を寄せて訊ねてきた。
「何をする気だ?」
「生島さんを呼んだからといって、彼が必ずしも間に合うという確証はありません。だから、私達自身の力でここから出るんです」
「しかし、どうやって?」
芳一がぐるりと周囲の壁を見遣ってから述べる。
「テロ対策がどうとか言っていたのが本当だったら、窓ガラスだけじゃない、そこら中の壁も強度が高い筈だ。QPドライバーの攻撃で破壊できるとは思わないが……」
「もしかしたらハッタリかもしれません」
花香は駆の銃型QPドライバーを抜き放つと、普段使用しているステッキ型のQPドライバーからアイリスを移行させ、銃型のマテリアライザーを起動する。
銃口を出入り口の自動ドアのガラスに向け、発砲。
案の定、銃弾はガラスに亀裂を入れただけで、貫通するには至らなかった。
「……まあ、ハッタリにしては下手な嘘ですよね」
「今度は俺がやる」
次は芳一が自動ドアの手前に立ち、日本刀型QPドライバーの柄に右手を添え、腰を落として立ち居合の姿勢を取る。
「いくぞ、ブライ」
「心得た」
刀の中から発せられた低い声の主は、普段は滅多に人前に姿を現さない芳一のQP・ブライの声だ。
「<重閃火>」
一閃。赤熱した刃が手元も見せない速さで自動ドアのガラスを斬りつけた。
しかし、やはり切れ目が入っただけで、これも破壊には至らないようだ。
「……やはり、駄目か」
芳一は納刀すると、刀を振った腕を押さえてふらふらと花香の後ろに戻ってきた。ブライのパーソナルコード・<重閃火>の代償だ。光の速さで放たれる重量級の斬撃は、老いさらばえた芳一の肉体では一日三発が限界なのだ。
「さあ、次はどうする? 主力捜査官の突撃銃で集中砲火でもしてみるか?」
「跳弾の危険性があるのでナシですね」
「ではどうする?」
「私に考えがあります」
花香は制服の内ポケットから、千草から渡されたピルケースを取り出す。
「甘道の薬か。何だ、それは」
「アイロニーの改良版です」
「何だと?」
芳一が耳を疑ったように唸る。
「そんな危険物を飲み込んで何をする気だ?」
「マテリアライザーの威力はユーザーの危険値によって大きく変化します。この薬は元々、一般の人達でもマテリアライザーを使えるまでに心理的負担を増幅させる薬物ですから、それを上級捜査官の私が飲んだらどうなるか」
「危険だ」
芳一が花香の肩を強く掴む。
「たしかにそれを使えばマテリアライザーの威力は上昇する。でも、それでこの防弾ガラスを破壊できる確証が何処にある? 分の悪い賭けだ、いますぐ考え直せ」
「……悔しいんです、やっぱり」
「何?」
心底心配そうな芳一に、花香が強がりな笑みを向ける。
「芳一さん、さっきはありがとうございます。あなたのおかげで、私は一人じゃないって改めて認識しました。だからこそ、私は自分に出来る全てを精一杯やり遂げたいんです。みんなの力として、ちゃんと認めてもらえるように」
「何を馬鹿な事を言っている!」
「生島さんだって自分に出来る事を全てやったんです。だから、先輩の私が意地を見せないと……いつまで経っても兄には馬鹿にされるし、駆さんにも笑われちゃいます」
「…………」
芳一が花香の肩から手を離した。
「……分かった。だが、危険と判断したらすぐに止める」
「お願いします」
花香は短く頭を下げると、ピルケースを振って錠剤を一個だけ取り出し、一息に飲み込んだ。
目を閉じ、しばらく待ってみると、全身に凄まじい悪寒が染み渡った。何かを思考しようとした途端に意識が途切れそうになるような錯覚に陥り、開いた視界の先に見える景色が酷く揺らいで霞む。
激しい発汗と動悸が始まる。自分の精神に巣食う何かが暴れているようだ。
花香はなけなしの思考力を総動員して、銃口を再び出入り口に向けた。
「っ……!」
発砲。先程よりもさらに威力が強化された銃弾が、射撃用オプションコード・<バースト>の力を受け、炸裂する弾丸として標的に着弾する。
命中。今度は自動ドアのガラス全体に亀裂が入る。
「っあああああああああああああああああああああ!」
叫び、連射。最大火力の炸裂弾を立て続けに叩き込み、自動ドアのガラスが徐々に衝撃の方向に従って陥没していく。
亀裂が入り過ぎて、ガラス全体が塗りつぶされたみたいに白い。
あと一押し――あと一押しで……っ!
「いっけぇえええええええええええええええええええええええええっ!」
改良版アイロニーの効力はとっくのとうに切れていた。ここからが花香の真骨頂だ。
空井花香が有する<マイナス属性>は<憎悪>と<悲哀>。普段は将星同様、強い自制心で抑え込まれてはいるが、アイロニーを服用した事でそのリミッターが一瞬だけ解除される。
これまでにあった悲しみの記憶が、彼女の脳裏に怒涛の如く押し寄せる。
両親と駆は両方、春樹に殺害された――兄に対する憎しみと、失った者に対する悲しみの感情が絡まり合い、花香の中に眠っていた激情を呼び覚ます。
「……っ!」
銃型QPドライバー内に温存していたバッテリーを使用しての、最後の一発。それはもはや、砲撃と呼んでも差し支えない程の威力だった。
この一発により、いままで銃弾と爆発をせき止めていた自動ドアのガラスがフレームごと吹き飛んだ。
出入り口に大穴が空いたのを見届けるや、花香は銃型QPドライバーを取り落とし、息が切れかかると同時に前のめりに倒れ込むが――芳一が彼女の体を素早く支える。
「芳一、さん……」
「よくやった」
芳一がいつになく優しげに微笑むと、すぐに背後の捜査官達に鋭い胴間声を飛ばした。
「総員、いまのうちに脱出しろ! 早く!」
主力捜査官達が芳一の指示で、慌てず騒がず、たったいま空いた大穴から素早く脱出する。芳一も花香の体を抱え上げてゆったり屋外へ出る。
「花香。お前の兄貴に一矢報いたな」
「……とう……ぜん……です」
「そうだな。だから後は――」
芳一の左右を、捜査官が正面から一人ずつ、脇目も振らずに通り過ぎる。
「俺達に任せてください」
「舐めた真似をしてくれた分は、きっちり落とし前をつけてもらうぜ」
生島将星と小坂雄大は、ガラスの破片が散らばった地面を踏みつけ、ゆっくりと施設の中へと入っていった。
芳一に体の向きを変えてもらい、二人の背中を眺めていた花香は、蘇った記憶の断片の一つを将星の背中に重ねてみた。
QP/の黄金コンビ。最強のガンスリンガー・小坂雄大の隣には、いまは亡きQP/のエース、音無駆が相棒として肩を並べている。
でも、彼は駆じゃない。
あくまで、彼は生島将星だ。
「……生島……さん」
意識が徐々にはっきりしていく中で、花香は確信していた。
いまの彼ならきっと、春樹に勝てるかもしれない――と。
【Bパート】
「……随分と腹の立つ真似をしてくれたもんだね」
フットタウン一階の様子をリンクウォッチのホログラム画面で眺めていた春樹は、苦々しい顔でいましがた花香がしでかした所業の全てに毒を吐いていた。
「なるほど、あの出来損ないの妹も人を小馬鹿にする技術を覚えたか」
「でも、結局は来たね、彼」
ツバキが春樹の肩の上で淡々と言った。
「とりあえずはこちらの思惑通りだね」
「ああ。でも、少々厄介なのが紛れ込んだな」
「小坂雄大か。でも、彼らだってまがりなりにも警察だ。おそらく二手に分かれて春樹と鞍馬の逮捕にあたるだろう」
「とすれば、俺はどのみち生島将星とタイマンか」
「小坂雄大と鞍馬もね」
「そうと決まれば、俺達はここで待つだけだな」
春樹は康成に対して通信を開く。
「そっちに小坂雄大が来る筈だ。脱獄班を逮捕しに来たんだとさ」
『予定通りだな』
「そゆ事。んじゃ、また後でね」
『お互い、先があればな』
物騒な事を言い残して、康成は通信を打ち切った。
「本当に一人で行く気か?」
「ええ。展望台の相手も二人、こちらも二人ですし」
再稼働した展望台行きのエレベーターを待ちながら、将星と雄大は軽めの作戦会議を行っていた。
将星は目の前の扉が開くと同時に言った。
「小坂さんには鞍馬を再逮捕していただきます」
「花香がいりゃ簡単かもしれんが、俺一人は相当キツいぜ」
「それを言うなら俺だって同じです」
二人はエレベーターの中に乗り込むと、作戦会議を再開する。
「どのみち鞍馬を逃がす訳にはいかない。それに、俺も空井春樹とやらにいくつか用がある」
「そうかい。で……鞍馬がいるのは展望台一階だったな」
言っている間にエレベーターが展望台一階に到達する。
雄大は扉の解放と同時に銃を正面に突き出し、
「……じゃ、そっちは任せたぜ」
「ええ。そちらこそ、気を付けてください」
「バーカ。誰に言ってんだよ」
彼は素早く身を投げ出し、将星の視界からさっと消える。
扉が閉まり、エレベーターは上昇を再開する。
「覚悟は良いか?」
「もちおっけー」
「そうか。――いくぞ、セイラン」
「ういー」
いつも通りの掛け合いを済ますと、エレベーターはついに特別展望台に到達した。壁側に身を寄せていた将星は、新しく受領した銃型QPドライバーを抜き、扉が開くと同時に銃口を外に向けて突き出した。
付近には誰もいない。慎重にエレベーターから降り、周囲を警戒しながら回廊めいた展望台を一人で歩き回る。
ややあって、背後に人の気配を感じた。
「っ!」
すぐに振り返り、銃口を向けたその先には、ペンキでも被ったみたいに真っ赤な髪を逆立たせた少年が、同じく真っ赤な椿の花びらをマフラーみたいに巻いたQPを肩に乗せ、ただ悠然と佇んでいた。
「やあ。初めまして、生島将星君」
少年はまず、楽しそうに挨拶した。
「俺が空井春樹だ。話には聞いた事ぐらいあるんじゃないかな?」
「さあね。俺にはとてもあんたが空井花香ちゃんのお兄さんには見えないが? どっかのヴィジュアル系ロックバンドのボーカルでもやってんのか?」
「口が減らない子だね。こりゃ面白い」
「お前の感想はどうでもいい。もう日本には時効という制度は存在しない。多数の犯罪に関与し、当局の捜査官一人を殺害した容疑でお前を逮捕する」
「仕事熱心な事で」
春樹が大仰に肩を竦める。
「でも、一つだけ質問があるんだ。答えてくれると嬉しいな」
「奇遇だな。俺も一つだけ、お前から聞きたい事があったんだ」
将星は銃をホルスターに仕舞い込み、威嚇も兼ねた視線で春樹を刺した。
「聞いた話だとおたくの妹さんはお前に両親を殺されてから天涯孤独の身として生きてきたらしいな。自分の親を手にかけて、妹さんを絶望のドン底に叩き落とした気分はどうだった? 人様に迷惑を散々振り撒いて私欲の為だけに殺戮を繰り返して、お前はそれで満足しているのか?」
「気分は最高。いまの人生には満足しているよ」
春樹は何の抵抗も無く答えた。
「俺は人を殺して生きてるのさ。だから、これ以上は何もいらないんだ。これが俺からの回答だ。満足したかい?」
「ああ、良いね。じゃあ代わりに、お前からの質問にも答えてやるよ。言ってみろ」
「そうかい。じゃあ……」
春樹は少しだけ考える仕草をしてから、再び口を開いた。
「君は何の為にQP/の上級捜査官になった? 断ろうと思えば断れた筈なのに、どうして君はその道を選んだ?」
「簡単な話さ」
将星はふっと笑い、小さく両手を広げた。
「お前みたいなクソ野郎を一匹残らず殲滅する為だ」
「なるほど、シンプルだ。分かり易いのは好きだよ」
「他にも知りたい事があんなら殺し合いで語り合おうぜ」
グローブの掌に水色のリングが生成され、中央から大きなシャボン玉が何個も浮き上がり、将星の頭上と左右に広がる。
やがて、全てのシャボン玉の内側に三つの青い光の粒が生み出される。
「そこを動くなよ? あんまり活きが良いと蜂の巣にしちゃうぜ?」
「やってみなよ」
春樹もグリップ型のQPドライバーを構えた。
柱の陰に隠れ、鞍馬康成の銃撃をやり過ごしながら、雄大は時折銃口を突き出して牽制射撃を仕掛けていた。
足元や顔の近くを火花が舞い踊る。迂闊に動いた瞬間が最期か。
「おらおらどうした! 中途半端なトコ狙ってんじゃねぇぞ!」
展望台のエレベーターを盾に、康成が楽しげに挑発を仕掛けてくる。
「いまだったらお前と俺以外の誰もいやしねぇんだ! 殺したきゃ殺せよ! 言い訳なんていくらでも立つだろうが!」
「うるせぇ!」
柱の陰から身を躍らせ、康成のいる地点に接近しようと走り出す。近くにQPとそのユーザーが存在するなら、QPドライバーの基本機能であるQPレーダーによる捕捉は可能だ。何処に隠れても逃がしはしない。
だが、それは相手も同じだ。
「おらおらおらっ!」
気を発し、康成が物陰から着剣小銃を連射する。あれもQPドライバーなので、発射されるのはマテリアライザーの銃弾だが、普通の銃型とは威力が段違いだ。
着弾地点が深く抉られ、破裂する。雄大はいつもの勘と読みで走りながら銃弾を回避し、とうとう康成の着剣の間合いに潜り込んだ。
左腰の銃型QPドライバーを抜き、右と併せて二丁拳銃に。
発砲。両の銃口が激しく明滅する。
「<フルシールド>!」
康成の前面に六角形の薄い水晶体が出現。至近距離で放たれた雄大の銃弾を全て受けきり、粉々に粉砕する。
「くっそ……!」
「おるぁあああああああああっ!」
康成が着剣小銃を振るう。銃弾もマテリアライザーなら、銃口の下に据え付けられた<ブレード>もマテリアライザーだ。黄色い電力の刃が、鋭い弧を描いて雄大の喉元を狙う。
しかし、雄大もただの射撃バカではない。日頃の訓練の賜物か、自然と腰が後ろに引き、足は考えずとも小さく地を蹴っていた。
後退して斬撃を回避。腰だめに構えた左側の銃を発砲。康成は面食らったような顔をするも、くるりと身を回転させる事で銃弾を回避。回転の勢いを残したまま次の一閃に繋げるが、これも雄大は身をかがめて無効とした。
雄大が射撃を続けながら後ろに下がり、康成も踊るように動き回りながら応射する。まるで、銃声で音頭を取りながらダンスしている気分だ。
お互いにまた距離が開き、二人して物陰に隠れて息を整える。
「あー、心臓に悪っ!」
「あいつ、滅茶苦茶強いな」
メテオが雄大の耳の横に浮かび上がって呟いた。
「やっぱり花香ちゃんのサポートが無いとキツいぜ」
「最初からわーってるよ、んなモン」
いまにして思い返すと、これまでの任務において、花香の存在は非常に大きかった。
「こんな事なら、ちゅーだけじゃなくてエッチの約束もしとくんだった」
「まだ信じてんのか、お前」
メテオがやれやれと頭を振った。
「やれやれ、思ったより強敵だな」
「敵ながら見事であります」
康成は奇しくも、雄大と全く同じ感慨に耽っていた。
フォレストがQPレーダーの画面を見ながら報告する。
「彼の場合は射撃に距離差が関係無い上に体術まで優れています。このままではジリ貧も良いところであります」
「全くだ。さーて、どうすっかなぁ……」
QP/最強のガンスリンガーと呼ばれているだけあって、こちらが嫌がるコースに弾道を指定してくるあたりが厄介だ。当てようと思えばいつでも当てられると言われているようで気に食わない。
こうなるとこちらも出し惜しみはしていられない。どちらが先に倒れるかというチキンレースに挑むより、手の内を全て晒してでも最速で奴を倒してしまった方が手っ取り早いし後が楽だ。
「しゃーねぇな。フォレスト、例のアレを使う。弾道のコース設定は任せたぜ」
「了解であります」
康成は小銃のグリップを握りなおした。
「さぁて……奴はこれをどう攻略してくるかな?」
空間中に浮かした泡をいくつか破裂させ、時間差で別の泡も割って、内包されていた青い光の弾丸とレーザーによる波状攻撃を実現させる。
春樹はグリップ型のQPドライバーから伸びた赤い<ブレード>で弾丸やレーザーを叩き斬りながら、まるで宙に投げた羽毛みたいな柔らかさでステップを踏み、将星が時折仕掛ける<ブレード>による近接攻撃を凌いでいた。
一旦距離を置いた将星はグリップ型のQPドライバーを腰に収め、再び掌から泡を生成して付近の中空に置き、あらかじめ別の場所に置いていた泡を破裂させて春樹に牽制射撃を仕掛ける。
だが、春樹はそんなものを意に介さなかったらしい、かわす素振りさえ見せずに突っ込んできた。
「ちくしょう、だったら!」
右のサイドバックルに収めていたメモリーカードの一枚を抜き出し、中央のバックルに空いたスリットにセットする。
『シフト・シューター』
将星にのみ聞こえる指向性の機械音声。これでセイランに内臓されていた三つのバトルコード・及び三つのオプションコードが丸ごと射撃戦用へと換装される。
左の腰に収めていた銃型QPドライバーを抜き放ち、正面から肉薄してくる春樹に発砲。
「<シールド>」
春樹は自らの正面に赤い盾を張って銃弾を受け止めると、こちらの連射を予想したのか、すぐに後退して柱の陰に身を投げ込んだ。恐るべき勘だ。
「逃がさん!」
相手が遮蔽物に隠れるなら、ここら一帯を更地に変えてやるまでだ。将星は付近を浮遊していた泡を全て破裂させ、中身のレーザーを全弾発射。春樹が隠れていた柱を粉々に粉砕し、前方を全て爆炎で包み込んだ。
火災発生に反応してスプリンクラーが作動し、炎が全て鎮火される。
煙から姿を見せた春樹は、ずぶ濡れになりながらも愉しそうに笑った。
「くくくっ……! おいおい、俺を逮捕するんじゃなかったのかよ。うっかり死んじゃうところだったじゃないか」
「やり過ぎなくらいが丁度良い気がしてな」
「イイねぇ……鞍馬の報告以上だよ」
春樹が<ブレード>を引っ込め、グリップ型の先端をこちらに突きつけた。
「じゃあ、今度はこっちの番」
「!」
一瞬、異常な寒気が全身に走った。
まずい――次の一瞬で、俺は死ぬ。
「<シールド>!」
右手が勝手に動き、手の甲から六角形の水晶体が展開される。
次の瞬間、張ったばかりのシールドから爆炎が巻き起こる。将星の体は爆発の勢いを受けて後ろに吹っ飛び、ごろごろと床を何回か転がった。
何とか転倒の勢いを利用して立ち上がり、将星は再び<シールド>を展開し、左手にシャボン玉を一個だけ生成して身構える。
「何だ、いまのは? 何でいま勝手に<シールド>が?」
「おいらがやったー」
セイランが呑気に告げる。
「シンクロシステムで将星の体を動かした。じゃないと、将星死んでた」
「それで助かったのか……」
「休憩して良いだなんて言った覚えは無いよ」
春樹が再びグリップ型の先端をこちらに差し向ける。
「将星!」
またしてもセイランがこちらの右手を勝手に操作すると、既に展開されていたシールドがまたしても破裂する。今度はいきなりでも無かったので、爆発の威力で情けなく転ぶようなヘマはやらかさなかった。
どうにか踏ん張り、将星は手近な柱の陰に隠れる。
「……セイラン、お前には奴の攻撃が見えてるんだな?」
「もっちーのロン」
「よし。セイラン、俺の体を好きに使え。射撃は俺がやる」
「体のコントロールをおいらに明け渡すと、結構な負担になるんだけど……?」
「俺はお前を信じる」
「……分かった」
短いやり取りの中で、二人は自分の役割を再確認する。
シンクロシステムの同調比率を二:八に設定。体のコントロールを八割セイランに明け渡し、将星は再び柱の陰から身を躍らせ、バックルのメモリーカードを差し替えた。
『シフト・アタッカー』
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
腰からグリップ型QPドライバーを抜き、春樹と正面きってのぶつかり合いに挑む。春樹もグリップ型から<ブレード>を伸ばし、上段から斬りかかるこちらの動きに応じて下段から斬り上げる。
何度かマテリアライザーの剣同士が衝突すると、春樹が再び<ブレード>を引っ込める。また、謎の攻撃が来るのだ。
『シフト・ディフェーザ』
メモリーカードの差し替えで、防御系専門のバトルコードに換装。両手から<シールド>を展開し、攻撃が来ると思しき方角に盾を向ける。
盾がまたしても爆発する。だが、今度は破壊されていない。
いける。どんな攻撃かは知らないが、セイランが分かっていれば、それで――
「っ!?」
いきなり、将星の視界が激しく上下左右に振動する。おそらく、シンクロシステムの代償だ。
将星がいま使用している新型QPドライバーには、使用者とQPの間で精神的な感応を引き起こすシンクロシステムと呼ばれる機能が内臓されている。QPドライバー全体の操作を脳の働きだけでこなせるという奇跡のような代物だが、代償として使用者の身体と脳に多大な負担を強いる。
ごく普通に携帯端末として操作するだけならまだしも、戦闘用への実用化はこれが初めてだ。もちろん、あらゆる技術の初期段階には膨大な誤算が付き物なので、こういうケースだって充分に考えられた。
なのに、しくじった。いきなり肉体の主導権をセイランに渡したのが裏目に出たか。
「おんや? どうかしたかな?」
嘲りと共に放たれる春樹の回し蹴りが将星のこめかみに直撃した。激しい意識の混乱もあって、将星はいとも簡単に転ばされる。
駄目だ。立ち上がろうとしても足が、腕が、動かない……っ!
「つまらないなぁ」
春樹が大仰に肩を竦めてぼやいた。
「てっきりもうちょっとやってくれるもんだと思ったけど」
「まだだ……!」
将星は何とか意識を奮い立たせ、腕の力だけで上体を起き上がらせる。
セイランが将星の前に現れ、ほとんど泣きそうな声で訴えかける。
「将星、もうやめようよ! 危険だよ!」
「止めるな、まだいける」
頭痛で頭が割れそうになりながらも、どうにか全身の力を総動員して立ち上がろうとするが、配線がぷっつり切れたみたいに、将星の体は再び床に沈み込んだ。
春樹がつまらなさそうに言った。
「どうやら本当にここまでみたいだ」
「ふざけるな……!」
それでも、将星は無理矢理立ち上がった。本当はもう、限界の筈なのに。
「いくぞ、クソ野郎……!」
『シフト・アタッカー』
再びメモリーカードを差し替え、グリップ型のQPドライバーを握る。
「……いいだろう」
春樹が低く呟いた。
「せめて、楽に死なせてやろう」
盾にしていた柱が突然崩れ去り、雄大はすぐに身を投げ出した。
「何だ、いまのは!?」
「<ワインダー>だ!」
メテオがいましがた柱を破壊した弾丸の種類を報告する。
「鞍馬の野郎、あの距離から<ワインダー>で狙撃してやがる!」
「あぁあん!?」
雄大は耳を疑った。
この展望台一階は回廊のような構造だ。中央のエレベーターを廊下が囲んでいるような構造で、雄大はエレベーター付近の柱の陰にいままで身を潜めていた。
一方、鞍馬はエレベーターの向こう側、つまりは雄大とは反対方向に潜んでいる。よって、お互いからはこのフロアの構造上の問題でこちらの姿は見えていない筈だ。一方がもう一方を視界に入れたい場合、中央のエレベーターを包む支柱を大きく回り込む必要がある。
なのに、鞍馬は現在地点から一歩も動かず、弾丸やレーザーに歪曲軌道の効果を与える射撃用オプションコード・<ワインダー>を用いてこちらの位置に対して正確なスナイピングを実現させているのだ。
こうなった以上、このフロアにいる限り、雄大は彼の弾丸からは逃れられない。
「後ろだ!」
「<シールド>!」
銃口から水晶体の盾を展開し、背後から飛んできた銃弾を防御する。
「俺の位置はレーダーでしか確認できないんだろ? なのに、何で奴はここまで正確な狙撃を……?」
「多分だが、鞍馬のQPのパーソナルコードだな」
「んだと?」
一瞬疑いかけたが、鞍馬のQPがどんな能力を有しているにせよ、メテオが事前に弾道を予測出来ている以上は疑う余地も無い。
「いや……そうだな。それに、奴は確実に仕留め切れると見定めた瞬間でした撃たないみてぇだ。奴が攻めあぐねている間に攻略法を考えないとな」
「だったら一つだけ良い手があるぜ? 賭けに近い方法だけどな」
「…………」
雄大は少しだけ逡巡した。QP専門の捜査官が、作戦の全てをQPに委ねても良いものかという、一種の倫理的な考え方に囚われたからだ。
でも、代案が無い以上、メテオの提案に乗るしか生き残る道は無い。
「お前を信じても良いんだな、メテオ」
「実際に戦ってるのはお前の体とお前の命だ。だったら俺が頭になってやるよ」
「魚の頭なんて着ぐるみでも被りたくは無いがな」
「馬鹿にするなよ? 魚はDHAが豊富なんだぜ?」
「ははっ」
そうだ。何を迷っている。
どうせ俺一人じゃ何も出来やしないんだ。自分の力や立場にこだわる必要なんて何処にある?
「やろうぜ、相棒」
「任せろや、兄弟」
相棒、兄弟。呼び方は違えど、結ばれた絆は同じだ。
さあ、ここからが本当の勝負だ。
「奴らが移動を開始しました」
フォレストが目の前で敬礼しつつ報告してくる。
「撃ちますか?」
「いや、釣りの可能性がある」
答えながらも、康成は思索を巡らせていた。
エ康成が雄大の位置を的確に把握して<ワインダー>での狙撃を成功させたのは、無論、QPレーダーのおかげではない。フォレストが有するパーソナルコード・<オートメーション・サーチ>によるものだ。
<ワインダー>はあらかじめ設定した弾道の上を走るだけの銃弾だ。標的に対する追尾機能は備わっていないので、敵を視界に入れていなければ無駄弾同然だ。
だが、<オートメーション・サーチ>は対象のQPを所持するユーザーの生体反応を半径五十メートル以内から探し当て、放つ銃弾全てに雄大のみを狙うように設定されたホーミング機能を与える。
ぐねぐねとうねる追尾弾の柔軟性は高い。弾が標的に着弾するまでの間は自由に空間の遮蔽物を縫うように進み、最終的には必ず雄大に命中するように仕組まれている。
しかし当然ながら、弱点も存在する。
「結局、弾が奴の五メートル付近に寄った時点で追尾弾に切り替わる。バカスカ撃って奴さんのQPにそれを察知され続けたらさすがにネタが割れる」
「では、どうしますか?」
「奴の攻撃がこっちに届くのはまず有り得ない。致命的な隙を見つけ出した時だけ撃って、それでも近寄ってきたら接近戦と追尾弾のコンボで押し切ってジ・エンドだ」
「了解であり――ん?」
いきなり、耳をつんざくような激しい爆発音と金属音が響いてきた。
「? 何だ、いまの爆発は」
「標的がエレベーターを攻撃しているであります」
「あぁあん?」
またしても爆発音と、鉄筋がひしゃげる音がした。これは怪しい。
「こっちの狙撃を誘うためのブラフか? <オートメイション・サーチ>の仕掛けを探る腹積もりかよ」
「いえ、違います! 彼らの狙いは――」
フォレストが何かを喋り出そうとした、その時だった。
康成が背中をくっつけていた壁から、火山の如く火炎が噴火した。
「ィいやっほおおおおおおおおおおおおおおおいっ!」
上機嫌に叫び、雄大は爆炎の中から飛び出した。
見晴らしが良くなった視界の真ん中では、全身が黒く煤けた康成が尻もちをついて驚きの眼差しでこちらを見上げていた。
雄大がすかさず銃口を康成に向け、発砲。
「っ……!」
外した。康成が咄嗟に身を転がして、銃弾を回避したのだ。
彼はどうにか立ち上がると、床に着地した雄大に小銃の筒先を向ける。
「おせぇ!」
「お前がな!」
左手の銃で発砲。康成の小銃の銃口に弾丸を叩き込んだ。これで康成の武器はもう使い物にならない。
すかさず肉薄。右手の銃口を、康成の腹に突き付けた。
発砲。<バースト>を付与された銃弾がお互いの目の前で炸裂。二人揃って爆炎に呑まれ、重たい衝撃を受けて床を何度か転がった。
雄大はほとんど無傷だった。左手の銃からあらかじめ<シールド>を展開して、爆発から身を護っていたからだ。
しかし、何の用意も無く爆発をモロに受けた康成は、全身黒こげとなり、白目を剥いて仰向けに昏倒していた。
雄大は爆発のショックから復活して立ち上がると、気絶していた康成の傍に寄り、慎重に彼の脈を測った。
「……まーだ生きてやがる。防弾ベストのおかげで命拾いしたな」
「殺さずに済んで良かったな」
「まあな」
雄大はようやく安息した。
これは一種の賭けだった。康成がエレベーターの反対側に回り込んでいるのなら、エレベーターごと<バースト>でぶち抜いて彼が潜む位置まで近道すれば良いという短絡的な作戦だったが、これはメテオのパーソナルコード・<メテオプロミネンス>があってこその話だ。
<メテオプロミネンス>は着弾した対象が焼失するまで燃焼を止めない効果を弾丸に付与させる。水を掛けられるまで生物から無生物までを半永久的に燃やし続けるので、いまみたいに短時間でエレベーターの扉やら内壁やらを完膚無きまでに破壊し尽くせるのだ。
雄大は鞍馬をうつ伏せにして、彼の両手を後ろ手に手錠で拘束する。
「……ふぅ! 終わった終わった」
「でも、どうするよ」
メテオがホログラム化して出現し、轟々と燃え盛るエレベーターを見遣って言った。
「将星の増援に回るか?」
「……大丈夫だろ」
雄大は確信めいて呟いた。
「野郎は強い。色んな意味でな」
何度挑んでも、何度立ち上がっても、空井春樹には勝てる気がしない。
将星は粉々に分解しそうなくらい混乱した意識をどうにか正常に保ち、時にはグリップ型のQPドライバーから伸ばした<ブレード>で接近戦を、時には<バブルブリンガー>を用いた中距離戦を仕掛けるが、いずれも彼には全く通用しなかった。
手のひらからシャボン玉を生成し、空間中にばら撒いた。
しかし、今度は中に弾丸が生成される前に全て割られてしまった。
「<バブルブリンガー>の弾丸がシャボン玉の中で生成されるまでにはジャスト六秒を要する。それまでに割ってしまえば何の脅威にもなりはしない」
春樹が未だ余裕を保って述べる。
「君の力は鞍馬から聞いているし、こないだけしかけた軍人崩れ共のおかげで<バブルブリンガー>の性能は大体把握している。つまり、戦う前から負けていたんだよ、君は」
「……だから、どうした」
もはや廃人も同然な眼をして、将星は小さく呟いた。
「音無さんをぶっ殺した奴だと聞いて少し怖かったけど……何だ、全然大した事ないじゃん。不思議と何の恐怖も感じねぇや」
彼と対峙した時から、ずっと将星は感じていた。
QP/において最大クラスの脅威として認定されているような奴なのに、どうして俺は奴を相手にして、こうも平然としていられるのだろう――と。
これならまだ、花香にゴミを見るような目で睨まれた時の方がずっと怖い。
「この程度の奴に空井さんの――お前なんぞよりよっぽど頑張って生きてるあの子の人生が脅かされたって思うと、やっぱり納得がいかないんだよ」
「ああ、そうかい」
春樹は不機嫌そうな声で応じると、グリップ型の先端を再び突き出した。
「だったら、君の言う「この程度の奴」に、君の人生は閉ざされる」
また、正体不明の爆破攻撃が来る。
「俺は……」
将星は強く願った。
死にたくない。死ぬ訳にはいかない。
自分の命を投げ出すには、大切なものがあまりにも多くなり過ぎた。
「俺は、生きる」
奴を捕まえる。そして、花香の前に突き出して、彼女の前で懺悔してもらう。
彼女の両親を殺した罪を――音無駆を手に掛けた罪を。
――春樹の攻撃が、来る。
「っ!」
しかし、外した。将星が半歩だけ横にずれたからだ。
「……? 何だと?」
春樹が眉をひそめ、攻撃を再び発動する。が、その度に将星が何度も小さくステップを踏み、春樹が放つ見えない攻撃を次々と回避する。
瞬転、メモリーカードを差し替え、
『シフト・ディフェーザ』
<シールド>を両手の甲に展開し、身を低くして春樹に突撃を仕掛ける。
「くっ……!」
春樹が再び攻撃を発動させる。今度はちゃんと爆発が巻き起こるが、いずれも将星が張っていた<シールド>を掠める形に終わっていた。攻撃が来る度に<シールド>の角度を微妙に変えていたので、爆発の威力はきっちり受け流されている。
「おおおおおおおおおおおおおおっ!」
思いっきり振りかぶり、盾を張ったままの右ストレート。春樹は咄嗟に伸ばしたブレードで<シールド>を受け止める。
「どうなっている? 何で俺の攻撃が……」
「<バウンサー>!」
防御用オプションコードが発動。盾が反発力を持った瞬間、春樹の体がスーパーボールみたいに強く弾き出される。
将星はすかさず左手も振りかぶり、
「<ソーサー>」
左手を一閃。手の甲に浮かんでいた<シールド>が電動のこぎりの刃みたいに回転し、宙で身動きが取れない春樹に向かって飛翔する。
春樹はどうにか地に足を付け、飛んできた<シールド>を後ろに受け流すと、すぐにグリップ型の先端から再び例の攻撃を発動させる。
が、結末はさっきと同じだった。将星は少しだけ身を左に寄せ、右手の<シールド>に爆発を受けながらも、平然とその場に立っていた。
「……やっぱりな」
将星は唇を緩めて呟いた。
「お前の攻撃はあらかじめ軌道を設定する必要がある。そのコントロールは全てお前のQPが行っているんだろうが、ネタが分からんでも根っこが一つなら対処は容易い」
「どういう意味だ?」
「セイランにはお前の攻撃を事前に予測出来ていた。それは何故か。お前のQPドライバーから発信された何かが攻撃の軌道を決めているからだ。人間には人間にしか見えないものが、QPにはQPにしか見えないものがある」
喋っていくうちに頭痛が収まり、思考が段々とクリアになっていく。シンクロシステムによる全身の支配を解除して、数分経てばこの通りである。
「おそらくは赤外線のように、人の目には見えない物質なんだろう。その上に俺達がいれば、発動した瞬間に軌道上の物体に何らかの影響を及ぼす。それがお前のQPが用いるパーソナルコードの正体だ」
「正体がバレたところでかわせるかどうかは別問題だ。一体何をした?」
「簡単な話さ」
将星は初めて、自身の双眸をしっかりと春樹に見せつけた。
虹彩が青い、自身の瞳を。
「……! 視覚情報をセイランとリンクさせたのか!? でも、そんな事をしたら……」
春樹にも大体想像がつくだろう。目玉の強度なんてたかが痴れている。そう長い間、シンクロシステムによる負荷には耐えられないだろう。
最悪、戦闘終了後は失明している可能性すらある。
「何故だ!」
春樹が叫ぶ。
「何でそこまでして……何が君をそうさせる!」
「こいつは俺の意地だ」
『シフト・バランサー』
攻防一体の万能型バトルコードに換装し、将星はグリップ型と銃型のQPドライバーを抜き放った。
「もう俺の命は俺だけのものじゃないって教えてくれた人達がいた。俺一人じゃ何にも出来なくったって、隣で一緒に戦ってくれる奴がここにいる」
「一人で一パーセントでも、二人なら百パーセント」
セイランがQPドライバーの中から告げた。
「将星は死なせない。お前なんかに殺らせはしない」
「だからお前みたいな、一人で強くなった気でいる奴に負ける訳にはいかない!」
グリップ型のQPドライバーを握り直し、将星は腰を低く落とした。
「……くっくっく! イイねぇ」
春樹が片手で顔を覆って、堪えきれない様子で笑い始める。
「いいよ……そうか、それが君か! 面白いよ……君は本当に、面白い!」
これまでの退屈を振り払うように、春樹がQPドライバーの先端から一気に無数の赤い線を空間上に引いた。これがさっきまでの攻撃に用いられた軌道の正体だ。
既に、十本以上の線が将星の体に触れている。
「勝負だ、生島将星!」
狂気じみた哄笑を上げ、春樹が爆破攻撃を発動した。
その瞬間、体を覆っていた線の群れから抜け出し、壁を反射して警戒線のように敷かれていた別の線に突っ込む。
体に触れていた、都合七本の線が爆発。将星の体を爆炎が包み込む。
『シフト・ディフェーザ』
しかし、将星は生きていた。両手に張った<シールド>によって身を守ってから、爆炎の只中で射撃モードに換装。とある仕込みをその場で済ませ、燃え盛る炎の壁を突き抜けて床を蹴った。
「来い!」
春樹がQPドライバーの先端から<ブレード>を伸ばし、すかさず間合いに入った将星に下段から斬り上げる。
「<バウンサー>!」
盾ごと体当たりして、春樹の体を再び弾き飛ばす。さっきまでと同じ展開だ。
さすがに体で覚えたか、春樹はすぐに空中で体勢を立て直し、再び爆破攻撃の構えに入ろうとする。
だが、もうその攻撃は使わせない。
「セイラン!」
合図と同時に将星が深く屈み込むと、背後からこちらの頭上を通り過ぎ、青い光の筋が三つ、真っ直ぐ一閃した。
「しまっ――」
<スタン>の効力を与えたレーザーが全弾直撃。春樹は一瞬だけ痙攣すると、ぴったり固まってから床に墜落した。
まだ意識が残っているらしい。春樹が必死に立ち上がろうと、全身を力ませる。
「そうか……爆発の直後に<バブルブリンガー>を……!」
喰らってからだとさすがに気付くのも早い。
全ては春樹が言った通りだ。爆炎の真っ只中で将星が仕込んでいたのは、たった一個の<バブルブリンガー>だった。
充分注意を払ってはいたのだが、もし<バブルブリンガー>が周囲の炎に少しでも触れていたらこの作戦はご破算だった。運がこちらに味方したのだ。
将星は息を整えると、制服の内側から手錠を取り出した。
「これで終わりだ、空井春樹」
「させないよ」
「何っ……」
聞きなれない声がしたかと思うと、春樹のQPドライバーの先端から無数の赤い線が吐き出され、周囲一帯に真っ赤な包囲網が完成する。
「<フルシールド>!」
両手の<シールド>に全出力を注ぎ込み、将星は自身を青い球状の殻で覆い尽くす。
次の瞬間、目の前でオレンジと白の閃光が入り混じった。
気絶した鞍馬康成を抱えて、通常の階段で下に降りるのは大変な重労働だった。体格差も体重差もまるでケタ違いな康成を運ぶには、お世辞にも屈強とは言い難い体格の雄大一人だけでは手に余る。
花香によって木端微塵にされた出入り口を出ると、数人の主力捜査官がすぐに飛び出し、雄大を手厚く歓迎した。
「小坂捜査官! ご無事でしたか!」
「まあな。それよか、こいつを頼むわ。まだ普通に生きてやがる」
「了解!」
絶賛気絶中の康成を主力捜査官の男女が三人掛かりで運び出すのを見届けると、雄大は制服の懐からセブンスターを一本取り出し、先端にライターで火を付けた。
「よく帰ってきたな」
芳一が歩み寄り、珍しく賛辞を口にした。
「今日は素直に流石だと言っておこう」
「そりゃどうも。それより、花香ちゃんは?」
「あそこで休んでる」
芳一が顎でしゃくった先には、主力捜査官達が移動の際に使ったバンの傍で毛布に包まって座り込む花香の姿があった。顔は死人のように青白い。どうやら、脱出の為に思った以上の無茶をしていたらしい。
「あの子はよく頑張った。結局、役立たずだったのは俺の方だ」
「どんな時でも役に立てる奴なんていやしねぇよ」
雄大は煙草を携帯灰皿の上でもみ消すと、花香の傍に寄り、憔悴する彼女の頭にゆっくりと手を置いた。
「ただいま」
「……生島さんは?」
帰ってきてから聞く第一声にしては辛い響きだった。
「帰ってきたのは、雄大さんだけですか?」
「……将星なら、まだ上にいる」
QPレーダーの位置情報設定を特別展望台に合わせてマップを表示してみると、まだ二体のQPの反応がしっかりと残っている。おそらく未だに戦闘中なのだ。
「ツバキの能力が分からない以上、俺達が下手に加勢しても無駄死にするだけだ。でも将星はその能力の正体を掴んで応戦しているんだろう。ここはあいつを信じて待つしか――」
雄大の言葉は最後まで続かなかった。
特別展望台にあたる位置の窓ガラスの一部が、突如として爆炎と共に吹っ飛んだからだ。
「……っ!? 何だ!?」
「あれを見ろ!」
芳一が指差したのは、壊されたばかりの窓から飛び出した黒い点だった。よく目を凝らしてみると人の形をしているように見えなくもない。
その人型はしばらく宙を落下すると、背中から三角形の帆を大きく広げ、高高度の風を受けてゆるやかに真夜中の空を飛翔する。
「ハンググライダー!?」
「そんな事より、いま飛んで行ったのってもしかして――」
花香が口にするまでもない。あれは空井春樹だ。ここへ来るにあたり、将星はあんな装備を持ち出してはいなかった。
という事は、未だに将星は特別展望台の中に取り残されている。
「主力捜査官! 早く将星を――」
『行ってはダメ!』
耳に付けていたインカムから由香里が怒鳴る。
『展望台で火災が発生しています。いま消防隊を呼んだから、救助活動は彼らに任せなさい』
「それまでに将星がおっ死んだらどうするつもりだよ!」
怒鳴り返し、雄大はすぐ将星に回線を繋いだ。
「おい、将星! 返事をしろ! 将星!」
『……コールサインくらい忘れないでくださいよ、スラッシュ・スリー』
将星がいまにも消え入りそうな声で通信に応答する。
「良かった……おい、将星! いますぐそこから脱出しろ!」
『すみません……今回ばかりは、無理そうです』
「何言ってんだこの野郎!」
『目の前が霞んで……体が……うごかないんす』
通信に酷いノイズが発生する。
『シンクロシ……テ…………デメリ……ト……奴の攻撃を……受け過ぎた……っ……これ以上は……もう……』
「将星さんっ!」
既に立ち上がっていた花香が、雄大のリンクウォッチを通じて将星に呼びかける。
「嫌だ……死なないで! もう私の前から、誰もいなくなって欲しくないんです!」
『……嬉しいなぁ……俺を……ド変態扱いしていたのが……嘘みたいだ』
「冗談を吐かしている余裕があるならさっさと降りてこい!」
芳一が胴間声を轟かせる。
しかし、スピーカーの向こう側からは、将星の声はもう聞こえなくなっていた。
「将星さん!」
花香が泣きじゃくりながら叫んだ。
「応答して! お願いだから……何かつまらない冗談の一つでも言ってくださいよ――将星さん!」
「…………」
ひたすら怒鳴る花香を見るに見かねて、雄大は先程よりも勢いを増して燃え盛る特別展望台を見上げた。
すると偶然、春樹がハンググライダーで消えていった方角から、また別のハンググライダーを背負った何かが、特別展望台の中へと突っ込んで行ったのが見えた。
「……あれは、まさか」
雄大にはその正体が、何となくだが分かっていた。
「……騒がしい子だな」
通信を切り、将星はうつ伏せのまま、安堵の息を漏らした。
「最後まで生きるつもりだったけど、どうやらこれが年貢の納め時か」
「将星……」
セイランが将星の顔の傍で泣き顔を見せる。
「いやだよ、おいら……将星がいなくなったら……」
「泣くんじゃねぇよ。俺まで泣いちゃうだろ……?」
将星は手を伸ばし、指先でセイランの頬を撫でた。
「ごめんな、セイラン……こんな、ふがいない主様で」
「謝るのはまだ早いのではないかね?」
将星の目の前に、全く予想外の人物が降り立った。
白いライダースーツを纏い、赤いバイザーが付いたヘルメットを装着した、前々から見覚えのある、あの男だ。
「お…………お前は……」
「君にはまだ生きてもらわねば困る。以前貸したエロ本を返してもらわねばならん」
彼が格好相応に怪しい発言をすると、赤いメタリックのバイザーが一瞬だけきらりと光った――ように見えた。
特別展望台の中から、パラシュートを開いて、人の形をした何かがゆっくりとこちらに向かって降下していく。
「あ……あれは――」
「おいおい、マジかよ……!」
感激のあまり、花香と雄大は揃いも揃って声が詰まりそうになった。
パラシュートを広げて降りてくる人物の正体は、あの国民的英雄、つまりはラパウザーマンだった。どういう訳かこの騒ぎを聞きつけ、こうして遅れたとはいえ、最大のピンチに駆け付けてくれたのだ。
そして、そんな彼が脇に抱えるのは、言うまでも無く生島将星だった。どうやら意識はまだ残っているらしい、目は開いたままだった。
ラパウザーマンはゆっくりと正面口手前の広場に着地すると、傷だらけの将星の体を地面に横たえる。
「将星さん!」
花香がいの一番に将星のもとに駆け寄って跪き、彼の体を思いっきり抱きしめた。
「将星さん、良かったぁ……!」
「空井さん……痛い」
「人様にこれだけ心配を掛けた罰ですぅ! 甘んじて受け入れなさい!」
「…………」
「おいコラ将星、なに幸せそうな顔してんだ」
何やら不埒なにやけ面をしている将星に、雄大が苦々しく言った。
「普通に全然大丈夫じゃねぇかよ。心配して損したぜ。俺の涙を返せコノヤロー」
「いやー……空井さん、イイ匂いですわー」
「とりあえず病院行ってこい、頭の!」
冗談抜きでイカれてやがる――と、雄大は内心で苦笑した。
これだけの傷を負って、まだ平気そうな顔をしていられる人間がこの世に何人いるだろうか。それにおそらくは空井春樹を撃退するまで追い込んでみせたのだろうから、逮捕できなかったとはいえ、結果としては上々と言っても良い。
「それと、空井さんって意外と胸あったんだな……」
「さっきからそればっかですね!」
とうとう花香が将星から体を離し、彼の頬をぐいんぐいんと横に引き延ばす。女子を相手に下心を全開にしているとこういう仕打ちが待っている。また一つ、将星は賢くなっただろう。
雄大はパラシュートを回収していたラパウザーマンに向き直る。
「よお、ラパウザーマン。うちの後輩が世話になったな。礼を言うぜ」
「当然の事をしたまでさ。友人を助けるのに理由は要らん」
「随分と入れ込むんだな」
「そういうのとは少し違う」
ラパウザーマンは和やかに言った。
「彼の行く末を見守っていたくなったのだ。君だってそうだろう」
「……まあな」
正直、将星が上級捜査官として加入した時には一抹の不安があった。現にさっきみたいな、危なっかしくて見ていられないような場面だって多少はある。
だからこそ、気になって仕方ないのだ。
彼がこの先、どんな成長を遂げるのだろうか――と。
「さて、私はもう行くとしよう」
ラパウザーマンがパラシュート入りのバッグを担ぎ上げる。
「ああ、そうそう。突入の際に使用したハンググライダーは帰りでかさばるだろうから、あのビルの中に置いてきてしまった。彼の救出に感謝しているのなら、いずれ修理して私に返却してくれたまえ」
「図々しい奴め。うちの長官が何て言うか……」
「別に急いではいない。気が向いたらで良い。では、さらばだ」
こうして、QP/の新米を救ったヒーローは、徒歩でこの場から立ち去った。
雄大は腕組みしてやれやれとため息をつくと、いましがた救急隊員によってストレッチャーに乗せられた将星を見遣って、
「なあ、ボス」
専用回線で由香里に呼びかけた。
「今日からあれがウチのエースって事で良いんだよな?」
『まあ、駆君とは随分と違うけど――』
インカムの向こうで、微笑みの吐息が聞こえた。
『認めるしかないでしょう? あの子が今日から、うちのエースよ』
気付けば、消防隊員による東京タワーの鎮火作業は終わっていた。
水を大量に吹っかけたからだろう。消防隊員によって焚かれた大型ライトの光と反射して、東京タワーの展望台付近には小さな虹が生まれていた。
●
「結局、詰めが甘かったね」
一週間後。昼下がりの釣り場の片隅で、春樹の肩の上に乗っていたツバキがつまらなさそうに述べる。
「<スタン>程度で春樹は止まらない。十秒もすれば痺れから復活する。もし春樹を本気で捕まえようと思ったら、あそこは<ランス>を選択すべきだった」
「お前が人の駄目出しをするのは珍しいな」
春樹は釣竿を振り、餌を刺した釣り針を池に投げ込んだ。
「そうかい?」
「興味が無い奴には何も感想を言わないからな、お前は」
春樹が指先でツバキの頬を突くと、彼は嫌そうに身を捩って抵抗する。
「将来有望な稚魚だと思っていた獲物が、実は鋭い牙を備えた凶悪な鮫だった。餌ごと食いちぎられ、挙句には釣竿まで折られる始末さ」
「あれはとんだ失態だったね」
「ああ、全く――お? 何か来た、来たぞこれっ」
釣竿に手応えが伝わったので、すかさず引いてみる。
案の定、獲物は釣れなかった。しかも釣り針の餌まで消えている。
「……この池の鯉は生島将星より性質が悪い。餌だけ食い逃げしていきやがった」
「それは単に君が下手くそだからだ」
悔しい事に、ツバキの指摘はあながち間違ってはいなかった。
●
将星は元通りとなった街並みを、セイランを肩に乗せてぼんやりと歩いていた。
つい先日までは見られなかった男性の姿も徐々に増えている。文彦の手により対策用のソフトウェアが構築及び配信されたおかげで、全国の全QPは二度と同じ仕組みの電波を喰らわなくなったのだ。
これで女性がヒステリックを起こして誰かを殺す確率は元に戻った。
「何か、妙な気分だな」
将星はセイラン以外の誰にも聞こえないように呟いた。
「大きな事件が終わった後だ。少し浮かれてるのかもしれないな」
「それで良いと思う」
セイランがいつも通り、シャボン玉を吹かしながら言った。
「みんな、凄い頑張った。おいら、とっても嬉しい」
「そうだな。俺もだ」
歩きながら、人々の往来をゆっくりと見渡した。
薄い鞄を抱えて忙しく走るサラリーマンの男性、手を繋いで身を寄せ合って歩く制服姿の高校生カップル、稚児を乗せたベビーカーをゆっくりと押す三十路くらいの女性、ただ無邪気に大声を上げてはしゃぎ回る小学生らしき少年達――
これらの平穏を取り戻せたのは、紛れもなく、QP/の皆が尽力したからこそだ。
「……ここか」
将星は手元のメモに目を落としてから、目前に建っている喫茶店の看板を確認する。
喫茶店・シロサワ。白沢雪見の実家だ。
「雪見の奴、本当に実家が喫茶店だったんだな」
「風情があるのぉ」
話には聞いていたが、実際に来てみるとその意外性が身に染みる。
そもそも何でここに訪れたかと言うと、つい先日退院した将星の退院祝いと、一か月以上前に大怪我から復帰した星乃の退院祝いを一緒にするとか言って、雪見がこの店を貸し切りにするとか言い出したのが始まりだ。最初は正直半信半疑だったが、まさか本当に貸し切りを実現するとは。
白沢雪見。その行動力たるや、恐るべしの一言しか浮かばない。
「…………入るか」
とりあえず、店の正面口を塞いでいるばかりでは埒が開かない。将星は扉の取っ手を掴み、ゆっくりと年季の入った木の扉を押す。
古めかしい鳴子の音が心地良い。
将星が店内を改めようとした――その時だった。
パパパパン、パパパパーン!
軽快な破裂音が、店内に響き渡った。
「っ!?」
「おおー」
将星が身を竦める中、セイランは呑気に天井を見上げ、上からひらひらと落ちてくる色とりどりの紙テープを目で追った。
ややあって、一番近くに立っていた星乃がクラッカーを片手に声を張った。
「生島将星君、事件解決、おーめでとーうっ!」
「……は?」
将星の反応は、ある意味当然のものだった。退院祝いはどうした?
店内を再びぐるりと見渡すと、中にいたのは星乃や雪見だけではない――なんと、QP/の上級捜査官達が全員揃っていたのだ。当局きっての引きこもりである文彦や千草まで同席しているのも凄まじくおかしな状況だ。
もちろん慎之介も一緒だし、なんなら主力捜査官の責任者である田辺と、平津浩二も何故かこの場のメンバーに馴染んでいる。
おかしい。全てが色々、森羅万象果てしなくおかしい!
「……あの、これは一体――」
「聞いての通りだ」
雪見がいつも通り、偉そうな態度で踏ん反り返る。
「長官さんの話によると、ほとんど君のおかげで事件が解決したらしいじゃないか。なにやら黒幕の凶悪犯も撃退してくれたみたいだし」
「え……? じゃあ、退院祝いは?」
「揃いも揃っていつでも大怪我バッチコーイな感じの二人を相手に何度も退院祝いをするのはさすがにどうかと思うんだ」
「ゆっきーはあたしを何だと思ってるの?」
「俺はともかく、星乃までこの先何度も死にかけると思ってるんか、お前は」
だとしたらとんでもなく失礼な奴だ。
「細かい事は気にしない。とにかく、この町に平和を取り戻してくれた君へのお礼を私なり考えたら、こういう形しか思い浮かばなかった。だから今日はお父さんと私達が腕によりをかけた料理で精一杯君をもてなそう。もちろん、QP/の皆様方へのお礼も兼ねて」
「……マジかよ」
「さあ、こっちこっち」
星乃が将星の腕を引いて、大ボリュームの料理が並べられたテーブルの前に誘導する。
そういえば今日はこの時の為に朝ご飯を抜かしてきたのだ。いますぐにでも、目の前のパスタをフォークで一皿分絡め取って頬張りたい気分ですらある。
雪見は大人組のグラスにワインを、未成年組のグラスにシャンパンを注ぎ、率先して乾杯の音頭を取った。
「そいでは、難事件の解決を祝しまして、かーんぱーい」
『かんぱーい!』
ノリが良さそうな連中は気分良くグラスを掲げ、ノリが悪そうな連中は控えめにグラスを上下させる。
将星はそのどちらにも属さず、ただ呆然としていた。
「……えーっと……未だに頭が状況に追いついていないんですけど……」
「おい、生島。何ボサっとしてんだ? 早く食わねえと無くなるぜ?」
「いや、だから! 何でお前もいんだよ!」
全員がわいわいと自分の皿に料理を乗せて舌鼓を打つ中、将星はすぐ傍でカルボナーラを堪能していた平津浩二に食ってかかった。
「そもそもお前、上級捜査官の試験に落ちたんじゃねぇのかよ」
「ん? まあな。でも、主力捜査官のライセンスはゲットしたぜ?」
「はあ?」
「彼の言ってる事は本当よ」
グラスのワインを傾けながら、由香里が愉快そうに説明する。
「たしかに上級捜査官の適性は無かったけど、筆記試験の成績が何気に優秀だったし、試しに体力テストとかやらせてみたら結構な高得点だったのよねぇ」
「それだけで主力捜査官ですか? 一応、警察の下部組織なんですよね!?」
「主力捜査官にも国家公務員の資格は必要ない」
田辺がこちらに寄ってから告げる。
「能力があれば義務教育過程に置かれたガキでも採用する。それがQP/の方針だからな。有用な人材を一般市民として遊ばせておく余裕が日本には無い」
「そういうこった」
浩二がどんと胸を張った。
「だから、これからはよろしく頼むぜ? 上級捜査官殿?」
「…………」
一見アホの子みたいな奴だが、由香里と田辺が言う以上は事実なのだろう。だったら、これ以上はこちらが突っ込む理由も無い。
将星は手近な皿に置かれていたカツサンドを手に取り、何となく一口食べてみる。
「! 何コレ、超うめぇ!」
「だろ? 俺が作ったんだぜ、これ」
浩二がさらに踏ん反り返った。
「マジかよ! お前、料理出来んのか!」
「おうよ。他にもあるぜ? そこのカルボナーラとか」
「え? ちょ……食べても良い?」
「どうぞどうぞ」
浩二に勧められるや、いままで感じていた様々な疑問が全てどうでも良くなり、将星はテーブルに置かれた料理を夢中で食し続けた。どれも美味で、自炊で生み出す産物が丼ものだけの将星からすれば感涙せざるを得ない。
ふと、将星はいまこの場にいるメンバーの様子を見渡した。
花香が星乃と楽しそうに談笑しながらお菓子をつまんでいる。料理を運んできた雪見の父親が、浩二と何やら別の料理の打ち合わせを始めている。雄大が文彦と千草にもっと食べるように勧めている横で、芳一と由香里と田辺は大人らしく落ち着いた雰囲気で慎ましく会話している。
さっきの町の様子と、何ら変わりはしない。
これもまた、将星が護り抜いたものの一つだ。
「楽しい?」
横でシャンパン入りのグラスを持ったまま、雪見が訊ねてくる。
将星は屈託も無く答えた。
「ああ。楽しい」
「……そう」
雪見が小さく微笑んだ。
「ねぇ、将星君」
「ん?」
「君と知り合えて、私は本当に良かったと思ってる」
「え?」
「何でもない。忘れてくれ」
雪見がすたこらと、花香と星乃のガールズトークに混ざり込む。こうしていると、冗談の化身たる彼女も普通の女の子だ。
セイランがメールの着信を報せてくる。
「しょうせーい、ラパウザーマンからメールー」
「何て書いてある?」
「一旦、店の扉を開けてみろ……だってさ」
「はあ?」
将星は怪訝に眉を寄せるや、指示通りに店の扉を開けてみる。
何故か、入り口の手前に、一個の大きなクーラーボックスが鎮座していた。
「……おいおい」
クーラーボックスの中を改めると、中には新鮮な魚介類がぎっしり詰まっていた。これでカルパッチョやマリネを作れとか言ったら、浩二や雪見の父親は二つ返事でやってしまうかもしれない。
ちなみに、クーラーボックスの上蓋の裏には、一枚のメッセージカードが張り付けられていた。
知り合いの漁師の漁船に相乗りさせてもらった。つまらないものだが、是非受け取って欲しい。料理が得意な人物に捌いてもらうと良いだろう。
それでは、またいずれ。
By ラパウザーマン
「……ははっ」
将星はようやく――本当にようやく、年相応に笑った。
「あいつ、もう何でもアリだな」
将星はクーラーボックスを抱えて店の中に戻ると、雪見の父親に中の魚を美味しく調理するように依頼する。
結局、ラパウザーマンからの差し入れは全て、回らない寿司へと変貌を遂げた。
#5「エースの資格(後編)」 おわり