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QPドライブ  作者: 夏村 傘
第一集「QP捜査官・生島将星の誕生」
4/11

#4「エースの資格(前編)」


   #4「エースの資格(前編)」


   【Aパート】


 これはとある夫婦の痴話喧嘩の光景である。

「ほんっとうに信じられない!」

 若い女がマンションの前で喚き散らす。

「まさか探偵まで雇うなんて!」

「浮気なんてしてるお前が悪いんだろ!」

 サラリーマン風の若い男が真っ当に言い返す。

「俺が仕事でいない間に好き勝手に男を家に上げて……俺がその間、どれだけ苦労して稼ぎを得てると思ってんだ! 俺の何が不満だったってんだ!」

「その仕事ばっかりにかまけて、あなたは私の方を見向きもしない! 全部あなたが悪いのよ! それで人がどれだけ寂しい思いをしたと思ってるの? 私よりも仕事が大事なの? ねぇ、答えてよ!」

「お前が大切じゃないなら探偵すら使わねぇよ! たしかに家をずっと空けていたのは俺も悪いとは思ってるけど、それでもお前の事は愛してる!」

「どの口が言ってるの? もうイヤだこの人、怖い、怖いコワイコワイコワイ! いますぐ私の前からいなくなって! 私達はもう終わりよ!」

「ふざけるな!」

 男が女に詰め寄ると、女はグリップ型のQPドライバーをスカートのポケットから抜き出し、

「来ないで!」

 がむしゃらに、QPドライバーを握る手を乱暴に振った。

 既に端末の先端から、<ブレード>が伸びた状態で。

「がっ……!?」

 女が気付いた時には、<ブレード>は男の首筋に深くめり込んでいた。

男は静脈から血しぶきを撒き散らし、苦悶の表情を浮かべてその場に倒れ込む。

「……え? ……うそ?」

 女は唖然とした。

 たったいま、自分が夫の首筋を<ブレード>で掻っ捌き、殺害してしまったという厳然たる事実に。

「いや……いや、イヤッ――」

 女は足元で血溜まりに沈む男の前から後ずさり、

「いやぁあああああああああああああああああああっ!?」

 恐怖に引きつった女の悲鳴が、深い夜の空に木霊した。


   ●


「これで何件目だ?」

 生島将星の横で、日下部芳一が唇をひん曲げた。

「マテリアライザーの暴発事故による死亡者は全員男。加害者は全て女ときた。最近、ちと多すぎやしないか?」

「ネリマで六件、シンジュクで三件、アキハバラで十五件。他の区を数えてみると……ああ、駄目だ。眠っちゃいそうです」

 将星は大仰に肩を竦めてみせた。

 ここはヘイワダイ体育館の二階にあるアリーナの一つだ。普段はここで中学や高校の部活動における卓球やバトミントン、バレーなどの地区予選が執り行われるのだが、今日に限ってはQP/が貸し切っている。

 将星ら上級捜査官の総員は、観覧席から競技スペースを見下ろし、難しい顔でひたすら医者と患者の往来を見守っていた。

 体育館の中央には医療器具や滅多にお目に掛かれない最新鋭の機材などが並び、QP/と関係の深い病院から出張している医者達が、入り口から縦一直線の列を成している十代後半から二十代以上の女性達をあらゆる手法で診察している。

「しかし見れば見るだけ異常な絵面ですね。あの人達が全員、マテリアライザーを暴発させて自分の夫なり彼氏なりを殺害した連中だなんて」

「この時代じゃあ日常茶飯事よ」

 後ろの席にどっかりと座り込んでいた小坂雄大がぼやいた。

「マテリアライザーの発動にはいくつか条件があるとはいえ、男より女の方が起動させやすいからな。しかも女のQPの方が性能は強力に設定されている」

「元々、マテリアライザーは女性の護身目的で開発されたシステムです」

 雄大の隣で、暗い顔をした空井花香が言った。

「QPは恋愛系SNSの成れの果て。アバターとなったQPの容れ物としてQPドライバーが開発され、より恋愛や結婚という概念が扱いやすいものとなりました。でもマッチングリンクを構築した相手同士とはいえ、男女共に好きではない相手と結ばれるのを良しとはしない人達も当然のように現れました。さらにはマッチングリンクを理由に女性に執拗な交際を迫る男性が現れ始めた時期もあったんです。そこで男性よりも肉体的に非力な女性を護る為に、女性のQPドライバーにのみ護身用の武装を仕込むという発想が生まれたんです」

「でも、当然それは男性側からの大規模なブーイングに繋がった」

 芳一の隣から、新條由香里が花香の説明を引き継いだ。

「女性だけが武装の携行を許された事で不平等が生まれ、現に今回のような事件で死亡した男性も数多くいたとされてるわ。そこで、この事態を重く見たQPドライバーの開発者側は考えた。男女間の不平等を無くし、女性側の護身を合法的かつ理屈的に許される方法を。それがQPバトルの始まりね。普段はバーチャル化された武装をスポーツ感覚で共有し、万が一ユーザーに危険が迫った際は武装を具現化して事態に対応する。QPバトルは性差別の意識を無くす為に生まれたゲームなのよ」

「でも、そこには一つだけ落とし穴があった」

 将星もここから先は説明されなくても理解していた。

「それが男女間におけるマテリアライザーの発動条件の差ですね。男性はリンクウォッチが計測した心拍数が一定の危険域に到達しない限りは発動しないけど、女性はその数値に加え、ユーザーの身に起こった危機的状況をQP自身が観測して発動するか否かを決める」

 この場合は、ゲームなんかでよく使われる必殺技ゲージやMPに例えると分かり易い。男性の場合は自分自身が相手を攻撃するとゲージが上昇するのに対し、女性の場合は自身の攻撃に加えてゲージやMPを増幅、もしくは回復させるアイテムを一回の戦闘につき一度だけ使用している状態に等しい。

 つまり、この話だと女性が所有するQPが回復アイテム扱いとなる。

「昔と比べたら確かに女性のワンサイドゲームという構図にはなっていない。でも、その均衡を崩す要因がこの先一つでも増えれば……」

「前時代に逆戻りする」

 芳一が短く纏める。

「女尊男卑の傾向は、深いところでは前時代と全く変わっていない。いま俺達の目の前で起きている異常事態がその一端だ」

「ですね。この時代では、特に」

 将星は憔悴しきった顔を並べている女性患者達を再び注視する。

「見てください、あの被害者面。自分の行いを自分のせいじゃないと完全に思い込んでる顔です。日本国民の民度の低さを象徴付けているようだ」

「お前も案外容赦が無いな……」

 雄大ですら将星の酷い言い様に眉をひくつかせる。

「でもどうするよ。下の医者共からは原因の究明に必要な資料が未だに手渡されていないんだぜ? 診察を開始してからどれくらい経ったと思ってんだ?」

「二時間と三十五分ですね」

 将星がリンクウォッチを見て答えた。

「本当なら一時間かそこらで血液の成分分析の結果が出る筈なんですが……」

「んなモン見たって何の解決にもなりゃしねぇよ。あの女共が全員薬物に手を染めてるとでも? いま俺らが欲しいのは、精神科医からのざっくりとした診断書だよ。もう必要な分は書き上がってんだろ?」

「さあ? 医者の仕事については何とも――」

「おーい、みーんなぁ」

 温く甘ったるい声と共に将星達の傍まで駆け寄ってきたのは、白衣を着た三つ編みおさげの少女だった。頬のそばかすとフレームレスの眼鏡がチャームポイントとは本人の談だ。

 彼女は甘道千草かんどうちぐさといって、将星達と同じく上級捜査官の一人だ。コールサインはスラッシュ・ファイブ。飛び級で海外の超有名大学を主席で卒業した十六歳の天才少女だ。専攻は薬学で、その他医療的な分野、栄養学なんかにも精通している。まさに、人間の体の教科書や生き字引みたいな存在だ。

「血液の成分分析の結果が出たよぉ。全員シロだってさー」

「ほらな? だから言ったろ?」

「まあ、そうっすね」

 適当に頷いておく将星であった。

「甘道さん。いま医者の方で書き上がってる精神鑑定の診断書の中で、俺達に手渡せるものはいくつありますか?」

「それがねー、診断書自体は当然あるんだけど、一枚も渡せないんだってー」

「は?」

 おいおい冗談だろ。俺達一応、病院側の許可を得てここに立ち入ってるんだぞ?

「理由は一応聞いたんだけどさー、あたしにゃ理解不能な文言ばかり並べ立てられちゃって、もうどうすりゃ良いんだか」

「例えばどんな事を言ってました?」

「話す気無いから直接あいつらに聞いてー」

「…………」

 千草の悪い癖だ。理解不能な事からはすぐ逃げ出そうとする。

「仕方ない、僕が行ってきます」

「私も行くわ」

 由香里もチームメンバーの責任者として将星に同行し、二人は競技スペースに降り、精神科の先生が居座るブースまで足を運んだ。

 由香里がいくつかの書類に目を通していた医者の一人に訊ねる。

「お忙しい中すみません。さっきうちの者から聞いたのですが、一枚もこちらに診断書を渡せないとは、一体どういった事情で?」

「ん? ああ、それね。俺もちと困ってる」

 精神科の医者が太鼓腹を撫でながら言った。

「一応あんたらの指示通り、カウンセリングの結果は全てQP/の捜査官に報告するって患者側に毎回伝えてる。でも患者達のほとんどがそれを頑なに拒否りやがった」

「拒否? 何故?」

「新條長官の前で言うのも憚られるだろうが、人間の女ってのは基本的に腹の探り合いと頭の押さえ合いで生態系を維持しているような生き物さ。ただでさえ人殺しの汚名を不本意に着せられちまったんだ、裏世界で生きているならともかく、普通の女はこれ以上自分の成りや経歴を醜く汚すような真似だけは絶対にしたくないと思うだろう。もちろん、捜査協力の名目であんたらに自分達の醜聞を知られるのもよろしくないと考えるわな」

「QPドライバーとQPには何の異常も見られなかった」

 たまらず、将星が大人二人の会話に口を挟んだ。

「マテリアライザーを暴発させたのは全て彼女達の落ち度です。なのにこちらは彼女達を豚箱にもぶち込まないだけでなく被害者扱いして、微に入り細を穿つように丁重な扱いまでしてやった。彼女達に捜査協力を拒む権利は無い。そして俺達にも彼女達の泣き言を聞いてやる義務も無い」

「ちょっと、生島君――」

「診断書をこちらに渡していただきますか? その気が無いならうちの薬剤師に自白剤を調合してもらいますが」

「お、おいおい……さすがにそれはやり過ぎっていうか言い過ぎ……」

「ごめんなさい、まだ新入りなんですよ、この子はっ」

 由香里が無理矢理片腕で将星を後ろにどかして平謝りする。

「よく言って聞かせますので、いまのは全部忘れていただけると……」

「あ……ああ、分かった」

「ほら、行くわよっ」

 由香里が慌てて将星の腕を引っ張り、二人揃って競技スペースから退散する。

 誰もいないエントランスまで連れて来られた将星は、早速由香里から叱責を貰った。

「まさかあんな事を言い始めるだなんて夢にも思わなかったわ。私がいなかったらどうなっていた事か……生島君、今日のあなた、ちょっと変よ? 何かあったの?」

「別に。当然の事を言ったまでです」

「人権を無視すりゃたしかに当然の理屈だけど……」

「本当なら俺だって前科一犯です」

 将星は鬱蒼とした気分のまま言った。

「俺は自分でしでかした事の全てを正当防衛だなんて言う気はありませんし、自分が小学生だったからという理由で許されたのはいまでも信じられない」

 将星がさっきから口にしていた呵責容赦の無い発言の数々は、全て自分自身の過去に由来する。

 本来はこうして、捜査官として活動している筈も無かったのだ。

「あなたが憤る理由はよく分かった。でも人心に悖るような真似までして捜査活動を続けるのは間違ってる」

「そいつはどうかな?」

 いつから居たのか、雄大が二人の間に割って入った。

「どっちも言ってる事は間違ってないと思うぜ? たしかに外道になってまで捜査活動をする気はさらさら無いが、だからといって権利を盾にして自分を守る事しか考えていない女達に被害者面をさせたままってのも気に食わねぇ」

「言われてみればその通りだけど、じゃあどうしたらメンタルカウンセリングの診断書を手に入れられるのよ。事情聴取で得た情報だけじゃ原因は特定できないのよ?」

 一応、QP/側でも加害者女性の何人かを取り調べはしたのだが、全員言ってる事はほとんど同じで、どう考えてもQPドライバーが暴走したと言っているようにしか聞き取れない。だったら頼りになるのはやはり正確な診断書だ。

 雄大が分かり易い妙案を提示する。

「簡単だろ。賄賂だよ、賄賂。さっきのデブに金を握らせれば一発だ」

「ただでさえ経費に困ってるのに……」

「いや、それ以前に長官と先生が捕まります」

 これなら本当に千草に自白剤を調合してもらった方がまだ安全だ。

「じゃあ……アイリスの<インビジブル>でこっそり盗み出すとか?」

「何で雄大君の口からは犯罪的なアイデアしか出てこないの? 生島君、他に何か良い案は無いワケ?」

 由香里がもはやうんざりしている様子で訊ねてくる。

 将星はしばらく考え、

「……確実で安全な方法が一つだけあります」

 ようやく、まともな案が口から出た。

「でも酷く面倒臭い方法です」

「というと?」

「加害者女性の心理傾向以外の部分全てを調べます。それらの調査結果を全てあの先生に叩きつければ、もうそれしか手掛かりが無いと思い知るでしょう」

「本当にめんどくせぇな!」

「でも、案外良いかもしれないわね、それ」

「はぁ!?」

 雄大のオーバーリアクションを無視して、由香里が顎に指を添えながら呟く。

「いわゆるローラー作戦ね。もしかしたら調査の中で別の手掛かりが見つかる可能性もあるし、だとしたらやってる事はいつもと変わらない」

「いやいや、加害者側の精神状態以外に何の理由があるんだよ」

「だとしてもやる価値は充分にあるわ。全ての検査が終わったら本部に直帰して作業の役割分担を決めましょう。他の子達にも伝えなきゃ」

「おいおい、マジでやる気かよ……。普通は一個一個可能性のある対象を見定めてから捜査するもんだろう?」

「昔の刑事は地道で気の遠くなるような捜査活動を日頃こなしていたそうよ。私達も一応は刑事みたいなもんなんだから、やって出来ない事は無いでしょう?」

「そんな無茶苦茶な……」

「とりあえず上に戻るわよ、二人共」

 こうして、三人は観客席に戻り、いま話し合った案を全員に伝えた。

 すると芳一と花香は賛同したが、文彦と千草は嫌悪感を丸出しにした。どうやら、我が組織を代表する引きこもり二人の性には合わない仕事だったようだ。


   ●


 帰ってくる重たい反動を手首で受け流し、かれこれ一時間。訓練フロアの射撃場で、将星はゴーグル越しに十五メートル先の人型ターゲットに銃型QPドライバーの銃弾を撃ち込み続けていた。

「よーしよし、案外やりゃ出来るじゃねぇか」

 将星の横で射撃訓練の監督を務めていた雄大が満足げに頷く。

「次は動く的にチャレンジしてみるか?」

「…………」

 発砲。真ん中の赤い丸の中心を射抜く。

「? おーい、聞いてんのかー?」

「………………」

 発砲。さっき空けた穴にもう一発銃弾を通してみせる。弾丸は同じ場所には二度当たらないというジンクスは嘘らしいと分かった。

「おーい、おーい! 将星くーん! 聞いてますかー?」

「………………………………」

 連射。今度は的ごと粉砕する。

「聞けやゴルァ!」

「うおっ!? 何すか、いきなり大声上げて!」

「お前こそ人の話ぐらいちゃんと聞いとけや!」

 ようやく雄大に呼ばれていたのに気づき、将星が身を竦めながら耳栓を外す。

「どんだけ集中してんだか……今度からは耳栓無しの方が良いか?」

「すみません。それで、何か言いました?」

「いや……とりあえず休憩にしようぜ。一時間ぶっ通しで撃ち続けてんだろ? すげぇよお前、駆以上のバカだ。どんだけ頑丈な精神力と手首してんだよ」

「そういや、そろそろ疲れてきたところですね」

「よくもそうやって平然と……」

「?」

 雄大が何やら呆れている。意味が分からない。

「そうだ。お前、ちょっと面貸せ」

「はあ……」

 将星は訓練用の銃型QPドライバーからセイランを抜いて元の端末に収め、雄大の背中を追って訓練室から出る。

 彼に連れられたのは、学校の教室に似たような部屋の手前だった。

「一応、お前にも見せておこうと思ってな」

「彼は?」

「上級捜査官の志願者だ」

 将星は扉の丸い窓からその様子を覗き見る。

 部屋の中ではリクルートスーツ姿の自分と同い年くらいの少年と、フォーマル姿の由香里が大きなテーブルを一つ挟んで席につき、二人で何かを話し合っていた。

「お前がここに勤めるようになってから、あんくらいのガキがよくここにエントリーシートを送ってくるようになったんだ」

 雄大が少し迷惑そうに言った。

「上級捜査官になる為の条件はただ一つ。<マイナス属性>と呼ばれる精神疾患を有しているか否かだ」

 <マイナス属性>とは、QP/が定めた特殊な精神構造の総称だ。あらゆる面で普通の人間とは大きく違った視点を有しており、QP/にその視点の性質を認められた者のみが上級捜査官になる資格を得る。

「例えばだが……お前だってさっき見ただろ、千草の悪い癖。あれはうちの基準で言えば<逃避>の属性にあたる。一見すると使えないにも程がある属性だが、裏を返すと千草は危機回避能力に特化しているという事になる」

 千草が理解できないのは、主に人の心に関わる問題だ。人の気持ちが分からないだけに留まらず、理解しようともしないから関わりようがない。彼女の場合、その節が極端に強い。逃避とは、そういう事だ。

「そういう属性を一つでも精神に根強く持っていない限りは上級捜査官には成り得ない。それは何故か。<マイナス属性>がQP絡みの事件を捜査する上で一番必要なものだったからだ」

「じゃあいま長官がやってるのって、その性質を見極める為の面接?」

「ああ。でもな将星、問題はそこじゃないんだわ」

 雄大が大仰に肩を竦めて首を横に振る。まるでアメリカの通販番組のMCだ。

「<マイナス属性>の存在はQP/の極秘機密だ。故に世間には公表されていない。そりゃそうだ、俺達は言ってみれば社会不適合者の集まりなんだし、それをわざわざ言いふらすのは俺達の社会的信用に繋がる。だから優秀な就活生は必ずここの試験に落ちる。俺達とは全く違う世界の人間だからな」

「じゃあ何なんすか、あの志願者」

「最近、見た目は何の変哲も無い中学二年生のガキがここに就職したってのは世間でもかなりの話題になってる。そのニュースを見た同年代のガキ共が、「あんな奴が入れるんなら俺も入れるんじゃね?」とか思ったんだろう。そういう奴が最近、後を絶たなくなってるんだとよ」

 言うまでも無く、発端となった中学二年生のガキとは生島将星の事である。

「花香が入った時は創設期だったし、千草の加入も秘密裏だったからそこまで話題にはなっちゃいなかった。でもお前は随分と派手にやらかしたもんな」

 いま思えば、記念すべき最初の戦闘で体育館一つを派手に半壊させたのは拙かったかもしれない。

「でもお前の採用を最終的に判断したのは長官だ。お前は何も悪くない。ただお前が言ったように、現代の日本国民の民度が低下しているのは本当らしい。あの志願者のガキもこちらの現状を知りもせず、ただカッコイイ名誉を目当てに来た口だろう」

「…………」

 もし、いま面接を受けている少年と自分の立場が逆だとしたら、そもそも俺は上級捜査官なんぞに志願しただろうか。

 無関心を貫いたか? 興味本位で面接に挑んだか?

 正直、自分の心理に確証が持てない。

「お前、俺にこうして説明されるまで<マイナス属性>の詳細を知らなかっただろ。長官から聞いたぜ。まだ教える時期じゃないって」

「そりゃ、新人においそれと極秘機密を教える訳が無いですもんね」

「それもあるが、お前に限ってはもう一つ理由がある」

「というと?」

「測定と判別が不可能な属性が一個だけ、お前の中に眠ってるらしい」

 雄大が神妙な顔をして言った。

「<憎悪>や<嫌悪>、<絶望>やらなんやら――複数の属性がそれぞれ強いにも関わらず、お前はとんでもない自制心でそれを抑え込んでいる。そいつを可能にする属性が一個だけあるらしいんだが、うちの基準にはそんなモンはねぇってよ」

「何か怖い話っすね。体の中に刃物みたいな異物が紛れ込んでるみたいです」

「俺も怖いよ。お前が一体何者なのか――」

「将星、甘道千草からお電話~」

 セイランが目の前にぽんっと現れ、着信を報せてくる。

「? 甘道さんから?」

 首を傾げつつ、将星は着信に応答する。

「もしもし、生島です」

『あ、生島くーん? ちょっとあたしの部屋に来てくれるー? お話があるのー』

「はぁ……いま行きます」

 電話を切ると、将星は雄大にぺこりと頭を下げた。

「すみません。俺、ちょっと行ってきます」

「何だぁ? あいつ、新人の年下を味見するつもりか?」

「さあ? 筆おろしなら歓迎しますがね」

「ちゃんとゴムしろよー」

「はーい」

 お決まりの冗談を済まし、将星は早足で社宅の一階、千草の部屋の手前まで訪れた。いま思えば、自分以外の上級捜査官の部屋に上がり込むのはこれが初めてだ。

 インターホンを鳴らすと、すぐにスピーカーから千草の声がした。

『どうぞー、勝手に上がっちゃってー』

「はい。お邪魔します」

 何の躊躇いも無く扉を開いて中に入る。思ったよりと言っては失礼だが、玄関口付近は綺麗に片付いていたので少し驚いた。

 将星は靴を脱いで短い廊下を渡ると、リビングの真ん中で寝っ転がっていた千草を見つけて彼女に短く訊ねた。

「甘道さん、お話とは?」

「その前に何か飲む?」

「どうぞお構いなく」

「そ。じゃあ、早速本題に入ろうかしらん」

 千草は座卓の上に置いてあった資料を一枚、将星に手渡してまたぞろカーペットの上に転がった。どうやらいつもそうやって寝ながら生活しているらしい。

「……これは、過去の事件のレポートですね」

「数あるマテリアライザー暴発事件の中でも異彩を放っていたのがこの一件なんだけど、生島君には興味がある話なんじゃないかな」

「…………たしかに」

 資料を斜め読みして、将星は気になる一文を発見した。

 ――音無駆が殉職。

「この事件で死んだんですね、あの人は」

「みたいだね。あたしが入る前に起きた事件だから、QP/側で何が起きたかは半分くらいしか知らんけど」

「で、これが何か?」

「マテリアライザーを暴発させる原因は使用者の精神的な異常か、もしくは薬物によるものだって相場は決まってるけど――そこに記載されてるのは後者だね。とある薬物が市販の風邪薬に混入されて、それを摂取した奴らがマテリアライザーを起動させて大暴れしたって、結構前に話題になったでしょ?」

「ええ。俺が小六だった頃のニュースですね」

「その黒幕に雇われていた、とんでもなく凶暴な殺人鬼が音無さんを殺ったらしんだけど、そいつの名前は……ええっと、何て言ったかな」

 千草が仰向けになり、渋い顔をして記憶の糸を手繰りよせようとする。ちなみに千草が意識を思考に集中させていた間、将星は彼女の緩いTシャツのネックから見えた綺麗な谷間に視線が釘付けになっていた。

「あ、そうそう。思い出した」

 千草がようやく渋面を解いた。

「そいつの名前は、空井春樹」

「え?」

 いま、空井とか言ったか?

「空井って……」

「そう。花香ちゃんの、三つ上のお兄さん」

「はぁああっ!?」

 驚嘆を上げ、もう一度、今度はじっくりと資料を読み込んでみる。

「嘘だろ? QP/の看板娘の兄貴が殺人鬼!?」

「ね? 面白いでしょ?」

「何にも面白くねぇよ!」

「でねー、もっと面白い話がもう一つあるんだー」

 こちらの心境に構わず、千草が楽しげに続けた。

「そこに書いてある例の薬物、<アイロニー>って奴なんだけどさー、それを調合したの、実はあたしなんだー」

「何だって?」

「元々あたし、お薬の博士だったんだよねー。だからちんまい頃からよく薬物の調合を色んな大人から頼まれてやってたんだけど、その中にはたまーに違法の奴もあってだね。<アイロニー>はあたしが作った中で一番の劇薬なんだよ」

 つまり、彼女が事件の元凶だ。

「薬の効能は危険意識の増幅でね。男女問わず一気に服用者の精神状態をレッドゾーンまでに高揚させられるんだけど、結構簡単に作れる割には高い金で売り捌けるし、依頼主がそれで何をするのかは全然興味が湧かなかったから、二つ返事で作ってみたらこの有様よ」

「何て事してくれやがったんだ……!」

 要は小遣い稼ぎの為に人の命を危険に晒すような劇薬を喜び勇んで作ったのか、この女は。

「あんた、自分が何をしたのか本当に分かってんのか! そのせいで駆さんが死んで、空井さんまで身内の恥を晒す羽目になったんだぞ!」

「そんな事は知らーん。殺したのはあたしじゃないしー」

「…………っ!」

 この女、完全に狂ってやがる。人の心どころか、命ですら何とも思っていない。

「怒っても無駄だよ」

 セイランがQPドライバーの中から声を発する。

「ちんまい頃って言ったじゃん。だから詳しい事情も知らないし、罪の意識も希薄だったんじゃないかのぉ」

「……なるほどな」

 セイランの見解で将星も我に返った。

 千草は落ち着き始めた将星に、何の躊躇いも無く告げる。

「まあ何にせよ、これが今回の事件の解決に役立つ参考文献になるんじゃないかなーって思ったから君を呼んだ訳で。聞いたよ? 君、随分と高い推理能力を持ってるらしいじゃない。あたし、有能な男は大好物なんだよ」

「さいでっか。それより、一つだけ確認したい」

「ん?」

「何でその薬物を<アイロニー>って名前にしたんですか?」

「…………」

 今度は千草が驚く番だった。

「あら、そこ聞いちゃう」

「ironyを和訳すると「皮肉、あてこすり」っていう意味でしょう」

「大して深い意味は無いよ」

 千草が困ったように笑う。

「人間、タガが外れると所詮その程度。そういう意味合いで付けただけの事だよ」

「……なるほど」

 人間の深層心理は奥深くにあるもの程、表出化すると分かり易い。千草ですらそれくらいは理解しているらしい。

「じゃ、俺はもう帰ります」

「ばーいばーい」

 千草の気の抜けた声に見送られ、将星は本部の射撃訓練場まで引き返した。



「結局、加害者女性の全員には共通する特異点は見つからなかったそうよ」

 翌日の夕暮れ時。捜査会議の場で、由香里が苦々しそうに告げた。

「メンタルカウンセリングに当たっていた先生からも同じ事を言われたわ。診断書があればまだ何か見つかる可能性はあったかもだけど……」

「結局、手掛かりゼロの状態から捜査を開始せにゃならんのか」

 雄大が色とりどりの髪をくしゃくしゃとかいた。

「いえ、手掛かりなら一つだけあります」

 将星が東京全体の地図をリンクウォッチから壁に投影して述べる。地図上には事件が起きた位置を示すピンをあらかじめ刺してある。

「東京全域で広範囲に起きているとはいえ、逆に言えば東京でしか起きていないって事になる。ここ一週間の間、他の県ではこれと似た事件は起きていない。多分、この事件の裏で糸を引いてる黒幕が東京都内に潜んでる」

「それでも捜索の範囲は広い」

 芳一が鋭く目を光らせる。

「そもそもこの事件は黒幕がいるのか、それともただの事故なのかが未だに判然としていない」

「そうです。黒幕がいたにせよ単独犯では成し得ない規模には違いないし、事故だったとしても不自然過ぎる。そこで初島さんの仕事が活きてくる訳です」

「こ……これを」

 文彦がタブレット型のQPドライバーの画面から、会議室の壁にいくつかの写真を映像として投影する。

 何の類か分からない機器を根本に流れるケーブルの巣が猥雑に張り巡らされている小部屋の様子だったり、前回の事件で将星がスクラップにしたQPドライバーのコンデンサーの有様だったり――とにかく、過去の事件にまつわる写真ばかりだ。

「前回の件でモニタールームの電源が落ちていた間、初島さんは長官に別の仕事を頼まれていたそうです。前回の武装勢力がそもそも何者なのかってのを調べたり、あの招き猫が何処から流通されたものかを探ったり」

「それが今回の件と何か関係あんのかよ?」

「この写真を見て気付いたんです。やっぱり黒幕いるじゃーんって」

 将星は軽々しくも迷い無く断言した。

「武装勢力の連中は口を揃えて「ただとある男から依頼されたからやっただけ」と供述しているが、少なくとも俺達を排除する為に送り込まれた奴らには違いない。しかも使っていた武器は実弾の銃。まるで、QPドライバーと旧時代の兵器を戦わせたらどっちが強いかってのを知りたげな仕組まれ方だった。それに今回の件も、誰かに何かを試されているような気がしてならない」

「そいつらを顎で使ってたクライアントと今回の黒幕が同一犯って言うのかよ」

「深く追求する価値はあるかと。甘道さんから昨日、アイロニー事件にまつわるレポートを見せてもらったんですが、今回の事件とはいくつかの類似点が見つかりました。過去の事件を参照すれば、おのずと答えが見えてくると思います」

「要はアーカイブを全部ひっくり返せば良い訳ね」

 由香里が制服のポケットから鍵の束を取り出した。

「久しぶりに資料保管庫の鍵をあけましょう。今日は徹夜になりそうね。みんな、覚悟はよろしいかしら?」

「あの、長官。僕と空井さんは明日も学校があるんですけど」

「そういえばそうだったわね」

 彼女はたまに将星と花香の社会的立場を忘れる時がある。元々がおっちょこちょいな人だったとは芳一の談だ。

「だったら後は私達社会人組に任せなさい。学生の本分は学業よ」

「了解です」

「それじゃ、今日のところは解散! いまから二時間後に大人組は資料の検索よ!」

 やたら上機嫌な由香里の命令に、雄大と芳一は忌々しげに顔をしかめた。


   ●


 私立エトワール女学院中等部の一年生というのが空井花香の表向きの身分だ。QP/の本部と近いからという理由だけでこの学校への進学を選んだ花香であったが、実際通ってみると居心地の悪さに辟易とした。

 まず、金持ちのお嬢様が異様に多い。超有名企業の社長令嬢であったり、中には皇族の末裔まで在籍しているので、ある意味では社会的弱者である花香からすれば肩身が狭いのなんの。

 実際、入学してから二か月しか経っていないとはいえ、ここで出来た友達はほんの一握りだ。

「ねぇ、空井さーん」

 支度を終えて帰ろうと席を立った花香の前に、取り巻き二人を連れた、妙に態度が大きい女子が立ちはだかる。クラスメートの福野美々ふくのみみみだ。

「……何か?」

「マテリアライザー暴発の事件、いま調査してるんでしょ?」

「ええ」

「いつ解決すんの?」

 キラキラネームのお嬢様の態度は実に高圧的だった。

「知ってんでしょ? ここの男性教師が何かと理由を付けて最近休みまくってんの。どうせ女子のマテリアライザーで自分が殺されるのを恐れてるんだろうけど、そのせいで教師だけじゃない、知り合いの男の子までみーんなあたしと会うのを嫌がってんだけど」

 いや、そうじゃなくてもお前と会いたがる男はまずいねぇよ。

 とは、さすがの花香も口には出すまい。

「すっごいメーワクしてんの。ただでさえここにいんのが殺人鬼の兄貴の妹ってだけでこちとらビクビクしてんのに、これ以上あんたらのせいで別の事にビクビクさせられたらたまったもんじゃないの。とっとと何とかしてくんない?」

「いま全力で対処に当たってます。もうしばらくお待ちください」

「しばらくっていつ? 何時何分、地球が何回回った頃? 自分の無能を棚に上げて、偉そうに「お待ちください」とか、何様のつもり?」

 何様のつもり、だぁ? それはこっちの台詞だ。

 いますぐブレザーの内側に隠してある銃型QPドライバーで射殺してやりたい気分に陥るが――駄目だ、駆の遺品で無駄な屍を増やす気にはなれない。

「……そこをどいてください。これから仕事に向かいますので」

「あんたなんて居てもいなくても同じなんじゃないの?」

「……っ!」

 これまで散々我慢してきたが、いまの一言が決定打となる。

 もっとも言われたくなかった事を――特に、生島将星が現れてから一番言われたくなかった事を、こうも簡単に言われるなんて思いもしなかった。

「あ? 何、その顔。やろうっての? あたしに何かあったらパパが黙っちゃ――」

「花香~、一緒にかえろー」

 状況を弁えなかったのか、あるいはあえてこのタイミングを狙ったのか、花香の目の前を塞ぐ三人の女子の姿越しに、お世辞にもふくよかとは留めておけないような巨体を誇る女子の姿が見えた。

 この学校における花香の唯一無二の友人、沖合冴子だ。

「げっ……何? このデブ!」

「こっちこっちー」

 美々魅の罵詈雑言を完璧に無視して、冴子がこちらを手招きする。いつしか将星と自分がぶっ壊した招き猫型固定砲台を彷彿とさせるような仕草だった。

 花香は三人の横をするりと抜け、冴子と並んで早足で教室を出る。それから二人はしばらく無言で歩き、昇降口まで来てようやく揃って笑顔を浮かべた。

「助かりました、冴子さん」

「いえいえ、何の何の」

 冴子は非常におおらかな性格をしているだけあって、こちらに対する接し方も非常に柔らかい。

「それにしても、駄目だよ? さっきの花香、懐の銃を本気で抜こうとしたでしょ」

「いや……あ、ははは」

 笑って誤魔化そうとするが、やっぱり無理だった。結局は表情が沈み込んでしまう。

「すみません、ご迷惑ばかりおかけして」

「通り魔から助けてもらったんだから、これぐらいはして当然だよ」

 冴子と初めて知り合ったのは、入学当初の下校中、偶然通り魔に襲われていた彼女を助けたのがきっかけだ。それ以来、何かと彼女には親切に接してもらってる。

 将星にとっての星乃や慎之介みたいに、花香にとっては冴子が心の支えなのだ。

「ねぇ、最近大丈夫?」

 冴子が心配そうに訊ねてくる。

「え?」

「やつれてるように見える」

「…………」

 言われてみれば、最近は学校とQP/の二重生活が苦になっているような気もしなくはない。近頃はあまり休んでいないし、疲れているように見られるのは仕方ないのかもしれない。

「あたし、花香は凄い子だと思うけど、無茶だけはしてほしくないんだよ」

「心配かけちゃってますね。でも、大丈夫です」

「でも本当に辛くなった時はちゃんと言うんだよ?」

 冴子は大きな鞄の中から、人の頭くらいはありそうな白くて丸い物体を取り出し、花香の前に差し出した。言うまでもなく、ラップに包まれた、巨大なおにぎりだ。

「それより、これから仕事でしょ? だったらこれでも食べて、元気出しなさい」

「……これ、中身の具は?」

「鶏肉のから揚げ、ピリ辛風味」

「…………」

 間食にしては胃がもたれそうな具材とボリュームだ。

 でも、丁度、お腹は空いていたのだ。

「すみません。それ、いまから食べても良いですか?」

「勿論」

 冴子から許可が下りた。花香は巨大おにぎりを受け取ると、ラップを剥いで、恥も外聞も無いような勢いで米にかぶりついた。近くを歩いていた生徒達の大半がそんな野獣みたいな花香に異界の生物でも見るかのような視線を向けていたが、いまの彼女にはその全てがどうでもよかった。

 およそ一分半で完食すると、ブレザーの袖で口元を拭い、空井花香は久方ぶりに生の実感を噛みしめた。

「っふぅ、ごちそうさま!」

「凄い食べっぷり……」

「ありがとう。元気出た」

 不思議と体の奥底から湧き出てくる力の源は、きっといまのおにぎりだけではない。もっと別の、たったいま与えられた別の力だ。

「じゃあ、行ってきます!」

「おう、頑張ってこい!」

 花香は冴子に見送られ、上履きから外履きのローファーに履き替えて昇降口から飛び出した。校門を出て、道の途中の自販機で天然水を買って一気に飲み干すと、再び本部のある方向まで突っ走っていった。


   【Bパート】


 ここ三日間の調査において、芳しい成果は何一つ上がらなかった。変わった事といえば、花香がいつになくやる気を出していたという一点のみだ。何があったのかは知らないが、いまの彼女からは強い活力を感じられる。

 そんな中、将星といえば、ずっと一人で頭を抱えていた。

 調査四日目の朝、いつも通り教室に入ってみると、最近感じていた違和感がより現実味を増したように思えてきた。

「日に日に男子生徒の数が減っている……やっぱり、事件の影響かな」

 一緒に来ていた慎之介が困り顔で呟く。

「登校中に見かける男の人の姿まで減ってる。そんなに女の子の傍に寄るのが怖いのかな。僕にはちょっと理解できないな」

「お前にしちゃ意外な意見だな。自分の彼女がヒスってお前を殺さんとも限らんぞ?」

「僕には将星がいるからね」

「よく分かってるじゃん」

 これには将星も素直に感心した。

「でも、早く解決しないと本当に大変な事になる。なのに手掛かりを探そうとすればする程、真相から遠のいていくんだ。でも、このままじゃ――」

「宇田川さんか白沢さんのどちらかが加害者になりかねない」

「ああ。あいつらのQPが暴走したら大惨事だ」

 雪見のグレイスは頭のおかしい性能を誇っているし、星乃のコメットは如何せん気が短い。ふとした拍子にマテリアライザーを起動した瞬間に大事件だ。

「私達がなんだって?」

 将星と慎之介の顔の間から、ぬっと雪見の顔が入り込む。

「うおぉおおおおっ!?」

「心臓に悪いよ!」

「てへぺろ」

 二人が同時に引き下がると、雪見が可愛らしく舌をちろりと出す。うん、奴はいつもの雪見だ。

「将星君よ、今日も男子生徒の数が少ないな。全国のモテない男子が夢にまで見たハーレム状態が現実のものとなる日が来たぞ」

「悪いけど笑い事じゃねぇんだよ。世の中の男がほとんど恐怖に震えて家の中に引きこもってるだけで、こんなのハーレムでもなんでもねぇんだよ」

「そうだね。女の子の方もやたら不安げそうだし」

 今日の慎之介は珍しく察しが良いらしい、教室内の生徒達の様子をあらかた確認してから言った。

「女の子は女の子で、いつ自分が誰を殺すか分からないっていう不安に駆られてる子も多いみたい。男子だけじゃなくて、女子の出席者も少しずつ減ってるみたいだし」

「同じ事が起こってるのは学校だけじゃない、一般の企業から政治家に至るまで、最近は仕事のズル休みが多発しているらしい。中には事件のほとぼりが冷めるまでの間、男性従業員の出勤を禁止する会社まで出てきているらしい」

「じゃあ今日出席している男子は全員命知らずかハーレム狙いか」

 雪見が懲りずにふざけた発言をしてから首を何度も縦に振る。これには何度も彼女の冗談に付き合ってきた将星も軽く苛立ちを覚えた。

「いい加減にしろ。いくら俺でも怒るぞ」

「何だ、君らしくないな」

「あ?」

「私は君をもうちょっと冷静な奴だと思っていたんだけど」

 彼女に言われ、将星の口がぽかんと半開きになる。

「冷……静……って、俺は……いつでも冷静だ」

「だったら、いま感じてるイライラの全てを熱いハートに換えてみると良いさ。君は誰よりも冷めているようで熱い奴だって、私も、丸井坂君も、星乃も知っている。冷静な思考力と熱いハートは、君の最大の武器だと私は思う」

「…………買い被り過ぎだ」

 呟いてから、将星は一旦、目を閉じる。

 俺は決して強い存在ではない。むしろ、誰かに支えてもらえなければ立っている事すらままならないような、酷く出来の悪い弱さの塊だ。

 でも、そんな俺にも出来る事はあると、つい一か月くらい前にまともに言葉を交わすようになった女子から面と向かって言われている。

 滑稽だ。俺よりもまともに俺を見ていてくれたのは、まさしくその彼女だったのだ。

 いまや白沢雪見も、生島将星にとっては大切な支えの一つになっていた。

「でも、そうまで言われたら、ここで引き下がるのはかっこ悪いよな」

 開眼し、将星は呟いた。

「なあ、慎之介。今日はもう帰ろうぜ」

「はっ!? 何言っちゃんてんの!?」

「どうせ休んでる男子の中には、事件を理由にズル休みして一日中家の中でゴロゴロしているようなふてぇ奴だっているんだろ? 俺だって事件の捜査を理由にして休めば良いだけの話だし」

「それ賛成」

 雪見が片手を挙げて賛同する。

「どうせなら星乃も連れてゲーセン行こうよー」

「しょうせーい!」

「ほら、噂をすれば何とやら」

 廊下から元気の良い声が響いたかと思ったら、扉を乱暴に開けて星乃が教室の中に飛び込み、将星の後ろにさっと回り込んだ。

「? どうした? 何があった?」

「将星、おたすけぇ!」

「はぁ?」

「星乃ちゅわぁああん!」

 続いて、別の男子生徒が教室の中に勢い良く走り込んできて、出入り口の手前で陽気に叫んだ。

「もう、釣れないなぁ! 逃げなくても良いじゃないか!」

「将星、あの人追っ払って!」

「はい?」

 一体何がどうなったらこんな状況を作り出せるのやら――と思って、将星は目の前で星乃にラブコールを送っている金髪の男子生徒をまじまじと注視する。

 すると、途端に、何日か前に見た光景の一部がフラッシュバックする。

「……あれ? 君ってたしか――」

 そう、将星は彼の姿を最近、QP/の本部で見かけている。

 あの時、由香里と面接していた志願者の少年だ。

「お前、あの時の……!」

「あ、お前は!」

 互いに互いを指で差し、それぞれ叫んだ。

「頭の悪い志願者君!」

「生島将星! ――って、誰の頭が悪いっつったよ、いま!」

 金髪の彼はこちらに詰め寄って胸倉を掴んできた。

「俺には平津浩二って名前があんだよ! 覚えとけ、ゴルァ!」

「どうでもいいわ。ていうか、星乃。何なんだ、このパツキンのお猿さん」

「その人、さっきからあたしと付き合ってくれーってしつこくて……」

 星乃が珍しくびくつきながら答える。

「ちょっと前にコメットとその人のQPがマッチングリンクを構築しちゃって……コメット自身は認めて無いんだけど、その人がそれをきっかけに付き纏うようになって……」

「何だと?」

 将星は軽く耳を疑った。もし人類が新たなフロンティアへの入り口を見出した瞬間があるとするなら、これと似たような感覚なのだろうか。

「コメットが否定してるのに、マッチングリンクが構築されたってのか? 普通はQPの意思があってこそのマッチングリンクだろ? それって、意思と機能が一致していないって事じゃねぇか。おかしいだろ」

「そんな事はどうでもいんだよっ! あたし、別に彼の事は好きでもなんでもないし――ていうか、その時になるまでほとんど知らない人だったし! だからいきなりあんな風に迫られて、すっごい困ってるんだよ!」

「やだなぁ、星乃ちゃんってば。照れ隠しとは何たる高等テク――」

「いや、本気で拒絶してるんだと思う」

「んだとゴルァ!」

 浩二がやたら将星にメンチを切っている。第一印象が悪かったせいか、彼からすれば将星はもうただの邪魔者でしかないようだ。

「大体、てめぇは星乃ちゃんの何だってんだ? 彼氏か? 彼氏なのか? 答えてみろやこのチン●ス野郎が!」

「そんな事より、お前に一つ訊きたい事がある」

「あぁ?」

「平津とか言ったな。職務質問だ。お前のQPが星乃のコメットとマッチングリンクを構築したの、それはいつの話だ?」

「あ……え……? ええっと……一週間前?」

「なーるほど」

 将星の脳裏を支配していたのは、突如として溢れてくる眩い閃光の怒涛だった。

「礼を言うぜ。お前さんのおかげでピースが一つ埋まったわ」

「は……はあ?」

 浩二はもはや気が狂った者を見るかのような目をして、将星の胸倉から自然と手を離した。

「おい、星乃。コメットに用がある。寝てるならいますぐ叩き起こせ」

「おれは起きてるぞー」

 コメットが手品のようにぽんっと星乃の頭上に現れると、すぐに浩二の姿を見つけ、大声を上げて彼を指差した。

「あー! お前、あん時のスケコマシ!」

「コメット。そいつについては後回しだ。お前に聞きたい事がある」

「何だよ?」

「お前、自分が平津のQPとマッチングリンクをした時、どういう状態だった?」

「いきなり何だよ」

「いいから答えろって。自分の行動でも、その時の気分でも良いから」

「ええー……? んー、そうだなぁ……」

 訳も分からないといった様子で唇をひん曲げるが、とりあえずは答えるつもりではいるらしい、コメットは思い出しながら言った。

「えぇっと……そう、あん時は体が勝手に引っ張られるように動いて、そいつのポンコツQPと訳も分からない状態でマッチングして……まあ、その後すぐにマッチングリンクは取り消したけど」

 マッチングリンクを構築しているQP同士がその接続を断つ条件は大きく分けて二つ。女性側QPのユーザーが一方的に相手とのマッチングを切るか、男女互いに合意の上で切るかのいずれかである。少なくとも、男性側からは接続を断てない。

 ただ、いまの言い分だと、コメット自身が勝手にマッチングを取り消した事になる。

「お前自身が全部勝手にやった事なのか? マッチングを消した事も含めて。おかくないか? ユーザーの指令無しにマッチングを勝手に切ったり、お前自身の意思に反して体が勝手に動いたり」

「……たしかに」

 コメットも気付いたらしい。渋面を作って考えるような仕草をする。

「おれ達QPは相手のQPのプロフィールを参照して、自分の意志でマッチングする相手を選んでる。いままでそんな機会なんておれには一度も無かったのに、初めてのマッチングがそんな形になるなんて……」

「え? そういうもんなの?」

 反対に、星乃は何度も頭の上に疑問符を浮かべまくっていると、何かを思い出したらしい、既に雪見の腕に抱えられていたグレイスを見遣って言った。

「あっ! そういや、グレイスも似たような事を言ってた!」

「え? 私?」

「イベントの時に言ったじゃん、「雪見に見合う相手がそんなに居てたまるもんですか」って。やっぱりQPの好みってマッチングリンクに影響するんだね」

「俺達がずっと見落としていたのはそこだ」

 将星が悪役みたいな笑みを浮かべる。

「マテリアライザーの暴発もQP自身が勝手に判断した為に起きたものなら、QPドライバーをいくら検査したって何の異常も出ないのは頷ける」

「でも待って、それおかしいよ」

 さっきまで黙っていた慎之介が口を挟んでくる。

「QP自身が勝手に判断したんなら、そのQPの思考アルゴリズムにも異常が出てるって事なんでしょ? 検査すれば一発で発覚するじゃん」

「いや。検査項目に引っかからない部分に異常が起きてるなら話は違ってくる」

 これまでの話と事件の概要、いままでずっと見落としていた点が全て将星の脳内で配線となって繋がった。

 分からない部分もあるが、それはこちらで調べれば済むだけの話だ。

「慎之介。俺、今日は早退してQP/本部に直行するわ。先生にはよろしく頼む」

「え? ちょ……将星?」

「この事件、二日後には解決しそうだ。じゃ、また後でな!」

 将星は教室から飛び出すと、校舎を出てから花香に電話を繋いだ。

「もしもし、空井さん? 手伝って欲しい事がある」

『な、何ですか、いきなり?』

「事件の真相が判明した。いますぐ裏を取りたい」

『本当ですか!? 分かりました、すぐ本部に向かいます!』

「徹夜作業になるぞ、覚悟しとけよ!」

『はい!』

 通信を切ったと同時に、将星は確信した。

 いまこそ、QP/の底力を見せる時が来た――と。


   ●


 夜通しでアーカイブの中に眠っていた資料と格闘し、文彦や千草、花香の知識を借りて真相を追及しているうちに、既に時刻は正午を回っていた。さすがに花香も体力の限界が近かったらしいので、彼女には仮眠を取ってもらい、後は自分に任せるように言って学校に送り出した。

 彼女には非常に助けられた。創設期のメンバーなだけあって、体験してきた場数の違いを思い知らされるような意見を大量に提供してもらったのだから、彼女の頑張りには必ず報いなければなるまい。

 将星は錆びついたようにぎこちない体を引きずり、学校をすっぽかして昼の捜査会議に出席し、必死に纏め上げた資料を他のメンバーに手渡した。

 これを見た由香里の目が大きく見開かれる。

「異常が起きていたのはQPのホログラム? どういう事?」

「まずはこれを見てください」

 将星はまず、頭の上でくつろいでいたセイランを摘み上げて片方の掌に乗せると、指先でセイランの頭や腹を撫でたり、丸みを帯びた頬をつついたりしてみせた。

 セイランがくすぐったそうに身を捩り、気持ちよさそうに喉を鳴らしている。セイランはこうしてやると好感度が上がる奴なのだ。

「このように、QPのホログラムは他の立体映像と違って物体をすり抜けられないように作られています。だから俺達に触ってる実感が無くても、QP自体はこうして刺激を受けてるんです。見てください、セイランの気持ちよさそうな、この顔」

「セイランかわいいー」

 千草がこちらに寄ってきて、細い指先で楽しそうにセイランの体をつついている。

この様子を眺めていた由香里が苦笑する。

「まあ……たしかにその通りだけど……」

「俺にはどうも遊んでるようにしか見えん」

 芳一が容赦なく言った。

「で、それがマテリアライザーの暴発とどう関係が?」

「QP自身の判断だけでマテリアライザーは決して起動しない。QPが観測した危険度の数値――危険値には、上昇の幅に上限がある。危険値を女性とQPとで合算する場合、最低限は五:五の割合に達している必要がありますが、QP側の数値が五を超える事は決して無いように規格化されてるんです」

「そうなると例えば、女六:QP四、女九:QP一みたいな割合にしかならないのか」

「その通りです。だから逆に女四:QP六、女一:QP九という割合にはならないんですが……でもその比率を可能とする方法が、たった一つだけあったんです」

「QPに過剰なストレスを与えるのね」

「ええ。正解です」

 由香里はやはり、いち早く理解したらしい。ただ、雄大と芳一の二人だけはひたすら眉をぴくぴく動かしながら難しい顔で唸っていた。

「QPにストレス、だぁ?」

「一体何の話だ? 意味が分からん」

「つまりはこういう事です」

 将星は二人の前に、掌の上で痙攣したままぐったりしているセイランを差し出した。

「ご覧ください。あまりにも可愛がり過ぎて、セイランが早くも賢者タイムに突入しちゃいました。QPに痛覚や触覚の機能を与えた結果です」

「なるほど。機能じゃなくて、仕様の問題かよ」

 雄大もやっと納得したらしい。

「いまのは気持ちよくさせ過ぎたらこうなるっていう例ですが、その逆を想像してみてください。例えばセイランを一時間に渡って虐待した場合、セイランが感じる危険値はすぐに上限値の五に達します。その上限値を突き破る方法というのは実に簡単で――例えば、怪電波の類です」

「怪電波? 何でまたそんなものが……」

「僕が最初に雄大さんや空井さんと一緒に戦った時の事を覚えてますか? あの時、一般QPのマテリアライザーを封印する妨害電波が施設内全体に張り巡らされていたらしいですね。その装置はこちらで回収してるんでしょう?」

「それと同じ仕組みのものがこの事件でも使われていると? だとしたら変な話ね。東京全体に怪電波が流れていたりなんかしたら、市民のQPドライバーの全てが酷い混信状態に陥ってる筈よ?」

「常時電波が散布されてる訳じゃないでしょう。おそらくほんの一瞬だけ、それも散発的に電波を発信してるんです。基地局を含む誰にも気づかれず、なおかつ効果的にQPにストレスを与え続ける方法といったら、さすがにこれしか思い浮かばない」

「しかもその電波自体が厄介な毒を宿しているって訳だ」

 雄大が顎に手をやって考える。

「ユーザーの近くで具象化していたQPが一瞬だけ発射された怪電波を喰らって、その影響で危険値のリミッターが外れたとするなら……二回目、三回目と別々の効果を持った電波に当てられていてもおかしくはねぇな」

「しかもその効き目はごく短いと見て良いでしょう。そうなるとQPドライバーとQPに異常が起きていたのは、マテリアライザー起動から一時間後くらいまでの間です。だから検査した時にはとっくに正常な状態に戻っていたんでしょう」

「なるほど。検査項目に『当時の状態』までは含まれていないもんな」

 将星の中でずっと引っ掛かっていた違和感の正体が、とうとう将星本人のみならず、上級捜査官全てにも理解が及んだらしい。全員、興味深そうに資料を本気で読み込み始めた。

「それとですね、さっき俺の友達から面白い話を聞きました」

「友達? もしかして、星乃ちゃんか?」

 雄大さんよ、何故バレた。

「……まあ、はい。正確には彼女のQPから、なんですが。そのQPはある日突然、自分の意思とは関係無くとある同級生の男子のQPとマッチングリンクを構築してから、自分の判断で勝手にマッチングを切ったそうです」

「はあ? 何じゃそら?」

「変でしょ? 自分の意思で可能な行動と、自分の意思で不可能な行動がちぐはぐになっていたんです。まだ確定的な事は言えませんが、もしそれが以前用いられていたのと似たような仕組みの怪電波の仕業だとすれば全ての辻褄が合うんです」

「か……簡単なサンプルなら、さっきようやく完成した……!」

 最初から一言も発しなかった文彦が声を震わして告げてくる。

「マテリアライザーの発動を封印する怪電波が作れるなら、今回犯人は真逆の作用を持つ怪電波を作成したんじゃないのかって生島君が言ってた。だから、それと似たようなサンプルをさっき作っておいた」

「お、仕事が早いですね」

 文彦はこちらの推論に賛同してずっと調査に付き合ってくれたので、その過程で彼には怪電波のサンプル作成を依頼していたのだ。もちろん、人体の構造や五感などに詳しい千草の意見もふんだんに取り入れられている。

 加えて、文彦がさらに衝撃的な報告をする。

「あと、その怪電波と逆位相の電波を元にアップデートパッチを作った」

「え? そんな事までしてたんすか?」

「あくまで『似たようなモノ』……だから、それで本当に暴発が防げるのかはやってみないとだけど……」

「初島君、あなた天才だわ!」

 これには上級捜査官の全てが驚嘆した。初島文彦、おそるべし。

「初島君、いますぐ探知とアップデートパッチの実装をお願い!」

「は、はい!」

 自分の働きが認められて嬉しかったのか、文彦はぱっと顔を明るくして部屋を飛び出した。ここから先、文彦は専用のモニタールームでこもりっきりになるだろう。

 彼がいなくなった後、千草が両腕を頭の後ろに回して気楽に言った。

「あたしの仕事はこれで終わりかなー」

「千草ちゃんもご苦労様。後は私達に任せて」

「ういー。じゃ、おやすみー」

 続いて千草も退出する。

 後は、怪電波を仕掛けたバカをとっちめるだけだ。

「よし、俺達も出撃の準備――」

 突然、視界が酷く霞み、気付いた時には前のめりに倒れていた。

 将星は眩む意識の中、必死に立ち上がろうと苦心する。

「あ……れ……? 体が……うごかん……」

「ちょ……生島君? どうしたの?」

「将星!」

 でもやっぱり、駄目だった。

 立ち上がるどころか、将星の意識は、そこでぷっつり途絶えた。


「……寝てやがる」

 倒れる将星の傍に屈んだ雄大が、彼の呼吸を確かめながら呟いた。

「ここんとこ働き詰めで、まともに寝ていなかったみたいだしな。駆の野郎は泣いて喜ぶかな。お前が助けたクソガキが、いま立派に捜査官やってるって聞いたら」

「もしかしたら駆君を超えるかもしれないわね」

「珍しく同意だな。もう新米扱いはできんよ」

 芳一が力強く宣言した。

「生島将星。お前の努力と執念を無駄にはしない」

 これが、上級捜査官達が本当の意味で団結した瞬間だったのかもしれない。

 雄大は学校の花香に電話を繋ぐ。

「花香ちゃん。事件の真相は聞いたぜ。将星と一緒に調べ上げたんだってな」

『ええ。生島さんはやっぱり凄い人でした。私の経験談を物凄い速度で飲み込んで推理に反映させたんですから』

「全くだ。……いますぐ戻れるか? 文彦が発信源を索敵している間、俺達の方でも可能な限り出撃の準備をせにゃならん」

『分かりました。早退してきますので、三十分待ってください』

「ああ。あともうひと踏ん張りだ。頑張ろうぜ」

『はい。交信終了……なんちゃって』

 最後に冗談めかして、花香は通話を打ち切った。


   ●


 轟々と燃え盛る霊峰の如き大火が、森林の奥地に設立された拘置所を丸ごと飲み込んで肥大化している。

 この光景を間近で淡々と眺めていた空井春樹とツバキの視界は、炎の中からゆらりと歩み寄ってくる大柄な人影を捉えていた。

 やがてその人物は火炎の中から抜け出し、黒く煤けた体を払いながら二人の前に姿を現した。

 鞍馬康成。少し前に大ポカをやらかして捕まった、春樹の仕事仲間だ。

「やぁ、鞍馬。久しぶりだね」

「なあ、もうちょっとエレガントなエスコートの方法は考えられなかったのか?」

「中学生に負けて捕まった君が悪い」

「仕方ねぇだろ、お前の妹さんが撒いた花びらのせいで判断力を鈍らされたんだから」

「言い訳がましいのは嫌いだよ。わざわざ助けに来てやっただけありがたいと思ってもらわないと」

「頼んだ覚えはねぇよ」

「そっちの意見は聞いてない。君の力が必要だったから連れ出しに来た。それだけさ」

 春樹はからかうように言うと、康成にグリップ型のQPドライバーを投げ渡した。

 すると早速、迷彩服とオリーブ色のヘルメットで軍人風に仕立て上げられた康成のQP・フォレストが彼の眼前に出現し、堅苦しく敬礼して声高に叫ぶ。

「軍曹殿! ご無事で何よりであります!」

「心配かけたな、フォレスト」

「私の復隊を認めていただけますか?」

「大歓迎だ。復隊を許可する」

「感謝します!」

 フォレストが康成のごつい肩の上に乗っかり、直立不動の姿勢を取る。

 彼らの復縁を見届けた春樹が短く告げた。

「さあ、行こう。俺達の戦場へ」

 二人は大火を背に、真夜中の森林を後にした。


                     #4「エースの資格(前編)」 おわり

                               後編へ続く



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