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QPドライブ  作者: 夏村 傘
第一集「QP捜査官・生島将星の誕生」
3/11

#3「意思と遺志」


   #3「意志と遺志」


   【Aパート】


 任務明けの休日、十二時間も浸っていた睡眠の世界から生島将星を現実の世界に引き戻したのは、一回のインターフォンのチャイムだった。

 将星は布団から抜け出し、寝間着姿のまま玄関口に向かい、寝ぼけ眼をこすって欠伸混じりに扉を開く。

「やあ」

 微妙に開けた扉の隙間から挨拶してきたのは、紛れも無く白沢雪見だった。

「……何の用ですか?」

「エロ本を探しに来た」

「帰れ」

 扉を閉めて鍵をかけ、再び布団の中に潜り込む。

「開けろコラ。さもなくばここで歌うぞ」

「……………………」

「せーんろはつづくーよー、どーこまでもー」

 勝手に歌ってろ。どうせ隣の住民から怒られるのは雪見一人だ。

「のーをこえやまをーこえー、たーにをこーえー」

「本当に続けるんかいぃいいいいいいいいいっ!」

 すぐに耐え兼ね、将星は扉を開いて雪見を家の中に引きずり込んだ。

「お前という奴は限度を知らないのな! いい加減にしないと本当に隣の中国人からクレームが飛んでくるんだから、もう少しは自重してくれ頼むから!」

「君が私を突っぱねるから悪い」

「人のせいにするな……!」

 とりあえず彼女のこめかみを拳でぐりぐりしておいてから、将星は脱衣所で着替えて私服姿になる。喉も乾いていたので、昨日の帰りに買って置いたボトルのコーヒーに低脂肪乳を混ぜて一瞬で飲み干してやった。

 喉が潤い、意識もようやくはっきりすると、さっきまで将星が沈んでいた敷布団の上で寝転がっていた雪見の首根っこを掴んで彼女の体を釣り上げる。

「来て早々何してんだ、おのれは……!」

「思春期男子の匂いを堪能していた。反省はしていない」

「日に日に変態の度合いが増していくな。誰の影響だ! 言え! いますぐそいつをここに呼べ! <バブルブリンガー>で蜂の巣にしてやる!」

「たったいま私を苛めている男だ」

「よし分かった。セイラン、いますぐ俺ごとこいつをぶち抜け!」

「将星がムキになってる~」

 こちらの命令を受け付けず、セイランは座卓の上に置いていたQPドライバーの傍でお茶を飲んでいた。

 将星は雪見を畳の上に下ろすと、敷布団をてきぱきと押し入れの中に片付ける。

「で、お前は今日、本当はここへ何しに来た?」

「この前、君がハコネで私と約束した内容を覚えているかね? 今日はその為に君を外に連れ出しに来たんだよ」

「ああ、そういえば。そんなん、あったなぁ……」

 いまごろになって思い出す自分の薄情さは棚に上げておくとしよう。

「何だ。いままで忘れていたのか。酷い奴だな」

「ごめんごめん。最近は事件が重なっちゃって……」

「それならそれで仕方ない。丁度良い。この時間まで寝ていたんなら仕事も休みなんでしょ? だったら今日は私に付き合ってもらうとしよう」

「そうだな。いま支度するから待っててくれ」

「デートだデートだ~」

 セイランが何故か妙に浮かれている。

「将星が星乃ちゃん以外の女の子とデートする~」

「…………」

 何だか色々気に食わなかったので、将星はセイランを片手で持ち上げ、

「ていっ」

「ぷぎゃっ」

 雪見の平たい胸に叩きつけてやった。


 出かけてから夕方になるまでの間、将星は雪見の扱い方をマスターした。

 お望み通りシンジュク駅前のスイーツバイキングに彼女を連れて行き、腹の中身を糖分オンリーにしてやってからゲームセンターなどで腹ごなしをして、適当にお洒落着屋でウィンドショッピングを一通り楽しんだ頃には、すっかり日が暮れかけていた。

 ネリマに戻り、いつしか星乃と雪見が対戦していた河川敷沿いの道を歩いていると、将星は満足そうな顔をしていた雪見に訊ねた。

「随分と金を使い込んだけど、本当に大丈夫だったの?」

「こないだの客員報酬があったからねぇ。危険な役割を担当した分も上乗せしてくれた。あの長官はちゃんと分かってる」

「お前も中々ゲンキンな奴だな……」

 将星は苦笑した。

「でもまあ、楽しかったんなら良かったよ」

 思えば、こうして誰かと一日中遊んで回る機会はそうそう訪れない。現在は仕事まで生活の一部となってしまったので尚更だ。

 そう考えると、こうした形で外に連れ出してくれた雪見には感謝すべきなのかもしれない。

「雪見。今度は星乃や慎之介も一緒に――」

 言い止して、将星は後ろを振り返る。

 バイクだ。後ろから、白いライダースーツの男を乗せたスーパーカブが、物凄い勢いでこちらに突っ込もうとしていた。

「あ・れ・は……!」

「将星君っ」

 追突事故を恐れてか、雪見がこちらに飛びついてくる。将星もすぐに彼女の体を引き寄せ、道の脇に身を退ける。

 カブが通り過ぎ、ドリフトで急停車すると、運転手の男が嬉しそうに片手を上げて挨拶してきた。

「やあ、将星君! もしやデートの真っ最中だったか。邪魔してしまったな」

「それ以前に最高速で歩行者を轢殺しようとするな! ただの危険運転だ!」

「はっはっはー、それはすまなかったな! カップルを見たら轢き殺したくなるのだ!」

「嬉しそうに何言ってんだコイツ!?」

 将星は運転過失致死未遂の現行犯、ラパウザーマンを指さした。

「大体、ヒーローのマシンがスーパーカブっておかしくね!? ていうか、あんた普通に原付の免許持ってたんかい!」

「ああ。免許証を見るかね?」

 ラパウザーマンが何の躊躇いも無く運転免許証を財布から取り出し、将星と雪見に見せびらかした。

 氏名:I・HERO☆ラパウザーマン 生年月日:風に聞きたまえ

 住所:不定 有効期限:HEROは永久に不滅 普通車はAT車に限る

 あからさまに、偽造免許証だった。

「こんなん一発で偽造ってバレるわ! 名前と住所はともかく、何だ、生年月日は風に聞けって! 有効期限に至っては答えにすらなってねぇよ! セ●ンのクレジットカードか!」

「しかも車はAT限定……」

 雪見までげんなりしている始末だ。

 とはいえ、たしかに、謎のヒーローが簡単に自分の素性をバラす訳も無いか。かなり昔に販売されていたなめ●の免許証同様、どうせこのバカが茶目っ気で作ったジョークグッズに違いない。

「もういい……突っ込むのもアホらしい」

「ふむ。それで将星君。実は君に一つ用事があったのだ」

「あ?」

 将星がさらに眉をひそめると、ラパウザーマンはカブから下り、荷台に括り付けてあった箱から大きな紙袋を取り出し、堂々と声を張って将星に突き出した。

「借りていたエロ本を返しに来た。実に良いラインナップであったぞ」

「…………」

 将星はしばらく唖然とするや、無言で彼から紙袋を受け取った。

「それでは、また会おう!」

 ラパウザーマンを乗せて、カブが凄まじい勢いで急発進する。

 その場に取り残された将星は、とりあえず横で立ち尽くしていた雪見に弁明しようとする。

「……雪見ちゃーん? いまのは見なかった事に」

「ふむ、ラパウザーマンはSMモノが趣味なのか」

「あるぇ!? いつの間に!?」

 紙袋から既に適当なエロ本を抜き出していた雪見が興味深そうにページをめくっていた。いつ盗まれたのか、全然分からなかった。

「ていうか、読むな、返せ!」

「ほうほう……うぉおお、こんな縛り方まで……!」

「唸るな、感嘆するな!」

 将星がエロ本を奪い返さんと腕を伸ばすと、雪見がひょいひょいと軽い身のこなしでその攻撃をかわしていく。

「将星君」

「あ?」

「ちょっと●いてくる」

「待てぇい!」

 エロ本ごと家に帰ろうとした雪見の首根っこを捕まえ、ようやく将星の手に目的の品が奪還される。

「俺のベストセレクションの一冊を何処へ連れて行く気だ……!」

「何でぇ、けちんぼけちんぼー。ラパウザーマンにも貸してるんだから、私に貸してくれても良いじゃないか。ぶーぶー」

「前提がおかしいんだよ。ていうか、グレイス! いるんだろ、出てこいや!」

 雪見のQPドライバーにいる筈のグレイスを呼んでみるが、肝心の彼女からは一向に返事が無い。

「何故返事しない? まるで屍のようだ」

「グレイスに何か用? あの子には「デートの邪魔をするな」と言い含めてあるから、少なくとも今日一日の間は絶対に出てこないよ?」

「肝心な時に面倒な指示に従いやがって! おいこらクソ狐、己はおたくのユーザーにどういう教育をしてるんだ! 日に日に不健全に染まっているぞ!」

「グレイスからメール~」

 セイランがメールの着信を報せる。実はユーザー同士だけでなく、QP同士でのメールのやり取りも可能なのだ。

「『雪見は元々不健全』……だとさ」

「やっぱ聞こえてんじゃねぇか! ていうことはあれか? もうこのバカは一生ずっとこのままなの? 嘘だろ!?」

「諦めろ。私はこういう生き物だ」

「…………」

 もういい。何かもう、疲れた。

 将星は雪見から手を放すと、押し寄せる疲労感で頭をがくっと折った。

「……しかしまあ、これで俺を見限らないだけ、まだ救いようはあるんだよな」

「? 何の話?」

「空井さんとちょっとね……まあ、いまと似たような事があったんだ」

「なるほど」

 雪見が何を理解したのかは、あえて訊ねないでおくとしよう。

「もう日も暮れたし、さっさと帰ろう」

「帰るのは良いけど、最後に星乃のお見舞いに行きたい」

「そうだな」

 将星は手に提げた紙袋に視線を落とした。

「これ、俺の家に置いてからでも良い?」

「よかろうて」

 その後二人は星乃が入院している病院に向かったが、受付の職員から聞いた話によると彼女はこちらが予想するより早く退院して自宅に戻ったらしく、結局は移動に費やした時間が徒労に終わったのだった。


   ●


「みんなー! 私は帰って来たぞー!」

 翌朝。宇田川星乃は教室にて、中にいた生徒達に大声で復活の報告を果たした。いままで席を空けていた星乃の再出現に驚いたのか、周りの生徒達がこぞって彼女を中心とした群れを形成し、あれやこれやと大げさに騒いでいた。

「宇田川さんって、本当にみんなの人気者なんだね」

 将星の隣で慎之介が呟いた。

「そういや、結構な数の人がお見舞いに来たんだって」

「俺と雪見の通い妻状態に比べたら可愛いモンよ」

「私は将星君の倍以上は通っていたぞ?」

「なに意地張ってんだ」

 雪見が偉そうに腕を組んでふんぞり返っている。星乃も雪見も正常運転である。

「しかしまあ、あんまりうかうかしてらんないよ?」

「あ?」

「彼女は男女問わず人気が高いからね。このままだと他の男子生徒達と争奪戦になっちゃうよ。ねぇ、将星?」

「……慎之介。お前、こないだデートの最中に他の女子に目移りしたとかで顔パン貰ったらしいな。どうだ? カノジョから貰ったお仕置きの味は」

「何故それを!?」

「さあな。俺の目のクマに聞いてくれ」

 ちなみに今日の将星は寝不足である。帰宅後に引っ越しの為に荷物を纏めたりしている最中に慎之介のカノジョから電話され、一晩中慎之介への愚痴を聞かされたせいで、昨日中に終わらせる予定だった食器の梱包がついぞ間に合わなかったのだ。

「俺の不必要なストレスも全部貴様のせいだ、このゴミ充め」

「ゴミ充って何?」

「一件リア充っぽく見えるゴミみたいな青春ばかりが充実しているゴミクズ人間に与えられる素敵な称号だ。俺はこれで今年の流行語大賞を取る」

「分かった。分かったから、これ以上人の傷口をえぐらないでほちぃ」

「分かれば良し」

 人をからかおうとするから悪い。相手を選べ、このゴミカスめ。

「しょうせーい! ゆっきー!」

 人混みの群れを抜け出し、星乃が将星と雪見に飛びついてきた。

「会いたかったよー! 将星なんて、しばらく仕事で来られなかったらしいじゃん!」

「ん……まあ、うん……そうだな」

 実は昨日、雪見とデートしていましたなんて口が裂けても言えやしない。

 雪見も全く同じ事を思ったらしい。こちらのカバーに入ってくれた。

「昨日は将星君と一緒に病院に行ったんだけど、思ったより早く退院したらしいじゃないか」

「そうそう。思ったより体が動いちゃってさー」

「元気なようで何よりだ。よしよし」

 雪見が星乃の頭を撫でているのを尻目に、将星は軽くホッとしていた。

 寂しがり屋な星乃のことだ。きっと昨日の話をしたら、「なんじゃそら、私も連れていけー!」とか言い出しかねない。ここで「時間の都合がたまたまあったから雪見に付き合ってやっただけ」とか言い訳しても、多分聞いてくれそうには無い。

 まあ、近々また予定が空いたら、星乃もお出かけに連れ出そうとは思っている。

「生島君!」

 教室の扉が乱暴に開かれ、数学の吉川先生が息を切らして叫んだ。

「大変だ、すぐに来てくれ!」

「何かあったんすか?」

「話は後だ、早く!」

「?」

 彼の様子からすると、悠長に構えているべきでないのだけは理解できる。

 将星は首を傾げつつも教室を飛び出し、吉川先生の案内で三年の教室が並ぶ区画に辿り着いた。

 廊下の生徒達が騒然となって突っ立っている。しかもその奥から、女子のものと思しき金切り声が断続的に響いていた。

 三年生達の人混みをかき分けて騒音の源を見つけ、将星は口をぽかーんと開いた。

 廊下の突き当たりには、グリップ型のQPドライバーを構えている女子生徒が一人。

 将星の目の前には、同じくグリップ型のQPドライバーから<シールド>を展開して腰を低く構えている女性生徒が一人。

 対峙する二人の女子のうち、突き当たりにいた方が叫び散らす。

「何でアンタなのよ! 答えて!」

「知らないっつってるでしょ!? いい加減にしてよ!」

「……あのー」

 将星が隣の吉川先生に、控えめな口調で訊ねる。

「これはどういう状況ですか?」

「生徒から聞いた話なんだが……」

 吉川が躊躇いがちに説明する。

「いま目の前にいる<シールド>の子が、ついさっきクラスメイトの男子とマッチングリンクを成立させたらしくて。ほら、あそこ」

 示された先には一人の男子生徒がいて、彼の真上では彼のものと思しきQPが体の輪郭を桜色に染めておどおどしていた。ユーザーである男子生徒も同じ反応である。マッチングリンクを構築済みのQPは、こうして「私のユーザーには恋人がいますよ」というサインを発するのだ。

「奥にいる子がそれに逆上して、こうなったらしくて……」

「単なる三角関係の修羅場ですか。じゃあ先生、後はご自分で何とかしてください」

「君はQP/の上級捜査官だろう!? だから呼んだってのに!」

 あら、職務放棄をしようとしたのがバレてしまいましたか。

「厄介なのは奥にいる子のバトルコードだ! <スピア>に<ブースト>を併用している。もし一瞬でも気を抜いたら、次の一撃でシールドを貫通するぞ!」

 よく見ると、目の前の女子生徒が構えている<シールド>には一部だけヒビが入っている。もう一回新品の<シールド>を拵えればそれで済む話だが、いま展開中の<シールド>を消している間は無防備なので、その隙にスピアが飛んできたら、文字通り一貫の終わりだ。

「まさかヒステリック起こしただけでマテリアライザーが起動するなんてな。だから女子にQPドライバーを持たせたくないんだよなぁ……」

「言ってる場合か! 早く何とかしてくれ!」

「つってもなぁ……」

 将星は相手の装備を聞いた途端に迷いが生じていた。

 <スピア>は<ブレード>同様、メインコードと呼ばれるバトルコードの一種で、QPドライバーから極細の刃を伸ばして攻撃するという、面よりも点での威力に特化した対人戦に有利な武装だ。<ブレード>展開時からの切り替えで、<ブレード>そのもののリーチを伸ばすという戦術もQPバトルの接近戦における選択肢の一つとなる。

 面での攻撃には強く、点での高威力攻撃に弱い<シールド>では分が悪すぎる。

「こちらから手を出そうとすれば、<ブースト>で威力と速度が強化された<スピア>が飛んでくる。そうなると、生身で回避できる自信がありません」

「そこを何とか……!」

「んー……まあ、やってみますか」

 要は相手の興奮状態を一瞬でも緩めれば済む話だ。ならば、度胸は要るが誰でも簡単に使える手段というものが存在する。

「先生、<シールド>の子の名前は?」

「古島だけど……」

「了解。セイラン、照準補正は任せたぞ」

「ういういー」

 セイランに適当っぽい指示を下すなり、将星はごく自然な足取りで、<シールド>の少女の前に回り込んだ。

「古島先輩」

「え? あの……誰?」

「好きです、付き合ってくださいっ!」

 この瞬間、周囲一帯の空気が凍りついた。さっきまでこの状況に怯えたまま動かなかった生徒達は時間が止まったかのように完全なる静止を遂げ、告白された当人はもちろんの事、ちらりと後ろ目に見えた<スピア>の女子生徒までもが間抜けにも口を半開きにして固まっている。

 ――いまだ!

「<スピア>」

 既に握っていたQPドライバーを脇の下にくぐらせ、先端から細い光の刃を発射。さっきまで半狂乱となっていた女子生徒が握っていたQPドライバーは、将星が放った閃光のひと突きによって先端部分を破壊される。

「あっ……」

 たったいま自分が罠に嵌められたと気付いたらしいが、もう何もかもが遅い。

 将星はすぐに身を翻し、相手の懐に潜り込み、

「せいっ」

 掌底を腹に一発叩き込んでやった。

 女子生徒の体がくの字に折れる。将星はすぐに相手を床に引き倒し、

「何だか知らんが、とりあえず逮捕――」

「将星っ」

 手錠を取り出し、振り上げたところで、その手首をがっちり後ろから掴まれる。

 振り返ると、何故か将星の背後には星乃がいた。

「星乃?」

「もういいでしょ? ほらっ」

 星乃が言った通り、もうこれ以上こちらが手を下す必要は無かった。

 将星が組み敷いた女子生徒は鼻水と涙を流しながら白目を剥いて気絶している。おそらく、興奮状態からの最後の一撃によってあっさり気絶したのだろう。

「…………そうだな」

 将星が女子生徒から離れる。すると、近くにいた吉川が彼女の容体を確認し、その体を抱え上げ、溜まっていた緊張を吐息に換えて吐き出した。

「ありがとう。助かったよ、生島君」

「こんなん朝飯前です」

 少なくとも、QP/の仕事に比べたら準備運動程度の騒ぎだ。

 将星は古川とかいう女子の先輩に「さっきは驚かせてすみませんでした」と謝ってから、少しだけ不安げな顔をしていた星乃の傍に歩み寄った。

「事後処理は先生にお任せして、俺達は教室に戻ろう。そろそろ授業が始まる」

「QP/には報告しないんだよね?」

「当たり前だ。こんなみみっちい騒ぎ……あ、そうだ」

 将星はふとした思いつきで、腹に力を入れて声を張り上げた。

「いまここにいる奴らだけでも聞いておけ!」

 良い機会だ。どうせなら、言うべき事だけは言っておこう。

「俺はQP/の上級捜査官、生島将星だ! 俺の職場は経費にそこまで自信が無いらしい。ここの全校生徒の人数分だけ発注してやれる手錠の代金も、たかが乳臭いガキ共の恋愛ごっこが原因で起きる事件の為に駆り出してやれる、上級捜査官の人手も人件費も無い! だからもし次に俺が見ている前で面倒を起こしてみろ。一番金が掛からない方法で始末をつけてやる! いいか!?」

 この話を聞いていた大半の生徒達が「何言ってんだ、こいつ?」みたいな顔をしているようだが、そうやって無関係を装えるのもいまのうちだ。

 何故なら、無関係はQP/の上級捜査官のみに与えられた特権だからだ。

「星乃、いくぞ」

「お……おう」

 さっきまで軽く唖然としていた星乃が、すたこらと歩き去る将星の横でぴったりと歩幅を合わせる。

 星乃はおかしそうに笑った。

「将星、少し見ない間に随分と変わったね」

「男子三日会わざれば括目して見よ、ってな」

「ちょっと前までは根暗で口が悪いだけだったのにね」

「お前は俺をそんな風に思っていたのか……」

 本音は時に人を傷つける。

「でも、男らしくなった」

 星乃にしては珍しい評価だった。

「これからも頑張れよ、新米捜査官っ!」

「ぶふぉっ」

 ばしんと叩かれた背中には、それから放課後を迎えてもなお、少女にしてはやり過ぎなくらいの力強さが残っていた。


   ●


 QP/本部の修練部屋。有り体に言えば、QP/専用の剣術道場だ。警察なんかがよく使っているのと同じような造りの大広間で、平日の昼間は上級捜査官の部下にあたる主力捜査官などが己を磨く為に剣術を嗜んでいたりもする。

 上級捜査官、コールサインはスラッシュ・ワンの日下部芳一くさかべほういちは、そんな道場でQP/の捜査官全てに剣を教える、言わば師範代みたいな役割の人物だ。御年六十三になる男とは思えない程に背筋が伸びており、険しい顔つきと道着越しにでも分かる頑強な肉体の線は、これまで幾度となく修羅場を乗り越えた男の証とも言えるだろう。

 いまは将星と芳一の一番だ。静けさが閉じ込められた空間の中、白い道着に黒い袴を身に纏い、二人は木刀を手に対峙していた。

 しばしの気の読み合いの後、先に足先を擦ったのは芳一だった。鋭い踏み込みから飛んできた下段の打ち込みを、将星はどうにか木刀を傾け、剣脊で受け流すようにして凌いでみせた。

 芳一の猛攻は続く。袈裟懸け、返す刀で下段からの切り上げ、頭を狙った水平斬りの勢いを下半身の動きと連動させ、背後に回り込んで渾身の一突き。

 これらを将星は全て最小の動きで捌き、再び二人の間に距離が生じる。

「そうだ。ようやく掴めてきたな」

「まだまだ。もう一番、お願いします!」

「その意気や良し」

 今度は二人同時の踏み込みで剣戟が再会された。


「すげぇな、将星の奴」

 同じく道着と袴姿の小坂雄大は、これまた同じ格好の花香と並んで、将星と芳一の立ち合いを正座で観戦していた。

「もう筋が出来上がってる。事件の合間合間に、素振りと立ち合いを繰り返していた分の努力が報われたな」

「…………」

「? 花香ちゃん、どうかしたん?」

「いえ……」

 偽ラパウザーマン事件以降、花香の様子がおかしいのは薄々分かっていた。特に、将星とは一向に口を利こうともしない。

 ははーん? さては宿泊先で、将星と何かあったな?

「ぐあっ!」

 木刀が叩き落とされ、雄大の手前に転がってくる。見れば、膝をついた丸腰の将星の眉間に芳一が木刀の先を添えていた。

「見切りの速さに体が追いついていない。切り返しが今後の課題だな。これ以上やっても疲弊していくだけだろう。今日の稽古は終わりだ」

「っ……ありがとうございました」

 将星がへろへろになって這うように戻ってきた。彼は彼で花香と話し辛いらしく、雄大を間に置いた形でどかりと床に座り込んだ。

「はぁっ……駄目だ、やっぱり日下部さんは強すぎる……!」

「俺もあの爺さんには敵わんな」

「次は私が行きます」

 花香が無感動に立ち上がり、木刀を片手に芳一の前に立った。お互いに礼をして、全く同じ動作で剣を構え、芳一の合図で二人の立ち合いが始まる。

 QP/最初期の四人のうちの一人とだけあって、花香はきちんと芳一の動きに対応していた。将星と剣の腕を比べたらどっちが強いのやら。少し楽しみではある。

「よう、将星。お前、花香ちゃんと何かあったか?」

「別に。大した事ではないです」

「何だよぅ、気になるじゃん。話してみろや」

「…………」

 将星は一度迷うような素振りを見せるが、話しても問題ないと思ったらしい、洗いざらい全てを吐いてくれた。

 正直、笑いが堪えきれないような内容だった。

「ぶっはっはっはっはっ! 何じゃそら、超ウケるんですけどぉ! やっぱラパウザーマンってマジパネェわ~!」

「でしょ? 面白過ぎて、俺もかなり困ってるんすよ」

「だっはっはっはっはっは~! 駄目だ、おなか痛ぶべぼばっ!?」

 雄大の額に木刀の切っ先が直撃し、盛大な笑い声が一瞬で殺される。

「さっきから何を笑っている?」

 芳一が不機嫌な顔をして訊ねてくる。彼の手からは木刀が消えていた。

「立ち合いぐらい大人しく見ていられないのか、貴様は」

「い、いや、だって、将星が笑かしてくるから……」

「子供のせいにするな、このド阿呆め」

「お楽しみのところ、ちょっと良いかしら」

 口論に割り込み、道場の出入り口から由香里が顔を覗かせて呼びかける。

「飛び込みの仕事よ。すぐに着替えて来てちょうだい」


 今回のブリーフィングは広めのモニタールームで行われた。壁面にずらりと並んだ大型モニターと観測機材に囲まれる中、由香里は直属の部下達である上級捜査官の前で堂々と声を上げる。

「今回の任務は極めて大きな危険が伴うでしょう」

 のっけから穏やかではない発言だった。

「初島君。お願い」

「……はい」

 由香里の隣では、やけによれた萌えプリントのTシャツを着た猫背の青年が、タブレット端末の画面を慌ただしく弄り続けていた。

 彼が初島文彦。上級捜査官の一人で、コールサインはスラッシュ・シックスだ。

「こ、これを……」

 小さい声で呟くと、彼の背後の大型モニターに地図らしき絵が表示される。

 文彦に代わり、由香里が事の次第を説明する。

「本当についさっきの話なんだけど、今晩、アオミ埠頭で日本のヤクザと中国マフィアによる大きな取引が行われるという情報が入ったの。中国マフィアが輸送船で運んできたブツを、日本のヤクザが大枚をはたいて入手する予定みたい」

「そのブツというのは?」

「超大型のQPドライバーよ」

「超……大型ぁ?」

 こちらから質問しておいてなんだが、それはまた奇特なものを。

「生島君には以前話したでしょ? ラパウザーマンのQPドライバーの話。あれと似たような代物がジャパニーズマフィアの手に渡る危険性なら、あなたもあの事件でよく理解している筈ね」

「ぞっとせん話ですね」

 つまりは極道にラパウザーマンみたいなのが戦力として加わるようなものだ。単騎で武装集団を掃討するような戦闘能力を敵に回すのは、QP犯罪専門の捜査官としては厄介この上ない。

「日本の領海に立ち入る船は基本的に衛星による監視に引っかかる。その衛星にはQPドライバーに対する金属探知機みたいなセンサーも内臓されていてね。八メートル超えの巨大なQPドライバーがその監視の網に引っ掛からない訳が無いのよ」

 雄大が手を挙げる。

「海上保安庁から停船命令は出なかったんすか? 夜間のパトロールは特に厳重なんすよね?」

「船がオートパイロットらしくてね、迂闊に手が出せないのよ」

「というと?」

「中に人がいないって事は自爆しても人命の損失が無いでしょう? 海上パトロールの船が輸送船に近づいた瞬間、荷物ごと自爆する可能性も無くは無いのよ」

「じゃあ、海上の連中はあえて見逃したんすか? 危険性を承知していながら、警察の使いっぱしりでしかない俺達に全部始末をつけさせる為に?」

「その通りね」

 これにはこの場に揃っている全員が嫌な顔をした。将星も例には漏れない。

「嫌な役回りでしょうけど、それが今回のお仕事なの。二つの組織が取引を開始する前に、なんとしても輸送船に積まれたQPドライバーを破壊しなければならない。もちろん、積み荷を埠頭に下ろした後を狙ってね」

「手段は?」

「いまからその段取りを纏めて説明します。初島君」

「は、はいっ」

 文彦が弄っているタブレットと連動して、背後のモニターの絵柄が動き、こちら側の戦力の導線を指定する赤い矢印が表示される。

「埠頭は複数のコンテナで入り組んでいるから、上級捜査官はその間を縫うように進行してもらうわ。ルートは初島君がナビゲートするから、可能な限りマフィアの構成員に見つからないように行動してちょうだい。でも破壊工作が終わってからはいくら騒ごうがギターを弾こうが全裸で駆け抜けようが問題なし。埠頭周辺にあらかじめ配置しておいた主力捜査官には、QPドライバー破壊の完了を報された時点で突入するように指示してあるから。取引の品を壊されたマフィアがあなた達を攻撃するでしょうけど、後は主力捜査官による物量作戦でどうとでもなるわ。何か質問は?」

「本当に全裸で駆け抜けても良いんですか?」

 将星の質問に、由香里と雄大が失笑する。

「任務に支障が無ければね」

「だったら俺はライフルケースにギブソンのレスポールも一緒に詰め込むぜ」

「真地面にやってください!」

 みんなのアイドル、花香様が本気でお怒りの様子だ。

「で、役割分担はどうするんですか!」

「おっとっと、失礼」

 由香里が笑いをかみ殺しながら言った。

「主力捜査官の陣頭指揮は現場監督の田辺さんが担当するわ。こちらの突入班は生島、空井、日下部捜査官の三人。小坂捜査官は突入班の行動開始から五分後に狙撃ポジションについてもらうわ。小坂君には余計な事かもしれないけど、今回は遮蔽物が多いフィールドだから射線が通り辛いわ。初島君が狙撃ポジションをここから指示するから、それに従って行動してね。間違ってもギターとライフルを勘違いしないように」

「銃も楽器の一つだろ?」

「雄大さん」

 花香が横目で雄大を睨む。

「どっかの誰かさんのせいでバカがうつりましたか?」

「駆も大体こんなんだったろ? あいつも良く言ってたじゃねぇか、何時如何なる時もユーモアは思考を柔軟にするって。お前も冗談が通じるようにならなきゃ駄目だぞ? この先、真面目くさってるだけじゃ通用しない事だって多いだろう」

「その点、うちの長官もとんだユーモアの持ち主みたいだな」

 意外にも芳一が雄大と花香の会話に割り込んだ。

「肝心のデカブツをスクラップにする手段とやらも、試し甲斐はあるんだろう?」

「そうね」

 頷いてから、由香里は将星に視線を向けた。

「破壊工作を担当するのは、生島君、あなたよ」

「僕ですか?」

「セイランの<バブルブリンガー>は貴重な高火力パーソナルコードなのよ。これまで攻撃力やら破壊力やらを担当していたのは雄大君のメテオだったから」

「これで戦略にも幅が広がるってモンよ!」

 雄大の横に体表が燃えているテッポウウオが出現し、将星の頭の上で寝転がっていたセイランに近づいてきた。

「ウチの上級捜査官のQPで攻撃力と言えば俺様しかいなかったんで、内心ちょっとだけ心細かったんだ。だから仲間が増えたのは素直に嬉しいぜ。高火力QP同士仲良くやろうぜ、兄弟!」

「ういー」

 セイランとメテオが将星の頭の上で高火力同盟を結んだ。仲良き事は美しきかな。

 由香里が微笑ましそうに言った。

「同じ火力特化でも、スピードのメテオ、パワーのセイランで棲み分けできるようになったからこその作戦ね。日下部さんと花香ちゃんは生島君の援護をメインに動いてもらって、生島君はただ標的に弾を当てるだけ。危険だけど、簡単なお仕事よ」

「了解です」

「連中の野望を丸裸にしてやりなさい。あなたが裸になるのはそれからよ」

「ご安心ください。元々僕に露出狂の趣味はありません」

 雄大と由香里が、今度は盛大に笑った。

 横目で花香に睨まれていたのは気にしない。



 たしかに生島将星は有能な捜査官だ。入りたてにも関わらずめきめき頭角を現し、今回の作戦においても重要なポジションに置かれているのも納得は出来る。

ただ、花香にとっては、それ以外の部分全てが気に食わない。

「なんだぁ? 何時にも増して不機嫌じゃねぇか」

 隣の運転席から雄大が話しかけてくる。

「将星とは別の車両で良かったな」

「雄大さん。いい加減にしないと本当に怒りますよ」

 現場に向かう全ての上級捜査官は、車両を二台に分け、現場であるアオミ埠頭に最短ルートで向かっていた。先頭が雄大と花香、後ろを走っているのが芳一と将星が乗る車両だ。

「聞いたぜ? 男の汚い部分をまざまざと見せつけられたらしいじゃねぇか。主にラパウザーマンのせいみてぇだけど」

「私はエッチな人が苦手なんですぅ」

「女の子はシモの話を喜ばん奴が大抵だとは思うけど、お前の場合はちょっと極端だと思うぜ? 男慣れしてない証拠だな」

「してますよ。何年あなたや芳一さんと一緒に――」

「違う違う。大人の男じゃねぇよ。同年代の男だ」

「しょうがないじゃないですか。私、小学校も中学校も女子校なんですよ?」

「何でもかんでも女子校出身のせいにすんじゃねーよ」

 いつも気さくな雄大にしては手厳しい説教だった。

「お前はいつも駆の野郎にべったりだったからな。あいつはたしかに外っ面は紳士的で気遣いは上手な奴さ。でもそういう奴に慣れちまうと理想が高くなっていけねぇや」

「何もかも私が悪いっていうんですか?」

「いや、大体は将星と駆が悪い」

 そこは雄大も同意してくれた。

「なあ、花香ちゃん。駆が生きてたら絶対に言わないと決めてた事があんだよ」

「何です?」

「お前がいない時とか、普通にAV談義に花を咲かせていたんだぜ、俺達」

「ぶっ!?」

 噴き出してむせた。いきなり何を言い出すのやら、この男は。

「なっ……何を言ってるんですか、駆さんがそんなっ」

「事実だ。俺がありとあらゆるコネを総動員してようやく手に入れた幻の素人モノAVの話をしたら、あのイケメンが無垢な少年みたいに目をキラキラさせていやがった。挙句には一泊二日、千円で貸してくれだなんて頭を下げてきた」

「う……嘘だ……」

 花香の中で、憧れの王子様の美化されたイメージは完全に崩れ去った。

 雄大はハンドルをバシバシ叩きながら笑い始める。

「ぶっはっはっはっは! やっぱり清純な女の子って反応が違うわー! 駆の野郎に見せてやりたかったぜ」

「ひどいですっ! あんまりです! 言わないで欲しかったです!」

「……っと、すまんすまん。そろそろ目的地に到着するぜ」

 雄大はクーラーの下に設置されていた無線子機を取り出す。

「こちらスラッシュ・スリー。スラッシュ・セブン、聞こえているな」

『こちらスラッシュ・セブン。どうかしました?』

「目的地が近い。バトルコードの設定は完了しているか?」

『とっくに終わってます。日下部さんのQPドライバーも』

「よし。スラッシュシックスよりスラッシュ・ワンへ。十秒後に停車する」

『了解』

 将星と芳一に最低限の確認と指示を下し、雄大はゆっくりとブレーキを踏んだ。


 突入班である将星、花香、芳一の三人は既にスタート地点に着き、雄大は主力捜査官の一部隊と合流して身を潜める算段となっている。

 頭の中で作戦内容を反芻しつつ、将星は無線で本部の長官に連絡を取る。

「こちらスラッシュ・セブン。指定されたポイントに到着しました。いつでもいけます」

『こちらスラッシュ・ゼロ。これより現場の指示はスラッシュ・ワンに一任します。非常時の際はこちらでサポートを徹底しますが、基本的にはあなた達の判断にお任せします。もし対象の破壊に失敗したとしても――』

「必ず生きて帰ります」

『よろしい。死ぬ気で生きて帰りなさい。では』

 由香里は一旦間を開け、

『作戦開始!』

 突入班の三人が、芳一を先頭にしてコンテナの陰から躍り出る。まるで街路のような道を作るコンテナ群を沿うように夜闇の下を駆け抜け、逐一人の気配を気にして、物音に気をつけながら着実に標的に向かって歩を進めていく。

『こちらスラッシュ・シックス』

 文彦からの通信が入る。

『標的まであと一五○メートル。たったいま、スラッシュ・スリーが狙撃ポジションについた。でもさっき長官が言った通り、フィールドの関係上、援護射撃はあまり期待できない』

「まだ誰にも見つかってはいない。それに遮蔽物を活かせる手駒なら揃っている」

 芳一が応答しつつ、将星を後ろ目に見遣った。

「いざとなったら物陰から<バブルブリンガー>で焼け野原にする」

『ほ、他のコンテナも壊すんですかっ?』

「必要とあらば、な。あと何メートルだ」

『あと七○。そろそろ肉眼でも見える筈』

「あれだな」

 将星達はここら一帯に鎮座していたコンテナ群よりも、ひときわ大きな一個のコンテナを確認して立ち止まった。横に長い長方形で、長辺は大体八メートル弱といったところか。そんな代物が、船からの積み下ろしが終わったばかりなのか、海沿いのコンテナ置き場に放置されていた。

 これを運んできたと思しき船の姿は見えない。もう中国本土に帰ったのだろうか。

「この中に例のデカブツが?」

『衛星のセンサーによると爆発物の危険性は無い。内容物にQPドライバー専用の大容量コンデンサが積まれているから間違い無い。それを破壊するんだ』

「了解。いくぞ、セイラン。マテリアライザー、オン!」

「ういー」

 QPドライバーのバトルモードを作動させ、先端から水色の刃が伸び、剣脊の肉抜き穴に薄い虹色の膜が張られる。

 膜に息を吹きかけ、おびただしい量のシャボン玉を飛ばす。破壊対象が巨大なのもあって、大気中に浮かすシャボン玉の数はいつもの五割増しだ。

 いつの間にか、将星の背後で花香がステッキ型のQPドライバーから薄い桃色の<シールド>を展開していた。ご機嫌ナナメでも自分の仕事をしてくれるあたりはさすがだと思う。

 シャボン玉がゆらゆら舞い、その全てがコンテナの頭上を支配する。

「ファイア!」

 発射の合図と共に、青い三粒の光を含んだシャボン玉が半数ほど炸裂。青い弾丸の雨が降り注ぐ。コンテナの天蓋を<バースト>で破壊したのを見届け、残り半数のシャボン玉も炸裂させる。

 次に撃ちだしたのは<ランス>だ。ピアノ線のように細い光の筋が無数に降り注ぎ、いましがた空けた大穴を通ってコンテナの中に降りしきる。

 コンテナ越しに爽快な金属音と、鈍い倒壊の音色が轟いた。

「……こちらスラッシュ・セブン。対象のコンテナの中身を攻撃した」

『コンデンサの反応は消――いや、待って!』

 文彦が突然声色を変えて叫んだ。

『六時の方向に識別不能のQP反応アリ! しかも、かなり大きい!』

「何だと!?」

 将星が怒鳴った、その直後だった。

 三人の後方、さっきまで人気の無かったコンテナ群のあたりから、一体の巨大な影が豪胆な勢いで起き上がった。

 招き猫だ。小判を片手に抱えた超巨大な招き猫が、真っ黒に塗りつぶされた瞳でこちらを見下ろしていた。

「……おい、こいつはどういう事だ」

『現場の全捜査官へ緊急伝達!』

 由香里が切羽詰まったように怒鳴った。

『みんな、早く逃げて! 少しでも遠くへ! 早く!』

「どういう事っすか!」

『取引自体が偽情報だったのよ! いま破壊したコンテナに入っていたのはQPドライバーのコンデンサだけ! 奴らの真の目的は――』

『複数のQP反応を検知!』

 由香里の指令に割り込み、文彦もほとんどパニックになって叫ぶ。

『十、三十、四十――五十!? 五十近いQPドライバーの反応が突入班を取り囲んでいる!』

「話は後だ。とりあえず隠れるぞ!」

 こうして話し込んでいる間にも、コンテナの物陰から銃火器を持った黒スーツの男達が銃口を遠くからこちらへと突き出していた。

「くそっ……<シールド>!」

 将星は<ブレード>を消し、代わりにQPドライバーを中心とした水色のエネルギーシールドを展開させ、花香と身を寄せ合って芳一を護るような形で盾を構え、互いの体がぶつかり合わないように気をくばりながら横へとずれる。

 放たれた敵からの銃弾がシールドに弾かれる。次々に地面を転がっていく弾頭を見遣り、将星の目は大きく見開かれた。

「あの銃にこの弾頭――奴ら、本物の銃火器を!」

「マイクロウージーにカラシニコフか。一丁前に良い銃揃えやがって」

 芳一が毒づいている間にも、三人は何とか安全なコンテナの物陰に身を潜めた。将星と花香は一旦<シールド>を引っ込め、荒れていた呼吸を整えてからそれぞれ長官に無線を繋いだ。

「ったく、次から次へと一体何なんだよ! 偽情報って何の話だ!」

「長官、いますぐ説明を――」

 花香が問い質そうとすると、遠雷のような爆発音が轟いた。

 三人が少しだけ身を竦めると、将星がやや引きつり気味に訊ねた。

「スラッシュ・ゼロ……いまの爆発は?」

『埠頭の外周に控えていた主力捜査官のパトカーがやられた! あの招き猫、強力なレーザーキャノンを装備してる!』

「ていうか、一から全部説明してくれ!」

『タレコミ屋の仕業だ!』

 文彦が逆上して答える。

『衛星からの反応はともかく、取引自体の情報はQP/の本部が頻繁に使ってる外部の情報屋から仕入れてきたものだ。毎月あれだけの金を握らせているのにあっさりと裏切りやがって……』

「つまりその情報屋は例のヤクザか中国マフィアのどっちかに金で買われ、大型QPドライバーの存在を餌に俺達をここへおびき寄せたって訳か」

 将星の理解は全く追いつかないが、芳一だけは何かしらを理解したらしい。

「つまりマフィア達の目的は、俺達上級捜査官の殲滅」

「え? 俺達、殺される為にここに呼ばれたんすか!?」

 将星は驚きで開いた口が塞がらず、花香に至っては絶句していた。

 そして、将星はいま話していた内容をじっくり反芻し――全てを、理解した。

「おかしいと思っておくべきだったんだ……あんまりにもすんなりと標的まで迫れたと思ったら、俺達を確実に仕留める為にわざと……!」

『そんな事より早く離脱して! すぐ傍まで敵が!』

「だったら!」

 将星はもう一回、<ブレード>の肉抜き穴に息を吹きかけ、大量のシャボン玉を射出して頭上に浮かせる。

 遠目に黒スーツの男達が見え始めたあたりでシャボン玉を破裂させ、内包されていた<バースト>の弾丸を地面に撃ち込む。着弾時に爆炎が巻き起こり、これでお互いの視界が一気に遮られた。

「二人共、いまのうちに離脱するぞ!」

「今日は災難が続きそうだな」

「もう嫌ぁ!」


   【Bパート】


 大型モニターに映されたアオミ埠頭の全体的なマップの上で、敵性勢力を示す赤いビーコンが天の川のように輝いている。上級捜査官を示す青色のビーコンは、マップ上だと四つ。うち三つは固まって逃げる突撃班、残り一つは指定された狙撃ポジションから直接将星達の救援に向かっている雄大のものだ。

 突撃班は現在、海側を沿うように横へ横へと走り続けている。赤いビーコンの群れも、真っ直ぐ彼らの後を追うべく速力を上げている。

 これらの様子を眺め、由香里はこめかみからつつと一筋の汗を垂らす。

「経費をケチったバチが当たったわね……もう外部の情報屋なんて二度と使ってたまるもんですか!」

「そんな事を言ってる場合じゃないですよ!」

 モニター全体の管制を担当していた文彦が悲鳴を上げる。

「このままだと海側に追い込まれた突撃班がじりじり追い詰められて、逃げ場を無くして一網打尽に……! 早く主力捜査官の増援を!」

「駄目。あの招き猫をどうにかしない事には、近づきたくても近づけやしない!」

 アオミ埠頭の真ん中で一際大きく灯っているのが、件の超巨大招き猫型QPドライバーだ。監視衛星のセンサーは港にも網を張っているので、こんなデカブツがいるなら普通は見逃しようが無いのだが――

「……待てよ?」

 由香里はふと、ある事に思い至った。

「さっき生島君が壊したコンテナの中に入っていたのがコンデンサーだけだったとしたら、あの猫って本当は……」

 衛星が探知するのはコンデンサーの反応のみ。現にいま大暴れしているあの猫にもビーコンは灯っている。でも、QPドライバーを起動しなくても衛星はコンデンサの電力を宇宙から探知する。

 では、あの猫はいつからあんな場所にいた? 最初の段階からそれが分かっていれば、こちらは別の作戦を組み立てられていた筈なのに。

「あのデカブツの反応を偽装した……? だとしたら、背後に凄腕のクラッカーが?」

 由香里の脳裏には、そんな芸当が可能な技術者の顔が三人は浮かんでいた。一人はウィザード級のハッカーである文彦、二人目はエキスパート級の花香。

 最後の一人は、もしかして――

「長官。主力捜査官の指揮を担当していた部隊長が、全主力捜査官に避難命令を下しました。あの猫、さっきから主力捜査官がいる方向ばかりを狙って砲撃している!」

「主力捜査官に死傷者は?」

「いまのところゼロです。でも、これで主力捜査官からの増援が望めなくなりました」

「…………」

 あの猫はいままで一度たりとも将星達を狙っていない。もっと言えば、あの場から一歩たりとも動いていない。

 ますますもって怪しい。あの猫が本当にQPドライバーなら、あの一体だけで周辺にいた全てのQP/の人員を木端微塵にしてやれた筈なのに。

「……こちらスラッシュ・ゼロ。突撃班、聞こえる?」

『こちらスラッシュ・セブン。聞きたくないけど聞こえまーす』

 あからさまに疲れ切った声で応じたのは将星だった。

「スラッシュ・セブン。あなた、敵が使っていた武器が何か分かる?」

『え? ああ……たしかスラッシュ・ワンがウジ金時やらカラシ大根だか……』

『マイクロウージーとカラシニコフだ』

 芳一の渋いツッコミのおかげで、ようやく由香里の中で配線が繋がった。

「突撃班各員へ、よく聞いて。相手はヤクザやらマフィアとか、そんな次元の相手じゃない。もっとヤバい連中かもしれない」

『はあ?』

「全員、おそらくは元・軍人よ。どういう事情なのかは知らないけど、さっきからこちらの戦力を逆手に取るような動きが目立ってる。いま私が見ているマップには敵性勢力の位置を示すビーコンが灯ってるけど、あれはおそらくただQPドライバーを起動しているだけで、マテリアライザーまでは使っていない」

『それが何だって言うんだ! そんな情報だけじゃどうしようも――ええい、クソ! また来やがった!』

 室内のスピーカー越しから、またもや断続的な銃声や爆発音が轟いた。改めてビーコンを確認してみると、突撃班はさらに埠頭の端へと逃げ、敵側のビーコンはじりじりと彼らとの距離を着実に詰めている。

 このままだとあの三人が港の瀬戸際で袋の鼠だ。

 しかし、この動きは目に見えて不自然だ。

「やっぱり……誰か、このマップ自体を外部から覗き見している奴がいるわね」

「覗き見?」

 文彦がぴくりと反応する。

「ええ。おそらくこのモニタールームはいま、ハッキングを受けている」

「根拠は?」

「敵の動きに迷いが無さすぎる。まるで、後出しじゃんけんをされているみたい」

 相手は明らかにこちらの動きをカンニングしている。現場の将星達からすればうすうす感づいている程度の認識だが、俯瞰視点で戦況を眺めている由香里にはそれとなく理解出来る。

 あからさまに先回りをするような動きはしていないものの、突撃班と併走するように移動しているビーコンもあれば、完全に逃げる先が分かっているかのように後ろから追っているビーコンも存在する。

「こうなったら、賭けに出るしかないわね」

 由香里は呟き、文彦にいくつかの指示を耳打ちする。

 全てを悟った文彦が、細い目を丸くした。

「そんな事をしたら、こちらからの指示が!」

「この状況を打破するにはそれしかないでしょ。あなたには自分の仕事に徹してもらうわ。大丈夫。私はいま、最強の切り札を握ってる」

「……了解」

 こちらの意図を汲み取ったのか、文彦はすぐにモニタールームを飛び出した。

 ――さて、あとはこちらの仕事だ。

「突撃班各位へ。これよりモニタールームの電源を全てダウンさせます」

『え? いま何て――』

「ここから先はあなた達の自由な発想が試されるわ。それじゃ、また後で!」

 由香里は容赦無く交信を終了すると、中央のコンソールに埋め込まれていた黒い大きなスイッチを思いっきり拳で殴りつけた。

 すると、モニタールーム内の電気という電気が、全て強制的にシャットダウンされる。

 真っ暗になった部屋の真ん中で一人佇み、由香里は小さく呟いた。

「……あとは頼むわよ、みんな」



「何考えてんだ、あのクソババァ!」

 将星は怒りのあまり、地団太を踏んで叫び散らした。

「これじゃあ孤立無援も良いトコだろ!」

「さすがにこればかりは私も理解しかねます」

 花香も憔悴しきったような顔でぼやく。

「最初から奔放な人だと分かってはいたのですが、まさかここまでとは」

「いや待て。冷静に考えてみろ」

 この状況の中、芳一だけは我を見失わなかった。

「さっき長官は俺達の自由な発想を試すと言った。ならばその通りにするまでだ」

「この状況で発想って……」

「ユーモアは思考を柔軟にする。小生意気にも、俺や花香が音無の奴からよく言われていた台詞だよ」

「ユーモア……」

 将星はその言葉を繰り返し、ようやく元の思考力を取り戻した。

 由香里が何を思ってあんな行動に出たのかは知らない。ただ、彼女から得られた情報には何かしらの意味があると考えるのが建設的だ。

 相手は元・軍人。本物の銃しか使わない。

 QPドライバーのマテリアライザーは? 違法だが、リミッターを外して使えば、少なくともそんなアンティークに頼る必要なんて無かったのに。

 必要? 必要って何だ? 相手にとって、これは必要のある戦術だったのか?

 さっきからじりじり追い詰められているのも、考えてみれば変な話だ。何で連中はこちらの位置を的確に捉えて追っている?

 そもそも、さっきから何で敵の気配が無いんだ?

「……さっきから人の気配や足音がしない。敵が俺達の追跡を諦めた?」

「言われてみれば……」

「たしかに」

 芳一がいま一度周囲をぐるりと見渡した。

「誰も追ってきている様子が無い」

「これはチャンスかもしれない」

 将星が呟いた。

「長官がこっちとの交信を断絶した途端に爆撃音が止んでいる。あの招き猫が射撃を止めたんだ」

 並んだり二段積みにされていたりするコンテナが視界の邪魔になって確認できないが、あの招き猫のいる方角からはもう物音一つすら聞こえない。

 周囲もさっきと段違いに静かだ。何かしら、状況に大きな変化が生じた証拠だ。

「敵が攻めあぐねている。俺達をまともに追跡する手段を失ったか、迂闊に近づいたら<バブルブリンガー>の餌食になると判断したからだ」

「それって、誰かが私達の位置や武装の情報をリークしてるって事じゃ……」

「なるほど。だったら俺達のすべき事はこれで決まったな」

 芳一が立ち上がり、腰の鞘に納めていた日本刀型のQPドライバーを抜き放った。

「奴さんの狙いがよく分かった。いくぞ、二人共」


 人は俺をVGと呼ぶ。というか、俺がそう周囲に呼ばせている。

 普段はしがない情報屋だ。主婦感覚でケチな小遣いしか寄越さないQP/の長官に愛想を尽かし、羽振りが良さそうな国際犯からそう悪くない前金を受け取っているだけの、ちょっと運が良いだけの情報屋だ。

 だから俺は軍人共の依頼で、真っ赤なガセネタをQP/にタレこんだ。中国本土から超巨大QPドライバーが領海侵犯を恐れずに運ばれてくるという情報を。日本のヤクザと中国マフィアの間で、そのQPドライバーの大型取引があるという情報を。

 QP/の連中はまんまと情報という撒き餌に食いついた。

 俺が仕込んだ毒の味に、奴らはいまごろ気付いたのだ。

『こちらアルファ分隊。こちらが使用している端末がフリーズした。一旦電源を切るので、情報の再送信を頼む』

「あいよ」

 俺は気軽に応じ、いま膝の上に置かれているノートパソコンに表示されている地図の画面を軍人連中が持っている端末に送信する。

「しかし、奴らはいつ気付くのかね。俺がQP/本部のメインモニターとこのパソコンの画面を同期させてから何分経ってる?」

 あまりにも気分が良かったので口に出してしまったが、いまVGが引きこもっているこの場所には盗聴器を仕掛けられている形跡は無い。というか、普通に仕掛ける事すら不可能だ。

 マップ上で突撃班が今後進むと思われる方向が矢印で表示される。QP/の長官が逃走ルートを指示しているのだ。

「こちらVG。各分隊に通達。本部の指揮官が新たに突撃班の逃走経路を指定した」

『こちらの端末でも見えている』

 アルファ分隊の隊長が答えると、ノートパソコンに灯っているいくつかの赤いビーコンが、突撃班を示す青いビーコンと併走するように動いている。

 そう。俺はいま、QP/の長官が見ているのと全く同じ画面を覗き見ている。長官のクソババァは画面上に座標を入力して上級捜査官に移動先を指定しているので、突撃班の連中がどう動こうが、俺の手勢はそれを基準に必ず先回りしてくれる。

 つまり、これは後出しジャンケンだ。

 相手が次に打つ一手も、こちらの駒の動きも、俺は全てを掌握している。

「さながら神にでもなった気分――ん?」

 異変が起こったのは、この時点からだ。

 どういう訳か、いきなりノートパソコンの画面が真っ黒に塗りつぶされたのだ。

「……はっ!? ちょ、こんな時にバッテリー切れかよ!」

 こんな肝心な時に、なんてこった。

 だが、俺がとりあえず適当にキーボードやマウスを弄っていると、起動時には必ず目にしているデスクトップ画面が現れる。どうやら電源が復旧したらしい。

「……たく、ヒヤヒヤさせやがって」

『こちらブラボー分隊。端末のマップが消えている』

「わーってるよ。いま再送信すっから――」

 急いで全分隊に向けて地図の画面を再送信しなければならないが、その為にはまず、再びQP/本部のメインモニターに接続する必要がある。俺は急ピッチでキーボードを叩いた。

 だが、いくらコマンドを入力しても、ハッキング対象であるモニタールームはこちらのアクセスを受け付けないのだ。

「おいおいおいおい、一体どうなってんだ?」

 何度もトライしてみるが、その度にアクセスエラーの表示が現れる。

 仕方なく、少しの間だけ、詳細な原因を調べてみる。

 全てを知った俺は、一瞬だけ頭が真っ白になった。

「……嘘だろ、おい」

 しばらく茫然とするが、俺は自制心を総動員し、作戦行動中の全ての分隊に呼びかけた。

「こちらVG。まずい、ハッキングに気付かれた。あのクソババァ、モニタールームの主電源を丸ごと全部落としやがった!」

 にわか信じがたいが、これならたしかに俺のパソコンはマップの同期が不可能となる。そもそも相手のモニターに電源が入っていないのでは話にならない。

 なんてこった。一体何で気付かれた? あそこの情報担当官が何か対抗策でも講じたか? いや、そんな様子は一度たりとも見せなかった。だとしたらメインモニターを観測していたババァ本人が気付いたとでも?

「とにかく全員退却だ! 上級捜査官の中に高火力QPが二体――」

 作戦を放棄しようと決断した瞬間だった。

 俺がいるこの場所が、突然大きく揺れ始めたのだ。


 何も無い夜の空から、流星群のような青い光の弾丸が降り注いだ。<バブルブリンガー>より解き放たれた高火力のレーザーが、雑多に立ち並ぶコンテナ群を、その隙間たる通路を、そしてアオミ埠頭の中央に鎮座していた超巨大招き猫を焼き払い、アオミ埠頭一帯は一瞬にして火の海と化したのだ。

「こちらスラッシュ・セブン。スラッシュ・スリー、様子はどうですか?」

『こちらスラッシュ・スリー。招き猫が火だるまになって崩れていく。やっぱりレーザービームをぶちかますだけの固定砲台だったな。QPドライバーの反応も出てるが、単にコンデンサを腹の中にでも隠し持ってるだけだろ』

「そっちから敵の姿は見えますか?」

『何人かがお前達のもとへ向かってる。だが、全体の半分近くは爆炎に巻き込まれたな。後はお前達三人で無力化できんだろ。ちなみに俺はいま三段積みにされたコンテナの上を陣取ってる』

「敵が射線に飛び出したらすぐに発砲してください。そしたらすぐに別の狙撃ポジションを確保して、こちらが指示するまで待機していてください。相手の牽制がスラッシュ・スリーの仕事です」

『あいよ。じゃ、反撃開始だ!』

 意気込んでから雄大が通信を切った。

 将星は既にQPドライバーを発動していた芳一と花香をそれぞれ見遣った。

 芳一と花香のQPドライバーは、QP/が上級捜査官の為だけに作り上げた一点ものだ。芳一は剣の達人だけあって日本刀型、花香は先端に白いアヤメの花をあしらったステッキ型を所有している。

 将星は花香がもう片方の手に握っていた銃型のQPドライバーを見て言った。

「空井さんの射撃技術は?」

「雄大に続いてトップクラスだ」

「そりゃ頼もしいですわ」

 下手なおべっかを使わない芳一が言うのだから、まず間違い無いだろう。

「敵がこちらに接近していますが、俺と空井さんは基本的にここからは動きません。長官からの指示が受けられない以上は下手に動けない。迎撃に徹しましょう」

「ようやく調子を取り戻したな」

 芳一が仏頂面でからかってくる。

「俺は単独でちくちく相手の数を減らせば良いんだったな。<バブルブリンガー>で絨毯爆撃をする時は言ってくれ。巻き込まれたらさすがに敵わん」

「了解」

 将星は頷き、短く、鋭く告げる。

「そんじゃ――作戦開始!」

 その合図と共に芳一が将星と花香の傍から離れ、コンテナの陰へと走り込んだ。あとはこちら次第だ。

「セイラン。付近のQPドライバーの反応は?」

「将星と花香ちゃん以外のQPドライバーは電源を切ってるー」

「まあ、そうせざるを得ないわな」

 長官がモニタールームへの電力供給を全てカットしたのは、敵味方の識別信号がビーコンとして表示されたメインモニターを覗き見する敵側のハッカーに対する妨害だ。おそらくいま相手にしている軍人共はそのハッカーをブレーンとして行動しているのだろうが、QPドライバーのビーコンでその指揮官に部隊の位置を教えてやれなくなったいま、わざわざ現場の軍人共がQPドライバーの電源を入れる意義は薄い。

 だが、これで相手とこちらの条件はようやくイーブンだ。

「俺達の戦い方を見せてやる。空井さん」

「はい」

 花香がステッキ型のQPドライバーを振り、先端から白いアヤメの花弁を振り撒いた。静かな潮風に揺られる花弁は、徐々に中空で寄り集まり、真ん中で綺麗な輪っかを描く真っ白なフラワーリースへと変貌を遂げる。

 将星が<ブレード>の肉抜き穴に息を吹きかけ、白いフラワーリースをくぐらせるようにしてシャボン玉を飛ばす。

 輪を通り抜けたシャボン玉が、大気中ですぅっと姿を消した。

 これは花香が設定しているオプションコードの一つ、<インビジブル>だ。これのおかげで、さっきは軍の連中どころか招き猫の操縦者にも感づかれずに絨毯爆撃を成功させられたのだ。

「こちらスラッシュ・セブン。スラッシュ・ワン、もう一回仕掛けます」

『よし。やれ』

「三、二、一――ファイア!」

 虚空であった筈の夜闇から、青いレーザー光線が雨のように降り注ぎ、火の海となっていた戦場をさらに苛烈なオレンジに彩った。

 何人かの足音が近くで聞こえる。さすが軍人と言ったところか、音の間隔は均一だ。

「さすがにバレたか。空井さん、頼む」

「はい」

 花香が頷いたと同時に、付近の地面やコンテナの一部に火花が散った。何十メートルか先から、敵が隊列を組んで牽制射撃を仕掛けているのだ。

 物陰から花香が、銃型のQPドライバーだけを覗かせ、三発発砲。

「ちょっとだけ行ってきます」

 花香がコンテナの陰から身を躍らせて発砲。敵が小脇に抱えていた銃器をいくつかスクラップにすると、相手の発砲と同時に飛び、将星の足元に転がり込んできた。

「駄目ですね。私の姿を見て発砲を止めるかとも思ったんですが」

「ぐぉあ!」

 予想外の悲鳴が上がったので顔を出してみれば、別行動中だった芳一が鬼気迫る形相で日本刀を振りかざし、敵勢の全てを容赦なく切り捨てているのが見えた。

 たった数秒。一分にも満たない間に、芳一は十人近い武装集団の隊列を接近戦だけで葬り去ってしまった。

「……文字通りの秒殺かよ」

「日下部さん、危ない!」

 地面に転がる敵を見下ろしていた芳一の頭上、コンテナの上に乗った迷彩服に黒マスクの男が、AKライフルの銃口を彼に突き付けているのが見えた

 だが、その男はこめかみから血飛沫を上げると、武器を手離してコンテナから力なく転落する。

 一瞬何事かと思ったが、何て事は無い、いまのは雄大のライフル型QPドライバーによる長距離狙撃だ。

「ようやく出番が回って来たな」

『うるせーやい。こんな地形じゃなきゃもっと活躍の場があったっての』

 芳一と雄大のやり取りは渋さと若さが入り混じり、妙な風合いを醸し出していた。

 あたり一帯から銃声が途絶える。周辺に敵の気配や影は無い。いまやアオミ埠頭を賑わしているのは、周辺で豪快に燃え盛ってるオレンジ色の炎が爆ぜる音だけだ。

「これでチェックメイトです。俺達の仕事は終わりました」

『まだ敵の撤退が確認出来ない。下手には動けねぇぞ』

「いえ、もう終わりです。もうあの招き猫はスクラップです」

 将星は別の回線から通信を入れる。

「スラッシュ・セブンより主力捜査官各位へ。あの招き猫は無力化した。俺達を襲撃していた謎の武装勢力も這う這うの体です。捕獲と消化作業をお願いします」

 ここから先は主力捜査官達のお手並み拝見と行こうではないか。

事件収束後の事後処理こそ、彼らの腕の見せ所だ。


   ●


 招き猫型巨大ロボットのコックピットから抜け出したVGは、黒い煤と火傷まみれの体を引きずって付近の大通りになんとか辿り着いた。

 まさか、本部側がこちらのハッキングに感づいただけでなく、孤立無援となった上級捜査官達までその無茶苦茶な戦術に対応して軍人共と招き猫を排除しにくるとは思わなかった。

 ただのケチな連中かと思って見切りをつけたのは早計だったか。

 QP/は強い。改めて、VGは彼らの実力に舌を巻いた。

「よう、裏切り者の腐れクラッカー君」

 重たい体を引きずって歩くVGの前に、灰色のロングコートを纏う禿頭と髭面の巨漢がそびえ立った。

 彼はQP/の主力捜査官。その中でもトップにあたる役職の人間だろう。

「主力捜査官総括責任者の田辺だ。情報漏洩とクラッキングの容疑で、VG、貴様を逮捕する。本部までご同行願おうか。あの招き猫が何なのかを聞く必要もある」

「……誰が、教えるかよ!」


 田辺の前で、VGは銀歯に仕込んであった毒袋を噛み砕いて自害した。目の前に横たわる彼の死体を憐れみの視線で見下ろし、背後で控えていた部下にその亡骸を回収するように命令する。

 ややあって、田辺は低い声で独り言を呟いた。

「裏切り者の末路としては上等だが、いずれにせよ哀れな男だ」

 VGが何の理由でこちらを裏切ったのかは知らない。突撃班を襲撃した武装勢力や、こちらにばかり砲撃を繰り返していた招き猫の正体は後で調べるとして、彼自身の事情は彼自身の口からしか聞き出せない。

 ただ、自害したという事は、それなりの理由があったからに違いない。

 となると、この事件の黒幕――VGを操っていた何者かが、確実に存在する。

「……こちら田辺。主力捜査官各員へ告げる」

 だが、まずは目先の問題を対処するのが先だ。後の事は追々考えるとしよう。

「よく聞け野郎共! 武装勢力の指揮官はひっ捕らえた。後は、我らがMy Angel、空井花香捜査官以下数名に銃口を向けたクズ共を便所に引きずり込んで肥溜めに叩き込んでやるだけだ! 分かったか!」

 田辺の無線によって、アオミ埠頭の方角から地響きや遠雷の如き咆哮が轟いた。いまの発破で、主力捜査官達の士気が大幅に向上したのだ。

 さらに田辺は部下から受け取った拡声器のラッパ口をアオミ埠頭の方向に向けた。

「それから聞こえているか、武装勢力のクズ共ォ! 貴様らは既に包囲されている。諦めて投降しろとは言わん。むしろ逃げ惑ってくれて構わない。だが、便所に隠れても見つけ出して息の根を止めてやるから覚悟しやがれ! 以上!」

 怒鳴るだけ怒鳴り散らしておいて、田辺は仕事を終えて手持ち無沙汰にしていた連絡員達を呼びつけた。

「お前、ちょっとこれ持ってろ」

 田辺は財布から一万円札を取り出して連絡員に手渡すと、普通の電話回線でとある番号に発信する。

 ややあって、目的の人物が応答する。

『もしもし、田辺さん?』

「花香ちゃん。何か食べたいものはあるかね? 緊張が解けたらお腹が減っただろう。今日は私のおごりだ。近くのコンビニで何か買ってこよう」

『じゃ……じゃあ、その……突撃班の皆さんの分も』

「もちろん。さあ、言ってごらんなさい」

 通話をハンズフリーに切り替え、花香の声が周囲に拡散される。一万円を持っていた連絡員が花香の要求をそれぞれメモに書き取り終えるや、田辺は電話を切り、いつも通りの調子に戻って命令する。

「車ならすぐだ。行ってこい」

「田辺さんは花香ちゃんには甘いんすね」

「古い主力捜査官からすれば娘同然だろ。お前らもその金で何か食って来い。手間賃の代わりだ」

「ありがとうございます。では、行ってきます」

 お遣いの連絡員が車を発進させると、田辺は現場の人間に無線を繋いだ。

「回収班。そっちはどうだ?」

『発見した武装勢力の連中は全員投降を訴えてます。中には重傷を負ってる者も見受けられますが、消防車と救急車の到着はあとどれくらいで?』

「もうすぐだ。重傷者から先に現場から遠ざけろ。レスキュー隊が来た時点でお前らはその場から撤退し、別命あるまで俺の近くで待機だ」

『田辺さん、こちら誘導班。上級捜査官の避難誘導が無事完了しました。全員無事です。一人も怪我を負っていないのが不思議なくらいです』

「ご苦労だった。俺がいる場所まで彼らを誘導しろ。夜食が待っている」

『この近くにコンビニなんてありましたっけ?』

「海運業の作業員の為にこの近くには何件かあるんだよ」

 ここからの流れは非常にスムーズだった。生島将星の絨毯爆撃によって重傷を負わされた武装勢力の何人かをレスキュー隊員が救助し、日下部芳一や小坂雄大によって殺害された連中の回収も済ませ、重傷人から先に救急車に乗せていき、消防隊による鎮火作業もスマートに完了した。

 一通りの始末をつけた後、田辺は最後の作業の指示を下した。

「次はあのにっくき招き猫の回収作業だ。QPドライバーの巨大コンデンサーが入ってると思しきコンテナの中もチェックしろ。既に搬送用のトラックは手配してある。大変な作業になるだろうが、最後までよろしく頼んだ」

 これで田辺に残された仕事は事務処理だけとなった。

 少しして、買い物を頼んでいた連絡員が帰ってくる。

「田辺さん、上級捜査官の人達は?」

「もうじき帰ってくる。ご苦労だったな」

「いいえ、お安いものです。それから、これを」

 連絡員は田辺にセブンスターのソフトパックを差し出した。

「さっき、もう切らしていたと聞いたものですから」

「そうか。お前も一本どうだ?」

「妻と子が禁煙しろとうるさくて……」

「そいつは失敬」

 軽く謝り、田辺はセブンスターの一本を加えて先端に火を付ける。

 思いっきり吸い込んだ煙で肺を満たし、そして吐き出すと、

「お、戻ってきた」

 視線の遠くから、疲れ切った様子でこちらに歩いてくる青い制服姿の連中が四人。その中には当然、QP/の創設メンバーの一人にして、QP/のアイドル、空井花香捜査官の姿もある。

「いつ見ても癒されますねぇ、空井捜査官は」

「だろ?」

 田辺は年甲斐も無くにやけると、携帯灰皿にたばこの先端を押しつけて火をもみ消した。


「死ぬかと思いましたよ。いや、マジで」

『ごっめーん! 今度何か奢るから許してー!』

 電話口の向こうから由香里の謝罪が聞こえる。こうしていると、新米捜査官と歴戦の上官との立場が逆転しているようで妙な気分になる。

 将星は鼻を鳴らして言った。

「何も奢らなくて良いです。その代わりと言ってはなんですが、明日僕の家の引っ越し作業を手伝っていただけますか? 最近何かと時間が取れなくて、昨晩終わらせる予定だった食器の梱包も終わってないんです」

 大体は慎之介の彼女のせいだが、今夜だって本当は夜通しで引っ越しの準備に勤しんでいる筈だったのだ。さすがの将星も、こればかりは泣き言を吐きたくなる。

『家の片付けどころか新しい部屋への荷物運びもやったげる!』

「え? いいんですか?」

『もちろん! 生島君にはこれからバリバリ働いてもらうんだから』

「ありがとうございます。では、また後ほど」

 通話を切った後、「この後絶対他の捜査官達からも怒られるんだろうなー、あの人は」などと心の中でしんみりと呟いてみる。

「生島さん」

 横から花香が話しかけてきた。

「? どうかした?」

「……ごめんなさいっ」

「は?」

 何故か、突然頭を下げられた。意味が分からない。

「空井さん?」

「この前はあんな事を言っちゃって、本当にごめんなさい!」

 あんな事――ああ、ラパウザーマンの留守録の件か。

「私は生島さんをただのド変態だと思って軽蔑しちゃって……」

 ド変態なのは認めよう。

「でも、今回の件で確信しました。あなたは優秀な捜査官です。さっきだって、私のアイリスの特性をフルに活かした攻撃方法は見事でした。まるで初めて会った時、宇田川さんにアドバイスをしたみたいに」

「褒めすぎじゃないかな……?」

 あれは単に、星乃が天才だったから成し得た作戦だ。あれを自分の手柄だなんて言う気は無い。

 ただ、花香の意見は違ったようだ。

「生島さんにはあらゆる力を引き出す才能があります。まるで足りないもの同士を埋め合わせるかのような……とにかく、本当に凄かったです!」

「君が言うんなら……そうなんだろうな」

 将星は本心から述べると、花香の肩の後ろに隠れていた白い花弁を纏う妖精型QP・アイリスを見遣った。

「アイリスは恥ずかしがり屋さんだけど、もっと自分に自信を持って良いと思うんだ。俺がその人やQPの力を引き出せるっていうんなら、今回で言えば全てアイリスのおかげだ。ありがとうな、アイリス」

「…………」

 アイリスは素直に礼を言われたおかげか、少しずつ花香の肩から頭を出し、ややあって全身を出して浮遊すると、ふわふわと将星の傍に寄ってきた。

 将星がアイリスの頭を指の腹で撫でると、彼女は少しくすぐったそうに身をよじった。でも、嫌そうにしている様子は無い。

 花香が驚きで目を丸くする。

「普段は私以外には全然なつかないのに……」

「少しは俺に心を開いたって事かな。なあ、セイラン」

「アイリスかわいい~」

 セイランが頬を赤く染めると、スティックから大きなシャボン玉を飛ばしてアイリスの下に敷く。アイリスはシャボン玉の上に腰を落ち着けると、何処か安らいだ様子でセイランに向かって微笑んだ。

 どうやら、マッチングリンクとは違う形で、QP同士で打ち解けたらしい。

「そういや空井さん。さっきからずっと気になってたんだけど、君がさっきまでずっと使ってた銃型QPドライバー、もしかして音無さんの専用機だった奴じゃ……」

「ああ、これですか」

 花香が腰のホルスターから、年季の入った銃型QPドライバーを抜き出した。

「そうです。駆さんはありとあらゆる種類のQPドライバーを使いこなす稀有な才能の持ち主でしたが、一番よく使っていたのがこの銃なんです」

「あの人の形見か。ずっと大事に持ってたんだな」

「ええ」

 花香は銃型QPドライバーを胸にかき抱いた。

「いまや私の宝物です」

「……そっか」

 本当は自分が持っていたかった――なんて、口が裂けても言えないか。

「たしかに、君が持っていれば音無さんも喜ぶと思う」

「本当は欲しかったんじゃないんですか?」

 花香が少しからかうように言った。なるほど、見抜かれたか。

「……あの人の形見なら俺も持ってる」

 将星はアイリスとシャボン玉で遊んでいたセイランに目を遣った。

「ヒスイの遺伝子はセイランに引き継がれた」

「そうでしたね」

 いま思えば、自分と花香は表面上でこそ全く別の存在だが、根っこのところではきっと同じだったのだろう。

 いまの自分の人生に大きな影響を与えた人物の面影に、強く支えられている。

「さ、俺達も帰ろう」

「いーくーしーまーくーん」

 将星の背後から気配どころか音もなく、禿頭の巨漢がぬっと現れた。

「ぎょっ!? あなたはたしか――」

「ちょっとこっちへ来てもらおうか?」

 晴れやかな笑顔に怪しげな影を落として、田辺は花香から数メートル離れた位置に将星を引き込んだ。

 田辺は小脇に抱えた将星に低い声で訊ねた。

「いま、空井捜査官と何を話していたのかね?」

「何って……他愛の無い雑談ですよ」

「口説いてはいまいな?」

「当たり前じゃないっすか! 俺には心に決めた人がいるんです!」

 嘘だけど。

「そうかそうか。ならよろしい。ところで生島捜査官。貴君は彼女がどういう存在かを知っているのかね?」

「は? 何の話です?」

「QP/が若い組織だというのは知っているだろう? 誕生したのがいまから大体五年くらい前だ。空井捜査官はその頃からQP/に所属していた、いわば創設メンバーの一人なのだよ」

「初期から居たのは知ってましたけど、創設メンバーって……」

 それは素直に驚いた。花香とはそうそうまともに話をしないので、いま考えてみれば彼女の生い立ちというものを将星はほとんど知らない。

「ていうか五年前って……彼女、当時八歳だったんすか!?」

「ああ。とある事件で彼女は両親を亡くしてね。その事件を担当したのが当時警視庁に籍を置いていた私と新條長官だ。新條長官とは古い仲でね、身寄りを失くした空井捜査官の面倒を彼女と私が持ち回りで見てたんだよ」

 この話も当然初耳だ。興味が湧いてきた。

「で……空井捜査官とQP/の創設に何の関係が?」

「彼女が遭遇した事件もQP絡みでね。その事件の犯人はマテリアライザーのリミッターを自由に解除する方法を見つけ出し、それをネットなどに流布した。お前がいままで交戦した連中の中にも違法改造されたQPドライバーを使ってマテリアライザーを自在に使用していた者がいただろう?」

 主に偽ラパウザーマンの事だ。

「じゃあQP/が生まれたのって、空井さんが巻き込まれた事件がきっかけで?」

「その通り。だから警察はQP絡み……とりわけマテリアライザーが絡む事件の捜査に必要なチームを下部組織という形で設立した。そして後に上級捜査官と呼ばれるようになる、QP絡みの事件では多大な功績を上げた四人と、その四人と全く同じ適性を示した空井捜査官が創設メンバーとして抜擢された。それがQP/の起源だ」

 QP/の上級捜査官になる為の資格に年齢や経歴などは含まれない。

 必要なのは、QP絡みの事件を捜査するにあたり必須となる適性だ。

「私達主力捜査官は上級捜査官の命に従い動く主力部隊だ。でも創設初期からその統率を担当している私と、当時からの部下達は当然のように空井捜査官の事を知っている。そして彼女は私達にとっては娘も同然の存在だ」

「は……はあ」

「つまり、だ。新しく私達の上司になる君であろうと、彼女に仇成す存在だと確定すれば我々は牙を剥かねばならん。さあ、ここまで話したところで、君に一つだけ確認せねばならない事がある」

「……何でしょう?」

「生島捜査官。君、空井捜査官とハコネに温泉旅行に行ったらしいね」

 田辺の顔により一層深い陰影が刻み込まれた。正直、怖いです。

「たしか、宿の部屋も一緒だったとか?」

「……そうですね」

「聡明な君の事だ。彼女にそうおいそれと手を出そうとは思わない筈だ。でも君は思春期真っ盛りの中学二年生だ。知能指数の高さと性欲に関連性があるのかどうかは疑わしいところだが、実際のところはどうたったかね?」

「御冗談を。僕は寝る時も押し入れの中でした」

「押し入れの中に彼女を引きずり込んだりは?」

「誰がするか、んなモン!」

 やべぇ。このおっさん、思ったより想像力豊かだ。

「そうかそうか。なら良いんだ。疑ってすまなかったね、生島捜査官」

 田辺は晴れやかな笑顔を浮かべ、いままでずっと将星の首を拘束していた野太い片腕の力を緩めた。

 束縛から解放され、将星はようやく人心地につく。

「……たったいま空井さんが箱入り娘ばりにウブな理由がよく分かったよ。なるほど、全部あんたらの仕業か」

「上級捜査官殿、何か問題でも?」

「…………」

 こいつら、自分達が掲げる教育方針について何の疑いも抱いていない。

「将星、諦めなさい。こやつらには何を言っても無駄無駄」

 いつの間にか傍に来ていたセイランが、唖然とする将星の肩をぽんと叩いた。


「生島……将星」

 アオミ埠頭の端に聳え立つクレーンの頂点で、赤髪を揺らす少年が椿の赤い花弁を纏う小人型QPと共に、眼下の上級捜査官達の群れを見下ろしていた。

「彼の影響かな。QP/はまた一つ、大きな成長を遂げたみたいだ」

「僕にはそう思えない。セイランとかいうQPが高性能なだけでしょ?」

「その高性能QPと他のメンバーの動きがよく噛み合ってる。まるで個々の足りない部分を補い合ってるようなイメージだ」

 奇しくも、少年の見解は空井花香と同じだった。

「力が足りなければ知で補い、知が足りなければ技で補う。俺も彼と一戦交えたくなった」

「春樹。また君の悪い癖が出たな」

「それでも俺についていくんだろう、ツバキ?」

 春樹はにやりと笑い、ツバキは全く笑わない。

「そろそろ俺達も行こう。静観しているだけってのはもう飽きた」

「奇遇だね。僕もだよ」

 春樹とツバキのコンビは頷き合い、コンテナ運搬用のクレーンから身を投げ出した。


   ●


 QP/の上級捜査官には社宅となるアパートの一部屋があてがわれる。本部に隣接するような形で建てられているので、もし客人が上級捜査官の部屋に遊びに行く場合、最初に敷地内に踏み入る手前のゲートを通らなければならない。ゲート付近の小屋には守衛もいるので監視の目は相当厳しい。

 社宅のアパートは二階建てで、将星に与えられた部屋は二階の隅だ。ついさっきまで住んでいたアパートの部屋と、奇しくも同じような位置である。

「終わった……」

 荷物の搬入が全て完了し、家電や内装、調度類を配置するうちに、もうすっかりその日の太陽は沈みかけていた。こちらの引っ越しを手伝う為に休暇を丸一日潰した由香里と芳一、昼ご飯を持ってきてくれたついでに作業も手伝ってくれた星乃は、揃ってフローリングの床に尻もちをついていた。

 ある程度芳一に体力を鍛えられた将星も、今日ばかりはさすがにへとへとだ。

「すみません、予想以上にお時間を取らせてしまって……」

「良いのよ別に。私としても早めに済ましておきたかったし」

「連日の働きが祟ったか、もう腰が動かん」

 芳一が腰を抑えて呻いている。いつもはしゃんと背筋を伸ばしている人物なだけあって、彼のこういう姿を見ると普段とのギャップに驚きを禁じ得ない。

 星乃はテーブルに乗ったおにぎりの皿を指差した。

「将星、もうご飯にしちゃおうよ」

「だな……いい加減腹減った」

「その前に、ちょっと良いかしら」

 由香里が立ち上がり、テーブルの上に放置してあった黒い重厚な箱を持ち上げ、将星の前に差し出した。

「ああ、それ……さっきから何かなーって思ってたんです」

「ふふーん、見て驚きなさい」

 由香里が得意げに鼻を鳴らすと、箱の上蓋を外し、中の物を将星達の前に晒した。

 赤い緩衝剤らしき布の中央に収まっていたのは、回路みたいな線が何本か入った真っ黒な一対のグローブと一本のベルト、掌サイズのカードリーダーらしき物体だった。

「生島君専用の新しいQPドライバーよ」

「これが……上級捜査官仕様の一点モノ」

「すっげぇ!」

 受け取る当人よりも喜ぶ星乃であった。可愛い。

「通常とはレギュレーションが違う代物だからQPバトルでの使用は不可能だけど、古川電子産業が開発したシンクロシステムを密かに流用して作り上げた最新型よ。おそらく全捜査官が持つQPドライバーの中でも最高クラスの性能を持ってるわ」

「何でそんなものを新米の俺に?」

「生島君の対応力や戦闘センスなら難なく使いこなせるって思ったからよ。それだけの成果はきちんと上げてるものね」

 由香里はポケットから黒い小箱を取り出した。

「付属しているカードリーダーにはラパウザーマンのQPドライバー同様、複数のQPドライバーをそれ一つで制御する機能が搭載されている。それに、この中に入ってるメモリーカードを差し替えれば、メインコードやオプションコードの設定を丸ごと交換できる」

 パソコンで言うなら、OSを別の種類のものへと簡単に交換できるようなものだ。

「詳しい使い方は練習と実践で覚えていくと良いわ。これであなたも立派な上級捜査官ね」

「ありがとうございます」

 将星は新型QPドライバーと数枚のメモリーカードが入った小箱を受け取り、由香里にぺこりと頭を下げた。

 星乃がきゃっきゃとはしゃぎながら言った。

「ねぇねぇ、将星。それ、付けてみてよ!」

「え? ここで?」

「起動しなければ問題無いでしょ?」

「そうね。試しに装着してみなさいな」

 由香里まで乗り気だ。ちなみに芳一は話し合いには参加せず、ただフローリングの上でひたすら腰痛と戦っていた。

「……しゃーないっすね」

 将星は嫌々ながら、グローブ型QPドライバーを両手に嵌め、カードリーダー型CPUドライブを腰に巻いたベルトのバックル部分に取り付け、メモリーカード入りの専用ケースをベルトの右側に装着する。

 最後にいままでずっと愛用していたグリップ型QPドライバーを後ろ側のホルスターに仕舞い込み、ようやく生島将星の新型バトルシステムは完成した。

「おお、様になってる!」

「万能型捜査官、生島将星の誕生ね」

 星乃はともかく、由香里は人を褒めて伸ばすタイプらしい。最初は随分と気恥ずかしかったが、一か月ぐらい一緒に働いているうちにもう慣れてしまった。

「これでお前も本当の意味で新しい戦力になったな」

 芳一がようやく立ち上がり、いつも通り背筋を伸ばして告げた。

「お前の生い立ちはそれなりに聞いている。いままでずっと、お前は不本意な孤独を強いられていたんだってな」

「……はい」

 少なくとも、芳一は嫌味でこんな事を話し始めた訳ではあるまい。

 だからこそ、将星の頷く声は低く、小さかった。

「それがどうだ? いまは自分で働いて、誰かの役に立った見返りとしてお前は金と棲み家を手に入れて、こうして新たな人生の一歩を踏み出した。仕方なく誰かに生かされてるんじゃない、自分で生きようとして生きている。きっと前のアパートよりも部屋は広く感じられるだろう、きっと前よりも飯の味が美味く感じられるだろう」

 たしかに、その通りだ。彼の指摘は的確過ぎて、反論の余地も無い。

 子供を見捨てたら世間体的に問題がある。だから、俺は奴らに仕方なく生かされた。生きるのにはそうそう困らない程度の金を与えられ、安いボロアパートの隅で縮こまって、俺は生殺しの憂き目に遭ってきた。飯は不味かったし、部屋は両親が健在だった頃よりずっと狭く感じられた。

 でも、今日からは違う。今日から俺は、自分で自分を生かすんだ。

「それはお前が持てる唯一無二の才能だ。老婆心ながら言わせてもらおう。その感覚を絶対に忘れてはならん」

「今日は随分とよく喋るんですね」

 由香里がほほほとおばさん笑いをする。彼女は一組織のトップよりも、小売業のパートタイマーの方がよく似合っているような気がしなくもない。

「やかましい。ボケ防止の為だ」

「あらやだ、昔と比べたら冗談もさらに面白くなって」

「お前とは警視庁時代から随分と古いが、いまになってようやく分かった。貴様、俺を完全に舐め腐ってるな?」

「怒らないでくださいよ、セーンパーイ」

 芳一と由香里が愉快な漫才をしている。こういう光景は決して珍しくはない。

 というか、警視庁時代は芳一が由香里の先輩だったのか。だったら、何で後輩である由香里が長官職に抜擢されたんだろう。年功序列で言えば、長官室の椅子には確実に芳一が座っていた筈なのに。

 将星が二人の夫婦(?)漫才を眺めていると、横から星乃が話しかけてきた。

「QP/の人達、結構面白いね」

「そうだな。一癖ある人達ばっかだけど、みんな良い人だ。ここが人生初の職場で良かったと思うよ」

「あたしもQP/の上級捜査官になりたいなー。どうやったらなれるのかな?」

「それは……」

 星乃に問われてふと思い返す。QP/の上級捜査官に加入する為の条件はたった一つだが、その一つを満たすのが非常に難しい。

 そして、それを世間には決して口外してはならない。

「俺も知らん」

「何じゃそりゃっ」

「星乃はずっとそのままで良いよ。うりうり」

「ふにー」

 星乃はほっぺたを突かれたり頭を撫でられたりすると結構喜ぶ。しかし星乃当人曰く、それは将星限定の話らしい。理由はよく分からない。

 将星は騒ぐ三人の様子を忙しく見渡してから、テーブルの上に置いてあったおにぎりを一個だけ手に取り、一口だけ食べてみた。

 昼頃に星乃が持ってきたものなので冷めてはいたが、

「うん、美味しい」

 晴れやかな気分も手伝い、素直にその味を喜べた。


                        #3「意思と遺志」 おわり


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