#2「正義の味方 I・HERO☆ラパウザーマン」
#2「正義の味方 I・HERO☆ラパウザーマン!」
【Aパート】
パール色の陽光が窓から廊下へと透き通る。
将星と花香は、前を歩く学生服の少年の下世話な話に、ただ黙って耳を傾けていた。
「でさぁ、最近の女子高生ってのはキーキーキーキ、チンパンジーかってぐらいやかましいってよく言うじゃない? でもうちの学校の女子はあれだよ。チンパン云々の次元じゃないよ。全員ゴリラだよ。いや、マジで」
「…………」
「…………」
「ありゃ、ノリ悪いね」
そりゃ悪ぅござんした。俺は世間話をしにこんな学校に来たんじゃないんですぅ。QP絡みの事件があるっていうから調査に来ただけで、学校の事情そのものには何の関心もないんですぅ。あるのは金になりそうな話、ただそれ一点に尽きるんですわ~。
……だなんて、わざわざ口に出しては言えないが、これが本音である。
「着いた着いた。ここが俺のクラス」
「やけに静かですね。チンパンゴリラがどうとか言ってませんでしたっけ?」
「はははっ、やだなー、聞いてたんならもうちょっと愛想良くしてくれよ」
「すみません。僕らも仕事で来てるんです」
「そりゃ失敬」
少年は肩を竦め、教室の扉を開いた。彼に促され、将星と花香も教室の中に足を踏み入れる。
入室して早々、将星は言葉を失った。
「………………………………」
「ん? どうかした?」
「いや、どうかした? じゃなくて」
教室の四十個近くある机の半数は、少年と同じ制服姿の男子だ。
ただ、残り半数の席を占めていたのは、セーラー服を着飾ったゴリラだった。
そう、ゴリラ、である。
「女子高生がゴリラじゃなくて、ゴリラが女子高生やってるぅぅぅぅぅぅ!?」
「ああ、あの女子達かい。ね、ゴリラみたいでしょ?」
「ゴリラみたいじゃなくて本当にただのゴリラなんですけど!? 森羅万象まるまるそのまんま、見た目通りのメスゴリラなんですけど!?」
「発情期のチンパンジーに比べたら幾分か大人しくてね。こちらとしては大助かりさ」
「あんなのと一緒にどう青春を謳歌するんですか!?」
たしかに大人しい。男子達も大助かりなのはまあまあ分かる。
でも、それ以前の問題である。
「そろそろ授業が始まる。いくらでも見学してくれ。まあ、うちのクラスからは後ろ暗いものは出ないとは思うけどさ」
後ろ暗いどころの騒ぎじゃねぇよ。毛色が暗いよ。ていうか毛深いよ。業が深いよ。動物愛護団体はマジで何をやってんの? こんな現状を普通に容認してんじゃねぇよ、いますぐウエノ動物園に帰してやれよ!
「生島さん。先生が来ました」
花香がごく普通に告げてくる。
「いや、何で君はそんなにフラットなの? おかしいでしょこれ!? ねぇ!?」
「はーい、みなさん席についてー」
教卓に立った先生もごく普通に授業に使う社会の教科書を開く。
「今日は電子産業の発展について講義しまーす」
「先生は慣れっこなのね、この状態」
さすが、教職に生きる大人は態度が違う。二十人の男子と二十匹のメスゴリラを相手に平然としている。いや、やっぱり先生もおかしい。
将星が一人唖然とする中、授業は何の滞りもなく進んでいく。将星が開きっぱなしの顎を閉じられたのは、授業開始から二十分が経過した頃だった。
もう全てがどうでも良くなった将星は、適当にゴリラの一匹に視線を向ける。
そのゴリラは何故か前かがみになって、ずっと先生の下半身に熱い視線を注ぎまくっていた。
「……まさか」
もう察しはついていた。
あのメスゴリラ、恥も外聞も無く、先生のバナナを狙っているぅぅぅぅ!?
「ねぇ、何で先生のバナナ狙ってんの? ていうか、他のゴリラもいつの間にか全員先生のバナナ狙ってるんですけど!?」
「生島さん、さっきから何を騒いでいるんですか? 静かにしてください」
「お前こそ黙れ! 何で何事も無かったかのように喋ってんだ!」
もうアカン。いまこの教室に、常識人は一人もいない!
ていうか、ゴリラのみなさーん!? バナナだったら先生以外にも生やしてるのがいっぱい近くにいますよー! あ、もしかして、半熟のバナナはお嫌いなのかしらん? スイートスポットだらけの黒いバナナがお好みなのかしらん?
「……バナナ」
「え?」
花香が何かを呟いたかと思ったら、彼女は突然将星にしなだれかかり、熱く潤んだ瞳でこちらを見上げてきた。
「バナナ」
「花香ちゃん? なになに? どうしたの?」
「バナナぁ……」
彼女は何を思ったのだろうか、将星のスラックスのジッパーをつまんで、ゆっくりと引き下ろそうとしていた。
「え? ちょちょ、やめ……こんなところで何を? 仕事中だよ、分かってる? ていうか、俺のバナナもまだ半熟……」
「うほっ」
次に瞬きした時には既に、花香の顔がゴリラの顔面にすり替わっていた。
「……は?」
「うほぉおおおおおおおおおおおおおおっ!」
「うぎゃああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
過去最大の音量で悲鳴を上げ、将星は弾かれるように起き上がった。どろりとした鈍い血流を脳そのもので感じ、次第に視界が鮮明になり、自分はようやくいつも通りのアパートの一室で眠っていたのだと思い出す。
荒くなった吐息を鎮め、将星はやっとの事で呟いた。
「……夢か」
将星は枕元に置いてあったゴリラの人形を持ち上げ、プラスチック製の両目を忌々しい目つきで覗き込む。
「白沢さんめ……恨んでやる」
このゴリラ人形はクラスメートの白沢雪見が、将星のQP/上級捜査官就任の祝いにとかのまたってこちらに押し付けた物体だ。宇田川星乃以外の女子からプレゼントなんてもらった事が無かったので、嬉しくてつい枕元に置いてしまったのが裏目に出たか。今度からはただの飾り物として使ってやろう。
「しょーせーい、今日は早起きー」
座卓の上に置いていたQPドライバーの横で、セイランがシャボン玉を吹かしながら言った。
「セイラン。今日は早めに家を出よう」
「どうしてー?」
「そういう気分だからだ。細かい事は気にするな」
目覚めの悪い日は朝の風を目一杯浴びるに限る。
将星は手っ取り早く身支度を済ませ、適当に作った朝食(今日はまぐろの剥き身丼)をかきこんで、歯を磨いてからすぐに家を飛び出した。
「ほう、あのゴリラ人形にはそんな魔力が秘められていたか」
教室に着いて早々、雪見をとっ捕まえ、将星は恨み言の数々を吐いてやった。その結果飛び出した雪見の一言が、これである。
全く悪びれていないというか、むしろ楽しげですらある。
「いや、生島君にはきっと獣●の願望があったのやもしれん」
「ネーヨ。ていうか、そもそも何でゴリラだったんだ?」
「それはアレだ……可愛かったから」
「まあ、見る人によっては可愛いだろうな、あのサイズ感は」
「そして人は揃って口にする。女子の可愛いはアテにならない」
「やっぱりお祝いのつもりで差し向けたゴリラじゃねぇな!?」
将星は雪見とクラスが一緒になった当初、彼女を高嶺の花みたいに思い込んでいた。可愛らしい容姿や立ち振る舞いからも、男子が近寄り難い雰囲気はそれとなく滲み出ていたし、現に月一回は同級生から告白を受けているという噂まで立つ程だ。
ただ、いざ話してみればこれだ。もはや男友達か腐れ縁みたいな接し方をされて喜んでいる始末である。
分からん。白沢雪見のキャラが、全く掴めない。
「そうそう、生島君。親戚の人達との話、あれはどうなったの?」
「ああ、それな。猛反対されたけど、何とか押し切ってやったぜ」
「ざまぁみろって奴ですな」
「何の話をしてるの?」
いつから居たのか、横から慎之介が訊ねてくる。
「慎之介か。前に言ったじゃん、伯父達から受けていた仕送りの件。いままでは俺がまだ義務教育課程にあるからって理由で資金の援助をしてくれたけど、もう来月からは手を切る事にしたんだ」
「あぁ、その話か。でも、本当に良かったの?」
「来月からはQP/の月給が入る。本部にいる限り、俺が社会人になるまでの身元保証人はうちの長官がやってくれるって話だし、これでようやく俺は親戚のクソ共からは完全に縁を切れるって訳だ」
「反対はされなかったの?」
「されまくりよ。いままでは親殺しの俺を拒否ってた奴らがな、俺がQP/の捜査官になると分かった途端に見事な手の平返しを決めてきやがったんだぜ? 中には俺を養子にしようだなんて輩も出てきてよ」
「なるほど、たしかに痛快だ」
雪見が首を上下させて頷く。
将星が一人暮らしだったのは親戚間をたらい回しにされた結果で、その原因は将星がDV加害者である実の父親を殺害したからだ。人殺しのレッテルが貼られた子供を自分の家に引き取ろうと考える物好きはまずいない。
だが、その子供がQP/の上級捜査官に就職したのなら話は別だ。警察の下部組織なだけあって払いは良いし、世間体を気にする人間からすれば、そういう立場の人間は彼らにとって高級ブランドのバッグやアクセサリーに等しい。
将星の親族は揃いも揃ってクズばかりだ。その手の話には目が無いのも頷ける。
「しかも入る前から、そう少なくない契約金を貰ってる。これならしばらく生活には困らないし、QP/の社宅を借りる予定だから家賃の心配はほとんどしなくて良さそうだ」
「将星、嬉しそうだね」
「ああ。いまの俺はとっても気分が良い」
自分でも珍しいと思うくらい雄弁になると、将星はすぐに雪見を睨んだ。
「ゴリラ女子高生の悪夢が無ければな……!」
「私は悪くない。勝手に夢を見たのはそっちでしょ。で? その夢の中で君は他に何を見たんだい? その様子だと、目にしたのはゴリラのオンパレードだけじゃないような気がするんだが?」
「うっ……」
どうしよう。花香がゴリラ化した時の話もしなきゃならんのか、これは?
「もしかして、QP/の制服を着ていたあの空井とかいう女の子に……」
「止めだ止めだ! 俺が悪かった、この話題はもう打ち切ろう!」
「フェ●」
「おーい誰か、このバカ止めてくれ! 俺の社会的信用が崩壊する前に!」
この瞬間、将星の中で、雪見のキャラが固定された。
「温泉旅行に行ってきなさい」
新條由香里に召集されるなり、将星と花香は突拍子も無い指令を下された。
「は?」
「温泉旅行?」
「あ、ごめんごめん。いきなりすぎたわね」
由香里が年相応のおばさん笑いをする。
ここはQP/本部ビルの最上階。つまり、上級捜査官の職場にあたるセクションだ。いま将星達がいるのはその中でも一番広い、長官室と呼ばれる大部屋だった。端的に言えば、QP/の最高責任者、新條由香里の仕事部屋である。
由香里は執務机の引き出しからリモコンを取り出す。
「まずはこの映像を見てもらいましょうか」
由香里の頭上から大型の液晶ディスプレイが降りて、早速映像が再生される。
いま映し出されているのは、昼のワイドショーの一部分だった。
『昨日の午後四時頃、神奈川県アシガラシモ郡ハコネ町の私立青翔学園高等学校にて、巡回の警備員が倒れている男子生徒を発見。幸い全身に打撲の痕が見られるだけで命に別状は無かったものの、意識を取り戻したその生徒は「ラパウザーマンにやられた」と証言しており、警察もその線で捜査を進めているとの事です。なお、この学校では以立て続けに同じような事件が四回起きており、過去の事件の犯人と同一犯である可能性が高いとみて捜索を続けております』
由香里がリモコンを操作し、映像の再生を打ち切った。
「見ての通り、ラパウザーマンを名乗る何者かが、私立青翔学園の生徒をターゲットに不定期で暴行を働いているみたいなの」
「ラパウザーマンってあれですか? 色んな意味で名前が版権的に危ない地元のスーパーヒーローの事ですよね」
「版権って……まあ、その通りなんだけど」
I・HERO☆ラパウザーマン。このエリア・ネリマを中心に活動する、全身白タイツに赤い装甲を纏う謎のスーパーヒーローだ。ただのご当地ヒーローなら笑って話のネタにしてやるところだが、このヒーローの何が恐ろしいかって、実際にQP/が関わってる危険な事件にはほとんどの確率で現れ、単身で過激派武装集団を撃破してその身柄を上級捜査官の前に献上する程の異常な戦闘能力を秘めているところだ。
つまり、特撮ヒーローが現実に現れたような、本当に凄まじい人物なのだ。
「僕も何回かニュースの映像で見た記憶があります。小さい頃からそれなりの憧れは抱いていましたし」
「その憧れの人を騙る誰かが、たった一つの小さい社会的組織だけを狙い撃ちにして、しかも正義に悖るような行為を働いている。どう考えても偽物の仕業でしょう」
「そもそもQP/とラパウザーマンって何か関係あるんですか? QP/が関わってる案件の手助けをしてくれる外部の人……とだけは聞いてるんですが」
将星もここに就職するにあたり、研修ついでに様々な予習を済ませている。ラパウザーマンなんかその最たる例で、ラパウザーマンが関わっている事件が記載されたアーカイブを全部引っ張り出して熟読した程である。
ただ、どこから視点を変えて調べてみても、その両者の接点――馴れ初めとでも言うべきポイントが見つからないのだ。
「関係……って言ったらアレだけど、あんまり触れない方が良いかもしれないわ」
由香里が難しそうに目を伏せる。
「話を戻しましょう。さっきあなた達に見せたあの事件、実はただの暴行事件だと思って、最初は警察の手で調べを進めていたのよ。でも被害者の全員が口を揃えて「ラパウザーマンにやられた」って証言して、さらに性質の悪い事に、ラパウザーマンが関わってると思しき証拠が一つしか上がらなかったのよ」
「一つしか?」
「襲われた時刻がちょうど下校時間を迎えたあたりで、犯行現場は昇降口のすぐ近くなのよ。つまり被害者以外にも、他の生徒達が何人かラパウザーマンの姿を目撃しているの」
「そもそも何で私達のところにその話が来たんですか?」
いままで黙っていた花香が肝心な質問をする。
「相手が偽物と仮定するなら、警察だけでどうにかなる話なのでは?」
「そこなのよぉ~、ホント勘弁して欲しいわ~」
由香里は全身を使ってうんざりとした仕草をする。
「花香ちゃんは知ってるでしょ? ラパウザーマンのQPドライバー」
「知ってますけど……何かマズいんですか、それ?」
「簡単な話、それが口実で警察が私達に仕事を押し付けてきたのよ~」
「なるほど、そういう事ですか」
「すみませんお二方、さっきから何の話をしているんですか?」
置いてけぼりを喰らっていた将星が片手をおずおずと上げる。
「ああ、そうか。生島君は知らないのね。実はあんまり知られていない事だけど、ラパウザーマンのスーツはあれ自体がQPドライバーなのよ」
「はぁあっ!?」
思わず顎が外れかけた将星であった。形はどうあれ、衣服として着用するQPドライバーなんて聞いた事が無いからだ。
「この映像を見て欲しいんだけど……」
話すより見せた方が早いと思ったのか、由香里が再びリモコンを弄り、頭上のディスプレイにラパウザーマンが映っているシーンを再生させる。
これはとある武装集団の立てこもり事件だ。警察の特殊部隊による一斉検挙から逃れた武装集団がシンジュクの商業ビルに大挙して押し寄せ、中で普通に買い物をしていた客達全員を人質に国家に対して身代金を要求した場面である。
しばらくは膠着状態が続いたので早送りで飛ばす。
次に再生ボタンを押した直後、武装集団の連中が掲げていた武器が一斉に木端微塵になる。
いきなりの状況に連中が慌てふためいていると、画面の端から全身白スーツの男がくるくると車輪みたいに回転しながら登場。何故かゴミ箱の上に乗り、大胆なポージングでかっこつけ、すぐさま跳躍。
白いスーツの憎い奴は、腰から抜き出したグリップ型QPドライバーの<ブレード>と銃型QPドライバーを巧みに操り、光の速さで駆け回って武装集団をあっという間に制圧していった。
登場から制圧まで約三分。素晴らしい手際に惚れ惚れする。
「すげぇ……冗談は恰好だけかよ」
「彼のスーツ型QPドライバーは、他のタイプのQPドライバーを同時に運用する能力を持っているの。だからグリップ型と銃型の二つを同時に使えたのよ」
普通、所有しているQP一体につきQPドライバーは一つだが、稀に一体のQPを二つ以上の端末に移し替えながら使用する者もいると聞く。例えばQP/の上級捜査官は任務に合わせて多様な型のQPドライバーを持ち出し、一体のQPをその都度移し替えながら使用している。
たが、ラパウザーマンのスーツ型QPドライバーは、わざわざQPを移し替える必要も無く、同時に複数のQPドライバーを使役できるという前代未聞の能力を秘めているらしい。
「何となく察しはつくと思うけど、ラパウザーマン自体がQPドライバーという見方も出来るのよ。だから警察の連中がこれはQP絡みの事件だーって言って、私達にこの案件を押し付けてきたのよ」
「でも本物か偽物かなんてまだ分からないんですよね? もし本物だったらこちらで対処する必要がありますけど、これが偽物だったりしたら……」
「私達が対処しなきゃならない理由の一つにはそれもあるの。実はその暴行事件が起き始めてから、ラパウザーマンは一回も公の場に姿を現していないの」
「警察側は本物と偽物の行動が一致しているって考えたんですね」
「確証ではありませんが、その点は生島さんにも身に覚えはあると思います」
花香が言った。
「生島さんが鞍馬康成と戦ったあの日、ネリマを中心に活動していたラパウザーマンからの救援がありませんでした。生中継であれだけの大騒ぎになっていたのに、彼が出てこない訳が無いんです」
「そこで今回、生島君と花香ちゃんに調査を頼みたいの」
由香里がようやく仕事内容の本筋を述べる。
「次の日曜日の正午までに、あなた達二人にはハコネの宿にチェックインしてもらいます。そして月曜日から金曜日までの五日間、事件のあった私立青翔学院の調査をお願いします」
「調査期間が五日間? やけに短いですね」
「学園側に話したら、他の生徒達への心理的影響から考えてもその五日間が限界だって。警察が相手なら学園側だって何も言えないでしょうけれど、私達はあくまで警察の下部組織で、見方を変えれば奇人変人が集う異常者集団よ? そんな連中を長い間置いておける程、現代社会の人類は寛容じゃないってこと」
「なるほど」
少なくとも俺だけは異常者ではないと、心の中で自分に言い聞かせておこう。
「あなた達がその五日間のタイムリミットを超えるまでに遂行しなきゃいけないのは、無論、犯人の捕獲と真相の解明。必要とあらば学校に関する事情の問い合わせもある程度は可能だし、案内の教職員も一人つけてくれるって話だから、まずはその先生とコンタクトを取りなさい」
「行くのは本当に僕と空井捜査官だけですか? 僕ら未成年なんですが。なんなら僕はまだ研修生なんですが」
「その点は大丈夫。花香ちゃんもここでのキャリアは長いから」
「お任せください」
花香が屈託なく胸を張る。
ふむ……たしかに、年の割にはそれなりにあるかもしれない。
「……生島さん。さっきから何処見てるんですか?」
「何でも無い」
ジトっとした目で見つめられるのが、まさかこんなにもゾクゾクするものだとは。
「ところで長官。一つだけ、変な事を訊いてもよろしいでしょうか」
「何か?」
「ハコネの宿で一週間、でしたっけ? で、当然……とうっぜんっ! 僕と空井さんの部屋は別々ですよね?」
「え? 一緒だけど?」
「そうですよねぇ~、そりゃそうだ。うら若き男女が一つ屋根の下で一週間ずっと一緒に――ええええええええええええええええええええええええええええええっ!?」
地声と混ざり、広い長官室を丸ごと揺らすような驚嘆が将星の声帯から轟く。
勿論、驚いているのは将星だけではない。
「え、ええ、ええええええっ!? 長官、いま一緒とか言いました!?」
「何でだよ! 中二男子と中一女子が一緒の部屋!? 兄妹でも普通分けるだろ!?」
「ふむ……まあ、言われてみればそうね」
「「いま気付いたんかいっ!」」
何なんだこの上司、いままでどんな人生を歩んできたんだ!
「二人共怒らないでよぉ。だってぇ、うち予算少ないしぃ、経費をちょっとでも浮かしたいなら宿に使う部屋を一つに絞るとかいう工夫だって必要なのぉ」
「経費の工面よりも大事なものってあるでしょう!? 倫理観とか! 道徳とか! 保険体育とか! コン●ームとか!」
「つまり生島君は花香ちゃんを相手に……あらやだ、やーらしー。どうするよ花香ちゃん、押し倒されたりなんかしたら。言っとくけどゴム代は経費から下りないからね?」
「さては楽しんでますね? 私の貞操を何だと思ってるんですか!」
「君は君で俺を何だと思ってるんだ!」
もうヤダこの人達。俺帰りたい。
「まあでも、たしかに二人の言い分も分かるよ?」
全く悪びれず、由香里が興奮する二人を制する。
「だったらそうねぇ……あ、そうだ。もう一人、民間人を同伴させましょう」
「「民間人?」」
「そう。ほら、客員ってあるでしょ? その団体に協力者として優遇される立場の……あなた達に分かり易く言えば、非常勤講師ってところかしらね。そういう立場の人間を雇って、あなたと花香ちゃんの保護者になってもらうの」
「一万歩譲って、それで良いと思います」
「良かった。そういえば、こないだ、おあつらえ向きの子と出会ったわね」
「それで、お前か」
「いえす」
客員として雇われたのは白沢雪見だった。任務当日になるまで同伴者が誰なのかを教えてくれなかった由香里の人の悪さといったら。
私服姿の将星と花香は現在、同じく私服姿の雪見から事情の一切を説明されながら、ハコネに通じる電車に揺られていた。
「いよいよもって俺の命が危ぶまれてきたな。もし俺が空井さんを相手に間違いを起こしかけたらアレだろ? グレイスに刺し殺されるんだろ?」
「大丈夫。空井さんの貞操のついでに、生島君の命も私が保障しよう。多分」
「いまついでって言ったな? 多分って言ったな? 何で俺の周囲の女どもはこう……いや、やっぱりいいや」
おかしいのはきっとこの世で俺だけだ。いまはそう思い込んでおこう。
しかし、一万歩譲ったつもりが、一万歩分だけ寿命が縮まるとはさすがに思わなんだか。同伴者が成人済みだったら良かったものを、まさか最強のQPとその使い手を選んでくるなんて。
ただ、丁度彼女には聞きたかった事がある。
「そういや、白沢さん。星乃の様子は? 最近忙しくてロクに見舞いにもいけてないんだ。君はちょくちょく病院に行ってるんだろ?」
「普通に元気だった。退院も少し早まりそう」
「そうか。じゃあ、俺が帰ってくる頃にはまた学校で会えるんだな」
「君に明日があるかどうかは君次第だが」
「お前が先にくたばれコノヤロー」
「駄目ですよ、生島さん」
花香が顔をしかめる。
「女の子相手に口汚い罵りはナンセンスです。もっと紳士らしく振舞えないんですか? このままだとあなた、一生モテませんよ?」
「そうだそうだ、もっと言ってやれー」
「…………」
やっぱり、おかしいのは俺だけなんだろうなぁ。
ハコネに着いてからは特に何のトラブルも無く、任務の指示書通りの宿にチェックインして荷物を下ろし、将星達は部屋の居間でくつろいでいた。長旅の疲れは宿の部屋に足を踏み入れた瞬間からどっと押し寄せるものなので、着いてすぐに部屋から出て、さぁ任務だ仕事だと意気込むのはさすがに難しい。
将星はホットな湯呑みをあおいでから、女子二人に何の気無しに提案する。
「任務は明日、件の学校が始まってからだ。今日はゆっくり休んで良いとも長官に言われてるし、せっかくだからここの温泉にでも入ってきなよ」
「ふむ……そうだねぇ。私もちょっと疲れていたところだ」
「お……温泉」
雪見がすんなり頷く一方、花香だけは何故か難しい顔をしていた。
「? どうしたの?」
「……生島さん」
「ん?」
「覗かないでくださいね」
雪見に向かって飲んでいたお茶を噴き出した。
「……生島君。いくら私でもこれは趣味じゃない」
「っ……や、ごめっ……わざとじゃ……ていうか空井さん、君は本当に俺を何だと思ってるんだ! 現代の温泉でそんな真似が出来る訳ねぇだろ!」
近頃の温泉は覗き防止の設備が発達していて、特にここの温泉宿には女子風呂だけセンサー式のデーザーが仕込まれているとの噂だ。男子風呂と女子風呂を区切る柵から頭を出した瞬間、射出された電極が額に刺さって感電死する恐れがある。
将星は雪見の顔面を丁寧に拭って平謝りしてから、再び花香に牙を剥いた。
「大体、紳士的な対応をしろっつったのは君だろ? なのに人が仏心を覗かせた途端にこれだ。俺は何を喋れば良かったんだ?」
「まあまあ、そう怒るなよ」
雪見が至って平静に言った。
「ここは君の提案に甘えるとしよう。で、君も風呂に行くのかい?」
「行かねぇよ。先にやる事がある」
「そうか。空井さん」
雪見が将星の剣幕に多少怯え気味となっていた花香に呼びかける。
「先に温泉に行こう。胸のサイズについてはお互い気にしない方向で」
「は……はい」
雪見のボケすら反応の無い花香であった。
女子二人が支度をして部屋を去るのを見届けると、将星は自分の鞄からブリーフケースを取り出し、中からいくつかの文面を取り出して机の上に並べた。
一連の様子を頭の上で見ていたセイランが訊ねてくる。
「将星、ご機嫌ナナメ?」
「気にするな。それより、任務内容の確認だ。あの二人が出てくるまでに、仕事の段取りを確定させておくぞ」
仕事の作法については雄大やその他年長の先輩捜査官から一通り研修の際に教わっている。実際に事件現場に出た時にもやっていた事だが、そんな彼らのサポート無しにこの作業をするのは初めてだ。
大丈夫。不安を忘れろ。自分には出来ると思い込め。
「事件があったのは私立青翔学院高等学校。総生徒数は二一○○人近い、それなりに規模の大きい学校だ。一学年の生徒数はざっと七○○人ってところか。偏差値関係無く金さえ積めばバカでも入れるので有名だが、授業システムは先進的で成績的な面だけを見ればかなり優秀と言える。ぶっちゃけ親の七光りで入ってるような奴らの組織と考えるのが妥当だろう」
「問題はクラスの分け方と生徒の素行~」
「だな。成績優秀者、もしくは何かしらの功績を上げた優良な生徒から順にAからGまでのクラスにそれぞれ振り分けられていく。。で、今回ラパウザーマンを名乗る何者かに襲われたのは基本的にAからCの、それなりに優秀なのが多いクラスの連中だ。被害者に何かしら襲われるような共通点は見当たらないっていうのが警察の調べで分かってるけど……」
「どこまで本当なのや~ら」
警察が途中でこちらに投げてきた事件なので、一応はそれなりの資料が揃ってはいるのだが、だからといってその全てを過信する訳にはいかない。
あとは自分の目で見て、肌で感じて確かめるしかない。
「俺達の仕事はあくまで暴力事件の犯人をとっちめる事だ。その野郎が現れる時間帯は決まって放課後、しかも人目を憚らずに手荒な犯行手段を用いている」
「この一週間、その時間帯に構えていれば、必ずおいら達の前にそいつは姿を現す」
「その通り。ただ学校自体がかなり広い。犯人の出現ポイントが一つとは限らないから、俺と空井さんで二か所カバーしたとしても、それ以外の場所で犯行が起きたら対処が遅れる。ぶっちゃけ、ここに来た意味が無い」
「位置情報が分かれば、おいらの<バブルブリンガー>でずどどどどーん」
「他の生徒を巻き込む可能性が無ければ……な」
例えば、犯人が現れた時点で、あらかじめ上空に配置してあった無数の<バブルブリンガー>を炸裂させて事件現場周辺を絨毯爆撃なんかしてみたとしよう。その時点で将星はクビ、というか大量殺人の罪で即ブタ箱行き確定だ。雪見の言い分ではないが、それで星乃に会えなくなるのは非常に困る。
「とりあえず偽ラパウザーの行動パターンは後回しだ。俺とお前、あと空井さんの手持ちの武装を確認しよう」
一応、訳あって今回は極秘扱いでハコネの地に訪れている。あからさまに武器の形をしたQPドライバーを大量に持っていく訳にはいかないので、将星が持ち込んでいるのは愛用のグリップ型のみだ。
手持ちが少ない分、なおさら念入りな確認が必要になる。
「セイラン。現在装備されてるバトルコードを全て復唱しろ」
「メインコードは<ブレード>、<シールド>の二点のみ。オプションコードは<バースト>、<スタン>、<ランス>の三点フル装備。パーソナルコードは<バブルブリンガー>。以上」
「あとでメインに<スピア>を追加してくれ。それと、アイリスの情報も受け取っているな。そっちは?」
「メインコードは<シールド>、<イリュージョン>の二点のみ。あと別途で銃型QPドライバーを所持。オプションコードは全部イリュージョン系。<バーサーク><インビジブル><ディジネス>の三点フル装備。パーソナルコードは<ホワイトブロッサム>」
「直接火力が銃型QPドライバーしか無いのか。辛いな」
花香のQP、アイリスが持っているのは攻撃とは何ら関係無い幻術系バトルコードのみである。妖精型なので戦闘能力が低く、唯一相手に一番きついダメージを与えられるのは<ディジネス>一つのみ。<ディジネス>は眩暈を意味し、その名の通りアイリスが散らした花弁を目視、あるいはその匂いを嗅いだ者は強制的な眩暈に見舞われるという代物だが、一人につき一回しか通じないという致命的な弱点を抱えている。
思えば鞍馬康成と初対面した時も、この<ディジネス>で救われたんだったか。
「……とにかく、これであらかじめ頭に叩き込む要素は確定したな。後で空井さんと相談しよう。いまのところはこれで良いだろう」
「そうかそうか~。ところで、星乃からメール来とるよー」
「お? マジか。開いてくれ」
「ういー」
セイランがついっと指を動かし、将星の前に光学映像のメール画面を寄越す。
内容を読み、もう一回読み直し、将星は思わず気を抜いた。
「……あいつめ」
メールには写真付きでこう書かれていた。
相部屋になった子供と仲良くなったよー! ――と。
一方、女子風呂の雪見と花香はというと。
「……いい湯だな、あははーん♪」
「いい湯ですねぇ……」
これといってガールズトークもなく、ただのんびりと温泉を満喫していた。
●
面白くない事に、昨晩は何も起きはしなかった。何故なら、将星は女子二人と同じ部屋でありながら、なんと一人だけ押し入れの中で一晩を凌いだからだ。硬い寝床のせいで節々が痛いわ酸素が薄いので寝つきが悪いわで散々だったが、何かの弾みでグレイスに殺されるよりは幾分かマシと思えば安いものだ。
三人は青翔学園の制服姿に着替え、目的地へと向かう。
職員玄関をくぐると、若く背の高い女性が礼儀正しくお辞儀する。
「初めまして、QP/の皆様。ここで教師をしております、常田涼葉と申します。この一週間、皆さんの案内役を仰せつかった者です」
「上級捜査官の空井です」
「同じく、上級捜査官の生島です」
「ペットの」
「マジメにやれ」
「……客員の白沢です」
やっぱり雪見を客員に選んだのは人選ミスなのではなかろうか。
涼葉は少し驚いたように言った。
「何か不思議ですね。皆さん随分とお若くて――いえ、失礼しました。うちの生徒よりも年下なのかと思うと、どうしても驚くところが多くて。忘れてください」
「いえいえ。心中お察しします。何かとご迷惑をおかけしてしまうでしょうけれど、迅速な事態の収拾に全力を尽くします。この一週間、どうぞよろしくお願いします」
花香もまた礼儀正しく頭を下げる。由香里も言っていたが、QP/としての経験が思いの外長いのは本当らしい。
挨拶もそこそこに、涼葉が上がるように促した。
「さあ、立ち話もなんでしょうし、どうぞこちらに。校長があなた達をお待ちです」
三人は涼葉の指示に従い、靴をスリッパに履き替えて廊下に上がり、彼女の案内で校長室の前まで誘導される。
涼葉が校長室の扉をノックする。
「校長先生。常田です」
「どうぞ」
落ち着き払った女性の声が扉越しから聞こえる。将星達は涼葉によって開けられた扉の向こうに踏み込み、部屋の奥の仕事机でパソコンの画面を睨んでいた初老の女性に頭を下げる。
「失礼します。QP/の上級捜査官、生島と空井、客員の白沢雪見です」
「適当に掛けて頂戴」
校長が無愛想に告げると、疲れたように立ち上がり、書類の束を持って中央のソファーに腰を掛ける。将星達も、校長の向かい側のソファーに並んで座った。
「初めまして、校長の内藤頼子です」
まずは、短い挨拶からだった。
「今日は遠路はるばるお越し頂きありがとうございます」
「とんでもないです。それより、早速本題に入りましょう」
「話す事などほとんど無いでしょう」
頼子はため息混じりに言った。
「何度にも渡る警察の捜査に、我々教職員と生徒達もじりじりと疲弊しているの。実はあなた達の上司から聞いたのだけれど、警察から仕事を丸投げされたんですって? ラパウザーマンのスーツがQPドライバーだからという理由で」
「ええ。それが本物か偽物かはともかくとして」
「あなた、生島君とか言ったかしら」
頼子の目がほの暗い何かを帯びる。
「聞いた話だとあなた、先日の発表会で暴れ回っていた傭兵を倒したんですってね? だったら、ラパウザーマンを名乗って我が校の生徒に酷な仕打ちをくれた不届き者を排除するのは朝飯前、といったところかしらね」
「それが何か」
「単刀直入に言うわ。一日でも早く解決して頂戴」
彼女の言い分には容赦が無かった。
「五日が限界とは言ってあるけど、こちらとしては一日も待てないの。警察が調べた事といえば事件に直接関係の無い事ばかりで、内部事情をまさぐられたこっちとしてはダメージが大きいの」
「やっぱりまともな捜査をしていなかったんですね」
していなかったというよりは、出来なかった、が正しいのだろう。警察は決してQPの専門家ではないので、それ自体がQPドライバーとも言えるラパウザーマンに関してはどうしても手を出しあぐねていたようだ。
だから、自分達が一番手のつけやすいところから調べたのだ。
「あなた達の仕事は不届きな暴漢を捕まえる、ただそれだけ。よろしいかしら」
「承知しています。必要の無い探り入れはしないと約束しましょう」
「話が分かる子で助かるわ」
「ですが一応、学校全体の様子は見させていただきます。フィールド全体の把握は戦闘行為において重要なポイントですし、地図だけでは把握しきれないところもありますから」
「それはご自由に。少なくとも、多数の生徒を巻き込む事態だけは避けて頂戴」
「心得てます。では、我々はここで」
将星が立ち上がると、横の二人もつられて立ち上がる。
「常田先生。彼らの案内、よろしくお願いします」
「はい」
校長から言われ、涼葉が丁寧に頷く。
涼葉を含めた四人は校長室を静かに出て、少し歩いてから再び口を開いた。
「生島さん、よくあんな面と向かって交渉できましたね」
「単に最近色々あってストレスが溜まってるからあんな不機嫌になってるだけで、あの校長自体は決して悪い人じゃない。話はちゃんと通じるし、生徒に出る被害に関してはこちらにしっかり釘を刺している。良い事じゃん」
少なくとも、頼子はこちらの年齢に関して特に何の反応も示さなかった。あらかじめ由香里から教えられているのか、あるいはこれ以上何があっても驚かないと思ってるからだろうか。どのみち、やりやすい相手ではある。
「そんな事より手筈通りに進めよう。まずは教室全体の様子からだ」
「了解」
ここからは涼葉に案内される以外は将星と花香の領分だ。調査に直接関係無い雪見はただ後ろをついて回るだけで、捜査官の二人は教室の扉の窓からこっそり各学年各クラスの授業風景を観察する。
昼休みになる頃には全体の様子を把握し、将星らは学生食堂の一角で難しい顔を突き合わせていた。
「……一応聞いておくが、空井さんからは何か気になる点は?」
「Dクラス以降の生徒達の授業態度が少し怪しかったですね」
「Gクラスなんか魔窟同然だったな」
「ちゅぅぅぅぅ」
「「……………………」」
雪見がオレンジジュースをストローで吸い上げているのを尻目に、将星と花香は困り顔で唸っていた。
「問題のAからCクラスまでは育ちの良さが表れてる感じだったな。でも、DからGクラスはほとんど先生の話を聞いてないどころか……まあ、ネットで言われてるような、いわゆる底辺同然な感じが強いかな」
「Gクラスなんて……その……大っぴらにエッチな本を読んでる人が……」
「エロ本は隠れて嗜むのが面白いんじゃないか。その野郎は全然分かってないね、紳士のエチケットって奴が」
「そこじゃないでしょう!」
二人の話し合いを見るに見かねた涼葉がようやく反論する。
「あんまりこういう事を言いたくはないですけれど、ちゃんと調査しているんでしょうね!? 生島君の視点から語られると不安しか残らないんですが!」
「おっと、失敬。僕も思春期なんです」
「さてはボケてますね? 私達をからかってますね?」
「とんでもない。その証拠に、不審な点がざっと十個前後は見つかってます」
「不審な点?」
「全部挙げようとすればキリが無いので、要点だけを話します」
将星はあらかじめ持ち込んでいた資料を机の上に広げた。
「そもそも何で生徒の素行で順位を決めるようなクラス分けをしたんですか? 普通はどのクラスも成績を鑑みてバランス良く生徒達を振り分けるものなのでは?」
「それは……より生徒達の競争心を燃え上がらせて、生徒全体の偏差値を上げようと考える校長の教育方針です」
「結論から言います。それは、不可能です」
将星の身も蓋も無い言い分に、涼葉が怪訝に眉を寄せる。
「何故ですか?」
「極端な話、昆虫同士が集まっても昆虫同士のコミニュケーションしか取れやしない。DからGクラスの人間が人間としてのコミニュケーションの場を得たいなら、虫籠の中に人間を入れて、彼らを飼育してやる必要がある」
「でも、校長はそれを良しとしなかった」
花香が納得したように頷き、将星の言葉を引き継いだ。
「教育方針的に考えるなら、あからさまに不審な点が多すぎます。均衡を廃して素質のある優秀な生徒だけを育てるという目的なら理解出来ますが、だとしても切り捨てる人数が全生徒の約半数というのは異常にも程があります」
「でもそれって、ラパウザーマンと何か関係あんの?」
雪見が素朴な疑問を提示する。
「君達二人の目的はあくまでラパウザーマンじゃん」
「狙われているのはAからCクラスの生徒だけだ。何で犯人はそいつらばっかりを狙う? 出来が良くて、誰それの恨みを買いそうにないような連中を? もし犯行動機がこの学校の教育方針に直結していたらどうするよ?」
「何なら、犯行動機がそのまま行動パターンに直結している気もします」
花香が学校全体の見取り図を取り出し、いくつかの地点を指で突いた。
「犯人は決まって放課後、校門の前に現れます。それは何故か? AからCクラスの人間は、基本的に校舎裏には行かないからです。彼らの場合、寄り道している暇があるなら予備校なりアルバイトなりに出向いているでしょうし。まあ、一概には言えませんが……」
「そう考えると、どう考えても校長がラパウザーマンに生徒達を狙わせるように仕組んでいる図式にしか見えない」
「校長先生が犯人と結託していると?」
「その可能性が出るくらいにはこの学校は怪しい。そういう話です」
実際にここで働いている涼葉には堪える話だろうが、これもこの学校の生徒を救う為に必要な仮説の一つだろう。
「校長に問い質す必要が出て来たな。お疲れのところ申し訳ないが、もう自分のストレスがどうこう言ってられる段階を通り過ぎている」
「校長はこの後、教育委員会に出張です」
「何ですって?」
これはまた意外なスケジュールもあったものだ。
「この事件に関する報告を、委員長が直接校長の口から聞きたいとの事で」
「じゃあ、しょうがない。だったら作戦プランBだ」
作戦プランAは、学校の内部事情から犯人の行動を先回りするという、柔軟性はあるが速攻性に欠ける戦略だった。だが、校長のあの態度や警察の余計な詮索などもあり、そもそも校長がこの時間帯を留守にする為、こちらはもう使えないと判断した。
だから、より直接的かつ物理的なプランBを実行するのだ。
花香のQP、アイリスを上空に配置し、QP/本部で情報関連を担当する捜査官、スラッシュ・シックスの初島文彦と連携して、アイリスの目を監視カメラとして運用する方策だ。俯瞰視点から校舎全体を見下ろせるのは大きいが、犯人が出現してから行動を始める必要がある分、実際に対処を担当する将星には高い瞬発力を要求される。
そろそろラパウザーマンを名乗る何者かが現れる時間帯だ。
『生島君』
耳に装着したインカムに、少しおどおどした男の声が入ってくる。
『南西方向から個体識別不能の信号を捕捉。そちらに向かってる』
「来やがったな……初島さんは引き続き観測をお願いします」
『了解』
文彦の予告通り、例のシグナルが正体を現す。
道行く生徒達の中心に頭上から降り立ったのは、ニュースでいつも見ているような、白いライダースーツとヘルメット、腕や脚、バイザーなどに赤い装甲を取り付けた長身痩躯の人型だった。
静かな湖に水滴を一粒落としたみたいに、生徒達の足並みが波紋のように広がり、その白スーツの男を遠巻きに取り囲む。
間違いない。あれは、ラパウザーマンだ。
「将星!」
「いくぞ、セイラン!」
将星は校門の陰から身を躍らせ、
「マテリアライザー、オン!」
強制コマンド入力。グリップ型のQPドライバーから水色の<ブレード>を伸ばし、相手の背後から自分が出しうる最高速で突撃を仕掛ける。
<バブルブリンガー>は周囲の生徒を巻き込む可能性が高い。
だったら先手必勝、不意打ちの接近戦で叩く!
「くたばれっ!」
<ブレード>を一閃。
しかしラパウザーマンは、将星の<ブレード>を、指先でつまんだだけで無力化する。
「え……」
唖然とするのも束の間、目にも止まらぬ拳が、将星のみぞおちに叩き込まれる。
「っ………………!?」
加えて、これまた視認さえ難しい速力での回し蹴りが顔面に入る。痛覚を認識する前に一瞬だけ意識が飛び、体はいつの間にか地面に転がっていた。
何が起きたかを理解できず、将星は仰向けの姿勢で痛みに喘いだ。
「っ……なんだ、いまのは……!」
「将星、次が来る!」
「!」
セイランの警告が無ければ終わっていた。ラパウザーマンはいつの間にか倒れる将星の傍にいて、グリップ型のQPドライバーから伸ばした赤色の刃でこちらの目玉を狙った刺突を繰り出していた。
首を逸らして刺突を回避、急いで立ち上がって距離を開ける。
「クソ……何だ、あの野郎! ただの模倣犯じゃねぇのかよ!」
「また来る!」
毒づいている間にも、ラパウザーマンは地を這う燕のような姿勢でこちらに突撃していた。もしかしたら、グレイスの<ブレード>以上の速力かもしれない。
駄目だ、勝てない――
「っ!?」
どういう訳か、こちらに迫っていたラパウザーマンは一旦疾駆を止めて後退する。
一体何事かと思った直後――黄色く細い何かが、将星とラパウザーマンの間に割り込むかのような形で上空から降り注ぎ、地面にカカカっと音を立てて突き刺さった。
将星はいましがた足元に刺さった細い物体を見下ろしながら呟く。
「これは……乾燥パスタ?」
「イグザクトリィ!」
ふざけた発音が頭上から降り注ぐ。
声の主はたったいま、将星の目の前に降り立った。
「あ……あんたは」
赤い装甲が各所に設えられた白いライダースーツに、赤いバイザーがきらめく白いヘルメット、腰にはグリップ型と銃型のQPドライバーを備え、何故か左手には市販の乾燥パスタの袋が握られていた。
「全ての悪よ、あまねく正義よ。私が来たからには、この騒がしい一時にささやかな休息をくれてやろう」
彼はジャンプしながら一回転し、無駄に大胆なポーズを決めてみせる。
「SHOW MUST GO ON!
MY NAME IS、I・HERO☆ラパウザーマン!」
白いスーツの憎い奴、おそらくは本物のラパウザーマンが名乗りを上げた。
将星はさっき以上に唖然となり、ひたすら顎を全開にする。
色々ツッコミたいところはあるけれど――
「登場シーン、うぜぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」
助けてもらっておいてアレだが、とにかくうざい。
一瞬にして、小さい頃の憧れが将星の中で崩れ去った。
「ん? 君は……」
本物のラパウザーマンは振り返るなり、将星の存在を確認してから訊ねる。
「新入りの上級捜査官か」
「そんな事より、前! 前!」
「ん?」
本物の登場に焦ったのか、偽ラパウザーが地を蹴り、一直線に迫ってきた。
本物ラパウザーはこれに対し、片手を一閃。
偽ラパウザーの肩に乾燥パスタが数本突き刺さる。
「!? ……………………!?」
相手が動きを止めて肩を抑え、突き刺さったパスタを引き抜こうとする。だが、触れた先からぽきぽき折れてしまう為、結局は傷口に刺さったパスタが残ったままだ。
本物ラパウザーは落ち着き払って告げる。
「引き抜こうとしても無駄だ。医者の元で摘出してもらいたまえ」
「何で乾燥パスタで人の皮膚貫通できるの? ていうか、食べ物を人に投げつけるな! 良い子がマネしたらどうするつもりだ!」
「真似をするならそれは親の教育がなっていないだけだ」
「自分から道徳に悖るような真似をしたって公言するヒーローが何処にいる!?」
「ここにいるではないか」
「自覚はあるんかい! ていうか、反語法って知ってる!?」
何だコイツ。色々凄いけど、色々バカだ。
「くそっ……!」
偽ラパウザーのヘルメットからくぐもった声が発せられた。
「よりにもよって、何で本物が……っ」
「決まっているだろう。私の姿でおイタをしているやんちゃ坊主をとっちめに来た」
「そういう事なら話は早い」
将星は何とか立ち上がり、本物ラパウザーと並んで偽ラパウザーに<ブレード>の切っ先を突き出した。
「あんたと俺の目的は同じって訳か」
「その通り。さあ行くぞ、上級捜査官!」
「くっ……こうなったら!」
偽ラパウザーは腰の後ろから球状の何かを取り出し、足元に叩きつける。
すると、彼の周囲からぶわっと、白い煙が散布される。周囲で成り行きを見守っていた生徒達の何人かが煙を吸い込んで咳き込み、将星と本物のラパウザーマンも腕で顔を覆う。
「ここに来て目くらましかよ! 何処から来る?」
『い、いや……もう逃げてる』
「え?」
文彦からの情報に、将星は拍子抜けな声を上げる。
「逃げてるって……」
『シグナルロスト。もう周囲に不審なQPドライバーの信号は無い』
「あの手傷で戦闘の続行は難しい。当然の判断だ」
ラパウザーマンが至って常識的な意見を口にする。
「しかし、これで私と暴力事件で私を騙っていた奴が別人だと、周囲の生徒達に分かって貰えたようだな。ここまでは狙い通り。実にスマートな進行だ」
「狙い通り?」
「話は後だ。煙を吸い込んだ生徒達の介抱を先に済ませよう」
聞きたい事は山程あるが、いまは彼の指示に従った方が良さそうだ。
煙でむせた生徒達を全て介抱し終わる頃には、既に日は暮れていた。
【Bパート】
「えぇ……ええっと?」
いましがた教育委員会から帰ってきた頼子が眉をひくつかせる。
現時刻は夜の七時を回っていた。いま将星達がいるのは校長室で、将星や花香はもちろんの事、部屋の主である内藤頼子、加えて雪見と涼葉も一緒だ。
そして一番の問題は、ソファーの真ん中に腰掛け、足を組んで踏ん反り返る、この人物だ。
「お初にお目にかかる、ミセス内藤。私がラパウザーマンだ」
ふざけた白いスーツ型のQPドライバーを着たまま、本物のラパウザーマンは鷹揚な態度で自己紹介してみせた。
「これからこの事件に関する事情の全てを――全てと言っても、私が知り得る範囲でしかないが、可能な限り私が得た情報をお話ししよう」
「その前に、そのスーツは脱がないんすか?」
将星が微妙な顔をして訊ねる。
当然、ラパウザーマンの回答は予想の斜め上を走っていた。
「勘弁したまえよ。このスーツを脱いだら私は全裸だ! しかもノーパンだ! 加えてニプレスしか着けていないぞ! 余計に変態度が増すではないか!」
「全裸は予測できたけどニプレスまでは予想外だったな。ていうかいらねぇカミングアウトしてんじゃねぇよ。お前の乳首事情なんて誰も聞いてないわ!」
「何ぃ!? 予測した上で私にスーツを脱ぐように要求したのか! 貴様さてはそういう趣味か!」
「そっちじゃねぇだろ!」
「いい加減にしなさい……!」
頼子もとうとう堪忍袋の尾が切れたらしい。かなりご立腹の御様子だ。
「次から次へと何なの一体。早く説明して頂戴!」
「おっと失敬。だが、私は何から答えた方が良いのやら」
「そもそも何でいま現れたのかをまず聞きたいわね」
「ふむ。それはだな――」
彼は天井を仰ぎ見て、記憶を手繰り寄せるようにして喋り始める。
「私の偽物を騙る何者かが、私の恰好をして現れ、この学校の生徒に暴虐の限りを尽くしていると聞いたのは先週の話だったか。そのせいで私はあらぬ罪を着せられ、警察にとうとう本物の犯罪者として目をつけられてしまった。ちなみにそのような事態になったと気付いたのは、コンビニでエロ本を立ち読みしていた時に店員から通報された時だったかな」
「いや、事件の渦中じゃなくても普通に通報されると思う」
「まあなんにせよ、早く偽物を退治してメディアに晒し上げねば、私はヒーローから恐怖の対象へと華麗なる転身を遂げてしまう。だから一旦は身を隠し、普通の人間に変装して調査を進めていたのだよ」
だから偽ラパウザーが出た時期に本物ラパウザーが出てこなかったのか。ていうか、中の人の時が変装で、ラパウザーマンの時が通常時なのか、お前は。
「生島君に空井さんと言ったか。私は君達QP/の上級捜査官も近いうちに現地入りするだろうと踏んでいた。そして私の偽物と接触し、交戦する可能性も充分に有り得たし、実際にそうなった。そのタイミングを私は陰からずっと窺い――」
「俺がピンチになったところで助けに来た……と」
将星が深く頷きつつ言った。
「さっきあんたが狙い通りって言ったのはそういう事か。だったら、俺じゃあ偽物相手に歯が立たないのも計算の内だったって訳だ」
「君でなくても奴を制圧できる可能性は限りなく低い。私の予想が当たっていれば、偽者が着用していたあのスーツは、いま私が身に着けている物とほとんど同じ作りだろうからな」
「根拠は?」
「いま私がここにいる、それが根拠だ。上級捜査官はマテリアライザーを自由に解放できるQP/仕様のQPを持っている。相手が並大抵のチンピラだったら、わざわざ私が出しゃばる必要も無かったのだ。偽物が捕獲された場面に私が現れ、「私より一歩早く捕まえるとは流石だな、QP/!」とでも言っておけば、私自身に掛けられた疑いは何の苦労も無く晴らせるのだ」
「そこまで考えていたのか」
これには将星も素で感心した。正直、見習いたいくらいだ。
「だが、そう都合良く物事は進まないか。あの時点で捕獲できるならそれがベストだったのだが……相手の逃走手段を見落としたのは私のミスだ」
「でも、本物のラパウザーマンの無実を証明できたのは大きい」
たしかな手応えもあり、将星の声は少しだけ弾んでいた。
「これからは相手を模倣犯と断定して捜査できる。しかも本物のラパウザーマンはこちらの味方だ」
「無論、君達に協力するつもりではいるのだが……」
ラパウザーマンの声は何処か慎重だった。
「さすがに我慢の限界でしょうな、ミセス」
「そうね。いますぐあなた達全員に出て行ってもらいたいくらいには」
頼子が眩暈を催したような素振りで言った。
「生島君達には最初に言ったわね。他の生徒達への被害を避けるようにって。偽物のラパウザーマンが逃走の際に使った煙幕を吸い込んで、何人か病院送りになったそうじゃない。それについてはどう責任を取ってくれるの?」
「校長先生、それは別に彼らのせいでは――」
「あなたは黙っていなさい、常田先生」
こちらを庇って弁解しようとした涼葉が、頼子のひと睨みで黙らされる。
「良い? 次にその偽物を捕らえなければ、捜査官を別の人員に交代させますからね? はっきり言って頼りないのよ、あなた達は」
「大丈夫です。次は野郎を確実に捕まえます」
「自信満々ね、生島君。根拠はあるの?」
「子供相手に余裕なさげに食ってかかるとは大人気ない」
ラパウザーマンが挑発的に言った。
「いや、彼らが子供かどうかはさておいて。犯人とのファーストコンタクトという点では、生島君と空井さんはよくやった方でしょう。いままでみたいに大怪我を負った生徒はいない。しかも事件解決一歩手前まで状況を持ってこれたのだから、感謝こそすれ見切りをつけられる謂れは無い」
「そもそも誰のせいでこんな事態を招いたと思ってるの?」
「私のせいだとでも? 冗談だろう」
ヒーローの肩を竦める動作は、意外にもかっこよく、様になっていた。
「私の真似をするのは勝手だが、それで人様に迷惑を振り撒いて良いと言った覚えは無い。だからこそ、私自身の手で始末をつける。当然の話だ」
ラパウザーマンは断固とした口調でそう告げると、窓を開け、窓枠に身を乗り出して頭だけ振り返る。
「今日のところはお暇するとしよう。それでは、アディオース!」
窓枠を踏み台にして、白いスーツの変態ヒーローは闇夜に紛れて飛び去った。
頃合いを見計らい、将星は校長に頭を下げる。
「我々も今日のところは失礼します」
続いて花香と雪見もお辞儀をし、三人は校長室から退出する。
当然というべきか、見送りの台詞は聞こえなかった。
●
コンビニに寄ってから帰ると花香と雪見に伝え、将星は一人、宿付近の広場のベンチに腰を落ち着けて考え込んでいた。
たしかに、野郎を捕らえる手段はある。でも、あまりにも危険な賭けだ。自分はともかく、自分の勝手で仲間の命を危険には晒せない。
しかしこのまま手をこまねいていると、明日すぐにでも新しい犠牲者が生まれかねない。本物と偽物が対峙した場面はさっき何人もの生徒が目撃しているので、偽物が明日再び現れる可能性は半分以下に減ったが、それでもゼロとは言い切れない。
野郎とあの学校の間にある因縁から、どうにかその行動パターンの絞り込みが出来ないものだろうか――
「隣、よろしいかね?」
さっきも聞いたような声だ。自然とうつむいていた顔を上げると、白い全身が将星の視界の上下を支配していた。
「何だ、ラパウザーマンか。隠れ家がこの近くにでもあるんすか?」
「今回限りはこの付近の宿に逗留しているのだ。まあ、宿に入る時はこのQPドライバーをいちいち脱がなければならないのが面倒だが」
だったら必要な時だけ着れば良いじゃん。何で普通に外出する時もラパウザーマンはラパウザーマンなの?
「しかし陰気な顔をしているな。こういう時には……ほれ」
ラパウザーマンが書店の袋から取り出したのは、有り体に言って、エロ本だった。しかも漫画雑誌じゃない、普通に三次元メインのエロ本だ。
「……すんません。いまの気分は快●天かコミック●Oなんです」
「そうか。だったら丁度、これと一緒に買ってきたものがあってだな」
「すげぇ! 二次元と三次元の両方を網羅している!」
袋から覗いていた分厚いアレの束を見て、将星は久々に感嘆した。
二人は並んでベンチに座り、しばらくエロ本に熱中し、一通り読み終える。
その後、先に口を開いたのはラパウザーマンだった。
「で、どうだね」
「何が」
「偽物を捕らえる手段か、あるいは犯人の動機だ」
「さっき空井さんからメールがありましてね。うちの情報担当官に頼んで、スーツ型QPドライバーのコピー品の流通経路を調べてもらってるところらしいです。一点モノなんでしょ、それ?」
「ああ。他にあるとしたら、このスーツが開発された過程で生まれた試作機ぐらいのものだろうか……」
「え? 試作機あんの?」
「元々が難しい構造のQPドライバーだからな。試作のモデルから足し算引き算で性能の調整をして、ようやく完成したのがこのスーツだ」
「何でそんな大事な事を――」
「将星、空井捜査官からお電話」
セイランが着信を報せてくる。
「……ハンズフリーで応答しろ」
「うーい……これでオケ」
『あ、もしもし、生島さん?』
セイランの全身から花香の声が響く。まるでセイランがスピーカーみたいだ。
『さっきの件ですけど、やっぱりコピー品の流通記録は見つかりませんでした。だとしたら、あの偽物が着ていたスーツは自作……』
「空井さん、いますぐ初島さんに伝言を頼む。もう一つだけ調べて欲しいことがある」
『はい?』
「ラパウザーマンのスーツの開発に関わったメンバーのリストを調べて、私立青翔学園と関係のある人物がいるかどうかを洗い出して欲しい。そのメンバーが学園のOBだとか、血縁者が生徒にいるとか……とにかく少しでも関わりがあるような奴がいたら教えて欲しい」
『どういう事ですか?』
「相手の犯行パターンと関係があるかもしれない」
『分かりました。生島さんはこれからどうするんですか?』
「実はいま近くにラパウザーマンがいる。俺は彼と協議して作戦を立てる」
『ラパウザーマンが? ……分かりました。私も自分の仕事をします』
「頼む。交信終了」
通信を切ると、セイランがくたびれたように将星の頭の上に沈み込んだ。
「通信ってつーかれるー」
「ご苦労様。しばらく休んでろ」
セイランの頭を指先に撫でると、将星はラパウザーマンのバイザーを覗き込む。
「一つだけ、相手を簡単に罠に嵌める方法がある。でも、実行するかどうかを迷ってる」
「何か問題でも?」
「仲間を一人、犠牲にする可能性がある」
自分でも言うのは嫌だが、聞いている相手も嫌になるだろう。
だが、ラパウザーマンは静かに先を促してくれた。
「……作戦のキーパーソンは、客員として連れていた白沢さんだ。でも相手が相手なだけに、あの子には大きな負担を強いる事になる」
「なるほど。では、その作戦とやらを聞かせてくれたまえ」
望み通り、将星は相手を捕らえる算段を全てラパウザーマンに語り聞かせた。
彼の口から出た感想は、至ってシンプルだった。
「たしかに好ましくはない方法だ」
「俺はあの子を危険には晒したくない。でも、いま持ちうる手札だと、これが一番手っ取り早くて確実なんだ」
「だったら迷っているだけ時間の無駄だろう」
ラパウザーマンは極めて平静に言った。
「いますぐにでもその子と話してみて、駄目だと言われたら次善策を考えれば良い。たしかに校長からは迅速な解決を求められている。だが、それが手段を選ばない理由にはならない」
「話すのすら嫌なんだ」
「君の想いはその程度なのか?」
「それは……」
やはり、彼はヒーローだ。答えよりも道を示してくれる。
そうだ。俺は決めたじゃないか。
もう、後戻りはしないって。
「ラパウザーマン。あんたに頼みがある」
「何か閃いたな?」
「まあね。とはいっても、簡単なお仕事だ」
将星はたった一つの簡単な仕事をラパウザーマンに依頼する。
ちなみにその報酬についてだが、将星の家の中に眠っている秘蔵のコレクションで手を打っておいた。持つべきものは男の趣味、である。
作戦内容を二パターン用意し、ラパウザーマンと別れて宿に戻った将星を、花香と雪見は普通に「おかえりなさい」と迎えてくれた。
そしてこちらが何かを喋り出す前に、雪見はこう言ったのだ。
「私に出来る事なら何でもやる」
「本当に良いのか?」
「ただし、条件がある」
雪見は将星の耳元に顔を寄せ、小声で条件の内容を告げてきた。
なんというか、雪見らしいおねだりだった。
「……よし、それで手を打とう」
「約束だぞ? 将星君」
「?」
二人のやり取りを傍で聞いていた花香は、眉をひそめて首を傾げていた。
●
明朝に開かれた職員会議に特別に出席させてもらった将星は、校長の頼子を含む青翔学園の教師達に『偽ラパウザー捕獲作戦』の概要と、作戦に必要な指示を全て余す事なく伝えた。授業前の朝練で部活動に精を出していた生徒達にもいくつかの聞き込みを行い、本部の文彦から要請していた情報を寄越してもらい、雪見にもいくらかの予行演習をしてもらった末に、ようやくこちらの手札に役が揃った。
やれる事は全てやった。後は、獲物が網に掛かるのを待つだけだ。
「校長先生。ひと騒ぎする前に、話しておきたい事があります」
「それは事件に関係のある内容かしら」
昼の陽光が差し込む校長室で、将星と花香は頼子を相手に交渉に臨んでいた。
将星はいままで通り、決して物怖じせずに言った。
「犯人がこの学校を指定して襲った背景を、校長先生は何かご存知なのでは?」
「いまさら何を言っているのやら」
「大人が化けの皮を剥がされる刹那ほど、面白い光景はありませんからね。こちらで独自に調べさせてもらいました。空井さん」
「はい」
花香は旅館のプリンターで出力した資料の束を頼子に手渡した。
内容に目を通した彼女の驚く顔といったら、こちらからすれば面白いのなんの。
「これは……」
「うちには優秀なハッカーが二人もいるんです。ね、空井さん?」
「からかわないでください」
花香は憮然として言った。
「校長先生。これが事件の真相ですが、何か不足している点は?」
「いえ……これは、どうして、こんなっ……」
頼子はあからさまに狼狽していた。
将星はそんな彼女に、落ち着き払った口調で語り始めた。
「では、明かしてみせましょう。あなたが覗き見た、闇の奥底を」
そろそろ放課後だ。生徒達が昇降口からぞろぞろと虫のように湧き出てくる。
さあ、次はどの生徒を狙おうか。やはりターゲットは、育ちが良さそうな顔立ちと小奇麗な身なりをした連中だ。
お? 一人だけ出てきた。随分と小柄で華奢な女子生徒だ。見てくれは上々、まだ男を知らなそうな顔をしているな。続々と別の生徒達が彼女の後ろから現れているが、全員ターゲットとしての価値が無さそうな身なりの連中ばっかりだ。
よし、決めた。次のターゲットはあの子だ。
いつも通り、校舎の隣の背が低いマンションから、直接校門手前の敷地まで飛び降りる。着地の衝撃は全てこのスーツが吸収してくれるから、実質的なダメージは皆無に等しい。
後はスーツのパワーアシスト機能を使用し、目当ての女の子に飛びかかり――
「グレイス。マテリアライザー、オン」
……え?
青翔学園の制服姿で昇降口から出てきた雪見は、相手からすればさぞ食指を動かされる獲物だっただろう。メイクを担当した花香曰く、元々の肌質が良いからナチュラルメイクすら必要なく、髪は近くのドラッグストアで購入したヘアケアのミストで軽めに整えてあるし、スカートは膝丈ぐらいのものしか履いていない。
だから、偽ラパウザーの目には、雪見はきっと純朴な女学生に映っただろう。
「<ブースト>」
グリップ型のQPドライバーから生えた九本のしなる刃をオプションコードで加速させ、雪見は迫りくるラパウザーマンを牽制し続けていた。
グレイスの合図が飛んでくる。
「雪見。そろそろ逃げるわよ」
「あいよ」
雪見はわざと気弱な態度と素振りを相手に見せ、踵を返して校舎裏に続く道をひたすら走る。偽ラパウザーも彼女の背を追うが、逐一<ブレード>でジャブ程度の攻撃をしている為、いくら超強力なQPドライバー持ちでもそうそう近寄れはしない。
やがて、昇降口とは反対の、誰もいない校舎裏に辿り着く。
そこで雪見は足を止めて振り返り、<ブレード>を引っ込めた。
「?」
「そこまでだ、偽物野郎」
雪見の背後。校舎の陰から、生島将星がゆったりと歩み出てきた。
「……!? どういう事だ、これは!」
「少し考えれば分かるだろ。そこの女学生は単なる囮だ」
「女子を囮に使うか、普通!? 畜生、イカれてやがる!」
悪態を吐いて、偽ラパウザーは踵を返して逃げようとするが、
「毎日罪も無い少年少女を痛めつけてる貴様に比べたら可愛いものだろう」
退路を本物のラパウザーマンに塞がれる。
「さあ、大人しくマスクを脱いでもらおうか」
「必要無いね。名前さえ分かれば、素顔なんて住民票からでも暴かれる」
将星は自信満々に言い放つ。
「なあ、筑紫稔さんよ」
「なっ……!?」
「その反応はビンゴだな」
将星は軽く鼻を鳴らした。
「せっかくだ。何で名前がバレたのか、いまからゲストも交えて説明してやるよ」
将星が軽く顎をしゃくると、物陰から頼子が姿を現した。
いまの彼女は、あからさまに憔悴していた。
「筑紫稔。大日本QP研究所株式会社の元・技術職」
まずは、そう切り出した。
「あんたはラパウザーマンの中の人と面識のある数少ない人物の一人だ。いまあんたが着ているのは、いまのラパウザーマンが使用しているQPドライバーを製作する過程で生まれた試作機なんだろう? この学校と多少なりとも関係のある人物をうちの情報担当官に検索させていたら、きな臭い経歴を持つあんたの名前がヒットしたんだよ」
「だ……だからどうしたってんだ」
「人の話は最後まで聞いておくもんだ。で、あんたが何でこの学校の、しかも優秀な生徒達だけを集中的に狙っているかだけど――あんた、妹がいただろ」
「……っ!」
偽ラパウザーもとい、筑紫稔は驚きからか、一歩だけ後ろに下がった。
「妹さんの名前は筑紫まとい。当時高校二年生。五年前、複数の同級生から暴行を受けた末に自殺している。言うまでも無いだろうけど、ここの生徒だったらしいじゃないか。で、その筑紫まといさんが被害者となった事件を、うちにいるもう一人のハッカーが洗いざらい調べ上げてくれた。神奈川県の教育委員会にデータとして貯蔵されている、イジメ事件の保管庫から必要な部分だけを掠め盗ってな」
教育委員会へのサイバー攻撃――有り体に言ってただの犯罪行為だが、いまを生きる生徒達の安全には代えられない。
「妹さんのクラスメートには大層出来が良いモテ男がいたらしい。彼女は偶然にもそのリア充野郎とマッチングリンクを構築した。でもそのせいで、彼を慕っていた他の女子生徒――とりわけ問題行動や問題発言が多かったような女子生徒や、彼女らの友人であるむくつけき男子生徒から、筑紫まといさんは直接的な暴行や陰湿な嫌がらせを受けていた。決定的なのは、男子生徒複数人からの強――」
「やめろ、やめてくれ!」
稔がひび割れた声で叫びを上げる。
「……そうした責苦を受け続けた彼女が最後に選んだのは――」
「やめろぉおおおおおおおおおおおおおっ!」
半狂乱となった稔が地を蹴って飛び掛かるが、二人の間に下った三つの青い光の槍が、彼の動きを一瞬で静止させた。
あらかじめ上空に浮かべておいたシャボン玉――セイランのパーソナルコード・<バブルブリンガー>の泡を一個だけ弾けさせ、飛ばしたレーザービームだ。
「下手な抵抗はしないこった。何でわざわざ人気の無い校舎裏にあんたを招いたと思ってる?」
既に将星の右手に握られているグリップ型QPドライバーの先端からは青白い刃が伸びている。こちらから電源を切らない限り、いま尚頭上に浮かんでいる無数のシャボン玉はふわふわと浮かび続けたままだ。
「だからどうした!」
稔の暴走は止まらなかった。ヘルメットの耳元を平手で叩くと、彼の全身が赤熱し、白い煙が赤い装甲の各所から噴出される。
本物のラパウザーマンから警告が飛ぶ。
「気を付けろ、生島君。来るぞ!」
「分かってる」
稔のQPドライバーがラパウザーマンと同じものだとしたら、備わっている固有の能力も同じだろう。だから、あらかじめラパウザーマンから話は聞いていたのだ。
ヒーロータイム・ラストスリー。パワーアシスト機能のリミッターを解除し、人体の負担を無視して着用者の身体能力、併用している別のQPドライバーの攻撃力を爆発的に引き上げる、いわば火事場の馬鹿力を発現させるパーソナルコードだ。
制限時間は約三分。限界を迎える前に倒してしまえば、稔の体が負担に耐え兼ねて壊れる前に無力化が可能だ。
「こちらスラッシュ・セブン。スラッシュ・フォー、応答せよ」
『こちらスラッシュ・フォー。そろそろ始まりますか?』
「ああ。ここからは時間との勝負だ」
『了解。<バーサーク>、発動します』
花香が宣言した後、将星の鼻先をいくつもの白い花弁が掠める。
甘い芳香が鼻腔を通って脳に行き渡る。これで将星の脳から安全装置が外される。
「いくぞ、セイラン」
「ういー」
こちらがつま先に力を入れるより先に、稔が安直な踏み込みで肉薄してきた。片手には<ブレード>を伸ばしたグリップ型のQPドライバー。近接格闘で、直接こちらを黙らせる算段らしい。
稔が一閃。さらに、執拗な連続斬りを放つ。
しかし将星は相手の斬撃を全て、最小限かつ最速の動作でかわしていく。
「何だ……昨日とは動きが違う!?」
「おらおらどうした、当ててみせろや」
「このぉっ!」
振り乱された<ブレード>がこちらの<ブレード>に直撃。緩急を目一杯つけた鉄球でも喰らったような衝撃と共に、将星の体が軽々と後ろに吹っ飛ぶ。
稔が腰から銃型のQPドライバーを抜き、空中で無防備な将星に照準を合わせる。
「「<スピア>!」」
将星と雪見が同時に叫び、それぞれQPドライバーを突き出すと、伸ばしていた<ブレード>が急速で伸びる。
白い九本の<ブレード>に加え、水色の<ブレード>が一本。計十本の<ブレード>の刃先が、稔を正面から覆い尽くすように強襲する。
「<シールド>!」
稔の前方に赤い結晶の丸い壁が展開され、刃先の全てを受け止める。だが、<シールド>一つで十本の<スピア>の馬力を全て抑え込める道理は無い。
稔の体が<スピア>によって後ろへと押し込まれる。
すなわちそこは、本物のラパウザーマンが立っている方向だ。
「さあ、偽物よ。覚悟したまえ」
「や……やめっ……」
「これはいままで被害者が君から受けた苦痛の分だ」
互いの距離が狭まる中、ラパウザーマンは思いっきり拳を引き、
「甘んじて、受け入れろ!」
渾身の一撃が稔の腰に直撃。彼はくの字に折れ曲がり、苦悶の呻きを上げ、
「ぉおおおおおおおおおおおおおっ!」
雄叫びを上げて将星が肉薄。<ブレード>の横一閃によって、赤いメタリックのバイザーを破壊する。これで稔はヘルメットを脱がない限りはまともな視界を確保できないし、三分間のパワーアップ状態もいまのダメージと重要パーツの欠損によって強制解除される。
ゲームセットだ。将星は稔を地面に引き倒し、後ろ手に彼の両手を手錠で拘束する。
「一六四○時、筑紫稔、確保」
「くっ……そぉ……!」
腰の激痛によるものか、志半ばで逮捕された悔しさによるものか、稔の呻きは何処か切なげでさえあった。
「あんたをブタ箱にブチ込む前に、どうしても伝えておきたい事がある」
元々、稔と学校との間にあった確執を解消する気で将星は今日の戦いに臨んでいた。だから、いまから将星が語ろうとする内容は、決して余計な話ではない。
いまの戦闘行為も含め、全ては必要な手順だったのだ。
「話の続きだ、シスコン野郎。あんたは愛する妹さんの雪辱を晴らすべく、この学校に対して復讐しようと考えていた。そこに舞い込んできたのが、ラパウザーマンのスーツ型QPドライバーの作成だ。あんたは妹さんの死を忘れたいあまり、プライベートを忘れて仕事に没頭していた。その結果生まれたのが……」
将星は傍でふんぞり返っていたラパウザーマンを見遣った。
「最強のポテンシャルを秘めた、前代未聞の特注品。スーツ型QPドライバー・ラパウザーマンだ。しかしいざ完成してみると、再び妹の件が脳裏を過るようになっていた。そこであんたは考えた。せっかく作った試作品が手元にあるんなら、それを使って自分の願望を満たしてやろうと」
「それはそれで不審な話だな」
本物のラパウザーマンが怪訝に訊ねてくる
「試作品の用途はともかくとして、何で件の加害者ではなく、この学校に狙いを定めたのやら。学校そのものが妹さんに危害を加えた訳じゃあるまいに」
「こいつが暴行犯の顔を直接見てないからだ。加害者も当時は未成年だったし、遺族からの報復行為も含めたあれこれを恐れて、そのあたりの情報的保護が徹底されてたんだと思う。QP/のファイルにも載ってない事件だったから、過去の記録は本庁が持ってるんだろうな」
「君の権限では手が届かないし、ハッキングもリスクがでかいという訳か」
「そゆこと。で、ここからが最大の謎だ。あんたは何でAからCクラスの生徒達ばかりを狙っていた?」
「AからC? 何の話だ!」
「……やっぱり知らなかったのか」
こちらの予想は的中していたらしい。
こいつやっぱり、学校の内部事情を何も調べていない。
「じゃあ教えてやってください、校長先生」
「…………」
いままでずっと沈黙を保っていた頼子は、しばらく瞑目し、意を決したように顔を上げ、ゆっくりと語り出す。
「件の五年前、私はこの学校の教頭だった。当然、筑紫まといさんの事件も存じています。あの事件は、私にとっても許しがたいものでした」
「よくもそうやって嘘を平然と!」
「この学校の現状を知ってからでも同じ口が叩けるか?」
「何っ?」
稔が再び将星を威嚇するが、手錠をかけて組み伏せられている相手に何を言われても怖くは無い。
頼子が淀みなく述べる。
「……彼女の机から遺書が発見された為、あの事件は自殺と断定されました。遺書に記載されていたのは、当時彼女に酷い仕打ちを仕掛けた生徒全ての氏名でしたが――その生徒達の親がこの地に利権を持つ者ばかりで、体裁やら面目やらを言い訳に、遺書は秘密裏に処分され、イジメに加担していた生徒達は何の処分を受ける事なく、いまものうのうと生きているらしいです」
なるほど、当時の事件は捜査の過程で隠蔽工作が成されていたのか。どうりで詳細資料を調べようとしても、かゆいところに手が届かない訳だ。
「その話を聞いた私は悔しさをバネに校長の座を得て、教育改革を推し進めました」
「その結果、AからGまでクラスが下っていくに従って、各生徒の順位や素行の質が落ちていくような構図の教育制度を実行した。もっとも。内藤先生が校長として就任した後の事を、あんたは全く知らなかったんだろう。だから、あんたはとある点を見落としていた」
「とある点……だと?」
稔がかすれきった声を発し、首をやや上に持ち上げた。
「あんたが狙っていたのはAからCクラスまでの優秀な生徒だが……あんた、実は見た目だけで襲う生徒を決めていただろ。校長先生が下した取り決めを知らないから、自分が襲った奴がどのクラスにいたかなんて考えもしなかった。じゃあ、何であんたは見てくれが良い生徒だけを狙った?」
「それは……」
「大方、優秀そうな生徒ばかりを狙っていれば学校側に大打撃を与えられるとでも思ったんだろう。でも普通に考えてみろよ。人命さえ奪わなければ復讐を正当化できるとでも? 妹さんをいじめてた奴と、いまのあんたに大きな差は無い。残念ながら暴力だって、立派な犯罪なんだよ」
「じゃあ、まといをイジメていた奴らはどうなる!」
「過去の事件なんぞ知るか。俺はいま起きてる事件を解決して、いま暴れてるバカにワッパを掛けに来ただけだ。俺の言いたい事、分かるな?」
「きさまぁあああああっ!」
稔が怒りのあまり暴れようとする。懲りない奴だ。
「……あんたがやらかしたのは半無差別の暴力行為だ。おかげで雪見を変装させてあんたを釣るっていう方法が上手く嵌まってくれた。獲物を選り好みしていたのが裏目に出たな」
「私はこの中で唯一、偽ラパウザーに顔が割れていなかったからな」
雪見が偉そうに頷く。こうしていると、いくら育ちが良さそうな格好をしていても、「ああ、いつも通りの雪見だ……」と、こちらも安心していられる。
「そんな事はどうでも良い!」
稔がさらに激昂する。
「じゃあ何でそんなクラス分けをしたんだ! それさえ無ければ、俺はこんなクソガキ共に捕まらないで済んだってのに!」
「あなたの妹さんと同じ轍を踏ませたくなかったからよ」
校長が沈痛そうな面持ちで言った。
「優秀な生徒は優秀な生徒とだけ関わって切磋琢磨していれば良い。下らない生徒は下らない生徒とだけ絡んで勝手に落ちぶれていればいい。あなたの妹さんは明るくて、優秀な頑張り屋さんだった――いまの教育方針なら、あなたの妹さんはAクラスのトップに躍り出ていたでしょう。そんな彼女の将来を踏みにじった人種を、私は許せなかった」
「だから無菌室とゴミ屋敷とで完全にクラスを区分けするようになったんですね」
人間は総じて慣れる生き物だ。よって個体ごとの違いと言えば、慣らされた環境に他ならない。温室育ちや極寒育ち、一昔前では昭和生まれか平成生まれかで人の性質を決めつける者も決して少なかったのはこの為だとも言われている。
校長は後悔していたのだ。優秀な生徒が不良生徒と一緒の部屋に置かれ、穢され、貶められていた現実を。
極端な話、校長が推し進めたこの改革の終着点も、一種の『慣れ』の果てだ。
「でも、校長にしたって、偽ラパウザーにしたって、どっちも間違えたんだ」
将星は顔を俯かせて言った。
「校長が語る筑紫まといさんが本当に将来有望な人だったとして、彼女を能力的にも人格的にも優秀な人間しかいないクラスに入れてやったとして、恋愛やマッチングリンク、イジメの問題だけはどうしようもない。どんなに人格が優れていても、人の心を棲み家にしているのは天使だけじゃない。悪魔だって同棲している」
遥か昔の話。城を傾ける程の美しい女性を、人は傾城の美姫と呼んだ。そんな史実もあるくらいだから、恋愛とは世界最大の大きさを誇る歯車だというのがよく分かる。
「じゃあ、私はどうすれば良かったのよ」
校長が肩を震わして呟く。
「大切な教え子を失って、悲嘆に暮れるしか無かったっていうの? 失ったまま、何もしないで棒立ちしていれば良かったの……?」
「ずっと苦しんで、模索していれば良かったのだ」
ラパウザーマンが優しく、いまさらのように言った。
「あなたは教え子の無念を晴らすべく、世界を捻じ曲げようと苦心した。いまここにいる誰もが、あなたが教育に注ぐ熱意を認めているだろう。だから、いまの形が完成だと思わず、ずっと追い求めていけば良い。教育者はヒーローと同じ、求道者だ」
求道者。臭い割に、不思議と嫌いにはなれないフレーズだった。
「……これで分かっただろう、偽物君」
ラパウザーマンは地にひれ伏した稔を見下ろして言った。
「経緯はどうあれ、君の妹さんを想っていたのは君だけではなかった。行き違いはあっただろうが、彼女の想いに免じて、この学校を許してやってほしい」
「ちくしょう」
稔は涙声で呟いた。
「……ちくちょうっ……!」
「…………」
いまの将星には、彼にかけてやる言葉が見当たらなかった。
警察に稔の身柄を引き渡した後、校長は常田と並び、改めて校門前で将星達とラパウザーマンに深々と頭を下げた。
「今日は本当にありがとう。叶うなら、これまで私が口にした失礼な言動の数々、どうかご容赦を」
「とんでもないです。基本的には全てラパウザーマンのおかげですし、正直言ってこちらも至らない点が多かったですから」
「いや、生島君達はよくやったさ」
ラパウザーマンがしみじみと賞賛を送ってくる。
「仲間と連携してあそこまで調べ上げ、それを元に推理を組み立てた手腕は見事だった。君のおかげで筑紫稔と校長の間にあった確執は取り払われ、結果的に次の犠牲者は一人も現れなかった。将来有望なデカだな、君達は」
ラパウザーマンは気持ち良く語ると、リンクウォッチの光学ディスプレイを弄り、将星のリンクウォッチに連絡先などが記載されたデータを送りつけてきた。
「生島君。君の熱い魂に敬意を表する。もしそちらが宜しければ、QP/と謎の部外者としてではない、ただの友人として私を迎えてはくれないだろうか」
「え、あ……え?」
いきなり友達の申請をされて、将星は反応に困って言葉を詰まらせた。
そんな将星に構わず、ラパウザーマンはかっこつけて敬礼する。
「私はこれで失礼する。諸君、また会おう!」
彼は一足飛びに遠くまで離脱し、あっという間に姿を消した。スーツのパワーアシスト機能を使ったとしても異常な飛距離だ。
何にせよ、彼の出番はここで終わった。今日からはまた、正義のヒーローに逆戻りだ。
「良かったな、将星君」
雪見が将星の肩に手を置いて言った。
「正義のヒーローとお友達になれて」
「何がヒーローだ」
気恥ずかしさから、将星は唇を尖らせた。
「あんなの……普通にかっこいい、大人の男じゃねぇか」
●
「色々大変だったでしょうけど、とにかくご苦労様」
任務が終了し、ネリマの本部に戻って事後報告を済ませた将星と花香に、長官の由香里は労いの言葉をかけた。
「生島君。研修期間を終えての初めての事件、手応えはどうだった?」
「正直、助けてもらってばっかで、自分で何かをやり遂げたって気はしませんでした」
「さっき青翔学園の校長からお電話があったわ。あなたのこと、随分と気に入ったみたいね。高校の進路はそこで決まりだったりして」
「東京から離れるのはちょっと……」
「冗談よ。でもね、あなたはもう少し自分に自信を持った方が良いわ。初島君も感心していたっけ。彼と花香ちゃんに頼んだ調査がほとんどビンゴだったって」
そう言われると悪い気はしないが、少し褒めすぎではなかろうか。
「それでもまだ自信が持てないならこれから身に付けていけば良い。そうでしょ?」
「……はい」
「今日はもういいわ。二人共、本当にお疲れ様」
由香里が満足げに手を振ると、将星と花香は頭を下げ、長官室を後にした。
廊下を歩いていると、花香が柔らかく告げてきた。
「生島さん、今回はありがとうございました」
「何が?」
「不謹慎かもしれませんが、今回の仕事、ちょっと楽しかったです」
彼女は年相応に笑う。
「もし機会があったら、また仕事で旅行に行っても良いかもしれませんね」
「えっ!? マジで!?」
「もちろん、部屋は別々にしてもらいますし、なんなら雪見さんも連れて行きます。今度は宇田川さんも一緒に」
「それは嫌だなぁ……」
男一人に女子三人の旅行。
駄目だ。ストレスマッハで俺の胃袋が潰れる。もう押し入れで寝るのは御免だ。
「しょーせーい、留守電が入ってる~。パスタ野郎から~」
セイランがこちらの肩の上でくるくると片足を軸に回りながら告げてくる。
「おう。再生してくれ」
そういえばハンズフリー設定にしたままなので、隣の花香に通話の内容が全て筒抜けになってしまうが、まあ、聞かれても大した問題は無いだろう。
ややあって、パスタ野郎ことラパウザーマンの声が、セイランの全身をスピーカー代わりにして再生される。
『やあ、生島君。私だ。ラパウザーマンだ。件の報酬についてだが――』
ああ、そういえば、ラパウザーマンにはあの事件の最中にちょっとしたお願い事をしたんだったか。
内容は単純明快だ。筑紫稔が逃亡を図った際、その退路を塞ぎ、決定打を与えて制圧の隙を作る役割をラパウザーマンに任せたのだ。
『君の家に眠っているという秘蔵のコレクションとやらの中に、ハードなSMモノはあったりするのかね? あとは二次元のロリ系だ。その二種類を含めた君のお気に入りとやらを後日貸してくれるとありがたい。大丈夫、読んだらちゃんと返すから。受け渡しの時間と場所を伝えてくれたらすぐにでも飛んで行こう。それでは、アディオス!』
「…………」
「……………………………………………………………………………………………」
「……ええっと、空井さん」
留守録の再生が終わり、将星は半眼で睨んでくる花香に弁明する。
「いまのは……違うよ? その……あれだ。とにかく、違うんだよ?」
「生島さん」
「はい?」
「仕事以外ではもう話しかけてこないでください」
何が気に入らなかったのだろうか。花香はすたこらと早足で歩き去って行った。
彼女の背中が見えなくなると、将星はしばらく呆然とする。
「花香ちゃんは生娘じゃ~。男を知らぬ~」
時代小説の登場人物を真似たのかどうかは知らないが、セイランがとびっきりふざけた爺言葉を使い始める。
片や将星はショックのあまり全身が氷のように固まり、
「……ラパウザぁあああああああああああああああああああああああああっ!」
QP/本部の中央で悲しみを叫んだ。
#2「正義の味方 I・HERO☆ラパウザーマン!」 おわり